紫黄村の殺人

Chapter 2 : 紫黄村の殺人 14

と牧が学生になった初めての初夏、はアルバイトをしつつ学生生活、牧は新人戦に向けて練習の日々を送っていた。部活でいつも一緒だったふたりの生活はそれぞれの予定ですれ違うことも多かったけれど、今のところ大きなトラブルもなく過ごしている。

ふたりの同居は「挑戦」だったわけだが、周囲の大人たちの方がそれを忘れがちで、ふたりの家族はもちろん、当然敬さん、メイさん、島さんはしょっちゅうふたりを食事に誘ったり遊びに来たりと、周りが茶化すような「学生カップルの同棲」という甘ったるい時間はあまり取れないでいる。

なので特にふたりの親は安心しきってしまい、敬さんとの約束である「最低でも週に1度は実家に電話」を親の方から「そんなにいらない」と断られるようになる始末。

また、島さんは紫黄村の件が完全に事後報告だったので、恨み節とともに事件の話を聞きたがり、特に琥珀さんの犯罪者としての人格に興味を持ってしまったようで、裁判が始まったら傍聴に行くのだと頬を赤くしていた。

だが、そんなふうに周囲の大人たちに邪魔されがちなせいで、ふたりきりになるチャンスがあると一心不乱に愛し合うというような、まあ良く言えばメリハリのある日常を送っていた。

の琥珀さんへの思いは彼が豹変したことで完全に消滅、意図せず牧以外の人に惹かれてしまったという傷だけが残り、今後の戒めと思いつつも、苦い記憶となった。

そんな中、聴取が進む傍ら、ひとり後始末と姉のサポートに奔走している玻璃さんが、敬さんに連れられてふたりの暮らすマンションを訪ねてきたのは牧の新人戦デビュー目前のことだった。

「おかげさまで、根本的な治療に向けてチームが組まれました。費用もなんとかなりそうです」

治療には高度な手術が数回必要になり、それが完璧に成功しても化学療法が不可欠で、それでも退院できるかどうかはまだわからないという。だが予算の心配がないことで退院を目指した治療計画が始まったとのこと。まだ幼稚園の年長さんである上の子の育児のサポートも付き、玻璃さんは現在の仕事を続けながら、翡翠さんと暮らしていくらしい。兄と姉の帰る家がないとね、と彼は言う。

「僕がひとり罪を免れたのは、末っ子だったからだと思うんです。琥珀兄さんは子供の頃から責任感が強くて、母親にも妹たちを守るように躾けられて、そのせいで父親に反発するようになってしまったんだと思うんです。でもあの父親から母や姉たちを守ることは出来なくて、後継ぎにはしないと宣告され、ずっと前から歪んでいたんだと思うんです。何をやっても父親という壁があったから」

その反発心の強さから金剛氏には早々に見限られ、なので一時は玻璃さんが跡継ぎの予定だったそうな。

「それが、僕はほんの小さな頃からピンクの服やフリルの付いたドレスが好きで、姉たちのおままごとの衣装を着たがったそうなんです。なので父は僕を『オカマ』と罵って、たぶん小学生になるかならないかって頃には跡継ぎにする気はなかったと思います。まあ僕の場合は美しい布フェチなだけだったんですけどね。なので好きな分野を学んで好きな職に就きましたが、上の3人はそういうわけにいかなくて」

琥珀さんは一応進学したものの、後継ぎではないのだから自分で働いて生きていけと言われ、既に社会人にさせられていた妹を守らねばという義務感にも駆られ、本人の言う「しがない会社勤め」になるしかなかった。

当時の翡翠さんはのんびりした性格のお嬢様だったので、何の疑問もなく父親の命で受付嬢になったものの、やがて恋人が出来て結婚を望むようになると、状況は一変。金剛氏は結婚を許さず、妨害までして反対をしたのだが、珠子さんが既に没していたこともあり、いずれにせよ金剛氏が気に入る男と結婚したところで無意味、と内縁関係の結婚をした。

一方の瑠璃さんは姉と同じように受付嬢を強制されたものの、こちらは姉と違って明確な夢があった。なので遅ればせながら兄のような反発心を抱き、しかし勝ち気で努力家だったので、受付嬢として働きながら金を貯め、独学も怠らずに学んで、やがて勝手に受付嬢を辞めてキャラクターグッズブランドのデザイナーになった。幼い頃からの夢だったそうで、きょうだい全員がそれを喜んでいた。

「母は、夏川さんが話してくれた祖母にそっくりでした。厳しくて、強くて、賢くて。僕たちきょうだいに力を合わせて生きるのだと教えたのも母です。だから僕たちはこの東京で助け合いながら生きてた。翡翠に子供が生まれた時は嬉しくて、毎日のように顔を見に行きました。そういう、僕たちの結束の強さが結局、今回の事件の引き金になってしまったのかもしれない」

2年前、翡翠さんと共に紫黄村を訪れた瑠璃さんは金剛氏に治療費の援助を断られて激怒、そこから琥珀さんとふたりで金剛氏を葬れないかと考えてきたらしい。きょうだいの中でもこのふたりは本質的に激情家で、一度ついた火は燃え上がるばかりで鎮火することもなかった。

「僕もずっと休みなしです。先日は紫黄村に行ってきました。役場の皆さんに謝罪しに行ったつもりだったんですが、なぜか慰められまして。帰りにはまた野菜と乳製品を大量にくれまして、なんだかわけがわからなくなってしまって、帰りの電車で泣けてきました」

あるいは村の人々はきょうだいたち以上に金剛氏を知っていたわけなので、同情するところがあったのかもしれない。なおかつ村長と観光課課長の犠牲を除けば紫黄村は全国的な知名度を得てしまい、夏川グループという後援も現れ、絶好の再出発をしている。

「それにしても、牧くんが探偵だとは知らなくて」
「いや待ってください探偵じゃないです」
「オレがこの子らの存在を徹底的に隠蔽したからね」
「頭も良くてバスケット選手で素敵な彼女もいて、羨ましい限りです」
…………ん?」

頭脳とバスケット選手は措いておくとしても、彼女は。見たところポップスターのような王子様系である玻璃さんが牧を羨む要素は筋肉くらいしかないのでは……と3人は首を傾げた。

「そんなこともないんですよ。それに、当分はプライベートな時間は取れそうになくて。恋愛なんかとても」
……絹田さんの息子さんとは、話されましたか?」
「いいえ、申し訳なくて、そこまでは……。ご挨拶に伺った方がいいんでしょうか」

牧は敬さんの方をちらりと見ると、少し身を乗り出した。

「琥珀さんと瑠璃さんが逮捕されたあと、会いたいと連絡が来たんです。絹田さんが命がけで守ろうとした秘密を暴露してしまったので、怒られるのかと思っていました。でもそうじゃなくて、息子さん、皆さんのお手伝いがしたいと言い出したんです。お子さんたちの年が近いし、一度会いたいと」

玻璃さんは信じられないという顔をして首を突き出した。そんなことをする理由はないはずだ。

「息子さんいわく、絹田さんも『困っている人を助けろ』とかなり厳しかったそうです。珠子さんの影響だったのではないかと言っていました。そこに珠子さんへの崇敬が重なってしまって絹田さんは早まってしまったと思うんですが、なのでおそらく、玻璃さんと翡翠さんを助けることは、絹田さんが今もっとも望むことなんじゃないか、何も親孝行ができなかった代わりに、病に苦しむ子供の力になりたい、と」

玻璃さんは片手で顔を覆い、肩を震わせた。治療費の目処が立ったのは祖母・スヱ子のおかげであり、目の前の困難に手を差し伸べてくれる人がいるのは母・珠子のおかげ。金剛氏に阻まれていた四きょうだいの「暮らし」は今やっと巡り始めたのかもしれない。

「ありがとう、ございます、と、お伝え頂けますか、お会いしたいです」
「わかりました。またご連絡します」
「皆さんも、本当にありがとう、ございました。僕たちを、救って、くれて、ありがとうございます」

これをもってと牧、そしてメイさん敬さんにとっての「紫黄村事件」は終わった。

以後、月に一度の割合で紫黄村の観光課から野菜と乳製品がぎっしり詰まった巨大な段ボールが届き続けるという、家事炊事に不慣れな学生にとってはちょびっと迷惑な習慣が出来てしまったことを除けば、紫黄村のその後についても耳にすることはなくなっていった。

すっかり事件のことを思い出さなくなっていた8月の初旬、ふたりは久しぶりに地元に帰ることになった。国竹さん松波さんの結婚式である。

そもそも松波さんは実家と折り合いが悪く、それは白蝋館を出ても結婚を報告しても変わらず、彼は国竹の籍に入ることになっていた。それを報告してはまた揉めたそうだが、ともあれふたりはメイさんの家で居候している間に入籍、新居の準備で忙しいのでまだ居候中、メイさんの愚痴が止まらない。

ふたりはまたメイさんの紹介で服をあつらえてもらい、生まれて初めての結婚式に出席することになった。しかし盛夏の折、せっかくのフォーマルで汗だくになって移動するのは嫌だったので、敬さんに迎えに来てもらうことになった。忘れていたけどポルシェ・パナメーラである。

着慣れないフォーマルの学生がふたり、超高級車からこそこそと出てくるので、式場の外で行き合ったメイさんは笑いを堪えていた。今日のメイさんはサリー風のドレスで、やっぱりシャラシャラと音がしている。

「いやおかしくない? 正直な自分の好みとTPOを考慮したベストなスポーツセダンだろ? ランボルギーニとかロールス・ロイスのファントムとかに比べたら全然空気読んでる車だし、それを数ヶ月で乗り換えたりとかしてるわけじゃないし、いやてかなんでみんなそんなオレの車引くの?」

価格のせいである。柴さんも引いてる。

結局結婚に関しては折れたらしい松波さんの家族も出席しているが、そもそもその松波さんの実家が夏川グループの傘下にあるホテルである。グループのトップが出席するのに親がへそを曲げて出てこないわけにもいかず、息子とはギクシャクしているが、ややお仕事モードで現れた敬さんには膝につくほど頭を下げていた。

湘南の式場は景色もよいが日当たりもよく、招待客は早々に室内に避難し、待合で歓談していた。

今日はラベンダーモーブのパーティドレス姿であるは、牧とふたり、敬さんとメイさんに挟まれている。それを柴さんがうっかり「親子みたいですね」と言ってしまい、全員に怒られたところである。怒った理由は様々。なのでは話題を変えた。

「ねえ敬さん、国竹さんたちって白蝋館に戻るんですよね?」
「そう。もう少し先だけどな。当分は各種撮影なんかへの貸出しと、それに伴うレストラン営業だね」

敬さんが事件現場の扱いに悩むこと1年、ひとまずそこは措いて、要望が絶えない館内の撮影で営業を再開することになった。元々事件のあった2階は宿泊施設としてかなり作り変えられていて撮影には不向き。なので建設当時の面影を残す1階と3階の方をメインに貸し出すプランを作成中。

その準備を行っている最中だそうで、白蝋館は国竹さんを館長として9月に営業再開を予定している。

「国竹さんたち、そこに住むの?」
「ホテルとして再開するならそれでもいいかなと思ってたんだけど、それはまだ先かな」
「ホテルに戻すつもり、あるんですか?」

の向こうから首を伸ばしてきた牧に、敬さんは軽く頷く。

「白蝋館はオレの私物みたいなものだし、朽ちるに任せるのは忍びなくてね。なんとかあの事件現場を避けてホテルに戻す方法はないかと模索中。でもたぶん、素材をそのまま使って位置をずらして建て直すんじゃないかな。その時に都合が合うようならふたりには住み込みになってもらってもいい」

なので当面の営業は日中だけ。地元で求人をかけ、シェフだけは夏川グループ内から厳選して打診するそうだ。

「アルテア・ブルーは?」
「そっちの方が問題だな。コテージひとつ、プール、ダイニングが全部事件現場だし」
「ホテル以外の場所も手つかずですもんね……
「そういう意味で土地は有り余ってるけど、またイチからホテル作るってのも厳しくてね」

墨田さんとみどりさんはアルテア・ブルーの再開を望んでいるが、こちらは見通しが全く経っていない状態。青井実は刑務所に入ったけれど、南雲志緒同様反省を拒否しているので、判決通りの刑に服すようだ。特に墨田さんのことを思えば早めに再開したいところだが、現実的にはまだ難しいらしい。

「もっと早く再開するのかと思ってたらしくて、最近は早穂にも早くしろって言わ――
「早穂?」
「早穂って紺野さんのことですか?」
「敬さん紺野さんと付き合ってるの?」

親子と言われて嫌がったと牧だが、突然の新情報に目を丸くして身を乗り出した。が、

「いや、付き合ってないよ」
「じゃなにその早穂って」
「ん〜大人の付き合いってとこかな〜」
「敬さん!」
「敬ってやつはそういう男なのよ〜」
「メイさん知ってたの!?」
「いや知らないわよそんなこと。でも敬がそういう男だってことは知ってる」
「別にいいじゃん、本人が『付き合うつもりはないので勘違いしないで』って言ってんだし」
「大人って!!!」

目出度いハレの日に汚れた大人のただれた恋愛もどきの話を聞いたは憤慨、立ち上がって汚いものを払うようにドレスの裾を振り回す。

ちゃん、たぶん紺野ちゃんだけじゃないと思うわよ」
「まあオレはそんな気がしてました」
「それも腹立つな。全部合意の上の割り切ったお付き合いだっつーの」
「私は絶対敬さんたちみたいな大人にはならない!」
「そんなこと言ってられるのも今だけよ〜」

だが、そこに穏やかな恋愛を楽しんでいる柴さんがトイレから戻ってきた。が飛びつく。

「柴さん! 柴さんが1番まとも! こっちの大人たちみんな汚れてる!」
「なんだ、やっと気付いたのか。ちゃん、それは筋肉のおかげだ。なっ、紳一くん」
……敬さんもけっこう筋肉」
「大丈夫、国竹さんたちはまとも……
「オレだって別にそういう恋愛とかは」
「島さんは話しかけないで」

頭から湯気が出そうになってきたがトイレに行ったので、それぞれまた近況などを話し合っていた。すると敬さんが牧の袖を引き、海の見えるテラスへと誘った。

「どうかしましたか」
「どうだ、ふたりの生活は」
……そうですね、思ったより現実的です。みんなが思うような甘ったるい同棲生活ではないです」
「まあ、特にお前が忙しいしな」

テラスは日陰になっているので直射日光は当たらないが、熱された潮風が吹き込んでくる。懐かしい匂いだ。

「厳しい条件だったけど、続けていかれそうか?」
「というより、続けたいという感じです。不便を感じることはあるけど、それでもと一緒にいたい」

普段は何かというとイジり合うふたりだが、こんな時は一瞬で本音を曝け出せる関係になっていた。

……もし、が他に好きなやつが出来たと言ったら、どうする」

敬さんの声は静かで、けれどどこか厳しさを帯びていて、牧は一呼吸、自分の心を探る。

「悲しいでしょうね。つらくて、落ち込むと思います。もうずっと、どんなことも1番の相手だと思ってきたので、信じられないと思って、受け入れられないと思います。にも相手にも、怒りを感じるかも」

青糸島を思い起こさせる目に痛いほどの青と、空と、波の白。牧は大きく深呼吸をする。

「でも、最終的には受け入れてしまうかもしれません」
「一時の気の迷いかもしれないとしても、別れを受け入れられるか?」
……受け入れられなくても、そうすることを、選ぶと思います」

人には自分でも制御できない「スイッチ」がある。

白蝋館事件から1年半、その「スイッチ」に振り回されてきた。大人でも子供でもない未成熟な心と体でそれを目の当たりにし、拒絶し、嫌悪し、そしてその向こうに自分たちの道を探そうとしてきた。自分たちはどんな大人になればいいんだろう、どんな大人になってしまうんだろう。

その答えは、と一緒に見つけたいと思っている。

「でも、それでもを愛してると思います。どうしても彼女が好きなんです」

それが等身大の自分の心の全てだ。

囁くように「それならいい」と言う敬さん、ふたりの後ろからが顔を出した。

「何話してんの〜。そろそろ始まるって」
「おう。ちょっと内緒話だよ」

敬さんはニヤリと笑ってテラスを出ていく。

「何話してたの? 私のことじゃないでしょうね」
「まあ遠からず」
「も〜やめてよ」

潮の香りに牧は海南大附属バスケット部の入部初日を思い出す。今日のようによく晴れた、真っ青な空の4月だった。中学時代から既に高い評価を受けていた牧は1年生の群れの中でもひとりだけ別次元のオーラを放っていて、彼の周りだけ人がいなかった。

そんな牧に同級生たちは畏怖と戸惑いの視線を投げ、先輩たちの目には嫉妬と羨望と好奇心が伺えた。それらを鬱陶しく感じなかったといえば嘘になる。けれどそんなことに気を取られて本懐を見失わないようにしようと、余計な考えを頭の中から締め出していた。

案の定、入部の挨拶では先輩たちにイジられ、同級生たちには距離を置かれた。まあそれも受け流せる程度ではあった。練習が始まり予選が始まれば下らない他人の感情に晒されることもなくなるはずだ。オレがこの高校に来たのは、日本一になるため、牧紳一はトップオブトップのプレイヤーだと自分の力で証明することだ。

それ以外は見ない。それ以外のことに気を取られるのは、その道を阻むだけ。

だが、部室に戻ってからマネージャーに声をかけられた。怪我でもしない限り3年生の時の主将は牧だと監督に言われたらしく、長い付き合いになるからよろしく、と挨拶をしてくれた。律儀なやつだなと訝しんだ牧だったが、はにっこり笑って言った。

そういうの、重圧だよね。何か困ったことあったら何でも言って。助けてあげるから!

その時のの頬の膨らみですら覚えている。の中には最初からあったのだ。人と人が関わるうえで大事なもの、けれど誰もがいつしか失くしてしまい、欲しがるだけで与えられないその心を、は持っていた。無意識に強張らせていた心が緩んでいった感覚も覚えている。

牧は冷房に冷やされたの腕を引き、抱き寄せると、万感の思いを込めてキスをした。

「ど、どうし――
、愛してる。今までも、これからも、ずっと」

館内からは大人たちの冷やかす声が聞こえる。あれはいつか辿り着く場所、先人たちに倣って自由に生きよう。

は目を潤ませ、何度も頷く。心はいつでも繋がっている。

「私も。楽しいときも、悲しいときも、いつでも、一緒だからね」

オレたちは、私たちは、もうそれを選んでいるから。