「で、断りきれなくて引き受けたわけ? 人のこと偉そうに言えないじゃないか」
「わーかってるわよ、そんなこと! お互い職業柄しょうがないでしょ! ネットも面倒だし!」
18時、3人はまた「四季の詩」の個室で寛いでいた。テーブルの上にはと牧が好き放題オーダーした料理が隙間なく置かれ、メイさんはスマホのモニターの向こうの敬さんに向かって文句を言いつつ、日本酒を飲んでいる。個室だし、他に客は3組ほどしかいないようなので、メイさんはよそゆきの顔を忘れて愚痴る。
水晶の社で出くわした本家当主の金剛氏は、いつかの馬場氏のように有名人のメイさんとの遭遇に興奮しきりで、お祝いがあるのでぜひ出席してもらえないかと言い出した。
祝いがあるからといって、なぜ見ず知らずの他人の集まりに混ざらねばならないのだろう。と牧は金剛氏の申し出の意味がわからず、かといって口を挟めるわけでもなかったので、困り果ててるメイさんに助け舟は出せなかった。なのでメイさんは押し切られ、明日のチェックアウトが済んだら本家屋敷に行かねばならない。
「お前だけ出席してくればいいだろ。と紳一は帰せよ」
「あんな田舎の王様主催のパーティにひとりで行けっていうの!」
「子供を巻き込むなって言ってんだよ!」
「あんたの子供じゃないでしょ! 保護者気取りはやめてよね!」
正直どっちもどっちなので、ふたりは苦笑い。まあ殺人事件に巻き込まれるよりはマシなので、断りきれなかったメイさんに泣きつかれたと牧はその「お祝い」に付き合うことになってしまった。というかふたりを逃がしたくなかったメイさんはわざとらしく牧を「有名なバスケット選手」だと紹介し、金剛氏はそれなら君たちもぜひ、と握手まで求めてきた。
「正直、うんざりですよ。春林さん、東丸さんたち、桑島さん、さくらさん、馬場さん、今回の金剛氏」
「紳一くんはは話の通じない大人に絡まれやすいわよね。特に男」
「年齢が上がれば上がるほど、『優秀な男子スポーツ選手』ってのを特別視するだろうしな」
確かに、正直にはピンと来ない感覚ではあった。おじさんに腕を掴まれてサインをせがまれる、なんてことは起こりそうにない。しかし牧はそのバスケット選手としての道を進めば進むほど、そういうおじさんに絡まれ続けるわけだ。マネージャーとしては遠ざけてやりたいが、それももう過去の話だ。
モニターの向こうの敬さんは当然まだオフィスで、コーヒーに煎餅を齧っている。
「そうそう、片付いてからで話すつもりで忘れてたけど、その春林さん。実は事件後から脅されてね」
「は? 脅し?」
「それよりは軽いけど、山吹さんも」
「え!? 山吹さんがですか!?」
ふたりは自分たちを「事件被害者」だと考えていて、その補償や「詫びの印」を敬さんに求め、敬さんが応じないので脅しと取れるような恫喝をするようになったのだという。だが、春林さんはともかく山吹蓮にそんなイメージが沸かなかったと牧は眉間にシワを寄せた。あの白っぽい草食系の山吹さんが?
「あの子は自分を過大評価してるようなところがあって、そこに被害感情が乗っかって、例の事件のせいで橙山さくらと同じ会社で働く意欲をなくした、だからその補償は責任者であるオーナーがするべき、っていう理屈で、ほら、転職先を紹介しろってしつこかったって言っただろ? だから紹介したんだけど、あの子本人が言うほど大したスキルもなくて、それなりのところしか紹介できなかったんだよな。で一応転職はしたんだけど、今度はそこでの待遇が悪いって言い出して。そこまで来るともう止まらないからな」
春林氏は白蝋館事件の1ヶ月後から、山吹さんは電話やメールの内容が恫喝じみてきた秋から、それぞれ敬さんの部下である弁護士チームの襲撃を受け、とりあえず昨年内には片付いたらしい。
するとメイさんも眉間にシワを寄せて腕を組み、前屈みになった。
「あんたんとこの法務部怖いのよね〜。スーベニア、跡形もないわよ」
「……敬さん何したんですか」
牧の冷たい視線に怯むことなく、敬さんは煎餅をバリッと噛み割った。
「言っただろ、あのふたりのパワハラを過ぎたこととして矮小化させないって」
「だからって、スーベニアには他にも社員がいましたよね? 紺野さんとか」
「だからその社員全員の今後をサポートして、桑島の妻と相談してスーベニアを廃業させたんだって」
「まあその妻も事件後にさっさと死後離婚してるけどね」
「桑島さん散々ですね……」
「青井さんが正直に話してくれてたとしても、たぶん結末は同じだけどな」
「生きてそんな目に遭うのとどっちがマシなのかしらね」
淡々とした表情を崩さない大人ふたりにと牧はちょっと背筋がぞくりとしたが、敬さんは青井さんとの約束をきっちり守っただけで、死後離婚に関してはただの自業自得ではある。それに、白蝋館にしても青糸島にしても、たまたま居合わせた人々はお仕事モードの敬さんを知らないので、甘く見ていたのだろう。
「ていうかパーティって何すんの? お祝いって?」
「誰かの婚約らしいけど、詳しくは知らな〜い」
「そんなんでいいのかよ……」
「敬さん、その金剛さんも口を挟む隙間がない感じの人で、すごく強引で……」
言いながらは息子だという琥珀さんが真逆の人物に見えたことを思い出していた。18歳のから見ると「若めの大人」くらいの琥珀さんだが、それでもメイさんたち含め全員自分たちより遥かに大人である。なのにその「大人」も感じなかった。若々しい印象もないのだが、メイさんとはまた違った意味で年齢不詳。
「めでたい話は美晴ちゃんと隼人だけで充分だよ。その時はまたみんなで会えるな」
「そうそう、湘南で式を挙げたいらしいわよ。ふたりとも海無し県の生まれだし、憧れがあるみたいね」
事も無げに話すふたりを前に、と牧はちょっと返事に詰まった。身近な人物の結婚や離婚の話が急に増えて、自分たちには遠い話なのだとしても、同じ目線で話をするようになったのかと驚く反面、それらは自分たちの生きる社会に当たり前のように転がっている「日常」なのだと改めて思った。
なので敬さんが休憩終わりと秘書に引きずられていったのを潮に、牧はつい聞いてみた。
「メイさんは興味ないんですか、結婚とか、家族とか」
「なーい」
即答だった。隣のがお茶を吹き出しそうになっている。
「したかったけど出来なかったわけでもなく、結婚に嫌悪感があるわけでもなく、ただ合わないのよ」
「えっ、結婚したことあるんですか」
「んーん、結婚だけじゃなくて、決まったメンツの集団がダメなのよ、私」
「決まったメンツ……?」
「家族もそうでしょ。入れ替わりがない、ずっと同じ顔の集団。それが合わないのよ」
しかしメイさんにも「生まれた家」という家族はあるわけだし、学校や仕事は基本的には「決まったメンツの集団」に所属するわけだし、現在はひとりで物書きをしているのだとしても、避けようのない通り道なのでは。と考えていたのが顔に出たのだろう、メイさんはゆったりと笑って少し肩をすくめた。
「だってほら私、転勤族の娘でしょ。それが高校卒業まで続いたのよ。だから私には『長い付き合いの友達』ってやつがほとんどいないの。本や漫画のキャラの方がよっぽど身近な友達だった。でもほら、私ってこういう性格でしょ。新しい環境に放り込まれてもテキトーに付き合えるし、それで困ったことはなかったんだけどね」
だが、そういうことの繰り返しで成長したメイさんには、「既に出来上がった人間関係」というものへの息苦しさばかりが残ってしまった。成人してからも転職を繰り返し、やがて組織に所属しない職業に落ち着いたのはその「既に出来上がった人間関係」が性に合わないからに他ならなかった。
「内輪ウケってやつが大嫌いなのよ。それは仲間に入れないからじゃなくて、私は興味ないっていうのに、内輪ウケに気付いてしまったときのあの『新入りさんに分かんない話をしちゃってすいませ〜ん』っていうあの意味不明な上から目線が気持ち悪くてしょうがないのよ。思い出しただけでも鳥肌。それに『既に出来上がった人間関係』の気持ち悪さに国境もなかったしね。そういう人たちとは関わり合いになりたくないの」
決まったメンツで必死に日本一を目指していたふたりには全く理解の及ばない感覚だった。というか意味不明の上から目線どころか、チームが変わるたびに一年坊主からやり直しで分からない話が出たら頭を下げて説明を聞きに行かねばならなかった牧には「そんな程度のことで」としか感じられなかった。
「それに、『何かの集団に所属している』ということに安心感を求めすぎているのよ人間て。そうやって進化した生物だからしょうがないけど。人はひとりで生きていけない、地に足をつけて誰かと共に生き、社会と繋がっていなければ……なんてほんと勘弁してほしいの。私は風に飛ばされてるタンポポの綿毛でいたいのよ」
なので現在、ひとりでシナリオを書きつつ、番組ごとにチームが入れ替わるという仕事には満足しているのだという。会議は多いが脚本家は現場に張り付いている必要もないし、その「有限の集団」くらいが限界。
「私のことを世捨て人って言う人もいるわよ。コミュ障だとか、引きこもりとか、まあ言葉はその時によって変わるけど、自分たちの仲間に入ろうとしない、いけ好かないやつ、って見方をされるわね。ますますそんなものの仲間には入りたくないわよ。それに、何かの集団に属してなくても世の中はちゃんと理解出来るのよ」
メイさんは猪口を傾けると「ぷはっ」と息を吐き、にんまりと笑った。
「転勤族の娘は誰でも想像つくと思うけど、もっとすごいのが『転勤族の妻』なのよ。私の母は度重なる転居のせいで役所と金と不動産にめっぽう強い人になったの。しかもあちこち点々としながらひとりで子育てをした。友達も家族も近くにいなくて、ネットもない時代、立派な社会人である夫が会社のビルの中から一歩も出ないで働いている間に、彼女は自転車でどこにでも行き、わからないことは尋ねて覚え、繰り返す手続きにまみれている間に社会システムのプロみたいになってた。よく自分で言ってたわ〜『私はどこでも生きていける有能なエージェントなのよ』って。でも本当にそうなの。なんでも出来る人になってた」
現在メイさんの父親は退職時の住まいで「自分の業界のことしか分からなくて何も出来ない引きこもり」になり、ようやく転勤から解放された母親は孤独な子育てに奮闘する地域の親子を支援するボランティアセンターでリーダーを務めているとのこと。夫婦の立場は色んな意味で完全に逆転した。
またひとつ遠いと思っていた「夫婦」というものの実例に触れたふたりは、ちょっとばかり居心地が悪くなった。もちろん全ての夫婦がメイさんの書くドラマみたいにハッピーエンドで終われるわけじゃない、そのことはわかる。メイさんが毛嫌いする「集団」の最小単位である「家族」、その始まりは夫婦でありカップルであると思うと、今自分たちはそのスタートラインにいるのでは、という妙な緊張が肌を強張らせるような気がした。
「でも……白蝋館の仲間は平気なんですか」
「まあいつでも一緒じゃないし、増えもしないからね。友達を連れ込むような人もいないし」
「まあ、そう、ですよね。敬さんがオレたちにべったりなだけだし」
それに、特に白蝋館仲間は悲しい記憶で繋がっているだけの、どこでプッツリと切れるかわからない脆い集まりではある。敬さんはと牧を囲い込んで離さないし、メイさんも国竹さんと松波さんの面倒を見ていたけれど、誰も彼も「他人同士の領分」というものを超えない付き合いをする人たちなので、メイさんの肌を粟立たせることはないのかもしれない。
「私、もしあんたたちや美晴と隼人が別れたとしても、そっか、しょうがないねで終われると思うのよ」
敬さんも同じようなことを言っていた。ひとまずには自分の元で働いてもらいたいと思っているけれど、もし学生の間に明確な夢が現れてしまったら、その時は正直に言ってほしいと話していた。敬さんもメイさんも、「心の線引き」は済んでいるらしい。
それが元で疎遠になったとしても、それはそれ。
「私は誰とでもそのくらいの付き合いでいいわ。家族や恋人なんて型に縛られるのは、合わないのよ」
牧はまた奇妙な感覚に襲われて箸を止めた。白蝋館事件仲間のうち、メイさんのいう「型」に嵌っている人は少ない。国竹さんと松波さんがそのコースに乗りそうだが、ふたりは白蝋館に戻ることを望んでいるし、それはそれで「平均値の型」からははみ出すかもしれない。
自分たちはその「型」に収まるのかどうか。特に願望はないし、ともそんな話はしたことがないけれど、どこかで語り合わねばなない時が来る、ということだけは覚えておいたほうがいいような気がした。
春からの同居生活自体、「型」からは大きく外れている気がしたから。
ほろ酔いのメイさんの鼻歌とともに居酒屋を出てコテージエリアに戻ると、その門に見覚えのあるダウンが立っていた。琥珀さんだ。の足がまたギクリと止まる。何の用だ。
だが琥珀さんは翌日の説明をメイさんに伝えに来ただけのようで、それが済むと頭を下げて帰っていった。
「呆れた、明日の婚約パーティってあのおっさんの婚約なんですって!」
「えっ、そうなんですか。なんなら今の琥珀さんかと思ってたんですけど」
「それに初対面の他人を呼ぶ〜!?」
驚く牧の傍らでメイさんは顔をしかめた。だがは牧と手を繋ぎながら後ろを振り返り、琥珀さんの後ろ姿を見送っていた。やっぱり生きてる人間という感じがしない。そのまま夜の闇にすうっと溶けて消えてしまいそうに見える。瞬間、走って追いかけて琥珀さんの手を掴んで引き止めたい衝動に駆られた。
……なんでそんなこと!
「じゃあ明日ね〜ん。早起きしても私は付き合わないわよ〜」
「いっぱいお酒飲んだんですから、温泉は気をつけてくださいよ」
「はいはい、せいぜい気をつけます〜。おやすみ、ふたりとも」
「おやすみなさい、また明日」
並びのコテージの前でそう言って別れると、は牧の腕に抱きつき、繋いでいた手をぎゅっと強く握り締めた。やはり牧の手は大きくて温かくて力強くて、生命力のようなものを感じた。
「どうした、具合悪いか?」
「……ううん、やっとふたりきりになれたなって、思って」
それは嘘ではなかった。琥珀さんの姿を見ると妙な不安に駆られるので、早くふたりきりになって牧の腕に抱かれ、安心したかった。正直、明日の婚約パーティも気乗りはしないし、美味しいものを食べて温泉に浸かり、早く帰ってふたりの新生活を始めたかった。
牧はそれを少し色っぽい意味で受け取ったらしい。繋いでいた手を解くと、の体をぎゅっと抱き寄せた。
「温泉、入るか」
「……うん、はいろ」
紫黄村のコテージは和風強めのデザインで、「平屋」と表現したくなるような佇まい。その中に入ってしまうと外の様子は見えなくなり、露天風呂を臨む内風呂からでも星が見えた。昼間空を覆っていた雲は消え、ほんのりと紫がかった空は紫黄村の夜にぴったりだった。
ところどころに畳をあしらった部屋はまだ新築の趣で、間接照明がふたりきりの時間を意識させる。それぞれ一応服は持ってきたけれど、衣装盆に並んだ浴衣に着替えてみると、吸い寄せられるようにして抱き合った。
誰もいないコテージ、ムードたっぷりの間接照明、不思議と魅力的に見える浴衣。
「こういうのって、『雰囲気に流される』って言うんだろうな」
「でも流されたい。わかってたつもりだったけど、紳一の浴衣やばい。すごい似合う」
「それはも同じだよ。早く……脱がしたい」
音を立てて吸い付く唇にの吐息が漏れる。
「……全部脱いじゃって、いいの?」
間接照明のせいだろうか、そのニヤリ笑いのがまるで別人のように見えて、牧は全身がぞくりと震えた。
「……そうだな、全部脱がないほうが、いいかもしれない」
しかし温泉はそういうわけにもいかない。の手を引いた牧は脱衣場に来ると帯に手をかけた。引っ張ってくるくる回したいとは思わないが、その肩から浴衣をするりと剥ぎ取ってみたかった。こちらも間接照明の脱衣場にの肌が露わになる。
天然温泉らしい湯はふたりの肌をなめらかに艶めかせ、季節外れの冷たい風は火照るばかりの肌を宥め、外界の物音すらも聞こえなくて、と牧を「ふたりだけの世界」に没入させた。
「……どうした、今日はいつもより、積極的だな」
湯の中で牧に跨ってキスを繰り返していたはしかし、琥珀さんに対するあの気味の悪い不安を忘れたいからだとは言えなくて、少し言葉に詰まった。というか裸で絡み合っているときに他の男のことなんか思い出したくなかった。目の前の牧のことだけ考えていたいのに。
「だって、紳一のことが、好きなんだもん。だから……」
恋心を自覚してしまった1年生の秋からずっと、押し込めてきた感情だった。白蝋館でそれを解き放ってしまっても、気持ちは衰えることがなかった。それに、付き合い始める前からずっと、牧とは心が繋がっている気がしていた。どこにいても離れていても、自分たちの心はひとつだった。
だけどもう、それだけでは足りないから。
きらめく星空の下、は両手で牧の頬を包み込み、また何度もキスをした。唇を重ねることも体が深く繋がることも、何度繰り返しても飽き足りない。牧の全てをいつでも感じていたい。
春から始まるふたりの新生活、敬さんは牧には強めに釘を差したけれど、彼のいないところで「そうは言っても18歳のカップルにそれが守れるかってことは、全然信用してない」と前置きをし、避妊具だけでなく親と相談して経口避妊薬を考えておいてくれと言われた。幸いの母親は敬さんに言われるまでもなくそれを勧めていて、しかしそれは牧には伝えていなかった。それが安心材料になってしまっては困る。
それらは自分たちの状況を考えると当然の「対策」だと思ったけれど、こんな時にはそれを忘れたくなった。少なくともは何もかもを忘れて牧の全てを体の中に受け止めたくなることがあった。そして翌朝になるとそれを後悔する。その繰り返しをまた、思い出した。
私はこれだけ紳一に夢中で、何もかも忘れて紳一を受け入れたいけど、だけどきっとまた明日の朝にはそれを後悔する。いつかインターハイ優勝のために恋心を押し込めると決めたように、私たちの未来のために、私はその強い後悔を繰り返すべきだ。いつかその枷を外せる日まで。
普段より積極的なの愛撫に蕩けてしまった牧は、ゆったりと微笑んで囁いた。
「、愛してる。世界で一番、愛してるよ」