紫黄村の殺人

Chapter 2 : 紫黄村の殺人 2

紫黄村の「観光エリア」は迎えに来てくれた式村さんが言うように、想像以上に真新しく見える「ホテル村」だった。広大な駐車場から村に入ると、学校の校庭のトラックのような楕円形の街が現れた。楕円の中央に巨大な平屋の建物があり、そのぐるりが回廊状のメインストリートになっているらしい。

チェックインなんか後でいいから先に温かいものを体に入れたい、と焦るメイさんを追いかけつつ、牧は村の入口にある案内図をちらりと見る。紫と黄を基調にしたイラストの案内図で、それによるとメインストリートは入口のすぐ脇にあるビジターセンターから始まり、隣接の役場、診療所、駐在所、消防団が並び、農協やいくつかの商店を挟んで広大な神社を通り過ぎると、先程聞かされた居酒屋とショッピングセンターがあり、公園を挟んでコテージが並び、そこで村の入口に戻っていた。

なるほどホテル村か、と牧は頷く。楕円の下半分にコテージやショッピングセンターがまとまっているので、例の居酒屋で食事を取るにしても移動距離は短い。

「あれ、ほんとに後でいいんですか、チェックイン」
「いいわよそんなもの。先に何か食べましょ!」

どうやらチェックインはビジターセンターで行うようなのだが、時間的にも少し早いし、例の居酒屋はコテージ利用客でなくとも入れるので後回しでもいいらしい。も真っ白な顔をしているし、牧もまた脳内に和牛が踊りだしたので急いで後を追った。

村の居酒屋「四季の詩」は外観も店内も都内にあるようなデザイナーズ居酒屋といった雰囲気で、オフシーズンだからか客はおらず、温かいけれどしんと静まり返っていた。寒がってばかりいたメイさんはカウンターの後ろに並ぶ数百本はあろうかという酒瓶の煌めきにようやく機嫌がなおってきた様子。

「和牛和牛……あった」
「あらいいの? 夜も和牛食べるんでしょ」
「地鶏とかサーモンもあるよ。わ、牧場直送のチーズだって!」

しかし牧はもう口が牛肉になってしまっているし、夜にもう一度食べても全然OK。ランチメニューの和牛のステーキ丼はちょっと量が少なそうなので、春野菜の天ざるもオーダーする。それでも正直足りないような気がしたが、あとは夜の楽しみにとっておこう。

「はああ〜やっと元の体温に戻ったって感じ」
「飲んでから温泉に入って大丈夫なんですか?」
「ま、こんなの飲んだうちに入らないから」

地物の柚子を浮かべた熱燗で頬がピンク色になっているメイさんはそばがきをつまみにすっかり上機嫌だ。確かに敬さんがぐいぐい飲む酒の量よりは少なく見えるが、いいんだろうか。だが目の前に出てきた料理に一瞬でそんな心配は忘れた。診療所もあるんだから大丈夫だろ、たぶん。メイさんは大人、自己責任。

チーズの誘惑に勝てなかったはきのこのチーズグラタンをオーダーしたのだが、予想を遥かに上回る山盛りきのこと濁々と垂れ流れるチーズに悲鳴を上げている。

「なるほど、隣村に牧場があるのね。何よ、水晶なんかよりグルメがいいじゃないの」
「メイさん見て、ジェラート! 産みたて卵のプリン! チーズフォンデュ要予約!」

渋めの和食に温泉まんじゅうくらいの想像しかしていなかったらしいは大興奮だ。見ればジェラートは県内産の素材だけを使用したフレッシュなもので、牧でも惹かれるラインナップだった。ラグジュアリーなシティホテルのビストロも美味しかったけれど、本当はこういう食事でみんなと話せたらよかったのにな……

「にしても、花のシーズン前だからって全然人がいないわね」
「寒いから皆さん室内にいるんだと思うんですけど、ちょっと怖いですね」
「静かでいいじゃないですか。今頃敬さん呻いてますよ」

牧の言葉にメイさんとが吹き出す。きっとメイさんは青糸島の逆襲とばかりにディナータイムに敬さんにビデオ通話でもかけるつもりだろう。おいしい食事に酒に温泉と満天の星空。都心のオフィスから出られない敬さんはそれを恨めしそうな目をして見るだろう。

食事を取ってやっと人心地ついた3人はビジターセンターを訪れ、チェックインを済ませた。ビジターセンターは役所と繋がった建物の中の一角にあり、メインストリートの閑散とは逆に人でひしめいていた。おじいちゃんおばあちゃんたちが待合の椅子でお茶を片手に喋っている。やはり寒いのかもしれない。

「しかし……さっきから来る人来る人みんな式村さんだわね」
「こういうところって皆さん名前で呼び合ってるんですかね」
「それしかないでしょうね、これだけ同じ名前だと」

ビジターセンターには屋外のものよりもさらに詳細な案内図が壁にかかっていて、牧はそれを見上げると思わず首を傾げた。回廊状のメインストリート、中洲にあたる真ん中の建物が存在しない。

「どしたの。地図がなにか……
「ああこれ、あの真ん中にある建物、地図にないんだよ。旅館みたいな大きな建物なのに」
「そういえば……

も揃って見上げると、案内図の中洲はただ緑色で塗り潰されていて、建物の説明はない。野菜の直売所ですら説明があるのに、逆に好奇心をそそられてしまう。

するとチェックインを終えたメイさんが背後から声をかけてきた。さきほど車で迎えに来てくれた職員さんが例の水晶を見せてくれるという。なので一行は荷物を預けると、また寒風吹き荒ぶメインストリートに出た。どんよりと曇った空は晴れる気配がなく、これでは露天風呂から満天の星空……とはいかないかもしれない。

「ねえ、お食事とっても美味しかったわよ。グルメをもっと推せばいいのに」
「ありがとうございます。我々にとっては地元の食材なのでどうもそのへん分かりづらくて」
「あのっ、チーズめちゃくちゃ美味しかったです!」

またペコペコと頭を下げる職員さんの背中を見ながら、牧もつい声をかけてみた。

「あの、この真ん中の建物って、なんなんですか? 地図には何も書いてなくて」

すると寒さにちょっと丸まっていた職員さんの背中が一瞬でピンと伸び、足を止めてしまった。えっ、なんかマズいこと聞いちゃったのか……? てかそんな大袈裟なことを聞いたつもりはなかったのに、この建物ってそんなにヤバいのか。

「ええとですね、はい、こちらはその、この式村の、本家なんです」
……本家? てことは、個人のお宅ってことですか?」
「ええはい、私も式村ですが分家も分家、名前だけ式村みたいなものなんですが、ここは、本家で」

職員さんは声を潜めて目をキョロキョロさせている。ここが本家だと教えるのも憚られるような恐ろしい家なのか。とメイさんも職員さんのビビリように手を取り合って肩をすくめている。

「いえあのそういうわけでは決して……! ですがその、この村は式村が大勢おりますし、そのトップに君臨しているのが本家ですから、私のような末端が親戚感覚で馴れ馴れしく出来るようなお家ではなくて……

言いながら職員さんはまたそそくさと歩き出した。改めてその本家とやらを見上げてみるが、とても個人宅とは思えない巨大さで、純和風建築を細部まで手入れのされた植栽が取り囲んでいる。

「でもこんなメインストリートに囲まれた場所にご自宅じゃあ、うるさいでしょうに」
「どうなんでしょうか、これだけ大きなお宅ですし」
「普通はホテルかなんかが真ん中にあるものかなと思っちゃうけど」

メイさんの指摘は最もだ。こんな観光地化のための「村リノベーション」のド真ん中に自宅なんか建てなくとも、もっと観光客を呼べるような使い方をすべきではないんだろうか。しかし職員さんは言葉を濁していてはっきりしない。メイさんは歩く速度を落とすとと牧に並び、こっそりとささやく。

「どうやらここのご本家さんはオレが王様だって誇示したいのね」
……もったいないですね。せっかく観光地化したって、これじゃ」
「ご本家の次の代がまともな人だといいわね〜」

職員さんの案内でやって来た神社は、ちょうど「ホテル村」の入口の反対側にあり、ビジターセンターやコテージとは距離があるので、さらに静まり返っていた。だが、案内の式村さんは大鳥居には向かわず、神社の傍らの小路に入っていく。

「神社は神社なんです。昔からある鎮守さまで。ですが水晶の方は何年か前に社を作ったもので、はい」

やはりメイさんの言うようにただの見世物らしい。案内の式村さんは言葉を濁し、またペコペコと頭を下げながら小路を進む。その小路も新しく、両側の木々はまだ若木で牧よりも小さいものばかり。観光資源として神社の傍らに珍しい水晶を恭しく置いてあるだけ、ということのようだ。

やたらとくねくね長く続く小路の奥に家庭用の仏壇に似たお社が現れ、式村さんは鍵を開けて扉を開いた。観音開きの奥にはそこそこ大きさのある石が置かれており、3人は「へえ〜」などと言いながらそれを覗き込んだ。

「本当に紫と黄色の2色なのね」
「はい。非常に珍しいものではあるんですよ。大きさもありますし」
「これって、この状態で見つかったものなんですか?」

すると式村さんはまた背筋をシャキンと伸ばして辺りをキョロキョロと見回し、水晶を覗き込んでいる3人に顔を寄せてきた。ちょっと頬が強張っている。

「いえその実は、これは元はただの紫水晶なんです。だけど紫水晶って、高温で加熱すると黄色に変色するらしいんですよ。何百年も前に元々この紫水晶を持っていた家が火事になり、焼け跡からこれが見つかったとかで、以来この村では宝物として受け継がれてきまして」

式村さんによれば、天然で紫と黄色の2色の水晶は「アメトリン」と言って、海外で採れることがあるらしいのだが、この村の水晶の場合は偶然に誕生した二色水晶で、確かに貴重なものには違いない。

「あ、そっか、紫水晶っていうけど、アメジストのことなんですね」
「はい、そうです。アメジストは昔、日本でも採れましたから」
「なんだ、詳しいな。石好きだったのか」
「詳しいっていうか……アメジストは割と一般的な宝石だし」
……そうか、宝石なのか」

牧は今更のように納得して水晶を覗き込んだ。宝石というとダイヤにルビーにサファイア、エメラルドくらいしか知らないけれど、こうした原石を加工したものがアクセサリーに使われているわけで、そういう意味でが知っていても不思議はない。

というか付き合い始めてからお互い1度しか誕生日が来ていないし、そのときはそれぞれ相手が欲しいものを贈ったけれど、もしこのまま付き合い続けてもっと大人になったら、こういうものをプレゼントしなきゃいけないんだろうなあ……などとぼんやり考えていた。

「それで村の名前までこの2色にしちゃったのよね? なのにこんな奥に隠しておくのもったいないじゃない」
「そ、そうなんですよね、はい、ごもっともで」
「確かにきれいな石だけど、グルメを推した方が人来るわよ」
「そ、そうですね、はい、考えたいと思います、はい」

メイさんのもっともなツッコミに式村さんはまたペコペコ頭を下げている。

、こーいうの、好きなのか」
「うーん、こんな巨大な石はちょっと……アクセサリーに付いてるくらいなら」
「だから、そういうやつ」
「そりゃまあ、興味はあるよ。でもまだ私には早いんじゃないかな。似合わない気がする」

ちょっとしたリサーチのつもりだった牧だが、何の参考にもならない答えだったので返事に困った。誕生日やクリスマス、彼女にジュエリーという話はよく耳にするけれど、どんなものを贈ればいいのかなんてわからない。ふたりで選びに行っちゃダメなんだろ? もし変なの選んでしまったらと思うと気が重い。

だがは牧が何やら考え込んでいることに気付いたらしい。メイさんたちに聞こえないよう顔を寄せると、ちょっといたずらっぽい声と表情で言った。

「紳一にはいつか跪いてダイヤのリングを貰えればそれでいいです」

不意を突かれた牧は咄嗟に返事が出来ず、目を丸くしたまま固まっていた。は吹き出し、ニヤニヤと唇を歪めて肩を突っつく。

「彼女に贈るアクセサリーって何がいいんだろうって、考えてたんでしょ」
「え、そ、そう……
「そんなの気にしなくていいって。いつか紳一が本当に贈りたいと思ったときに考えればいいよ」

そしては踵を返し、大きく息を吸い込んだ。

「そんなことに疲れてるといつか心が離れる気がする。一緒に暮らすんだし、等身大の関係でいたいの」

春から始まるふたりの生活にずっと緊張している。そのことには自覚があった。けれどそのの言う「等身大」というイメージは自分にもぴったりだと思った。自分自身というものは、大きく見せれば支えきれなくなり、小さく見せれば抑えきれなくなる。それはいつかふたりの関係を壊すかもしれない。

……そうだよな。それも、志緒さんとの約束だし」
「志緒さんは忘れてと言ったけど、やっぱり忘れられそうにないし、なんかそれでいい気がするから」

ふたりがしんみりしているとメイさんがにゅっと顔を突っ込んできた。

「何をふたりで肩落としてんのよ」
「昔のことを思い出して」
「あんたたちね、『昔』っていうのはせめて20年以上前のことを言うのよ」

そこまで遡ると生まれていないふたりは苦笑いでメイさんを間に挟んだ。しっかり食事を取ったけれど、今日は殊の外寒い。無意識に身を寄せ合ってしまうほど寒い。3人の唇から細く白い息が流れ出ていく。

……そういえばさ、紫苑さん、あれ本名じゃないのよ」
「えっ? ええと、桑島さんのことですよね」
「二色水晶見てたら私も思い出しちゃった。あの人、紫色が自分のテーマカラーだと決めてて」
「そういえば髪が紫でしたね。紫色が好きなんですか?」
「好きとはちょっと違うかな。『桑の実色』も紫だし、担当カラーみたいな感じ? それで名前も紫苑」
「仕事の時も名乗ってたんですか? そういうのっていいんですか?」
「だから芸名みたいなものよ。てかそう、杉森藍もそうよ。字を変えてた」

桑島紫苑の本名は桑島秀樹、杉森藍は杉森亜衣という名前だったらしい。それはと牧のふたりに「等身大の自分」というものを余計に考えさせた。ふたりはアーティストを名乗っていたから、芸名のような名を名乗っても不思議はないわけだが、サブカルチャーは嗜む程度のふたりにとっては少々奇異に感じる。

メイさんは顔を上げてにっこりと微笑み、ふたりの腕をぎゅっと引き寄せる。

「ま、私だってペンネームで書いてるから人のことは言えないんだけどねー!」

すると、前方からド低音の男性の声が響いてきた。

「なんと、日野木先生ではありませんか!?」
「えっ、あー、はい、そうですが」

メイさんは本人が言うように筆名を使って仕事をしている。それが「日野木あかり」。「秋」の字を分解して「日野木」、「メイ」に「明」を当てて「あかり」だそうなのだが、本人いわくペンネームを使うのは「本名の方が作り物っぽいから」。なので突然現れた低い声の男性は「日野木先生」などと呼んだ様子。

見れば仕立てのよいスーツにたっぷりと髭を蓄えた男性と、細身でダウンを着た男性ふたりの組み合わせで、その声を耳にするや、案内をしてくれている式村さんがすっ飛んできて90度に頭を下げている。

ということは、この髭の男性は……

「これは申し遅れました、わたくし式村本家の当主を務めております、式村金剛と申します」

あの観光地化したはずの街のド真ん中に巨大な豪邸を建てた本人ということになるようだ。

一体こんなところで著名な脚本家に出会えるとは、と金剛氏がはしゃいでいる後ろで、ダウンの男性がゆっくりと頭を下げた。それを見ていたは、初めての感覚に襲われてつい首を傾げていた。

なんだろうこの人、印象が弱くて、向こうが透けて見えるような感じもするし、全体的に影がかかっているようにも見える。そうでなければ半分くらい人間ではないような、魂が人より少ないような、現実に存在しているという感じがしない。腕を掴んで捕まえていないと、消えてしまいそう――

「どうした
「あ、ううん、大丈夫。ただちょっと、あの人が気になって」
「気になる? 何か違和感でもあるのか」
「うーん、上手く、言えないんだけど……

強いて言えばその「上手く説明出来ない」ことが違和感と言えるかもしれなかった。自分でも理解に苦しむ初めての感覚、そのもどかしさになぜかは胸が軋んだ。ダウンの男性を見ていると、どうしてか不安や心配が心にもやをかけるような気がする。

「そうでしたか、志津夫くんの紹介で。お寒い中をようこそいらっしゃいました」
「本当に式村さんがいっぱいでいらっしゃるんですね」
「そうなんです。ここは古い土地柄で。ああ、こっちはわたくしの倅で琥珀といいます」

琥珀という男性はまた深々と頭を下げた。その動きに合わせてさらりと垂れる髪にすら、はギクリと肩を強張らせた。なんだろうこれ、なんでこの人のことこんなに気になるんだろう……

その不安から逃れたいあまり、はすぐ近くにあった牧の手を強く握り締めた。

その手は琥珀さんと違って、血が通い生きている人間の手という気がした。