紫黄村の殺人

Chapter 2 : 紫黄村の殺人 1

「あ、そうか、ちゃんは会ったことあるのよね」
「敬さんの家だったから緊張してたんだけど、本当に面白い方で」
「そうなのよ、A大理事なんて大層な肩書つけてるくせに、楽しい人なのよね、シキちゃんて」

紫黄村へ向かう道中、日差しが苦手だというメイさんはサングラスの向こうの目を細めてドライフルーツを齧っている。まさかメイさんが車を運転して連れて行ってくれるわけではないので、普通に電車移動である。と牧は途中の駅でグランデサイズのコーヒーを買ってきたのでそれを飲んでいる。もちろんメイさんには「やーね大人ぶってコーヒーなんか傾けちゃってー」とイジられた。

しかし最近ブラックでコーヒーを飲むと頭が冴えるような気がして、特に牧は朝にカフェインを摂ることが増えていた。の言うように朝は和食で育ってきたので、ご飯に味噌汁の方が慣れているのだが、春からの新生活、それを自分ひとりで毎日維持するのはハードルが高い気がしたし、にやらせる気は毛頭ないし、ふたりの生活に慣れるまではご飯でもパンでも、臨機応変に対応出来るようになりたかった。なので「朝のコーヒー」はその象徴のようなものだった。

相変わらずシャラシャラと音が鳴る民族衣装のようなファッションのメイさんはしかし、やっぱりまだ寒い、と鳥の羽がいくつも刺さったようなフェイクファーのコートを着ている。牧はそれを「マタギみたいだな」と思ったが、敬さんではないので突っ込むのはやめておいた。

「でもすごいですよね、そんな小さな村出身で私大の理事なんて」
「ん〜、それは嫁が前理事長の娘だから」
「結局そういう方法なんですね……
「それはしょうがないわよ〜」

メイさんの言うように大層な肩書を持つ割に気さくな人物である式村さんは、そもそもは敬さんの大学の先輩の友人。その縁でたまたま白蝋館を紹介され、十数年ほど前から常連客だったそう。なのでメイさんとも面識があり、ということは――

「もちろん。美晴と隼人、菊島さんも知ってるわよ。問題行動のない上質なお客様だしね。ていうかそもそも白蝋館は遡れば遡るほど変な客のいない安心安全な宿だったのよ。昔は知る人ぞ知る隠れ家的な宿だったし。なんせネットの普及が痛かったわね。コース料理のスープをズルズル音を立てて啜るような客がドッと増えたもの」

さらにそもそも、白蝋館は夏川家が今よりも遥かに「名家」だった時代に作られた個人の別荘である。その名残で客を選んでいたのは想像に難くない。誰でも気軽に泊まれるペンション的ホテルになったのは、敬さんが相続をしてからだ。白蝋館が彼の所有物になった以上は格式が二の次になるのは仕方ない。

……白蝋館の事件から、1年、過ぎちゃいましたね」
……そうね。あっという間だったわ」

女子ふたりがしんみりしているので、牧はあえて淡々と突っ込む。

「その間に二度も事件に巻き込まれましたからね」
「だから〜探偵の行くところ事件は付き物なんでしょうが〜」
「疫病神は敬さんだって言ってたじゃないですか」
「そうよ! このメンツで事件とか絶対嫌よ! 私たちは温泉と和牛と酒よ!」
「酒はメイさんだけでしょ。オレたち酒は付き合いませんよ」
「可愛くないわねほんとに〜!」

春が目前に迫る3月初旬、雪はなくとも白蝋館のことを思い出しがちになってしまうのは容易に想像がついた。けれど牧はこの旅をそういう湿っぽい感傷ばかりにするつもりがなかった。真夏のリゾートアイランドでそれをやりすぎた記憶は新しいし、それが結局より深い傷を自らに残したような気がしている。

隣に座るはそれを感じ取ってくれたらしい。そっと手が重なり、牧の指をするりと撫でた。

「ねえメイさん、この『紫黄村』ってどうして紫と黄色なの?」
「まったく、こういう観光パンフって肝心なことが全部抜けてるのよね。2色の水晶があるんですって」
「水晶?」
「あんまり珍しいんで村にお社があるらしいけど、まあ近年になってこじつけた見世物でしょうね」

メイさんが式村さんから聞いたところによると、紫黄村にはその名の通り、紫と黄色の2色の水晶があり、それをシンボルにした観光地化を随分前から進めているらしい。

「でも正直、水晶だけ拝みに客は来ないじゃない。それを拝んで高額当選が続出したとかならともかく、そういうわけでもないし、村で二色水晶がザクザク採れるってわけでもないし、今のところおいしい食事と温泉が手頃な価格って方が魅力だと思うわよ〜」

改めてパンフレットを広げてみるが、観光地らしきものは他になし、確かに自然は美しいが、それだけしかないようだ。メイさんが言うように、パンフレットの端っこにある写真の和牛の方が余程魅力的に見える。

だが、と牧の目的はコテージにあるというプライベート露天風呂だ。メイさんとはコテージが別、食事だけ村の居酒屋で、というプランらしいので、それぞれのコテージに戻ったら心ゆくまで温泉を楽しみたい。ふたりっきりで。

出発前に仕事が立て込んでいる敬さんが不機嫌そうな顔を隠しもせずに「いいよな〜オレの金で温泉〜オレ去年の白蝋館からずーっとまともに静養できてないんだよな〜いいな〜温泉〜温泉と和牛と酒とかお前らだけでずるくねえ〜?」と愚痴ってきたが、メイさんの言うように牧も疫病神は敬さんだと思っているので、彼との旅はしばらく遠慮したい。旅というか、もう宿泊が絡むことはご一緒したくない。

敬さんはそう愚痴るが、ずっと気が休まらなかったのはと牧も同じだ。白蝋館事件から1年、ふたりは高校日本一を目指して休みなく走り続けてきた。その合間の短い夏休みには青糸島事件だったし、高校の全ての試合が終わったと思ったらラ・グロワール事件である。

そういうものを全て温泉で洗い流して、今度こそふたりきりの甘い夜を堪能したい。

「は〜あ、私選択を誤ったかしら」
「え?」
「新婚夫婦が鬱陶しいから旅行に来たのに、あんたたちも似たようなもんね〜あ〜やだやだ」

言いながらドライフルーツを食い千切るメイさんはしかし、ずっと優しい笑顔だ。特にメイさんはこういう憎まれ口を叩く癖があるけれど、それでも白蝋館の仲間の中では飛び抜けて情に厚いタイプだ。なので10回に1回くらいは本音がこぼれ落ちる。

「でもさあ、これでも私はこの旅行を最後に少し身を引こうって思ってんのよ。敬はなんだか金であんたたちの人生を買い上げてるみたいなところがあるけど、私は友人としての一線てものはちゃんと守ろうって、春から学生になるあんたたちの邪魔はしたくないなって、弁えてるのよ、これでも」

ふたりはすぐに頷いた。事実メイさんとは白蝋館以来、会うのは3度目。青糸島から出られた直後と、ラ・グロワールの夜、そしてこの旅。電話などでは話すけれど、一緒に食事をしたり、プライベートに食い込むという点では敬さんとはかなり差がある。

なので牧はつい考える。いや別に大人が全員結婚してなきゃいけないわけじゃないけど、敬さん同様メイさんも裕福な状態にあるし、ファッションは個性的だけど知的な大人の女性って感じの魅力があるし、付き合ってる人もいないようだし、以前の島さんみたいにそういう気持ちがないのか、他に理由があるのか……

そもそも白蝋館仲間は極端な人物揃いではあった。今でこそカップルが2組と柴さんも彼女持ちだが、白蝋館当時の大人たちは全員シングルで、まだ17歳の牧には少し不思議に見えたものだった。のちに墨田さんという人物と知り合ったことで「人ひとりが人生を生きる」ということにはもう少し複雑な感覚を得るわけだが、それでも社交的で人懐っこくて可愛らしい女性であるメイさんが豪邸にひとり暮らしというのは、まだどこかで「少し不思議」に感じていた。お仕事が忙しいだけなんだろうか。

そんな牧の隣のはしかし、さも当然という様子で言う。

「でも……私は普通の友達と同じくらい、メイさんとも会いたいなあ」

不意を突かれたメイさんはグッと顎を引き、ぷいとそっぽを向いた。情に厚いメイさんは余裕たっぷりの強気な大人に見えるが、実はちょっと涙もろい。アイメイクのウォータープルーフ化が弱いので、いつも黒い涙を流す。けれど目的地に向かう道中で黒い涙というわけにもいかないメイさんはスンッと強めに鼻を啜ると、またドライフルーツにかじりついた。

「そういえば私たち、友達だったわよね。忘れてた」
「たぶん慣れないうちは月末になると生活費ギリギリになると思うんですよね」
「敬さんそこは厳しく見放すって言ってたし、そしたらメイさんしかタカる人いないんですよね」

に便乗して牧もニヤニヤしながら言ってみる。というかこれはメイさんへの気遣いではなくて、普通に近々現実になる予定のことだ。とは何度もシミュレーションを重ねているけれど、同居生活初月から完璧にこなせるわけはないと思っている。なのでおそらく4月の末頃になったらメイさんに「ご飯おごって〜」と電話する羽目になるのは必定。

まあ、毎回ご飯奢ってもらう友達というのもおかしいが、そこはいつか恩返しさせてもらうとして。

「前にメイさん言ってたでしょ。いっぱい話そうねって。それ、忘れないでくださいね」

たくさん話して楽しい時間を過ごして、いつかもし「スイッチ」が入りそうになった時、それを思い出して踏みとどまれるように。大人になればなるほど人は自分を追い詰めて逃げ道を塞いでしまうから、その入口に立つ自分たちを良い方向へ導くためにも。

3月の初旬の風はまだ冷たいけれど、車窓には新緑の鮮やかな色が混ざり始める。芽吹きの季節に新たな道を歩みだす自分たちの未来は霧の向こうにぼやけているが、一歩ずつ自分の足で歩いていきたいと思った。

南雲志緒のように、青井実のようには、ならないように。

式村地域の最寄り駅に降り立った3人はその寒さに身をすくめていた。メイさんと待ち合わせた駅のあたりではそれほど寒くなかったのだが、都市部を離れた地域の3月初旬をナメていたようだ。しかもすっかり曇り空になってしまい、足元を吹き抜けていく風は真冬の温度。冷蔵庫かここは。

「シキちゃんの嘘つき、3月はもうそれほど寒くないですよとか言ってたのに」
「地元の方にとっては暖かい春なんですかね、これでも」
「温泉! 早く温泉入りたい!」
「いいですよね大人は酒でも温まれて」

そのうえ例のマタギコートで一番暖かいはずのメイさんが寒さでガタガタ震えている。

待つこと10分ほどで迎えの車がやって来たが、その時には3人は身を寄せ合って……というかを真ん中に抱き合って震えていた。車体に「紫黄村」というペイントが入ってるシルバーのワゴン車が3人の前に滑り込むと、中からペコペコ頭を下げる作業ジャンパーの男性が飛び出してきた。

「大変お待たせしました……! 秋名様でございますね」
「は、はひ……
「すみません、昨日はポカポカと暖かい陽気だったのですが、今日はやけに寒くて」

気温が下がってしまったのは誰のせいでもないわけだが、男性はひっきりなしに頭を下げながら3人をワゴン車に促した。中は暖房で温まっているが、3人はすっかり冷え切ってしまったのでホッと一息もつけない。

「本日ご案内させていただきますコテージの温泉は24時間入り放題ですので、よろしければ」
「はい、着いたら、すぐにでも……
「お昼のお食事はお済みですか?」
「いえ、まだ……

一応代表者であるメイさんが受け答えをしているのだが、寒すぎて上手く喋れない様子だ。メイさんと牧に両側から抱きしめられていて比較的軽症のが代わりに応対を買って出た。おそらく牧までこんなに冷えてしまったのは空腹だったせいもあるはずだ。メイさんはともかく、自分たちは食事を先に取りたい。

「でしたら夕食と同じ店になりますが、コテージの隣に居酒屋があります」
「いえ、お酒はまだ――
「ああすみません、居酒屋と言いましても、お酒をお出ししている居酒屋っぽいお店というだけでして」

名前はやはり式村さんだというその職員さんは、「紫黄村」自体が観光地化を目的に計画的に村を「リノベーション」したものなのだという。なのでひとつの建物で完結している「ホテル」ではなく、村の一角が来客用に作られた、「ホテル村のような感じ」だという。

なのでコテージの中で食事を取る場合はその居酒屋から料理が運ばれて来る。店の方もコテージと同時に作られたものなので、そちらで食事をするのもOK。店の方であればコース料理ではなくアラカルトで注文することも出来るので、メイさんはそっちを指定していたらしい。

「お店の方にも個室がありますし、お酒を召し上がる場合はそちらの方が。地酒も豊富ですよ」
……ってシキちゃんに聞いてたもんだから」
「まあ、紳一もその方が好きなだけ食べられるよね」

本日のたちはコテージ一泊2食付基本プランの利用だが、食事などで別途オーダーが発生した場合は最終的なチェックアウトのときにまとめて精算すればよい、というシステムのようなので、いずれにせよメイさんのカードならほとんど食べ放題だな、と牧は内心ほくそ笑む。和牛。

「今の時間帯はランチ営業ですが、お酒をお出しすることも出来ますので」
「あら、じゃあ温泉より先に熱燗でもいいわね……
「温かいカクテルも各種取り揃えておりますよ。最近はホット・バタード・ラムが人気です」

そんなことよりランチに和牛があるのか気になって仕方ない牧だったが、やがて景色からは民家が消え、人工物は前に伸びていく道路だけになってきた。残念なことに寒々しい曇り空になってしまったが、もう少し季節が進めば目に鮮やかな新緑でいっぱいになるだろう。

「ええはい、ちょっと春には早いかと……月をまたぐ頃には菜の花や桜も咲くと思うのですが」
「そうよねえ。その頃はけっこう混んでるって言うし、この子たちも学校が始まるし」
「おや、学生さんでしたか。皆さんてっきりご兄弟かと」
「やあだ、兄弟だなんて、おだてても何も出ませんよ。親でも大丈夫なくらいなのに」
「えっ、そんな、とても信じられません、皆さん20代かと……
「えっ、あんた本気で言ってんの? 名前は? ああそうだ式村よね」

メイさんの半分怒って半分浮かれた声にと牧は俯いて肩を震わせていた。特にメイさんの場合、年齢不詳の風体なので、こういう奇抜な女性が少なそうな山村の住民から見ると、若く見えるのかもしれない。メイさんがドッと老け込んで、ともすれば年齢以上に見えてくるのは締め切り明けだ。

声を上げて笑うとまた反撃を食らうので窓の外に顔をそらした牧は、遠くに屋根がいくつか見えてきたので、つい身を乗り出した。見たところは扇状地のようだが、それほど広くはない。その中に民家と思しき建物が密集している。ざっと見ただけでも100はあるだろうか。自然の中の集落だが、過疎地ではないらしい。

雪という不可抗力で建物の中から一歩も出られなかった白蝋館、台風迫る絶海の孤島であった青糸島、それらに比べれば紫黄村ははるかに「日常」に近い場所のようだ。あれだけ家があれば、暮らしている人間の数も100や200を下るまい。

しかも駅から村に至るまでの間には、溢れそうな川も崩れそうな崖も壊れそうな橋もなかった。もし万が一のことがあっても自分の足で駅まで戻ることが出来る。駅を少し離れるとコンビニやスーパーやドラッグストアがあったし、白蝋館や青糸島と比べると、「人間の暮らしている土地」という気がした。

でも普通、旅行に来ただけでそんなことまで考えないのにな。

旅に出ては災難に巻き込まれている牧はそんな自分が可笑しくなってしまい、ついニヤリと笑った。

国内のトップを争うレベルのチームで競技を行ってきたことも含め、自分の日常には他の人より非日常が多い自覚はある。けれどそれを当たり前と考えてしまうのは少し怖い気がした。

目指すものはプロのアスリート。しかし引退後の自己破産率がとても高い職業でもある。

ほんの一泊二日の旅行、もっと気軽に楽しめるくらいの「日常」を大事にしたいと思った。