「あ、もしもし? 惜しかったわね〜最後の試合。実はちょっとだけ会場に顔出してたのよ私も。でもその話はまたにしましょうね。例のパーティ、詳しい予定決まったからメールで送っておくわね。ていうかふたりとも当日までに時間作って服を見繕いに行かないとダメよ。今回はあの『ラ・グロワール』のエグゼグティブ・スィートなんだから。じゃ、また連絡してね!」
いつも通り、やけに色っぽい声の秋名メイからボイスメッセージが届いたのは、と牧のふたりが高校最後の試合を終えた翌日のことだった。3年間の集大成とも言える最後の試合を敗北で終えたふたりは、夏のようにちょっとだけ放心状態だったが、メイさんは湿っぽい気遣いはしないらしい。
そのボイスメッセージを確認したが放心状態の頭でメールボックスを覗いてみると、「白蝋館の思い出を語る会」というタイトルのメールが届いていた。他に名付けようがなかったのはわかるが、その白蝋館での思い出は主に殺人事件なので、また少し気持ちが落ちる。
内容は年明け1月の初旬に都内の高級高層ホテル「ラ・グロワール東京」にて行われる予定のパーティに関するものだった。パーティと言っても、白蝋館で一緒に事件に巻き込まれた数人で食事をし、その後最上階のエグゼグティブ・スィートで久しぶりに語り合おうという、牧がねだってメイさんが企画した集まりである。当然費用準備などは夏川敬に丸投げ。
その会にはと牧だけでなく、白蝋館のスタッフだった国竹美晴と松波隼人、宿泊客だった冬島有利と冬柴幸司も招待を受けていて、全員現地までの交通費以外は無料の集まりと聞いて全員大喜びしていた。
が、メイさんがメッセージに残したように、敬さんをフル活用してしまったので、ラフでチープな服装では足を踏み入れられない場所が会場になってしまった。敬さんはそれも出してあげるよと太っ腹だが、正直何を着ていけばいいのかよく分からない庶民は慌てた。すると中途半端なセレブリティであるメイさんが知り合いに声をかけてくれて、それぞれ適当な服を用意してもらえることになった。
現在12月下旬。パーティー当日は1月初旬。年末年始を挟むことを考えると意外と時間がない。はだるい体を起こして牧にメッセージを送る。メイさんが服選びに行く時間作れって言ってる。どうせ店は東京だろうし、早くしないと間に合わないかも。
その返事が帰ってきたのは5分後、「そんな高級なところにしろなんて言ってない」であった。
牧がメイさんにした「おねだり」は、年が明ける頃には引退しているし、何か美味しいものでも食べさせてくださいよ――程度の話だった。夏以降、敬さんは暇を見つけては湘南までやってきてと牧を高級店に連れ出していたけれど、高級ホテルのエグゼグティブ・スィートで夜通し語らうつもりなんてなかった。どうして大人はすぐに話を大きくするんだ。
しかしラ・グロワールには既に人数分の部屋がリザーブしてあり、今さら「肉がたくさん食える店の方がよかったのに」とは言えない雰囲気。しかも肉食い放題で喜びそうなのはと牧くらいなもので、大人たちは上質な酒と適度な食事の方を所望しがち。スポンサーが最年長なのでこれは如何ともし難い。
グズっていた高校生ふたりだったが、メイさん敬さんに急な仕事を押し付けられた人に迷惑はかけたくない。冬休みの間に指定された店まで行って服を選んでもらったふたりは粛々と年を越し、寒風吹きすさぶ1月、都心までやってきた。
「……紳一、もうちょっと若く見える服の方がよかったんじゃないの」
「若作りすると余計に老けて見えるらしい」
「私も正直このパンプスは背伸びしすぎな気がするんだよね……」
「ふくらはぎの筋肉が現役だからな」
「ちょっと! それ一番困ってるとこなんだから突っ込まないでよ!」
メイさんに指定された店のオーナーはそれはそれは親身になって服を選んでくれた。だがそもそもが普段制服とジャージの高校生で、ハイファッションに適した身体やヘアスタイルを持っているわけではなく、何をどう着せても若干浮く。なので結局ふたりとも七五三状態の真新しい服で冷たいビル風に身をすくめて歩いていた。
「島さんも困ってた。あの人顔はちょっとイケメン風だけと、首から下はダサめじゃん」
「ひどい」
「服がダサいのは自覚あるって言ってたもん。服に興味ないんだって」
「別にホテルに泊まらなくたって飯だけでいいのに……」
メイさんや敬さんは、ふたりとは親子ほども年の差があるけれど、その関係性は「友人」だ。ただし、白蝋館での特殊な数日を共にした「特別な友人」であり、その仲間の中でも特に情に厚く社会的地位も高く裕福であるという点が、ふたりをついはしゃがせてしまうらしい。
しかも今回はと牧だけでなく、国竹さんら白蝋館における「信用できる仲間」だった人たちが久しぶりに集まる。思いついておねだりをしたのは牧だったけれど、まあ大人ふたりがテンション上がってしまうのも無理はないか。
敬さんあたりは高級車で乗り付けてくるのだろうが、地下鉄から徒歩のふたりはすっかり冷え切ってしまい、特にスカートのはいつか白蝋館に辿り着いたときのように足が真っ白になっていた。なので、メイさんが選んだホテル、ラ・グロワールに到着すると、その絢爛豪華な佇まいよりもロビーの温かさに歓声を上げた。
しかもすぐに懐かしい顔が見つけてくれたので、また歓声を上げた。首から下も小洒落た雰囲気になっている島さんに、相変わらず主に上半身が逞しくてインナーがキツそうな柴さんである。久々の再会に4人は抱き合って喜んだ。ほぼ1年ぶりの再会である。
「島さんは電話とかで何回か話したけど、柴さんは本当に久しぶり」
「ふたりとも元気そうでよかった。もう卒業だったよな?」
「はい、春から私はA大、紳一はB大で」
「えっ、ちゃんA大!? オレの後輩になるのか!」
「えー! ほんとですか!」
「……君たち、ここラ・グロワールだよ」
島さんのツッコミにと柴さんは慌てて口元を覆い、こそこそとラウンジに落ち着いた。
メイさんは仕事の都合で、敬さんは渋滞にハマって到着が遅れているとのことで、招待客で詳しいことを何も把握していないたちは待っているしかない。なのでラウンジに落ち着き、どうせ敬さんの金だし、とケーキやらコーヒーやらをオーダーした。
コートを脱いでの膝にかけてやると、牧はちらりと振り返ってロビーラウンジを見渡した。
この「ラ・グロワール東京」はつい2年前にオープンした地上30階の高層ホテルで、この地域の再開発の目玉であり中心となる存在だった。ロビーから直結の隣接する商業施設には多くのハイブランドのショップや、レストラン、カフェ、美術館などが入っていて、どちらかといえば大人向けのエリアである。
というわけで開業当時は話題の人気スポットになっていて、当分宿泊の予約は取れないと噂になっていた。だがそれも落ち着いたのだろうか、本日敬さん使用の最上階のエグゼグティブ・スィートを始め、たちも部屋を取ってもらっている。
そういう予備知識では、いかにも観光客で溢れた都内のホテルだと思っていたのだが、どこを見てもお仕事中と言った雰囲気の大人ばかり。確かに平日の昼過ぎで宿泊施設としては客の少ない時間帯ではあるが、ネットニュースやテレビが騒ぐような場所ではなかった。
するとその牧の視線の先をタイトスカートの足が通り過ぎた。香水の匂いが漂い、牧はつい鼻にシワを寄せた。青糸島での事件以来、強い匂いの香水に嫌悪感を感じるようになってしまい、春からの生活のことを考えると余計に頭が痛くなる。
今日は自分が言い出しっぺの、しかも懐かしい人々と楽しむために来ているのに不貞腐れてどうする……と思い直した牧だったが、その頭上から金切り声が聞こえてきた。
「食事は中華か寿司にしてくださいって言っておいたじゃないですか!」
「えっ、そうでしたか……? じゃ、じゃあ、ここのホテルはあとフレンチとか……」
「フレンチもダメです。イタリアンならなんとか……でも社長イタリアンは安っぽいって」
と柴さんの再会を喜ぶ声など比べ物にならないほどのキンキン声だ。スーツ姿の男女が言い合いをしていて、何やらミスをしてしまったらしい男性を女性の方が叱りつけている。にしても、声をもう少し落とすことは出来ないものだろうか。ここは公共の場であり、すぐ横は多くの人が寛いだり商談をしているラウンジなのに。
白蝋館、青糸島と2度にわたり凄惨な事件に巻き込まれた時、牧はもちろんも、幾度となく「大人」の振る舞いに辟易し、やがて大人になることを絶望した。それはゆっくりと時間をかけて飲み込んできたけれど、白蝋館の仲間とともにこんな金切り声を聞いてしまうと、嫌でも思い出してしまう。
しかしそこは地域最新の高級ホテル、スタッフがすっ飛んできて金切り声の女性を宥めてくれた。それも支配人だとかいう雰囲気でもない、いちスタッフといった様子の女性に。さすがだな――と感心した牧はつい金切り声で元空き巣の支配人・菊島さんを思い出してしまって、吹き出した。
「紳一くん、彼女の隣で他の女の足に見惚れてニヤけるのはさすがにどうかと思う」
「え!?」
冷ややかな島さんの声に牧は我に返り、肘掛けに乗せていた腕を滑らせた。
「まあ分かるよ、君くらいの頃は大人のお姉さんてのは魅力的に感じるものだけど」
「柴さんもそうだったの?」
「うん、ちゃんはもう少し嫉妬とかしようか」
「えー、いまさら」
「そんな結婚20年目の夫婦みたいなこと言うんじゃないよ」
若者に有り難い説教をしてやろうという顔をしていた柴さんは腕組みのまま頭を落とした。
「別に見惚れているというわけでは……あの金切り声が菊島さんみたいで嫌だなと思って」
「君たちももう少しでああいう人がひしめく世界に入っていかなきゃならな」
「私仕事は敬さんに世話してもらうつもりで」
「オレもバスケット出来なくなったら敬さんに」
「敬さんはドラえもんか」
全力でタカってますが、というのを隠しもしないふたりに島さんがため息をついていると、今度は牧が横から女性に抱きつかれて「オエフッ」と変な声を出した。
「メイさん!」
「遅くなってごめんねえ〜!」
今日も極彩色民族衣装風のメイさんだった。メイさんはそのままずるずると牧の膝に座り込んだが、紳士的に手を取り背中を支えられて引き剥がされた。メイさん特有のシャラシャラしたアクセサリーの音が懐かしい。メイさんは冬コンビとハグして腰を下ろす。
「ほんとに紳一くんは冗談通じなくて困ったもんだわ。パンツにお金挟んであげないわよ」
「そうなのメイさん。ちゃんも一緒になって熟年夫婦みたいなこと言って」
「まあ春から同棲だからそんなチャラついてたらやっていけないでしょうけど」
「どうせ…………え!? そうなの!?」
全員にシーッと人差し指を立てられた柴さんはまた口元を押さえて体を縮めた。
「同棲って言い方やめてメイさん」
「別に間違ってないでしょ」
「同居って言ってください」
「何が違うのよ」
「脚本家なんだから微妙な違いくらい読み取ってください」
「ちょ待て待て学生になった途端に同棲って紳一くんあのな」
「なんでオレだけ」
「あ、わかった、敬さんにタカってんだな?」
「いやまあそうですけど」
「君ら敬さんにおんぶに抱っこが過ぎないか」
5人が身を乗り出してヒソヒソ声で言い合いをしていると、頭上から呆れた声が降ってきた。
「君たち何やってんの……」
「あっ、敬さん!」
「えっ、け、敬さん……? あれ……?」
お仕事から直行してきました、という様子の敬さんに柴さんがドン引きしている。そういえば柴さんと島さんは休暇仕様の敬さんしか見たことなかった。首から上はちょっとチャラいが首から下の装備だけで自分の年収を上回りそうな敬さんを初めて見た冬コンビは身を寄せ合って絶句している。
「ああそうか、ふたりとも敬の仕事モード見るの初めてだものね」
「だからオレはこんな高級ホテルやめようって言ったのに」
「あー、やっぱりメイさんがひとりで決めたんですね、このホテル」
「紳一くん、そういう顔するのやめなさいって言ったはずよ」
確かにと牧は色んな意味で敬さんにタカっているが、敬さんの金で贅沢をするということに一番遠慮がないのはメイさんだ。なので、普段着で気楽に楽しめるプランより、新しくてピカピカのホテルのラグジュアリーな夜景と高価な酒を優先したのは、やはりメイさんの独断だった。
「いいじゃないの、これも社会勉強よ」
「どうせ連ドラが絶賛炎上中で憂さ晴らししたかっただけでしょ」
「そんなことないわよ炎上商法でむしろオイシイもの」
「あれ? そういえば国竹さんたちは?」
「……その前にチェックインしようか」
本日メイさんの指定通り敬さんは最上階のエグゼグティブ・スィートをリザーブしており、ディナーと宿泊を除いて全員そこで過ごす予定になっている。このホテル・ラ・グロワール東京は26階から30階がプレミアムクラスとなっていて、自腹を切ったメイさんは28階のグランドスィート・トーキョービュー、つまり東京タワーが見える部屋。以下、たちは24階のスペシャルトーキョースィートにそれぞれ宿泊する。プレミアムクラスからは外れるものの、スィートと名が付く通り、全室シティービューで夜景が楽しめる。
「こんな高価な部屋有り難いけど……野郎ふたりで泊まってもなあ」
「しかも両隣はカップル。こんな高級ホテルなら壁は薄くないですよね?」
「紳一くん、静かにしろよ」
「なんでオレに言うんですか」
「ねえメイさん、国竹さんたちどうしたの」
「仕事終わってから来るわよ」
と牧、国竹さんと松波さんカップル2組に挟まれて同室になってしまった冬コンビは渋い顔だ。というか島さんは都内、柴さんは埼玉南東部在住、ふたりは特に宿泊しなくてもよかった。みんなが眠くなったらタクシー代でも出してもらえれば充分だった。
チェックインを済ませ、荷物を預けた一行はそのままエグゼグティブ・スィートへ向かう。そのエレベーターを待っていると、が敬さんの袖をツンツンと引っ張った。
「敬さん、このエレベーター25階までしか止まらないみたいですよ」
「それでいいの。25階にプレミアムラウンジがあって、その上は乗り換えるんだよ」
「へえー、25階にもバーがありますよ。夜景がすごい」
案内の類が張り出されているわけでもないので、公式サイトを覗いた島さんが弾んだ声を上げた。しかし到着したエレベーターに乗り込み、くるりと振り返った敬さんはわざとらしくポーズを取り、不敵な笑みを浮かべた。
「バーの夜景なんか一面だろ。これから行く30階のスィートは3面ビューだぞ」
柔らかくクリアなエレベーターの明かりに敬さんの腕時計がキラキラ光る。メイさんはともかく、普通に庶民である4人は「はぁーい」と軽快なお返事をしてエレベーターに乗り込んだ。そして25階のプレミアムラウンジでエレベーターを乗り換え、エグゼグティブ・スィートまでやって来た。
、牧、そして冬コンビはまた絶句。
「なんだよ急に静かになって」
「いやその……キャーとか言いたいんですけど……」
「窓の向こうはCGだって言われても信じる……」
「実家にテレビ電話してもいいすか……」
そもそもホテルの最上級スィートルームなんてものに足を踏み入れたことがない4人は、圧倒的な迫力で眼前に迫る東京の景色に歓声を上げることも出来ず、小声で「わぁ……」とか言うので精一杯。かと思えばワゴンを引き連れたスタッフが数人やってきて、お茶と軽食をテーブルの上にずらりと並べていった。
「ディナーまでまだ時間があるから、お茶にしましょ」
「お茶ってレベルじゃない……」
「オレ腹減ってるんで食っていいですか」
「紳一くんはいつもそれだな」
しかし実際と牧は昼に地元駅の立ち食い蕎麦を食べただけなので、もう小腹が減っている。ティータイムなのでサンドイッチやスナック、卵料理程度の軽食だったが、それらはあらかたと牧の腹に収まった。
「でも懐かしいですね。あの時も紳一くんとちゃんはサンドイッチ食べてた」
「そうだったわね。パーカーにジャージ着て不安そうな顔をしてた」
「……もうすぐ1年になりますね」
暖かい室内で熱いお茶やコーヒーを飲んでいるというのに、一同はそれぞれ雪の冷たさを思い出して身震いした。敬さんは静養、メイさんは締切からの逃亡、柴さんと島さんはダーツの旅。そしてと牧は雪で合宿所までの道を絶たれ、やむなく流れ着いた。
雪に閉ざされた白蝋館の日々を思い出すと胸が痛む。そして夏にたちが巻き込まれた離島での事件も一緒に思い出してしまう。メイさんはいつかのようにストールをかき合せ、優しくため息をつく。
「でも……みんなが元気なら私はそれでいいわ」
実のところ、白蝋館でも青糸島でも、犯人と因縁があった人物以外に被害者は出ていない。その後も事件のせいで生活に支障が出ているのはアルテア・ブルーの墨田さんとみどりさんくらいなもので、白蝋館のスタッフも転居などを強いられはしたが、ほとんどが同じ業種で働いている。
だが悲しい事件に巻き込まれるたび、どんな栄光よりもただ元気でいてくれるだけでいい、親しい人にはなおさらそれを望むようになっていた。誰も彼も。
たとえその居場所が、高い塀に囲まれた贖罪の場であったとしても。