紫黄村の殺人

Chapter 1 : ホテル・ラ・グロワール東京 2

「えっ、じゃあ敬さんがふたりを養うみたいな感じになるんですか?」
「まあ、生活費という意味ではね」
「養子に取るとかじゃ、ないんですよね?」
「まさか」

最初に気軽な思いつきで敬さんに「おねだり」をしたのはだったのだが、それから数ヶ月、と牧が学生の間の4年間を同居で送ることはトントン拍子に話が進んだ。4月からふたりは敬さんが用意した都内のマンションで暮らし、それぞれの大学へ通い、少なくともは卒業後に夏川グループへ就職することになっている。既に内々定の状態。

遡ること2ヶ月前、最後の予選が始まる前に敬さんは家牧家からふたりの両親を湘南の高級店に招き、いつもよりさらに入念な「お仕事モード」に装って話を持ちかけた。さんと紳一くんの大学4年間の生活を夏川が面倒見たいが、いかがでしょうか。

両家の親たちは白蝋館の時点で敬さんと面識があり、最初は殺人事件の起こったホテルのオーナーとして、そしてやさぐれたロックスターのような風貌の彼を不審に思っていたのだが、蓋を開けてみれば夏川グループのトップであり、彼がいたおかげで子供たちの存在はマスコミはおろかSNSにすら漏れなかった。それは青糸島でも同様であり、既に「夏川さん」への信頼は厚い。

しかも夏川さんは度々子らを食事に連れ出すけれど、それが22時を過ぎたことは一度もなく、必ず玄関前まで送り届けてくれる上に、それが名店であれば土産にとギフトセットを持たせる。そういうわけで親たちはかなり警戒が緩んでおり、それこそ養子に取られるわけでもないのだし、金を出したいって言うんだから出させておいてもいいんじゃないか、あとで返せと言わないと念書でも取っておけば……という気になっていた。

なので話はすぐにまとまったのだが、そこでの父親がつい「だったらついでに学費も……」と言ってしまった。彼は両側の妻と娘に裏拳で突っ込まれたが、さすがに夏川さんは動じない。チャラそうな風貌に落ち着きのある笑顔を浮かべ、うんうんと頷いて首を傾げた。

「私としてはそれでも構いません。私にはパートナーも子供もおりませんから、それを止める人もおりません。ですが、もし学費まで私が面倒見るということであれば、さんか紳一くんのどちらかを養子に頂いてふたりを結婚させ、親として生き方暮らし方を監視し、口を出し、将来はふたりとも私の跡を継いでもらうことが条件になりますが、それでもよろしければ」

終ぞ解り合えぬまま死に別れた父親とそういう関わり方しか出来なかった敬さんにとって、誰かの親になるということはそういう存在になることでもあった。それでも構いませんとは言ったけれど、と牧とはそんな関係になりたくなかったはずだ。

だから敬さんは「生活の面倒を見たい」と言った。友人としてふたりをサポートしたいという気持ちの延長、それ以上の意味を持たせないための境界線でもある。だから自分とすぐに会える場所にいてほしい。いつでも会って話せる関係でいたい。ふたりの親たちから子供を奪いたいわけでもないのだから。

そこにの大学の推薦入学と就職確約が付いてきたのはまあ、ご愛嬌だ。

「えっ裏口入学?」
「メイさんと同じこと言わないでください。裏口じゃないです」
「就活いらんて羨ましすぎる……
「てか夏川グループに就職って、ホテル?」
「いや、オレの秘書」
「破廉恥!」
「島さんの発想の方が破廉恥ですよ!」

敬さんいわく、あの全国区の強豪チームを3年間マネジメントした実績は高校生ながらに充分に評価出来るし、何より青糸島でのの胆力にすっかり惚れ込んでいて、これは自分の近くで働いてほしいと思うようになったらしい。しかもの方も3年間のマネージャー経験から何かを管理統括する仕事に就けないかと考えていたところだった。渡りに船。

「で、A大の……秘書って学部は?」
「A大は何年か前から『課程制』を導入してるんだよ。学部や学科だけに縛られず、多角的に学べる」
「学部、学科で言うと心理学部とか、マネジメント学科とか、そういう感じかな……
「そういえば敬の秘書チームってあんたの同年代が中心だものね」

敬さんは頷く。敬さんが度々本気を出して事件の後始末を完璧にこなすのは「少数精鋭の秘書チーム」がいるからだった――という話を冬コンビは身を乗り出して聞いている。

しかしその秘書チームは現在3人、ひとりは夏川の人間だそうだが、それが敬さんと同い年で、もうひとりがひとつ年上。一般的な年齢での定年を望んでいるそうで、そうすると一気にふたりも人材を欠くことになってしまい、それはそれで不安に思っていたそうだ。

「もうひとりはまだ40くらいのITの専門家で、あとは夏川の縁者で引っ張ってこようかなって子が今30代くらいかな。そこにを加えればまあ、オレが死ぬまではなんとかなるかなって」

そう、その立場上、敬さんは基本的に死ぬまで引退できない身であり、後継者問題に関しては現在悩んでいる最中だそうなので結論はまだだとしても、彼があと10年ほどで急死でもしない限り、よい就職先ではある。と敬さんの利害は一致している。

「それに、そういう事情だから口を利いてもらいたい子がいる、って相談出来るのが、ご存知白蝋館のお得意様のシキちゃんこと式村さん。話早かった」

白蝋館での事件より数日前、メイさんと入れ替わりで帰ってしまった宿泊客がおり、そのせいで4人グループだった被害者たちは離れた2室に宿泊していた。その時の客が式村さんという人物で、現在A大学の理事をしているとのこと。話の流れがスムーズだったのにはの進路を中心としてパズルのピースがぴったり嵌ったからでもあった。

「まあ、ふたりは真面目っていうか、ちょっとお硬いようなところもあるから心配ないけど……
「それは最初にしっかり条件出されてますよ。特にオレには」

牧はちょっと眉を下げて笑った。彼が男だからではなく、今のところ将来が白紙だからだ。

親たちに話をする以前に、には夏休みの間に早くも「あのおねだりは本気か」とメッセージが届いていた。は半分くらいは本気だったので、そう返した。すると後日、本人が湘南までやって来て至極真面目な顔で言い出した。オレにとっても悪い話じゃないんだけどね。

「いきなり細かい話をするようだけど、『条件』を言っておこうと思って」

最初牧あたりは「冬の大会で優勝したらとかかな」と考えていたが、それは本当に細かい条件だった。

「家事は必ずふたりで分担協力すること。紳一くんが疲れていても、それをちゃんが全部代行するのは絶対にダメ。具合が悪い時も、家族やオレに頼らず、基本お互いで助け合うこと。お小遣いの増額は原則なし、限られた中でやりくりすること。余剰にお金が欲しいなら各自アルバイトすること。どうしても必要なものは要相談。自宅での飲酒はそれぞれ20歳になるまで禁止。外で無理矢理飲まされるなどは充分気をつけること。最低でも1週間に1回は実家に電話を入れること。状況が状況なので、友人を家に呼んだり泊めたりは原則禁止。どうしても泊まりがけで語らいたいなら実家でやること。ご家族の出入りは自由だけど、無人の時に入るとか、誰かが住み着く、長期連泊ホテルがわりはダメ。ペットも原則禁止だけど、責任をもって飼育し、一切外泊もせず、卒業後はどちらかが引き取ると約束できるなら相談に乗る」

と一気に聞かされたふたりはポカンとしていたが、以上を守れるなら「都内通学に便利な場所の2LDK、管理人付きオートロックのマンションでの生活費を全て負担プラスお小遣い付き、新生活の準備費用も夏川負担、学費のみ親負担。ちゃんは推薦入学付き」だという。

なんだかあまりにもおいしい話に聞こえるが、親元を離れた学生の4年間、敬さんの条件を守り切るのは意外と苦しいかもしれない。金には困らなそうだが自由度は低い。特に友人の出入りが禁止だったり、面倒なことを家族に丸投げ出来ない点には不安があった。

しかしそこから2ヶ月、と牧は何度も話し合い、敬さんの「条件」を何度も検証し、そして予選が始まるまでには「挑戦してみたい」という結論に至った。それは「頑張るけど失敗するかもっていう余白は残しておきたい」という意味ではなく、「失敗しないよう最善の努力を心がける4年間を過ごしたい」という意味だった。

なので話はトントン拍子に進んだわけだが、自分の部下になることを前提に努力を心がける約束が出来ていると違い、牧はひとまず大学以降が真っ白の状態。敬さんはそれを特別扱いはせず、バスケットでどれだけ優秀な成績を残したとしても、プロ選手やバスケット関係以外の世界では生きていけませんということのないように、と釘を刺した。

そして「ふたりの責任」と言いながらも牧には強めに「想定外の妊娠は厳禁」と言い渡した。

「とは言ってもオレは恩を売って言いなりの部下を作りたいわけじゃない。4年の間にもしふたりが破局したり、何かこれと決めた新たな道に進みたくなったりしたら、それは自由。一度引き受けたからには卒業まで面倒見るけど、それでふたりを束縛したいわけじゃないから」

敬さんの条件に自分たちを当てはめていくと、最後には「自分たちの力で生きていってみたい」という願望が残った。それは未知の世界であり、期待であり、乗り越えたいハードルでもある。目前に迫る「大人」という自分たちへの、挑戦だった。

敬さんはそれを支援してくれているだけ。決して甘やかしたいわけではなかった。

「条件」を聞いた柴さんは「無理〜」と言って呻いた。メイさんは今でも全部無理と言って笑った。きっと敬さんだって、ひとりではそんな学生生活なんか送れなかったに違いない。あるいは未だに「学生時代」というものに無法な幻想を抱く世はそんな「条件」を非道と見るかもしれない。

ただそれはと牧の「選択」だったのだ。

他人同士の自分たちが共に助け合って暮らしてゆけるのかという、その壁を超えるための。

ふたりの同居の話が詳しくなってきたので、メイさんがを引っ張ってベッドルームに消えた。

「女同士の話があんのよ、ってことですかね」
「それこそ今さらって気もするけど。ねえ、紳一くん」

この4人の中では一番身長が高いし、それも合わせてマッチョ体型の柴さんよりも大きな体をしている牧だが、それでも40代と50代の男性3人に囲まれると気持ちが萎縮してくる。親と同年代が3人はちょっと圧が強い。なので咳払いをして背筋を伸ばす。

「特にオレは、4年間遊ぶつもりがないので」
「まあそうだろうけど。願望としては日本代表だろ」
「願望じゃないです目標です」
「で、プロ入りだろ」
「叶えば、ですけど」
「そこはずいぶん消極的な言い方だな」
「自分ではとっくにそのつもりですけど現実的に叶うかどうかは未知数なので」
「あれ? そしたら卒業後は一旦同棲解消ってことになるの?」
「それはまあ、その未知数がどうなるかによるよな」
「んっ、はい、そうですね」
「結婚しちゃえばいいのに」
「昔は学生結婚て結構ありましたよね〜」
「でもちゃんは東京に通勤出来る場所に住まないとダメだろ」
「もし紳一くんが遠くのチームに所属することになったら」
「えっ、4年間も同棲しておいていきなり遠恋!? ハイリスク!」

圧の強い3人は女子中学生のようなテンションで盛り上がっている。牧はため息。そういうこと全部可能性として見越した上で出した結論が4年間同居だって言ってんのに……

だが、目標として定める事象とひとつの結果に固執することは似ているようで異なる。あくまでも牧自身のバスケット人生においては夢や理想ではなく、到達すべき目標である様々な事柄は、バスケットから離れた生活全般においてはほぼ無関係と言ってもよい。

なので4年後にとの関係がどうなっているか、との5年後はどうするつもりでいるのか、ということは努めて曖昧にしてある。それは南雲志緒の残した言葉の影響でもあれば、妄執で自分も相手も縛り付けないための安全策でもある。

しかし牧はこれでも大変素直な18歳でもあるので、野次馬根性丸出しだが遥か人生の先輩である3人に聞いてみたくなってしまった。とメイさんはいないし、今なら聞いてもいいよな。

「あんまり喧嘩しないで上手くやる秘訣とかって、ないですかね」

実は今でも喧嘩らしい喧嘩はしないカップルなのだが、これが完全に生活を共にし始めると均衡が崩れてくるような気もしていた。引退するまではほぼ毎日何でも一緒だったけれど、合宿にしても最長で一週間程度、その経験に胡座をかいていると足元を掬われそうだ。

すると3人はハーッとため息。そして敬さんは身を乗り出して人差し指で牧の顎を持ち上げた。

「あのね紳一、オレたち全員シングルなの。それに聞いてまともなアドバイスが出てくるか?」

ふたりの同居が確定して以来、敬さんはふたりを名前で呼び捨てるようになった。そして以前より「友達付き合いっぽい言い方」をするようになった。なので牧は「さーせんしたー」と棒読みで返す。

という笑い話のはずだったのだが、ふと見ると冬コンビが目を見合わせている。

「あれ? どっちか結婚した? 離婚歴でもあったっけ」
「いや、まさか、そうじゃなくて……
「それがその〜実はオレ、彼女出来たんですよ」

大きな身体を縮ませた柴さんの告白に牧と敬さんはつい驚きの声を上げた。だって確か柴さんて忙しくて全然暇がなくて島さんが恋愛興味なくて都合いいから休みが合うと遊んでるとかそんなんだったんじゃないんですか。

「いやまあ、実際そうなんだけど、付き合い始めてみたらそんなに負担なことでもなくて」
「同じ職場の人?」
「いえ、たまたま知り合った感じなんですけど、同い年で、やっぱり向こうも仕事忙しくて」

お互い境遇はよく似ていた、と柴さんは顎をさする。そのたまたま知り合った女性もハイキャリアというわけではなく、ごく一般的な仕事と生活で目一杯という状態だったのだが、どういうわけか惹かれ合い、第三者に「付き合えばいいのに」と言われて初めてその可能性に気付き、やってみますか、という流れになったとのこと。

「と言っても大人同士だし、そういうのって意外とスムーズなんじゃないの?」
「そうなんですよ。忙しいけど無理をしてまで恋愛してるって感じでもなくて」
「こうして彼女以外のことに時間を割いてても問題になるわけでもないしね」

一足先に事情を知っている島さんも何気なく頷き、柴さんはまた顎を撫でた。

「オレ今40代ですけど、自分が30くらいの頃、40代で独身ってものすごく肩身狭かったと思うんですよ。物流の仕事なんで顔なじみのドライバーさんとか多くて、中には40代でも50代でももっと上でも独り身って人はいたんですけど、いつも陰口を叩かれてて、あの年で独身なのは問題のある人間だからだ、ってちょっとした異常者扱いだったんですよね。何もしてないのに犯罪を犯しそうって言われたり」

牧にはピンと来ない感覚だったが、島さんと敬さんは何度も頷いている。淡々と独りの人生を生きてきた墨田さんという70代を知っている牧には、ちょっと不快な話でもあった。墨田さんは異常者なんかじゃない。そういう一生の何が悪いのだ。

「それを思い出したんだけど、さらに遡って20代の頃になると、当時は30代半ばでも独身が非難されてたなって思い出して、それで改めて周りを見回してみたら、もうそういう独身て珍しくなくて、みんな仕事しながら生きてる普通の人たちばっかりで、友達と遊んだり趣味に傾倒したり、いつの間にかそれが普通になってた。10年、20年経つとこれほど世界は変わるんだって」

まだ18年しか生きていない牧にはさらにピンとこない感覚だったけれど、柴さんの言いたいことは分かるような気がした。10年前の常識は10年前の常識であり、とっくに過ぎ去った過去の話だ。

「彼女と付き合い始めた1ヶ月くらいあとかな、上司が結婚するって言い出して。その人はやっぱり40代で、相手は50代らしいんだけど、みんな普通に祝ってて。そうだよな、別に誰がいつどう人生の節目を迎えてもいいよなって思って。でもやっぱりいるんですよね、あんな年で結婚なんか恥ずかしくないのかって言い出す人。結婚して何するの、まさかあの年で子供作れると思ってるのかなとか、平気な顔して言う人もいて。けど、別にだから何だよって。むしろこの年になって同年代と付き合ってる方が自分に合った恋愛が出来てる気がしてるんです。若い頃の恋愛はちょっと無理してた」

他人の生き方に言いがかりをつけたがる人は多い。牧もとの関係を「今だけ」と言われるたびに、勝手に決めるなと思ってきた。といずれ別れるつもりはないけれど、だからといって、との関係が「今だけ」で何が悪いというのか。自分たちの関係が今だけで終わるのか、長く長く続いていくものなのかはふたりだけの問題であり、他人の経験則を真似ても利はない。

……柴さんが彼女さんのこと好きなら、それでいいですよね」
……だよな」
「彼女さん、素敵な人なんですね」
……うん、なんか素直に可愛くて好きって、言える相手、なんだよ」

そう言ってはにかんだ柴さんの頬がちょっとだけ赤らむ。いやもう、柴さんが可愛いじゃん、と牧は思った。親ほどの年代の柴さんは自分のような子供とは生きる世界が違う大人だと思っていたけれど、またひとつ、「大人」を身近に感じた。

そうなんだよな、みんな大人と子供とか区切って区別したがるけど、全ては同じ線の上にあるものなんだよな。切り離して考えたところで、それは必ず一本の道で繋がってる。

30階エグゼグティブ・スィートの寝室の方からとメイさんの悲鳴のような笑い声が響いてくる。まあ、何を話しているのかはお察しだ。ほら、女子たちはああしていつでもきゃーきゃー騒げるじゃないか。そう思うとメイさんが可愛い女の子に思えてきた。涙もろくて情に厚くて楽しいことが大好きな女の子の友達、そんな感じだ。

この白蝋館の仲間たちは全員自分たちより大人な人ばかりだけど、そんな付き合いを続けていかれるといいのにな。牧はそう思いながら、いつの間にかブラックでも飲めるようになったコーヒーを傾けた。