紫黄村の殺人

Chapter 2 : 紫黄村の殺人 5

「父のわがままにお付き合いくださって、ありがとうございます」
「いえいえ、今日はもう帰るだけですから」
「お開きになりましたらすぐに駅までお送りいたしますので」

巨大な本家屋敷の正面玄関は建物の大きさに対してはやたらと小さく、3人は琥珀さんに招かれるまま、だだっ広い和室へと通された。琥珀さんはそこでお茶を淹れつつ、パーティは昼食を取りながら話すだけのものだが、父親があの様子では日野木先生にスピーチを求めるかもしれない、と恐縮している。

「それはまあ、構いませんけど、お父様の再婚でいらっしゃるんですよね?」
「ええはい、わたくしどもの母親は既に他界しておりまして、まあいわゆる後妻です」
「どういった方なのかしら」
「はい、婚約者は宝田真珠(まなみ)さんと言いまして、東京出身の方です」
「お仕事とか、お人柄とか、言える範囲でいいんですけども」
「それがですね、実は私もお会いしたのは昨日が初めてで……

メイさんと琥珀さんは揃って苦笑いだ。金剛氏が村に突然現れた「有名人」であるメイさんにスピーチをねだるのは大いにありえることだが、どちら様も完全なる初対面。そんな状態でスピーチしろと言っても何を言えというのだ。そしてどうやら琥珀さんは継母予定の女性とは親しいわけではないらしい。

「結婚どころか、どこで知り合ってどれくらい交際していたのかも未だに知らないくらいで……
「お互い大人でもセンシティブな問題ですからねえ。新しいお母様と言っても……
「そうなんですよね、母と言いましても、私よりかなり年下でして……
「ごめんなさいねえ、あなたもおいくつでいらっしゃるのかしら」

ここまで来たら気遣っても仕方ない、という顔のメイさんが顔を突き出すと、3人のお茶を淹れていた琥珀さんは正座に座り直して頷く。

「父は60代で、私は今38です。私の下に妹と弟が3人おりまして、全員30代なのですが、真珠さんは30歳になったばかり、でして……一番下の弟より若いんです……

あらま〜と言うしかないメイさんにと牧も苦笑いだ。年下の女性を母と呼ばねばならない琥珀さん以下ごきょうだいは、そりゃあ複雑な気持ちだろう。

「まあねえ、殿方は若ければ若いほどいいんでしょうし、それでも30なら充分年増だと思いましたかね〜」
「さ、さあ、それは……父はおそらく、名前が気に入ったのだと思うのですが」
「えっ、名前?」

30代の子供が4人もいる60代の村の王様が都会の若い女を見初めたのか……と安易に想像していた3人は揃って目を丸くし、ですら琥珀さんへの得体のしれない不安感を忘れて首を突き出した。

「はい。父金剛は、偏執的な『石マニア』なんです。それも、宝石や天然石などの」
「えっ、じゃあもしかしてあなたのお名前も……
「そうです。本人がその趣味に目覚めたのもあの二色水晶ではなくて、自身の名前からという話で」

3人は何度も頷く。金剛石といえばダイヤモンドのことだし、琥珀は実際は石ではないものの、その美しさから宝石として扱われることがほとんどだ。すると琥珀さんは初めて少し微笑み、目を細めた。通常、人の笑顔は印象を柔らかくする作用があるはずだが、なぜだか彼の微笑みは顔に影を落としたように見える。

真珠(まなみ)さんは真珠(しんじゅ)、わたくしどもの母親も珠子と言いまして、さらに私の下に、翡翠という妹、瑠璃という妹、そして玻璃という弟がおります。全て父が名付けたようです」

3人は「はぁ〜」と言いながら頷くばかりだった。子供の名に自身の趣味を押し付ける親は少なくないが、妻までその名前で選ぶというのはなかなかどうして琥珀さんが言うように「偏執的」ではある。

「えーとそれじゃ、スピーチなんてことになったら石の話をしたほうがいいのかしら」
「あ、いえ、それは無用です。石については下手に触れると機嫌を損ねることもあるので……
「ああ、そう。二色水晶に掛ければいいかなと思ったんだけど」
……あれも元は我が家の所有物ではなかったのですが、いつの間にか村の神様になってしまって」
「琥珀さん、無理はいけませんよ。お父上の好きにさせて、あなたは自分の人生を送りなさいね」

つい気遣ってしまったメイさんだったが、琥珀さんはすぐに深く頷いた。

「はい、そうしています。わたくしどもきょうだいは普段は東京で暮らしています」
「あらそうなの。じゃあお祝いのためにいらしてたのね」
「ええ、婚約のお披露目くらいなら私たちはいらないのではと思いましたが……

無理もない。既に帰りたくなっている3人は琥珀さんに同情してきた。すると遠くから柱時計の鳴る音が聞こえてきた。が携帯を覗き込むと、11時だった。ランチタイムに合わせてのパーティという話だし、もうすぐ席に案内されるだろう。あとは黙々と列席し、長くとも2時間くらい耐えれば帰れる。

「それではまたお迎えに参りますので、もうしばらくお待ち下さい」

正座の琥珀さんは深々と頭を下げると、部屋を出ていった。パーティというくらいだから他にも招待客はいるだろうし、金剛氏の子供だけでも4人いるはずだが、部屋は途端に何の物音もしない静寂に包まれた。3人はまたを真ん中に挟んで寄り添う。この家、妖怪屋敷なんじゃなかろうな。

そんなふうにビビっていると、背後で音もなく襖が開き、女性の声が聞こえてきた。3人は飛び上がる。

「大変失礼をいたします。わたくし当家使用人の絹田と申します」
「は、はい、あきな……いえ、日野木と申します」
「不躾で申し訳ありませんが、本日の御膳についてお伺いしたく……

絹田というその女性は見たところ50代くらいだろうか。使用人とは言うものの、作務衣に似た作業着に髪をきっちりとまとめており、所作は丁寧で仕事人の風格。どうやら3人に食べられないものやアレルギーはないかと聞きに来てくれたらしい。

「皆様方以外の方はお身内やこの村で付き合いの長い方ばかりなので、それぞれのお好みを把握できているのですが……ご面倒をおかけして申し訳ありません。出来る限り都合をつけますので」

3人は恐縮しいしい、苦手な食材を申告する。それならごく身内の席なのだろうに、こんな他人を招かなくても……と思っているのが顔に出たのだろうか、絹田さんも深々と頭を下げる。

「旦那様はもっと盛大な席を持つおつもりだったのですが、これでも琥珀様たちが懸命に諭されて」
「なのに我々が現れてしまったのでテンション上がっちゃったのね」
「おそらくそんなところではないかと……

苦笑いの絹田さんが下がるとまた静寂。3人はお茶を啜りつつ、無駄に緊張していた。

「メイさん、スピーチしろって言われたらどうするの」
「その前に金剛さんが何を喋るのかにもよるけど、あんまり捻りは加えられそうにないわね」
「まさかオレたちはスピーチはないですよね」
「わかんないわよ〜」
「無理ですってそんなの。、頼む」
「なんでよ! 私だって無理!」

3人とも黙っていたが、心の中では「こういう時に夏川敬がいれば」と歯軋りをしていた。本人の性格もあるけれど、つまり夏川敬という人物はどんなときにも便利な人なのである。最近何かというとタカりまくっていると牧はもちろん、疫病神抜きでプチ旅行〜と浮かれていたメイさんもちょっと後悔している。

それから30分ほどで絹田さんが迎えにやって来て、一行は長い長い廊下を渡って屋敷の奥に位置する部屋に通された。白蝋館のダイニングルームはその内装から「大広間」なんていう言葉が似合ったけれど、それが白々しく感じるほど大きな和室だった。

そこにずらりと御膳が並んでいて、上座には床の間に掛け軸と日本刀という古式ゆかしい雰囲気。だが3人が勧められた席は末席に近く、メイさんはそれが気に入らないようだ。

「だってそうでしょ、こんな縁もゆかりもない内輪の席に向こうの希望で参加してやってんだから、それは普通『来賓』てことになるでしょうよ。こんな末席に座らせるくらいなら呼ばなきゃいいじゃないの。だから嫌なのよこういう身内の集まりって」

それをがまあまあと宥めている間、牧はちらりと目を動かして座を見渡してみた。上座の膳はふたつ。金剛氏とその婚約者の宝田真珠のものだろう。そのふたりはまだ着席していない。

上座に向かって左側はセミフォーマルといった雰囲気の男性が6人ほど並んでいて、見たところ式村の関係者だとか、役所勤めの人物のようだ。その向かいに琥珀さんが座っていて、面差しの似た男女が3人並んでいる。ということは、琥珀さんが言っていた妹弟なのだろうか。

そこから両側にやや年代の高い人々が並んでいて、まさに「親戚の集まり」といった様子だ。

「ねえ紳一、これなら早く終わるかもしれないね」
「メイさんのぶんを食べても足りないかもしれん」
「駅の近くで何か食べていかないと私もちょっと心配」

と顔を寄せ合って見下ろす膳には美しい日本料理が光り輝いているけれど、ほぼ野菜、そして量はほんのちょっぴり。参加者の年代が高いことを考えると、メインディッシュは酒なのかもしれない。事実今のところ飲酒が出来ない年代なのはと牧のふたりだけ。

そんな風に3人がソワソワしているので、絹田さんが傍らに着いていてくれて、金剛氏の様子によりけり、食事が一段落したら退席できるように琥珀さんから指示をもらっている、と囁いてきた。それでメイさんも納得。金剛氏は日野木あかりのことなど忘れているかもしれないし、末席なのは琥珀さんの気遣いだったらしい。

すると襖を勢いよく開ける音がして、一同は揃って頭を下げた。絹田さんなどほとんど土下座だ。3人は戸惑い、焦った。別に金剛氏は自分たちの上に存在する人物ではないし、そもそも彼に頼まれて来ているのだし、頭を下げるような関係ではないはずだ。だが全員が下げているので3人がとても目立つ。

だが金剛氏はそれを別段咎めることもなく、小柄な女性を引き連れて膳につくと、一同はサッと頭を上げた。無意味な緊張で3人は冷や汗が出てくる。早く帰りたい。

「いや、ご一同、本日はこのような席に集まってくれてありがとう」
「このたびはおめでとうございます」

琥珀さんの反対側、一番奥の初老の男性がそう声を上げると、また「おめでとうございます」の大合唱。

「既にご存知の方も多いと思うが、こちらが婚約者の宝田真珠さんだ。東京に本社を構える宝田トレーディング社長の御息女で、昨年まではそちらで父上の秘書をしていたのだが、結婚が決まってからは花嫁修業に邁進しておられる。入籍はもう少し先になるが、月末にはこの村に越してくるので、式村家当主の妻として支えてやってほしい。よろしく頼む」

再度全員頭を下げる。真珠さんは居心地が悪そうだが、さりとて頭を下げ返すつもりもないようだ。全員の頭が上がると金剛氏は立ち上がり、手にしたグラスを掲げて咳払いをする。

……この式村の地が生まれ変わって早数年、『紫黄村』を一大リゾートにするべく私は全てを捧げてきた。私が青年だった頃は、田舎の村など捨て置けばよい、ダムにでもしてしまえという御仁も多かった。そうして一斉に都会へ出ていき、大して稼げもしない仕事に就いて、都会人のふりをして小さな小屋に暮らしているだけの人のなんと多いことか。私は違った。都会を利用してやるのだと心に決めていた」

金剛氏は膳を離れてウロウロし始め、床の間の前を行ったり来たりしている。

「故郷に錦を飾るというが、そんなものは所詮個人の栄光に過ぎん。それをありがたがって拝む田舎者も性根が腐っとる。本当の意味で故郷に錦を飾るというのは、故郷に繁栄をもたらすことだ。皆、やりかたを間違えているのだ。その証拠にこの国の小さな村は続々と消滅していっている。だが紫黄村は違う。この村は都会人を利用して今後ますます栄えていくのだ。私はそのために粉骨砕身、働く所存である」

朗々と語る金剛氏をぼんやり見つめつつ、と牧は「なんでここにいるんだっけ」と思考が麻痺してきた。自分たちは利用されてのこのこやってきた都会人ということになるだろうし、それを招待しておいてこの演説はどういう意味なのか。いや、そもそも意味などあるのか。

だがまあ、この金剛氏のスピーチはつまり、「再婚という節目に改めて村の支配者が誰なのかを再認識させる」といった意味の方が強いようだ。金剛氏の血筋よりも、村の住民の方が繰り返し頭を下げるように頷いている。

ともあれ金剛氏は言いたいことを言い終わったようで、また咳払いを挟むとグラスを差し出した。

「ではこの村のますますの発展を願って、乾杯!」

乾杯の声の中、メイさんが小声で「婚約祝いじゃねえのかよ〜」と突っ込み、最近では滅多にお目にかからない瓶のオレンジジュースのと牧は俯いて肩を震わせた。そう、確か婚約パーティと聞いていたはずなのに。

しかしメイさんにスピーチを求める様子もないし、宴席の端に日野木あかりがいることも忘れているっぽいので、絹田さんの気遣いに礼を尽くして食事を終えたらさっさと帰ろう。そう思いながら3人が箸を取った、その時だった。上座の方から慌てたような声が聞こえてきたので、3人は手を止めて顔を上げた。

するとグラスを手にしたままの金剛氏が片手で胸のあたりの服を掴み、息も荒く肩を上下させている。

「ご当主、どうしました、大丈夫ですか」
「金剛さん、薬は? 琥珀さん、お水を」

初老の男性と真珠さんがそんなやりとりをしていたが、金剛氏はそれにも構わずに呻き始め、グラスを手から落とした。部屋にざわめきと緊張が走る。琥珀さんも腰を浮かせ、3人の背後にいた絹田さんも廊下を通ってすっ飛んでいった。

……どうしたのかしらね」
「真珠さんが薬って言ってるけど、お酒と一緒に飲んでいいのかな」
「なにかの発作だとしたら、アルコールと飲むのはまずいよな」
「持病のある人ってそういうとこ雑な人多いのよね〜」

などと気楽に見ていた3人だったのだが、そんなことも言っていられなくなった。苦しむ金剛氏はぜいぜい言いながら体を起こし、辺りを指差して睨みつけた。

「誰だっ、オレに毒を盛ったのは誰だ!!!」
「え!? 毒!?」
「お前か村長、え!?」
「違いますよ!」
「じゃあお前か!!!」
「違います、落ち着いてください、お薬を」

室内はにわかに騒然とし始め、牧はの傍らに移動して腰を浮かせていた。嫌な予感がする。

すると金剛氏は錯乱状態でよろめきながら、背後に置いてあった日本刀を持ち上げた。悲鳴がこだまする。

「オレのやってきた仕事に乗っかってきただけのくせに、オレのおかげでいい暮らしをしてきたくせに、大恩あるこのオレをハメようってのか、このクソ野郎どもめ、オレの金は渡さんぞ!!!」

喋るのですら苦しい様子の金剛氏は、日本刀を抜き放つとそのまま初老の男性に切りかかった。

次に隣にいた男性を突き刺す。

飛び散る血飛沫、逃げ惑う人々、悲鳴、金剛氏の唸り声。

それはほんの短い間の出来事だったけれど、やがて血塗れの金剛氏はどうと倒れ、何度か体を痙攣させると動かなくなった。悲鳴も止まり、大広間は耳に痛いほどの静寂に包まれる。誰もが自分の呼吸音と鼓動だけを耳に響かせていた。

メイさんを抱きしめるを抱きしめていた牧は、やけに冷える3月だというのに、頬に汗が伝うのを感じていた。両腕の中のとメイさんはそれがはっきりとわかるほどに震えている。

白蝋館や青糸島もそれなりに恐怖を感じたと思っていた。けれどこれはレベルが違う。

一体なんなんだこれ。なんでこんなもの見なきゃならないんだ。刀で斬りかかるって時代劇じゃあるまいし。

恐怖を押しのけようと最初に湧き上がってきたのは憤りだった。前の事件のような悲しみはもうない。

人はいつか勝手に死ぬのに、どうしてわざわざ殺さなきゃいけないんだよ。なんでいつも選択肢が死なんだ。

震えるとメイさんを強く抱きしめた牧の耳に、琥珀さんの声が聞こえてきた。

「親父……死んだのか? 本当に……?」

生気のない、作り物のような声だった。