青糸島の殺人

13

とうとう警察から厳しい言葉をかけられたようで、また犠牲者が出ましたと連絡をした敬さんは「本人が頑としてひとりになるんだと言って聞かなかったからですよ。それとも暴力的な手段で拘束すればよかったのにとでも言うつもりですか!?」と怒鳴っている。第三の被害者は、桑島さんだった。

だが、他でもない桑島さんが「次はオレだ」と言っていたこともあり、さくらさんを除く全員の視線が今度は紺野さんにチラチラと向けられることになった。だが3号棟だけでなく4号棟も全員夜はぐっすり眠り込んでおり、深夜の行動に関しては誰も何も証明できない状態だった。

さてその桑島さんだが、朝の集合時間に顔を見せなかったので、紺野さんが電話をかけてみたのだが、応じない。全員でコテージまで行ってみたが、反応もないし鍵もかかっている。さくらさんも姿を見せなかったのだが、山吹さんがメッセージを送ると簡単な返答があったので、生きているということにした。なので少し怖くなりながら本館に戻ってきたのだが、そこで紅子さんが悲鳴を上げた。

2号棟に向かう途中は気付かなかったのか、それとも全員が本館を後にした隙に行われたのか、桑島さんの遺体はダイニングのパーゴラの部分に逆さ吊りにされていた。今度は首に外傷があり、そこからまだ血が滴っていた。慌てたみどりさんが子どもたちを厨房の中に押し込め、泣き叫ぶ紅子さんと紺野さんを山吹さんがしぶしぶ宥め、牧が敬さんと一緒に桑島さんの様子を検めていたので、は墨田さんに付き添っていた。

なぜなら、桑島さんもまた胸に印を入れられ、赤い紐で吊るされていたからだ。

「なんで……なんでこんなこと……
「もう少しで助けが来ます。そうしたらきっと犯人も見つかって事件は解決します」
「はい、はい、そうですね……そうですよね……

不満そうな顔を隠しもしない山吹さんに宥められている紅子さんと紺野さんは、先程まで一緒に行動していた墨田さんを声を上げて嫌がった。おそらくみどりさんとは3号棟で一緒に過ごしている間に信頼感が芽生えたのだろうが、墨田さんは相変わらず青糸島出身の得体の知れない人物だ。

だが、コテージの出口に一番近いところで寝ていたは、誰もコテージを出なかったと考えている。もし玄関以外の、どこかの窓から外に出たとしても、この2日ばかりは窓を開けた瞬間強風の吹き込む大きな音がするので、こっそり出入りをするのは難しいはずだ。

なので現実的には不在証明が一切出来ないのはさくらさんだけとなったわけだが、は「それこそ無理がある」と考えた。

昨夜、墨田さんが早々に就寝し敬さんがシャワーに入っている間、山吹さんと喋っていたと牧は、彼から見てさくらさんは「昔の学級委員的な鬱陶しさと正義感が強くて、そのくせ小心者」で、何らかの事情により誰かに殺意を抱いたのだとしても「自分に犯罪者という肩書がつくことが許せない」タイプなので、実行しない人だと思うと聞かされていた。から見ても納得の人物像だと思った。

その上、この青糸島出張では同じコテージに宿泊せねばならず、シャワーなどのタイミングで「覗くなよ~?」と言われるのが何しろストレスだったと山吹さんは肩を落としていた。正義感は強くとも、自分の振る舞いに関しては考慮が足らないタイプでもあるらしい。

にも覚えがある。やたらと声が大きくて、仕切りたがりのクラスメイトがいた。だが、何か行動を起こさねばならない時になると何もせず、そのくせ自分が意思決定の輪から外されると機嫌が悪くなり、へそを曲げたまま誰かが声をかけてくれるのを待っていた。さくらさんはあれに似ている。

そんな風に自分の過去の体験に当てはめていくと、遠く未知の存在だと思っていた「大人」の輪郭が見えるような気がした。大人になれば分別がつき、理性的になり、真っ当な振る舞いが出来るようになるのだと思っていた。とんでもない誤解だった。人は子供のまま大人になる。自分の中の子供を黙らせ、隠し、大人になったふりをするのが上手になるだけだ。

今、の中の子供は、この事件の犯人に対する怒りで地団駄を踏んでいた。大好きな彼氏との旅行、大好きな友人である敬さんも一緒、美しい海とラクジュアリーなホテルで2泊3日、高校3年生の夏休みを光り輝く思い出にしてくれるはずの数日をブチ壊した犯人に対して、はかつてない怒りを感じていた。誰だか知らないけど全部台無しだよ。

そこに来てやっと、南雲志緒に対してどうしても拭いきれなかった同情心を捨てられるような気がしてきた。罪を憎んで人を憎まずとはよく言ったもので、今でも確かに南雲志緒の境遇には心が痛むし、彼女に対して怒りや憎しみは感じない。けれど、彼女が選んだ選択には今と同じ怒りが向く気がした。

志緒さんは間違ったことをした。志緒さんの選んだ決断はやっぱり許されないことだ。

だとしたら、南雲志緒や今回の事件の犯人を思いとどまらせるためには、どうすればよかったのか。白蝋館でその疑問を口にしたに、メイさんは、人を凶行に走らせるのは「スイッチ」が入るからだと言った。そしてそれを引き止める何かがあれば……と。

南雲志緒たちを止めることは、本当に出来なかったんだろうか?

その頃東京では、台風接近で頭痛がすると言ってベッドで二度寝をしていたメイさんが携帯の着信音にビビっていた。電話回線の方にかかってくる着信のほとんどが原稿の催促だからだ。しかしモニタを覗くと島さんだったので、安心して応じた――のだが、

「ええ~!? 紫苑さんまで!? どうなってるのよ!」
「いやオレに言われても困ります。おそらく明日か明後日の朝には報道が出ると思うので」

別に島さんは報道関係でもなんでもないのだが、何しろ若干テンションが上っており、うまくいけば今日中にも警察が島に上陸できるので、事件が世に知られるはずだという情報を仕入れてきたらしい。そうしたらなんとまた犠牲者が出たという話までついてきた。

ちゃんに連絡してみた?」
「一応。でも今忙しいからあとで連絡しますって来ただけで、情報はなし」
「まあ実際、大した情報はないと思うわよ……志緒の時だってそうだったものね」

どれだけ平静を装っていても疑心暗鬼になってしまうのは仕方ないし、その延長でつい誰が犯人なんだろうと思考してしまうのも無理はないのだが、白蝋館の事件同様、渦中の人々にとってそのヒントとなる情報はほとんどない。ましてや牧と敬さんが言い合ったように、探偵でもなければ、謎解きマニアでもない。吊るされた遺体を見てほんの数秒でトリックが解けてしまう人材はいない。

「青井さんひとりの段階では目撃者を消したものだとばかり思ってたんですが……
「確かにその時点では一番無理がなかったと思うわよ。でも……
「だって怨恨とか言い出すと本当に皆さん接点がないじゃないですか。結局無理がある」

現在青糸島に滞在している人々のバックグラウンドが全て明らかになっているわけではないが、それでも現地から報告された被害者3人には一見共通点が何もない。これまでも散々その点から推測をしてみたが、青井さんだけ、あるいはスーベニア組だけ、ならまだ話が通るが、この3人がセットになると事情に思い当たる人が出てこない。島さんのように怨恨説を放棄したくなってくる。

かといって現地の情報から考えても、「未確認の外部犯による無差別殺人」というのも説得力に欠ける。杉森藍と桑島紫苑の「装飾」も、いわゆる見立てなのか、何かを隠すための偽装なのか、もっと別の効果を狙ったものなのか、素人集団に判別がつくわけもない。

「それに、この一連の犯行が単独犯ならの話ですが、よくやりますよね、暴風雨の中を」
「紫苑さんかなり細身だけど、それだって一応大人の男性だしねえ」
「てか青井さん以外は実際の犯行現場ってどこなんでしょうね」
「そういうのが一見わからないほど、生々しい証拠もないものね」

特に杉森藍は目立つ外傷がないので、一体どうやって殺されたのかは素人にはわからない。プールに浮かんではいたけれど、他に犯行現場を疑うような場所もないし、実のところ、入れる場所もない。各コテージはもちろん、ホテル内のどの場所も施錠がされているからだ。

「まあ、何らかの方法で呼び出して外で殺害って考えるのが早いですけど、出てこないでしょ普通」
「それも謎よね。愛人の子も紫苑さんも、こんな状況で普通は単独行動しないと思うわよね」
「複数犯人説ってどうなんでしょう」
「ていうと?」
「青井さんはちょっと措くとして、杉森藍は桑島紫苑が殺した、とか」
「ええ~それはちょっと無理がないかしら~」

呻くように言うメイさんだが、島さんは遠慮せずに続ける。

「例えばの話ですよ。青井さんの件と、杉森藍と桑島紫苑の件はまったくの別件てことも考えられると思うんですよ。そうすれば3人に共通点がなくても問題がないし、事件そのものが根本から変わってくる。その線で追えれば、もしかして全て辻褄が合うのかなって」

だが、呻き声のメイさんは納得出来ないらしい。まだ呻いている。

「う~ん、それも理屈としてはわかるけど、紫苑さんてそういう人じゃないのよ~」
「見かけによらず優しい人なんですか」
「じゃなくて、ほんっと~に小物なのよ。お山の大将なの。弾みで殺すことも出来ないタイプよ」
「じゃあ過失で死んでしまった愛人を偽装してプールに浮かべるなんてことは……
「無理よ。何もせずに慌てて逃げ帰って誰かに罪をなすりつけるタイプだと思う」

技術者としての評価はともかく、人間としての評価はそこまでだとメイさんは断言した。実際職業人としての名声なども妻の方が高い。今度は島さんの方が唸る。

「まあね、志緒だって人を殴り殺すような人には見えなかったけど」
「そうなんですよね。実際続けて3人も殺すって体力的にも負担かかると思うし」
「今回の場合、最後が一番ハードなのも違和感あるわよね」
「人数が増えるだけしんどくなるはずです。精神的にも肉体的にも」
「どう思う、もし自分がやると想像して」
「いや正直ひとりでもキツいですよ。なのに男ふたりに女ひとり、それを物理的に――
「ちょ、ちょっと待った!」
「はい?」

また喋るスピードが上がっていた島さんは、メイさんの高い声に喉を詰まらせた。

「男ふたりに女ひとりって何? 女ふたりに男ひとりよ!?」
……はあ?」
「ちょっと待って誰を勘違いしてるの? もしかして支配人を男だと思ってたんじゃないでしょうね」
「えっ……?」

島さんのか細い声が、東京でもまだ強い風の音の中にかき消えていく。

「嘘でしょ、青井実は女の子よ!」

警察からは一箇所にいるようにと再三指導されたが、もはや後の祭りである。既にコテージで2晩も過ごしてしまった。最新の予測では今日の日没後くらいに風が弱まる見通しなので、状況が良好であれば翌朝を待たずに本土からヘリが飛んでくるかも、とのこと。

そういう事情だったので、桑島さんの遺体はビニールシートで四方を囲い、天井に当たる部分も覆い、誰も何も触らない状態で放置と決まった。ビニールシートはバタバタ音を立てて翻っていたが、それが吹き飛ぶほどの風ではなくなってきている。

なのでまた1日分の食事を用意してコテージに戻るだけだったのだが、さくらさんの絶叫がないのでパニックを起こせるようになった紅子さんと紺野さんが、が落ち着きすぎていると言って騒ぎはじめた。3人も殺されてるのに10代の女の子が悲鳴もあげないなんておかしい。

それはどう考えても白蝋館の経験があるからであり、かつ、今回のは恐れより怒りが強いので、泣いたり喚いたりしていなかっただけの話だ。あるいは今回もまた牧とふたり、お互いを信じて無事に生き延びようという信頼が何より心を強くしてくれるので、苦難に立ち向かう気力が萎えていない。

だが、泣き喚くふたりに白蝋館の話をまた繰り返す気力は湧いてこなかった。みどりさんも白蝋館事件については詳しく知らないと思われるが、うまくいけば今日中に助けが来るかもしれないという希望に、4号棟の5人はちょっと投げやりになってもいた。後のことは警察が来てからでいいよ、もう。

なので紅子さんと紺野さんには子供を連れて先にコテージに戻ってもらい、残った全員でまた食事の準備をし、3号棟とさくらさんが籠城している5号棟に届けると、昼頃になってようやく4号棟に戻ってきた。は正直、泣き喚く気力がないほど疲れていた。だが、やっと落ち着いて昼食にありついていると、携帯が喚き出した。よく見ると通知が大量に溜まっていた。

「メイさん島さん? 何かありまし――
「ちょっと聞いてよ! 島くんてば、青井のこと男だと思ってたのよ!」
「はあ?」
「だってしょうがないじゃないですか!」
「支配人イコール男性ってあんた、どういう思い込みよ! 昭和じゃあるまいし!」
「オレ、ホテルの支配人て菊島さんしか知らないんですよ!」
「ちょ、ちょっとふたりとも落ち着いて」

静かに食事をしていたというのに、の携帯からはメイさんの怒鳴り声と島さんの情けない声が交互に響く。山吹さんがまた不愉快そうな顔になってきたので、はモニタの向こうを宥めつつ、インカメラで牧と敬さんが入るよう調節し、箸も置いた。

「どういうことですか、青井さんが男性って」
「だから、この人私たちから話を聞いただけだから、あの子のこと男だと思ったらしいのよ」
「えっと……いやまあ確かに性別がどっちかだなんてことは……
「ほら、言わなかったでしょ!」
「あんたね、世にどれだけ女性の支配人がいると思ってるのよ! 推理する資格ないわよ!」
「だって、ちゃんも王子様っぽいとかかっこいいとか言ってたし!」

確かに言った。昨日言った。は顔を覆って項垂れる。島さんはメイさんと直接話しているし、その時に事件の概要は説明を受けているし、だからわざわざ性別まで確認を取るようなことはしなかったが、しかし。

「えーと、だからそれは、宝塚の男役っていうと言い過ぎですけど、ほら、青井さんて背が高くて、たぶん170cmくらいありますよね? それでお仕事で鍛えられてるから華奢な感じはなくて、ほんとにかっこいい感じなんですよ。前髪長めのショートボブで、アイドルみたいな感じって言えばいいのかな」

実際ホテル業務のほぼ全てを墨田さんとふたりで行っている青井さんの場合、重いものが持てないでは仕事にもならず、それを一日中なので体つきはしっかりしていて、姿勢もよく、シャープな輪郭と鼻筋と唇が誰に対しても「かっこいい人」という印象を抱かせていた。言うなれば「かっこいいお姉さん」だった、というところだろうか。

「それにお名前がミノルさんだから勘違いを……
「それはまあ、ちょっと不幸な事故ね。実際はミノリさんだから」

そもそも事件の一報をメイさんからのメールで受け取っていた島さんは「青井実 支配人」という文字を見ただけで男性を想像してしまい、しかし事件のことを掘り下げてもたちと話しても、青井さんの性別が問題になることもなかったので、ずっと男性だと思いこんでいた。

カッとなったメイさんがグループ通話をかけてきただけなので話はそれで終わったが、現場は連続殺人事件の真っ最中なので、気まずい空気が流れていた。

「私たちは実際に青井さんと接してるから何も疑問に思ってなかったけど……
「確かに青井さんはボーイッシュというか、中性的だからなあ」
「我々の制服も男女で違いがあるわけじゃないですしね」
「思い込みとか先入観て、ちょっと怖いですよね……

山吹さんが若干不機嫌そうなので、と敬さんと墨田さんは小声でそんなことを喋っていたのだが、淡々と白飯を口に運んでいた牧はテーブルの上のコテージのキーを見つめていた。かつてこの青糸島を埋め尽くしていたであろうタデアイから作られた藍で染められたストラップ、その青が牧の思考の中にひとしずく、波紋を広げ、の声をリフレインさせた。

思い込みとか先入観て、ちょっと怖い。

……もしかして、オレたちもずっと思い込みに縛られてたってことは、ないですか」
「どういうこと?」

白飯の残りをかき込んだ牧はそれを飲み下すまで顔を上げず、お茶で流し込んでやっとと敬さんの方を見た。もうすぐおさまるはずの風が窓にぶつかって大きな音を立てる。

「青井さん、本当に死んでたんでしょうか」