青糸島の殺人

8

案の定、「全員でラウンジに籠もる」と言う敬さんと、「冗談じゃないコテージに戻る」というスーベニア組がまず揉めた。状況の悪化を察したと牧はすぐに駆け出し、牧は墨田さんと共に敬さんに加勢、はさくらさんを誘導して紅子さんのケアを促した。

「どうしてあの子がこんな目に……真面目で誠実で働き者なのに……
「ご親戚なんでしょ、何かトラブルとか聞いたことありました?」
「まさか! そんなこと一度だって聞いたことなかったです。実家だって地味な田舎で」
「あら? この島の出身じゃないんですか?」

紅子さんが少々ヒステリックになっているので、が青糸島の説明を買って出た。青井さんは厳密にはこの島の出身ではない。そして日本が好景気に沸いていた頃に無人島だった時期がある。年代を考えると墨田さんもそれ以前に島を出て、戻ったのは最近ということになるだろう。

「まあそうよね、もし青井さんに恨みを持つ人物がいたとしても、こんな人の多い場所で密室殺人なんか企てないで、その辺の崖から突き落とせばいいだけだものね」

紅子さんの気管支が変な音を立てたので、は慌てて彼女の肩を抱いてさすった。さくらさんの言うことは最もだが、ショックを受けている紅子さんに向かって言うことではなかった。しかもそれに気付いていないようで、自分は読書家なので殺人事件のノンフィクションはいくつも読んだという話を喋り続けている。のため息が止まらない。

ため息のついでに辺りを見てみると、すみれはみどりさんにタブレットを貸してもらってゲームに興じている。蒼太もまた猫背で携帯。さくらさんの同僚の男性も体を屈めて忙しなく携帯をいじっている。携帯なんかいじってないでさくらさんを止めてよと思うが、彼も関わりたくないのかもしれない。

一方、敬さんvsスーベニア組は決着がつきそうにない。

「ですから、コテージでは安全が確保しきれないでしょう」
「それはどこにいても同じだろ。てかコテージの窓を全部塞いでくれ」
「無理ですよ。外壁には――
「中から打てばいいだろ。木材なんかその辺にいくらでも生えてるじゃないか」
「丸太でどうやって窓を塞ぐんですか。桑島さん、こんな事態なんですし、ご理解ください」

スーベニア組の桑島という男性はコテージに帰ると言って聞かない。安全の点からそれはやめてほしいと敬さんが言い続けているが、あれこれと難癖をつけてくる。牧もやはり白蝋館の夜を思い出していた。特に頓珍漢なことを言ってはトラブルを繰り返す春林という人物がいたが、どっちがマシかな……

しかし当然これは警察からの指示でもあるので、責任者を代行できる立場にある敬さんは絶対に譲らない。なので苛ついた桑島さんは突然身を翻すとラウンジの真ん中に立ち、柔らかい生地のショールを両腕に広げて声を荒らげた。

「あのな、安全安全て言うけど! どう考えてもこの中に殺人犯がいるんだよ。どこが安全だよ」

ラウンジは一瞬で静まり返り、みどりさんは焦ってすみれを抱き寄せた。はまたさくらさんが出しゃばるのではないかと背中が冷たくなったが、その前に敬さんがのそりと進み出る。

「ですから、例えその場合でも、全員で集まっていることが、必要不可欠なんです。我々はお互いを監視し合い、警察が到着するまでの間に、誰も何も出来ないよう、協力する義務があります」

敬さんも苛ついているのだろう、わざとらしく言葉を区切って説明する。本館はまさにただのホール で、カウンターとトイレがある程度。しかし全員が収容出来て、安全が確保出来て、どうしても使う必要のある厨房への出入りをも監視出来るのはこの本館しかない。万が一避難が必要になっても、すぐにホテルの敷地内から出られる。

だが何も桑島さんは敬さんの理屈が理解出来なくてゴネているわけではないので、意に介さない。

「だから何。オレたちは犯人じゃない。ここには初めて来たんだ」
……今ここにいる人のほとんどがそうですよ」
「だーかーら! だったらそれを除いた中に犯人がいるんだろ! あんたとか!」

桑島さんは敬さんをビシッと指差す。敬さんの後ろに控えていた牧はまたため息。こりゃ春林さん2号だな。だが、今回はそれよりも厄介なのである。気付いたらさくらさんが立ち上がっていた。

「でもそれおかしくないですか? だってもし私たちみたいな初めて来た客を除いたオーナーさんやスタッフさんが犯人だったとしたら、わざわざこんな風にみんなを集めて報告なんか必要ないでしょ? 支配人さんは具合が悪いとでも言って、海が荒れてるうちにこっそり遺体を処分すれば私たちはなーんも知らないまま、犯人も疑われない。だからオーナーさんたちの行動はそもそも犯人としてはおかしい」

理屈は間違っていないのだが、何しろ火に油。桑島さんの頬がひきつる。

「それに、この中で犯人の可能性が高いのはあなたたちでしょう!」

言っちゃった。

おそらく全員が昨夜の悶着を理由にスーベニア組……中でも桑島さんとプリンセス系の女性が一番怪しいと思っていたはずだが、だからといってそれを本人に面と向かって言うから余計な騒ぎになる。敬さんはお仕事用の顔を保っていられなくて、ポケットに手を突っ込み肩を落とした。

「橙山さん、そういうことを言い出すとキリが……
「はあ? 犯人の可能性が高いのはあの猫背のガキだろ!」
「はい!? 子供がそんなことするわけないでしょ!」
「子供? 昨日の夜中、『殺してやる』って言いながら歩いてたけどな!」
「そんなの嘘!!!」

まさかの事態に紅子さんまで突っ込んできた。と牧と敬さんは揃って顔を手で覆って呻いたが、3人とも経験上こうした言い合いは加熱する一方で決着がつかないと知っているので、放置も出来ない。牧が桑島さんとさくらさんの間に入り、が紅子さんを引き離すと敬さんが大きな声を出した。

「全員静かに! 犯人探しはオレたちがやることじゃない。疑心暗鬼になって不安なのはわかるが、今我々が目指さなきゃならないのは警察の到着まで全員無事でいること、島内ホテル内を現在の状態に保つこと、それだけだってことくらい理解してくれ!」

しかも高校生だというふたりに間に入られたので、桑島さんとさくらさんと紅子さんは気まずそうだ。もうオーナーとしての体裁を取り繕う気もない敬さんは一歩下がると、かったるそうに首筋を掻く。

「でも情報が少ないと苛立つ原因になるから、例のやつ念のためにやっとこうな。ちゃん、カウンターからなんか書くもの持ってきて、書き留めておいて。はい、ひとりずつ自己紹介ね。名前、住所、職業、とかそんなもんでいいから自己申告しますよ」

が墨田さんにメモとペンを借りると、敬さんはそれを見つつ、片手を上げる。

「はい、じゃあオレからね。夏川敬、東京在住、ここのオーナーだけど普段は会社経営、ここには休暇で静養に来てるだけ、支配人の青井さんはこのホテルを作るときに知人の紹介で知り合って、何度か会っただけ。この子たち以外は全員初対面」

のメモ取りは素早く、敬さんの喋る速度に着いてきているので牧もすかさず口を出す。

「僕は牧紳一、彼女が、神奈川在住の高校生です。ここへは夏川さんに招待してもらって初めて来ました。夏川さん以外、どなたとも面識はありません」

牧に出遅れたと思ったか、今度はさくらさんが食い気味に声を上げる。

「あたしは橙山さくら、旅レポサイトの編集兼ライター、ここには取材で。あっちが今回たまたま現場に出されたWebディレクターの山吹蓮。どっちも東京在住。このホテルは当然初めて。誰とも面識なし」

さくらさんが言い終わってもスーベニア組が黙っているので、紅子さんが怖々手を上げる。

「わた、私は笹原紅子で、娘のすみれと、元夫の甥の瓜生蒼太、です。静岡在住で、会社員です。あの、ここへは、支配人の青井が、親戚なので、でも、あの子とは全然会ってなくて、実は、16年ぶり、なんです。身内の、紹介で、お客さんが少なくて困ってるって、聞いたから。あと、青井とは親戚だけど、この島とは無関係、です。初めて、来ました」

紅子さんが言い終わってもまだスーベニア組が言い出しそうにないので、墨田さんが進み出る。

「あたしは墨田松五郎といいます。この島の出身ですが、何十年も離れていました」
「あっ、あたしは草山みどりって言います。向こうの港で生まれ育った、主婦です」

すみれを気遣い続けていたみどりさんが手を上げて早口で申告したので、残るはスーベニア組だけ。腕組みの敬さんが心持ち睨んでいるので耐えきれなくなったか、一番地味な装いの女性が立ち上がって進み出てきた。桑島さんは面白くなさそうに椅子に戻る。

「私たちは、東京でメイクアップアーティストをやっております。Souvenirという会社で、その休暇で来ています。彼が代表の桑島紫苑、隣が杉森藍、私が紺野早穂と言います。このホテルは知人の紹介で知りました。亡くなられたという支配人の方も含め、どなたとも面識はありません」

自己申告ではあるが、これで一応全員の身元が明らかになった。ので、敬さんの言う通りに全員がクールダウンしていた。だが、こうした状況で不安から犯人探しに走ってしまうことには嫌というほど覚えのある敬さんは、また手を挙げる。

「じゃ念のため、さっきの件ね。桑島さん、蒼太くんを見たんですか?」
……昨日の夜中。煙草吸いに外に出たら、本館の方から歩いてきたんだよ」
「何時頃でした?」
「正確なところは知らん。でもたぶん2時とか、そんなんで」

桑島さんが言うなり、敬さんのだるそうな表情が明るくなった。かすかに微笑んでいる。

「よかった。それなら彼が殺してやると思っていたのはオレのことだ」
「は?」
「昨夜、彼はちょっと『おイタ』をしたんで、オレが説教した。あんたが見たのはその帰りだよ」

紅子さんは複雑そうな顔をしていたが、事件を知るたちは納得して頷いた。敬さんが一対一で蒼太をビビらせ、効果があったと見て帰したのがちょうど2時頃にあたる。牧がちらりと目を向けると、蒼太はやはり背中を丸めている。聞こえているはずだが、何を考えているのやら。

「その『おイタ』については解決済みだし、それについて青井さんが叱ったとかでもないし、もし蒼太くんが昨夜の件で誰かを殺すとしたら、オレしかいないんだよ。だから彼は犯人ではないと思う。というか、正直、現場の状況から見て、素人には不可解なことが多過ぎる。あれこれ詮索しても何も解決しないってこと、わかってもらえないかな」

現場を目撃したと牧と墨田さんも頷く。ただでさえ異常事態なのだし、さらに混乱を招くようなことはするべきじゃない。桑島さんはまだ納得できないようだったが、さくらさんが大人しくしてるせいか、反論はなかった。

だが、今度はその桑島さんの隣に座っていた杉森さんが不服そうに息を吐いた。

「だからって、こんなところで寝泊まりなんかしたくないんですけど」
「あのねえ……
「別に、この中に犯人がいてもいなくても、何も変わんないでしょ」

呆れた敬さんの声に被せて、杉森さんは昨夜とは別人のような強い声を出した。

「つまり、密室なんでしょ。犯人は、見つかりたくないんでしょ? だったらあたしたちが全員大人しくしてたら、もう誰も殺したりなんかせずに、この島から逃げられるまで大人しくしてるはずでしょ。この中に支配人と特に接点のある人はいなかったし、だとしたら支配人と犯人だけの問題。あったとしても同僚のふたりか、オーナーくらいで、あたしたちは全くの無関係。こんなところに集まって犯人を無駄に刺激するより、コテージにいるべき。犯人がここにいる人を全員殺したいと思ってる異常者なら、今の時点で支配人ひとりで済んでるのもおかしい。はい、論破」

言い終わるとすぐに立ち上がり、みどりさんに向かって「コテージに食事届けて~。ブランチでいいから。お酒もよろしくね~」と言い捨てると、さっさと出ていってしまった。突然のことで全員がぽかんとしていると、桑島さんもその後を追って出ていってしまった。

……あれって、どっちが作ってるキャラなんですかね」
……紺野さん、我々は責任取れませんよ」
「はい、構いません。ですがその、万が一の時は、どうすれば」

紺野さんは少し納得できていない様子だったが、緊急時のために敬さん、みどりさんと電話番号を交換し、本館を出ていった。すると杉森さんの豹変に目を丸くしていたさくらさんが手を挙げた。

「んで~、どうするんですか。結局。ここで過ごす用意とか、必要ですよね?」
「ああ、そうだったね、ええと……
「橙山さん、オレもコテージ戻りますわ」
「は!? あんたねえ!」

敬さんが面倒くさそうに手を擦り合わせていると、さくらさんの同僚だという細身の男性がひょいと立ち上がった。細いだけでなく全体的に華奢で、肌は青白く真っ黒な髪は艷やかだが、長い前髪で目の表情が見えづらい。敬さんの頬がピクリとひきつる。

「ええと、山吹さんでしたか、状況はご理解いただいてますよね」
「ええ、はい。でも絶海の孤島で謎の連続殺人鬼とか非現実的にも程があります」
「いやまあ、そりゃそうなんですけどね」
「あと、申し訳ないんですが僕、子供の金切り声が耐えられないんです。HSPなので」
「またそれを持ち出す! 正式に診断を受けたわけじゃないくせに!」
「でも苦痛なことには変わらない。自己責任でコテージに戻らせてください」

山吹さんはさくらさんの声ですら苦痛な様子だ。メモを取り終わったと牧はそれを眺めつつ、無理もないと思った。さくらさんひとりでもしんどいのに、そこにヒステリックになりがちな紅子さんと、歌って踊って注目を浴びると金切り声が出るすみれまで増えてしまったら……

なのでは敬さんの後ろから声をかけてみた。

「敬さん、台風が近付いてきちゃったら結局避難所だし、今はいいんじゃないですか」
「うーん、それもそうなんだけど」
「ていうか、それぞれのコテージでみんなで過ごしませんか?」
「えっ、どういう……

はすかさずメモを取り出し、少しだけ笑顔を作った。

「これによると、青井さんと何らかの繋がりがあるのは敬さん、みどりさん、墨田さんだけなんです。ご親戚の紅子さんも16年ぶりだっていうし。だから、敬さんと墨田さん、私たちのコテージに来ませんか。みどりさんはよかったら紅子さんたちと一緒にいてください。そしたらあとは絶対に接点がなさそうなさくらさんと山吹さんだけ。おふたりは監視しなくてもいいんじゃないかなって」

自己申告上の接点に過ぎないけれど、昨夜の蒼太の件も含め、は残った全員を実に無難に「仕分け」した。さすがに3年間スポーツ強豪校でマネジメントをやって来ただけのことはある。結局さくらさんと離れられない山吹さんはがっかりしたような顔をしていたが、現状一番無理のない配置だ。

本館で全員と一緒にいなければならないことに一番ストレスを感じていたであろう敬さんが今にも泣きそうな顔で同意し、全員が納得できたので、まずはラウンジで食事を取ろうということになった。スーベニア組にも食事を運ばねばならないし、はみどりさんと墨田さんを促して厨房へ行き、敬さんはさくらさんをあしらいつつ、紅子さんたちにコテージを譲る相談をしていた。

なので牧はそっと山吹さんに近付くと声をかけた。

「山吹さん、もしキツかったらうちのコテージに来てください。一番近いので」
……助かります、ありがとう」

これでスーベニア組以外の全員が3つのコテージにまとめられた。しかもそのコテージは本館の南側に集まっているので、緊急時にも話が早い。というか牧はが全体の様子を見つつ、「一番トラブルを起こさない組み合わせ」を見抜いて声を上げたのだと気付き、それにひどく感心していた。

実のところ、青井さん殺害を前提に考えるなら、みどりさんを紅子さんと一緒にするべきではないのかもしれない。けれどみどりさんはすみれや蒼太を気にかけているようだし、紅子さんもみどりさん相手だと興奮しにくい。当の紅子さんも子供ふたりをひとりで守らねばならないよりは……と異論はなさそうなので、ひとまずみどりさんが容疑者になりえることは措いてもよさそうだ。

そこは不本意ながら杉森さんの言う通りで、犯人が不可能犯罪を演出した以上は、目的は無差別殺人ではないと考えられる。それにもし無差別殺人なのであれば、青井さんが姿を消してから事態が発覚するまでの間に、少なくとも墨田さんとみどりさんのどちらかだけでも手にかけることが出来たはずだ。

あるいはこうした状況を演出することで恐怖を煽り、その様を楽しみながら犯行を繰り返すのが目的ということも考えられるが、だとしたらなおさら、青井さんの部屋を厳重な密室にする理由がない。ドアに施錠はせず、一番最初に覗きに来るであろうみどりさんにけたたましい悲鳴を上げさせる方が効果的だ。さらに犯行を重ねたいなら敬さんも早めに始末するべきだし、そのあたりにまだ矛盾が見える。

また、牧や敬さんが懸念している「外部犯」の可能性についても、この偶然発生した悪天候や島の状況を考えると、細かなところで無理が生じてくる。白蝋館の時と違い、もしかしたら一晩では島を出られないかもしれない。今はとにかく少なくない人数で固まって安全に過ごすことが重要だ。

きっとはそう考えたに違いない。そして、疲れ切っている敬さんを気遣ったに違いない。牧は不意に彼女のパートナーであることが誇らしくなって、胸が疼いた。は大好きな彼女だが、それだけでなく、賢くて優しい素晴らしい人だ。

白蝋館の時は、どうしても拭えない不安感と傲慢な大人たちへの不快感で身を寄せ合っているしか出来なかったし、自分がを守らねばとばかり思っていたが、今回はふたりで協力して無事に島を出られると確信していた。とふたりなら出来る。敬さんはしょうがないから仲間に入れてあげる。

日常の思いよりも、ことさらに強く牧は思った。

と一緒でよかった。と特別な関係でいられて、本当によかった。