青糸島の殺人

10

〈 東京 〉

「もしもし、お久しぶり~」
「メール見ました。とんでもないことになりましたね」
……まあ、敬は過去に色々抱えてる人をほっとけないやつだからね」

たちとの通話を終えたメイさんは早速島さんにメールを送り、それを読んだ島さんは夕方頃になって電話をかけてきた。まだ退社前で、社にいる間に先に連絡を取った方がいいと考えたそうだ。

ちゃんと紳一くんは大丈夫なんですか」
「なんか大人よりよっぽど落ち着いてて、敬を支えてくれてる」
「ふたりがいてくれてよかったですね」

白蝋館に続き災難に巻き込まれ、しかも白蝋館より危険度が高い状況になっているが、と牧と敬さんが一緒であることにふたりはどこか安心していた。敬さんだけ、あるいはと牧だけなんていう状況だったらいてもたってもいられない。

現時点でわかっていることが少ないので、メイさんのメールは簡単だった。なので島さんはメモを取ると言いながら、事件についてを聞き直していく。

「まあ、そうですね。紳一くんの言うように、殺人鬼が潜伏してるってのは、突飛ですよね」
「かといって白蝋館の時と違って、なんだか怪しい人もいなくて」
……そうですか? オレたち、志緒さんのこと疑いもしてなかった」

そう、牧が悩んだように、「いかにも犯人に見える」なんていう印象はまったく当てにならない。島さんの言葉にメイさんはまた机に突っ伏した。すみれくらいなら容疑者候補から除外してもよさそうだが、可能不可能で言うなら蒼太も外せない。

「なるほど、わかりました。その旅情報サイトの方はオレが調べてみます」
「お願いね。私もちょっと心当たりをあたってみるから」
「あの、ちゃんと紳一くんは、いいですよね、除外で」

島さんの遠慮がちな声に、メイさんは遠慮なくため息をつく。

「そこが悩ましいところね。高校生だってことは根拠として弱い」
「白蝋館の時にある程度調べられてると思いますけど、あくまであの事件との関わりでしょうし」

白蝋館の事件では容疑者がすぐに全てを自供したので、大掛かりな捜査は必要なかったわけだが、念のため宿泊客と従業員全員が無関係であるか否かの裏取りは行われた……らしい。当然何も出てこないので、未成年のと牧含めそれぞれが事情聴取されただけで終わった。ので、白蝋館の事件においては全くのシロだが、かといって過去の何処かで青井さんとともに遺恨を抱かれたかもしれない可能性は残る。あるいは年齢を考えるとそれぞれの親が関係している可能性も。

「その方向で調べてみますか。確かふたりは全国区のバスケ強豪校に所属でしたよね」
「どうやって調べるのよ、そんなこと」
「知人にスポーツライターやってるやつがいるので、その伝手を辿ります」

まあ、高校生でも全国区の選手なら少なくとも過去3年間の軌跡は簡単に調べがつくか……とメイさんは鼻で笑った。真面目で誠実な年若い友人だと思っているけれど、わけても牧の方はちょっと特別な高校生だった。そんな子に「パンツにお金挟みたい」とか言って申し訳なかった。

それを思い出して気が緩んだか、メイさんはつい言ってしまった。

……ねえ、まだ志緒にへばりついてるの」

返事はない。

には何度かメールで報告を寄越していた島さんだが、彼は事件以来、その行方というよりは、白蝋館の殺人事件の犯人である南雲志緒に妙な執着を見せるようになった。それを柴さんも心配しているらしいのだが、元々多忙な幼馴染コンビなので、現在は放置状態のようだ。

それでも相棒の冬島が心配だとメイさんに相談を寄越した柴さんは、「あいつ、まるで志緒さんに恋してるみたいなんですよ」と呻いた。柴さんによると、島さんは10代の頃から他人に恋愛・性愛感情を持たない指向だと自認していたそうなのだが、事件以来すっかり南雲志緒に夢中になってしまい、長年の相棒の豹変に大変戸惑っていた様子だった。

メイさんはそれがずっと心に引っかかっていたようで、返事をしない島さんに静かに語りかけた。

「だってあなた、留置所、拘置所、どっちも頻繁に面会してるんでしょう」
「弁護士と、ご家族には許可を、もらってますよ。仕事じゃないし、差し入れとか、その程度で」

とは言うが、島さんの現状はほぼほぼ「南雲志緒の代理人」となっており、積極的に面会を申し込んでは、高校時代の同級生やら親戚やらに会いたがらない南雲志緒のメッセンジャーになっているという。他ならぬメイさんも一度手紙を届けてもらったことがある。

「見届けたいんですよ、ね。最後まで」
「志緒は全部自供してるし、東丸の遺族は沈黙を貫いてるし、結果は想像できる気がするけど」

一体、雪の洋館で殺人事件を起こした南雲志緒の行方は!? と熱狂するほどの難事件ではない。南雲志緒は反省をするつもりがないので、復讐という動機での犯行にどれだけの量刑が課されるかくらいしか見守る結論もない。南雲志緒の高校の同級生たちが減刑の署名を集めていたが、本人が拒否している。島さんがまた黙るので、メイさんは言う。

「島くん、あなたハイブリストフィリアなんじゃないの?」
「えっ……? ハイブ……
「犯罪者に惹かれてしまう人のことよ」

犯罪者に強い好意を持ってしまう、その代表例の多くは女性であるが、男性にまったく起こらないとも限らない。メイさんの耳に島さんの息遣いが聴こえてくる。動揺しているのかもしれない。

「思い返すと、あなた、白蝋館で事件が起こってから急に饒舌になってたわよね。だけど不安から早く犯人候補を絞り込んで安心したいっていう感じでもなかった。今にして思うと、少し興奮してたんじゃない? それと同じように、志緒にも惹かれている。あの子が犯人だとわかるまでは、そんな感情、一瞬たりとも感じたこと、なかったのに」

長い沈黙、やがて島さんは大きく息を吐き、か細い声で「そうかもしれません」と言った。

「正直、今でも性別やプロフィールに関わらず、他人に対してそういう興味を感じません。志緒さんを追ってるのも、最初は裁判を傍聴しようくらいの気持ちしかなかった。だけど、初めて面会した時に、目眩がするほど、その状況に気持ちよさを感じたのは事実です」

実際、島さんは生まれてこの方、ただの一度もときめきだの性的興奮だのを感じることなく生きてきた。なのでその「目眩がするほど気持ちいい」という感覚が何であるか、自分でもよくわからないのだという。ただその快感が忘れられず、気付くと南雲志緒を求めてしまっている。

……別にそれを否定はしないけど、志緒に変な期待は持たせないでよ」
「それは大丈夫ですよ、志緒さんが想っているのは亡くなった北峰さんだけだから」
「いいの、それで」

やっと島さんは鼻にかかった声で笑った。

「はい。たぶん、それもオレを惹きつける理由だと思うので」

普段動きっぱなしの墨田さんがどうにも落ち着かないようなので、牧が一緒にストレッチしないかと誘っていた横で、と敬さんはスヤスヤと昼寝をしていた。は単に寝不足、敬さんは酒がたっぷり入った上に低気圧で体に変調が出る体質だったらしい。

一緒にストレッチをして気が楽になったのか、墨田さんは牧のバスケットでの活躍を聞きたがり、と敬さんが寝ている間にふたりはじっくり話し合っていた。

そこにの携帯が鳴り出したのは、18時半頃だっただろうか。メイさんだった。

「一応調べがついたところだけ報告しようかと思って。まず青井さんのご家族だけど、やっぱり心当たりはないそうよ。ちょっと親御さんが動揺しちゃってて義理のお兄さんが対応してくれたんだけど、どうも青井さんとはあんまり仲が良くないみたいで……

親御さんの動揺は当然だ。だがメイさんの印象では、義兄は青井さんを厄介者のように言うとかで、たちは青井さんのパーソナルな部分で初めて問題らしい問題を耳にしたなと首を傾げた。墨田さんもそんな話は聞いたことがなかったらしい。かといって現在遠方にいるその義兄が事件に直接関われるとも思えないので、ひとまずスルーだ。

「それで例の親戚の笹原紅子と娘と元甥っ子なんだけど、ええとね、紅子さんは青井さんの母方の親戚で島とは無関係。学生時代に愛知にいたそうだけど、本当にその間だけで、また地元に戻って就職して、結婚して、離婚して今に至る……というくらいしかトピックもないって。離婚も元夫のハラスメントが原因のようだし、職場でも特に問題はないみたい」

なので東京のテレビ業界なんていうところで働いてた青井さんとは常に親しいというほどでもなく、子供の頃に冠婚葬祭で数回会ったことがある程度の親戚だった。それにしては青井さんのことを知り抜いているような口ぶりだったな……は思ったが、口は挟まないでおく。

「次にスーベニアなんだけど、何しろ今夏休み中で、なんとかひとり捕まえたはいいけど、私はほとんど面識のない人で……でもやっぱり青井さん個人とは特に接点がないってその人も言ってて、それにディレクターを辞めたのがもう何年も前でしょ。スーベニアの中では青井さんを知らない人の方が多いんじゃないかって。その人も名前を言っただけじゃ思い出せなかったし」

それも説得力がある気がした。メイさんがスーベニア組の紺野さんと面識を持ったのは青井さんがテレビの仕事を辞めたあとのことだったそうだし、もしかしたら青糸島に来ている3人は誰も青井さんが元アシスタントディレクターだったとは知らない可能性もある。

「あとは例の旅ブログのふたりね。で、ちょっといいかしら、そこは本人に説明してもらいたいの」
「本人?」

すると島さんがビデオ通話に混ざってきた。が歓声をあげる。

「皆さんお久しぶりです。大変なことになりましたね」
「まったくだよ。悪かったね、忙しいところ」
「いえいえ、お役に立てることがあってよかったです」

墨田さんとも軽く挨拶をした島さんは咳払いを挟むと、メモを横目で見つつ話しだした。

「ええと、その『にじいろ旅ログ』をやってる友明出版に知り合いがいたから聞いてみたんだけど、ライターの橙山って人の記事、けっこう人気みたいですよ。調べてもらったら本人の言う通り学生時代までは特に変わったこともなくて、20代の頃に始めた旅行記サイトがスタートで、その後ブログが流行した頃に乗り換えて、そこでかなりのPVを稼いでたようです」

穴場スポットや見過ごされがちな小さな宿が中心のブログだったが、当時のネット文化にありがちな悪ふざけ中心の記事はなく、女性の一人旅に必要な情報も網羅されているし、「おひとり様」が一般的になってきた時代背景にも後押しされてさくらさんのブログは安定した人気を保っていたそうだ。

「ブロガー当時、普段は埼玉にある会社で事務職、休みになると必ず旅行に行くから不在、って人だったらしいです。で、友明出版に声をかけられて退社、今に至る、と。以後はとにかく仕事のために全国を飛び回ってるから、埼玉の実家にはほとんど帰らず、「にじたび」の編集室に住んでるようなものみたいですね。帰ってきて記事書いたらまた出かける、ていう」

昨日今日と本人がちょっと厄介な人物であることを目の当たりにしているたちだが、これも本人の言うようにネガティブなことを極力書かない彼女の記事は相変わらず人気で、なんと自著が既に6冊も刊行されており、年内にまた1冊出るのだという。文章だけでは実際の人柄は伝わらない。

「で、今回現場に放り出されてる山吹蓮も都内の大学を出たあとに友明出版に就職、一応IT部の子みたいなんだけど、たまたまにじたびのWebディレクターも兼任してて、運の悪いことに現在のにじたびの責任者が昔気質の体育会系みたいな人で、お前みたいなモヤシはたまに現場に出ろって言われてたらしい。それは普通に社内で目撃者が何人もいたもんで、ちょっと問題なんじゃないかって賑わってるところみたいです。でも本当にそれだけで、いわゆる典型的なさとり世代の草食男子って人らしい」

友明出版はそれほど大きな出版社ではないので、島さんの知人もさくらさんとは普通に知り合い、飲みに行ったことも何度もあるそうで、山吹さんの人柄についても誰もが知る人物像という結果だった。

「だからといって過去に何かあって、その支配人さんを恨んでいたという可能性はなきにしもあらずだけど、ひとつに今回アルテア・ブルーを選んだのはその体育会系の編集長だったそうなので、あのふたりが計画的な犯行ってのがまずちょっと厳しいと思います。橙山さんのフットワークが軽いから、取材交渉が取れ次第、当日に行ってこいって言われることも珍しくないみたいだし」

当然ふたりともテレビ業界とは接点なし。そもそも友明出版がオーソドックスなカルチャー関連の書籍を多く扱っているので、テレビだけでなくマスメディアとはあまり縁がない出版社なのだそうだ。さくらさんと青井さんは年代が遠からずだが、大学も異なるし、学んでいた分野も全く違う。

ふぅ、と息を吐いた牧が身を乗り出して携帯を覗き込んだ。

「結局、宿泊客の中でこれという怪しいところがある人がいないんですね」
「そうなるね。ご本人を目の前にして失礼ですけど、あとはスタッフの方々くらいしか」
「それはオレがちゃんと確認済みだからなあ……

親戚と言いつつ16年も会っていなかった紅子さん、もしかしたら青井さんが元テレビ業界の人だとすら知らない可能性のあるスーベニア組、上司の命令で偶然アルテア・ブルーにやって来ていただけの旅レポサイト組。既にこの離島で数年間、墨田さんとみどりさんとしか接点もなかった青井さん。

「だけど紳一くん、僕も無差別殺人鬼が島に潜伏してるってのは、ちょっと無理があると思う」
「そう、ですよね……
「だから、逆じゃないかな」
「逆?」
「青井さんは、口封じで殺されてしまった」

やけに弾んだ声の島さんは、そう言ってビシッと指をさした。

「つまり、青井さんと犯人の間に確執とか怨恨なんかないんだよ。ただ青井さんは支配人としてホテルの中をどこでも歩くだろ。その時に何かまずいものを見てしまい、そしてそれに気付かれた。だから殺されてしまった。これなら敬さんだって容疑者です」

また酒を飲み始めた敬さんはむせそうになって口元を押さえた。まあ、そうなるよね……

「もしこれが正解なら犠牲者が増えることもないし、海が落ち着くのを待つだけ」
「そうであればいいんだけど……メイ、申し訳ないけど青井さんのご家族、頼んでいいか」
「それは任せておいて。義理のお兄さん態度悪いけど、窓口になってくれるらしいから」

話が一旦落ち着くと、墨田さんがさっきより落ち込んだ表情をし、がっくりと肩を落としていた。

「青井さんは、そんな理由で殺されちゃったかもしれんのですね」
「疑うわけじゃないですけど、どうでしたか、一緒に働いていて」
「あのー、言葉がうまくないもんで、間違ってるかもしれんのですが、かっこいい人でしたね」

別段、誰もが認める美形というわけでもないのだが、どうも青井さんは多くの人に「かっこいい」という感情を抱かせるらしい。墨田さんも真面目くさった顔でそう言い出した。画面の向こうでメイさんも頷いている。

「見た目がどうのってことでなくて、雰囲気っていうんですかねえ。爽やかで、背筋がまっすぐで」
「そういや昨日、ちゃんたちも王子様っぽいとかなんとか言ってたよな」
「なんか、少女漫画に出てくるキラキラ王子様みたいな雰囲気はあるなって」
「そんな人が、まだ若いのに、悲しいですよ。犯人が許せません」

しかし墨田さんはメイさんたちとの通話を終えても肩を落としたままで、敬さんが酒を勧めるも断り、夕食分の弁当を食べると、シャワーに入ってさっさとロフトに上がってしまった。まだ時間は早いが、先に寝ておけばいざという時に動けますからね、と申し訳なさそうに頭を下げていた。それを見送った牧はと敬さんに向かって声を潜めた。

「さっき色々聞いたんだけど、島を出て以来かなりあちこちを転々としたみたいで」
「そういや履歴書の職歴欄がほぼ埋まってたな」
「だけどそれを悔いてるようなところもあるみたいです」

ちらりとロフトを見上げた牧は、ため息まじりに言った。

「オレの推測ですけど、墨田さんはこのホテルを終の棲家だと思って働いてたんじゃないかって気がします。生まれ故郷だし、働きがいはあるし、自分でも役に立つし。だけどこの件でそれがダメになってしまうかもしれない。青井さんが亡くなったことよりも、そっちの方がショックなんじゃ、ないかって、そんな気がします」

墨田さんが実際にそう言ったわけではないので牧は言いづらそうだが、説得力のある推測だなとと敬さんは思った。墨田さんはますます容疑者のイメージからは遠ざかる。

……そうだな、墨田さんも、みどりさんも、青井さんも、ここは居場所だったんだ」
「みどりさんも……ですか?」
「そう。彼女は息子さんの嫁さんに邪険にされて家に居場所がないんだ」
……えーと、普通、逆ですよね?」
「まあな。嫁さん、すごく可愛いんだってよ。息子だけじゃなくて夫もそっちに夢中」
「そういうこともあるんですね……

姑にいびられた嫁が苦しんでいる、という話ならまだ高校3年生のでも聞いたことがあるけれど、その逆は初めて耳にした。だがそうするとスタッフ3人にとってこのアルテア・ブルーという場所は自分たちが考えるより聖域だったのではと思えてくる。

だとすると、島さんの言う「何かを目撃して殺された」説が正しいのだろうか。

「オレはさ、そういう人たちに、働いてほしかったんだよ。どこでも誰とでもうまくやれるような人は、オレが雇う必要ないだろ。もうどこにも行くところがないっていう人の、居場所になりたかったんだけど、間違ってたのかなあ……

酔っ払っているとはいえ、敬さんの本音だったのだろう。と牧はグラスを片手に肩を落とす敬さんの背中にそっと手をあて、

「間違ってるわけないじゃないですか。そういう敬さんが好きです」
「そうですよ、オレが将来バスケ出来なくなったら仕事世話してもらわないと」

優しい笑顔のとは違い、これでもかというほど真顔の牧がそう言うと、敬さんは嬉しそうに目を細めてふたりを抱き寄せた。外は変わらず強い風が吹き荒れていたけれど、コテージの中は静かで、そしてゆったりと時間が流れていた。まるで青井さんの事件など幻だったかのように。