青糸島の殺人

9

ちゃ~ん」
「敬さん、気持ちはわかりますがハグは程々にしてください」
「じゃあ紳一くんがハグして。オレ今人生で一番参ってるかもしれない」
「いいでしょう、さあどうぞ」
「あっ、ちょ、苦し、胸筋固、ギブギブ」

牧と敬さんがじゃれているので、は墨田さんを促してソファに腰掛け、お茶を用意した。コテージでの巣ごもりと決まったので、各コテージそれぞれワゴンに目一杯飲み物やら食べ物を詰め込んで運んできた。予定では今日はもうどのコテージも原則外出禁止ということにしてある。

「お客様、そんなことはあたしがやりますから」
「こんな時なので、お客とかそういうの、ナシにしませんか」
「はあ、そうですか、恐れ入ります」

各コテージの造りはほぼ同じで、どこも最大5名まで利用が可能。メインの部屋にキングサイズベッドがあり、ロフトにシングルベッドがふたつ、別途エキストラベッドをひとつ追加することが可能。なので寝具のみ倉庫から引っ張り出し、墨田さんは就寝が早いのでロフトに、敬さんはと牧と離れたくないらしく、ソファで休む予定。

そしてみどりさんの高速調理により、各コテージは昼も夜もしっかり加熱した食品やそれらを詰めた弁当で済ますことになった。なので現在本館と厨房も厳重に施錠されていて、万が一それらを使用しなければならないことになれば全員集合という取り決めをした。

スーベニア組もコテージにいて構わないことに安心したのか、昼と夜が弁当ということには文句を言わなかった。その代わり一晩では飲みきれないほどの酒を玄関先に置いてきたので、泥酔して寝ていてくれれば言うことなし。明日のことは明日の空模様を見てから考える。

「お嬢様はさん、でしたか」
「おっ、お嬢様とかやめてください。って言います」
「はあ、すみません、じゃあさん、本当にあたしが混じってよかったんですか」

墨田さんはそもそも自分の部屋があるので、それぞれが籠もるならそこでいいのに……と考えていた。だが隣の部屋は事件現場だし、敬さんにひとりにならない方がいいと説得されて、かなり古びたリュックサックに当座の私物を詰め込んでコテージにやってきた。

青井さんとは一番長く一緒にいた人物だし、この青糸島にも詳しいし、年齢にしては体力がありすぎるし、確かに墨田さんは犯人としての条件に多く当てはまる。だが、は「それが逆に犯人だとは思えない」と考えた。

「だってもし墨田さんが青井さんを殺したかったとしても、今やる必要ないじゃないですか」
「ま、まあそうなんですが」
「本当は全員で一緒の方がいいと思います。でも今回は長くなりそうだし……
「今回は?」

墨田さんがきょとんとした顔をするので、もエッと首を伸ばした。

「あの……ええと、オーナーと私たちの話、聞いてませんか?」
「お話……ですか、秋名様のご紹介というくらいしか」
「そうだったんですか……敬さん、話してなかったんですか」
「昨日まではただの客とスタッフだもん、そんなことわざわざ」

聞けば墨田さんは私用の携帯も持っておらず、業務中はスタッフ用のスマホを持たされてはいるが通話以外の使い方はわからず、自室にテレビやラジオはなく、アルテア・ブルーは新聞のサービスがないためそれもなく、なんとこの数年一度もニュースに相当するものを見聞きしたことがないのだという。なので白蝋館の事件も知らず、敬さんは休暇で来ているだけのオーナーだとしか思っていなかった。

「そうですか……そんなことがあったんですか」
「で、その雪に閉ざされた洋館の事件を解決したのが、この牧紳一くん」
「そんな大袈裟なことでは……。敬さん、余計なこと言わないでください」
「いやあ、やっぱりあなた様方は立派な青年なんですなあ」

のんびり話をしていたら昼が近くなってきたので、弁当を食べながら白蝋館の顛末を聞いていた墨田さんは感心しきりだ。がいくら言ってもすぐ敬語に戻ってしまうし、なんだかやたらと3人を褒め称えたり敬うようなことを言い出す。自身の祖父と同年代なのでと牧はどうにも居心地が悪い。

「いやいや、あんた様たちのお祖父さんに比べたらあたしなんか。この島の分校でちょっとばかしお勉強しただけですからね。そのあとは島を出て誰でも出来るような仕事しかしてきませんでしたし。そこで覚えたことが今なんとか役立ってる程度ですから」

しかし青井さん亡き今、この島について一番詳しいのは墨田さんだ。みどりさんも避難所については熟知していても、そもそもは対岸の港町の住民。牧は話が途切れたのでそれを聞いてみることにした。

「墨田と青井ですか、はあ、そうですね、北と南の集落に分かれてまして」
「間にあの山があるし、簡単に行き来するのは難しいんですよね?」
「ここで暮らしてた人なら、そう難しいことじゃありません。子供の足でも30分もあれば充分です」
「もし僕が山越えをしようとしたら、どうなると思います?」
「うーん、昔と違って道が見えないですからね。危険ですよ」

墨田さんが子供の頃、北と南を行き来するためには、傾斜の緩い場所を簡単に切り開いた山道を通る必要があった。南側の真ん中辺りから山に入り、島の西側を回って北の墨田系集落の近くに出る。舗装はもちろん柵もなく、住民が踏み固めて作ったような道は現在周囲の草木が伸び放題で、見たところとても道には見えない状態だという。

「でも墨田さん北側にはよく行ってるんですよね?」
「ええ、向こうも荒れ放題なので、どうにも忍びなくて。千草の方は近寄りませんけど……
「千草?」
「いえその、墨田と青井の他に、千草っていう小さい集落が北と南にありまして、はい」
「最近北側で変わったこととか、ありましたか?」
「まさか。ちょっと目を離すと草ぼうぼうになるだけの、荒れ地です」

3人の視線が集中するので、緊張した面持ちの墨田さんは肩を竦めて手を振った。時間が空いたときに行っては草刈りをするけれど、次に行くとほとんど元通りできりがない……と苦笑いだ。

それを聞きつつ、牧は未だ自分たちが姿も知らぬ「外部犯」はやはり難しいのではないかと考えていた。島の北側なら隠れ潜むのに最適かと思ったのだが、墨田さんは元地元民で健脚だから空き時間にフラリと北側まで行けるのであって、どれだけ体力があり運動に長けていても、草木が生い茂る夜明け前の山道にいきなり踏み込んで正確に何往復もするには、それなりの回数を練習しないと難しいはずだ。

あるいは小型のボートやジェットスキーのような乗り物があって、それで北と南を行き来しているとしたら、ひとまず現在は身動きが取れないはずだ。もしまだ南側に潜んでいるならそのボートやらを隠せないし、北側に隠れているならしばらくは南側にはやって来られない。

「なるほど、そういう乗り物ですか、確かにそれなら島では可能かと思いますが……
「島では?」
「港から出るときに目立つでしょう」
「離れた場所から出発すれば……
「それは無理でしょうね。あの港は片側は断崖絶壁、もう片方は線路と岩礁、難しいです」

なるほど……と牧は口元に手を当てて頷いた。島を小型の乗り物で移動するとしたら、まず港から誰にも目撃されないように出発する必要がある。が、連絡船や商店の都合などもあり、港は人の目が切れない。突然見慣れない人物が見慣れない乗り物など運び込んでくれば、必ず誰かに目撃される。

ということで島の周囲を海上移動する外部犯の線は薄くなってきた。とするとやはり既にこの島に上陸している人物であることは確定か。かといって現在ホテルに滞在している客は全員連絡船で海を渡って来ているし、連絡船の乗客から消えた人もいない。

「それもちょっと難しいですねえ。連絡船を逃すと島に上陸出来ませんから、港には毎日乗船予定の人数は報せてあるんです。足りなければ少し待ったり、ホテルに確認の電話が来ますんで、こっそり乗り込んで……なんてことをすれば目立ちます。帰る時も同じです。それにだいたいいつも港に戻る船にはみどりさんが乗るので、いきなり人が増えてたりしたら必ずわかります」

島での潜伏はもちろん、そもそも港と島の間を移動するのですら、隠れて行うのは難しい。あとは敬さんのように金に物を言わせて港の誰かを雇い、目立たない時間帯に船を出してもらうしかないが、それも墨田さんは否定する。ホテルと島の発展はやがて港の発展にもつながる事業なので、不審者を島に送るような人物は考えにくいとのこと。それが明るみになり土地を追われても生きていけるくらいの超大金を積まれたなら別だが、現実的ではない。

仮に青糸島の再開発を良く思わない人物がいたとして、それを阻止したいのだとしても、青井さんひとりを葬ったところで無意味だ。その方向なのであれば、青井さんと一緒に敬さんが始末されていなければ推理としては成立しない。

牧はまた口元を指で擦りつつ、あまり考えたくない可能性を無視できなくなってきた。

「私たちの中の誰かが、って考えたくなるよね」
「まあ、そう。どんどん外部犯の可能性が潰れていくから」

若者ふたりと酒飲みがいるので、特にこのコテージのワゴンは食べ物飲み物が目一杯詰まっていて、その上さらに墨田さんが倉庫から酒のストックを運んできてくれたので、リビングのテーブルはさながらビュッフェレストランのようだ。牧はが差し出してくれるウーロン茶を啜りつつ、つい眉間にしわを寄せた。ホテル内に犯人がいると考える方が簡単だ。

「ただそうすると、杉森さんが言うように怨恨の可能性が高くなると思うし、オレたちが過去に何かとんでもないことをやらかしてない限り、無差別の外部犯より安全て気がするけどな」

昼食もそこそこに早くも酒を飲み始めた敬さんも眉間にしわ。それも一理だろうが、怨恨か無差別かはあくまでも推測でしかないので、根拠には乏しい。

「殺人を犯すのに性別は関係ないですけど、誰にしても単独行動が難しいし」
「ギリ蒼太って可能性もゼロじゃないけど、無差別にやろうとしても紳一くんには負けるしな」
「何か罠を仕掛けるなりしないと難しいでしょうねえ、紳一くんは立派な体格ですし」

墨田さんもやっとにこやかな表情だが、牧はまだ得体の知れない犯人像が薄気味悪い。白蝋館の時もやはり外部犯は難しく、宿泊客とスタッフの中に犯人がいることはほぼ間違いないと思われたけれど、それにしても体の大きな男性が何人もいたので、そういう意味での恐怖感は少なかった。ひとりになりさえしなければ危険もなかったし、結局犯人は女性で、第二の犯行を現地で繰り返すつもりもなかった。

するとそこに敬さんの携帯が鳴り出した。敬さんはすみれも含めた全員と電話番号を交換していて、何かあれば敬さんの携帯に連絡することになっている……ので、すぐに覗き込んだが、敬さんは肩を落として「メイだ」とため息をついた。そしてメイさんとの長電話で通話中になるわけにはいかないので、一方的に切った後ににかけ直させた。

「ねえちょっと台風大丈夫なの~!? こっちも既に風が強くって~! 美晴の洗濯物が――
「メイさん、ごめんね、ちょっと怖いこと言っていい?」
「えっ、なによ、真剣なちゃんの方が怖いんだけど。精神安定剤飲んでいい?」

真剣なが怖いというメイさんに、牧と敬さんは俯いて肩を震わせた。それだけ白蝋館のはムードメーカーでもあった。慌てて薬を飲んでいるが、たぶん手遅れ。

「実は、支配人の青井さんが亡くなってたんです」
……うそでしょ」
「いえもしかしたら生きてた可能性もあると思うんですが、救助が呼べないので……

から事のあらましを聞かされたメイさんは机だかテーブルの上に突っ伏して呻いた。元はと言えば青井さんはメイさんの知人なのだし、かといってどういう関係だったのかは知らないので、誰も声をかけられなかった。やがてのろのろと顔を上げたメイさんは見るも無惨なしょんぼり顔になっていた。

「あの子は、苦労した子なのよ。身内の不幸で落ち込んだ時期もあったんだけど、自分のルーツである島を生き返らせることを人生の目標にしてた。亡くした人の面影を島に見ていたのか、本当にホテルに入れ込んでたのよ。それなのに……

に促された墨田さんが顔を出し、最近もずっとそうだったと証言した。

「あたしと青井さんは、墨田と青井という違いはありましたが、その『島を生き返らせたい』って気持ちはまったくおんなじでした。朝から晩まで働いてても、それを苦に感じたことなんかなかったですよ。それに青井さんは恨みを買うような人じゃなかったです」

しかし実際青井さんは凄惨な状態で倒れていたし、敬さんも身を乗り出して本当に青井さんには恨みを買うような過去がなかったかと問いかけた。

「そこはあたしもプライベートな付き合いは少なかったから何とも言えないけど……あの子、身内を亡くすまではテレビドラマのアシスタントディレクターをやってたのよ。将来的には映画を撮りたいと考えてたみたいで、それにはテレビドラマの監督になって、劇場版を手掛けるようになれればと思ってたみたいだったの。だけど身内を亡くしたのがかなり堪えちゃって……

メイさんの知り合いなのだから考えられない経歴ではないのだが、あの実直そうな青井さんからは少しばかり想像しにくい過去で、と牧は目を丸くしていた。淡々とホテル業務をこなしていた青井さんはとてもクリエイティブな職業の人に見えなくて……

「だからドラマの現場でどういうことがあったかとか、そういうことは私も全部把握してるわけじゃないのよ。直接関わった仕事も実は2度しかなくて、だけど悪い噂だとか、陰口なんか聞いたことはなかったわよ。敬に紹介した頃は実家で腐ってた時期だし、AD時代の怨恨って時間が経ちすぎてないかしら」

しかし白蝋館の事件は実に十数年越しの復讐だった。時間は言い訳になるだろうか。

「うーん、だけどホテルの客に当時の関係者がいるとかでもないでしょう?」
「えーと確か、メイクアップアーティストとかいう、スーベニアっていう」
「あら、紫苑さんたち来てるの。そう……まあでも直接の知り合いではないはずよ」

メイさんがスーベニア組……というか実際にはアルテア・ブルーは紺野さんに紹介しただけで、桑島さんとは何年も話していないし、彼らが島に来ていることも知らなかったようだ。

「あとはお身内の方だったっけ?」
「身内と言っても、会うのは10年以上ぶりみたいだけど……あとは旅レポサイトのライターさんとか」
「うーん、ちょっと調べてもらいましょうか」
「えっ、誰に?」
「島くん」
「えっ、島さん!?」

懐かしい名前が出てきたのではつい弾んだ声を上げた。だが島さんは別に警察関係でも調査関係でもなくマスコミ関係でもなく……

「そう、ただの業界機関誌の編集。だけどほら、あの子、志緒の件を追ってるでしょう」

島さんは白蝋館の件以来、プライベートでその後を追いかけていて、志緒さんとも度々面会をしているらしい。そのせいで最近はフリーランスのジャーナリストじみてきたとメイさんは言う。

「紫苑さんたちのことは私が調べてみるわね」
「ホテルのスタッフはそもそも開業の時に済んでるしな」

なのでひとまず、メイさんが事件を報告がてら青井さんの実家に連絡を入れ、ついでに紅子さんたちを調べ、スーベニア組を調べ、旅レポサイトコンビは島さんに調べてもらうことになった。

「自己申告なんか信用なんないけど、敬、あんた自分のことは自分で話しなさいよ」
「はいはい。全員無事に生きて島を出られるように祈っててくれ」
「そういう縁起でもないこと言うんじゃないわよ!」

既にほろ酔いの敬さんの軽口に怒鳴るメイさんの声の余韻を残して電話は切れた。

すると基本自分からは発言をしない墨田さんが、ぼそりと呟いた。

「青井さんは恨まれるような人じゃなかったですよ。だけど、この島にいる誰かに、なんか理由があって殺されたって、思ってらっしゃるんですね、皆様方は」

一瞬背筋がひやりとしただったが、墨田さんのため息は落胆であり悲嘆であり、わずかに丸めた背中は初めて彼を年相応の人物に見せた。それを見ることもなくグラスを傾けた敬さんは唇についたウィスキーの雫を指で払うと、

「我々の知ってる青井さんが、青井さんの全てだとは、限らないですからね……

そう言って窓の外を見ていた。