青糸島の殺人

12

「疫病神」
「そっちこそ」
「いやそっちだ」
「ふたりともいい加減にして。すみません山吹さん」
「いいえ、ここは静かで快適なので泣きそうです」

4号棟は全員がリビングに落ち着くなり、敬さんと牧が「疫病神」と言い合いはじめた。

「いや、疫病神は紳一くんの方に決まってる。名探偵はそういう運命にあるんだから」
「オレは名探偵じゃないです。バスケ選手です」
「名探偵のほとんどは本業を持ってるんだから名探偵バスケ選手でもおかしくないだろ」
「敬さんがこのホテルを選んだんだから敬さんが疫病神に決まってるでしょう」

ふたりはまだグズグズ言い合いをしているが、さくらさんの絶叫やすみれの金切り声がないので山吹さんはむしろ微笑みすら湛えた表情でお茶を飲んでいる。改めて全ての窓と玄関を施錠した4号棟だが、相変わらずの強風で唸るような音と木々のざわめきで小さな音は聞こえない。

そして山吹さんは疫病神と名探偵の話が見えないので、また白蝋館の話をする羽目になった。

「それは……ちょっとどっちもどっちですね……ダブルで疫病神なんじゃないですか」
「君もけっこう言うね」
「ああいう人と組まされて仕事してたら自然とそうなります」

典型的なさとり世代の草食男子だと聞かされていたので、山吹さんのドライな物言いにたちはちょっと驚いていた。こうでもしないとさくらさんに対抗できないというのはよく分かるが、なかなかに気の強い御仁なのかもしれない。

「で、どうする」
「メイさんに報告した方がよくないですか」
「気が重い……
「私がやるからいいですよ。でも敬さん、少しお酒減らしてくださいね」
ちゃんどうしたの急に……
「敬さん、普段はこれが普通」
「嘘お」

仰け反る敬さんお構いなしではメイさんに電話をかける。メイさんは相変わらず仕事中のようで、ボサボサ頭にTシャツ姿、額に冷却シートが張り付いていた。

「ちょっと、連絡寄越す1時間前に教えなさいよ。精神安定剤が間に合わないじゃないの」
「そんなことしてる暇なかったんだもん。言っていいですか」
「いいわよ、今度は何よ」
「今度は杉森さんです」
……えっ? 杉森って紫苑さんの愛人の子よね?」
「愛人だったんですか……

真面目なの話は精神的に負担が大きいと言っていたメイさんだったが、青井さんの時と比べてショックが少ないようだ。眼鏡の向こうの目が真ん丸になっていたが、から説明を受けるとすぐに顔を逸らして口元に手を当て、うーんと唸っている。

「そう、なるほど……。あの子はそう、公然の不倫相手なのよ。紫苑さん奥さんいるもの」
「そういうのってコッソリやるもんなんじゃないんですか」
「まあスーベニアの社員旅行だと言えば紫苑さん以外全員女性の会社だし……

メイさんによれば桑島紫苑は既婚者で、妻も美容関係の仕事をしているが、その妻の方が大きな事業を手掛けている実業家で年商年収も桁違い、忙しいのですれ違いの仮面夫婦状態で、バレようもなければ、おそらくバレても大した問題にはならないと思われる、とのこと。

「でも紫苑さんて才能のある女性を見抜く目を持ってるのよね。一緒に行ってる紺野さんもそうだし、他にも優秀な美容家やアーティストを駆け出しの頃から捕まえてる人だった。だけどその愛人の子だけは平凡というか……まあただの彼女なんだと思うわよ」

スーベニアはメイクアップアーティストの会社、くらいの認識しかないたちだったのだが、ファッション関係に限らず、桑島さんの言うようにテレビドラマだったり映画だったり、様々なシーンで活躍するアーティストを多く抱えているのだそうだ。ちなみに紺野さんは音楽関係のツアーなどが専門。

「でも桑島さんは杉森さんもテレビドラマのスタッフだったって」
「それは紫苑さんが何度かねじ込んだだけの話。今はどうだったのかしら、聞かないけど」

それにメイさんが知る限り、青井さんが制作に参加していた作品に杉森藍が加わっていたという記憶はないという。青井さんはテレビドラマ専任のスタッフだったけれど、杉森藍はたまたま彼氏がコネで取ってきてくれた仕事でドラマ制作に関わったことがある程度なのだそうだ。

「杉森さんだけでなく、青井さんと共通のお知り合いとか、そういうの本当にないんですか?」
「えーとね、それは何人もいると思うわよ。紫苑さんがそもそもテレビ系強い人だし」
「でも青井さんと杉森さん両方に恨みを持つとなると……
「接点がなさすぎるのよ。ドラマって言ったって、大きな現場なら何十人もスタッフがいるんだし」

現時点で被害者ふたりを一番よく知るメイさんですら思い当たることがないほど、青井実と杉森藍には共通点がない。杉森藍の身内には警察から報告が行っていると見て、メイさんはスーベニアの中でも信頼できる人物に報告がてら話を聞いてみると言って電話は切れた。

すると携帯を操作しつつ、山吹さんが突っ込んできた。

「犯人探しはしないんじゃないんですか?」
……気になりませんか、事件のこと」
「警察が来るまで何もしない、そう言ったのはあなたでしょう」

が突っつかれているというのに牧が口を出さないので、敬さんがちょっと体を起こしたのだが、当の牧がそれを止めた。は怯んでいない。落ち着いてゆっくり語りかける。

「全員で集まって『お前が怪しい!』って犯人探しをするのは無意味だと思います。白蝋館の時もそうでした。みんな誰かを犯人にしたくてイライラして、疑心暗鬼になって、結局それが身勝手な行動をさせる手助けになってた。だけど事件に関わることに理解を深めることは、自分たちが安全で適切な行動をするのに役立つと思います。どう思いますか?」

また目を丸くしている敬さんの横で、牧はその大きな手でにやけてしまう口元を覆い隠していた。どうしよう、オレの彼女すっげえかっこいい。が素晴らしいマネージャーだってことは知っていたつもりだったけれど、自分はまだ彼女の本当の凄さを知らないのかもしれない。

彼女の言葉で幸せに悶絶している牧の視線の中、山吹さんは表情ひとつ変えずに頷き、納得したようだった。彼もを攻撃するつもりなどなく、気になったから言ってみただけ、そもそも愛想のいい話し方が出来る人ではなかった、というだけのことだったようだ。

なので牧は咳払いをしてニヤニヤを飲み込むと、身を乗り出して墨田さんの方を見た。

「墨田さん、それで、あの赤い紐と胸元のマークって」
「さっき皆さんの前で話した通りなんですが……
「つまり、この島には被差別民がいて、被差別集落があった、ということですか?」

墨田さんはお茶を含むと、体を縮めて頷いた。

「そうです。でも、あたしがこの島を出たのは昭和39年で、東京オリンピックがあった年と言えば、どれだけ古いかわかるでしょう。皆さん誰ひとりとして生まれてませんからね。あたしの記憶はそこまでですが、その頃には千草に住んでた人は少なかったはずですよ。千草の子供もちゃんと分校に通ってたし、昔のような差別があったかどうかは怪しいと思います」

分校を卒業した直後に本土で就職をし、以来里帰りもしないまま島が無人島になってしまったので、墨田さんの記憶は本当に昭和39年で止まっているわけだが、少なくとも当時の千草の子供は墨田や青井と区別されることなく暮らしていたのかもしれない。

「それよりも、さっきあの女性に指摘された方が問題でしたね」
「指摘……さくらさんの言ってたことですか? 不仲だったっていう」
「そうです。不仲とかいうもんじゃありませんでした。お互い憎み合ってた」

これには山吹さんも顔を上げて驚いていた。それじゃ疑われてもしょうがないじゃん……

「あ、誤解せんでくださいね。あたしは15で島を出てますし、青井さんは島の生まれ育ちじゃないですし、そういうこの島の因縁なんかは大人になってから知ったりで、実感はないんです。この島で最後に亡くなった島民があたしの伯父なんですが、そういう、生まれてから死ぬまでこの島からほとんど出ずに過ごしたような人は、まだこだわってましたね」

しかもその因縁の起源は推定で数百年以上遡り、確実な史料もなく、墨田や青井の家に、それぞれ微妙に食い違う言い伝えが残っている程度、それだけを拠り所に島の南北に分かれた人々は憎み合い、それだけでは満足せずに千草まで作り出し、やがて衰退していった。納得の無人島であろう。

「障がいと言っても、昔のことですからね。生まれつき目が悪いだの耳が聞こえんだの、あるいは指が欠けてるだの、その程度のことでも千草に追いやられたそうです。そういう子を生んだ親ともども集落を追い出され、障がいのある本人はもちろん、親やきょうだいもあの印と手足に赤い紐を結ばされました。それを解いたことがバレたら一家全員海に投げ落とされたとかいう話もありましたけど、子供を怖がらせて叱るための作り話だったかもしれませんし、本当のところはわからんのです」

紐、というワードには顔を上げ手を挙げた。そういえば……

「確かこの島って、青い紐が縁結びの印でしたよね?」
「よくご存知ですねえ。タデアイの島ですから、赤より青が上級なんですよ」
……むしろ赤は卑しいものの印だった、とか」
「ええ、ええ、さんは賢い方ですね。そうなんですよ。赤なんです。赤は忌み色なんです」

障がい者差別という現実的な問題だった「印」だが、ここに来て墨田さんの声は少々オカルトじみてきた。真夏の湿度と台風接近の曇天、そしてエアコンで冷えた空気がより恐怖感を煽り、静かに拝聴している4人の喉がごくりと鳴った。

「ある、言い伝えがあるんです。赤が忌み色になった、きっかけの事件が」

墨田さんはテーブルの上をじっと見つめながら膝のあたりで手を組み、ため息交じりに話しだした。

「いつの頃なんでしょうねえ、あたしは江戸時代とかなんじゃないかと思うんですけど、千草がまだなかった頃、墨田と青井は既に仲が悪くて、そんな時に、盲目の兄を持つ女性と、島の有力者の息子が恋に落ちたそうなんです。当然許されるはずのない関係でした」

この話は、墨田では青井で起こったこと、青井では墨田で起こったこと、と伝わっているそうで、真相は闇の中、そして実際に起こった事件そのものなのかもはっきりしないそうだ。

「ふたりとも幼馴染だったもんで決意は固く、島の反対側に逃げたそうなんです。だけどそっちでも『穢れを持ち込んだ』として迫害を受けた。いよいよ後がなくなったふたりは思い詰めていて、それに責任を感じた盲目の兄が『自分が全ての業を引き受けて海に身を捧げるので、どうか妹はそれで清められたと思って結婚を許してやってほしい』と本当に海に身を投げてしまったそうなんですが、そうしたら今度はその遺体を島のどこで引き上げるかで大喧嘩になった」

なんとも胸糞の悪い話だが、それで終わらなかった。墨田さんが聞かされたということは青井の話として伝わっているその伝承は、結局全ての穢れは向こうのせいであると主張するものにすり替わっていたようだ。なのでまだ凄惨な物語が続く。

「そしたら今度は息子を失ったおっかさんが取り乱して、まあ当時の年寄りは気が狂ったんじゃ、なんて言いましたけど、そんな風に暴れたもんで、勢い崖から突き落とされた。それを見てしまった娘とその恋人は絶望し、赤い紐で互いを固く結びつけ、結局ふたりも海に身を投げたそうなんです。母親と息子と娘、そしてその恋人の遺体は島のどこにも流れ着かず、ずっと島の周りをぐるぐる回っていたのだとか。以来この島ではお祝いは青色になり、障がい者を持つ家族は千草に追い出し、赤は不吉な色になったとか、まあそう伝わっていました。分校の運動会も紅白じゃなくて青と白でやるんですよ」

島の文化として近代まで「青がハレ、赤がケガレ」の風習が残ったということは、墨田さんが聞かされた言い伝えは基本的には事実と考えた方がいいのかもしれない。ただそれが細部まで真実であったかどうかは定かではないし、問題は今になってその千草の印が杉森藍に現れてしまったということだ。

「だけど……それが青井さんに施されてたんならわかるけど、杉森さんだろ」
「そうですよね。青井さんが赤い紐で縛られてたら墨田さんが一番怪しいってことになるけど」
「杉森さんと青井さんが逆なら話はもっと単純で済むのに……

敬さんと牧とは揃って唸る。

青井さんが千草の印を与えられて殺されていたら真っ先に墨田さんが容疑者になり、あるいは念のためみどりさんも容疑者にするくらいで済んだはずだ。けれど青井さんは手を加えられた様子はなく、逆に杉森藍はわかりやすい外傷がなく装飾の方が目立った。

「実は杉森さんがこの島の関係者だってことはない……ですよね」
「そしたらあたしが犯人で確定ですねえ」

ぼそりと呟いた牧に、墨田さんは相好を崩して頬を掻いた。気付いてすみませんと言った牧だったが、墨田さんは手を振ってそれを止めた。

「いえいえ、そういうつもりじゃないんです。すみませんと言わなきゃいけないのはあたしの方ですかね、どうも。こんな時に不謹慎なことですけど、皆さんは本当に立派な方々だなあと思いましてね、まるであたしも皆さんのお仲間に入れてもらってるみたいで、それがこそばゆくてね」

普段よりもたくさん喋ったのではずみがついたのだろうか、墨田さんは聞いてもいないことを言ってゆったりと笑顔を浮かべている。ぎこちない笑顔だが、まるで邪気のない、子供のような表情だった。

……墨田さんて、いつもそれ言いますよね。立派とか、そういう」
「だってそうでしょう、あたしなんかこの島の分校でちょこっとお勉強しただけですからね」

昨日一緒にストレッチをしながらあれこれと話した牧は、その時のことを思い出していた。墨田さんに他意はないだろう。古い時代のことで、小さな島から突然本土に放り出された墨田さんはずっと自己否定を余儀なくされてきたはずだ。それがつい言葉に出るのだろうが……

「青井さんだってそうです。お身内を亡くされたからって、テレビの仕事なんて凄いものを投げ出して島にホテルを建てようなんて、なかなか出来ることじゃありません。あたしが面接に来た時も、まさか島の出身者が来てくれるとは思ってなかった、って喜んで、その場で採用してくれたんですよ」

その時のことを思い出したのか、敬さんもお茶を飲みつつ頷いた。

「そうそう、島の出身者が来たって青井さんすごく喜んでたんだよな。みどりさんは元々目をつけてた人材だったし、墨田さんごめんね、一応履歴書からザッと身元調査みたいなのはしたんだけど、別に何も出てこなかったから」

だが、そこで山吹さんが首を傾げた。

「あの~、自分は人事の仕事とかよく知らないんですけど、身元調査って全員やるんですか?」
「新卒ではやらないかな。まず問題は出て来ないし」
「じゃあ中途ならやるとか、そういうことですか?」
「それも程度によりけり。墨田さんは職歴欄が激しかったから、念のためにやっただけ」
「職歴欄が激しい?」
「えーと」
「あはは、オーナー、あたしなら大丈夫ですよ」

どうも山吹さんは「行間を読む」ようなことが苦手なようで、言葉を濁す敬さんを質問攻めにしている。と牧もその行間の全てに察しがつくわけじゃないが、敬さんが問題ないと判断したなら間違いない、と敬さんへの信頼で気にならないだけだ。

「墨田さんが島を出てからの職歴が転職だらけで、ちょっとばかり反社会的な匂いのする時期もあったから、それで調査したんだよ。当時オレは墨田さんに会ったことなかったし、青井さんとも数回って程度。青井さんの方はメイが身元保証人ってことで納得出来るけど、見知らぬ人だったからね」

それに、対するみどりさんはどこをどう調べても対岸の港付近から出たことのない人生という人だったので、アルテア・ブルーの雇用に関しては墨田さんひとりを調査するだけで済んだ。反社会的な匂いのする時期、というのも実際に墨田さんがそうした勢力に関わっていた事実はなく、単に流転の人生だった。それが島に戻りたいと聞いて敬さんも納得、かつていがみ合っていた青井と墨田が協力して島を蘇らせるというストーリーはいつかホテルにとってもプラスになると思えた。

「だからこそ、杉森さんがあんな状態になってても、オレは墨田さんとみどりさんは疑ってないんだよ。どっちも青井さんとはホテルの面接で初対面、以後もある程度定期的にヒアリングは行ってきたけど、3人とも口を開けば『客が少ない』しか言わなくて、なんなら墨田さんなんか『暇だ』とか『この程度の仕事でこんな高給はだめです』とかアホなこと言い出すし」

急にふざける敬さんに全員が勢いよく吹き出した。無表情かしかめっ面しか出したことのない山吹さんまで笑っている。だが、そもそも敬さんはこうした余裕を感じさせる人物のはずだった。それが白蝋館に続き2度目のクローズド・サークルで参ってしまっているが、元の敬さんが少し顔を覗かせたようで、と牧はそれだけで気持ちが楽になった。

「だってそうでしょう、お客様が一組しかいない日なんかあたしはやることなくて」
「あのね墨田さん、一般的にあなたの年代はそんなに体力ないんですよ」
「だからって動けるんだからしょうがないじゃないですか」
「毎日5時間くらいしか寝てなくて1日中動き回っててなんで体壊さないの」
「まあオーナーみたいに酒は飲みませんね、とりあえず」

と牧は大爆笑。

「なあ墨田さん、事件が片付いたら、またホテルやり直しましょうね」
……はい、出来ることなら」
「なんとかしましょう。オレもここをなくしたくない」

に酒を控えろとお茶を飲まされている敬さんはしかし、アルコールが抜けているだけではない真剣な目をしていた。またも自分の関わるホテルで起こった事件に気力の全てを持っていかれていたのだろうが、何かを思い出しのかもしれない。もっと大切な何かを。

だが、そんな決意も虚しく、翌朝のホテルにまた悲鳴がこだました。