どうしてわたしなんかがいいの

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9月、冷たい雨の中を、はレインブーツでのろのろと歩いていた。

晴れていれば残暑が厳しい9月にしては冷える朝、そこそこ激しい雨、生理中で体調は最悪、気圧のせいか頭痛もする。朝食は食べられなかった。体調不良に頭は空腹を忘れているんじゃないかと思えるくらい、腹も減らない。なので昼食は無理矢理カップスープを飲み干した。おかげで胸焼けがする。

気分も晴れない。それは生理だからというより、もうずっと気持ちが落ち込んでいる。春に満開の桜を見ても気分なんか上がらなかったし、祖父母と母と久しぶりに日帰り旅行に行っても心から楽しめなかった。食事の量は減り、睡眠時間は増え、なのに痩せもしない。

雨の夜に煌々と光を放つ自販機が目に入り、は足を止めた。

気持ちが落ち込んでいるのは「あの子」のせいでもある。努力家のキャプテン、神宗一郎くん。

3月末、進学で家を出るからと律儀に挨拶をしに来た彼と、両手を繋ぐ形で握手をした。その手が触れた瞬間、は彼が心の内に抱いているものに気付いた。絡みつく指先、手のひらの緊張、そこには隠しきれない「思慕」があった。

瞬間、彼との1年間の全てを後悔した。

10歳も年下の高校生を惑わせるようなことをしてしまった。いつからこんな感情を抱いていたんだろう、大変なことをしてしまった。私が親しげに挨拶したり友達みたいに馴れ馴れしくしたりしなければ、彼はそんな感情を知ることはなかったはずだ。

私なんかに心惹かれている時間があるなら、同じ学校の女の子と高校生らしい恋を出来たはずだ。

なのに、彼の人生からその機会を奪ってしまった。

真っ黒な絶望を背中に感じたは、何かを言おうとした彼を遮り、しんみりとした別れを茶化してその場を誤魔化した。絶対言わせてはならない。この子のためにも、この子の親しい人たちのためにも、私なんか絶対にダメ。

の拒絶を察した神くんはひどく傷付いた表情をしていた。考えたくないが、長く片思いをしていたのかもしれない。進学で育った町を離れる、その最後に思いの丈を打ち明けようとでも思ったのかもしれなかった。それを言う前に拒絶されれば、そりゃあ傷付くだろう。失恋だ。

その苦痛を思うと胸が痛む。表現ではなくて、本当に胸にズキンと痛みが走る。

湘南での生活は、まるで楽園にいるかのようだった。

何か脳内に快感物質が溢れていたのではないかと思うほど、湘南での日々は気持ちがよかった。それを一年やったことでは「ハイ」になっていたのだ。少なくとも現在のは湘南での自分をそう解釈している。ゆるやかに輝く日々に酔ったは、毎朝顔を合わせる純真な高校生に「余計なこと」をした。そして神くんは余計なことに惑わされて私なんかに恋心を抱いてしまった。

神くんは「お気に入りの子」だった。

通りすがりに挨拶をしてきた人に立ち止まって挨拶を返し、応援の声をかけられればペコリと頭を下げる。そんな高校生、自分が高校生の時には見たことがなかった。過去の自分や友人たちを思い返しても、そんな礼儀正しいことが出来る人はいなかった。

さらに聞けば有名なバスケットの名門校でキャプテンをしていて、なのに余程の悪天候でもない限り、暑くても寒くても汗をかくほどの走り込みを欠かさない子だった。礼儀正しいだけでなくて努力家、そして困っている人には進んで手を差し伸べ、それを特別なこととも思っておらず、称賛も欲しくないなんていう、ちょっと出来すぎた感じもしたが、素直で真面目な「いい子」だった。

自分の高校時代を思い出すと顔から火が出そうだった。特には祖父母と生活をしていたので、服装や化粧や言葉遣い、立ち振舞いには同い年の友達より厳しい監視があった。それを鬱陶しく思い、友達の家に泊まりに行くと嘘をつき、派手なメイクに露出度の高い服で夜遊びをしたこともある。

そんな過去を思うと、神くんに対しては尊敬の気持ちも強かった。なぜそれほどひたむきに努力が出来るんだろう、誘惑はどこにでも落ちているのに、どうしてそこまで真面目に生きられるんだろう。きっとこういう人が日本代表とか何とか、「一角の人物」ってやつになれるんだろう。そう思った。

なので彼にあやかりたい気持ちが出てきてしまい、深入りをした。そして、そんな立派な人物である神くんに親切にしたり労いをすることで、または快感を得ていた。

若者を支援する出来た大人という自分に酔った。

本音を言えば、ガキっぽい反抗心なんかさっさと卒業して真剣に人生を生きているクリーンでクレバーでクールな神くんへの嫉妬と羨望があった。私はとてもあんな高尚な高校生ではいられなかった。そんな自分には後悔もある。高校時代の夜遊び写真は正直見るに耐えない。下手くそで濃いだけの下品なメイク、わざとらしく肌を出し、セックスアピールをしたくて仕方ないって顔をしてる。

が無意味な夜遊びを卒業したのは、世の男の子たちにそのセックスアピールが通じなかったことと、就職して夜遊びが特別なことではなくなってしまったからだった。スリルもない、彼氏も出来ない、仕事を始めたらそれは子供の遊びではなくなって、普通の大人の夜でしかなくった。

だからこそバカなことをしたと後悔がある。夜遅くに帰宅し、自分を寝ずに待っていた祖母が「体でも心でも、若い時に傷を負うと一生苦しいのよ」と心配してくれたときの後ろめたさ、息苦しさは今でも覚えている。祖母は子供のくせに夜遊びなんかしやがってと言う人ではなかったが、何しろ性犯罪の被害に遭うのではと心配しまくっていた。

幸か不幸かのセックスアピールは的外れで男の子には縁がなく、例の元彼に出会うまで恋愛経験もなかった。なので祖母の心配は杞憂だったわけだが、身の丈に合った高校生をやれていたら、祖母を心配させない穏やかな恋愛が出来たのかもしれないという未練はあった。

そんな自分の10代への恥ずかしさ、未練、そして神くんへの嫉妬と羨望。それが混ざりあって自虐となり、神くんに余計なお世話をすることで「立派な若者に粋な計らいをする素敵な大人」である自分に酔っていた。自分はダメ人間だけど、若者をバカにしたり見下したりせずに手を差し伸べている。

それが気持ちよくて止まらなくなった。

亀田さんのチョコレートなんか、きっちり半分に分けて渡せばいいだけのはずだったのに、食事会って、バカじゃないの。食事会は想定外の「その場のノリ」だったけど、チョコレートを一緒に食べない? と誘うだけのつもりだった時も、行きつけのカフェでちょっとリッチなラテを用意して神くんに振る舞ってあげようと思っていた。

食事会になってしまった後も、最初は食事を全部自分で作ろうと思っていた。当時はひと手間中毒の真っ最中、ストックしておいたレシピを眺めながら、高校生の男の子ってどういうご飯が好きなんだろうと考えるのは楽しかった。

だが、投稿レシピのキャプションに「高校生の息子に好評」というフレーズを見つけたは途端に恥ずかしくなってしまった。神くんにはご家族があり親御さんもいて、実家暮らしの高校生の彼は基本的には毎日そういう保護者の方が作ったご飯を食べているはずだ。どういうわけだか彼のことは手作り料理に飢えてるひとり暮らしの若者だと思いこんでしまっていた。

食事会のラインナップが極端な「近所で済ませました」という品揃えだったのは、手作りしようと張り切っていた自分を誤魔化すためだった。ちょっとしたご縁でしかないお友達には、この程度でなければ。神くんをおもてなしするのには、こういうラインナップで済ませるのがむしろ気遣いなのだから。

自販機の明かりを凝視していたは無意識にスポドリのボタンを押していた。神くんにスポドリを買ってあげる気遣いの出来る自分、大人だなあ。当時そんなことは欠片ほども思っていなかったけれど、今思い返すとそんなところだ。嫉妬で若者に意地悪をしない、それが大人。

潮風薫る湘南で慎ましくもひと手間かけた丁寧な暮らしをしている私はマジで最高だったの。

あの2年間は幻覚かなんかだったんじゃないかな。

神くんも作り物みたいだったし、夢だったんじゃないかな。

神くんが傷付いた顔をして立ち去った数日後、にはまた異動の辞令が下りた。たったひとりで営業所長を務めたことが評価されて、東京に戻れることになったよ、と弾んだ声の元上司がいち早く電話を寄越した。しかも本社勤務、高卒の営業所事務が大出世だと彼ははしゃいでいた。

もはや快楽に等しかった湘南暮らし終了の鐘が鳴った瞬間だった。

湘南を去ることがこんなにつらいとは……とむしろ驚きながら、は淡々と荷造りをし、誰に見送られることもなく東京に戻ってきた。祖父母は実家に戻っていいよと言ってくれたが、自転車で15分通勤に慣れきった体に満員電車で1時間以上は耐えられそうもなかった。

新たに構えた新居は通勤時間を極力短く抑えられる場所であることを最優先し、湘南とは打って変わって冷たい雰囲気の町に落ち着いた。これまでは優しい色合いのアパート暮らしだったのだが、とうとうオートロックにラウンジ付きのマンションである。ちょっと家賃は高いが補助もあるので気にしない。また引っ越し手当も出たので遠慮なく家具家電類を一新した。

湘南にいるころは、夜に窓を開けて風にそよぐ木の音を聞いているのが好きだった。だが、マンションの6階にそんな音は聞こえて来ない。小鳥のさえずりも聞こえない。稀に遠くカラスの鳴き声が聞こえるだけだ。雨には金属の匂いしかしないし、洗濯物からは日干しの芳しい匂いが消えた。

たった2年では湘南の暮らしにどっぷりと浸かり、結果それまでの26年間を生きてきた東京の町に暮らすのが息苦しくなってしまった。

本社勤務の方も、ひとりで営業所務めをしたことが評価されているという話だったはずだが、「まだ若いのに厳しくてパートやアルバイトの人たちに鬼所長って言われてたらしい」という噂が蔓延していた。事実無根の言いがかりだと腹が立ったが、それが一緒に働いていたかけもちの営業さんたちからの情報だと知ると、怒る気力もなくしてしまった。そんな陰口叩いてたわけね、あの人たち。

確かに、パートとアルバイトの中に、営業所の自販機の裏でタバコを吸ってはその場に捨てていってしまう人がいて、それを再三注意はした。倉庫の中に私物を置きっぱなしにする人や、預けるところがないと言ってペットや子供をに預けようとする人もいた。それはもちろん断った。思い当たるのはそのくらいだ。きっと今頃あの営業所はそういうことが全部「なあなあ」になっているんだろう。

幸い本社勤務になっても仕事自体は問題なくこなせていて、遠い上司からの評価は悪くなさそうだ。だが、直接関わることが多い同僚の中には、高卒で営業所事務だったのに所長に抜擢のちに本社勤務という華麗なるステップアップを気味悪がっているような人が多かった。

確かに人手不足だったけどなんでさんなんだろうな。特に仕事が出来る感じでもないし、顔で勝ち取ったってタイプでもなさそうだし、体で取り入ったとか。それこそ無理じゃない? なんか顔光ってるけど、地雷女っぽさもあるよな。あ、わかる~。

聞こえてこなくても耳に入るそんな下品な噂話にも怒る気にはならなかった。怒るのも疲れる。

仕事は問題ないけれど、仕事を辞めたくなってきた。は梅雨入りしたあたりからそんなことを思い始め、以来実家へ顔を出す回数が増えた。週末になると帰り、祖母の手料理を食べ、18歳になる飼い猫と戯れ、そして日曜の夜にマンションに戻る。

祖母はが疲れているのを見抜き、いつも手作りの惣菜を持たせてくれた。数日はそれで食べ、なくなると買ったり外食で済ませ、また週末になると実家に帰る。それでなんとか生きている。

東京にも春はあり梅雨も来て夏は暑かったけれど、毎日がどんよりしている。は無気力になり、無感動になり、日々を退屈と感じるようになっていた。ひと手間は疲れるし、自炊はもっと疲れるし、掃除も洗濯もギリギリにならないとやる気が起こらない。

湘南にいる頃に比べると格段に増えた残業、好きなドラマを見ている時だけは少し安らげたが、あんなに輝いていたの毎日は無味乾燥した苦痛の繰り返しになり、仕事を辞めたいが辞めたところで何も展望はなく、退職と再就職をするのも面倒くさかった。

宝くじ当たらないかな。10億くらい当たったら仕事を辞めて湘南に家を買って、もう一度自分を作り直したい。勉強して知見を広め、もう一回自分の人生の舵取りを仕切り直したい。

そしていつか人生を共に出来るパートナーに出会えたら。

そう、宝くじはもちろん、働く旦那にかわいい子供、新築一戸建て住みの専業主婦なんて、そんな贅沢な夢は求めないから、信頼出来る人と静かに暮らしたい。

繰り返すが仕事は悪くない。そこそこ満足してると言っていい。年を重ねるとともに評価を得て昇進したいとかいう願望はない。けれど、本社勤務になった途端おでこのあたりに「高卒」というシールを貼られ、たかが急ごしらえの小さな営業所でのんびり役目を果たしていた程度のことも嫉妬に晒される原因になった。怒りよりも落胆よりも、呆れた。

そういえば、と思い出す。自分が最初に勤めた営業所ではほとんどが高卒、ないしは専門卒だった。対する本社は高卒への風当たりの強さを考えると大卒の方が多いんだろう。

バカみたい。今どき大卒くらいでステータスに感じてるなんて、くだらない。

はまさに叩き上げ、この会社に勤続10年超であり、現場と本社の繋ぎになり実際の業務の管理を全て把握しているプロだ。それが都心の本社から出て来もしない連中に見下されるなんていう、そんな話、古臭いドラマにしか存在しないと思ってたのに。あんたら各営業所がなかったら仕事にならないでしょうよ。誰があんたらの稼ぎを取ってきてると思ってんの。

一口に東京と言っても、が育ったのは素朴な町で、住宅の隙間には緑も多く、古くて大きな家も多いが、都会っぽさは微塵も感じない土地だった。そんなのは駅前にちょっとあるだけ。そしてみんな23区内に仕事や学校があり、毎朝大移動をしていた。にとってはそんな暮らしの方が東京という感じがする。都心に近付けば近付くほど全てが濁り、腐臭を放つような気がしてきた。

だが、無気力に陥っていたに一念発起する意欲はなく、毎日毎朝会社を辞めたいと思いながら黙々と生きていた。20代の過ぎ去る速度は異常だと聞いていたが、それを実感したと思ったら、終わりそうだ。の20代は何も残さず何も成さずに終わろうとしている。

自販機のスポドリのボタンを3度押したはまたレインブーツで歩き出す。

雨は金属の匂いから錆の匂いに変わろうとしている。

ああ、10代の頃に戻って人生やり直したい。今後悔していること全てをやり直して、曲がってしまった道をまっすぐに整えて、下らないことに費やした時間をもっと有意義なことに使い、将来の糧にして、未来のために生きられる人になりたい。

――神くんみたいに。

そんな高校生だったら、神くんみたいな子と恋愛出来たんだろうか。

……だけど、でも、無理だろうな。

なぜか神くんは勘違いをしてしまったけど、普通、神くんみたいな「上の方にいる人」は私を選ばない。パートナーは人柄で選ぶと発言する人のパートナーはいつも人柄以外の要素も優れてる。

年だって来年30になるし、神くんはまだまだこれからだけど、私はもう終わったも同然。恋愛も無理、結婚も無理、子供も無理。そうやって手に入らないものに涎を垂らしながら生きていくしかないんだろうなって、なんとなくわかってきた。

神くん、どうして10歳も年下なの。

あなたがせめて片手くらいの年の差だったら。そしてお互い大人だったら。あなたが10代の高校生でさえなかったら、そうしたらあの時、あなたの言おうとしたことを遮ったりしなかったのに。手のひらから伝わるほどの思いを寄せられるなんて、私にはもう、ラストチャンスだったのに。

想像もしてなかったよ、こんな惨めな人生。

レインブーツが重い。