どうしてわたしなんかがいいの

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どれだけだるい目覚めでも、毎日「朝なんだからシャキッとしなきゃ」と考える、それがの日常だった。光り輝く朝日が目に痛くてもカーテンを一気に開き、コップ一杯の水を飲み干し、手早く身支度をし、食べたくなくても朝食は抜かない。

人間生きていれば風邪をひくこともあろうし、生理で思うように体が動かないこともある。それでもは「朝なんだから」と自分を奮い立たせて生きてきた。

そんなを「しっかりしてる」と言う人もいれば、「厳しい」と言う人もいたし、「やりすぎ」と言う人もいた。最初のは友人、次が元彼、最後が母親。

が育ったのは東京の住宅街で、23区より神奈川や埼玉の方が近いという素朴な町だった。両親の離婚により祖父母と暮らしながら成長し、無事に高校を卒業して就職をした。そこまでは本人にとっても想定内であり予定通りの人生だった。

が成人したあたりで母親が再婚したので、それを機にひとり暮らしを始めたが、それは想定外ではあっても意外ではなく、家族との関係は良好、プライベートを楽しむ余裕もあったし、健康で、の日常は至って平凡で穏やかで、それを厭うこともなかった。

というより、波乱の人生なんてものは作り話の中にしかないものだと信じ切っていた。

だがたったひとつ、この頃のが予想だにしていなかったのが、就職先の急激な成長だった。

そもそも高卒、3年生の就活は先生や母親と一緒に慎重に行い、無理をせずに勤められそうな会社を選んだ。当時はまだそういう会社だった。だが、の就職から7年で会社は急成長、業務用と家庭用両方のクリーニングサービスの会社だったのだが、首都圏にどんどん拡大していった。

一方はそんな急成長していく会社の営業所で事務員をしながら、忙しくも充実した生活を送っていた。初めての恋人とは付き合いが3年を迎え、25歳を過ぎたは彼との結婚を意識するようになっていた。というか彼とはいずれ結婚するものだと思っていた。

結婚を決めても実際にふたりで夫婦として生活を始められるまでには1年近くかかるだろうし、そろそろプロポーズの頃合いだと思うけどあいつちゃんと考えてるのかな。2歳年上の彼はのんびり屋さんだが自分の意見をしっかり持っている人だったので、きっと彼自身が30になるまでに新生活を始められるように考えているんだろうな。そう考えていた。

なので、26歳の誕生日が翌月に迫る中で結婚の「け」の字も出てこないことに業を煮やしたは、今後のことちゃんと考えてるの? と言ってしまった。すると彼は「20代で結婚とか冗談だろ」と顔をしかめて言い放った。

結果、はこのことが原因で彼と別れた。

彼にとって結婚は30代半ばくらいでするものであり、自分の仕事や自分の親の都合を考えねばならないもの、だったようで、仰天したが思わず「でも子供産むなら30代より20代の方が」と口走ると「何勝手に決めてんの?」と余計にしかめっ面をされてしまった。

考えたくないことだったが、彼はとの将来などまったく考えていなかったらしく、むしろ交際3年で結婚まで考えていた「重い」女だとなじってきた。

の方も信頼していた恋人の本性に失望し、ふたりは一瞬で互いに興味を失って決別した。

の穏やかな日常は恋人との別離で突然作り話じみた展開を見せ始め、それに戸惑っている間に1年はあっという間に過ぎ去り、子供の頃に漠然と抱いていた「30歳になるまでには結婚して子供がいる」というイメージの崩壊も迫っていた。

いよいよ作り話の中にしかないものだと思っていた人生というものが背後にひたひたと忍び寄ってきている気がして、この頃からは以前よりも強く「朝なんだからシャキッとしなきゃ」と思いながら生きていた。

だが、運命はそんなをさらに振り回す。

26歳、は見知らぬ湘南の町の小さな営業所の所長に収まっていた。

事業の拡大に人員確保が追いつかない状態だということはわかっていたが、栄転の打診を受けたは上司に向かって「はあ?」と言ってしまった。無理もない。

聞くところによると、新規営業所と言っても当座のところは開拓予定の地域に置く拠点のようなもので、しかしとにかく「営業所の運営」を熟知している人材が足りないのだという。既にめぼしい人材は振り分けられ済みで、同様、ただの営業所事務員である社員が3名、プレハブ小屋のような営業所の所長として白羽の矢が立ったのだとか。

もちろんそんな話はお断りだと思っていたは、冗談めかして「私が去年彼氏と別れて独り身だからですね?」と言ったところ、上司はにこりともせずに「そう」と答えた。それだけ余裕がなかったらしい。は呆れて無理だと言ったのだが、湘南の営業所を引き受けないなら中野営業所行きでどちらにせよ異動、と言われて震え上がった。都内に7箇所ある営業所の中で最凶最悪と言われる中野営業所なんかもっとお断りだ。

というか中野営業所の方でも人手不足で、既に営業所事務が8年目のは是非とも手に入れたい人材だったらしい。それでも上司は真面目なを評価していて、隙あらば他人に仕事を押し付けて楽をしようとする先輩の事務員より先に話をしてくれたらしかった。

なのでが中野に行けばもうひとりが湘南に、が湘南に行けばもうひとりが中野へ異動。上司はやっと表情を崩すと「申し訳ないけど早く決めてほしい」と頭を下げてきた。

確かに既に入社8年目、自分の勤める営業所のことなら基本的にはなんでも分かる。事務員だけなら先輩はふたり、後輩がひとり。先輩のひとりとに白羽の矢が立ったのは、最年長を飛ばすとこの営業所が立ち行かなくなるからであり、後輩では役に立たなかったからでもある。

は急いで湘南と中野を天秤にかけた。

湘南のデメリットは実家から遠いこと、責任のある立場になること、見知らぬ土地だということ。

中野のデメリットは1番大きく1番忙しく1番厳しく1番キツい営業所であるということ。

天秤にかけた選択肢のデメリットしか考えられないだったが、ただでさえ予定外の人生を歩み始めてしまったところだったし、元彼にはもう興味がなくても「彼氏持ち・結婚可能な存在の確保」ということには未練があり、今以上にプライベートな時間を仕事やその疲労で削りたくなかった。

そういうわけで青天の霹靂、は湘南に移住してきた。

引っ越し費用は会社からの補助でほとんど賄えるほどだったし、家賃は都内より安いのに補助は以前より多く出るし、昇給にもなったし、通勤時間は減るし、が考えていたデメリットを除けば「所長さんに昇進」はそれほど悪いことではなかった。

これで結婚を考えてくれる彼氏がいればねえ……

真新しいが小さい営業所のデスクでひとり、は窓から吹き込む風に潮の匂いを感じていた。

なんと営業所は当分ひとり。担当区域の営業さんたちは既に軌道に乗り始めている別の営業所とのかけもち、クリーニングサービスの現場スタッフのうちアルバイトとパートのみ預かるという状態で、どちらかと言えば現場スタッフの拠点としての役割の方が重要だった。

なので営業所はまるで物置、クリーニング用具を置く倉庫の方の方が大きくてしっかりした作りという、会社の急成長に中身が追いつけていないのが丸出しの状態だった。

それでも3ヶ月ほど経つとはひとりきりの営業所にすっかり慣れ、余裕が出てきた。何しろ通勤時間がこれまでの3分の1に短縮されたので朝は慌てずに済むし、通勤路からは海が見えたし、何と言っても残業が激減したのでプライベートな時間が大増した。

だが、はその増えたプライベートな時間を新たな出会いに費やす気になれないでいた。見知らぬ海の町はどういうわけか慣れ親しんだ東京の町より時間がゆっくり流れているように気がして、恋愛や結婚が人生の目的になっていた自分が馬鹿らしくなってきた。

そういえば趣味も全部中途半端、働きながらスキルアップなんて時間もなかったし、就職して数年は二度と勉強なんかしたくないと思っていた。しかし30歳も迫ってひとり湘南の海を眺めていると、これまで関心のなかった分野への興味が湧いてくるのを感じていた。

高3の時は受験が嫌だったし、さらに4年も勉強するより自分で収入を得る生活をしたいと思っていた。だが今、とても勉強がしたい。なぜ人は学ばねばならない時に学ぶ意欲がなく、働かねばならない時に学びたくなるのだ。理系も文系も芸術も、今なら全て興味がある。

だが、10代のときに勉強が面倒くさかった記憶はまだ鮮明で、中学生や高校生のときにもっと勉学に熱心でなかったことには後悔はなかった。今の記憶を持ったまま過去に戻れるなら勉強するのかもしれないけど、何度人生をやり直しても制服を着ている間は勉強より友だちと遊んだり恋に恋している方が楽しかっただろうと思う。

そういう意味ではは10代にあまり後悔がないタイプだった。中学3年から高1にかけて片思いしていた相手と付き合えなかったことは苦い記憶だが、今思い返しても嫌な思い出はそのくらい。それよりも20代の半ばを3年も捧げた相手と将来の展望が全く噛み合わなかったことの方が悔しいし、正直未だに怒りが消えない。20代を3年も浪費させておいての方が間違っているとでも言いたげだった元彼は是非とも不幸になってもらいたい、というのが正直なところだ。

しかし失った時を嘆いても時間は巻き戻らない。もう少し目の前の日常とゆったりと付き合ってみたい。毎日潮風に吹かれ続けたはそんな風に思うようになっていた。

自宅や営業所のある町は実家のある東京の住宅街とそれほど変わらない。アパートにひとり暮らし、週5で働いて、たまに残業、友達と会うのに少し時間がかかるようになったけれど、最近は物珍しさで友達の方が湘南までやってきてくれる。近いからこそ縁のなかった横浜や鎌倉が楽しい。

心に余裕が出てくると生活にもゆとりが出てくる。逆立つ気持ちを宥めるのにはお金をたくさん使って憂さ晴らしをするのがよく効いたけれど、今は気持ちが逆立つ回数も激減、なおかつ何でも「ひと手間」をかけてみるのが楽しくなってきた。節約になる工夫を考えるのも面白い。

またいつ多忙な生活に飲み込まれてしまうかもわからない。人生は予想外な方向に曲がるということは覚えた。だから時間に余裕がある時にはそれに逆らわずに流されてみようと思った。

それに、今また焦って結婚相手候補を探したところで、元彼への怒りから世の男性というものを真正面から見つめられない気がした。結婚や出産への期待は失っていないけれど、それはひとりでは出来ないものなのだし、急いては事を仕損じるって言うじゃん。

自転車通勤はほどよい運動にもなり、睡眠時間がたっぷり確保できるようになったは朝に「朝なんだからシャキッとしなきゃ」と思うのをすっかり忘れていた。目覚ましなしで起きられるほどではないけれど、ベッドからは苦痛なく起き上がれる。

朝食も「ひと手間」、朝のルーティンにも「ひと手間」、だけどファッションやメイクはちょっと控えめになった。潮風と気持ちのよい朝日には暗い色やギラつくラメは重い。どうせそんなもので武装していた私は重かったんでしょ、そんなもの元彼と一緒に捨ててやる。私だってあんな男いらない。

やがては始業時間よりもかなり早めに家を出るようになった。少し遠回りをして海を眺め、早朝からオープンしているカフェでコーヒーを買い、営業所に着いたら室内を掃除し、晴れていれば外を掃き清め、それでも時間が余ればひとつしかないデスクでゆっくりコーヒーを飲み、読書をし、新たに興味が出てきたあらゆる分野の「勉強」とはどんなものかを調べてみる。

そんな「朝活」はなんだか気持ちよくて、はひとり営業所勤務になって半年が経つ頃になると無駄に早起きをするようになり、残業をせずに翌朝に片付けることも珍しくなかった。その分就寝時間は早くなったけれど、深夜まで起きていたい理由もなかった。肌の調子も最高。

出勤して最初にするのは鏡を覗き込むこと。一体この鏡の中にいるのは本当に自分だろうか、とたまに疑わしく感じるほど、湘南での生活を送るは様変わりした。早寝早起き、体に優しい食事と全てのストレスを吹き飛ばしてくれる母なる海、それらはを元気にし、活力を与え、燻り続けていた元彼への怒りでさえも取り去ってくれた。

鏡に映る自分はどうしてか若返ったように感じた。健康的な生活のおかげで肌は光っているし、染めるのをやめた髪はツヤツヤ、姿勢が良くなって、足取りも軽い。まあ女子高生まで戻れるとは思わないけど、2~3歳くらいなら誤魔化したって気付かれないかもしれないな。

それでも一応営業所長。緩く巻いた髪にナチュラルで優しい色合いのメイクはいい感じに「お姉さん」になっている気がした。爪はヌードカラー、アクセサリーはさり気ない印象かつ大人の品格を漂わせるものを。例えそんな営業所長の指示を待つ部下がいないのだとしても、これは自分を「アゲる」ための装いなのだから。男に媚びて勝ちを掴むための鎧ではないのだから。

湘南仕様のはやがてカフェでコーヒーを買うのをやめ、営業所でお茶を淹れるようになった。紅茶、ほうじ茶、緑茶、あるいはハーブティー、中国茶。

後年はこのひとり営業所1年目の生活を「中毒のようだった」と語る。

何もかもが満ち足りていて自由で、両手足を目一杯伸ばしたような開放感と、星空の映る水面にたゆたうような安らぎ、そして静かな学びの時間はまるで依存性の強い薬物のようにに快感をもたらし、いつしかそれは例えるなら「ハイ」になっていった。

気付かぬうちに、心地よい毎日という快楽には溺れていた。

だが気持ちよくなってしまっている本人がそれに気付くわけもなく、朝活で活性化した頭脳に勉強は楽しく、充分なアイドリングをしてから取り掛かる仕事はミス知らず、もしこのまま湘南勤務が続くようなら定住を考えてもいいな……と思い始めていた。

もしかしたら私の生きる世界はここにあったのかもしれない。

眩しい朝日に目を細めながら箒を手に取り、いつものように営業所の周囲を掃いていく。湘南に越してくるまでは季節の移り変わりを気にしたこともなかった。雨や台風は腹立たしいものでしかなかったし、その辺に生えている木は冬になったら枯れると思っていた。

冬の木が冬も生きていて、葉を全て散らせた枝には小さな蕾が息を潜めている。それに気付いたは思わず営業所の傍らに生えている木に触れていた。

冬の木は枯れてるんじゃない、花を咲かせるために葉を全て捨て去ってエネルギーを溜め込んでいるんだ。静かに、冷たい風に抗いもせず、ただじっと春を待ちながら。

私のこの穏やかな日々は冬の木なのではないか――

どこまでも気持ちのよい毎日にはそんな思いの依代も見出し、それはやがて日々に触れ合う人々との関係にも変化をもたらした。人に親切にして何が悪いの。人に良くして困ることなんかない。

早朝、箒で歩道を掃くは道行く人々に挨拶をする。おはようございます、今日はいい天気ですね。すっかり寒くなりましたね、暖かくなってきましたね、この間の雨すごかったですね、ワンちゃんかわいいですね!

「おはよう! 頑張ってね!」

ひとり営業所長1年目は気持ちのいいまま過ぎ、は湘南での2度目の春の風を目一杯吸い込み、営業所の表を駆け抜けていくジャージ姿の人物に挨拶をした。それが敬語でないのはジャージに学校名の刺繍を見つけたから。ものすごく背が高くて体が大きいけれどきっとまだ高校生だ。

挨拶をしても無視されることもある。声をかけられるのが不快そうな人もいる。けれど既に汗が滴るほど走ってきたらしいその少年は、速度を落としてペコリと頭を下げ、「おはようございます、ありがとうございます」と言ってから走り去っていった。

表情はなかった。ぱっちりとした目は可愛らしいけれど、どことなく暗さを感じる眉に短く切りそろえられた髪は硬い印象を受ける。それでもは彼の後ろ姿を見送りながら、感嘆のため息をついた。

なんて礼儀正しい子なの。あんな子、本当にいるんだ。

一体あんなきちんとした高校生、どうやったら育つんだろう。親の躾? 生まれつきの性格? それとも学校でああいう風にしろって指導されるの? 私が高校生の時なんか通りすがりに挨拶されたら「きめぇ、通報しよ」とか言う子ばっかりだったよ。私も挨拶なんて返せなかった。

そよりと肩を撫でていく風にはふっと相好を崩した。

この湘南の潮風が彼をあんな風にしたのだったりしてね。