天使と悪魔

13

――!!!」
「け、健司、健司……!」

ヨタヨタと走るは、全速力で走ってくる健司の腕の中に勢い良く飛び込んだ。変な服を着ているし、汗と消毒薬と機械油の匂いが入り混じって、大好きな健司の匂いがあまりしなかったけれど、肌も髪も息遣いも背中も、全部全部本物の健司だった。

「ごめん、勝手にいなくなってごめん」
「いい、もう会えないと思ってたから、そんなのもういい」
「オレが犠牲になればいいって思ってたけど、がいないの、無理だった」
「私も無理だよ、だからもうどこにも行かないで」

涙と鼻水でグズグズになっているの頭を健司は何度も撫でた。それなりに覚悟をして乗り込んでいったはずだったけど、ぼっちはもう無理だった。アンブローシアで巡り合ってからずっと一緒だったから。ここがいい、がいるこの汚くて雑で埃だらけの外縁地区がいい。

「オレがいない間、大丈夫だったか?」
「院にいたよ。ひとりでいるの、つらかったから。子供たちにくっついてもらって寝てた」
「ママ、何か言ってた?」
「ママには話してない。どう話そうかなって考えてた最中だっ――
「健司!!!」

鼻がくっつきそうな距離で話していたふたりの背後でママの叫び声が炸裂した。ほとんど悲鳴だ。ガッチリチェーンとともに施錠してある門扉の向こうで焦ってガチャガチャやっている。遠目だがどうやら既に泣いているらしい。ふたりはちょっと吹き出して、そして飛び出してくるママを迎え入れて抱き締めた。

「タワーの光が消えたのを見てからずっとあんたの無事を祈ってたの、どうか怪我してませんように、どうかちゃんと帰ってこられますようにって、私の夫は仕事に行ったきり帰ってこなかったから、どうかをひとりにしないで、健司を連れて行かないでって一晩中」

ママはそう一気に吐き出すとワーッと泣き出した。健司を案じる気持ちと自身の過去が重なり、それが物音で目覚めてみたら無事にご帰還である。なりふり構わない大泣きのママの声に誘われたか、孤児院の中から子供たちが出てきた。彼ら彼女らにとっては翔陽町のヒーローでもあるのだ。

ふじませんしゅだー! と大はしゃぎで飛びついてくる子供たちにもみくちゃにされながら、健司はに顔を寄せて、頬にキスをした。子供たちは「ちゅーしてるー!」とまた大はしゃぎ、ママはそれを見てまた泣き出す。

、オレたちはただの突然変異なのかもしれない。だけど、いつかそれが進化になるかもしれないから、そういう日が来るかもしれないから、だから残していこう。切り捨てるんじゃなくて、繋げていこう」

未知の因子を持つ者同士、偶然巡り合った。それはある意味では必然の適応と言えるかもしれない。淘汰されず次に繋げていくため、全て身を捧げれば数多の人の命を救ったかもしれないその体を自分たちの本能のために隠す。そういう身勝手が繰り返されて、生き残ってきた、それが進化だから。

は涙を拭うと、健司の首に手をかけて引き寄せてキスした。

またちゅーしてる! とはしゃぐ子供たちの声の中、それを返事の代わりにして。

アンブローシア大停電は、ざっくりと言ってテロであった。当初は外縁地区に疑いの目が向きっぱなしで、お前らだろ! 出来るかそんなこと!どこにも入れないのに! という言い合いばかりが続いていた。が、大停電時に外縁地区で突然行方不明になった数十人を改めて調査したところ、全員元アンブローシア市民だった。

タイミングよく怪しすぎる集団行方不明に、長い歴史の中で初めてアンブローシアと外縁地区は手を組んで数十人の行方を追い、最終的にクロウゾン鉱山にて数人を確保したものの、主犯格を含む殆どの構成員が自決を済ませていた。現在事情聴取中だが、思想犯のグループであったようだ。

「別にアンブローシアが嫌で飛び出して外縁地区にいたんならそれでいいだろうに」
「あのタワーが目障りだったんだ……空が……見えなくて……とか言ってるのがいるらしい」
「タワーのてっぺんにくくりつけといてやれよ」
「いくら外縁地区でもタワーを背にして上向けば空は見えるんだけど……

幸い大停電による負傷者はおらず、タワーの上層部で議会が全滅していたことに関しては、治療中に大停電が起こったことによる事故死、と事実は隠蔽された。議会のみならず議会周辺の有力者たちも健司の免疫細胞でやられてしまい、現在アンブローシアは指示系統がボロボロ、混乱激しいようだが、大人しくしているらしい。

「そういう気質なんだよ。停電も2日くらいで復旧したろ」
「ラボはどうした」
「それが、あの騒ぎの時に高架線からクレーンが落ちてきて」
「はあ?」
「なんなんだろうな、あのドクター夫婦がデータを閉じ込めた部屋が潰された」

高層建築に使うクレーンが倒れてきたので被害はそれだけではなかったけれど、とにかくあのドクターふたりが守ってきたものは、二度と第三者の手に入ることなく消えた。ふたりの望んだことは全て完遂されたと言えよう。

ラボの一角がごっそりなくなってしまったので復旧に時間がかかる花形はあれ以来外縁地区で過ごしている。ボロビルに居候する気でいたらしいが、ふたりに追い出されたため、現在は噴水広場の近くの半地下の部屋を借りて住んでいる。そこであれこれ研究の続きをしているのだから怪しいことこの上ない。

しかし外縁地区にいるというのにひとりではつまらないのか、隙を見てはしょっちゅうボロビルにやってくる。今も遠慮なくリビングのソファに腰掛け、がもらって帰ってきたトラットリアのまかないを食べつつ、寛いでいる。健司は早く追い出したいようだが、が酒を出してしまったので長引きそうだ。

「ナノマシンの方はどうなったの」
「設備がないからまだ何も出来ないけど、自信はあるよ」
「せめて子供の患者だけでもと思ってるんだけど」
「それでも自身の血液を使ったらとてもじゃないけど足りないからな」

結果、悪魔であった健司の免疫細胞は使えないことが証明されてしまったので、現在花形はの血液サンプルを元にナノマシンの実用化を目指している。の言うように、せめて子供の患者は救ってやりたい。

とはいえアンブローシアは長く街を管理下においていた議会が消滅してしまったため、花形は改めてラボ内で会議を重ね、サンプルは提供してもらえるのだから非人道的な手段を廃することと、可能性のためと思えばこそ、もう少し外縁地区に対して助力を願い出てみては、と提案している。

これでもしふたりが持つような免疫細胞の持ち主がたくさん現れたなら、また話は違ってこよう。

「クシャスラはどうするの?」
「元々データが閉じ込められてたわけだし、当人たちの死亡は確定だし、中止だろうな」
「てかあんな停電ひとつで何も出来ないっていう構造を見直す方が先だろ」
「言われなくとも現在その件で方々大騒ぎだよ。、仕事増えるぞ」
「えっ、ほんとに!?」

負傷者はなかったけれど、街自体はラボのように深刻な被害も多い。送電は復旧しているけれど、送電施設も半壊、外縁地区はしばらく寄生虫の本領を発揮する機会に困らなそうだ。

……だけど、なんであのタイミングだったんだよ。オレは助かったけど」
「いや、偶然じゃないぞ。外縁地区から怪しいのがラボの職員と中に入ったと知ってのことらしいから」
「え、なんでだ」

花形が聞きかじってきた噂によれば、元アンブローシア市民である今回の思想犯グループにはクシャスラの開発に関わる人物が数名関わっており、また奇病の治療のために人さらいを平気でやっていることも知っており、AIによる都市管理や非人道的な振る舞いに対する「制裁」のつもりだったようだ。

「実際もう何年も外縁地区からサンプル拾ってきて……なんてことはしてなかったわけなんだけど、お前がアンブローシアに入ったことがゲート職員辺りから漏れたらしく、また非人道的なことをやり始めたと思ったんだろうな。だけどアンブローシアへの攻撃って、外縁地区で生活してたら難しいだろ」

なので中には入れないので送電施設を狙ったわけだ。ただアンブローシアの方もクロウゾン32から作られるエネルギーに完全に依存していたので、結果として大惨事になった。しかし花形は「潮時だった」という。

「理想は頂点に達すれば自分の重さに耐えきれなくなって崩壊する」
……いいよもうそういう話。てかお前いつまでいる気だよ」
「いつまで、ってつまみがなくなるまで」
「じゃあそれ持って帰っていいから」
「お前な、アンブローシアのオレの部屋でひとりぼっち慣れなくて涙目になってたの誰だ」
「なってない!!!」

正確にはひとりぼっちの状態で停電になったので涙目、である。なってないわけではないので花形は取り合わない。涙目になってたのは見てます。最近やっと花形のニヤリも戻ってきた。

「悔しかったらみんなの前でにプロポーズでもしてみろ」
「そんなことするか!!!」
「予選に勝ってコートでプロポーズとかいいと思うけど」
「お前はどうしてそう鬱陶しいことばっかり思いつくんだよ……

楽しいからだ。そう言う健司もも真っ赤。それはまだ先の話になりそうだ。

アンブローシア大停電の煽りを食って、しばしチャンピオンシップの開催は見送られることになっていた。だが、外縁地区は忙しいだけでそれほど生活に変化はないし、予選から本戦までの間の各試合は外縁地区の人々が心待ちにしている。無駄に引き伸ばすのは得策ではなかった。

ただしアンブローシアの復旧に沢山の人が駆り出されていて試合どころではない、という事情もあり、予選は約10ヶ月も延期された。そして調整に調整を重ねた日程でのチャンピオンシップ開催が決まると、外縁地区はまた沸き返った。このところアンブローシアの仕事ばかりで疲れてたけど、また中継見ながら飲んじゃうぞ!

この盛り上がりは翔陽町でも例外ではなく、予選が延期されている間にヴェルデ・ビアンコは練習しまくった。特に先の騒動で練習が疎かになっていた花形はいっこうにアンブローシアに帰ろうともせず、半地下の家で研究をしているか練習しているか、もしくはと健司の邪魔をしているか、という日々であった。

また、チャンピオンシップが延期されている間に、公式競技のいくつかでプロリーグを作ったらどうだろうかという機運が高まり、その上アンブローシアと共同で競技場を建設する話も浮上、皮肉なことにあの大停電をきっかけにアンブローシアと外縁地区は新たな関係を築く道を選ぶに至った。

このプロリーグ構想、まず東西南北にて地方リーグを作り、そののちに外縁地区最強決定戦と行こう、という、まあチャンピオンシップとほぼ変わらない仕組みなわけだが、実現すればアンブローシアに依存しない経済活動になりうる。アンブローシアの下請け職人以外の職業としての道も拓ける。

このプロジェクトに初期から参加しているのが、誰であろうだ。

というのも、翔陽町はヴェルデ・ビアンコ愛が強すぎる傾向にあり、プロリーグ構想の話が出るやいなや、絶対チームとして参加するのだと町中が息巻き、アンブローシア復旧で儲かった分を注ぎ込みたいと一時大騒ぎになった。なのでヴェルデ・ビアンコ公式スタッフのが代表になっていた。

どちらにしてもヴェルデ・ビアンコがプロチームになるのはまだまだ先だが、このまま話が空中分解しなければ、はそのままチームの管理者に収まりそうである。本人もマネジメントの仕事も面白そうだ、と思っていたのだし、ちょうどいい。もし健司が現役で続けていかれるなら、それもひとつの選択肢だ。

長らく延期されていたチャンピオンシップの南第3予選決勝が開催されたのは、前回大会と同じ、よく晴れた休日のことだった。延期されている間に死ぬほど練習してきたヴェルデ・ビアンコは、殺気立っていた前回とは違ってだいぶ落ち着いていた。今年こそ優勝トロフィーを翔陽町に持って帰ろう!と笑顔で言えるくらい適度にリラックスしていて、良い状態にあった。

もちろん対戦相手はパールス・ゲール。向こうにも余分に10ヶ月練習期間があったわけだが、それはそれ。

試合前の選手控室でスピーチを求められた健司は、肩にジャージを引っ掛けて腕を組んだ。

「毎年同じこと言って負けてるとかうるさいのが数名いるので、トロフィーがどうとか最強がどうとかそういうのは言わない。だけど、もしプロリーグが発足してヴェルデ・ビアンコが参加することになったら、これが最後のチャンピオンシップということになる。思う存分戦って、最後に本戦に出てプロリーグに行こうぜ!」

活動資金さえやりくりできていれば、プロリーグへの参加条件に実績は含まれない方向で話は進んでいる。チーム数が多ければその時初めて実績によるリーグ分けを行ってもいい、参加したいチームは全部入れようという方針だ。だが、勝ってチャンピオンシップを去りたいのはどこも同じ。

……アンブローシアの件でみんな色々あったと思うけど、誰ひとり欠けることなくまたここまでこれたこと、まずそれが大事なことだし、決勝までこれたのはやっぱりオレたちが強かったからだし、翔陽町のみんなが助けてくれたからだし、そういうもの、全部全部ぶつけてこよう」

メンバーたちは健司の言葉にしっかりと頷くと、ヴェルデ・ビアンコ式の掛け声を挟み、控室から出ていく。何しろ10ヶ月も延期されてしまったので、会場は今にも爆発しそうなほど盛り上がっている。翻る緑と白、紫と黄色、今年も海町第3屈指の人気チームが激突する。

最後に健司が現れると、ドッと会場が揺れる。その後ろからついて出てきたは、深呼吸している健司に並んで声を張り上げる。大きな声を出さないと聞こえないのだ。

「なんかやっと元に戻ったって感じ、しない?」
「する。あの頃の騒ぎなんか、夢だったみたいな気がする」
「絶対勝って、チャンピオンシップ、連れて行ってね」
「当たり前だろ! 絶対絶対勝つから、見ててくれ」

は一呼吸置くと、仁王立ちの健司を引き寄せて思いきりキスをした。

悲鳴が会場に響き渡り、特に翔陽町のヴェルデ・ビアンコ・サポーター席は長年暖かく見守ってきた鈍くさい……いやのんびりしていたふたりのキスシーンに泣いたり喚いたり、とにかく大歓喜だ。あいつらやっとかよ! おいおいこりゃ優勝するしかねえな!

「ど、どうした急に」
「健司、今日勝ったら、何でも言うこと聞いてあげる」
……何でも?」
「何でも。別れようっていうの以外なら、何でも」

健司はをぎゅっと抱き寄せると、コートに入る。

「おいおい何だよ、どうしたいきなり。何があった」
「今日これ絶対勝つぞ絶対勝つからな負けねえからな」
「お前もどうした」
「勝ったら何でも言うこと聞いてくれるって」
「おいマジかとうとう来たな」

面白がる花形を見もせずに健司はスタスタとコートを進む。パールス・ゲールの選手入場が始まる。

「で? 勝ったらナニしてもらうんだよ」
「プロポーズする」
……はあ!?」
「何だよ、別にいいだろ」
「バカか、そんなの勝たなくたってOKに決まってんのに無駄遣いしてんじゃねえ」
「無駄遣いってなんだよ! 絶対勝って祝勝会でプロポーズする!」
「うわ何だそれ、いや今日は負けでいいわ、つまんねえ」
「お前今すぐヴェルデ・ビアンコから出て行け」
「残念ながらプロリーグ加盟時には共同経営者のひとりです」

パールス・ゲールの選手入場を眺めながら、健司と花形はしかめっ面だ。

それをスタッフブースから眺めていたは、斜めがけにしたバッグの中から1枚の写真を取り出す。花形に頼んで複製してもらったドクター夫婦の最後の静止映像を印刷したものだ。現在ふたりの家のリビングの片隅に飾ってある。本日指輪はどちらもの胸に下がっている。

大停電ののちしばらくして、と健司はまずママに全てを話した。その中で、ドクター夫婦をふたりは「両親」と紹介した。そして、こっちは命がけで守ってくれた名付け親、ママは育ての親、自分たちにはやっぱり母親ふたりと父親ひとりがいたのだと言うと、ただただ声もなく泣いていた。

それからママに相談しつつ、ドノさんと保護当時顔役だったご隠居にもことのあらましを話した。ここでは免疫細胞の件は少々濁したけれど、ふたりも長年の謎が解けてホッとしたようだった。元顔役は話が終わるとふたりの手を取り、改めて「翔陽町へようこそ」と言って呵呵と笑った。

大歓声に包まれながら、は手にした写真を胸に押し当てて深呼吸をする。

ママ、パパ、きっと健司は勝って、そしてプロポーズしてくれると思う。みんなもう今さらだろなんて言うけど、今度はちゃんと届け出もして、なんなら部屋も直して、家族になる準備をしようと思う。それでいつかママとパパみたいな夫婦になって、死ぬまで仲良くするからね!

小言も言わない! ようにします! ……たぶん!

晴れ渡った空の下、試合開始のホイッスルは高らかに、遠くどこまでも鳴り響いた。

END