天使と悪魔

04

「だから、生体接続はやってないって言ってるだろ。うちは小型の1種2種、それから5型と4型までのジェネレーター制限があるし、メンテナンス専門で生体改造は一切請け負ってない。専門外だよ」

予選から1月ほどして、健司たちの生活はすっかり元に戻っていた。そろそろ総合チャンピオンシップが開催される頃なのでフォンタナはもちろん、トラットリアですら中継映像で連日連夜大盛り上がりになる。

総合チャンピオンシップは外縁地区を東西南北で区切った持ち回りの大会となっていて、去年海町開催になったばかりなので、今年は西に当たる鋼町での開催だ。西は金属加工が盛んなので鋼町と呼ばれている。クロウゾン鉱山への玄関口でもあるので、工場は多くても住宅が少ない地域でもある。

中継を見るということはパールス・ゲールの試合も見なくてはならないわけだが、健司たちヴェルデ・ビアンコのメンバーはぶつくさ文句を言いながらでも熱心に中継を見る。そういう季節がもうすぐ来る、という頃のことだ。健司は音声通信でしつこい客の相手をしていた。

「無理、他を当たってくれ。てかそんなもの埋め込んでどうするんだ」
……今度は何だよ。どうしてそんな皆機械化したいんだ」

健司が工房でげんなりしていると、花形が階段から降りてきた。適当に通信を切り上げた健司は、端末の前に座ったまま、椅子の背もたれに仰け反って呻く。

「眼球にスキャナー」
……まあ、目的はなんとなく察しがつくな」
「てかなんでオレに頼んでくるんだよ。オレは人体は一切わからないって言ってんのに」
「オレが出入りしてるからじゃないのか」
「よし、お前二度とここに来るな」
「チームメイトなんだから今更どうしようもないだろ」

アンブローシア市民である花形だが、彼が外縁地区の人間でないことを知るのは本当にごく僅かな人物だけ。一応彼は翔陽町から少し離れた町の住民ということになっている。もちろんそこも海町の中だし、ヴェルデ・ビアンコに所属するのに身分証など必要ないし、彼はこれでも現在健司に次いでチームを牽引するナンバー2なので、真実を知る人も気にしていない。

そして表向き彼が名乗っている職業は「検査技師」である。翔陽町に一番近いゲートの向こうの総合病院の地下で検査ばかりしている人、という触れ込みだ。だいたいいつも汚れのない服にメガネなので、そう説明されると全員納得の表情で頷く。以後は疑いもしない。

藤真とがこの秘密を知ることになったのは、ヴェルデ・ビアンコに入って1年くらいの頃だ。チームメイトとして仲良くなってみたらふたりが少々特殊な状況にあることがわかり、実は……と花形の方も告白に及んだというわけだ。外縁地区に出入りしているのは「楽しいから」だと本人は言っている。

そしてその病院勤めの検査技師という設定だけが独り歩きをして、あそこのエンジニアは医者と仲がいいらしい、じゃあ生体接続もやってくれるのでは、という勘違いからたまにしつこく施術を迫る客が来る。

「それにオレも外科医じゃない。知識はあっても手も足も出ないよ」
「やったことあれば出来るみたいな言い方だな」
「そりゃあ外科を専門にしてたんなら出来るだろうが」

藤真は鼻から勢いよくため息をつくと、のそりと背を戻す。

設定上検査技師の花形だが、本来アンブローシアでは医療系の研究所勤めである。本人は説明が難しいからと面倒がるが、藤真とのまとめでは、要するに病気の治療法を研究している人、のようだ。正体は隠していても、自分が優れた頭脳を持っているということだけは隠さない。

アンブローシア市民だから正体がバレると半殺しの目に遭う……というわけではない。外縁地区にとってアンブローシアは商売相手なのだし、アンブローシア市民が外縁地区に示すような嫌悪感は元々ない。ただ、翔陽町は外縁地区の中でもさらに外縁に当たるような場所なので、頭から不審に思われるのがオチだ。

……完全な成功例はまだないんだよな」
「だからそう言ってんのに、それでもいいからやれってしつこい」
「部分接続ならともかく、完全に一体化というと、最長で41時間だ」
「何が」
「生きていられた時間」
……人体実験したのかよ」
「オレがやったわけじゃないからな。そんな顔されても知らん」

藤真はまたため息を付いてマグを傾けた。アンブローシアは色々研究熱心なのは大変結構なことだが、たまにこうして健司の理解を超える倫理観で物事を進めようとする。花形は自分の専門でないことには無頓着だし、基本的にはバスケバカだ。「楽しいから」の9割はバスケ目当てだろうと健司は踏んでいる。

というかそれがわかるまでは目当てなんじゃないだろうか、と随分疑ったものだ。しかし本人はくっつきそうでくっつかない健司とが面白いようで、ニヤニヤしながらちょっかいをかけることの方が多い。

そこへトレイを手にしたが階段を降りてきた。

「あれっ、来てたの」
「今来たとこだよ。今日からチャンピオンシップ開幕だしな」
「えっ、バスケは明後日からだよ」
「出るつもりだったし、前倒しで季節休暇申請しといたんだ。というわけでまたしばらく泊めてください」
「それはいいけど……いい加減大きいマットレス持ってきなよ」

健司におやつを運んできたらしいは、トレイをドラム缶の上に乗せると、足早に2階へ戻っていく。花形用のコーヒーでも用意しに行ったんだろう。花形はそれを見送ると、階段の方を見たままニターっと口元を歪めた。

「ふぅん、おやつ持ってきてくれるんだ」
……毎日じゃない」
「甘い言葉のひとつやふたつ吐きまくるチャンスだらけなのにな」

おやつを持ってきてくれたの手を取り、いつもありがとうを皮切りにいくらでも甘ったるい台詞が言えるじゃないか、というのが花形の主張のようだが、そんなことが出来るくらいならとっくにやっている。というか結婚してる。子供だっていたかもしれない。

……運んでこないとオレが食い物漁りに上がってくるからだろ」
「どんだけヘソ曲がってんだよ」

花形は呆れるが、チームメイトが小突いたくらいでまとまるくらいならこじれない。

「花形ー、ごめんクリーム切らしてて、砂糖だけでもいいー?」
「砂糖もなしでいいよ、ありがとう」

キッチンの方からの声が聞こえてきたので藤真はくるりと背を向けて端末を覗き込む。変な客から音声通信が入るまではどうやら売上の確認をしていた模様。健司の営む商売は翔陽町だけで言うならそこそこ稼げている方だ。の収入が心許ないが、充分カバーできている。

「はい花形、お待たせ。健司、変な客は終わったの?」
「終わったっていうか、断った」
「原材料の流通が止まったって、みんな知ってるだろうにな」
「裏でコソコソ取引があるんだろ!? って言って聞かないんだよな」
「映画じゃあるまいし」

花形のコーヒーと一緒に自分のマグも持ってきたは、健司の作業椅子にちょこんと腰掛けている。これがキッチンに食い物漁りに来るお前を鬱陶しがってる同居人か? という顔を花形がしているが、健司は無視。

「機械と一体化したい、なんて、私はちょっと理解できそうにないな」
「義手や義肢、義眼なんかの欠損や損傷を補う段階まではよかったんだけどなあ」
「お前らが余計な技術開発するからだろ。口では偉そうなこと言うけど、オモチャじゃないか」
「まあそれは否定しない。何があとで有効利用できるようになるかわからないからな」

小型の乗り物が専門である健司はこういうアンブローシアの研究のせいで変な客に付きまとわれるのであまりいい顔をしない。も仕事が激減したのは近年開発された言語のせいなので決して良くは思っていない。

これはいかに切っても切り離せない相互関係があるからと言って、外縁地区では一般的な感情なので、ここ数十年はアンブローシアに依存しない経済活動を模索しているのだが、アンブローシアから仕事をもらっている方が楽なので進みは遅い。

「一体お前らは何を目指してんだよ」
「それは個々によって違うからなんとも。オレの場合は治療法の確立なだけだし」
「この間も小型のパワーセルで1日稼働できるスピーダーやりたいとか言い出すし」
「だからそっちは専門外だっつってんだろ」
……シノウゾル16を使ったAIってまだやってるの」

省エネ省エネうるさいクライアントの無茶な要求で仲介業者と喧嘩する羽目になった健司と、普通に医療系の研究者なだけの花形がピーピー言い合いをしていると、マグを両手で包んだがボソリと呟く。

「うーん、それもオレは直接関わってないからなんとも言えないけど」
「じゃあ開発が中止になった、とも言われてないんだね」
「そりゃそうだろうな。確か開発責任者が亡くなったとかそんなんで止まっただけだし」
……そのAIが完成したら、君は完全に失業だって言われてさ」
「まあ、それもそうだろうな。街全体を管理統括する目的だったんだし」

とても優れた言語が開発されたせいで仕事が激減しただが、さらにそのAIが完成してしまったら、また新たに職業訓練プログラムを受け直さなければ……と考えていた。開発がストップしていてくれるならまだ少し猶予はあるが、自身の職と健司との関係が不安定なので気が重い。

「新しいアンブローシアを作る進化の扉、だっけ」
「ああ、言ってたな。うちのチーム内では『これだから機械屋は』ってバカにされてたけど」
「へえ、アンブローシアの中でもそういうの、あるんだ」
「そりゃ、あるよ。こっちが相手にしてるのは何億年も前に自然発生した有機体なんだし」
……どういう意味?」
「人体はプログラミングしてはい終わり、って代物じゃないだろ。ひとつひとつ個性もある」

花形は珍しくしかめっ面でコーヒーを啜る。治療法の確立というからには花形の研究対象は人体に巣食う病魔なのだろうし、長い時間をかけて今の形になった人体と機械では、厄介さが違うと言いたいようだ。

「だいたい、『進化』とか『成長』って言葉を比喩として使ってること自体間違いだ」
……どういう意味?」
「だから、進化も成長も『ヒト社会に都合の良い変化や発展』ではないって意味だよ」
「えっ、なんで?」

健司は花形にあまりベラベラ喋らせるのが好きではないのだが、はこうして「なんで?」が高じて話の続きを催促してしまい、結局花形のご高説を賜る羽目になる。とはいえ後で「花形ってすごいねえ」とか言い出したりしないので、健司はスルーだ。おやつに手を伸ばしてモグモグやりながら端末に目を戻す。

、進化って何だ?」
「ええとそれはほら、長い年月をかけて少しずつ変わっていって」
「変わることが進化? じゃあ今の目がなくなったら?」
「えっ、それは退化でしょ」
「その違いは?」
「だって目がなくなったら不便になるから」
「変わることが進化なんだろ? 不便な変化だけを退化って言うのか? 元々盲目の人にとっては大差ないぞ」
「そっ、それはそうだけど……

言葉に詰まるはちらりと健司の方を見るが、無反応。前にも同じことを聞いていたのかもしれない。

「た、退化はちょっと措いておくとして、だけど進化っていうのはより良い変化のことじゃないの?」
「その『より良い』って誰の判断基準なんだ?」
「あー……うー……

退路を塞がれたが呻いているので健司はこっそり肩を震わせている。聞かなきゃいいのにそんなこと。

「よーし、もっと生活が便利になるように体を変えちゃうぞー! なんつって進化が起こって来たとは思わないだろ? 勝手に起こったものなんだよ進化なんて。しかもあちこちで好き放題変異して変化して、それが環境に合わなかった個体が淘汰されていった、それだけの話だ。足し算の話じゃない」
「淘汰ってことは、ダメだった個体もあるってことだよね?」
「その『ダメ』が問題だな。もし今突然氷河期が来たとする。は全身毛むくじゃらに変化した」
「そ、それはちょっと……
「だけど藤真はツルツルのまま。外の気温は常にマイナス。さて、生き残る可能性が高いのはどっち?」

健司の工房が静まり返る。

「な? 生き残った方があとで『進化』と呼ばれるだけなんだよ」
「そっか……
「環境の変化に順応できた遺伝子だけが淘汰を免れてきた、それを進化という。それって人為的な発展か?」
……違うよね」
「成長もそうだ。成長とは幼体が成体になる過程のことを言うだけ。いつまでも続くことじゃない」
「ああ、そうか。『成長』って、終わりがあることなのか」

なるほど、と真顔で話を聞いていただが、花形は彼女を通り過ぎて遠くを見るような目をした。

「成長はやがて終わる。その先にあるのは老化、そして死だ。それが事象としては正常なんだよ」
「だけど私たちはそれに逆らおうとするよね?」
「それは単に自我を失う恐怖だったり、尽きない欲の現れだと思うけど。だけどそんなことコントロール出来ない。いくら寒くてもは自分の意思で突然毛むくじゃらにはなれない。だけどもしかしてそんな寒い世界の中で生きていたら、はある日突然毛むくじゃらの子供を生むかもしれない」
「えっ、そんないきなり」
「突然変異が生き残ればそれは進化だ。だから残したいんだよ」

遠くを見ていた目を戻した花形は、に向かってニヤリと笑いかける。

「進化は生命の道標だろうけど、それはみんなの都合に合わせてみんなが生き残れるようにみんなで少しずつ変わっていきましょうね、ってことじゃない。自分の遺伝子を受け継いでいくためなら、どんな身勝手なこともやるんだよ。それが生命だ。ヒトの脳で都合よく作り出されたAIとは根本的に違う」

どうやら研究者としてのプライドに関わる話だったようだが、はわかったようなわからなかったような、マグを静かに傾けると無言で頷いた。

「氷河期ならまだいいよ。今オレたちが脅かされているのは体そのもの、病気の方がよっぽど厄介だ」
「花形は何の病気を研究してるの」
……ある種の自己免疫疾患だな。20年位前から患者数が増え続けてる」
「そうなの? そんな病気かかってる人いたかなあ」

ママの心配性に似たかもしれないが不安そうな顔をしたので、花形は少しためらってから頷く。

「大丈夫、外縁地区では、確認されてない」
「えっ?」
「アンブローシアでしか、発症しないんだ」

無視を決め込んでいた健司もさすがに振り向いた。ふたりともそんな話は初耳だった。

「どういうこと……?」
「それがわからないから、ずっと研究してるんだよ」
「アンブローシアでしか発症しないって、こっちには本当にいないのか? 確認してないだけじゃなくて?」
「現在治療法らしい治療法がないんだ。こっちも必死だからな。アンブローシアでしか確認されてない」

花形は普段もよく冗談を言うし、ふざけることもあるけれど、自分の仕事の話であれば特に嘘はつかない。それをよく知るだけに、と健司は神妙な顔をして固まっている。

「諸説あるけど原因は不明、治療法も今のところ対処療法しかなし、完治ゼロ」
「それって……
「ああ、大丈夫、感染症じゃない。てか空気感染するならとっくに蔓延してる」
「花形は大丈夫なの……?」
「今のところ平気だな。まあ、患者に共通点もないし、現時点ではかかるかどうかは運としか」

花形はヘラヘラ笑っているが、20年間解明の糸口すら掴めない、しかし清潔で安全なはずのアンブローシアでしか現れない病という事実には背筋が冷たくなった。自分たちはアンブローシアとは無関係ではないかもしれないという可能性がある。もしどちらかが発症したら……

その日の夜、外縁地区住民とは違い、風呂に入らねば気持ち悪くて眠れないという花形がシャワーを使っている間に、はリビングにあたる場所でジャンク品のホロレンズをいじっていた健司の隣に腰を下ろした。

「ねえ、私たちも病気、大丈夫かな」
「外縁地区ではかからないって言ってたじゃないか」
「もしアンブローシアにいたことがあっても、ここにいれば大丈夫なのかな」
「オレにわかるわけないだろ。花形みたいなやつらが何年研究してもわからないのに」

不安なのは健司も同じなのだ。自分たちは、推定3歳から4歳の時に噴水広場で保護される以前の記録がない。親が誰なのか、どこで生まれたのか、どんな関係があるのか、何もわからない。

幸い自分の名前を言うことは出来たので、も藤真健司も本人が名乗ったものだ。けれどそこまで。外縁地区中のデータベースを確認したけれど、、藤真という名の家に行方不明になっている幼児はいなかった。――アンブローシアでは、確認できていない。

も健司も、不完全な外縁地区住民なのだ。

「だけど、たまにいるよね? アンブローシアから出てきちゃってこっちに住み着くような人」
「本当にたまにだけど……
「でもそういう人はかかってないわけだから、大丈夫だよね?」

健司が返事をしないので、は俯いて首にぶら下げている指輪を取り出した。

……もし私たちが実はアンブローシアで生まれたのだとしても、もう10年以上」
「それは引っ張り出すなよ。しまっとけ」
「だけど、これも同じじゃん。外縁地区にはないもの、アンブローシアにしかなかったもの」
「だとしても病気はどうにもならないだろ。かかったら死ぬしかないんだし」
「そういう言い方しなくたって……心配してるだけじゃん」
「しても何も変わらないだろ!」
「だけど!」

また言い合いに発展しそうになったところで、シャワーの音が止まった。は立ち上がって指輪を通してあるチェーンごと服の中に戻す。花形はもうとっくに指輪の存在を知っているけれど、健司は見せたがらない。それに合わせる習慣がついているので、もつい慌てて隠した。

……健司が心配してるのは、バスケのことだけだもんね」

何も考えずに「そんなことない」と口をついて出るなら、やっぱりこんな風にこじれなかったんだろう。ウッと詰まってしまった健司を置いて、はまっすぐに自分の部屋に帰ってしまった。

「シャワーありがとなー……ってどうした?」
……どうでもいいだろ」
「また喧嘩したのかよ。急いで追いかけて抱き締めてキスすりゃ全部丸く収まるぞ」
「お前アンブローシア市民のくせに発想がなんでそんなに古いんだよ」

吐き捨てるように言った健司だったが、ホロレンズを弄くりながら静かにため息をついた。

今年も出られなかったチャンピオンシップ、きっかけを失いギクシャクするばかりの関係、外縁地区の普通感覚、それを持て余していたところに厄介な病気の疑惑まで湧いて出た。ただでさえ出自が不明で不安なのに、余計に気が重くなることばかりだ。

それを感じ取ったか、花形はタオルで髪をかき回しながらニヤリと笑った。

「古い? シンプルだってことだろ。本能に近い、生物として正直だってことだ」
「生物で一括りにするな。もうそんな単純な話じゃないだろうが」

ニヤニヤするばかりの花形に背を向けた健司は、ホロレンズを投げ出してソファにひっくり返った。