天使と悪魔

09

「どうやっても解除不可能なロックを掛けてあるから、これを再生しているのは藤真健司、そしてのはずです。もしその場に第三者がいるなら、どうかこのふたりに協力的な人物であることを願います」

女性は真っ白なテーブルに肘をついて、カメラに語りかけている。それほどたくさん写り込んでいないけれど、ラボや公共の場所ではなく、自宅のようだった。彼女は真っ赤なトップスに白っぽい石のアクセサリーを付け、髪はしっかりと整えられて、美しく化粧を施していた。

データパックに残っていた画像よりは歳を重ねているように見える。外縁地区とアンブローシアでは外見による年齢判断が少々異なるけれど、概ね50代か60代といったところだ。

彼女は名を名乗り、ついでに夫の名も挙げ、センターラボで働くドクターだと自己紹介した。

「数年前までは都市管理AIの開発に携わっていたんだけど、今は、そう、ある種の自己免疫疾患の治療法を確立するための研究をしてる。推移が緩いからまだそれほど焦っていない人が多いけど、確実に患者が増えてる。なのに成果が上がらない。いつかこの病はアンブローシアを食らい尽くすかもしれない」

最近蒸し返された話なので戸惑うが、これは彼女が行方不明になる前に記録されたものだ。先日花形が言っていたように、未だに治療法は確立されていない。緩やかでも確実に増え続ける奇病の深刻さにやっと気付いたのだろうが、まだ打つ手がない。

「自己免疫疾患と言っても……いえ、難しい話はいいわね、先に言っておかなきゃならないことがあるもの。とにかくこの病、免疫細胞が正常な細胞を攻撃してしまうという点では既知の病と同じなんだけど、どうしてもそれを制御できないの。他の症例の治療法は効き目がなかったし、今のところ高齢者に多い症状だから加齢によるものと片付けたがる人も少なくない」

がちらりと花形を振り返ると、彼はしっかりと頷いた。今でも変わってないらしい。

……それで、これは偶然だったんだけど、稀な症例の治療に必要で、外縁地区の住民に血液を提供してもらったことがあって、だけど外縁地区の人間の血なんて、って思うのがここでは普通だし、徹底的に検査をして安全を確かめたんだけど、その中に見慣れない免疫細胞が混じってたの」

ドクターは息を呑み、手をふらふらと動かしている。

「それが持ち込まれたのはまだ私たちがラボを移動して1年足らずの頃だったと思う。試しに例の奇病を発症してる末期の患者に投与してみたら、なんと、コントロールを失ってた免疫細胞が落ち着き始めたの。この時は量も少なかったし、2日ほどで未知の免疫細胞自体が死滅してしまったけど、ラボはもう大騒ぎ」

繰り返すがこれは十数年前に記録された映像である。と健司はおやと顔を上げた。だったらなんでまだ花形は治療法を研究してるんだ?

……でも、血液を提供してくれた外縁地区の人が誰だったか、わからなくなってしまったの。もちろん未知の免疫細胞の培養は失敗。治療に使うにはある程度長い期間投与し続けないと効果がないようだったんだけど、だけどこれが効果らしきものが現れた唯一の例だったの。だから私たちは……いえ、そうじゃなくて、私たちは最初からずっと傲慢だったのよ、だから、こんな奇病に侵される羽目になったんだわ。ごめんなさい、ちょっと止めるわ、大丈夫、すぐ再開するから」

急に不穏なことを言い出したドクターはカメラの向こうに何やら声をかけて録画を止めた。ドクターの独白ではなく、あの夫が同席しているんだろうか。映像は一瞬静止し、すぐにまたテーブルに肘をついたドクターの姿が現れた。テーブルの上にはこれまた真っ白なカップが増えていた。

「続けます。余計なことを言い訳がましくダラダラと喋るのはやめます。私たちは、その未知の免疫細胞を求めて、外縁地区からたくさん人を集めたの。誰があの免疫細胞を持ってるかなんてわからないから、外縁地区で騒ぎになりにくいように、あちこちからランダムにピックアップして、言葉巧みに誘い出して、検査して、でも中々キャリアは見つからなかった。そりゃそうよね。だけど焦っていたから……

ドクターはたっぷり何秒も間を置いて、大きく息を吸い込む。

「私たちはとうとう幼い子供までさらって来て血液を採取するようになった。最初のキャリアがとても若い男性だったという記録、それだけに寄りかかって若者、子供、しまいには幼児にまで手を出すようになった。そうしてやっとキャリアが見つかった。それもふたり同時に」

と健司だけでなく、花形も肩をぎくりと強張らせた。まさか。

「健司、、それがあなたたちよ。あなたたちふたりはそれぞれ外縁地区のどこかわからない場所から連れ去られてきた子供で、ほんの2歳くらいだった。だけどあなたたちの血液の中にはあの未知の免疫細胞だけじゃなくて、見たこともないものがたくさん存在してた。血液検査をしたのは私だったんだけど、それを確認した時は、本当に有頂天だった。宝物を見つけたような気分だった。だけど、ものの数分で私は天国から地獄に突き落とされた気分になったの。未知の免疫細胞が見つかったということは、あなたたちはラボで飼い殺しにされるということだし、きっとアンブローシアのお偉いさんたちは研究の傍らあなたたちの血を早く投与してくれと言い出すだろうし、つまり家畜のような扱いを受けるということになる」

一転、花形はかくりと頭を落としてため息をついた。健司はそれをちらりと目の端にとめながら、変わってないんだな、と思った。そして花形はこうして非人道的な体質のセンターラボに対しても思うところがあるらしい。

……実は、私と夫の間には、子供ができなかったの。不妊治療は結婚3年目くらいからずっと続けていたけど、私はとうとう閉経、血の繋がりのある子供を持つという夢は絶たれた。目の前で遊んでいるあなたたちを見ていたら、自分が持てなかった子供への、諦めたと思っていた夢が溢れてきて止まらなくなってしまった。さらってきた子供は万が一の発覚を恐れて出身地や個人情報に当たるものの記録は一切取ってなかったから、すぐに親元に戻せなかったことは確かなんだけど、だけど、あなたたちはとてもかわいくていい子だったから、このままでは飼い殺しにされて血液を搾取されるだけの一生を送ることになってしまうのが偲びなくて……それで、連れて帰ってきてしまったの。アンブローシアのプライベート尊守は絶対、一度自宅にさえ連れて帰れば、あとはバレようがない。まあその、セキュリティの方は少し細工をしたけど、今一緒に暮らしてるの。あなたたちは、本当にいい子よ。最近はたまに私と夫のことをパパとママと呼んでくれるようにもなったの」

の目からぽたりと涙がこぼれた。本当の親の情報はここにもないようだが、孤児院のママ、ドノさんに続いて、また自分たちを守ってくれた人が現れた。ほんの短い間だったかもしれないが、パパ、ママ、と呼んだ人がいたのだ。ぽたぽたと涙が溢れるの肩を、健司も万感の思いで撫でさすっていた。

「でも私たちはあなたたちをこっそり養子にしたくてラボから連れ出したわけじゃない。だってそうでしょ。私たちはもうそれほど若くない。永遠にあなたたちを匿っていられない。だからこの家に連れてきた直後から再び外縁地区に戻すことを計画してきた。だけじゃない、あなたたちが例の奇病――私はイブリースと呼んでる。ちょうど古い神話を読んでたものだから、そこから拝借した名前。悪魔の名前なの。そのイブリースに唯一抵抗し得る武器を持っているなんてこと、絶対にバレないようにする方法をずっと準備してきた」

ドクターの表情が冷たく厳しいものになってゆく。これは決意の告白だったんだろう。

「それが2年近くも時間がかかっちゃったのは、許してね。あなた達との生活が楽しかったのよ。あっという間だった。本音ではもっとずっと一緒にいたかったけど、アンブローシアで外縁地区の子供を養子にするなんてことは不可能だし、元々誘拐されてきた被験者だってことはラボの人間なら誰だって知ってるからね。それに――もういい加減にこの天使たちを生まれた場所に返しなさいって、そう神様に叱られたのかしらね。先日夫がイブリースを発症したの。ふたりの血液から免疫細胞を取り出して投与しようかと思ったんだけど、夫は拒否したわ」

そこで顔を上げたドクターは、カメラの向こうとカメラの真ん中と、どちらもひたと見つめて言った。

「私たちは子供を授からなかったわけじゃないの。すれ違いが重なってしまって出会えなかっただけなの。そしてとうとう私たちの方が子供を迎え入れられる状態ではなくなってしまっただけなの。だから私たちが天国に行けば、私たちが出会うはずだった子供に会えるの。その時に、パパママと呼ばせてたくせにあなたたちふたりの血液を大量に搾り取って生き永らえたなんて言ったら、子供に怒られるわ。だから、近くあなたたちを外縁地区に逃がすことにした。準備は2年近くもかけたんだから、完璧。絶対に安全よ」

まだ見ぬ自らの子への母の顔になっていたドクターだったが、最後はアンブローシアを動かすほどの頭脳を持った科学者の顔になっていた。完璧、と言いながらカメラを指差し、そして自信あり気ににっこりと微笑んだ。

やがて映像が切り替わり、今度は先程より画面内が明るくなっていた。ドクターの服もクリーム色になっている。

「今夜、あなたたちを外縁地区に戻すわ。ふたりともどこの子かわからないから、とにかく外縁地区の中でも1番外側の孤児院がある街にしたの。翔陽町ってところ。今もそこにいるかしら? 孤児院があるくらいだからそれほど治安が悪くは――
「ママー、健司がボール返してくれないー」

まるで会議のように淡々と話していたドクターだが、そこに小さな子供の声が飛び込んできた。3人は思わず背筋を伸ばしてハッと息を呑んだ。言葉からしてだ。ドクターは一瞬で表情が緩み、テーブルの下にかがみ込んでいる。

「ボール遊びしてたの?」
「投げてって言ったのに健司ボール持ってる」
「健司ー、と一緒に遊びなさい、ひとりで遊んでちゃダメよ」
「やだよー、へたっぴなんだもん」
「へたっぴじゃないもん!」

愛らしい声がキャンキャン響いている。この頃から健司はボール遊びが好きだったのかと思うと、おかしくもあり、しかしそんな幼い頃の自分たちの様子にまたの涙腺が緩む。ここでの生活は、たった2年ほどだったかもしれないけれど、きっと幸せだったんじゃないだろうか。

「困ったわね、健司はとにかく活発で、はちょっと文句言いかしら」

そう言いながらドクターの顔はちっとも困っていない。かわいくて仕方ないのだろう。

「ああ、そうそう、あなたたちの名前はもちろん本名じゃないわ。名前は私たち夫婦が元々子供を授かった時のために男女ひとつずつ考えていたもの。苗字はそれぞれ私たちの母親の旧姓。アンブローシアでも外縁地区でもそれほど珍しい名ではないから、そこから足はつかないはずよ。一応外縁地区のデータベースをさらってみたけど、同姓同名もいないし、特に戻す予定の外縁地区の南にはどちらの苗字も少なかったわね」

そして彼女たちは名付け親でもあった。は鼻をグズグズ言わせて健司の手を握りしめている。

「一応説明しておくわね。今夜、あなたたちをみすぼらしい身なりにして翔陽町の目立つ場所へ放置します。誰かが通りかかってあなたたちに気付くまではもちろん見てるわよ。ゲートは衛生局のIDを偽造しておいたから、それで通れるし、あなたたちは検査器具のケースに入ってもらうわ。定時のスキャンは偽装プログラムね」

健司がまた花形をちらりと見ると、小さく何度も頷いている。似たような方法を使っていたらしい。

「今はああやって喧嘩しつつ遊んでるけど、とても仲良しなのよ。よく王子様お姫様ごっこをしてる。ここに匿った時からあなたたちには手を繋いで離したらダメ、と言い聞かせてきたから、今日もふらふらとどこかへ行ったりはしないと思う。遊んでる時は夢中になってるけど、言いつけをよく守るし、あなたたちは本当にいい子。ああそうそう、お菓子を少し持たせてあげるね。特に健司は飴を舐めているとしばらく大人しくしてるから、今日は好きなだけあげるつもり。あとはこの指輪をそれぞれに持たせます。クシャスラと未知の免疫細胞の研究データが入っているサーバーは数日後にまとめて隔離してこれでロックをかけます。あなたたちがアンブローシアのセンターラボと関係があるということが公にならない限り、解除できないロックになる」

花形という存在さえなければ、おそらく一生と健司はこの映像に出会うことはなかっただろう。健司は何が何でもアンブローシアとは関わり合いになりたくないと思っていたけれど、しかし名を授けて慈しんでくれた人の姿と声を知ることができたのは素直に嬉しかった。

そして、翔陽町の噴水広場に捨てられていたことの理由が全て明らかになった。記憶は繋がった。

ドクターふたりが幾重にも偽装を施して翔陽町に降り立ち、噴水広場にと健司を置き去りにする。お菓子を持たせ、健司の口には飴を突っ込み、絶対に手を離しちゃダメよときつく言い聞かせ、この指輪もなくしちゃダメよと言ってその場を離れる。

ふたりはどこでそれを見ていたのだろうか。やがてそこにかつての仕事仲間と飲んできた帰りのドノさんが通りかかる。こんな時間にこんな小さい子が何やってんだ!? とドノさんは驚いて、ここにいろよと念を押して顔役のところに走る。顔役はママを呼びに行かせ、噴水広場はにわかに騒がしくなる。

それを確かめたドクターたちは、その場を後にしてアンブローシアへ戻っていく――そんなところだろう。

すると急に映像が切り替わり、今度は奇病を患っているという男性の方が現れた。顔色は良くない。

「君たちは数日前に無事あの町の孤児院に保護された。どれだけ外縁地区のデータベースを漁ってもふたりに該当するようなデータはないだろう。元々は赤の他人だし、年も定かではない」

しかし女性の方と違って彼はやけに早口で興奮気味で、涙目になっている。

「私も症状の進行が早い。幼い君たちから血を大量に抜き取るなんてとてもじゃないが出来なかった。だけどその決断を私は誇りに思っているし、この後最後の大仕事があるから、今はちょっと興奮しているな。私たちは自分たちの研究にひとつの結論を見出したし、それを実践しようとしているし、それはアンブローシアの発展には何ら貢献しない自己満足だが、ひとりの自由な人間という生物としては最高の幕引きと思っているよ」

一体何の話だ。話の内容が何やらずいぶん不穏になってきた。

「健司、、はっきりと言っておこう。これから私の妻は大脳だけになってこの筐体に生体接続をして、我々の研究データが全て入っているサーバーを収めた部屋をロックする。元々データを守るために作られた部屋だから、外からの破壊は不可能、本当はサーバーを全て破壊できればいいんだが、アンブローシアではそういう暴力的な手段は難しいんだ。だから閉じ込めて解除できないようにする」

3人は目をひん剥いて目の前にある筐体から思わず体を遠ざけた。ドクター、この中にいるのか!?

「幸い妻は健康だし、ある程度は自我を保ったままバイオコンピュータ化することで君たちを半永久的に守っていかれるはずだ。もしこの映像を君たちが見ているのだとして、それが今にも死にそうなヨボヨボの年寄りであったり、または例の奇病が落ち着いて君たちが持って生まれてきた免疫細胞なんて特に必要ないという世界になってることを祈ってるよ。さあおいで、ダーリン」

彼がそう言って一歩下がると、手術着のようなものを着た女性が現れ、笑顔で手を振っている。

「私が私の意志で鍵をかけるから、いくらハッキングしようとしても無理よ。アンブローシアは都市管理AIを現実にすることでもっともっと選ばれし者のみの町を作る気だし、クシャスラが稼働し始めたら外縁地区も用済み、その暁には破壊するつもりでいるようだし、そんな町、イブリースで全滅すればいいんだわ。今あなたたちがこの映像を見ているなら最初のロックは解除できたということになるけど、その先はいくら健司とでも解除できないわよ。あの部屋のロックは私が望まない限り開かない、私は望まない、部屋を破壊しようとすればサーバーもろとも。絶対に手出しできない!」

彼女もずいぶん興奮気味だ。凄まじい笑顔で物騒なことを嬉しそうに喋っている。

「ああそうそう、でもこのバイオコンピュータはそんなに堅牢な筐体ではないし、もしこの映像を最後まで見たらすぐに破壊して欲しい。妻の自我は残っているが、ロック解除を承認しないという点以外は非常に曖昧だ。痛みもないし、恐怖もない。あるのは……そうだな、多少の怒りくらいか? この筐体を設置場所から引っ張り出したのだとしたら、ある程度こうした機械の扱いに慣れてる者が一緒だろうし、その人! 頼んだよ! 必要なメモリが膨大だから、部分的にシノウゾル16を使ってることを除けば、あとは廃棄にも困るようなものはないからね。私は一足先に私たちの子供の元へ行ってるから、どうか妻を我々の元へ届けて欲しい!」

花形の顔色がサッと青くなるが、確かにそれはと健司では無理だ。

「だったら開かないロックだけかけておけばいいだろう、って? そりゃそうだな!」
「でもこの記録は残しておきたかったのよ! 健司とへのラブレターってとこね」
「それにふたりが自分たちに何があったのかを知る術がゼロってのも、なあ?」
「まあ、仕事じゃないんだし、このくらいの『遊び』はあってもいいでしょ? ほんとに楽しかった」
「君たちを翔陽町に置き去りにする時はつらかったけど、でもそれも大冒険だった。楽しかったよ!」

よほどの興奮状態にあるらしい。ふたりはなんとも楽しそうだ。

「私たちを憐れまないでね。私は自分の研究だった大脳のみを残した全身の機械化を自ら体験するわけだし、それがどんな景色なのか楽しみでもあるの。それがどんな世界なのかを発信できないのはちょっと残念だけど、私はこの筐体の中でのんびり夢でも見てるから、その時が来たら私の望みと思って壊してね」
「私の方はまあ自死と言えなくもないけど、この病だけはどうにもならんから、まあそれも運命さ! 愛しい妻の脳を使ってバイオコンピュータを作り、ロックを掛けたら、またあれこれ偽装してアンブローシアを出ようと思う。アンブローシアの外にさえ出てしまえば、行方不明になるのは簡単だからね。男ひとり、死の病を抱えてあてもなく旅に出る。ロマンじゃないか! 最後にもう一度冒険をしてくるよ!」

そしてふたりは肩を抱き合い、投げキッスをし、手を振る。

「じゃあね! ふたりとも仲良くするのよ!」
「もう年寄りかもしれないぞ」
「いいわよ、死ぬまで仲良くするのよ!」
「結婚してるかもしれないじゃないか」
「じゃあ喧嘩しちゃダメよ! 、あんまり小言言わないのよ!」
「健司、男の方が少し引くくらいが円滑に回るぞ!」
、健司、愛してるわ! 大好きよー!」
「そうだそうだ、私たちは君たちのことを死ぬほど愛してるからなー!」
「バイバーイ!」

ケタケタと笑いながらそんなことをまくし立てるふたり、夫の方がサッと手を伸ばしたところで、映像は止まった。静止画になってしまったモニタには、満面の笑みのふたりが大写しになっている。

ソファを滑り降りると、は筐体に手を触れてぼそりと呟く。

……この中に、いるんだ、ママ」

コンピュータとは言うが、無音だ。稼働音はしない。はモニタを覗き込んでみるが、OSと交信できるようなシステムは入っていない模様。花形をちらりと振り返ってみるも、彼もゆっくりを頭を振る。

「まだ生きてるのに、脳だけになっちゃうなんて、怖くなかったのかな」
……異様な興奮状態だったな。薬物の類は入ってないっていうのに」
「なんでわかるの?」
「そんなもの入れたまま生体接続したらずっと残っちゃうだろ」
「全部覚悟の上で、だけどいよいよって時に気持ちが昂ぶったのかもしれないな」

対する3人は興奮とは対極の感情で満たされていた。不思議な感覚だった。たくさんの謎がすっかり明らかになったけれど、この夫婦はどうあっても都市管理AIと未知の免疫細胞に関する研究データを渡すつもりはないようだし、バイオコンピュータ化してまで筐体の中に残ったのは、たくさんの自己満足によるものだった。

バイオコンピュータ化して約十数年、ドクターは新たな世界を存分に堪能しただろうし、渾身のラブレターはちゃんと子供ふたりに届いた。この筐体があろうがなかろうがサーバーを収めた部屋は開かないし、役目は終えたと言えるだろう。

はまた花形を振り返って、少しはにかんだ。

「壊すの、やってくれる?」
……いいのか?」
「もちろん。ママをパパのとこに送らないと」
「藤真は?」
「頼む」
「復元、できないぞ」

データをどこかにバックアップしておけば、気が変わっても安心、とはいかない。筐体を開き、シノウゾル16に囲まれ、テロメックスで接続されたドクターの脳は取り出したが最後、その機能を全て失う。即ち、ドクターには十数年越しに本物の死が訪れるということだ。

もはやヒトとしての機能はほとんど失っているとはいえ、わずかだが自我の残る状態の脳の機能を完全に止めることは殺人の範疇なのかもしれない。しかし本人はさっさとやってくれと言い残しているし、その思いを傾けられている子供たちもそれを望んでいる。花形はため息をつきつつ、肩を落とした。

……わかった。明日、やろう。藤真、棺を作ってくれ」

外縁地区に緑地は少ない。人々の生活の場に自然はほとんど見られない。しかし幸いにもここは外縁地区の外れ、少し行けば人家も途切れ、荒涼とした大地が広がる。しばし農家が点在するが、それも過ぎると土と木と岩と水だけの大地がどこまでも広がっている。

埋葬はどこにでもできる。墓標はなくてもいいだろう。遠くにいつでもアンブローシアのタワーが見えるから。

健司のとなりに戻ったは、頬に残る涙を手で拭うと、改めて花形の方へと向き直った。

「今度は花形の番ね。私たちに隠してたこと、全部話して」