天使と悪魔

06

それなりに自治が出来ているとはいえ、外縁地区はアンブローシアに比べたら無法地帯である。司法はアンブローシアのものを真似てざっくりと置いてある程度、警察に相当する組織はあるが、アンブローシアほど厳格ではない。しかしそんな外縁地区にも「法」はある。

アンブローシアと違い、基本的には「他人の健康や財産を脅かしたものに対する罰則」が中心の外縁地区の法だが、そんな中でもきっちりと定められている数少ない法が「近親婚」を禁じるものである。

どうやら古い時代に無秩序な外縁地区では近親交配が横行していたらしく、そのあたりは都市伝説の域を出ないが、とにかくアンブローシアから「ゴミ溜め」と呼ばれている外縁地区でも、親子、きょうだい間での婚姻が認められないのはもちろん、妊娠出産も男女双方刑罰対象である。

外縁地区には義務教育がないので、全員一定の年齢になったら性教育、という手段は取れないけれど、それでもこの「近親婚」がタブーであるということは、子供の頃から刷り込まれる。

しかし義務教育のない外縁地区のこと、アンブローシアでは考えられないことだろうが、や健司が幼い頃にクロウゾン鉱山に従事していた姉弟が互いに恋愛感情を持ち、鉱山の宿舎で姉が弟の子を産んでしまうという事件が起こった。幸い子供は健康体だったけれど、姉弟はすぐに当局に連行された。

そしてその子供は鋼町の孤児院行きとなった。つまり孤児院ネットワークでママがこの話を耳にし、ことさらしっかりと院の子どもたちに「親と子供、きょうだいは結婚できないのよ」と言い聞かせるに至ったというわけだ。

また、と健司に関して言えば、後年花形という友人を得たことで、なぜそれがダメなのかということを医学的に説明してもらったので、実に納得の「タブー」だったことがわかっている。

だからこそ余計に恐れていたのだ。もし自分たちに血縁があったらどうしよう。

もちろん近親婚云々と言っても、表向き夫婦を名乗らず、恋人のようにも振る舞わず、ただ心の中だけで近親者に恋愛感情を抱いているだけなら問題になりようがない。問題は子供が出来てしまった時なのであり、それが姉弟・兄妹の異性間の感情であれば、リスクはより高まる。

もし自分たちがきょうだいで、同じ親から生まれた家族だったとしたら。と健司が誤魔化しつつもお互いに抱いている感情はあまりに危険なものということになる。許されない感情であり、それを永遠に押し込めておけるならまだしも、万が一その堰を切ってしまったら――

噴水広場に置き去りにされた幼い男女の子供。手を繋いで離さず、ちょっとでも引き離されようものなら泣いて嫌がった。そんなふたりを「きょうだいなのでは?」と考える人は多かった。だが、一見して容姿が似ていないことと、経験豊富なママから見て年齢にほとんど差異がないことが血縁に非ず、との結論になった。

実際、と健司は身体的にも知能的にも同じくらいの成長を続け、10歳を過ぎたくらいから健司の方が体が大きくなってきたというくらいで、ふたりが他人であることは誰も疑っていない。それがいつまでも心に引っかかって取れずに煩悶しているのは当人たちだけだ。

似てないことは理由にならない。年齢は年子ということも充分ありうる。いやいや、父親が同じで母親だけが違えば同い年ということもあるじゃないか。自分たちには血縁の可能性がたっぷり残っている。

も健司も成長するに従ってこれを恐れ始めた。自分たちがもし血の繋がった関係だったとしたら、世界にただひとりきりの相手とは絶対に愛し合えないことになってしまう。特には怯えた。健司以外の男に気持ちが動かないことを確信した頃には、もし血縁関係があったら自分は一生子供を持てないと考えて絶望した。

程度の差はあるにせよ、ふたりとも、どうか赤の他人でありますようにと祈り続けてきた。

それなのに、その最も恐れていた「血縁関係があることの証拠」らしき存在が浮上してきた。

ふたりの迷子の所持品は件の指輪とポケットに焼き菓子が少し。には女物が、健司には男物が持たされていた。ふたりはそれを固結びで輪にした紐にぶら下げており、取り上げようとするとどちらも泣きわめいた。親から持たされたものと考えても不自然なことは何もない。

ふたりがあの夫婦の子供で、何らかの事情で子供を手放さなくてはならなくなり、しかし家族の繋がりを示すものを残さずにはいられなくて指輪を託した――それはとても自然なことのように思える。と健司がぴったりくっついて離れたくないのも、生まれてからずっと一緒だったからと考える方が自然とも考えられる。

以前、自分たちの出自を花形にかいつまんで説明したことがある。花形はきょとんとした顔をして、近親者かどうかの鑑定をやってやろうか? と言い出した。外縁地区では少々値の張る検査なので孤児院では行われなかったけれど、花形は自分でその検査ができる職についている。難しいことではない。

しかしふたりは同時に断った。そんな大袈裟な、と誤魔化したけれど、もし万が一血縁関係があることが証明されてしまったら、もう一緒にいられないと思ったからだ。結婚しなければいい、子供を作らなければいい、口で言うのは簡単だ。だけど心がついていかれない気がした。

それを思い出していた健司は、脇腹にチクリとした痛みを覚えて我に返った。

「こら、やめなさい。お兄ちゃんはお仕事してるのよ」
「えー、ふじませんしゅ、ねてたよ!」
「寝てないわよ! 危ないから離れなさい。健司、ごめん」
「平気平気。オレもちょっとボーッとしてた」

また孤児院のオートモービルの調子が悪いと言うので健司はひとりで修理に来ていた。そこでボーッとしてしまった健司が寝ていると思って、院の子供がドライバーで脇腹を突っついてきたというわけだ。ドライバーの横に置いてあったニードルでなくてよかった。

「珍しいわね、あんたがボーッとしてるなんて」
……ここは気が休まるから」
「休まってるような顔、してないけど。大丈夫?」

やはりママはお見通しだ。健司は苦笑いでヒヨコとニワトリの闊歩する孤児院の庭にあぐらをかく。

も疲れた顔をしてる時があるし、しんどかったら戻っていらっしゃいよ」

ママは基本的にはいつでもこう言う。里親に引き取られた子供のことはあまり口に出さないし、すぐに結婚が決まった子供のことは自分の子のように喜ぶが、独り身で働いている院出身の子供のことはいつまでも心配している。ママの基本理念は「人はひとりきりでは生きていけない」なのである。

それで言うと健司とはひとりではないし、放置されていたあの夜からずっと一緒だけれど、外縁地区では適齢期に突入しているにも関わらず結論が出ないままであることを案じているのだろう。

それが院に戻ったからとて結論が出るわけでなし、しかし健司の言うように気の休まる「実家」なわけだから、みんなで過ごしていればしんどさも和らぐと考えているのかもしれない。

「大丈夫だよママ、もう子供じゃないんだし」
「わかってないわね、子供じゃないから心配なのよ」
「どういう……
「ほとんどの子供はしんどければ泣くしグズるし、すぐわかるけど、大人はそうじゃないもの」

ママが真顔でそう言うので、健司は思わず吹き出した。確かに。

「もしかしてチャンピオンシップの件、まだつらい?」
「あー、まあ悔しいは悔しいよ。でももう平気」
「じゃあのこと?」

これも笑って誤魔化せばよかったのだが、ちょうどそのことでウジウジしていたので、顔に出た。

「恋仲になっても誰もからかったりしないわよ」
「恋な……いやいやママ、そういうことじゃ」

ママは至極真面目だ。手遅れとは思うが、健司は苦笑いで手をパタパタと振った。

「オレたちはそういうんじゃないよ。きょうだいかもしれないんだしさ」

だが、ママの真顔は崩れない。緩く頭を振る。

「それはないわよ」
「はは、まあ検査もしてないわけだから」
「健司、私はこれでも40年近く子供を育ててきたのよ。間違いないわ」

ママは元は保育士だ。と言っても外縁地区にはそんな資格はないし、ただの託児所の職員ということでしかないが、それでも確かに40年近く子供ばかり毎日見て暮らしてきたことは確かだ。

「託児所時代も孤児院になってからも、きょうだいはたくさん見てきたけど、あなたたちは違うわよ」
……そうかな」
「そう、それを気にしてたのね。どれだけが好きでも、もし血が繋がっていたら――
「ちょちょちょ、ママ、そういうことじゃ」

そういうことだが健司は慌てて否定した。ママの言う「どれだけが好きでも」という言葉が、「どれだけと体の関係を持ちたいと思っても」という風に聞こえてしまったからだ。血が繋がっていたら、それは最大の禁忌だからね、とまとめるなら、結局意味は同じだ。

だがママは意に介さない。

「すぐそうやって誤魔化すけど、賭けてもいいわよ。あなたたちは赤の他人」
「だから、大袈裟だって。賭けなんて」
「いつかそれが証明されたらあなたの負けね。そしたら週に一度はふたりでここに来ること」

ママは健司の頬に触れて優しく微笑む。

「それでみんなでご飯食べるの。約束よ」
……もし血が繋がってたらどうするんだよ」
「それは好きになさい。私は絶対負けないから、なんだって好きなことでいいわよ」

自信満々のママの笑顔に、健司はつい小さく頷いた。

一方その頃はトラットリアでため息を付いていた。

花形が古いデータパックを持ち込んできて以来、健司との仲が余計にギスギスしているので、疲れていた。もしきょうだいだったら、だとしたらなおさら「本当のパートナー」を見つけるためにも同居を解消した方がいいと言われるのではないか。そんな考えが重くのしかかってきていて、気が晴れなかった。

健司がの手を離し、同じベッドで寝るのはやめよう、部屋を分けようと言い出したのも「もしかしてきょうだいかもしれないし」と思ってのことだったのかもしれない、いい年してお姉ちゃんか妹と同じベッドで寝るのは恥ずかしいと思ったかもしれない。には理に適ったことに思えた。

「どうした、具合悪いのか」
「えっ、あ、ううん大丈夫。バイトが増えたから体が慣れないだけ」
「働くのはいいけど、無理すんなよ。妊娠してたら流れちまうぞ」
「してないことだけは確かだから大丈夫」

外縁地区では基本的にこんなやり取りは日常茶飯事である。花形に言わせると「アンブローシアだったら人格を疑われるレベル」だそうだが、まあ極端な話、文化程度が違うのでそれを突付いても仕方あるまい。外縁地区ではこの手の感覚が「失礼」とされることも、ほぼない。

たちを引き取り面倒を見てきたこのトラットリアのご主人、ドノ氏はこんなことを言いつつも独身である。彼は11人きょうだいのド真ん中で育ったのだそうで、出来るだけひとりがいい、という。と健司を預かっていた頃は少年時代を思い出して「少し楽しくて少し鬱陶しかった」と回想している。

というかそろそろふたりが年頃なので、特に自分は独身男性だからだけでも外へ出さねば、と彼が考え始めたことが、ボロビルへの転居のきっかけとなった。なのでママよりもさらに「と健司は言わないだけで恋仲」と思っているタイプだ。

しかしも健司も、ママと違ってドノさんに対しては親へ抱くような思慕がない。どちらかと言うと、学校の先生のような感じだった。彼はふたりが職業訓練プログラムを受けている間も積極的に店の手伝いをさせ、接客を通して、いわば社会勉強をさせていた。

このトラットリアの2階で過ごした数年はつまり、寄宿学校のような感じだった。ドノさんはママのように細やかに心を砕いて労ったりしない。朝から晩まで何をするのでも役割分担を決めて、それぞれ担当することにはしっかり責任を持ち、怠ければ叱られたし、しっかりこなせば褒められた。

のちにこのことを花形に話したところ、健司がヴェルデ・ビアンコのリーダーを難なくこなせているのは、このドノさんとの生活があったからでは、と言われた。生活まるごと学校生活のようなもので、よく反抗心が育たなかったな、と驚かれもした。反抗なんかしたら引き離されるからしなかっただけである。

「ねえドノさん、ドノさんてお姉さんとか妹さんて、いるの?」
「なんだ藪から棒に。姉ちゃんふたりに妹3人いるよ」
「仲いいの?」
「いいわけねえだろ。仲良かったらひとりで食堂なんかやってないよ」
「そ、そうね……

実際に女きょうだいがいる人に聞いてみようと思っただけなのだが、相手が悪かった。ドノさんいわく子沢山ゆえのド貧乏、11人が少しでも人より多く食べ物を手に入れんがため毎日大喧嘩だったそうで、家族のことは「特に好きではない」と言うし、ひもじさが高じて食堂を始めるに至る。

だから余計にと健司に対しても家族を感じさせない付き合い方をしてきたのかもしれない。

「女きょうだいがどうした」
「いや、うーん、私と健司がきょうだいだったらどんなんだろうって、ちょっと思ったから」

正直に申し出てみたに、ドノさんは真顔になった。えっ、なんか変なこと言った?

「んー、確かに発見当時はきょうだいだろ、って言う人も多かったんだけどな。だけど後でママさんや顔役と話してて違うって話になったんだよな。ママさんの長年の勘もそうだし、何よりお前らは自分でその名前を名乗ったんだ。もしきょうだいだったのだとして、なんでわざわざ違う名を名乗らせてたんだ?」

初めて感情論以外の点から否定説が出たのでは目を丸くした。まあそうなんだけど。

「アンブローシアじゃ結婚しても名が変わらんらしいけど、ファーストネームとファミリーネームはちゃんとあるだろ。顔役の話じゃ子供のファミリーネームは成人まで統一されてないとダメらしいし、お前らが保護された年齢を考えても、わざわざ同じだったものを新たに覚えさせるってのは無理がないか? 今日からこの名前を言うんだぞ、ってそんなに簡単に覚えられないだろ。覚えたままの名をそのまま名乗った、って感じだったしなあ」

確かに……は頷く。理屈として間違ってはいない。

「年齢がほぼ同じに見えたし、腹違いってことも考えたけど、もしお前らがアンブローシアで生まれた子供なら、それが揃って外縁地区の、しかもこんな外れにほっぽり出されるってのは、ちょっと考えにくいからな」

外縁地区と違ってアンブローシアではまず「孤児」が発生しにくい。親族全員が揃って他界しているというケースはごくごく稀だし、里親里子制度も整っているので、「事情があって育てられない子供」というものがそもそもいないのだ。子は等しく財産であり、社会が育むもの、という概念がしっかりと根付いている。

そういうわけで、もしと健司が父親を同じくする腹違いのきょうだいだったとして、そこには父ひとり母ふたり分の親類縁者という引取先候補と、不妊などで養子を求める夫婦がいくらでもいるのである。やむを得ない事情で育てられない結果の「捨て子」は不自然だ。

まあしかしそれは事件性のない「育児放棄」の場合の話だ。

ドノさんはその可能性に関しては考えが及ばないようだが、やむを得ず育てられない、ではなく、何らかの事件に関わってしまったがためにアンブローシアに置いておけなくなってしまったきょうだい、ならまだ可能性は残っている。可能性は潰しても潰しても、なくならない。

「あとはお前らの指輪が男物と女物ってとこだな。もし腹違いのきょうだいなら、どっちも女物だとオレは思うよ」

それもわかるが、決定打と言えるほどではない。と健司に血の繋がりがないと考えられる理由はいくつもあるけれど、それは同時に血の繋がりがあると考えられる理由もいくつもあるということだ。

花形に鑑定をしてもらう勇気はなかった。いつまでもこのまま不安定な関係でいられるとは思えないけれど、しかし外縁地区での「適齢期」を通り過ぎてしまえば、おかしな関係の変なおじさんとおばさんになれるのでは、と逃げ腰なことを考えてしまう。

そうして誤魔化し続けて、やがて死に別れるまで。引き離されるよりは、それでよかった。

「そんなこといつまでもグズグズ言ってるんだったら、さっさと検査すりゃいいのに」
「あはは、高いからなあ、検査」
「何言ってんだ、花形くんがやってくれんだろ? こっそりタダでやってくれるさ」

ドノさんは花形の正体を知らない。しかし表向き花形は病院勤務の検査技師である。検査する人なので何でも検査してもらえる。おまけに友達なんだから無料でやってくれる。そういう理屈だ。花形に言わせるとこれも「悪質な職業倫理感」だそうだが、外縁地区とはそういう町だ。みんなあんまり気にしてない。

トラットリアでのアルバイトを終えたはとぼとぼとひとり家路につく。ドノさんは雑だしママのように愛情豊かではないけれど、親切心はある。と健司を引き離したら可哀想じゃないか、と引き取ったのも彼なりの親切心からだ。はトラットリアの料理が詰まったバスケットを抱えて歩いていた。

トラットリアに住んでいた頃は、毎日朝から晩まで忙しくて、だけど健司と一緒だったから何も怖くなかったし、ドノさん、健司、、とベッドが並んでいたから、よく眠りに落ちるまで手を繋いでいた。孤児院は安らげる場所だった。トラットリアはそれに比べたら、楽しい場所だった。

ドノさんはふたりを子供扱いしなかったし、その分ふたりがドノさんに対等な口を聞いても怒らなかったし、友達同士で毎日協力し合いながら過ごしているような感じで、楽しかった。あの頃に戻りたいとは思わなかったけれど、少なくとも今よりは健司と仲良く過ごせていたはずだ。

健司はまだ帰宅していなかった。はバスケットをテーブルの上に置くと、キッチンの棚を開いて中から透明なビニールパックを取り出した。中には綿棒が数本と滅菌処理済みの細いケースが入っている。

もし気が変わったらいつでも言ってくれ。花形はそう言ってこれを置いていった。検査キットである。

健司は捨てとけと言ったのだが、は捨てきれずにキッチンの棚の中にしまっておいた。使いたいとは思わなかった。今でもこれを使って検査をしなければとは思えない。「血縁関係はない」という結果しか聞きたくない。この検査キットはふたりの間を引き裂くトリガーでしかないかもしれない。

しかし、限界はすぐそこまで来ていた。

いつかもっと無慈悲な形で引き裂かれるのなら、いっそもう終わりにした方がいいんじゃないだろうか。

誰か他にパートナーが出来たと告げられるより、家族だったと諦める方が。

それなら、好きでいることは自由でしょ? 家族なら、死ぬまで愛していても許されるでしょ?

は検査キットを開封し、中から綿棒を取り出した。