グラッシーズ!

13 - メガネの決断

それぞれに大変な騒ぎの体育祭だったわけだが、なんとなくと顔を合わせづらくなってしまった木暮が昇降口を出ると、目の前でその本人が会長たちとわいわい喋っていた。もう部活対抗レースは終わったというのに、魔王さまこと青田もまだいる。

「おお、勇者さまじゃないか、お疲れ!」
「優勝おめでとー! てかリレーもすごかったねえ」

相槌なら打てるけれど、なんと言ったらいいかわからなくて、木暮は無理に笑顔を作った。もそんな雰囲気だ。会長たちの言葉に頷きながら同意しているようだが、少し気まずそうだ。なんでこんなにギクシャクしてるんだろう。木暮は今更ながら首をひねる思いだ。

「さっき言うの忘れてたんだけど、文化祭用にまた撮らせてね」
「おお、わかった。キャップ、体大丈夫か。さっき顔色悪かったから」
「もう平気。リレー全部サボッたから蘇生したよ」

キャップの後ろで元気が有り余っている編集長がまだカメラを回している。

「木暮、頑張れ、大丈夫だから」
「え?」

三井のように、キャップは木暮の肩をポンと叩くと、編集長のところへ行ってしまった。木暮はまた固まる。大丈夫ってなんだよ。頑張れって、何を。木暮は全てわかっていてそんなことを考えては何も言い出さない言い訳にしている。だが、ただ突っ立っているわけにもいくまい。

「みんなこれから打ち上げか?」
「まさか。生徒会はまだ片付け残ってるし、一部にコミュ障がいるから打ち上げなんてとてもとても」
「お前らだけでやったらいいじゃないか。映像部は気にしないぜそんなこと」

気にしないのはそれが編集長だからであって、打ち上げがあったのに呼ばれなければ映像部はまた僻む。喋れないくせに。しかも、ここでいえば特に演劇部はそんな映像部たちと打ち上げなどやりたかないと言い出すに違いないし、そんな席はきっと実現しないだろうし、しても面白くない。

「個人的にはお疲れ会的なことやりたい気はするけどねえ」
「どうしたその声!?」
「まあ、あれだけ喋ればね」

時間が経ち、ヒヨコの声はガラガラになっていた。普段の可愛らしいアニメ声が、典型的なアニメのおばあちゃんみたいな声になっている。木暮は自分の暴発のフォローを入れてもらったことを思い出して、途端に凹む。自慢の可愛い声だろうに、申し訳ないことをした。

「その、色々ありがとう。フォローとかしてもらって」
「気にしないでー。私は私の仕事しただけなんだから」
「そうだよ、ただ原稿読むだけでそれが声の表現なわけがないんだからな」

カメラを回しながら顔を出した編集長がずけずけとそう言い、また遠ざかっていく。

「何だよ、上から目線だな」
「あはは、平気平気。その通りだから。勉強になったよ、こっちこそありがとう」

また言い返せなくなった木暮の横に青田がのしのしやって来る。

「お疲れ、いやー大変だったなお前」
「ほんとにな……
「なんでそんな弱った顔してんのか知らねえけど、逃げたら奪われるんだからな」
「な――

青田の大きな体で気付かなかったけれど、見ればが手を引かれてすぐ横に来ていて、木暮はぎくりと身を引いた。の方も目を合わせづらいらしいが、青田の前でグズグズ言い続けるのもなんだか恥ずかしい。

、なんか帰り道面倒なんだってな」
「あ、ああ、そうなんだよな。、か、帰ろっか」

わかっちゃいたけど全員我慢できなかったらしい。気にしないでいてやろうとしていた会長たちはピタリと黙り、一斉に木暮とたちの方を振り返った。全員の視線を痛いほど背中に浴びたは、同じように視線の攻撃にあって目が笑っていない木暮に向かって小さく頷く。

「おう、もお疲れ! 楽しかったぜ、魔王ルーム」
「う、うん、ありがと、魔王さま」
「なんか危なそうになったら言えよ、木暮。水戸たちだって力貸してくれるはずだぞ」
「ああ、そうだな。あんまり事を荒立てないように気を付けるよ」

青田が口を挟みながらふたりの背中をぐいぐい押す。そしてぽいと放り出されたふたりは、ちらりと振り返る。まだ全員木暮との方を見ていたが、そのド真ん中にいる会長が結構なドヤ顔で腰に手を当てている。

「ふたりともお疲れ! また明日な!」
「会長、明日代休!」
「おう、そうか! 平日休みかあ、遊び行きたいな~! どこも空いてるだろうな~!」

わざとらしすぎる。やっぱり我慢できなくなったロミオが吹き出し、やっと木暮とも笑った。まだ恥ずかしそうではあるが、連れ立って帰って行ったふたりを見送っていた会長たちは、妙な達成感を感じていた。そして、ちゃんとうまくいってくれますように、そう願っていた。

友人たちの暖かい眼差しに見送られたふたりだったが、恥ずかしいことには変わりない。どちらも何を言い出せばいいのかもわからない。言わなきゃならないことはたくさんあるはずなのだが、どれから手を付ければいいのやら。あまり長いこと黙っているのもそれはそれで気まずいので早めに何とかしたい。

「あっ、忘れてた!」
「え!?」
「あの賞状、ニセモノだからね!」

突然がぴょんと飛び上がったので、木暮もつい声を上げて同じように飛び上がった。

「賞状って……ああ、さっきの」
「一応参加者全員分の宝物のコピーを用意してあって、だからあれは本当にただのコピーで」
「そっか。まあそうだよな、おかしいと思ったんだよな」
「だから安心してね。本物は壊れてないから」

若干事務的な話なので、おかげでふたりは緩んだ。

「バスケ部すごかったねえ。全種1位抜けで優勝は史上初なんだって」
「そうなの!? それは知らなかったな……明日みんなに教えてやろっと」
「てかさ、あの子名前なんだっけ、1年生の早い子」
「桜木? あ、流川かな」
「ううん、小さい子」
「ああ、桑田か。あいつ急に早くなっててびっくりしたよ」
「なんかうちのクラスでも大人気だよ、可愛いって」
「本人は否定してるみたいだけど、なんだかアイドルみたいになっちゃったな」

自分たちのことでないなら気楽に話せる。バスケット部のことであれば今日はネタが豊富だし、生徒会サイド裏話なんかもたくさんあるし、ふたりはの最寄り駅に着くまで人のことばかり喋っては笑っていた。だが、話題が多いことが裏目に出た。どちらも言わなきゃならないことがあると思いながら、話が尽きないままの家に到着しようとしていた。

しかもこんな時に限ってヤンキーくんたちはいない。さっさと帰り着いてしまった。

「体育祭のあとに予備校とか疲れるねえ」
「今日一日大変だったもんな。今日は早く寝たら?」
「ああそっか……あの程度じゃ疲れないのか……さすがだねバスケ部」

が遠い目をしたので、木暮はつい吹き出す。疲れないどころかバスケット部員たちは現在絶賛練習中。

「頭の疲労はともかく、体の疲労はちゃんと取らないとあとで困るからなあ。気をつけなよ」
「うん。ちゃんと温めたりストレッチしておく」
……じゃあ、またな」
「う、うん、またね、ありがとう、気をつけて……

言わなきゃいけないと思えは思うほど言えない。そしてもう何も会話を続けるような話題がない。が自宅の門を通り、ドアの鍵を開け、振り返ってそっと手を振る。木暮もなんとか笑顔を作って振り返す。そして、そのままドアが閉まった。

木暮はそのまま去り、はキッチンにいた母親にただいまも言わずに部屋に飛び込んだ。

なんでだろう、どうしてなんだろう、昨日までなんでも普通に話せていたのに、今日はもう何をどう言えばいいのかわからない。どこから話せばいいのかもわからない。どんな順番でどんな風に話せば伝わるんだろう。この気持ちが正しく相手に届いて、そして受け入れてもらえるだろう。

ふたりは同じことで頭を悩ませながら、同じ大学に進むために予備校に向かう。

ここで頑張れば進学先は同じなんだし、何も今焦ってことを動かす必要はないんじゃないか。こんな風に受験で余裕がない時じゃなくて、もっと時間のある時に向きあえばいいんじゃないか。何も難関校を受けるわけじゃないけど、周囲は常に不安を煽ってくるし、もしどちらかが落ちてしまったら目も当てられない。

色々手を尽くしてくれたキャップやヒヨコたちには悪いけれど、それこそ当事者同士の問題なのだから、世話になったからさっさとまとまらなきゃいけないなんてのは、おかしな話だ。それに、さっさとまとまらなくたって彼らは怒ったりしない。「負け慣れ」てるから、思い通りにならないことに対しての意欲は薄い。

ふたりは真面目に勉強しながらも、ちょっとした隙間にいくつもの言い訳をこしらえては飲み込み、また新しい言い訳を考えてはそれを正当化し続けた。

それが動いたのは、偶然だった。予備校を出た木暮が自転車を引いて駅前を歩いていたときのことだ。木暮は聞き覚えのある声を耳にして立ち止まった。視線を巡らせると、少し離れた場所にあるファストフード店から制服姿のグループが騒ぎながら出てくるところだった。

その中にスタバくんがいた。

察するに、3年1組の打ち上げのようだ。クラス対抗リレーを1位でゴールした陸上部員の男子もいるし、今日の部活対抗レースでは地味に活躍していた弓道部の部員もいる。ただ、男女比で言えば圧倒的に女子が多い。というか、明らかに1組ではない女子も結構混ざっている。なんなんだ。

そのうちに本日体育祭で活躍した男子数人の周りには自然と女子がまとわりつき、さりげなく触れたり寄り添ったりしはじめた。まあそれはいいとしよう。本人たちの自由だ。だが、スタバくんがその女子の腰に手を回したのを見て、木暮は一瞬で頭に血が上った。

あいつ、ともう一度付き合うとか、言ってたくせに――

レースの最中に感じた怒りが蘇ってくる。スタバくんがの元カレであることはこの際問題じゃない。別れて正解だったのだから、もういい。けれど、この先の話は別だ。あいつは大人しいし優しいし目立つタイプじゃないけれど、中身はとんだゲス野郎だ。よりを戻す価値はない。木暮はそう思った。

1組の集団に気付かれないように、顔を背け、足早にその場を通り過ぎる。そして信号で止まり、出来る限りの早さで携帯にメッセージを打ち込む。送信が完了すると、携帯をしまったバッグの中を覗き込み、木暮は心を決めた。信号が変わったところで車道に漕ぎ出した木暮は、夜の街を走り抜けていく。

の家に向かって、まっすぐに。

予備校から帰る途中のバスの中でメッセージを受け取ったは慌てた。話したいことがあるから家まで行くと木暮は連絡を寄越してきたが、下手すると木暮の方が先につく。木暮自身に問題はないけれど、家の前で待たれてしまい、もし例のヤンキーたちに遭遇されでもしたら。

しかしバスは停留所ごとに止まっていくし、焦ったところでどうにもならない。もし先についても携帯くらい確認するだろうから、とは正直にバスの中であることと、危ないから絶対に待たないでくれということを伝えた。

木暮の方も自転車を漕いでいたのだろう、返信はなかった。そのせいでやきもきしながらバスを降りたは、停留所から少し離れたところに木暮を見つけて息を呑んだ。彼の顔を見た瞬間、心が跳ねて、嬉しくなったからだ。こんな風にダイレクトに感情が出てきたのは初めてのことだった。

「ごめんね、ちょっと遅くなっちゃって。いつものバス、乗り損ねちゃって」
「いや、平気。迎えにこれてよかった」

小走りに近付いたが早口にそう言うと、放課後は一体何だったんだというほどに落ち着いた木暮が柔らかく微笑む。話があるということだし、バス停からの自宅に向かうとすぐに住宅街に入ってしまうので、ふたりはバス停の近くにある自販機のあたりまで移動してきた。

小さな倉庫の前で人がいないので、少しくらい話していても大丈夫。木暮は遠慮したが、は自分も喉が渇いているからとお茶を2本買って、ひとつ木暮に差し出した。というか遠慮した木暮も実は喉がカラカラで、お茶を受け取るなりキャップをひねって勢いよく流しこむ。

一瞬の沈黙、そして最初に口を開いたのは木暮。副賞の映画鑑賞券を差し出した。

「あのさ、さっき、言いそびれちゃったんだけど、これ、もらってくれないかな」
「何これ? シネマ……えっ、これって今日の賞品でしょ。ダメだよそんなの」

驚いて鑑賞券を突き返そうとしたに、木暮はもう1枚鑑賞券を取り出して見せる。

「あれっ?」
「実は、映画は見ないからいらないっていう部員がいて、くれたんだ」

これは断られた時のための予防線。もしダメだったとして、三井にまで申し訳ないと思わせたくなかったからだ。

「それでその、受験でそんなことしてる暇ないのはもっともなんだけど、よかったらその、一緒に、映画――
「行く、行きたい」

木暮が言い切らないうちに、は声を上げた。どんな話なんだろうということはバスの中でずっと考えていた。一番ありそうもないことから出来れば聞きたくないような話まで。だけどこれはその中でもそこそこありそうで嬉しくて、そんな風に言ってもらえたらと思わずにいられなかった話だ。

まさかの食いつきに驚いた木暮も、どこかホッとして肩が下がる。

「それで、急なんだけど」
「明日?」
「えっ、うん、そう」
「そっか、会長が言ってたの、このことだったんだね」

はなんだか恥ずかしそうに苦笑いしている。

「あの、あのね木暮くん、私も話、ちょっといいかな」
「う、うん」
「今日のね、湘北クエスト、会長の悪巧み、実は色んなことを色んな人に知られてて」

は最初から3大メガネのネタありきでクエストが作られていたこと、その中で平良と皆本の件も知られていたこと、途中でスタバが入ってきてしまってややこしくなってしまったことなどを洗いざらい喋った。

「もちろん小細工なんかしてないんだけど、みんな、本当にみんな木暮くんのこと応援してた」
「え、みんな?」
「本当にみんな。まあスタバの件があったりしたせいもあるけど、それでも」

は手に持った鑑賞券を胸に置いたまま、続ける。

「わた、私も、応援してた。平良くんとかみなもんも頑張れって、思ってたけど、だけど、クエスト終わって、クラス対抗リレーで、私クラス違うのに、ウチのクラスなんて早々に負けてたのに、そんなことより、木暮くんのこと応援してた。隣の平良くんが目に入らなくなって、木暮くんに3位に入って欲しいって――

そこまで言ったところでは言葉を切った。木暮の手が伸びてきて、腕に触れたからだ。顔を上げると、半分だけ自販機の灯りに照らされた木暮のメガネが反射している。その奥の眼の色はよくわからなかった。は、そのまま木暮に飛びついた。抱き締めているとは言えないほどそっと、木暮の手が背中に触れる。

――
「ごめん、違う、そうじゃなくて、あのとき、木暮くんがゴールしたとき」
「えっ、ゴール?」
「実は、あんな台詞じゃなかった。魔王さまがアドリブで変えたの、選ぶだけでよかったのに、斬り捨てろって」

木暮は自分の大事なものとを天秤にかけられて、しかし一切迷うことなく賞状を斬り捨てた。オモチャとはいえ50センチほどもあるプラスチックを力の限りに叩きつけ、ニセモノの賞状はふたつに折れて青田の手から飛んでいった。

「あんなの適当でよかったのに、スタバなんかグダグダ文句言うだけだったのに――
……試されてるんだろうってことはわかってた」
「え?」
「青田の顔見て気付いたんだ。覚悟があるかって、言われてるような気がして」

添えられていただけの手がの背中を這い、ぎゅっと抱き締める。

「だけど、あの時もつい言っちゃったけど、渡さないって、思ったんだ。レース中もロミオに怒鳴り散らしたりして、もこんな風にされてたのかと思ったら、腹が立って、絶対負けたくないって、絶対渡さないって、そう思って」

平良と皆本とのんびりやってるうちはまだよかった。けれど、スタバくんという割と強力な相手が出てきたことで、木暮の闘争心に火がついた。その上、負けたくないという気持ちは部活対抗レースやクラス対抗リレーでますます燃え盛ってしまい、その結果燃え尽きていただけなのだった。

「勝つってことがイコールとは思わなかったけど、もうそれがなんだとしても、負けたくなくて」
「きっとそうなんだろうなって思ってた。何が欲しいとかじゃなくて、ただ木暮くんは自分のために戦ってるんだって。だから、頑張れって思ってて――

あらかた言いたいことを言い切ってしまったふたりは急に黙った。が、肝心なことをどちらも言葉にはしていない。

「あの、受験ナメてんのかとか言われちゃうかもなんだけど、だけど――
、好き」
「私このまま――木暮くん!?」

が驚いて顔を上げると、木暮の顔が目の前にあった。

「それも結構前からで……もっと早く言えればよかったんだけど」
「あ、あの、私――
「だけど、うん、受験だし、こんな時にごめん」
「なんで謝るの……私が、言おうと思ったのに……

俯いたは木暮の胸に額を寄せた。今自分も好きだと言おうと思っていたのに。

「私、木暮くんみたいに根性ないけど、受験、頑張って、ちゃんと合格して、同じところ、行きたい」
「うん」
「わた、私も、好きだから」

言ってしまったら震えが来たの体を、木暮は優しく、だけどしっかり抱き締めた。

「だから、明日、行きたい」
「どうせ夜は予備校なんだし、昼間、行こ」
「それって、デート?」
「うん、デート。どうかな」

嬉しそうに鼻を鳴らして、は何度も頷く。映画、何やってたかな、映画だけじゃなくてお昼も一緒に食べたいな、何着て行こうかな。考えれば考えるだけ楽しくて幸せになる。

こうして、本日頂点に輝いたトップ・オブ・メガネ木暮は、囚われの姫君をも手に入れた。