グラッシーズ!

10 - 部活対抗レースpart3 最後の試練

それなりに楽しんで中継を見ていた湘北高校の生徒たちは、一瞬木暮が何を言っているのかわからなくてポカンとしていた。逆に、すぐにその意味がわかる赤木は超展開に血の気が引いて青くなるだけで言葉が出ない。

《こっ、バスケ部木暮選手、魔王から姫君を救い出します宣言出ました! 猛追を見せるサッカー部に対して宣戦布告です! 今年インターハイでも活躍したバスケ部、優勝する気満々です!》

ヒヨコの咄嗟のフォローでや木暮とまったく面識のない下級生などはこれをそのまま受け取ったようで、もちろん騒ぎにはならない。が、その言い回しが引っかかった3年生は妙な空気だ。部活対抗レース用プロジェクター前の代表たちも同じ。特に赤木の顔が青いので、探るような視線が集中している。

「赤木、あれって――
「後で本人に聞いてくれ。オレは無関係だ」
「はー、そういうことすか、へえーへえー」
「リョ、リョータ……

身を寄せ合って座っているバスケット部は、赤木の重苦しい声に黙って頷き、青ルートの中継に移っているプロジェクターに目を戻した。リポーターの演劇部副部長が明らかに動揺しているので、すぐに赤ルートに変わったり、中継は大混乱のようだ。無理もない。

「お前ら落ち着け! オレたちは何もしてない! 木暮が勝手に爆発しただけだ!」
「編集長、ごめん、のダメージがデカい。魔王ルームしばらく回さないで」
「そっちはゴールまでに立て直しておけ! ヒヨコ、黒ルートはその方向で行ってくれ!」

中継班がガタガタなので編集長は大わらわ。彼の言うように木暮の自発的な爆弾発言なのだから、中継班たちには防ぎようがなかった。ヒヨコがこの場では最高のフォローを入れてくれたが、何しろを名指しである。ダメージがデカいのも当然だし、かと言って以後黒ルートをまったく映さないというわけにもいかない。

「木暮、今の流れたけど、いいの」
「お、お前だってのことなんか考えてないじゃないか。全校生徒が聞いたんだぞ」
「絶妙なヒヨコのフォローが入ったけどね」
にはちゃんと謝る。レースに勝ったから付き合えるなんてことは思ってない」
「そんなの当たり前だろ」
「でも、優勝もも渡さない。そこはヒヨコの言う通りだ。じゃあな」

おろおろしている豆運び担当からゴムブ……いやクリスタルの腕輪を受け取ると、木暮は走りだした。

「編集長、黒ルート別れた! 中継に出すなら今がいいよ!」
「よし、1番出せ! ヒヨコ、木暮が出た!」
《おーっと、バスケ部が豆地獄から抜けだした模様です! 昨年の覇者サッカー部、ピンチです!》

ここに来てヒヨコもだいぶ慣れてきたのか、編集長の指示に合わせて実況を出来るようになってきた。青ルート赤ルートが第三クエストに到達してしまっているので、総合優勝を狙うバスケ部と連覇を狙うサッカー部の構図に無理矢理持って行っている。

、ごめん、ごめんね」
「ち、違、会長が悪いんじゃないよ、私こそごめん、びっくりしちゃって」
「そりゃしょうがないよな、あれじゃ。無理するなよ、そんなに鮮明に映らないだろうし」

一方魔王ルームは重苦しい空気である。驚いたが気持ちをコントロールできなくてワッと泣きだしてしまったからだ。すぐに泣き止んだけれど、目が真っ赤だ。魔王さまの膝に乗ったまま背中をさすってもらい、会長には頭をくりくりと撫でられている。悪魔一族と姫君はすっかり仲良しだ。

「だけど……なんか木暮すごい怖い顔してたよね?」
「そうだな。いつも優しい顔してるのに、どうしたんだろうな。スタバに怒ってたみたいにも見えたけど」
「おーい会長、こちらセンター、スタバがちょっとな。姫様抱っこにキレてロミオに怒鳴ったんだ」
「はい!?」

会長のイヤホンに編集長の声が入る。つい同時通話のマイクをそのままにたちと会話していたので、内容を編集長に聞かれていたらしい。

「怒鳴ったって……ロミオ大丈夫なの」
「すぐ怒鳴り返したから平気。スタバは今でもに対しては自分が優位なんだと思ってるらしいな」
「だけど木暮には負けてるし、あんなもの見せられたから、って?」
「だろうと思うよ」

会長はため息を付きながらマイクにカバーをする。これでもうゴールまでは魔王ルームの中継は入らないはずだが、どちらにせよ囚われの姫君演出があるのだから、を出さないわけにはいかない。一応予定では月桂樹の冠を模したものを優勝者に授けてもらうことになっていたのだが。

「余計なこと言わないでスタバくんの出場は拒否すればよかったなあ」
「余計なことって?」
「ちょ、会長……
「隠しても仕方ないよ魔王さま。スタバくん、が姫役なら、どうしても出たいって言い出してさ」

魔王さまの膝できょとんとしているに、会長はするりと抱きついた。会長、目標達成。

「今でものこと好きみたい。より戻したいんだって」
「は!?」
「え、いやその、なんか別れるつもりなかったとかなんとか――

のひっくり返った声が怒りに満ちていたので、会長は慌てて身を引いた。は顔をしかめ、汚いものでも見たような顔をしている。魔王さまの膝から立ち上がると、は両手で顔を覆ってハーッと大きくため息をついた。今度は会長と魔王さまがきょとんとしている。

「私そんなつもりないのに」
「だろうねえ」
「だけどひとりでその気になってるんでしょ」
「まあ、そんな感じだったな」
「あいつ、ものすごい自己中なんだよ」

自分の席に戻ったは、また肩を落としてため息をついた。

「2年の時、進路の話で木暮くんと話してたのを見て、浮気かって怒られて、そこからなんだか何をしても私が悪いみたいにチクチク突っついてくるようになって、自分だって普通に女子と喋ってるでしょって言い返したら、オレを信用出来ないのかとか言い出して、話が通じないの」

なんだかあちこちでよく聞くような話だが、つまりスタバくんは大人しくて優しそうな顔をしているけれど、だいぶ我儘なおぼっちゃんだったようだ。その上、人懐っこく素直なので人当たりはいいが、一度ヘソを曲げたら最後、というタイプだったらしい。

「オレが本物の魔王なら返り討ちにしてやるんだけどなあ」
「あはは、ありがとね魔王さま。誰かあいつより早くゴールしてくれればいいのに」

会長も魔王さまも、それはきっと木暮がやってくれるよ、という一言を飲み込んだ。もしかしたらもそう思っているかもしれないし、レースは今のところ青ルート赤ルート優勢で、木暮vsスタバの対決だけでは済まないかもしれないのだから。

魔王ルームがそんな話でどんよりしている頃、スタバくんを置いて第三クエストに到着した木暮は、ヒヨコの実況を聞いて足を止めた。スタバくんの豆運びが終わったという。そして、先行していた青赤ルートがまたもクリアが出ないとヒヨコは伝えている。

《少々遅れて黒ルート、第三クエストに到着しました。黒ルート、最後のクエストは美術部制作の間違い探しです。間違いは全部で7つ、全て見つけなければなりません。わかったらメガホンにゴニョゴニョしてください!》

7つというが、絵が大きくて細かい。また木暮は焦る。もうすぐスタバくんが追いついてしまう。

《青ルート、まだクリアが出ません。おっとこちら赤ルートも依然苦戦が続いている模様です》
《黒ルート、バスケ部が半分見つけたところでサッカー部が追いつきました!》
《バスケ部早い! 赤ルート青ルートをも出し抜けるでしょうか》

もはやスタバくんも突っかかったりしない。ふたりは並んで壁に貼られた2枚の絵を凝視している。

もう第三クエストなので、プロジェクター越しに観戦している生徒たちもハラハラし始めた。何しろこのレースで1位抜けすれば30点が入る。最後のリレーで上位に入れなくても、配点次第では3位に入れてしまうかもしれないのだ。特に現在最下位の体操部は持ち点2点。ここで勝てば一気に上位に躍り出る。

《実況、こちら黒ルート、バスケ部、あとひとつです!》
《バスケ部、優勝が見えてきました! 会場からも応援の声が上がっています!》

プロジェクターの前に一塊になっていたバスケ部がたまらずに声を上げると、それにつられたか、木暮のいる3年6組からも声が上がり、対抗するようにサッカー部も騒ぎ出した。ヒヨコの誘導もあって、湘北クエストはすっかりバスケット部対サッカー部の対決模様になっていった。

そもそもの会長のネタである湘北運動部3大メガネ頂上決戦はだいぶ霞んでしまった。平良はリタイア、皆本は一応青ルートで奮闘しているが、最後のクエストにも苦戦している。

《黒ルートです! サッカー部もあとひとつになりました!》
「中継4班、先に屋上にいけ! 会長、立ち直ったか!?」
「平気! 準備出来てる!」
《黒ルートバスケ部、最後のひとつが……正解です、クリアしました! あっ、待ってー!》
《バスケ部またトップに躍り出ましたー! 中継が追いつけない早さです! 向かうは屋上、ゲートキーです!》

そもそもの第三クエストが校舎の4階、屋上まではあと少し。先行していた中継4班が待ち構える屋上には、ゲートキーという名の子供用フォークが段ボール箱に突き刺さっている。この辺は会長の手作りなので非常に雑だ。

《バスケ部が早いのでここで先に申し上げておきます。ゴールは屋上ではありません、繰り返します、姫君が囚われているのは屋上ではなく、別の場所です! ゲートキーを引き抜いた者に与えられる聖なる剣に書いてあります! あっ、バスケ部、もうすぐ屋上です、中継頑張ってください!》

音声が基本的にロミオとキャップのぜいぜいいう声になってきたので、ヒヨコは思わず情けない声を上げた。何しろ相手は6年間バスケットをやってきた木暮である。ついていくので精一杯なのは仕方ない。ちなみに聖なる剣はおもちゃ。子供用フォークも同様に、全部100円ショップのもの。

屋上に飛び込んだ木暮はダンボールに突き刺さったフォークを引き抜き、ゲートキー担当からおもちゃの剣を手渡された。ロミオとキャップはまたここから魔王ルームまで走らなければならないので、近くで木暮の顔を撮るのは諦めて、屋上のドアのあたりで彼を待つことにした。

《木暮選手、魔王の居場所を確に――おおっとサッカー部が追い上げてきました! 木暮選手、一足先に屋上を出ます! サッカー部、入れ違いで屋上に入ります! バスケ部対サッカー部、デッドヒートです!!!》

魔王ルームの場所までは決まったルートがあるわけではない。屋上からは好きなルートで向かっていいことになっている。つまり、場合によってはスタバくんの逆転が有り得るのだ。

必死に追いかけている中継はともかく、それを交互に見ている生徒たちの方が興奮してきた。それぞれ木暮やスタバくん、クリアが出ないのとトップが盛り上がってるせいで中継されない他の選手を応援する声が高くなってきた。今のところ各部や友人がそれぞれを応援しているといったところ。

《はい、えーっと、中継に出ませんが、赤ルート、体操部がクリアした模様です!》
《バスケ部、もうすぐ着きます!》
《これは……後続のために場所は言いませんが灯台下暗し! 魔王の根城です!》
《サッカー部もあと少しです!》

生徒会室である。しかも準備室。窓が棚で塞がっているので外からは見えない。

魔王ルームでは優勝者を迎える準備が出来ていた。中継を見ていても、木暮とスタバくんのどちらが先につくのか予測できなかった。もしスタバくんが先に入ってきたら魔王さまを倒せというラストミッションを入れようか、と会長が気を遣ったが、はそれを断った。これは自分のためのレースではないのだから、と。

各方面、祈りにも似た数秒が経過したのち、生徒会室のドアが開け放たれ、選手が飛び込んできた。

《1位は――バスケ部、木暮選手です! 今魔王の部屋に到着しました!》

プロジェクター前のバスケ部は絶叫、3年6組も絶叫、負けたサッカー部も絶叫である。だが、これで終わりではない。会長がわざわざ魔王を用意したのは、ゴールでもうひと演出が欲しかったからだ。青田演ずる魔王さまは怖い顔をして片手に、片手に何やらぺろりと紙を持っている。

「ふはは、よくぞここまでやって来たな。だが姫は渡さん、姫を渡して欲しくば私を倒すか、これを斬り捨てよ!」
《魔王、最後に汚い手に出ました、これは一体――
《現場です! なんと本年度のインターハイ神奈川予選2位の賞状です! 木暮選手の私物!》
「ちょ、なんでそんなもの青田が持ってんだよ! 汚えだろ!」
《さあどうする木暮選――

プロジェクターの前の三井が噛み付いた、まさにその時。ヒヨコと被ってさあどうすると言いかけた青田の手にぶら下がっていた賞状に、木暮は迷うことなくおもちゃの剣を叩き付けた。パン、と乾いた音がしてふたつに折れた賞状が吹き飛ぶ。そこへ後続のスタバくんが飛び込んできた。

! ちょ、おい、マジかよ……
……よくやったな、お前の勝ちだ」
《なんと木暮選手、一切の躊躇なく賞状を犠牲にしました! バスケ部優勝です! 30点が追加されます!》

バスケット部を中心に生徒たちは大盛り上がり。だが、スタバくんの到着で2位コールが出ない。

「さあ2番目だ、姫を渡して欲しくば私を倒すか、これを斬り捨てよ!」
《おっと、2位のサッカー部にもどうやら試練が与えられるようです、これは――
《これはサイン色紙です、サッカー選手のサイン色紙! えっ、本物!?》
「なんでお前そんなもの持ってるんだよ! 汚え!」
……さあどうする、私と戦うか、姫を取るか、自分の宝を取るのか」

木暮のように切り捨てる必要などなかった。おもちゃの剣でポンと叩きさえすればよかったのだ。だが、青田はのために、木暮とスタバくんを試したのだ。部活は違えど青田も木暮とは中高一緒の仲である。信頼もしていた。きっとを取ってくれると。

「お前らいい加減にしろよ、人の私物勝手に持ち出して、おい、返すように言ってくれよ」

目的は達せられた。会長はそっとスタバくんに近寄り、叩くふりでいいんだと耳打ちした。後続が迫っている実況が聞こえたスタバくんは渋々おもちゃの剣で叩くふりをした。

《そして2位はサッカー部だー! 僅差でしたが、連覇ならず! サッカー部に20点が追加されます!》

ここでサッカー部も沸いた。バスケット部との点差の開きは大きいけれど、もしこれでリレーで1位を取り、バスケット部が4位以下なら優勝も不可能ではない。スタバくんが不機嫌の坂を駆け上がっていると、3位がなだれ込んできた。ほぼ同時に3組飛び込んできたが、結果的には体操部が3位に入った。アトラクション最下位だったので、こちらも部員たちが大盛り上がり。

《部活対抗レース2戦目、湘北クエスト 副部長ネバー・ダイ、優勝はバスケット部!》
《今囚われの姫より、冠が授与されます!》
《それでは只今よりリレーの準備に入ります! 各部の選手の方はスタート地点に集まってください!》

の手で月桂樹を模した冠を頭に載せてもらった木暮を映したところで、中継は終わった。編集長は中継班全員をプロジェクターの撤去などの片付けに向かわせ、ロミオは入賞できなかった部員たちを労ったりしていた。

、あのさ――
「ほら、リレー始まるのにこんなところにいてどうすんの! こっちは片付けがあるからさっさと出て!」

スタバくんがそろりとに擦り寄ったところで会長は大声を上げた。まだ部活対抗レースは終わっていない。というかむしろこれからが本番である。それに、2位だった上に青田の試練でもグズグズだったスタバにチャンスなんか与えてやる筋合いはない。それを察した青田も手でしっしっと追い払う。

これにはまたぶつくさ言いかけたスタバくんだったが、それを追い越して木暮はさっさと出て行く。

すっかり人がいなくなった魔王ルームだが、場所は準備室なのだし、片付けなど明日にでもやればいい。扮装を解いた3人はやっと気が抜けて、準備室を出たところで一斉に吹き出した。

「魔王さま、いいアドリブでしたねえ~」
「やっぱりあれアドリブだったの?」
「まあな。もっとわかりやすい台詞だったんだよ。どっちかを選べ、みたいな」

けれど、おもちゃの剣を見て青田は「斬り捨てよ」と台詞を変えてしまった。

「本物なわけないのにね」
「本物なんか使ったら、生徒会怒られるだけじゃ済まねえしな」
「だけど、色々見えたよね、
……うん、そうだね」

3人は生徒会室のカーテンを引き、窓辺にもたれかかる。グラウンドに面した2階の生徒会室からは、リレーのトラックがよく見える。部活対抗レース、クライマックスである。