グラッシーズ!

06 - 会長の誤算

体育祭まで1週間を切ったある日の放課後。部活対抗レースへ向けて悪巧みに余念がない会長は、生徒会室で悲鳴を上げた。それを聞いて準備室にいた密偵その3と、魔王の件でふらりとやって来て廊下にいた青田が飛び込んできた。

「かいちょ、うわ」
「どうした!?」
「ぬおおお、こんなことって!」

会長は机の上に散らばる書類を掴んで悶えている。まさか青田が飛び込んでくるとは思っていなかった密偵その3は逃げるようにして生徒会室を回りこみ、会長の手元を覗きこんだ。

「これ、レースの出場者リスト?」
「見てよこれ、これ、クエストのところ~」

会長がひらりと1枚つまみ上げた紙を密偵その3が受け取り、横から青田が顔を出す。密偵その3は怖くて仕方ないが、会長のブレザーを掴んで堪えた。無理やり深呼吸をして目を落とすと、湘北クエスト出場者の名前がずらりと並んでいた。3大メガネもちゃんと入っている。

「これがどうしたの」
「サッカー部サッカー部」
「サッカー部? ちゃんといるけど……
「あ、あー! これ、どうすんだよ!」

意味がわからない密偵その3の横で、青田が大声を出した。

「名前じゃわかんないか。それ、スタバ」
「スタバ?」
「いやおかしいだろ、こいつ元部長じゃないか!」
「つまりね、これ、サッカー部の元部長での元カレ、スタバくん」

会長に説明してもらった密偵その3はあんぐりと口をあけて固まった。

「青田、ほらこれ」
「なんだこれ、サッカー部の出場者リスト? なになに……副部長は怪我で引退したため出場しません、部長が代走します、っておいおい、怪我で引退したのは3年の方の『元』副部長だろ。今の2年に副部長いるだろうが」

確かに理屈ではそうなるのだが、やはりこの部活対抗レースは3年生が主体の競技なのである。特に引退した3年生最後の晴れの場なので、2年生に副部長がいるのだから出るなとは言えない。会長はサブタイから「ナンバー2の逆襲」の部分を削ったことを後悔している。

「つまり……
「つまり、クエスト出場者に、の元カレと」
「今に片思ってる3大メガネの合わせて4人が出る、と」

がっくり肩を落とす会長に、青田はそっくり返って笑った。なんなんだその修羅場。

「なんだよ、いいじゃねえか。そういうの好きなんじゃないのか」
「そういう問題じゃないんだよ。こいつ、けっこう足速いし、機転もきいて成績も悪くない」
「じゃあもしかしたらこのスタバくんが勝っちゃうかも、ってこと?」

それを想像した青田は青くなった。それはの手前、非常にマズい。

「会長、さらわれた姫君やめる?」
「もう無理だよ、その前提でゲーム作っちゃったんだから」
「じゃあそのスタバに話すか? こういう事情になってるって」
「うおおお、そんな役目嫌だあああ」

だが、これは完全に自分が撒いた種なので、嫌でもやるしかあるまい。今から別の姫を探すのも難しいし、会長は編集長やロミオたちとも調整を取りつつゲームを作ってしまっている。今更変えようがない。ビビった会長は密偵その3と青田に拝み倒し、スタバくんへの報告に同席してもらうことにした。

「はあ、がお姫様」
「で、オレがそれをさらった魔王役」
「副部長レースっていう前提だったからさあ……えへへ」

青田にフォローしてもらいながら、会長はスタバくんを前にして目が泳いでいる。と喧嘩別れしたというスタバくんは1学期までサッカー部の部長をやっていたが、キャプテンは別にいたという、よくわからない人物だ。外見だけで見ると、物静かで穏やかそうな、喧嘩別れなど想像がつかないような男子だった。

「まさか部長のお前が出てくるとは思ってなかったから、そういう設定でゲームを作っちゃったんだよな」
「美術部とか映像部とか色々協力してもらってて、今更変えられなくてさ……えへ、えへへ」

会長としては、できたらスタバくんには出場辞退してもらい、2年生の副部長に出てもらいたいというのが本音だ。だが、スタバくんは青田の話を黙々と聞いているだけで、なかなか辞退を申し出てくれない。

「何も全校生徒が知ってるわけじゃないんだからアレだけども、向こうも――
「オレは出たいんだけど」
「はい?」

青田はやんわりと辞退を促す方向に持って行こうとしていたのだが、スタバくんは彼を見上げてきっぱりと言い放つ。会長は勢い頭が下に下がる。なんでだよ!

スタバくんは生徒会室のパイプ椅子で足を組み、静かに細く息を吐いた。

「なんか色々知られてるみたいだから話すけど、確かにとは喧嘩別れだったよ。だけど、それ、後悔してるんだ。悪かったのオレだし、勢いでっていうところもあったし」
「え、まさか――
「うん。オレは別れるつもりなかった。出来ればやり直したいと思ってる」

会長はもう隠していられなくて、驚愕の表情で口を大きく開けて仰け反った。だが、スタバくんにそんな事情があっても、3大メガネのことは知らないはずだから、それとは関係なく辞退の方向へ持っていけたら、と会長は考えていた。それならそれで個人的に頭下げたらいいじゃないか。なっ?

「だけどさ――
「それに、この間見ちゃったんだ。がバスケ部の木暮と一緒に帰ってるところ」
「あー……
「付き合ってんのかと思ったけど、どうも違うらしいし、次の日は平良と帰ってたし」

彼は彼で色々目撃してしまって胸中穏やかではなくなってしまったようだ。

「あいつら全員副部長だろ。負けたくない」

青田も腕組みをして鼻でため息をつく。運動部の負けず嫌いがとんでもない方向に作用し始めてしまった。

がお姫様役ならちょうどいいよ、オレ、どうしてもそれ出たい」
……が気まずい思いしてもか?」
「それはそうなんだけど、出来たら勝ってあの時のこと謝りたい。協力してくれないかな」

スタバくんは誠実そのものといった顔で青田を見上げ、会長を覗きこむ。だが、それには青田が身を乗り出して真剣な目でスタバくんに話し始めた。

「こっちは楽しいゲームのつもりで考えてるんだ。を姫役に担ぎ出したけど、誰かひとりの片思い成就のためにやってるわけじゃない。こんなことになってどうしようかと思うけど、お前のためだけに協力とか、そういうのは出来ない。お前が3年だと思うから出ないでくれって言わないだけだ」

会長の邪な思いつきが発端の下種なレースだけれど、これは青田が正しいだろう。そもそもサッカー部の副部長が怪我をしていなかったら、彼にもチャンスはなかったのだから。それに、女子の身では木暮推しでも、会長やロミオたちは木暮有利にゲームを作っているわけではない。

スタバくんは青田の言葉にシュンとしぼみ、少し不機嫌な顔になった。

「だったら、に聞いてくれないか」
「えっ、どういう――
「もしがオレが出るなら姫役嫌だって言うなら、辞退するよ」

会長は自分のゲスな思いつきが事態をややこしくさせているのだということも忘れて、スタバくんに少し苛ついた。に押し付ける気か。お前が体育祭関係ないところで勝負すればいいだけだろうに。

「そんなことに言わせるのかよ。元カノだろ。がどんな子がよくわかってるだろう」
「だけどオレは出たいんだよ」
……ねーねー、喧嘩別れって、何したん」

スタバくんが急にわがままに見えてきた会長は、つい聞いてしまった。それはちょっと、という顔をしたのは密偵その3と青田の方で、スタバくんは面白くなさそうな顔のままかくりと首を傾げた。

「その、あの時も木暮と喋ってたんだ。あいつら2年になって同じクラスになって、なんかすごい楽しそうに喋ってたもんで、つい浮気かよと思っちゃって――

青田の顔が曇る。会長は自分の顔も曇ってんだろうなと思いつつ、頷いて続きを促す。

「もちろんそんなことなかったんだけど、付き合っててもなんか何も変わらなかったし、そういうの含めてに突っかかっちゃって。なんかそういうの全部、のせいだって思っちゃって。喧嘩っぽくなって、だけどは謝ってこないし、それでそのまま」

青田も頬が硬い。きっと何か言いたいことを我慢しているに違いない。会長も同じだった。そんな理由で別れておいて、やり直したいってお前な。

「今でもがオレのこと好きだなんて思ってないけど、弁解のチャンスは欲しい」
……それは、今からのところに行ってやってくればいいんじゃないのか?」

努めて淡々と青田は提案してみる。だが、スタバくんは組んだ足に倒れこんで首を振る。

「無理だよそんなの。クラスも違うし、授業が終わるとだいたい木暮か平良か皆本がいるし――

自分本位な上にビビりのヘタレだったらしい。これでよく部長が務まったなと思うところだが、基本的に湘北の運動部はレクリエーション目的みたいな部がほとんどで、柔道部も青田が入るまではのんびりした部だった。その青田は苛々と指で膝を叩いていたが、大きく頷くと腿をパンと叩いて立ち上がった。

「よーし、そんならもういいだろ会長、に全部話してこのままレースやろう。何もこいつが1番でゴールしても、がひとりで待ってるわけじゃないし、別には優勝賞品じゃないんだし」

それは半分くらいはスタバくんに言ったようなものだ。会長は魔王役に青田を選んでよかったと思いながら、無言で頷いた。迂闊に口を開くとスタバくんに文句を言ってしまいそうだったからだ。自分が言えた立場じゃないのはわかっているけれど、どうしても彼の言い分には同意できなかった。

そして、こいつとよりを戻すくらいだったら、もう3大メガネの誰でもいい、クエストを優勝して本当にをかっさらってくれないかと思った。

翌日の昼休み、会長はを生徒会室に呼び出すなり体を折り曲げて頭を下げた。乗りかかった船の青田と密偵3人もその後ろでしょんぼりした顔をしている。会長は45度の位置で頭を止めると、スタバくんが参戦予定だということを白状した。

「元副部長は怪我で引退してたみたいで、走れないらしいんだ。それで代走に名乗り出たみたいでな」
「か、会長、頭上げて」

青田のフォローをもらったは会長の肩を掴んで元の位置に戻した。魔王一派は協議の上、スタバくんが復縁したがっていることについては黙っておこうと決めている。それを聞かされるだけでは不快に思うかもしれないのだし、余計なことは知らないままの方がいい。

「一応副部長レースなんだってことは説明したんだけど、なにぶん3年だし、負けたくないみたいで――
「会長、平気。私、大丈夫だから、そんなにペコペコしないで」
「だけど……
「あいつが勝つって決まったわけじゃないし、当日は会長も青田くんも一緒なんでしょ?」

飲み込みが早くて何よりだが、なんだかはストックホルム症候群みたいになってきた。魔王一派はなんとなく心苦しい。さらわれる予定の姫君は魔王たちにも優しくて胸が痛い。

「当日まで時間ないんだし、今から色んなこと変更するのも大変だもん」
、ほんとごめん」
「会長のせいじゃないよ。本当なら今の副部長が出るはずなのに」

ほんの少しだけは険しい表情を覗かせた。代走でスタバくんが出るということについては、確かに会長たちに非は一切ない。まさに誤算だった。が理解を示してくれたので、レースに変更を加えずに済むが、これで魔王一派も「派」にぐらりと傾くことになってしまった。

そんなわけで放課後、今度は裏方文化部が集められ、会長の誤算について報告を受けた。

「おいおい、なんなんだ今年は」
「まあ、会長の下種な企画が修羅場を呼んだんだね」
「それについては反論しない。私も反省してる」

呆れ返るロミオ、そしてキャップにツッコミを入れられた会長は厳しい顔でかくりと頭を落とした。今日はロミオにヒヨコにキャップのいつもの3人に加えて、編集長が来ている。彼もあらかた準備を終え、当日を待つばかりの状態である。たちの修羅場には興味がないが、変更があるならさっさと対処したいようだ。

「予定ではメインルートは3つだろ。ゴールの定点と、3ルート、あとは状況に応じてと思ってたけど、出来ればもう2台くらい入れたかったな。そしたらたぶんほとんど隙間なく追いかけられる」

3大メガネ頂上決戦のことしか頭になかった会長は、スタート地点からまずはルートが3つ選べるというステージを作った。そうすればおそらくメガネ3人は全員別のルートを取るだろうと思ったからだ。しかしこのまま行くとスタバくんは木暮と同じルートを取るんじゃないかと魔王一派は見ている。

「だけど、そこばっかり中継するのもおかしいでしょ」
「何言ってんだ、副部長全員並べてみろよ。能力値では木暮とスタバがトップ2だ」

ワイドショーじゃあるまいし、と不快そうに顔を歪めたヒヨコに編集長はカラカラと笑ってみせる。

「何人か2年生も混じってるし、だいたいウチの運動部なんてマジでやってんのバスケ部と柔道部くらいじゃないか。平良も野球大好きだけど県大会の予選なんか毎年1回戦負けだし、練習試合でも勝てた試しないし。のことが関係なくても中継はそこがメインになるぜ。面白いのはそのふたりがいるところだからな」

自信たっぷりの編集長の演説に、全員揃って頷く。確かにクエスト方式なので単純な走るスピードはあまり関係ないかもしれないが、それらに必要な能力を拾い上げてまとめると、木暮とスタバくんが頭ひとつ出る状態だ。

「ヒヨコもそこんとこ考えて実況頼むぜ。たぶん1番回す時間長いはずだから」
「木暮くんとスタバくんの対決、ってこと?」
「いや、そのふたりじゃなくて、バスケ部とサッカー部の対決だな」

今年に限って言えば活動実績はバスケット部に及ばないサッカー部だが、何しろ去年の部活対抗レースの覇者である。バスケット部はその位置を狙っているのだし、表現としてはその方が正しい。のことも、3大メガネ頂上決戦も、あくまで裏テーマ。レースに華を添えるネタでしかない。

「どんな事情があるか知らんけど、中継の切り替えと実況次第でのことなんか誰も気にならないぜ」
「実況次第って……私だけそんな責任重大なの」
「お前声優になりたいんだろ。そんな激弱メンタルでどうすんだ」
「それは今関係ないでしょ……

ヒヨコは編集長に畳み掛けられてしょげた。実況と声の演技がどう関係するのかヒヨコにはわからない。だがもう編集長が言うように、これしか手がない。

「だからロミオも木暮とスタバの取ったルートに付けよ」
「へいへい」
「じゃ結局変更はないんだね。あとは当日トラブルがないように祈るのみ」

手を合わせるキャップに、ロミオとヒヨコ、そして会長までもが大きくため息をついた。