グラッシーズ!

03 - それぞれのメガネ

会長の企みが水面下で着々と進行している9月、はけっこうな頻度で木暮と一緒に下校していた。これは春の進路相談の後に送ってもらった日のことがきっかけになっていて、そのせいで平良と皆本の闘争心に火がついた。の下校ルートに、いわゆるヤンキーの溜まり場があるのだ。

もちろん黙って通り過ぎればいいだけなのだが、たまたま運の悪いことにヤンキーの中にと小中一緒だったのが混じっていた。しかもこの人物だけならあまり害はないので、無視する方が怖いは声をかけられればつい愛想よく返す。しかし、彼が毎回溜まり場にいるとは限らない。

そのことをつい木暮に話したところ、送って行ってくれるというのでつい甘えてしまった。本人曰く、ヤンキーはもう慣れたという。言われてみればバスケット部は妙に荒れた生徒と隣合わせで、荒れていく一方だった三井が突然髪を切ってバスケット部に戻ったのはにとっても衝撃だった。

とはいえ今年のバスケット部は春からずっと忙しく、事情を知った木暮は心配してくれたが、バスケット部の練習が終わるまで待っているのも何かが違う。すると、どこからこの話を聞きつけたのか、最寄り駅が同じ平良と、母親同士が知り合いの皆本が送りを買って出てくれるようになった。

それをどこで知ったか、今度は元々は自分が言い出したことだからと木暮が送り担当を主張してきた。特に部活が強制的に休みになるテスト前など、木暮はの教室の前で待っていた。

そんな1学期を経て木暮は夏休みの間に引退、それまで全て埋まっていた放課後が全部空いた。そんなわけで平良と皆本は木暮の居ぬ間に隙を突いてという戦法が取れなくなり、映像部や演劇部で腐るようになっていた。

「えっ、三井って引退してないの?」
「冬にも大きな大会があるから、それに出たいみたいなんだよな」
「だけど、進路どうするの」
「どこからかスカウトが来ないかと待ってるらしい」
「来なかったらどうするの!」

信じられないといった表情のに木暮は思わず吹き出した。

「いい選手なんだけどね。ブランクがあるし実績に乏しいから厳しいけど」
「ふたりはスカウト来なかったの?」
「赤木はそんな話もあったけど、オレは来ないよ」
「なんで?」

バスケット部の内情など知りもしないは首を傾げる。にとってはインターハイでなんとかいうすごい高校に勝ったバスケット部は全員すごいという意識しかない。

「そりゃあ、神奈川だけ見てももっとすごい選手はいっぱいいるからね」
「強い高校に勝ったのに?」
「強い高校に勝ったけど、また別の強い高校に負けて帰ってきたわけだし」

なんだか納得行かない様子のだが、木暮は笑って流す。この時既に姫役を引き受けたあとだったは、そんな木暮を見ていたらつい口が滑った。

「そっかあ、体育祭、バスケ部すごそうだねえ」
「体育祭?」
「えっ、あ、ほら、ぶ、部活対抗レース! 木暮くんも出るでしょ?」

声が上ずる。木暮の方は今思い出したらしく、小さく頷いている。

「あれなあ。たぶんリレーは勝てる気がするんだけど」
「リレーだけ?」
「2年と1年に足の早いのがいるから、リレーは負けないと思うんだけど、他がね。ストラックアウトも三井ならいけるだろうけど、もしオレや赤木だったら怪しい」

そういえばバスケット部の1年にはなんだとかいうすごい選手がいるらしい。その程度の知識のだが、何故か毎年陸上部が悲惨な目に遭いがちなリレーは、今年もそんな結果になりそうな気がしてきた。

「だけど今年は借り物競走がゲームみたいなのになるらしいよ」
「へえ! 会長がまたなんか企んでるのか」
「そう。去年の借り物で外に出たのがまずかったみたいで」

まあこのくらいならネタバレというわけでもあるまい。

「オレはそういうのの方がいいかもなあ。いくら体育祭でも負けたくはないし」
「引退した3年生がいっぱい出るもんね。そりゃ負けられないよね」
「どうせバスケ部なんか文化祭は関係ないから、体育祭で勝って〆て受験に臨みたいよ」

遊び要素の満載の校内行事だというのに木暮は真剣で、は申し訳なく思いつつもついにっこり笑った。

「だよね。頑張ってね!」

にもそれとわかるほど、木暮は頬を染めて照れた。

「勝てる要素がないのはわかってんだよ」
「顔があるじゃん」
「それが勝てる要素になってるならこんなことになってないんだよ」

映像部のパソコンテーブルの下で腐っているのは野球部の平良である。それにいちいち付き合ってあげているのはキャップ。キャップは映像部の中では珍しいナードでもギークでもない、ただ機械いじりが好きなだけの人畜無害な人である。優しいので部員や友人からは全幅の信頼を寄せられている。

「そうじゃなくて、お前の場合、勝てるはずの要素をそのネガティブが全て台無しにしてるんだよ」
「それだけじゃないだろ、身長だって成績だって何一つ勝てるところがない」
「身長は皆本にも負けてるしね」
「そこは1センチだけだ」

だが、もう18歳になったというのに165センチを突破できていないキャップの場合、172センチあればまだいいだろと思うが、このネガティブには何を言っても慰めにはならないだろう。

平良は少々女性的だが整った顔をしていて、肌も綺麗、髪はさらさらのストレートで、それにしては声が低くて丸いという、割とハイスペックな体を持っているのだが、とにかく暗い。暗いというか気弱で、上手くいかないことがあるとすぐ腐る。しかも人見知りで口下手。よくも3年間野球部で通せたなという話だ。

いくら木暮の件があったからとて、に突撃できたのは奇跡に等しい。だが本人の勇気が役に立ったのはそこまで。木暮と皆本の間に入り込んでたまにと下校できていたのは、が優しいからだ。彼女がおずおずと声をかけてくる平良を「キモい」とか言わずに受け入れてくれるからだ。

だから平良はが好きなのである。

「でもまあ、相手が悪いよね。木暮は背高いし成績もいいし、皆本は女関係を除けば普通にリア充」
「余計に凹むようにこと言うなよ」
「何言ったってお前はアガらないじゃん。……体育祭、頑張ってみれば?」

キャップも口が滑った。

「体育祭? ……ああ、部活対抗レースか。あ、そうか、木暮も皆本も出るのか」
「お前ら全員メガネの副部長だもんな。面白いレースになりそうじゃん」
「春に会長がそんなこと言ってたけど、メガネだけで一括りにされてもな」

やっぱり何を言ってもアガらない。というか平良の場合、こうしてキャップや家族にグズグズグズグズ愚痴をこぼし、腐りきって膿を出さないと元に戻れないタイプだ。優しいキャップは言わないが、見た目云々以前にここが最大のウィークポイントであり、まあまず女の子には好かれない点だ。要するにウザいタイプ。

「でもそこで木暮と皆本を抑えて勝ってみなよ、だけじゃなくてみんなお前を見る目が変わるよ」

アガりづらいが、おだてられるとすぐに調子に乗る平良の目の色が変わった。

「そ、そうだよな」
「ま、見る目が変わったから好きになるとは限らないけど」
「そっか、勝てば変わるか」

聞いてない。

すぐに自分の頭の中に引きこもってしまって、これも友達ならともかく女の子と付き合うまでには至らないところだ。また友達でも、キャップはそれをよくわかっているからいいとしても、例えば編集長などはあまり真剣に相手をしない。どこでスイッチが入って話を聞かなくなるかわからないからだ。

まあ、平良の場合、知られざる残念なイケメンとでも言おうか。ただし、昨今この「残念」にはネタっぽさが多分に含まれるゆえ、平良の場合はそれ以前の問題とも言える。

変なところでスイッチが入ってにんまりしている平良を横目で見つつ、キャップはロミオから届いた校内メールによる意見書を読んでいた。ロミオが心配している演劇部の強気女子問題だ。ロミオは自分たちも普通に接するようにするから、そっちも少し妥協しろと意見してきている。

普通って言ったって、ねえ。キャップは平良を見ていると何が普通なのかわからなくなってきていた。

一方、リポーターの選出をしたいのに皆本がいるせいで話を進められないロミオは今日も苛々している。部活対抗レースの件でヒヨコが顔を出したが、そっちとも話ができない。

「みなもん、どっちも引退したんじゃないの?」
「引退したけど暇だからさ」
「こいつは夏前にはコネで内定もらってるからね」

早々に就職も決まっていて暇な皆本は、卓球部でも演劇部でも引退した3年生だと言って、練習には参加しない。だが、いくら弱小でも他の部同様に真面目な運動部である卓球部の場合、練習しない暇人を置いておく義理はない。なので皆本は演劇部に入り浸っているというわけだ。

さらに今日もと一緒に帰れなかったので、ちょっと不貞腐れている。自分がに片思いしていることを知るのはライバルである木暮と平良だけと思ってるので、それは表には出さないが、ロミオもヒヨコも承知の上だ。だからロミオは余計に苛つく。

「ここにはあんたが欲しがるような女子はいないよっつってんのに」
「だからいいんじゃん。普通に友達として話ができるし、エチュードの相手くらいならできるし」
「どこか他のところに探しに行けばいいのに。高校生終わっちゃうよ」

事情を知りつつ言うヒヨコに、皆本は「エヘッ」と言ってはにかんだ。ロミオのイラッとゲージが上昇する。

「いや、好きな子いるからさ」
「へー。じゃあその子にアピッてくればいいのに。得意でしょそーいうの」
…………いやまあそうなんだけど」

だいたいいつもにこにこしていて明るい皆本はロミオとヒヨコを前に、珍しくしょげた。慰めてやるつもりなどなかったのだが、ふたりが無言なので皆本は話を聞いてもらって励ましてもらえると思ったらしい。聞いてもいないのにぺらぺらと喋り出した。

「ライバルっていうかさ、他にもオレの好きな子にちょっかいかけてるのがいるんだよね」

お前のって。しかもそれじゃ皆本優勢みたいじゃないか。ロミオの頬が引きつる。

「そのせいで今ちょっと上手くいかなくて」
「モテる子なのか。大変だな」
「んー、ていうわけでもないんだけど。まあ守ってあげたくなるような感じではあるよ」

皆本は眼鏡の奥の目をきらきらさせて微笑んでいる。ロミオはまたイラッと来てパックジュースを啜る。が守ってあげたくなるような女の子だという点には同意だが、皆本が言うとなぜだか無性に殴りたい気がしてくる。

「あんまりボンヤリしてると取られちゃうんじゃないの」
「だけどあんまりしつこくしたら可哀想だからなあ。元カレと喧嘩別れしてるし、怖がらせたくない」

こういう気遣いが「女関係を除けばリア充」たるゆえんである。どうしてもウマが合わないので苛々するが、ロミオが皆本を叩き出さないのは、こうして人を気遣い決して輪を乱さない人物だからだ。これで面食いのナルシストでさえなかったら、もっとモテていたはずだ。

今年の演劇部の新入部員など、おそらく数人は皆本をいいなあと思っていたはずだ。かけもちなので毎回は来ないけれど、親しみやすくて楽しい先輩。そういう認識だったはずだ。面食いのナルシストでさえなかったら。それでも化けの皮が剥がれてなお仲良く出来ているのだから、対人スキルは高いといえるだろう。

「向こうの反応はどうなん」
「つか親が知り合いでさ、なんだか親戚みたいに思われてる気がする」
「親しくしてくれるのはいいけど、警戒されないのもちょっと、てなところか」
「みなもん人付き合い上手いから裏目に出たんだね」

ロミオとヒヨコに畳み掛けられた皆本はがっくりと頭を落とした。面食いのナルシストでなかったら本人ももっと幸せだったかもしれない。そんなわけで、同情ではないけれど、ヒヨコも口が滑った。

「体育祭で頑張れば~?」
……まあ絶好のアピールの場ではあるよね」
「体育祭……あっ、そうか! 部活対抗な! そういえばあいつらも――

だがロミオとヒヨコに詳細を話す気はないらしい。皆本は「あいつら」と言った口を手の甲で拭って誤魔化し、うんうんと頷いている。木暮と平良がどちらも運動部の副部長であることを思い出したんだろう。

「でもそうだよな、本人にしつこく迫るよりそうやって頑張った方がいいよな!」
「まーな」
「よーし、引退してからあんまり動いてなかったけど、少し練習しとくかなあ」
「さっそく走って帰れば?」
「そだな! んじゃーな、また!」

そして3大メガネの中で言えばとにかくポジティブではある。割り切りもいいし素直だ。

……ほんとにアレで面食いのナルシストでなかったらねえ」
「だったら普通に応援したんだけどね。にもお勧めできたと思う」
「ヒヨコもお勧めしない感じ?」
「しないねー。だったら平良の方がまだマシ」

急に乗り気になって皆本が出て行った視聴覚教室のドアを眺めながら、ロミオとヒヨコは大きく息を吐く。明るくて対人スキルも高い皆本だが、特に恋愛に縁が薄い女子からは本当に評価が低い。何も容姿によって女子を差別しバカにしたりもしないのだが、どうしてもそういう性質が滲み出る。

「まだマシって! んじゃヒヨコもやっぱり――
「そりゃ3人の中だったら木暮が一番お勧めでしょ。のためを思えば余計にね」
「だよなー」

部員たちに聞こえないような声で言い合うとふたりは声を殺して笑った。平良も皆本もお勧めするにはちょっと弱いが、木暮なら安心して応援できる。が会長の悪ふざけのいいカモになっていると思えばなおのこと。

「てかマジではどうなんだろね。会長は変化なしゆーてるけども」
「それがさ、なんか地元にヤンキーの溜まり場があるとかで、送ってってもらってるらしいよ」
……それも平良と皆本じゃ頼りにならねえな」

ロミオは遠い目をしてニヤつく。女子視点ではとことん木暮が優勢のようだ。

「んじゃま、打ち合わせしますか。リポーターはやっぱり私も入りそうだよ」
「キャップには言ってあるの、例のこと」
「一応ね。唯一の常識人だからメールはしておいたけど、どうにもならないだろうし」

意見書を送りつけたけれど、ロミオ自身も映像部のコミュ障が一朝一夕に治るとは思えないし、演劇部側もカッとなってすぐ罵倒するような人選はしてはならない。とすると自分を含めた事情をよくわかっている3年を中心に選出しなければならない。

クラスや学年で出場しなければならない種目を除けば、体育祭の文化部など暇なので協力するのは構わないが、なんとなく会長の悪巧みに加担していると思うとテンションが上がらない。ロミオやヒヨコにはこの部活対抗レースに対する明確な目標がないからだ。

強いて言えばその渦中に引きずり込まれているが可哀想なので見捨てないであげたいというところか。

それにしても体育祭まで時間がない。ロミオとヒヨコは必要なことだけ確認し合うと、またそれぞれの部に戻っていったが、会長のあずかり知らぬところで一度に話を聞きたいと思っていた。それ如何によっては会長の計画が倒れるように協力してやってもいい。

この会長の計画に巻き込まれたり自ら進んで参加している者のうち、とりあえずロミオとヒヨコは「派」ということで落ち着きそうだ。そして敢えて言うならば「木暮×派」ということだ。

だが、基本的に女子はロミオとヒヨコと同じ意見のはずだ。何しろ平良と皆本はマイナスポイントが大きいし、は女子に疎ましがられるタイプではないからだ。対して映像部のような地味目男子は平良派だろうし、リア充系男子であれば皆本派であろう。

こうして部活対抗レースはそれぞれの思惑渦巻く胡散臭い様相を呈してきた。