グラッシーズ!

12 - 湘北高校運動部3大メガネ頂上決戦

リレーが3大メガネ頂上決戦になりそうだということは、現場のメガネたちも気付いていた。行方不明だった平良は妙なテンションで文芸部元副部長をナンパしているところを捕獲され、皆本も自分の席で腐っていたところをクラスの女子に引きずり出された。

の件は能力値的な意味で木暮とスタバくんの間にも割り込めない。それはもうわかった。平良に関しては新たなターゲットが見つかったのでそれはもう構わない。が、3大メガネとひとまとめにされた以上、戦うのであれば負けたくはない。幸い個人の能力だけで決する勝負でもない。

生徒会室の予想通り、リレーで活躍したバスケット部は全員駆り出されていた。1年に早いのがいることを確認した平良と皆本は、また自分以外のメガネに勝ちたいという欲が出てきた。

一方木暮は部の中でも早い方ではないというのに、クラスの連中に担ぎ上げられてしまい、少しげんなりしていた。部活対抗レースでは勝てたけれど、今度は勝てる気がしない。自分の部の早い後輩は全員別のクラスだし、同じクラスの1年2年はそれほど速いようには見えなかった。

自信があるないに関わらず、それでも負けたくないという気持ちとの間で木暮は少しため息をついた。その横にやはりヒヨコの予想通り担ぎ出された三井が並ぶ。彼も膝を痛めた過去があるし、速度よりは技術というタイプだ。今も膝にはサポーターが巻かれている。

「オレらそんなに早い方じゃねーのにな」
「宮城のところすごそうだな。あれには勝てる気がしないよ」
「まあそれはいいけど、お前、あいつらには勝てよ」
……桜木と流川がいるんだよな」
「てかさっきからずいぶん弱気だな、珍しい」

木暮は温和だし争いを好まないし、人を押しのけてまで、という性格ではない。が、長年弱小バスケット部をやって来た割には勝ちへの意欲は強く、諦めも悪く、それがブレることがほとんどない人物である。それがどうにもしょげているので、三井は首を傾げた。

「あれは確かだったか、それだって――
「勝った負けたで決まるようなことじゃないだろ」

勝負には勝ちたい。だけどとのことは勝敗に関係ない。スタバくんや平良や皆本はどうもゴッチャにしている気がする。はどうなんだろう。クエストを優勝した時はぎこちない笑顔で冠を授けてくれたけど、優勝したから好きになってもらうとか、そんなのは違うと思う。

だからといって、勝負には勝ったのに振られるのは嫌だ。負けた上に振られても嫌だ。

「でもなあ。もしオレが女なら勝って欲しいと思うんじゃねえかなあ」
「どういう――
「応援したいと思うんじゃないか、って話」
「だから、それはオレと決まったわけでは」
「お前が知らないだけで決まってたらどうするんだよ」

そんなこと。木暮はかくりと頭を落として首筋を掻いた。三井は他人のことになるとやたらとポジティブだ。

「てかホレ、噂をすれば」
「噂?」

三井に頭を掴まれた木暮はよろめきながら顔を上げた。見上げると、生徒会室の窓にの顔が見えた。青田や会長たちと並んでこっちを見ていた。

「手、振ってやれよ」
「そ、そんなこと――

木暮がグズるので、三井が手を振る。青田が気付き、や会長たちに教えた。すると、会長たちはもちろん、も笑顔で勢いよく手を振ってくれた。ロミオとヒヨコは木暮が置いていった冠とオモチャの剣を振り回している。

「ほれみろ、これと同じことを他の誰かがやってもあんな風にしてくれるとは思わねえよ、オレは」

木暮にも何かしらの確信が生まれたようだ。頬が緩み、低いながらも手を上げて振り返した。

「一応、受験なんだけどな」
「自己管理は得意だろうが、オレと違ってよ」

ふふん、と笑った三井がまた手を上げると、今度は窓辺の女子全員が両手の人差し指で前歯を指した。

「お前らそのネタいい加減にやめろ!!!」
「お前愛されてんなあ」
「こんな愛され方で喜ぶほど困ってねえ!」

だが、これを見ていた一部の女子からこの「前歯指しポーズ」が広まり、しばらく三井は面識のある女子からこれをやられる日々が続いた。困ってないというが、体育祭をきっかけに三井も以前より気楽に女子に接することができるようになった。

さて、クラス対抗リレーである。

ヒヨコから一報を受けた放送部現部長は、選手紹介の際に3大メガネ頂上決戦ネタをブチ込み、メガネたち本人は大いに焦った。が、今日は部活対抗レースのせいで生徒たちもテンション高めのままきており、トップ・オブ・メガネは誰だという実況のネタに食いついて、中でもそれぞれのクラスは特に盛り上がっている。

というか普段こんな風に応援されることがない平良は若干挙動不審になっている。のことは半ば諦めていたし、文芸部元副部長のことも絶対に成就するとは思っていなかったけれど、何しろ彼はすぐに調子に乗る癖がある。挙動不審になりながらも、つい口元が緩む。

皆本の方は元々男女の別なく友達が多いし、嫌われる要素は面食いくらいしかないので、平良のように狼狽することはないけれど、もしかしてリレーなら勝てるんじゃないかという気になってきた。しかも、10組は1年が相当早いという話だし、自分が少しくらい木暮や平良に劣っても、結果的には勝てるのではないかと。

しかし誰にしても、のことはさておき、せめてメガネの中では1番になりたいと思っていた。

《それでは、最後の種目、クラス対抗リレー、スタートです!》

またも校長先生のピストルでスタートである。5レーンしかないトラックで10クラスが一斉にスタートする。さきほどの威圧要員桜木や流川に桑田、その桜木にぴたりと張り付いていた陸上部の1年も混じっている。

「すっげ、やっぱあのふたり早いな!」
「くそう、桜木のやつ、だから柔道部に来いと……
「柔道って足の早さ関係あるの?」

1年は桜木対流川対陸上部1年、つまり7組対10組対5組。1年のいるエリアは揺れるほどに沸いている。

トップ争いはほぼ互角でバトンパスに入る。だが、トップ3クラスは2年が弱い。その上、1組は少し遅れたとはいえ5番手で入ってきた。きちんとバトンを取った宮城が走り出すや、今度は2年のエリアが爆発する。前傾姿勢の宮城はひとりだけ違う生き物のようにどんどん先頭集団に迫る。

「宮城だっけ、あの2年。なんかここまでくると気持ち悪いな」
「うわ、あとふたり、ひとり、あああ抜きそう!」

見る間に宮城はトップへと駆け上がり、桜木の貯金があった7組とほぼ同時にバトンを手渡した。

だが、2年は宮城が順位を上げただけで、ほぼ団子状態でバトンが渡る。1組の陸上部3年が体一つリードして走り出したが、その後ろで平良、皆本、木暮、三井、と次々にスタートする。その辺りの数人は、スタート直後はほぼ一列で走っていた。

「うおおお、すげえなあいつら」
「いやー、どこ応援したらいいかわかんない!」
「ああ、みなもん少し遅れた!」

窓辺で手に汗握っていたたちの眼下で、まずは皆本が遅れ始めた。と同時に陸上部3年が差を開かせ始め、その間で並んでいる木暮と三井と平良を置いていく。が、直後に今度は三井が前に出た。

「嘘お、三井、頑張れえー!」

現在三井と同じクラスのヒヨコが掠れて裏返った声を上げる。その時、ピストルの音が鳴り響いて1組が大差でゴールした。各学年の1組が絶叫する声がグラウンドに響き渡る。

「ど、どうなるの、これ……!」
「頑張って、頑張って……!」

もはや手を組み祈るしか出来ない生徒会室だが、その視線の先で、まずはひとり抜け出た三井が2位でゴールした。ヒヨコと青田が叫ぶ。3組も沸いている。そして続く木暮と平良はほぼ横並びでゴールに近付いていた。

「頑張って、木暮くん――

そしてとうとうの唇から、木暮を呼ぶかすかな細い声が漏れた。その時、ほぼ横並びだった木暮が速度を上げ、平良を引き離した。木暮と同じクラスの6組であるロミオが悲鳴を上げる。

そして三度、ピストルの音が鳴り響く。ゴールに飛び込んだ木暮を三井が抱きとめ、木暮はぐらりと傾いて膝をついた。3年6組はモッシュ状態になっている。

窓辺で並んで観戦の生徒会室も、興奮しすぎて全員息切れしている。

「意味わかんない、なにこれ!」
「やべえ、5組負けたのに!」

三井がまさかの追い上げを見せて2位になったことと、中高同じ学校である木暮がついに3大メガネ頂上決戦を制したので、ヒヨコと青田は大はしゃぎである。その横では気が抜けて会長に抱きついた。会長もなんだか変な声を上げながら抱き返す。

、よかったねえ、勝ったね」
「勝った、そうだね、勝ったね、会長、会長~」

生徒会室もグラウンドも、興奮の坩堝である。部活対抗レースを引きずっていたせいで、例年になく盛り上がったし、部活やクラスだけでなく、3大メガネやの件など、生徒たちにとってこの年の体育祭は大変面白い展開で盛り上がったと記憶された。

かくして、生徒会長の悪巧みに翻弄された体育祭は、大盛況のうちに幕を閉じた。

クラス対抗リレーで上位に入った3年生は、大抵放課後にクラスメイトたちに囲まれて下校することになる。そしてそのままファストフード店などに連れ込まれ、少なくともその日1日はちやほやされるのが普通だ。この年の1位である3年1組の元陸上部員はそうやって過ごした。

が、リレーにおいてはノーマークであり、本年度湘北イイハナシダナ部門ぶっちぎりの1位らしい三井は、部活だからといってさっさとクラブ棟に行ってしまった。本人も騒がれるのがこそばゆいらしく、逃げるようにして部室に駆け込んできた。すると、その後から桑田が青い顔して飛び込んできた。

「うおっ、どうしたよ、大丈夫か」
「あわわ、すみません、失礼しました」

部室に入るなり三井に激突した桑田は青い顔をしたままペコペコと頭を下げた。普段こんな風に慌てることの少ない桑田なだけに三井は首を傾げる。が、それを見ていた宮城とマネージャーの彩子がニヤニヤしながら近付いてきた。このふたりは1組なので、本日上機嫌である。

「あいつ、さっき追い掛け回されてたからなあ」
「追いかけ回され……誰に?」
「主に3年と2年の女子がですねえ~ちっちゃくて可愛いって追いかけ回してるんですよお~」
「違います! そういうアレじゃないです! てかちっちゃくないです伸びてます!」

桑田はロッカーの方から裏返った声で反論しているが、部活対抗レースでもクラス対抗リレーでも活躍してしまった彼は、以後、密かなファンを多く持つちょっとしたアイドルになった。ちなみに早食いで驚異的な結果を残した安田は、クラスメイトたちからたくさん食べ物の差し入れをもらうようになった。

「てか三井さん、木暮さんのあれは……
「ま、あれはあれで木暮の意地だったろうし、結果は予想通りと考えていいんじゃねえか」

本人がいないので、3人はブハッと吹き出した。さてその木暮だが、既に引退しているし、クラスメイトたちは彼を連れて街へ繰り出す気でいた。どうせなら赤木も一緒に引っ張りだして、たまにはクラス仲間で遊ぶのもいいんじゃないか。そんな風に考えていた。

だが、木暮も赤木も帰るという。予備校だから。例によって専門と就職がほとんどである6組の生徒たちはふたりが受験生であることを思い出し、そこは文句も言わずに手を引いた。赤木は部活対抗レースの副賞を配ってくると部室に向かったが、木暮はつかつかとロミオの元にやってくると、律儀にも礼を言ってから赤木の後を追った。

「お前のあと追っかけてたんじゃ、ロミオたちは疲れたろうな」
「ロミオもだけど、キャップが可哀想だったよ。顔色悪くなってた」
「しかしほんとに、文化部のやつらってのはよくわかんねえな」
「あはは、向こうも同じこと言ってると思うよ」

バスケット部の部員は引退したふたりを含めると全部で14人。部活対抗レースに出場した運動部の中では少ない方に入る。何しろ湘北は男子女子ともにテニス部が多く、例えば男テニだけでも3学年50人いる。副賞を提供する先生たちがドキドキするのも無理はない。

それが14人分でホッとしているかどうかはともかく、事前に20枚ほどの用意があったらしく、副賞である映画館の鑑賞ギフト券はすぐに赤木の元に届いた。優勝カップもとりあえず赤木が受け取ったので、それとともにふたりは部室へ向かう。

「あっ、ちゅーす」
「おう、みんな今日はご苦労さん」
「なんだよ、帰らなくていいのか。今日はヒーローだろ」
「予備校あるから辞退したよ」
「つまんねえなほんとにお前らは」

赤木は部室の目立つところに優勝カップを置くと、封筒に入った副賞を配り始めた。レースに参加していない部員は少し申し訳なさそうだったが、気にすることはない。それも含めて部活対抗レースなのだ。鑑賞券を受け取った宮城はふにゃりと微笑み、マネージャーの彩子にするすると近寄った。

「アヤちゃんアヤちゃん、一緒に見に行かない?」
「いいけど……アタシ、見たいのあるんだよね」
「ホント!? 今なにやってたっけ?」

確かラブストーリー、ドラマ、アニメ、アメコミもの、時代劇、漫画の実写化――

「今じゃなくて来月公開! 楽しみにしてたのよね、ライジング・オブ・ザ・デッド3!」

ホラーでした。

……木暮、これやるよ」
「は?」

一度は鑑賞券を受け取った三井だったが、そのまま木暮に差し出した。

「何言ってんだよ、お前ストラックアウトでトップだったんだぞ」
「そういう意味じゃなくて、別に見たいものないし、今は練習の方が大事だから」
「これ、使用期限来年の3月末だから大丈夫だって」
「お前は鈍いなほんとに。これ使って誘えっつってんだよ」

後輩たちに聞こえないように声を潜めた三井の言葉に木暮は固まった。ふたりの向こうで桜木が晴子を誘っていて、その間に兄が割り込もうかどうしようか迷っている。宮城は映画デート出来そうだが、ホラー嫌いなので変な汗をかいている。

「受験が――
「だから3月末までなんだろ、期限。てか映画1本くらいいいじゃねえか、2時間位なんだし」

そういう問題ではないと言い返そうとした木暮だったが、手に鑑賞券を押し付けられてしまった。

「お前だって――
「オレは今のところ誰がいいとかねえし、なんか今日楽しかったから、それでいいよ」

湘北の女子たちが目一杯グレてた三井の更生に戸惑ったように、三井もまたその中で戸惑っていた。けれど、部活対抗レースとクラス対抗リレーはそんな双方を優しく繋げてくれた。今も告白ラッシュに遭っている三井だが、それはさておき、残り少ない高校生活を女子たちとも普通に過ごせそうな気がしていた。

「まあ、オレがに渡して来てもいいけど」
「そ、それは!」
「だったら腹括って自分でやれよ。お前は勝ったんだ。そのくらい構わねえだろ」

三井は戸惑っている木暮の肩を掴んで揺らすと、タオルを首に引っ掛けて部室を出て行った。まだ鑑賞券でわいわい騒いでいる部員たちがいる部室の隅で、木暮は手にした券を見つめながら、そっとため息をついた。