グラッシーズ!

05 - 暗躍の部長

会長の部活対抗レース案はほどよく煮詰まり、肝心な箇所をうまく省いたり文字を小さくしてみたり捉えようによっては意味が変わる表現の報告書は、職員会議でも体育祭実行委員会でも無事に受理された。そして翌日には運動部部長、もしくは引退済みの3年生元部長にレース概要が配布された。

その日の放課後のことである。

引退して新体制になっている男子バスケット部は、活動場所である体育館で一塊になっていた。その中心は引退した3年生元部長。既に世代交代して現部長である2年生・宮城が渋い顔をしているが、元部長・赤木は真剣だ。というか少し怖い顔をしている。

「たかが校内の余興と侮るなよ。特に1年生」
「ここで負けると次の体育祭まで負け犬扱いされるからな。想像以上に悔しいぞ」

負け犬扱いを2年間耐えてきた赤木をフォローしているのは元副部長の木暮で、たかが体育祭じゃないのかと呆れ顔の1年生に厳しい顔をしてみせた。負け犬扱いは、特に真面目に部活に取り組む気のないような生徒に多い。その上顔を覚えられると年内中からかわれる。

「しかも興味ないからと出場しなくても、部として負け犬になるからな」

そんな意味もあって引退した3年生は特に熱くなる。ここで無様な失態を演じると、残り少ない高校生活が台無しになってしまうし、逆にここで華々しい活躍を残せば自由登校までの間は安泰である。

「さて、レース概要だが、出場人数は全部で8人。 リレー、アトラクション、バトル・ロイヤル」
「バトル・ロイヤルって」
「借り物がなくなった代わりに今年から始まる競技らしい、が、これは出走者は決まってる」

赤木はレース概要の書類の束をめくり、バトル・ロイヤル要項の表紙を掲げて見せる。

「『湘北クエスト バトル・ロイヤル ~副部長・ネバー・ダイ~』――ってなんすかこれ」
「まあ、考えたのは会長だからな」
「副部長って、つまり木暮が出るってことか」

タイトルに微調整が入ったらしい。呆れた宮城に、冬の大会まで引退しないという三井も口を挟む。とりあえずタイトルからはレース内容がまったく読めないので、出たいとは思わない。木暮と決まっているならそれでいいというのが顔に出ている。

「まあほら、スピードや技術では劣るからな。会長の悪ふざけに付き合ってる方がいいよ」

しかもに直接頑張ってねなんて言われちゃっているので、本人も意欲はある。

「概要にもわかりやすい説明がないんだよな。一応校舎の中でクエストをいくつかこなして制限時間内にゴールする、ということらしいんだけど。クエスト内容例もないしな」
「まあでも例えば数学の問題が出たりしたらオレらはお手上げですしね」
「そりゃそうだな。よし、これは木暮に任せた」

足の早さや制球などの技術も必要なさそうだし、適任が副部長、これは運がいいといえるかもしれない。

「次にアトラクション3人だが、これは毎年ストラックアウトがあるから、まずは三井」
「おう、オレしかいねえな」
「で、他に今年は吹き矢と早食い。オレと安田」
「安田!? 桜木の方がいいんじゃないのか」
「バカ言え、桜木と流川と宮城はリレーに決まってるだろう。そこは絶対だ」

桜木に比べれば多少劣るが、安田は小柄の大食いでスピードも早い。要するに燃費がものすごく悪い。レース概要によれば、吹き矢は身を乗り出してもいいとのことなので、校内一身長の高い赤木なら有利だ。ここも適任。そしてリレーの方の3人も本当に早い。というかその中でも一番小さい宮城が一番早いという攻撃力の高さ。

……あれ? リレーって4人じゃないのか」
「そう。だから、もうひとり決めなきゃならん。というわけでお前ら今から走れ」

とりあえず選に漏れていた2年と1年は一列に並ばされて、体育館の端から端までダッシュさせられた。全員それほど差はなかったのだが、3度走って3度1位だったので、1年の桑田に決まった。これも小さいので油断させられるかもしれない。

「よし、決まったな。まあ、練習なんかはいらんだろう。普段の部活の方がよっぽどハードだ」
「強いて言えばリレーのバトンパスくらいじゃないか。てか赤木、走る順番決めねえと……

早くも桜木と流川が走る順番でああだこうだと言い合いをしている。このふたりを並べてしまうとバトンパスどころではない。今も桑田が仲裁に入っているが、ふたりは引き離さないとレースにならない。

「それはちょっと時間くれ。少し考えたい。決まったら宮城、バトンパスの練習しておけよ」
「りょーかいっす」

体育祭まではまだ2週間ほどかかる。赤木は用が済むとさっさと体育館を出て、木暮とも別れてひとり視聴覚教室に向かった。道中人の目を気にしつつ、どうしても目立つので足早に階段を駆け上がって視聴覚教室の重いドアをこじあける。

「おお、来たね。お疲れー」
「すまん、遅くなった」

教室の中で赤木を待っていたのは、いわゆる「派」であるロミオとヒヨコ、そしてキャップに密偵その2である。ちなみにロミオと赤木はクラスが同じ。

……なんか妙な集まりだな」
「そうでもないんだよ。いわば部活対抗レースの裏方代表で」
「それで、話って?」

実はこの前には野球部と卓球部の部長も呼び出して話をしている。用件は主に3大メガネの件についてだ。

「なるほどな、会長の思いつきそうなことだ。高笑いが聞こえて来そうだな」
「まあ、だからといって何を裏工作しようっていうんじゃなくて、いわば安全対策で」
「大丈夫だとは思うんだけど、なんとなく不安が残るから、話だけでも聞いてもらおうと思ってさ」

頂上決戦の件を聞いた赤木は真顔で頷いた。彼の場合、自身が所属していたバスケット部に関してはすぐ熱くなるし妥協など絶対にしないが、そうでなければ比較的大人しい人物である。見た目が怖いのは別として。何も言われないし何もされないとわかっていても、密偵その2など俯いたまま顔も上げられない。

「そうか、なあ。それを木暮がねえ」
「バスケ部、急にモテ出したでしょ。どうなるかと思ってたけど、変わらなかったみたいね」
「まさか! 2学期入ってからはふたりだったかな」
「あー、やっぱ木暮でもそうなんだねえ」

現在三井と同じクラスのヒヨコは感心して手をパチパチと叩いた。三井は更生してからだいたい月イチくらいで告白ないしは手紙を受け取っている。本人は手のひらを返したような展開に逆に不信感を抱いて全て断っているが、まだおさまらない。

「受験があるとはいえ、なんであんなに頑なに断ってるんだと思ってたが、なるほどな」
「へえ、赤木にもそういう話、しないんだな」
「あれはあれで負けず嫌いだからなあ。まだ勝負の途中と思ってたかも」

ロミオは赤木の言葉にふと頷いて顎に指を添えた。メガネと副部長という共通点しかないと思っていたが、メガネ3人は意外と負けず嫌いだ。1番そんな風に見えない平良ですら、実は結構な負けず嫌いで、ただ彼の場合は野球の試合なんかで負けると腐るので面倒なのである。

「たぶんレース概要にも姫役がいることなんか書いてなかったでしょ」
「校舎の中でクエストをこなすってくらいしか――

手にしていたレース概要をめくり、赤木は頷いている。まったく正体不明のレースだ。さらに生中継のことを聞かされると、さしもの赤木もちょっと呆れてため息をついた。

「そりゃそれぞれの分野で目一杯やればいいだろうけど……ちょっと騒ぎ過ぎじゃないか」
「だから呼んで話を聞いてもらってるんじゃん」
「基本的に音声はうちの実況がメインで、それほど現場でいじられることもないと思うんだけどね」
「リポーターも私含めて全員演劇部だしね」

ただそれでもバスケット部と野球部と卓球部だけは事情を知っていた方がいいと結論づけたキャップたちは、ひとりずつ順番に呼び出して説明をしたというわけだ。数日前に話をしにきた密偵にも説明することがあれば、と同席させたけれど、彼女はそれ以前に喋るのですらハードルが高い。

「野球部と卓球部はなんて言ってるんだ」
「卓球部はそもそも勝とうと思ってないらしくて、皆本も引退した元副部長だし、好きにすれば、と」
「その点は野球部の方が熱くなってたね。クエストだけじゃなくて他も全部負けないって息巻いてた」
「ふふん、言うな。まあ、勝つのはバスケ部だけどな」

卓球部はアトラクション競技のストラックアウトだけパーフェクトが出せればそれでいいという。卓球部の場合は的が狭くなり、卓球のラケットとボールを使う。現部長が既にこれの練習を始めているという。

「色々言われるのもあるけど、やっぱり運動部って負けたくないんだねえ」
「そりゃあ、負けるよりは勝つ方がいいに決まってるだろ」
「9割方負け人生だからさ。勝っても負けてもって気がする」

努力の末に勝利を掴むことが当たり前の赤木は、ヒヨコのぼんやりした声に返す言葉がなくなって黙った。

「あはは、ヒヨコ、編集長みたいなこと言ってる」
「編集長って、ああ映像部の」
「あいつは勝負しなきゃ勝ち負けもないっていうタイプだけどさ。だからずっと勝ってることになるらしい」

楽しそうなキャップにまた赤木は黙る。何しろこの場ではひとりだけ運動部なので、こういう理屈で来られると為す術がない。編集長の言うことも一理あるけれど、自分の世界とは違う。それに優劣をつける気はないが、ヒヨコのように「9割方負け」なんて言われてしまうと少し悲しくなる。自分だって負けの方が多いはずなのに。

「まあ、そんなわけだからよろしくね、赤木」
「あ、ああわかった。お前らも大変だな」
「まーね。乗りかかった船だからさ」

同じクラスのロミオの苦笑いに送られて赤木は視聴覚教室を出る。この中で言えばキャップと1年生の時に同じクラスだっただけで、ヒヨコは部長会でしか面識がない。もうひとりいた女子など顔も見覚えがなかった。赤木は今更ながらこの集まりに違和感を覚えて、廊下でひとり身震いした。

縁がないせいもあるが、なんとなく文化部は気味が悪い。言葉は悪いのだが、会長も体育会系というよりは文系だし、妙なことを企んでわいわいやっているこの感じが肌に合わない。それに何より、ああして最初から負けを受け入れていることが、悲しいのと同時に苛ついてしまう。

しかし部活対抗レースは話が別。負けられない。赤木は教室に戻りながら、リレーの走順を考えていた。副部長レースはともかく、他は全て有利なはずだ。全て勝ってバスケット部優勝といきたいところだ。

「あれ? お前帰ったんじゃなかったのか」
……お前こそ何やってんだ」

教室に戻った赤木は、木暮がぼんやり窓辺に寄りかかっているので、咄嗟に言葉が出てこなかった。いやあ、お前が会長のおかしな策略に巻き込まれてるからその相談にな、とは言えない。

「ああうん、ちょっと人を待ってて」
「そうか。じゃあお疲れ」
「おう、また明日な」

待ち人についても、本人が言わないのだから黙っておこう。赤木はレース概要の書類を鞄に詰め込むと、さっさと教室を出た。だが、昇降口にもう少しというところでを見かけて足を止めた。廊下で何やら先生と話をしている。しかもそのはるか向こうに皆本と平良が見えた。

皆本は柱の陰で、平良は階段の壁の影に。お互いは見えていないらしい。別に関わる必要はないのだが、彼らがそれぞれ野球部と卓球部の副部長だと思うと、なぜか対抗心が湧いてくる。

これじゃあ会長の思う壺じゃないかと自分に呆れるが、木暮のためと呪文のように言い聞かせる。

「よう、なんか会長に捕まってるんだって?」
「赤木くん。そうなんだー。あ、もしかして部長だからあの話、聞いたの?」
「ああ、さっき聞いた。大変だったな」

赤木は先生と話が終わったにすかさず声をかける。その向こうで皆本と平良がギリギリと悔しがっているのが見えるが、気にしない。自分はバスケット部の部長なんだから、木暮が有利に運ぶよう働きかけるのは当たり前だ。

「今年は副部長も餌食になったけどな」
「ああうん、そうなんだよね……木暮くん負けないって言ってたけど」
「ははは、ああ見えてあいつも負けず嫌いだからな」
「ほんと、そうは見えないよねー」
……教室で、待ってるぞ」
「え!?」

声を潜めた赤木には飛び上がった。だが、このバスケット部部長副部長ふたりが中高合わせて6年間コンビ状態なのは割と知られたことだ。話していてもおかしくないとはすぐに察して、小さく頷いた。

「な、なんか、迷惑かけちゃってて、ごめん」
「オレに謝るようなことか?」
「だって、大事な仲間でしょ、それを」
「本人が好きでやってんだから、いいじゃないか。後で文句言うようならオレが成敗してやるよ」

はどうしても申し訳無さが先に立つようだが、誰に言ってもこう返ってくる。

「恐縮する必要なんかないけど、だったら早く行ってやれよ」
「う、うん、わかった。ありがとう。レース、頑張ってね」
「おう、お前のことは木暮が1番に迎えに行くからな。待ってろよ」

レースの話だというのに、はボワッと顔を赤くして、そのまま走り去った。

こりゃあ、本当に木暮有利なんじゃないか? 赤木は頬が緩みそうになるのを堪えつつ、昇降口を出た。靴を直すふりをして立ち止まり、ちらりと周囲を見てみれば、肩を落として歩く皆本と平良が見える。すまねえな、お前らに恨みはないが、これも勝負だ。オレは何にも負けるつもりはない。

赤木は気持ちを切り替えて、レースの走順を頭の中でこねくり回しながら学校を出た。