それは朝から神の精神とバッグとロッカーを重く圧迫していた。
いち、に、さん、し……。土曜日の部室で午前中の練習が終わった11時、神はロッカーの中のビニールバッグを覗き込んで肩を落とした。本日バレンタイン、現時点で8個もチョコレートをもらってしまった。1年生の時は結局前日翌日の時間差攻撃も含めて19個ももらってしまった。さて主将に就任してしまった今年はいくつになるだろうか。
バレンタインのチョコレートなど多ければ多いほどいいようなものだが、神は違う。増えれば増えるほど怖い。
そしてロッカーの中にさらにビニールバッグで隠しているけれど、おそらく「ヤツ」にはバレている。もしかしたら個数もバレているかもしれない。そして昼休憩に入った。昼食と体を休めるために海南では11時から13時までが昼休憩になっている。嫌な予感しかしない。
「そ~いちろぉ~」
「ヒッ」
神は背中に生暖かい温度と冷ややかな声を感じてすくみ上がった。この妖怪のような声は――
「……」
振り返ると、「ヤツ」が背中にすがりついていた。ヤツこと彼女の、である。ちなみにマネージャー。
最初は確かに神の方がを好きになってしまったのだ。いつもすぐ近くにいてお互いを支え合える存在だったに恋をし、1年生の冬休みの間に付き合い始めた。付き合うことになった時は嬉しくて嬉しくて、頭の中がお花畑になっているのが自分でも分かるほどだった。
――が、今ではの方もすっかり神のことが大好きになってしまい、まあ要するにヤキモチだ。
「あま~い匂いがしてますな、キャプテン?」
「あま、あまま、そうですねマネージャー、バレンタインですね」
「なんでキョドってんすかね、キャップ」
「キョドってなんかいませんよ、大好きな彼女に抱きつかれてドキドキしてるだけです」
神は素早くロッカーの中を背中に庇い、腹にべたりとくっついて見上げているに向き合った。こうして見下ろすとは可愛いのである。それはもう可愛いのである。そのままほっぺたをガッと掴んでちゅーっといきたいくらいには可愛いのである。だがしかし、今日は怖いのである。
他のどんなことでも深刻な喧嘩などはないけれど、とにかくはこの「彼氏がモテる」という点についてはどうしても納得がいかないのである。神がそーっとロッカーのドアを閉めようとした隙間にの手が素早く入り込む。
「確か去年は19個だったよね?」
「なななな何の話かな?」
「まあでも、まだ去年は私たちが付き合ってること知らない人も多かったと思うけど」
そして為す術もなく神の背中からビニールバッグが抜き取られた。
「何個?」
「……8個です」
「全部手渡し?」
「手渡しは1個だけ」
「なんで受け取ったの」
「受け取ってない、叩きつけられた」
そう、の豹変は想定済みだったので、今年は直接渡されるチョコレートは全部断ろうと思っていた。義理だと言ってくるものについては部員全員で食べるけどそれでもよければ、と言おうと思っていた。だが、8個中1個は部室棟の角で闇討ちに遭い、7個中4つは教室の机の上に、1つは下駄箱の中に、2つは部室のメールボックスに押し込まれていた。不可抗力。
「ねえ、普通好きな人にチョコあげたいってなったら、彼女の有無って確認しないかな?」
「ですよね……」
「だけどさ、こっちが私たち付き合ってますよ~! って言って回るもんでもなくない?」
「ごもっとも」
部室のテーブルでチョコレートの包みを解いてみると、なんと5つが本命と思しきメッセージを付けてきていた。1つは壊滅的に文章が苦手なようで意味不明、1つは「HappyValentine」のみなのでこれも意図不明。
「渡しに来ないのも卑怯だと思う。結局宗一郎がお返し持って本人のところに行ってごめんねって言わなきゃいけない」
「……うーん、そうなんだよな」
「てか本命っぽいこの5人、全員彼女いるって知らなかったのかな」
「まあ確かにオレたち校内でベタベタするタイプじゃないしね……」
神はもっともらしく腕組みでそう言ったけれど、おそらく全員が彼女であることは承知しているはずだ。ではなぜこんな挑戦的なのかと言えば、正体不明ながら神には1年生の時に「ファンクラブ」が存在していて、マネージャーのはなぜかノーマークのまま、気付いたら取られていたという状況になっているからだ。
ファンクラブと言っても、それはネット上でこそこそと鍵付きの場所を作って「抜け駆けしないようにしようね!」というような取り決めの元、神を応援している――という建前の組織だったわけだが、彼女発覚により内部が大炎上、以来という存在は無視されている。には隠しているが、一部の女子は神を彼女持ちとして扱わない。修学旅行大変だった。
で、その組織の人数は確か16人だったはずなのである。つまりまだ少なくとも8個は届く可能性がある。
さすがに神も失礼な行為ではないかなと思うが、ここで神が盾になってを庇うと余計に矛先が彼女に向くのではないかという不安がつきまとう。それに、今のところクラスが離れているので日中はほとんど接触がなく、授業が終わればあとはずっと一緒なので、スルーしているのが一番安全なのではないかと思うのだが……
と、ここで神はふと思い出し、何も考えずに言った。
「そう言えばのチョコは?」
「……これだからモテる人間て困るよね。じゃあ宗一郎、私へのチョコは?」
しまった……。神は一瞬で顔面蒼白。そう、子供の頃からずっと「2月14日は女の子がいっぱい寄ってきてチョコレートくれる日」でしかなかった神にとって、彼女であるがチョコレートくれるのはごく当然のことというイメージしかなかった。去年は付き合って2ヶ月足らずというところだったのではちゃんとチョコレートをくれたけれど……
もちろんへのチョコレートなんか用意してない。マズい。引っ込んだ冷や汗が再度吹き出す。
「……いいよ別に期待してなかったし」
「わあ、ごめん、別にに何も用意しなくていいやとかそんな風には」
「もらうだけの日だったと思ってたのは知ってる」
「ごーめーんー!」
これだけのことでプイッとの気持ちが向こうを向いてしまってそのまま別れる……ということにはならないだろうけれど、これはマズい。神にとってはあんまりよろしくない。こういうことの積み重ねの方がよっぽどよろしくない。
「、今日部活終わったら時間ある!?」
「あるけど」
「じゃ、うち来ない? これ、チョコ全部溶かしてチョコフォンデュやろ!」
「えっ、チョコフォンデュのセット持ってるの?」
「だから、それがオレのバレンタイン! 買ってくるから! マシュマロとかも! な?」
一転、の口元が緩み、目がキラキラしだした。
「じゃ、じゃあ私もジュースとか、なんか買ってくる……」
「いいよ、それもオレが用意するから」
「でもそれじゃあ」
機嫌が直ったようなので神も気が緩み、の両腕を引いて抱き寄せた。
「は泊まっていってくれたら嬉しい」
「家、大丈夫なの」
「だから誘ってるの」
「……わかった。行く」
ホッとしたのと嬉しいのと楽しみなのとで神は思わずをぎゅーっと抱き締めた。
そんな神だったが、結局学校を出るまでにチョコレートが14個到着。
の冷たい視線に晒されながら計22個のチョコレートを全部溶かす羽目になった。
あま~いバレンタインの夜になったかどうかは――定かではない。
END