全くいつも通りの10時

10時、3時間目。

本人曰く朝練やら長年の習慣やらで起床時間はかなり早いとのことだが、そのせいかどうか、の隣の席の清田は10時になると寝てしまう。1時間目まではまだ元気があって、2時間目になると少しぼんやりしてきて、3時間目でダウン。4時間目で少し盛り返し、昼になるとそこそこ覚醒、5時間目にまたぼんやりし始めて、6時間目もだいたい寝てる。

は入学以来それを毎日眺めていた。

そんな風に毎日10時になるとスヤスヤ寝始める清田だが、テストで赤点を出したことはない。赤点を出して追試なんてことになると、補習に出なければならない。その間、練習を休むことになってしまう。それだけは避けなければならない。

で、なぜそれが維持できているかと言えば、その隣の席のが後でノートを貸しているからだ。

席が隣になったのは入学直後にくじ引きで席替えが行われてからだが、いつの頃からか清田は授業を爆睡して休み時間に目覚めると、隣のに手を合わせて拝み倒すようになってきた。

人によっては「なんでがそんなことしなきゃいけないの? 寝てた清田が悪いのに、それって利用されてるだけじゃん」と憤慨してくれるが、は今のところ特に不満はない。なぜなら、ノートの貸与には、ちょっとした「見返り」があるからだ。

それは高校に入って最初の中間が無事にクリアできた5月のことだった。おかげで赤点も出ず、デビュー戦に向けて準備万端になった清田が放課後の廊下で手を合わせて礼を言ってくるので、発破をかけるつもりで「絶対勝ってきてね」と言ってみたところ、やたらと真剣な顔で「ノートの礼のためにも死ぬ気で戦ってくる」と言われてしまった。

そして予選が始まってからは校欠で不在の間のノートも貸すことになり、それが功を奏したかどうか、とにかく清田はデビュー戦を快勝、あくまでも本人に言わせると「華々しいデビューを飾り、神奈川のスーパールーキーとして話題沸騰中」になって帰ってきた。それと同時に帰ってきたノートの中に黄色い付箋を見つけたのは6月のことだった。

付箋には「いつもほんとにありがとう! ってあんみつ好き?」と書かれていた。

ちょっとポカンとしただったが、あんみつは好きだ。翌日の授業のノートに付箋を付け、そこに「あんみつもみつまめも好き」と書いて手渡した。するとまた付箋が返ってきて、「ノートのお礼に今度おごる」と書かれていた。

それが実現したのは割と直後のことで、だがそれはこっそり紙袋を渡されて、中を開いたら「梅園」のあんみつが入っていた。

部屋でひとり生ぬるいあんみつを食べつつ、は何度もニヤニヤと笑った。なんであんみつなんだろう、どこかあんみつ食べられるところでおごってくれるのかと思っちゃったじゃん、てかこっそり渡したつもりだろうけどバレバレだし、みんなに「賄賂」って言われてたんだからね。

「あんみつ美味しかった。ごちそうさま」と書いた付箋を貼り付けたはしかし、机の傍らをちらりと見てがくりと頭を落とした。清田から届いた付箋はデスクライトに貼り付けて残してあった。なんか気持ち悪いかな、こういうの。

だが付箋のやりとりは以後も続き、月末にはその付箋で誘われてインターハイ予選の試合も見に行ってしまった。メールやメッセージアプリで繋がることもないまま、の机の周囲には清田の貼り付けてくる黄色い付箋だけが日々増えていく。

何が好きだの何が嫌いだのはもちろんのこと、普段の清田からは想像もつかないような弱音もあったし、の愚痴もあったし、今ここに100万円あったらどうする? などと、益体もない話題も多かった。

そしていい加減のデスクの周囲に付箋を貼り付ける場所がなくなってきた学期末。期末テストを前には清田にごっそりと全教科のノートを貸した。清田は翌日までに必要な場所を全てコピーしてテストに備える予定だ。そのノートを手渡す時、は隠しきれない寂寥感に襲われて、うまく喋れなかった。

このノートを貸したら期末の準備はOK、テストが終わったらテスト休みに入って、あとはひとまずテストに関係ない授業の消化くらいしかなくて、そうこうしているうちに夏休みに入ってしまう。清田は合宿、そしてインターハイに赴く。インターハイは遠く広島だという話だし、付箋の繋がりしかなかったふたりが夏休みに会う理由もなく、そして、2学期。

2学期初日には席替えがある。

清田は何も言わないけれど、彼がノートを貸してくれと頼んできたのは私が隣の席だったからだよね、と思ってしまったは、ノートがないので軽いはずのバッグを異様に重く感じながら帰宅した。席が変わったら、今度は別の女の子に手を合わせてノート貸してって言うのかな、その子にも付箋を貼り付けて「あんみつ好き?」って聞くのかな、と思ったら涙が出てきた。

だが、なにぶん付箋だけの関係である。翌日は頑張って笑顔を作るとノートの束を返してもらった。それを抱えて帰り、何か付箋でもついていないかなと探してみると、あちこちにいくつも黄色い付箋がくっついていた。全て引っ剥がしてデスクに一列に貼り付けてみると、ひとつひとつに「クイズ」が書いてあった。

すべて解くのに2時間もかかってしまったが、それらの答えを何度も入れ替えてみると、ひとつの文章が浮かび上がった。

8 / 16 PM 600 藻 よ 利益 湯 肩 蛾 井伊 7

8月16日 PM6時 最寄り駅 浴衣がいいな

の頬にひとしずく、涙が伝った。

信じられない思いで翌日、10時。

いつものように休み時間からウトウトしていた清田は、授業が始まるなりコテッと机に頭を落とした。はそれに気付くとつい頬杖をついたまま横を向いた。そこにはいつもの、長い髪をだらりと垂らした清田の顔があった。だが、いつもなら気持ちよさそうに閉じられているはずの彼の目はぱっちりと開いていて、はギクリと肩を強張らせた。

それに気付いた清田はにんまりと笑顔を作ると、机の上に置いていた人差し指を立てて、そっと唇に添えた。

そして、の目をまっすぐ見つめながら唇だけで、言った。

「おやすみ」

そうしてまた、全くいつも通りの10時がやって来たのである。

高鳴るばかりのの胸にだけ、ときめきの音を残して。

END