白蝋館の殺人

4

大人たちに散々からかわれた牧とは22時半頃になってようやく解放された。支配人の菊島さんが牧とは自分が責任を持って預かっている「子供」だから勘弁して下さいと喚いたからだ。

だが、菊島さんの甲高い声を潮に同窓会もそろそろお開きにしようかと言い出し、柴さんと島さんも生活リズムを乱したくないとのことで、余裕で素面顔のメイさんと敬さん、そして凶悪な顔のままの松波さんだけをバーに残して解散となった。

「うるさくしてごめんなさいね、高校卒業以来十数年ぶりの再会で」
「君たちもおっさんおばさんになったら分かるよ!」
「やだあ、年は取りたくなあーい! 女子高生に戻りたあい!」

というわけで今度は同窓会に絡まれた。静かに談笑しつつ飲んでいたメイさんたちと違って、こちらは泥酔状態。牧はせめて自分が前にいてを庇おうとしたのだが、なにぶん4人もいるので守りきれない。大階段にへべれけの声ときついアルコールの匂いが振りまかれる。

そしてその後ろからは助けようにも割って入るきっかけのない柴さんと島さんがとぼとぼ歩いていた。柴さん島さんは昨日着いたばかりだし、助けたいけど気軽に声をかけられるほど面識もないし高校生ふたりの保護者でもないし……という顔をしている。

「で、君は何ちゃんかな? ふたりは付き合ってんの? てかどうしたのふたりで」
「まさか駆け落ちとか言うんじゃないよねえ? そんな年で人生早まっちゃダメよお!」

とうとう志緒さんすら弾き出され、4人組のうちの男女ふたりに両側から囲い込まれてしまった。酒臭い。しかも男の方がに抱きついてくるので、慌てて牧と柴さんが止めに入った。ただでさえ缶詰だというのに泥酔した大人の男性が未成年にお触りなど言語道断である。

「マジか、何それ、犯罪者扱いじゃん、何もしてねえっていうのに」
「やむを得ず預かっている未成年ですよ、弁えてください」
「あんたも誰よ。うわ腕ふっと、こっわ」

大階段の踊り場は急に険悪な雰囲気になり始めた。だが、志緒さんを除く同窓会組4人はそんな様子を見てへらへらと笑っているばかりで止めようともしていない。志緒さんは一応島さんにペコペコと頭を下げているが、島さんに謝ってもどうしようもない。

「明日! 明日お茶しよ! ね? オレ、東丸っていうの! 東丸(とうまる)恭介!」
「あたし葛西ほのかー!」
「オレは最上龍己!」
「オレは下谷勝だよー!」

4人は聞いてもいない自己紹介をすると、また反っくり返って大笑い。しつこくに触ろうとするので、とうとうは牧と柴さんふたりに抱きかかえられていた。それでも隙間から手を突っ込もうとするので、どうしたものかと困っていたときのことだ。

「おい酔っ払い、いい加減にしろ」

踊り場に響き渡る低音に全員がひょいと階段の下を見た。いつの間にか敬さんがいて、帽子の下から睨みあげていた。その傍らのメイさんも怖い顔をしている。

「あんたたちのうるさい声がいつまでも聞こえてるから気になって来てみれば……
「今すぐ部屋に帰って朝まで出てくるんじゃねえ。ほら、さっさと行け」
「何様だよ、何の権利があって命令――
「これ以上ゴネるなら外に放り出すぞ小僧」

間近に迫ってきた敬さんが怖いのではすくみ上がり、自分の体を抱き寄せている牧の腕にしがみついた。助かったけど敬さん怖い! てかメイさんも怖い! チビりそう!

すると騒ぎを聞きつけたのか、甲高い声の菊島支配人がオロオロしながら駆け寄ってきた。オロオロしていてもスタッフの装いというものは強いのか、東丸たちは途端に萎れてから離れた。面白くなさそうだが、敬さんの迫力にも対抗できそうにない。

「お客様、いかがされましたか、何か――
「いいよ、もう片付いたから」
「ほ、本当ですか、今夜はこういった状況ですし、どうか穏便に……

しかし菊島さんは支配人だというのに、弱腰で威厳もなければ毅然とした態度もない。敬さんの方が頼りになりそうだし、実際菊島さんは東丸たちには近寄らずに敬さんの影に隠れたままだ。

ちゃんたち、もしまた何かあったらすぐに言いなよ」
「はい、はい、何かありましたらフロントまでお知らせください、お部屋の内線で103で、はい」
「てか菊さんはもうちょっとシャキッとしなさいよ」

ホテル、とはいうものの、この様子ではこの白蝋館はペンションのようなアットホームな宿なのかもしれない。菊島さんを差し置いて敬さんとメイさんが仕切っている。これではフロントに連絡するより敬さんを叩き起こした方が早そうだ。それを本人も考えたのか、敬さんが菊島さんを振り返る。

「というか……部屋割りってどうなってた? 確か……
「お、お部屋ですか、本日はですね」

顔を突き出した敬さんから逃げるように菊島さんはフロントへ走っていき、カウンターの中で何やら覗き込んでいる。勢い全員カウンターまでやってきて菊島さんの手元を覗き込んだ。タブレットに本日の客室利用状況が表示されている。

大階段を上がってすぐ、客室が並ぶ2階東側の手前にある201号室が柴さんと島さん。その隣、203号室の牧とを挟んで東丸ら同窓会組の男性陣が206号室。最奥が208号室で敬さん。白蝋館では客室番号が互い違いに振られているようで、敬さんの向かいが210号室となっており、メイさんが使用している。続いて207号室が志緒さん、205号室が酔っ払ってに絡んできた葛西という女性、202号室が春林という夫婦、で今夜は満室。

「同窓会、女の子だけ離れてるけど、なんで並びで取らなかったのかしら」
「ええとですね、それは東丸様たちがご予約の際は空室がそこしかなくて」
「メイ、同窓会と入れ替わりでシキちゃんが帰ったから」
「やだあ、シキちゃん来てたの。会いたかったなあ」

また新しい名前が出てきたので首を傾げたに、敬さんはゆったりと微笑み、また別の常連さんだと教えてくれた。式村さんと言って、いつも203号室を使うのだという。なので東丸たちは予約の時点で既に部屋が離れていた。

「まあ女の子が部屋に帰れば男だけで大騒ぎはしないと思いたいけど……
「菊島さん、もうルームサービスの時間じゃないわよね?」
「は、はい、バー以外でのお酒は22時までのご提供となっておりまして」
「部屋に持ち込んでなきゃいいけどな」

ペコペコと頭を下げる菊島さんに敬さんがため息をつくと、ロビーにある巨大な置き時計がボーンと重い音を立てた。23時だ。すると今度は、まだ真っ赤な顔をした志緒さんがモコモコのニットに首をすくめ、菊島さんのようにペコペコと頭を下げ始めた。

「あの、本当にすみませんでした。私も10年以上ぶりの再会で浮かれてしまって」
「いいのよ、あんたのことは信用してるから。あいつらのお行儀が悪いだけの話だもの」
ちゃん、でしたか、本当にごめんなさい」
「い、いえ、大丈夫です、私たちも急にお世話になってしまってるので……

もしかしたら志緒さんの目が潤んでいるのは酔いのせいなのかもしれないが、ロビーの明かりに艶々ときらめく彼女の瞳を見ていたら、はつい恐縮してしまって同じようにペコペコと頭を下げた。だが、そんなの頭をメイさんが平手でポコッと叩く。

「あなたは遠慮しなくていいの。悪いのはあいつらなんだから。私たちもバーで引き止めて悪かったわ」
「じゃあもうお開きにしようか。雪も止まないし、大人しくねぐらに帰るとしよう」

まだ何となくオロオロしている菊島さんを置いて、一行はそれぞれの部屋に戻った。敬さんの言うように、まだ雪は止まない。窓の外は夜の闇と積もった雪の青白い光だけの世界だ。

、誰かから連絡来てるか?」
「ええとね、うーん、別に大事な用はないみたい。みんなも身動き取れないよね、この雪じゃ」

部屋にふたりきりになった途端、自分たちが同じ高校の同じクラブの部員である感覚が戻ってきた。それぞれ荷物を改めつつ、窓の外の止まない雪をちらちらと見ていた。一晩このホテルに世話になって明日中には仲間たちと合流できると思いこんでいたが、そんな簡単な話ではなさそうだ。

ということは、場合によってはあの行儀の悪い酔っ払いたちともう1日、あるいはもっと長く同じ屋根の下で過ごさねばならないということでもある。ふたりとも17歳、自分たちよりはるかに「大人」である人物の不埒な行いには余計に嫌悪感を感じてしまう。

「ここにいれば大丈夫だと思うけど、何かあったらメイさんとか、国竹さんとか」
「敬さんたちも私たちの味方でよかったよね」
「菊島さんが頼りなさすぎるけどな」

もう誰の耳もないのでふたりは遠慮せず笑った。17歳の高校生、頼れる大人とそうでない大人を嗅ぎ分ける能力は高い。ひとまずなにか困ったことがあったらフロントに電話すればいいのだろうが、敬さんかメイさんの部屋に駆け込んだ方が早いような気がする。

牧はベッドの上に胡座をかくと、サイドテーブルにあるメモとペンを取った。

「ホテルのスタッフが、菊島さん、国竹さん、あとあの怖い顔した人はええと」
「えーと、なんだっけ。メイさんが『ハヤトくん』て言ってたのは覚えてる」
「それとシェフの人」
「ホテルの従業員てこんなに少なくていいの? それとも今日はたまたま少ないのかな」

も牧の隣に座ってメモを覗き込む。

「建物が大きいから混乱するけど、民宿とかペンションみたいな感じなのかもしれないな」
「私どっちも行ったことないな~」
「敬さん、柴さん島さん、メイさん、さっきの女の人はなんだっけ」
「志緒さん」
「それにあの酔っ払い4人と、夫婦が一組。オレたちを入れて全部で17人てとこか」
「書き出してどうするの?」

牧がサラサラとペンを走らせたメモはスタッフと宿泊客で区切られていて、全員の名前がざっくりと記してある。一部名前が記憶にない人物に関しては、軽く特徴を記入してある。

「もし助けてもらったりしたら後で誰かに報告することになるかもしれないし、万が一何日もここを出られなかったとしたら、早めに全員の把握をしておきたいと思ってさ。さっきみたいなこともあったし、誰がどこにいてどういう人なのか、頭に入れておきたいんだ」

は同窓会組に絡まれたときのことを思い返して肩を落とした。確かに自分たちはより慎重に過ごす必要がありそうだ。何しろ客ではなくて、緊急事態がゆえに「預かっている子」である。有事の際に発言権もないだろうし、言ってみたところで聞いてもらえるかどうかは怪しい。

……ずいぶんからかわれちゃったね」
……ま、みんなオレたちよりずっと年上だし、そういう発想しかないんだろ」
「国竹さんの部屋に行ったときもかなり突っつかれた」
「残ったオレも同じだったよ。敬さんたち迫力あるからやりづらかった」

だが、普段ならその「迫力」で対戦相手を威圧している牧なので、はつい吹き出した。背も高いし体も大きいし、かなり大人っぽい容姿をしている牧だが、それでも敬さんの隣に並ぶと幼く見えたものだった。しょっちゅう全国を飛び回って活動しているので実感が伴わないけれど、自分たちの世界はほぼほぼ高校生だけで構成されていて、宿泊客たちのように多彩な人間がいることも忘れがち。

「自分たちの世界って思ったより狭いのかも、なんて思っちゃったよ」
……言っても高校だしな。オレたちも将来あんな風に言うのかな」

酔っ払いたちの戯言が耳に蘇る。あんなこと言われても反応に困る。

「なんか今ものすごく大人になりたくない」

元々大人の世界に憧れなんかなかったし、どこからどこまでが大人なのか子供なのかもわからないけれど、もうすぐ目の前にあの酔っ払いたちと「大人」という一言で同類項にされる日が来るのだと思うと、ずっとこの中途半端な年頃のままでいたいと思ってしまう。

それは同じ場所で足踏みをして先へ進めないことでもあるけれど、未来は少し怖い。

牧は肩を落としたの背をポンポンと撫でると、押し出した。ぼんやりしていると日付が変わってしまう。ふたりきりで一晩過ごすということを意識し始める前に横になってしまう方がいい。

「考えても仕方ないし、さっさと寝ようぜ。布団被ってりゃ温かいし」
「そ、そうだよね。寝ちゃえば朝になるさ」

肩のあたりに薄っすらとした気まずさを感じないでもなかったのだが、ふたりは上下ジャージでそそくさと自分のベッドに潜ると、サイドテーブルのライトを落とし、静かに深く息を吐いた。ここが洋館で雪に閉ざされた異空間でさえなければ、修学旅行みたいなものなのに。

「牧、眠れそう?」
「たぶん。でもまだ言うほど眠くない」
「だよねえ……しりとりするか~」
「なんでしりとりだよ、じゃあリンゴ」
「ベタだな~! ゴリラ」
「そっちこそベタベタじゃないか。らっぱ」
「ていうからっぱって何?」
「嘘だろ、らっぱわかんねえのかよ」

優しい明かりを挟み、ふたりは小さな声でしりとりに興じ、そしてやがて眠りについた。

外はまだ止まぬ雪、時間は深夜1時になっていた。