星屑の軌跡

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スターダスト

この年の夏の清田家異常事態、御年86歳のおばあちゃんを除いて全員忙しかったし、全員疲れていたけれど、それでも一番忙しかったのはである。リーダーを交代したからといって由香里の休み時間が増えたわけでもないのだが、とにかくは朝から晩まで駆けずり回っていた。

それを休ませよう! と声を上げたのはセイラちゃんだった。

専門は外科だが、仮にも医者である。は疲労激しい中でも効率よく体を休めていたけれど、精神的な疲れも見過ごしてはならないと言って、が「家のことを何もしない」時間を作るべきだと提案してきた。本人も自身の子供のことは気になるだろうから、まずはせめて半日休みを入れよう!

夫の信長は当然賛成、彼も今突然スタッフを欠いた職場で忙しくしているが、深夜まで残業しなければならないという程ではない。なんなら仕事が終わってからを街に連れ出してもいい。

「問題はその間の子供たち」
「私がこんな体でなければ……
「ウサコ、それは違うだろ」

いよいよ臨月を間近に控えたウサコはお腹が大きすぎてソファに座るのもしんどい様子だ。そんな体でこの異常事態のサポートすら出来ないことを気に病んでいるようだが、とんでもない話だ。さらに言えば、その傍らのセイラちゃんがウサコの軽く3倍は働くので、そこはカバーできている。

ぶーちんや四郎さんの奥さんも手伝うと名乗りを上げてくれているけれど、それだってどちらにも普段の生活というものがあるし、頼朝はそのふたりにはアルバイトということで報酬を用意しているけれど、あともうふたりくらい手があってもいいくらいだ。

だが、清田家で大人の手がないと困るのは子供たちだけではない。おばあちゃんと犬もだ。

おばあちゃんはこれ幸いと幼馴染の家に行ってもいいよ、と言うけれど、その幼馴染のヨシちゃんが夏風邪を引いて寝込んでいる。今度はヨシちゃんの息子のヘイさんに迷惑がかかる。かと言ってショートステイに入ってもらおうにも、こんな急な話では空きもない。

それに比べたら犬たちの方はまだ朝晩の散歩と食事くらいなので、負担は少ない。まだ若くて運動したがるヨミは何なら庭で駆けずり回らせることでも対処が可能だ。実は小山田家の2番目にバイト代出すから犬シッターやらない? と声をかけている。

「ま、それでも清田さんちは男性陣が協力的だからこうして相談も出来るわけだけど」
「実際この家で一番働いてるのってだしな」
「信長、ひとまず明日と出かけてみたらどうだ」

まずはそこからだ。頼朝に促された信長は頷き、明日の夜ふたりでデートしよう! とを連れ出した。夕方頃に駅前で待ち合わせて食事を取り、景色のいいところを歩き、少しだけお酒も飲んだ。

だが、そのためには午前中から午後までフル回転、夜デートするためには昼間に倍働かなければならなかった。おかしい、休ませるための計画だったのに。セイラちゃん以下清田家子世代はが風呂で足を伸ばしている間にまた作戦会議だ。

「何が一番時間取るんだ?」
「まずは前日の夜から、弁当の準備」
「今何人分だ? ええと5人分か。全員大人の男だしな……
「それから翌朝の朝食の準備」
「全員分だしな……
「起きたら朝食」
「全員分だしな……
「朝食終わったら洗濯とか掃除とか」
「全員分だしな……
「そうこうしてると昼の準備」

セイラちゃんの説明に相槌を入れていた頼朝はがっくりと頭を落とした。ダメじゃん。

「ただ、もリーダー交代した以上は自分の判断で回してみたいという挑戦をしている最中でもあるわけなので、あえてゆかりんが放置してて、そのせいでちょっと回りくどくなってる時もある。だからぶーちんとか四郎さんの奥さん来てるときなんかはスピード上がる」

さらに言えば、一応この異常事態は今月いっぱいで終わるはずで、ウサコが出産する以上は何とかしてコスモと双子を返還させねばならない。セイラちゃんは弁当を減らせないかと言い出した。

「じいじたちは体が資本だし、そこがこの家の礎でもあるから、そこはちゃんとやっといた方がいいと思う。だけどどうだろう、その他はちょっと外で食べるなり買うなり……

だが、由香里に言わせると弁当は現在「ひとりも5人も作る手間は同じ」だと言うし、信長に関しては夏バテ気味で痩せ始めてしまったから弁当に切り替えたのである。それをソファの上で胡座をかいて聞いていたセイラちゃんは、顎に添えていた指をパチンと鳴らした。

「確かに、実際家の中に無駄はないんだよね。じゃあ発想を逆転させよう。子供たちを外に出す!」

このアイデアは悪くなかった。

まずはぶーちんが昼から午後にかけて、アマナと寿里とウサコを招くと言い出した。ウサコとは音楽趣味が似ているし、小山田家は家族揃ってアニメ好きなのでDVDでもVODでも見放題、アマナと寿里も退屈しない。バスの距離なので、往復はぶーちんが付き添ってくれるとのこと。

次に一番の問題児であるカズサは、思わぬところから援助の手が出た。ヨミの最初の飼い主である。彼は病に倒れて大型犬を飼える状態ではないのだが、しかし元々は波乗りが趣味で体を動かすのは大好き。ずっと積極的にリハビリに励んでいるのだが、最近では知人の経営するボルダリングジムに週3日ほど通っているという。そこに一緒にどうですかと言ってきた。

夏休みの間だけだし、自分は知人に融通を利かせてもらって隅っこでリハビリとしてゆっくりやっているし、ジムはスタッフも多いから人の目もあるし、ついでにその度にヨミに会わせてもらえたら嬉しい、という。カズサにボルダリングの動画を見せたら乗り気になったので、こちらもお任せ決定。

残るはコスモだ。またセイラちゃんが手を挙げた。

「コスモは私が連れ出します」
「どこに行くの?」
「図書館」
「図書館? 本を読みに行くの?」
「いんや、今は数学教えてる」
「すうが……いやまだあの子小学生だろ」

宇宙と彼方を外に連れ出す方法はまだないわけだが、このふたりは今のところ遠慮しいで大人しいので、その他が全員外出してしまえばと由香里だけでも充分だ。というかカズサがいないだけでずいぶん負担は減る。その相談をしていた頼朝は目を丸くした。まだ算数の年齢だろ?

「でも教えたら出来た。あの子相当頭いいよ」
「まあ、大人をだまくらかしてここまで来ちゃうわけだしね」
「これが海外なら飛び級できるところだけど、もったいないね」

聞けばセイラちゃんはコスモを預かっている間、ずっと勉強を教えていたのだという。

「あの子が預けられた家でうまく行ってなくて、この家に来ようとしたのって、それもあると思う。あの子の頭が良すぎるもんだから、周りと合わないんだよ。しかも理系文系関係ないね。どっちもよく出来るし、勉強に適したロジカルな思考法が既に確立されているように見える」

遊びもせずに外に出てまで勉強なんて、コスモが腐るのでは……と全員考えたが、それもないと言う。

「自分の頭脳に見合う問題に出会った、って感じかな。数学だけじゃなくて色々無差別にやらせてみてるけど、難しい問題になればなるほどテンション上がって夢中になって、で、後で我に返ってドッと疲れてる。ほんとにもったいない」

だから大人しくなったのか、とまた全員納得した。異様なテンションで乗り込んできて尊が帰るなりブチ切れてしまったけれど、セイラちゃんが監視するようになってからは騒ぎもせずに大人しくしていた。脳の機能を持て余していた――そんな感じだろうか。

そういうわけで、それぞれ丸一日朝から晩まで家にいるのではなくて、日中にお出かけできる先が出来た。家事自体は減らないのでそこは全員で積極的にフォローしていくことにして、ひとまず一番少ない時で子供はツグミと宇宙と彼方だけ、という時間が出来ることになった。

そんな中、尊の夏休み最終日、台風が近くて風の強い日のことだった。

セイラちゃんはコスモの知能がやけに高いことに興味を示していて、それを知り合いの研究者に見せてみたいと言い出した。そして、都内にある研究室に出かけるから車出してくれ、と尊に声をかけた。本日カズサはボルダリングだし、アマナと寿里とウサコは既にいないし、尊が双子を連れ出せば残るはまだ伝い歩きのツグミだけ。

「なんでオレが、って顔してんな」
「隠そうとしてないしね」
「かりそめのパパくらい演じてやったらどうだよ」
「そっちの方が残酷じゃないの。てかこれがファミリーだと思われたら困る」

頼朝の車が一応5人乗りなので、尊はそれを借りて渋々運転している。宇宙と彼方のチャイルドシートはレンタル、コスモはキッズ用のシートベルト補助道具を付けて双子の間に挟まっている。

「外で何と思われるかよりの休息じゃないの」
「それはもちろんそうだけど……
「直接大学構内に乗り付けるから別に知り合いに見られることはないんじゃない?」
「いや、知り合いでなくてもやだ……
「そんな女子高生みたいなこと言ってんなよ」
「君の女子高生観てどうなってんの」

しかも、セイラちゃんが知り合いを訪ねている間は尊が双子を面倒見ていなければならない。予定では双子を連れてお昼を食べ、少し移動して公園を散策、その近くに大型のスーパーがあるのでその中のキッズコーナーで遊ぶ、その後おやつ休憩を挟んでセイラちゃんたちを迎えに行く――という段取りだ。

「3歳じゃそれほど記憶に残らないかもしれないけど、余計な希望を持たせるのもどうなの」
「そんなもの、既に植え付けられてると思うけどね」
「そんなに簡単に刷り込まれるものかな」
「さあ、それはどうだか。だけど、唯一の拠り所かもしれないんだし」

双子とコスモは後部座席に向けて設置されているDVDプレイヤーでアニメ映画を見ていて静かだ。なのでフロントシートのふたりはぼそぼそと話しているわけだが、コスモの耳があるのであまり具体的なことは話せない。尊がユニコの足跡を訪ねたことも内緒になっている。

もし自分の預けられていた家や双子のいた養護施設やらと話をつけてきたなんて知ったら、またブチ切れて何をしでかすかわかったものじゃない。行動力があって、それに伴う知能があるのも良し悪しだ。

だが、やっぱり清田家は善意の第三者でしかなく、コスモたちの出現によって家族が多忙に疲労を強いられていると思うと心中穏やかでないのが尊だ。そして、清田家に生活していない人々が双子に向ける哀れみの目がそれを加速させる。

こんなちっちゃな子が可哀想に。みこっちゃんの友達の子なんだろ。引き取ってやったら。

誰もそんなことは口にしないわけだが、尊はそんな風に言われているように感じてしまう。その上宇宙と彼方がユニコによる刷り込みで自分のことを「パパ」だと思っているという事実にも苛立つ。何勝手に人のこと父親にしてんだよ。なんで触れたこともない女の子供の父親やらなきゃなんないの。

繰り返すが、尊は元々子供好きだし、それは血縁の有無に関わらないし、そういう意味でなら別に宇宙と彼方が鬱陶しいというわけではない。もちろんふたりに非はない。だが、広く女性を愛せる自分にとって「無理」だった女の子供の父親にされてしまったことが、どうしても許せなかった。

それは、エンジュが寿里と初めて出会ったときと似ている。寿里はとっくに1歳を過ぎていた。エンジュは寿里が生まれたその日からずっと一緒にいて、寿里が初めて笑った顔を見たかった、声を聞きたかったと言って泣きながら怒っていた。

生まれた時の顔も知らない、赤ちゃんの時の泣き声も聞いたことない、なのに、はい父親やってね、って、そんなにすぐ気持ちが切り替わるわけないじゃないか。これがまかり通るなら、オレの元カノたちが子連れで離婚でもした日にはみんなうちの前に子供置いていくんじゃないか。

せめてこれが関係のあった元カノ自身の子であったなら、また尊の動揺も種類が違っただろう。元カノとの関係や元カノ自身によりけり、すぐに自分の養子にしたいと思ったかもしれない。だけどいきなり現れて、無理な女の子供で、もうオレのことパパだと思っちゃってる、って。

オレの意思ってどこにあんの、それ。

尊はセイラちゃんと別れて近くにあるファミリーレストランに向かった。普段都内で仕事をしていて、自立心が強く職業意識も高い彼女十数人と付き合っている尊にとって、ファミリーレストランはもはや「最後に入ったのはいつだったろう」というレベル。

だが、子供用の補助椅子が即座に出てくる店と考えると選択の余地はない。

手を引かれた宇宙と彼方が嬉しそうなのも、尊の腹の底をじりじりと焼く。パパとお出かけじゃないから。を休ませたいだけだから。別に好きなもの食べていいし、こぼしても怒らないし、全部食べたら褒めてやることは出来る。だけど、お前たちの父親になるのは無理だよ。

公園やキッズコーナーで遊ぶのは普通に楽しい。双子も喜んで歓声を上げている。だけど、キッズコーナーで双子に近寄ってきた子供のお母さんの目の色がキラッと輝くのを見ると、げんなりした。どうせオレは見た目だけの男ですけど、何か。

昨今男性でも30代後半になってくると未婚であることに風当たりが強くなってくる。しかし尊の場合はそういう風にさらされたことはない。高収入で美形で好人物で年々人たらしが加速していく。それが独身と聞いて人々が思うのはふたつ、ああ同性愛者なのか、もしくは、ひとりに絞る理由がないよな。

だから未婚でも子供がいなくても困ったことはない。ウサコのように「お前なんかを嫁に貰う男はいない」と「なんで結婚して子供を産まないんだ」を同時に浴びせかけられるような経験はしなくて済んでいる。尊もポリである以上はこの国の制度に則った「結婚」というものには興味がない。

子供が好きということが、イコール、愛しの伴侶たる女性を見つけて家庭を持つことと考えるのは短絡的すぎる。エンジュのように10代の頃から自分の子供が欲しいと願ってきたタイプではもちろんない。何なら彼女たちに「子供欲しいんだけど結婚はしたくない」と言えば「自分が生んで育てるから養育費だけよろしくね!」と言いそうな子なら何人もいた。でもそんな願望はゼロだ。

おやつ休憩では双子と一緒にアイスクリームを食べる。お父さんと仲良しでいいですね、と声かけをしてくれる無邪気な女性の声に、アイスクリームの味がぼやける。夢中でアイスクリームを頬張る宇宙と彼方の口元を拭ってやりつつ、尊の背中はどんどん重くなっていく。

もしこの子たちが、例えば桃香、、ウサコの子だったら、そして彼女たちが死んでしまったら、迷うことなく自分が育てると思うことだろう。彼女たちは家族だ。その子供も、家族だ。だけど、ユニコは家族じゃない。好きでもない。むしろ苦手。ユニコだったらセイラちゃんの方がまだましというくらいに、ユニコは苦手なタイプだった。

だから、なんでオレだったんだよユニコ。勝手なことしやがって、お前ほんとに腹立つ。

尊の正直な気持ちはそれに集約される。望は正直にユニコのことを「バカな上に運が悪かった」と評した。口ではいくらでも哀れんでいるようなことを言えるけれど、尊や望にとってユニコという人物はどう頑張ってもその範囲を出ない。

彼女の生い立ちが不幸であったことはまだ同情の余地があるが、そこまでだ。自分たちは奉仕に人生を捧げ慈愛に満ちた聖職者ではない。

アイスクリームを食べ終わると、ちょうどセイラちゃんとの待ち合わせの時間が近くなっていた。尊はふたりを連れて大型スーパーを出る。台風が近付いているらしく、昨日から風が強くなっていた。立体駐車場に吹き込む強い風にヨタつく双子の手を引いて車に戻る。

「セイラちゃんとコスモのとこ行こうね。テレビ、トトロでいい?」

はーい、トトロ! と良いお返事の宇宙と彼方はずっと尊と一緒なので上機嫌だ。それをつい可愛いと思った瞬間、ユニコの朧気な面影が浮かんできて喉が詰まる。

早くこの夏が終わればいい。

夏が終わって双子もコスモも消え、そしてウサコの子が生まれ、セイラちゃんも消えたら、いつもの生活が戻ってくる。やりがいのある仕事をし、その報酬をもらい、甥と姪たちを可愛がり、家族と楽しく過ごす。そしてたくさんの彼女たちと愛し合い、いつか別れていけば。

きっと来年の夏までにはこの子たちのことなど、忘れられるはずだ。

そのはずだったのに。

セイラちゃんの知り合いの研究者がいるという大学に向かい、待ち合わせの場所に向かうと、まだふたりは戻っていなかった。一応セイラちゃんが訪れているはずの研究室に連絡を取ってもらい、許可を得た上で入ってきているのだから、尊が来たことは伝わっているはずだが……

去り際の挨拶にでも手こずっているのだろうか、携帯を鳴らしても出なかった。尊は待ち合わせの「レンガ造りの3号館の前」に置かれたベンチに腰掛けて、周囲に敷かれた美しい芝生をむしっている双子を眺めていた。

一卵性双生児だろうか、顔はほぼ同じ。彼方の方が少しだけくせ毛、宇宙の方が少しだけ活発、そのくらいしか差はなかった。ま、たったひとり残された子よりはいいよな、ふたりでいれば寂しくないし。

尊がそんなことを考えたときだった。ひときわ強い風が吹いて、しゃがんでいた宇宙がコロンと転がった。立っていた彼方も風に煽られてヨロヨロと向きを変え、そのまま何歩か歩いて芝生のエリアを出た。すると、尊の頭上で女性の悲鳴が聞こえた。

顔を上げると、何やらキラキラしたものが落下してくる。なんだろう。だが、次の瞬間尊は携帯を放り出して飛び出した。錆びて外れた雨樋がぶらぶらと横に振れて、強風の勢いのままガラス窓に突っ込んだ。樋は窓ガラスを割り、そして崩れたガラスは外に向かってぼろぼろとこぼれ落ちてきた。

その真下に、彼方がいた。