星屑の軌跡

2

セイラちゃん襲来

先に子供がほしいと望んだのは、頼朝の方だったそうだ。ウサコの気持ちを尊重して入籍せずに夫婦生活を送っていたのだが、「結婚」の時点で頼朝は38歳、ウサコも35歳だったため、無理強いをするつもりはないけれど、挑戦してみたいと申し出たらしい。

しかし何しろ家族関係にはトラウマをたくさん抱えているウサコである。どうしても子育てに自信の持てなかった彼女はしばし悩んだ末、自然妊娠が困難な可能性の目安となる2年を過ぎても不妊治療はしない、それで出来なかったら諦めてほしいと答えた。

それに、や由香里は常々警戒していたけれど、清田家を訪れる中高年の人々の中には前時代的な思考の御仁がちらほらいて、ウサコでは跡取りが産めないんじゃないの、と平気で言い出す人が少なくなかった。そういう中でただでさえ高齢出産になる年齢なのに、意欲的になれるはずもなかった。

頼朝はそれでいいと納得し、ふたりは誰にもそれを明かさずに「挑戦」を始めた。

それから半年、頼朝とウサコが素知らぬ顔をして子作りに挑んでいたところ、が3人目を妊娠。こちらはまたも計画的な妊娠ではなく、清田家は大騒ぎになった。やがては次男ツグミを出産、それがウサコに何かしらの影響を与えたかどうか、ツグミが生まれた翌年明けにウサコは妊娠。それを聞かされた頼朝は膝から崩れ落ちて泣き出した。

あとでがウサコに聞いたところによると、一縷の望みにかけて子供を願っていたふたりの横でポーンと生まれてきたの次男・ツグミを見ていて、頼朝はずいぶん気を病んでいたらしい。

甥っ子が生まれるのは嬉しいし、生まれた甥っ子は可愛かったけれど、その横で初めて新生児を見てオロオロしている嫁を見ていると、もっと早く知り合ってもっと早く結婚したかった、こんな風に隠れてコソコソ子供を作るような真似をしたくなかった、と思い詰めてしまったらしい。

それに、もう避妊をやめて1年以上、不妊治療はしないという約束での「挑戦」だった。心から愛する嫁との間に子を授かりたいと願うけれど、自分たちにはその資格がないのかもしれないと悲観的になり始めていた。そんな中の妊娠報告だったので、頼朝はソファに座るウサコの膝にすがりついて嗚咽を漏らした。緊張していただけのウサコももらい泣き、ふたりはしばし抱き合って泣き続けた。

……でも、若けりゃ100パー妊娠で安産ってわけでもなくない? 私17ですぐ妊娠したけどお腹の子は死んじゃったよ? てか別に妊娠は病気じゃねーっつの」

からその話を聞いたぶーちんは煎餅をバリバリ噛み締めながら不服そうな顔をした。なぜ彼女が清田家のリビングで不服そうな顔をしているかと言えば、ウサコの妊娠が発覚して以来、頼朝が「ウサコ大事モンスター」になってしまったからだ。

また、この汚れちまった世界に花開いた奇跡、というテンションでいた頼朝は、父親として妻の妊娠に関わるうちに、昨今30代後半の自然妊娠はさして珍しくもないし、40代の初産も決して珍しい話ではないと初めて知ったらしく、ぶーちんは「頼朝ちゃん最近世間知らず過ぎる」とお冠だ。

「ウサコ順調なんでしょ。あんまり動かないのもよくないのに」
「ってどこでも言われるんだけど、誰が言えば納得してくれるんだかね」

ウサコ大事モンスターはしかし、この奇跡を守らねばならぬと躍起になっており、共に3度出産を経験していると由香里、そして妊娠3度に出産2度を経験しているぶーちんが何を言っても耳を貸さず、ウサコは絶対安静、刺激振動一切NG、と逆に害になり始めていた。

そんなわけでウサコは働くことも禁じられ、その点はすぐに強烈なつわりが襲いかかってきたために都合が良かったけれど、現在頼朝に隠れてと散歩に出たり、ぶーちんに付き合ってもらってマタニティスイミングのプライベートレッスンを受けていたりする日々である。

「でも事務所はいい人見つかってよかったね~」
「そっ、それがね……?」
「何そのニヤニヤ顔」
「見つかったっていうかね、あれね、ウサコが女の子はやだなって、言ったからなの」
「えっ、ちょっ、頼朝ちゃ、やっべマジウケる」

働くことを禁じられたウサコの代わりに清田工務店の事務に入ってきた後任の話である。現在正社員であるウサコは強制産休中なので、頼朝はまた事務のバイトを募集しようとした。だが、そういう経緯で清田家に入ってきて嫁になったウサコは、珍しく甘えた声で「若い女の子が来たらやだな、頼朝さんを取られちゃうかも」と言い出した。

「いやいや最初の不倫は高確率で嫁の妊娠中っていうけどさ、頼朝ちゃんはそれ逆効果だよね!?」
「まあだからウサコ大事モンスターはウサコが生んだようなものなんだけどね」

人に愛された経験のないウサコは結婚後も非常に消極的な性格のままできていたので、もはや初めてに等しい「おねだり」状態の申し出に頼朝は発奮、若い女なんか雇わないから安心しろと鼻息荒くハローワークに求人を出し、「建築業界経験のある男性の再就職歓迎」を強調して帰ってきた。

かくして清田工務店には4年前に建築資材の会社を定年退職して再就職活動中だったという男性が現れた。パソコンは趣味の範囲ながら操作歴15年。自転車の距離住まい。モンスター即決。

「しかもね、その人四郎さんていうんだけど、それってね、北条時政と同じ名前なの~!」
「えっ、えーと」
「北条政子の父親! 源頼朝の義理の父親にあたるの!」
最近じいじに似てきたね?」

最近ウサコとふたり大河ドラマを見始めたは日本史にも興味が出てきて、じいじとの会話が弾むようになってきた。ぶーちんは苦笑いで返しつつ、また煎餅をかじった。それはともかく四郎さんはそこそこ即戦力だったし、60代の男性なので来客の接客がとにかくスムーズだ。

さらに四郎さん、趣味は地酒。これには同世代の新九郎と由香里が食いつき、つい先日は四郎さん夫婦と連れ立って日帰り旅行に出かける始末。ウサコ大事モンスターは鬱陶しいが、そこを除けば、まあ順調な日々である。ウサコの経過も順調。

……でも、パパの方が熱心すぎるのってちょっと怖いな。モンペ化しないといいけど」
「みんなが心配してるのもそこなの。てかねぶーちん、これ内緒ね」
「何、どうした」
「どうも、女の子みたいなの。影が見えないみたいで」

そもそも、おじいちゃんである新九郎は超がつくほどの子煩悩だ。自分の子でも他人の子でも、子供は大好き。そんな環境で育った清田家三兄弟もゆるやかにそれを受け継ぎ、あれよあれよと言う間に3人授かった信長は言うに及ばず、自身の子はない尊も甥姪と寿里を溺愛しているし、嫁の妊娠の時点でモンスター化している頼朝の今後を考えると、とぶーちんは少し背中が寒い。しかも女の子。

「ウサコはまだ濁してて、お兄ちゃんにも『今日は』影が見えなかったって報告してるみたいで」
「それだってそろそろ確定するでしょ……? あー、大丈夫かなあ」

ただでさえ嫁を溺愛しているところに、その嫁が女の子を生んだら「天使」とか「プリンセス」とか言い出すのは想像に難くない。さらに男ばかりが生まれてくる清田家に舞い降りた最初の天使・アマナは生まれてからずっと新九郎と尊が取り合いを続けている状態。次の女の子も不安だ。

はため息とともに肩を落とす。

「もうずっと、お兄ちゃんに意見できる人が、いないんだよね。家の中にも、外にも」

日増しにモンスター化していく頼朝を清田家が持て余していた初夏のことである。出産を秋に控えているウサコは大くなってきたお腹を抱えてヨタヨタと階段を下りてきた。

「わ、ちょ、ウサコそっとね。そんなとこお兄ちゃんに見られたら……
「わああごめん、つい焦ってて」
「どうしたの、なんかあったの?」
「せ、セイラちゃんが、来週日本に」
「セイラちゃん?」

階段を降りた目の前にあるランドリールームにいたは、焦ったウサコを宥めながら首を傾げた。どこかで聞いたことある名前だけど、誰だっけ?

「ええと私の小学校の時の友達で、ずっと海外にいるんだけど」
「ああ、ウサコ観察日記の人ね!」
「そうそう、それ。その彼女がどうしても私の子供見たいって言って」
「まだ当分生まれないじゃん」
「生まれるまで日本にいるって」
「あらー。じゃあゆっくり会えるじゃん」
「そ、それが、ウサコん家泊めてよって……
「えっ、別にいいんじゃないの? 部屋空いてるし、3泊超過したら滞在費は頂きますが」

しかし焦るウサコは忙しなく首を振る。心なしか顔が青い。

「セイラちゃん、なんていうか、強烈なの」
「ウサコってそういうちょっと針が振り切れた人に縁があるよね」
「笑い事じゃないんだって~」

セイラちゃんは世界各国で修業を続ける外科医であり、仕事が出来ている以上はコミニュケーションに難のある人ではないはずなので、お邪魔しますと顔を出したセイラちゃんの第一印象に惑わされて新九郎あたりが「好きなだけ滞在していきなさい」と言い出したら困る、とウサコは考えているらしい。

「でも……うちって大人の男が4人もいるんだよ。普通女性はあんまり」
、セイラちゃんは、地球人ですらないかもしれない」
「そう来たか」

だが、焦るウサコは直後に頼朝に見つかってソファに沈められ、由香里と頼朝にも話をしたがウサコの言う「セイラちゃん地球外生命体説」は信じてもらえず、世界で活躍する外科医の友人がわざわざ会いに来てくれるんだからちゃんともてなしましょう、という話になってしまった。

そうして翌週、清田家の野次馬的好奇心がピークに達したところに、セイラちゃんはやって来た。

何しろ世界を股にかける外科医である。しかも女性。一体どんなインテリ美女がやってくるのか。新九郎あたりはそんな感覚でいたし、多少なら信長や頼朝、だぁなんかもそんなイメージを抱いていた。

だが、現れたのは小柄で痩身、ノーメイクでクロックス履き、バックパックを背負った女性だった。

「突然お邪魔して申し訳ないっす! ウサコとはもう何年も会ってないんすけど、今しかチャンスがないって思って! でも何かのお導きですかね、私ちょっと前までプノンペンの病院にいたんすけど、キューバに短期留学できることになって、そんでそれが明けたんでちょっとアメリカで遊んでたんですよね。そしたらウサコ妊娠したって言うじゃないすか。これは久しぶりに日本帰るしかないと思って!」

古臭い「女医さん」というイメージに囚われていた男性陣はポカンとした顔でセイラちゃんの弾丸トークを聞いていた。成田から直行でやって来たというセイラちゃんはウサコが用意しておいたポテトチップスに食いつき、一袋目を瞬殺、二袋目に手を付けたところである。ドリンクはもちろんコーラ。

「ご実家に行かれなくてよかったんですか?」
「あっ、それはもう、全然! 私、なんつーか寅さんみたいなもんで、実家は! 別に!」
「本当に出産までこっちに?」
「ま、秋ですよね? マジで日本10年以上まともに帰ってないんで!」

延々とポテチを食べ続けるセイラちゃんを見る清田家の人々の目は、確かに地球外生命体を見つめるような目になっていたことだろう。しかしセイラちゃんは嬉しそうだ。

「でも生まれた町ってのはいいもんですね、こんなに久しぶりでもすぐに体に馴染む」
「小学校のあたりなんかは全然変わらないよ」
「ほんと!? ねえじゃあウサコ、地元巡りしようよ! お散歩がてらさ!」

セイラちゃんの目がキラッと輝く。と由香里はドキッとして身を縮めた。

「あの、月森さん、妻は妊娠中ですから」
「順調なんだって話でしたよね? ほんと安心しましたよ!」
「ええ、ですからあんまり負担のかかることは」
「もちろん大事にしなきゃいけません。まあでもそろそろ出てきちゃってもセーフな頃合いですかね」
「えっ、出て!? いやまだ……
「早産でも今ぐらいなら充分生き延びます。日本ならなおさらですよ」

セイラちゃんは月森さんという。なのでウサコとふたり、月のウサギ状態だったわけだが、それはともかく、ウサコを連れ出すなと言いたげな頼朝とまるっきり話が噛み合っていない。モンスターvs地球外生命体。間に挟まっている人類はハラハラしてきた。

だが、やがてセイラちゃんはしつこいウサコの夫がどうやら「妊婦を歩かせるな」と言いたいのだと気付き、目を丸くした。

「何言ってるの、妊娠中はたくさん歩いた方がいいんですよ!」
「まあそうかもしれませんが、安全をですね」
「えっ、てかお母さんもさんも3人、ふたりとも妊娠中ずっと寝てたわけじゃなかったでしょ?」
「それはそうですけど、ウサコの場合はちょっと事情が違いますし」
「ウサコ、安静が必要な状態だったの? 大丈夫?」
「えっ、そ、そんなことは、平気、今のところ何も」
「どゆこと?」

そんな噛み合ってないやりとりが続くこと数分、やっとセイラちゃんは頼朝がウサコ大事モンスターになっているのだと理解すると、ジーンズの足をガッと開いて膝に両手を置き、背筋を伸ばした。

「清田さん、それは間違いです。医師の立場から申し上げても、寝たきりは悪影響の可能性があります」
「ははは、月森さんは外科医でしょう」
「私はまともな医療設備もないアフリカで87人の子を取り上げてます!」

地球外生命体セイラちゃんはいわゆるアニメ声だ。その子供っぽい声が異様な厳しさを帯びて、清田家のリビングにこだました。セイラちゃんはアフリカにも滞在していたらしい。

「そーゆうところでは専門が外科だの内科だのなんていう些細なことにこだわっていられませんから、何でもやりました。しかも、まだまだ女性の社会的地位が低い地域でした。下は14歳から上は推定50近くまで、安産な方が少ないくらいでした。それに比べたら日本の産科医療は世界トップレベル、今ウサコは望みうる限り最も安全な国で出産を控えているんです。むしろこちらが申し上げたいですね、清田さん、あなた医者ですか? 確か建築関係のお仕事でいらっしゃるはずですよね?」

小柄なセイラちゃんは頼朝を真正面から見つめ、真剣な眼差しで言い放った。

「出産は妊婦と専門家が主体になって進めるべきです。あなたはそれを支えていればよろしい!」

「私、あの時セイラちゃんがウサコを救いに来たウルトラマンかスーパーマンに見えた」

頼朝が「プロ」に説教された数時間後、はキッチンで夕食の支度をしながらエンジュ相手に興奮冷めやらぬ声を懸命に潜めていた。ウサコはさっそくセイラちゃんとお出かけ、頼朝はショックでぐうの音も出なくなってしまったので、新九郎が買い出しに連れ出している。

「そういえばウルトラマンもスーパーマンも宇宙人だね」
「セイラちゃんずっとうちにいてくれないかな」
最近じいじに似てきたね」
「だってえ、だって聞いてよエンジュ、セイラちゃんね、A大の医学部出てるんだよ」
「え!? すごいね」

地球外生命体セイラちゃんは、ほぼ日本最高峰の医学部出身であった。つまり、頼朝の前に十数年ぶりに現れた「自分より偏差値の高い人」である。割とそこに寄りかかりっぱなしの人生である頼朝はそういう意味でも落ち込んでいる。本人としては愛する妻を気遣っているつもりだったので余計に凹む。

するとその背後からツグミを抱っこした信長がにゅっと顔を出した。

「オレは頼朝の気持ちもちょっとわかるよ」
「えっ、そう? あんた別にあんな束縛は……
「何も出来ないと思えば思うほど、『大事にする』ってことにしがみついちゃうんだよな」

とエンジュは揃って「あー」と声を上げた。が長男カズサを妊娠中、女性の妊娠出産の記憶がまったくないのは信長ひとり。祖母両親を始め、自分が生まれた時の記憶がある兄ふたりや小山田夫婦など、周囲は経験者だらけ。末っ子が祟って彼は無力感に苛まれる日々だった。

「それに、父親はオレなのに、なんでのけ者にされてんだろうって」
「ま、まあね……カズサの時はそういうの、あったよね……
「だからたぶん、オレがウサコの夫で腹の子の父親なんだぞって前に出たくなるんじゃね?」

ありそうなことだ。

……わかってるんだけどね、お兄ちゃんがウサコを心底大事にしてるってことは」
「手段を間違えてるだけの話だもんね」
「だからよかったんじゃないの、宇宙人が助けに来てくれて」

今日はその宇宙人をもてなすための宴会である。セイラちゃんはとにかくジャンクフード好きで、痩せの大食いであり、またどれだけ飲んでもほとんど酔わない脅威の肝臓の持ち主だそうで、はセイラちゃんが好むという味付けの濃い子供が好みそうな料理をたくさん用意している。

「ま、生まれるまでいるって言うし、これで頼朝も少し大人しくなるだろ」
「いやー、短期間とは言え、また人が増えたねえ」
「これで尊が嫁もらったりしたらどうするんだろな?」
「みこっさんのことだからひとりじゃないかもしれないしね」

現在「3人で夫婦」状態であることは棚に上げて、3人は声を殺して笑った。

そういうわけで、しばし清田家は大人10人、子供4人、犬4匹という構成となった。