星屑の軌跡

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尊を振り返る

とにかく、清田尊にとって運が悪かったのには、兄の頼朝がずっと文武両道だったことが挙げられる。頼朝は勉強が得意なだけでなく、小学生の頃に始めた剣道も順調で、背が高くて涼やかな目を持ち、当時は非の打ち所のない少年だった。その上、大家族育ちで人見知りもしない。

一方の尊はというと、顔が美しいという以外は今一歩頼朝に及ばず、同様に大家族育ちだというのに少々のんびりしていて口数も少なく、それが余計に儚げな美少年を演出していたわけだが、まず人は頼朝を優秀だと褒め、その次に女性であれば彼の容姿を褒めるだけ、という接し方をしてきた。

この頃の清田家は尊の祖父にあたる人物が病に倒れ、当時3まだ0代だった父親・新九郎が急遽工務店を引き継いだばかり。両親は子煩悩だったが忙しく、兄も弟と遊ぶより本を読んでいたし、ひとりでいい子にしているタイプだった尊は飼い犬であるマサくらいしか遊び相手もおらず、彼は甘えたい盛りを孤独に過ごしていた。

不運は続く。

幼稚園に通い出した尊は先生や女の子たちが優しくしてくれることに味をしめ、彼女たちにもっと愛してもらおうと愛想よく振る舞うことを覚え始めていた。が、この頃彼には弟が誕生。尊は妹が欲しいと願っていたが、元気が良すぎて暴れん坊の弟が出てきた。

これがまた典型的な末っ子で、愛嬌があり程よく抜けがあり、目端が利いてすばしこく、男女の別なく可愛がられた。彼の周囲の女性は尊をちやほやしたけれど、手のかかる暴れん坊の弟を叱りつつ「男の子ってこういうところが可愛いのよね」と目尻を下げていた。

みこも男の子なんだけどなあ。幼い尊はそう思っても、口に出さない子供だった。

弟がすくすくと成長している間に尊は「甘えたい」と声を上げるにはちょっと恥ずかしい年頃になっていた。兄は相変わらず優秀で、中学受験のためにますます勉強に熱が入るし、そういうハイスペックな彼の元にはバレンタインのチョコレートが殺到したものだった。

非の打ち所のない兄、愛されることが得意な弟、その間に挟まれた尊はまたポツネンとする日々を送っていた。テストで良い点を取れば家族は彼を褒めたが、他人からは依然「頼朝は優秀、尊は美少年」という程度の評価に留まっており、心身の成長とともに幼少期とは少し肌触りの違う「愛されたい」という欲求も生まれ始めた尊は、それが転じて「変わらないもの」に執着を見せるようになって来た。

その最初の表れが「自分の部屋」であった。

11歳の誕生日にデジタルオーディオプレイヤーを買ってもらった尊は大喜び、恭しく学習机に置いてみたところ、洗練された黒の機能美を取り囲む日用品のデザインにイラッと来てしまった。毎日目にしているうちにそれが許せなくなり、以来彼は「常に快適に過ごせる部屋」を求めてインテリアや家電に傾倒していくことになった。

それでも尊は家族が好きだった。なぜなら彼の容姿しか褒めない他人と違って、両親と兄弟はいつでも変わらずそこにあり、尊が美しかろうが何だろうが関係がなかったからだ。

そういう日々を経て、尊はますます美しく成長をし、頼朝には及ばずとも文武両道であり、幼稚園の頃から地道に培ってきた対人スキルでいくらでも女の子が寄ってくるという人物に育っていった。

彼が中学生くらいになると、非の打ち所のない少年だったはずの頼朝はハイスペックが過ぎて逆に煙たがられるタイプに変容し始め、弟は兄弟の中で一番学業成績が振るわないせいでバカ扱いをされ始め、やっと兄弟がフラットになりつつあった。

だが、もう全て手遅れだった。

尊は文武両道な上に美少年で性格も良いという完璧な思春期を迎えていたが、それはむしろ歪に形を変えながら成長する時期にあっては異常な状態であり、そういう外面の裏側では、深刻な歪みが発生していた。いや、もうとっくに彼の中では出来上がってしまっていた。

彼は同時に複数の女性と恋愛関係を持つ「ポリアモリー」になっていた。

とはいえそれ自体は異常ではなく、性的嗜好だとかライフスタイルだとかそういったものの範疇だし、全て同意の上であれば問題もなかろう。ただ日本は古い時代にも特別な階級を除き一夫多妻は一般的ではなく、婚姻においては貞操は義務であり、社会的に不道徳な印象があることは否めない。

しかも尊のポリアモリーは「彼女はいつも同時に3人くらいいるかな?」などというレベルではなく、なおかつ体の関係にも積極的で、中学1年生の時に初めて女性とセックスをして以来、両手でも足りない人数の「彼女」を持ち、見目麗しく優秀な学生である一方で、見境なく恋愛を楽しむようになった。

またこれは本来であれば良いことのはずだが、尊は女の子の容姿にはこだわらず、好みは一貫して「柔らかそうな女の子」であり、のちに「精神的には男でも構わない気がするけど、男はぷにぷにしてないから無理」と自己分析している。そのためふっくらした体を持つ女の子なら性格も趣味も何でもOK、というか尊の方が扱いが上手いので、彼女たちは気持ちよく尊を愛し、尊に愛されていた。

ではなぜそれが深刻な歪みだったかと言えば、愛されたいという欲求のために大人数の女性と関係を持ち、そのために女性の扱いに長けており、自然とポリアモリーを容認できる女にも鼻が利いて、円満な恋愛を堪能していたがゆえに、誰と付き合っても満たされることがなくなってしまったのである。

彼のポリアモリーの源流は「ひとりに縛られることなく少しずつたくさんの人に」などではなく、ただとにかく愛が欲しかっただけなのだ。中学1年の頃、生まれて初めて体の関係を持ったのは2年先輩の3年生の女の子だった。相手も初めてで、ちゃんと出来たとは言い難い結果ではあったが、とにかく彼女は何度も何度も尊の名を呼び、「好き」と繰り返した。それが尊を耽溺させた。

柔らかい女の子たちは皆、尊に抱かれることを喜び、彼を愛した。尊もまた、彼女たちを愛することが喜びだったし、やがては快楽としての充足も得られる「プラスのライフスタイル」になっていった。しかしそれは同時に彼の渇望を悪化させ、どれだけ女の子と愛し合っても満たされなくなってしまった。

今もたくさんあるけど、もっと欲しい、もっともっと欲しい。いくらあっても困らないし、気持ちいいし、幸せだし、この欲求は尽きない。

そういう尊に、また彼にとっては不運な事件が2度、起きる。

まず17歳の時だ。この頃も変わらず大量の女の子と関係があり、尊は毎日のように彼女たちと楽しんでいた。県立の進学校で部活は弓道部に所属、そして異常な美形。女の子に困ることはなかった。ところが、小学生の頃からの親友である小山田豪と藪内桃香のふたりが付き合い始め、3ヶ月ほど経った頃に桃香の方が妊娠してしまった。

特にこのふたりは清田家とも親しい間柄にあり、豪は新九郎にも鉄拳制裁を受ける始末だった。だが尊はこの時初めて「男女の関係の果てには子供が誕生する」という事象を目の当たりにした。母親が弟を妊娠していた時のことはあまり覚えていないけれど、幼馴染の桃香の妊娠に尊は大感激したものだった。

きっとかわいい子が生まれる。家族同然の大好きな幼馴染の豪と桃香の子だから、どんな子でも愛しく思えるに決まってる。赤ちゃんの頃から仲良しになって、たくさん遊んで、ずっとずっと友達でいたい。尊はまだ見ぬ豪と桃香の子供に夢中になり、親たちが堕胎の方向で考えていることを知ると、珍しく大声を上げ泣いて抗議し、豪だけでは桃香とその子供を支えられないというなら自分も高校をやめて働いて育てると言って聞かなかった。

まあそれに絆されたわけではないのだが、結果的に堕胎はせず、豪が高校を中退して新九郎の元で働き、桃香と結婚することになった。ふたりが18歳になったところで入籍、桃香も高校を中退し、出産に備えていた。尊は気が逸ってふたりの子供と遊びに行くためのアルバイトを始めて頼朝に笑われたりと、事は丸く収まる気配を見せていた。

だが、子供は生まれてくることはなかった。

桃香が緊急入院して4日、清田家も眠れぬ日々を送っていたのだが、死産であった連絡が来ると、尊はとても学校に行かれる状態ではないほどに悲しみ、身の置き所がなくて清田家に来ていた豪とふたりで大声を上げて泣いていた。

もしかしたらこの世で唯一尊が自分から愛した存在であったかもしれない豪と桃香の子。それはその目で見ることも叶わないまま終わってしまったのである。

深刻な歪みの上に重なった、深刻なひび割れのひとつ目であった。

ふたつ目はそれから約2年後、尊が大学生の時に訪れた。

ある夏の日、弟である信長がひとりの女の子を連れて帰ってきた。ちょっとした知り合い程度だったそうだが、犬の散歩をしていて偶然出会い、犬と遊んでいたら海に引きずり込まれてびしょ濡れになってしまったと連れ帰ってきた。

たまたま何の用もなく自宅でのんびりしていた尊は、その女の子、を自宅まで送っていってくれと母親に頼まれた。は突然のハプニングで狼狽えていたけれど、しっかり挨拶もできるし、ざっくばらんな清田家にもすぐに順応していて、尊も好印象を抱いていた。

当時は高校1年生、男には免疫がなさそうで、しかも弟には興味がないように見えた。自分が容姿に優れた人間であることはわかっているので、尊はあれこれとをからかってみたのだが、それに動揺こそすれ、満更でもない様子。尊にとってはこれが普通。女の子は7割方落ちる。

その上、どうやら弟の方はほんのりと淡い恋心があるようだというのに、は全く気付いておらず、弟より自分に懐いてきた。何を話しても感心するし、何をアドバイスしても鵜呑みにしてしまう。無防備だけれど、素直な可愛い子、そういう存在になっていった。

尊はポリアモリーだが、基本的には「付き合ってない女とは関係を持たない」という主義であり、刹那的な関係はメンタル的に参ってしまった時だけ、という習性があった。当時大学2年生、もちろん「彼女」は十数人抱えていて、しかし生活環境の都合上、相手はほとんど同じ大学生だった。

一方のは高校1年生、女子高生。それまで年上との付き合いはたくさん経験があったが、3歳以上年下との出会いはなかった。なので、この幼く危ういが欲しくなった尊は、彼女を丁寧に可愛がり、ゆっくりと時間をかけて親しくなっていった。

は途中兄の頼朝に家庭教師をしてもらっていた時期があり、頼朝も同様にに惹かれていたようだったけれど、非の打ち所がない少年が一転、ちょっと痛々しい20代になっていた兄より優位であることは疑っていなかった。

そして4ヶ月ほどが過ぎた頃だっただろうか。偶然とふたりきりになった尊は、もう機は熟したと見て彼女に手を出した。はキスをしても嫌がらなかった。うっとりと目を潤ませつつも、緊張のあまりかガチガチに固まっており、そんな純真なが可愛くて愛しさが募った。

こんな風に優しく愛されて、尊を拒否した女はいなかった。ガチガチの緊張も珍しくないし、初体験で完遂できないことも普通だし、けれどいつでも女の子たちは尊を愛するようになっていく。それが8年間も破綻なく続いていたので、尊はと特別な関係になることを疑っていなかった。

しかしこの時、尊の8年間数十人以上に及ぶ女性との関わりの中でも、初めてのことが起こった。の服を少しずつはだけて丁寧にキスを繰り返していたところに、弟の信長がそうとは知らずにドアを開けてしまった。息を呑んで絶句する信長、虚を突かれてポカンとする尊。

直後、は尊の手を逃れてその場から走り去った。頬には涙の跡があった。

弟は憤怒の形相をしていたし、直後に豪と頼朝に説教をされた尊だったが、いくら信長に見られてしまったからと言って、なぜが涙を流して逃げ出してしまったか――ということがわからず、尊は彼らの説教がまるで耳に入らなかった。

以後も他の「彼女」を愛しながら、尊はがどうして連絡を寄越さなくなったのかと不思議に思っていた。初めてのエッチが上手くいかないことはよくあるし、そういう経験は何度もあるけど、それでも女の子たちはこれからも仲良くしたいって、また挑戦してみたいって、そういう風に言ってくるものなのに――

そんな風に首を傾げつつ、成人式を過ぎて「そういえばいつの間にか大人になってたのか」とぼんやり考えていた尊は大学3年生になり、暖かい春の風が吹く頃、口を滑らせた豪の言葉の端に、ある事実を知った。あの時自分のもとを逃げ出したは、信長と付き合っているらしかった。

中学1年生から始まって数十人、ということはもちろん別れた元カノも数十人に及ぶわけだが、そういう女の子たちが別の男と付き合うことには何の感慨も湧かなかった。彼にはいつでも十数人の「彼女」がいたし、その彼女たちを全員全力で愛していたし、でも別れたら他人でしかない。

けれどだけはどうにも違う。明確な「彼女」ではなかったし、よくよく考えると合意があったとは言えないかもしれないほどの無反応っぷりだったし、もしかして、はあんなに目をキラキラさせて懐いていたのに、オレのことは好きじゃなかったと言うんだろうか。

そんな、尊にとっては「まさかな」程度の仮説が現実のものになってしまった。

信長に興味なんかなかったじゃん……強いて言えば信長より頼朝の方が好きっぽかったし、その頼朝よりオレと一緒にいる時の方が楽しそうだったじゃん……最初にキスした時、固まってたけど、ほっぺピンクにしてうっとりしてたじゃん……

ショックというより、悲しかった。そして、この世界に自分より弟を選ぶ女がいることを知った。

改めて自分の周囲を見渡してみると、そろそろ結婚30年になろうかという両親は仲が良く、どちらかというと父親の方が母親を溺愛しており、喧嘩はするけれど円満そのもの。幼馴染で親友の豪と桃香は成人を機にもう一度子供を作ろうと計画していて、こちらも仲睦まじい。

この頃頼朝は早くも各種こじらせ気味になっており、そこは論外としても、弟の信長も気を付けて観察してみたところ、とはずいぶん盛り上がっている様子。

対する自分の「彼女」たち。みんなみんな可愛くて優しくていい子ばかりだ。彼女たちと一緒にいると心が安らぐし、抱けばもっと気持ちが満たされるし、その間は他のことを全て忘れられた。けれど、それらは季節が変わるようにコロコロと入れ替わるのが普通だった。

彼女たちは「変わらないもの」ではなかった。

尊の歪み、そしてひとつ目のひび割れの上に重なって、またひびが入った。

そんな風に尊に刻まれた深刻なひび割れを繋ぎとめたのは、皮肉にもひびを入れた原因である豪と桃香の子供と、であった。

二十歳の春を区切りとして今度は計画的に子作りに乗り出した豪と桃香だったが、今度は数ヶ月かかって無事に妊娠、一度死産を経験しているので慎重に日々を過ごし、出産時にまた危険な状態に陥ったものの、今度こそ豪と桃香の子供はこの世に生まれてきた。元気な男の子だった。

一報を聞いた尊はその時も号泣、深く刻まれていたひび割れが少しだけ和らいだ。

さらにそれを遡ること数ヶ月前、は父親を亡くして転居を余儀なくされ、桃香の出産を待たずに信長と別れて遠くへ越していった。遠距離恋愛である。この頃尊はに対して個人的な執着はほとんど失っていた。自分になびかなかった女の子、弟の彼女、それだけだ。

ただ、不幸に見舞われたを案じる弟と家族を見ていたら、大好きな家族の中にが入ってきてくれたらいいかもしれない、と思った。彼女が弟と結婚してくれたら、4歳の時に欲しかった妹が手に入る。それは離婚しない限り「変わらないもの」のはずだ。

しかしその頃と信長は17歳、尊でも新幹線の距離の遠恋などあまりにも難しいと思っていた。弟はバスケット名門校の主力選手だし、だって転居先でどんな出会いがあるかもわからない。旅立つに贈り物をした尊は、これが最後になるかもしれないと思っていた。

だが、はそれから5年間、いつか弟の元に戻ってくるという約束を頑なに守り、弟の方もを待ち続け、心変わりをすることなく遠恋を完遂してしまった。

当時独立して既に実家を離れていた尊は、また話を聞くなりポカンとしていた。

5年あったら尊は50人と恋愛が可能だ。どの子も目一杯愛して可愛がって、好きだよ愛してるよと囁き合って幸せな時間を過ごすだろう。しかし、と信長はひたすら耐えて5年間を過ごした。多少呆れる気持ちはないでもなかったけれど、結果としてが清田家の近くに引っ越してくると聞いた尊は、素直に感心したものだった。そしてやっと見つけたのだ。

「変わらないもの」は、あった。弟信長を思うという形で、の中に。

その時尊の中で何かがポンと弾け飛んだ。続けて彼のイメージの中に、弟と結婚して妹となると、やがて生まれてくるかもしれないふたりの子供という可能性が溢れ出してきた。

それは家族だった。死ぬまで変わらないもの、尊がどんな容貌をしていようと関係のないもの。

なんて素晴らしいことなんだろう。尊はそんな思いつきに背筋を震わせた。そんな気持ちを抱えて気紛れに地元に戻ってみたら、駅前でと弟が、の義理の妹を前に困り果てていた。

何しろ常に十数人、中学1年生から始まって早13年、もしかしたら元カノの総数は100を超えていたかもしれない。尊はすぐにの義理の妹がどんな人物かピンときた。美しいけれど脂肪が少なそうで、付き合いたいと思うような女ではない。そしてを困らせていた。

背中を優しく撫でる春の風に押されるようにして尊は歩き出した。

困ったお嬢さんくらい、なんてことはない。何より欲した「変わらないもの」を持ち、「変わらないもの」になり、やがて「変わらないもの」を生み出すかもしれないと信長、この時それは尊にとって何を措いても守りたいもの、大事なものになっていた。

そうして義理の妹を撃退した尊の手を取り、は「お兄ちゃん」と言った。

もうは遠いあの日にヤり損ねた女子高生ではなかった。すっかり大人になり、誠実に弟を想う、素敵な女性になっていた。それは「家族」だった。尊は親愛の証としてを抱き締め、「早くお嫁においで、家族になろう」と言った。心からの本音だった。

また深刻なひびが少し、和らいだのだった。