星屑の軌跡

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ニューカレドニア事件

新九郎と由香里がもう一度結婚式をすると聞いて、思わず笑ったのは三兄弟である。だが、家族全員に白い目で見られた三兄弟は以来その件に関しては肩身が狭く、頼朝以上に言いにくいことでもズバズバ言うセイラちゃんに「それで愛妻家とか」と言われた既婚者ふたりはぐうの音も出なかった。

「ゆかりんの結婚式の写真見たことあるけど、確かにあのドレスはひどい」
「当時あれが流行りだったっていうけど、あの袖の大きさ、何で誰も疑問に思わなかったんだろう」
「思わなかったから流行っちゃったんだねえ……

二度目の結婚式と聞いて笑った三兄弟を白い目で見たとウサコはセイラちゃんも交えて夕食の準備をしていた。セイラちゃんはウサコの出産が終わるまで居座るつもりらしいが、とにかくよく動いてよく働く人だった。

ショートスリーパーなので早死にするかもしれないし、どうせ寝られないんだから起きてる間の時間は無駄なく使うという主義だそうで、こんな小柄な女性が外科手術や過酷な環境での医療なんて……と思っていた清田家の人々は「こりゃ日本だけじゃおさまらないわ」と納得をした。

何しろセイラちゃんは清田家の朝6時朝食の時点では既に起きていて、まだ若くて元気なヨミの散歩に行き、シャワーをもらい、自分が借りている部屋を掃除し、を手伝って朝食を作り、風邪気味だというおばあちゃんの診察をし、子供たちを追いかけ回して全員歯磨きをさせるという戦闘力の高さ。

がますます目を輝かせて「セイラちゃんずっとここにいてよ」とうっとりしていた。

なので新九郎あたりが「尊の嫁さんてのは……」と呟いてしまうのも無理はなかった。自分の息子が飛び抜けた美青年であることは十分自覚しているので、彼が女の子にモテるのは知っていても、まさかそれが一度に十数人の彼女を持つ主義だとは、知らないのである。

尊がポリであることは由香里も知らない。女の子を取っ替え引っ替えして落ち着かない子、という認識はあるが、そこまでだ。ふたりとも親だし、そうしたライフスタイルを受け入れられないかもしれないし、このことは子世代だけの秘密となっている。

「へえ、ポリアモリーなの。久しぶりに会ったな、そういう人」
「どこかで知り合ったことあるの?」
「前に手術した患者さんがそうだった。誰が家族なのかわからなくて困ってさ~」

セイラちゃんはスナップエンドウのスジを取りながら、眉を下げて笑った。

「そういう主義であの顔じゃ、そりゃひとりの女に落ち着こうとは思わないだろうねえ」
……それに、自分は結婚生活に向かないって、思ってるみたいで」
「そういう自覚があるのはいいことじゃん。その方が揉めにくいよ」

も眉を下げて笑った。尊が自分をそんな風に言っていた、というのはぶーちんから聞いた話だ。

尊と近しい人の中で、きっと彼にもベストパートナーがいるはずだと諦めずに願っているのがぶーちんである。だが、そろそろ付き合いが30年以上になる幼馴染に、尊は「自分の方がひとりの女の子を幸せにするに値しない」のだと言い出した。

いわく、殆どの女性にとってのベストパートナーとは、自分とその子供を第一に考えてくれる人だと思うけれど、自分には既に大事な女性と子供がたくさんいて、それを徹底できない。それに、現状実家でみんなと暮らしているのがベストなので、誰かと結婚してあの家を出るということに価値を見出だせないと言って笑った。

とウサコは都合よく嫁に来てくれたけど、それがまた繰り返されるとは限らないし、この家で暮らしていいと思ったとしても、協調性がなく自己主張ばかりの人では困る。だから自分がもしパートナーを持つとしたら、というには条件が厳しすぎると言った。

つまり、やウサコのように清田家の嫁になれる人であり、尊が甥姪や寿里を可愛がっても一切嫉妬せず、なおかつ尊のポリアモリーを受け入れられる人でなければならないということだ。それは確かに厳しい。なので彼は「つまりオレは女性を幸せにできない男ということ」と結論づけた。

しっかりと理屈で説明されてしまったぶーちんはショックを受けていたようだったが、「でも、みこっちゃんに他の誰のものでもない家族ができたらいいなって、みこっちゃんを一番に愛してくれる人が現れないかなって願ってるのは変わらない」と言って、やっぱり眉を下げていた。

さて、そんな尊であるが、実はこの3年ほどの間、甥姪の幼稚園関係で少しばかり困ったことになっていた。話は簡単、彼がかっこいいからである。

清田家の子供たちは全員同じ幼稚園に通っており、それは頼朝尊信長も通った幼稚園なのであるが、幼稚園バスの送迎だとか、熱が出たから早退だとか、その対応は基本と由香里がやっていたし、例えば運動会などでも、新九郎は来ていたけれど、尊は仕事で来られないことがほとんどだった。

しかし、アマナと寿里は、ひっつき虫のふたりなら心配あるまい、と3年保育に放り込まれていて、そのためカズサが年長さんで、清田家の子供3人が同時に通園している年があったのだが、おかげで運動会の応援に清田家全員集合になってしまったことがあった。

信長はかつて地元のプロチームの人気選手だったこともあるので、帽子やマスクで顔を隠していることがほとんどだったけれど、尊にそんな心配は無用。彼は甥姪たちの勇姿を収めんと鼻息荒くデジタル一眼レフを片手に乗り込んできた。

そこからカズサくんの伯父さんやばくない!? に始まり、寿里ちゃんのパパ美人すぎない!? に飛び火し、運動会が終わっても噂だけが独り歩きし始め、いやいや実はアマナちゃんのパパは元プロバスケ選手で、これもかっこいいの! 知ってる、清田さんちおうちでご商売されてて、もうひとり伯父さんいて、それもなかなか! と話が大きくなってしまった。

おいおい、オレはないのかよ、と真面目な顔をしてがっかりしていた新九郎はともかく、そういうわけで、あまり親しくないはずのお友達が清田家に遊びに来たがり、は一時それをどう抑えていくかでずいぶん気を遣っていた。

子供たちの交友関係のみならず、商売柄あまり地元で不興を買うのも避けたい。ママ友コントロールの達人であるぶーちんに色々アドバイスをしてもらったりもしたのだが、それはぶーちん独特の喋り方や佇まいあってのことなので、ひとりでは苦しいこともしょっちゅうだった。

だが、ひとまずカズサが小学生になったことで、清田家メンズフィーバーは鎮火の兆しを見せていた――のだが、燻る残り火がふたつばかり。しかもひとりは幼稚園の先生。そしてもうひとりはアマナの代のママ。こちらはシングルマザー。

「どっちもきちんとお断りしてるのに諦めないの?」
「断るには断ってるけど、真剣に受け止めてない感じと言えばいいかな~」

アマナと寿里の後にはツグミとウサコの子も控えていると思うと、尊はあまり強く出られないでいるのが現状と言ったところか。土曜の深夜のリビング、新九郎と由香里が四郎さんのお宅に招かれていて留守なので、セイラちゃんを交えた子世代が酒盛りに興じていた。

「うーん、この女好きする顔で30代後半で独身ということを分かっててそれは厄介だね」
「あはは、セイラちゃんひどい~。オレがまるで異常者みたいな言い方~」
「まあそうだね。人数はちょっと多すぎるんじゃないかとは思うよ。よく関係が保てるね」
「それはほら、ある種の才能みたいなものなんじゃない?」
「才能? 依存症とかではないわけ?」
「うーん、依存はないと思ってるんだけど。ノンセクの子とかクイアの子とも付き合ってたよ」

セイラちゃんも遠慮しないが、彼女相手だと尊も遠慮しない。何しろ世界を股にかけたお医者様である。当然LGBTQその他セクシャルマイノリティに関する知識は持っているものという前提で喋る。だが、セイラちゃんが気になっているのはそこではない。

「でも私が言ってるのは性質の問題じゃなくて、単に量の話。つまり、数人程度の同時進行ならまだしも、尊くんの場合は多いと十数人、つまりほとんどの『彼女』は月に一度か二度くらいしかデートも出来ず、それを承知の上だとしても、彼女たちにとっては唯一の恋人である尊くんとキスもセックスも月イチでよく破綻しないなと思うわけよ」

一度に大人数の尊の「彼女たち」を目の当たりにしたことがあるのはと信長だけだ。ふたりはその「彼女たち」を思い出して、腕組みで唸った。言われてみればそうなんだけど、なんかあの人たちみんな楽しそうだったんだよな……

「楽しそうっていうか、みこっさんの話と思うと、彼がたくさんの女の子をはべらせてるみたいに聞こえるでしょ。だけどどうにも実際はその逆というか、あのお姉さんたち、みこっさんを『みんなで使い回してる』みたいなところもあって」

の解説に信長が吹き出す。そう、まさにそんな感じ。

「なるほど、社会的に自立したお姉さんたちにとっては、気が向いた月イチくらいで充分なのか」
「ちょっとー。オレがみんなに遊ばれてるみたいな言い方しないでくれますか」
「事実そうなのでは」
「違うから。みんな可愛い彼女でちゃんと愛し合ってて、月イチでも心から満足できるからだもん」
「そりゃまたずいぶん自信がおありで……

セイラちゃんはとにかく好奇心の塊のような人である。今度はそっちに興味が向いた。そんなセイラちゃんの真ん丸の目に、調子に乗った尊はつい軽口を叩いた。

「そんなに気になるなら試してみる~?」

全体的に小柄で筋張った痩身であるセイラちゃんは、尊の好みの女の子には程遠い。なので新九郎がつい「嫁にどうだ」と漏らしたところで実現し得ないのであるが、今回ばかりは相手が悪かった。相手は女の子ではなくて地球外生命体である。

「おっ、いいね! 試してみようじゃん! 今日はもう遅いから、明日の朝からどう!?」

と信長と頼朝は勢いよく飲み物を吹き出し、一瞬意味のわからなかったウサコはポカンとしていたし、それを見ていたエンジュは顔を背けて肩を震わせていた。セイラちゃん強すぎる。

これにはさしもの尊も開いた口が塞がらず、しかしふたりは翌朝、本当にホテルに出かけてしまったのである。地元に古くから営業しているホテル、ニューカレドニア。その名前と異様な佇まいから、「お母さんあそこ行ってみたい!」と言い出して親をどきまぎさせた地元っ子は多い。尊もセイラちゃんもそのひとりだ。というかセイラちゃんはこれ幸いとニューカレドニアを指定。わくわくしていた。

そして昼前にはさっさと帰宅、顔色の悪い尊は早々に部屋に引っ込み、リビングには新九郎と由香里がいたので、ひとまずたちはセイラちゃんを2階に連れて行った。日曜なので信長は不在、兄弟だし生々しい話は聞きたくないと頼朝は退散、なので清田家の嫁ふたりと、自称嫁の3人である。

「ほんとにしちゃったの?」
「そりゃそうだよ。それを試しに行ったんだもん」

一試合終えて勝ってきました! とでも言い出しそうな、爽やかな笑顔だ。とウサコが言いづらそうにしているので、自称清田家エア嫁のエンジュが身を乗り出す。

「で、どうだったの?」
「それがさ、ふっるいのなんのって、あれ火事が起きたら助からない気がする」
……ん?」
「てかそもそも私ラブホ自体そんなに行ったことないからよくわかんないんだけどもさ」
「ちょちょちょセイラちゃん、ニューカレドニアの話はいいから」
「えっ、そう? これぞまさに昭和レトロ!って感じで、ちょっと楽しかったけど」

エンジュを狼狽えさせられる人というのは実に稀だ。さすが地球外生命体。

「みこっさんは、どうだった? 嫌な思いとか、しなかった?」

エンジュはママ友がぐらりと傾くきれいな笑顔でそう問いかけた。人生経験豊富なエンジュでも、なかなかセイラちゃんが地球外生命体だということが意識に浸透しない。なので付き合ってもいない男性と朝からホテル行って一発ヤッてきた女の子を精一杯気遣ったわけなのだが――

「嫌な思い? それは別に。でもなんか、あんまり良くなかったな~」

顔をくしゃっとしかめてそう言うセイラちゃんに、がゴハッと吹き出した。マジか。

「なんていうのかな、王子様っぽいと言うか、乙女脳な人はいいのかもしれないんだけど、私はそういうの合わないんだよね。オスとメスのぶつかり合い!って感じのが好きなの。お姫様扱いってのも一見フェミニストに感じるけど、決して対等な力加減ではないし、どこか男性優位性が見え隠れするし、いかにも男に組み敷かれた女が甘えた声でニャンニャン言ってるような……そういうのは、ちょっとね」

大変冷静な分析、そして感想であった。

「まあでも、久しぶりにスカッとしたなって感じはあるよ! いい運動した!」

ウサコも堪えきれずに吹き出した。だが、朝からスカッとしたセイラちゃんはしかしまだまだ体力が有り余っており、この日もちょこまかと清田家の中で立ち働いた。一方、違う意味で「あんまり良くなかった」らしい尊は珍しく部屋に引きこもって出てこなかった。

以来尊にとってセイラちゃんはいわば「天敵」になるわけだが、ともあれ、100人超の乙女たちをトロトロに蕩かせてきた尊にとってこの日の記憶はあまりに苦いものとなった。

その日の夜、信長部屋にやって来ていたエンジュは、夫がまだ帰らないので酒を我慢しているにこそこそと囁きかけた。

「ねえだけど……一般的には、みこっさんのって、歓迎されるタイプだよね?」
「だから女の子が切れないんだろうしね……
「海外生活長い人ってああなっちゃうのかな」
「ウサコによれば、あれは元からだって」

ウサコの記憶は小学生までではあるが、セイラちゃんは小3の時点で既にブレーキが壊れていて、いくら頭脳明晰でも、まさか理系の職業に就くとは思えなかったくらいには野生児のような性格をしていたという。それは一切変化がないように思える。

「なんか……ちょっと前までは頼朝さんこじらせてるなあって思ってたんだけど、最近はむしろ、みこっさん迷走してるなって、思うようになっちゃって。大丈夫かな」

エンジュは真面目な顔でそう言ったのだが、はまたゴハッと吹き出した。

「えー。今の笑うとこ?」
「ごめん、みこっさんが迷走っていう言葉の組み合わせが可笑しくて」
「だって、今日だって、ほんとに行かなくてもよかったと思わない?」

はこみ上げる可笑しみを飲み込んで頷いた。セイラちゃんなんか地球外生命体なのだし、元々好みじゃないのだし、あの性格では自分と相性がいいわけがないことくらい、尊ならわかりそうなものだ。尊が断ったところで、セイラちゃんも遺恨に思ったりするはずがない。

「みこっさんがセイラちゃんに惹かれてるようには見えないし、あんな、わざわざ傷つきに行くような真似、なんでしたんだろうって」

はまた頷きながら、考える。

一緒に暮らしてきた家族や友人は、それぞれがそれぞれの思いで尊を思い、彼を語る。特に彼とずっと親友であるぶーちんとだぁはずっと心配しているし、尊の幸せを一番に願っているのは間違いない。そういう、「他人の目を通した尊」はよく知っているのだ。

だけど、私たちはまだ、本当の尊さんを、知らないのではないか――

エンジュの言葉がきっかけとなって、はそう思うようになった。

無論、本人が曝け出さないものを無理に引きずり出したいわけではない。ただ、エンジュの言うように彼が迷走しているのなら、助けたいと思う。支えたいと思う。家族だから。けれど、あまりに自分は彼のことを知らない。彼もまた、家族であっても、それを言葉にすることはないんじゃないだろうか。

結果としての心にも小さな棘を残すことになったこの「ニューカレドニア事件」であるが、しかしこれは結果的にひとつだけ良い変化があった。件のなかなか引き下がらなかったふたりが、セイラちゃんと一緒の尊を目撃してしまったのである。

ニューカレドニアを出たふたりは空腹を抱えて近所のショッピングモールに立ち寄ったのだが、そこで買い物に来ていたふたりに見られた。尊は現在地元近辺に彼女がいないため、デートはほぼ都内限定となっていて、地元で女の子と二人連れだったのは、実に4年ぶりだった。

どう見ても仲睦まじいカップルには見えないふたりのはずだが、むしろホテル帰りでどんよりした尊と、その精気を全て吸い取ってしまったかのようなギラギラしたセイラちゃんという組み合わせが実にただれた関係に見えて、一気に覚めてしまったのだという。何が功を奏するかわかったものではない。

セイラちゃんが現れてから1ヶ月、清田家に少しずつ夏が近付いていた。