ぼくのかわいいひと

6

「せめてエントリしてもいいかどうかくらい聞くべきだと思います」
「あはは、それはそうだよね」
「というかミスコンをやる意味がわかりません。女子はああいうの楽しいんですか」

文化祭で体育館が使えないため練習はない。だがひどいストレスに晒された藤真はを部室に呼び出して愚痴を聞いてもらっていた。とりあえずミーティングルームのソファに腰を下ろして、「ミス翔陽」さんとのチェキを力任せに破り捨てたところだ。

「私は興味ないけど……確か去年のミスの先輩、読モになったとかなんとか」
「ミスコンで優勝したからですか?」
「その辺はなんとも。先輩のことだしね~」
「男の方は?」
「ほらあれ~! 去年一番モテてた例の彼氏がいた先輩! バレー部にも人気な人いたから接戦だったけど」

藤真のことでは少々気持ちが暗くなってしまっただが、例の先輩の時は勇んでシールを貼りに行ったなあと思い出して頬が緩む。そして貼っているところを本人に見つかり、頭を撫でてもらった。

「その先輩、優勝して何か変わったことって……
「ん~特にないかなあ。元々人気あったし、3年だから知ってる人も多いし」
「そうですか、それなら、まあ……
「でも藤真は1年だからなあ。どうなるか」
「ちょ、怖い言い方しないでくださいよ」

気が楽になったのではからかうような口調でにんまりと笑った。だが藤真は面白くない。

……先輩、オレのこと、守って下さいね」
「えっ? 守る?」
「マネージャーでしょ。どうなるかわからない後輩のこと、守って下さいね」
「えええ~守るって何すんの」
……何すんのって、ちゃんとオレの彼女、やってくださいって話ですけど?」

忘れていたわけではないけれど、その話に繋がるとは思っていなかったは顔を近付けてくる藤真から逃げるようにして身を引いた。というか今更ながらなぜミーティングルームのパイプ椅子ではなくて、ソファに並んで座っていたのかと狼狽え始めた。

「ちゃんと、彼女、作ればいいじゃん……
「暇ないんで、そーいう人、いなくて」
「そうかなあ、ほら、今日のミスの子とか、可愛かったでしょ」
「別に言うほど可愛くないですよあんなの」
「嘘お!? あんな可愛いのに!? えっ、もしかして藤真って可愛いの苦手!?」

一応、今日のミス翔陽さんに関して言えば、彼女は圧倒的な女子票で優勝した女子、という前提がある。結果的に男子票でもトップを取ったけれど、他の候補者とわずか23票しか差がなかった。どちらかと言えば男子より女子に好かれる美少女なタイプだった。セックスアピールのないタイプ、とでも言おうか。

「そんなことないですよ。オレはああ言うタイプ好みじゃないってだけの話です」
「えっ、てか藤真ももしかしてゲイだった!? 気付かなくてごめん!!!」
「え!? なんでそうなるんですか!?」
「違うの!?」
「違いますよ!?」

今度は飛躍しすぎだ。つい吹き出しながら突っ込んだ藤真は、ストレスでもやもやした心が少し軽くなったような気がした。はこんな風にトンチンカンなことを言い出したりもするけれど、そういう彼女の天真爛漫さに何度も救われてきた。ミス翔陽より誰より、の方が可愛いのになあ……

「そうか、それはごめん……もしそうならほんとに守ってあげなきゃと思って」
「幼稚園の頃から女の子好きなので間違いなく異性愛者だと思いますよ」
「じゃあ、彼女、欲しくないの?」

ただでさえミスコンでストレスがたまっているというのに、なんでこんなつらいことを聞かれなきゃならないんだろう。そう思ったら、真顔でそんなことを言い出すに対して少々怒りが湧いてきた。

「そりゃあ欲しいですよ。これでも普通の高校生なので」
「でしょ? 忙しいけど休みがゼロってわけでもないんだし、テスト前とかちょっとくらいなら」
「デートしたり?」
「そうそう、そういう風にしてうまくやれてる先輩たちいっぱいいるよ」
「いいですねえ、手繋いでデートして、くっついて、キス、したり」

藤真が珍しく話に乗ったので、は引いていた体を起こしてまくし立てた。だが、そう言いながら藤真が顔を近付けてきたので、ウッと黙って止まった。穏やかに薄暗いミーティングルームでふたりきり、そこそこ広さはあるというのにソファの上でほとんどくっついて座っている。いつの間に。

が我に返ったときには藤真の両腕が体の両側に突っ張っていて、顔はもう本当に目の前だった。

藤真はの体には触れていなかったので、体を押し返して抵抗し、立ち上がってそのまま部室を出ていけばそれでいいはずなのだが、は動くに動けないといった様子で真っ赤になっている。その頬の赤さを目にした藤真はまっすぐの目を見つめながら近付いていく。

「ほ、ほら、そういうこと、彼女と、したい、でしょ」
……したいよ、キスも、他のことも」
「ちょっと待って、藤――

前髪が触れそうな距離まで来てが手を上げたので、すかさず体を抱き寄せ、そのまま藤真は唇を押し付けた。ミーティングルームからは一切の音が消え、ふたりは束の間息すらも止めた。

ハッと息を吐いて、唇が離れる。藤真はそのままの体を強く抱き締めた。

……彼女って、こういうこともするんですよ。知ってましたか」

びくりと震えるの体、ぴったりと寄せた首筋からは優しくて甘い香り。やがての手が制服をぎゅっと掴み、そして藤真の肩に顔を埋めた。気付けば藤真のストレスは、全てがどこかへ消え去っていた。

一度キスしてしまうと藤真はずいぶん気が楽になり、付き合っている振りなのだということも忘れがちになった。

一方の方はまだ色々疑問に感じているようだったが、それでも藤真が甘えてくると逆らえずにずるずるとキスでも抱擁でも受け入れては何も言えなくなっていた。中間に文化祭が終われば冬の予選は目の前、練習の方も忙しくて、のんびり悩んでいる暇もなかった。

「そういえば最近パンダ出てねえな」
……ほんとだ」
「うーん、先輩も実は結構乗り気なんじゃないの」
「だといいんだけど」

少々強引にキスしてしまったことは正直に話していたけれど、の様子があまり変わらないので、仲間たちはまだなんとなく心配している。予選を目の前にして恋愛話など先輩たちに振るわけにもいかず、や副主将が一体どんなことを考えているかなど、まったく見えてこなかった。

「冬が終われば先輩たちもみんな引退するし、もういい加減『振り』じゃなくていいんじゃないのか」

花形はそう言うが、しかしまだ藤真はどこかで臆する気持ちが抜けなくて、曖昧な返事をした。

そして月末、翔陽は夏に続いて予選の決勝にて海南大附属に敗北。藤真はライバルとでも言うべき海南の1年生にまた負けてしまった。その悔しさを抱えたまま学校に戻ると、ここで引退となる3年生が部室で抜け殻のようになっていた。残留組はどうせバスケットで進学というのがほとんどだが、それでも空っぽになっている。

それを少々気まずく思いながら帰り支度をしていた藤真は、ついさっきまでぼんやりしていた副主将に呼ばれた。ロッカーエリアを出てミーティングルームに入る。やはり今日も穏やかに薄暗くて、落ち着くけれどどこか寂しげな色をしていた。

「気にするなと言っても気になるだろうけど、長く引きずらないようにしろよ」
「大丈夫です。試合では負けましたが、あいつに負けたとは思ってません」

どうしても注目されてしまう1年生対決に敗れたことを気遣ってくれている。彼もまた県内の大学へ進学だが、バスケットでの推薦である。本人は埼玉の出身で、また寮から寮へと移ることになる。それを思い出した藤真は、背筋を伸ばして両腕を体にビシッと貼り付けた。

「たった1年間でしたが、本当にお世話になりました」
……本当に早かったな。悔いは残ってるけど、一緒にプレイできてよかった」

穏やかな笑顔で応えてくれた副主将だったが、ふと顔を上げると藤真の腕を押してミーティングルームの奥へとずれる。ぼそぼそ喋っているくらいではロッカーの方まで聞こえない距離だ。藤真に緊張が走る。

「先輩……?」
「お前はまだ1年だけど、だけど既に翔陽の中心はお前だ」

2年生もいる手前、副主将は出来る限り声を潜めている。

「おそらくオレたちが引退してチーム編成が変わると自分でもそれが実感できると思う。今年、翔陽はオレとキャプテンが役割を半分ずつしてこなしてた感じだったけど、ここから2年間、お前がそれをひとりで背負うことになると思う。重い荷物だと思うけど、お前なら出来ると思うから、藤真、翔陽を頼むな」

2年生を通り越してそんな風に言われてしまうと、申し訳なさがサッと顔を出してくるが、本当の藤真は喜びと誇らしさでいっぱいになっている。もちろんそのつもりだ。練習を重ね、十数年神奈川を制し続けている海南大附属を下し、翔陽がその座に君臨したい。それを自分の手で成し遂げたい。

先輩からチームごと託された感慨に浸っていた藤真は、副主将の低い声に顔を上げた。

「それから、も」
「え……?」
「一緒に入った女子マネが全員辞めて、も辞めようとしたのは知ってるだろ」
……それで、皆さんに泣きつかれて思いとどまったって」
「その時のこと、聞いてるか、本人から」

そういう事情があってたったひとりのマネージャーなのだということは入部して割とすぐに聞いた。みんなはバカにするけれどは面倒見が良くて優しいマネージャーだ。泣きついてまで引き止めた気持ちはよくわかると思っていたが、藤真がまだ中学生だった時の話だ、それ以上は知らない。

一体副主将がそんな寂しげで険しい顔をして言うような、どんなことがあったというのだ。

長谷川の言葉がきっかけとなって副主将との間に何かあるのかないのか、そんな勘繰りがあったことすら知らない藤真はサーッと体が冷たくなっていくのを感じた。

「聞いてないか? そうか。本人が言わないなら、いいんだ。すまん」
先輩、何か、あったんですか」
「いくらお前でも勝手に話すわけにはいかないよ。……でもな、藤真」

顔色が悪い藤真の肩に手を置くと、副主将は少しだけ影のある目を真っ直ぐに向けてきた。

はやりたくてやってるマネージャーじゃない。友達に誘われて入ってきただけの、そういうぼーっとした子だ。頑張ってるように見えて、ずっと無理をし続けてる。それは、覚えておいてやってくれ」

副主将はそれだけ言うと柔らかく微笑んでミーティングルームを出ていった。

彼は一体何が言いたい? 藤真がに「付き合っている振り」をしてもらっていることは知っているはずだ。それでなくとも今年の副主将は細やかに部員に気を使ってきた人で、もしかしたら藤真がが好きだということも知っているかもしれない。なのに、一体何が言いたいんだ、の何を知っていると言うんだ。

藤真はミーティングルームを出て行く副主将の背中をいっそ睨みながら、肌に冷たい汗が伝うのを感じていた。

もし、彼が全て知っていたのなら、藤真がに恋をしているということも、それがこじれて付き合っている振りをしてもらっていることも、全部全部知っているのなら、あんなことをいかにもな上から目線で言う必要がどこにあったんだ。先輩、あんたはの何なんだよ。

血の気が引いていた藤真がミーティングルームの壁にへばりついていると、当のが顔を出した。

「あ、こんなとこにいた。監督から話あるから体育館――

3年生はこれが最後の試合だし、部員全員を並べて話すのにミーティングルームでは狭すぎる。体育館に集合がかけられているからみんな来るように、とは報せに来たらしい。そのの手を掴んで引き寄せると、藤真は腕をかき合わせてぎゅっと抱き締めた。

「ちょ、どうしたの、大丈夫? まさか具合悪い?」

、君が欲しい、誰にも渡したくない、オレのことだけ見て欲しい――

遮るドアもない、誰がまた顔を出すとも知れないミーティングルーム、は焦って藤真の肩を撫でたけれど、ぎゅうっとしがみついてくる腕があまりにも固くて冷たくて、息を呑んだ。

…………負けたの、つらかったよね」

は藤真の声にならない叫びを敗北の無念と受け取った。

「まだ1年だからいいよなっていうけど、つらいものは、つらいよね。もうずっと海南に勝てなくて、翔陽は何年も悔しい思いをしたままで、今年も結局夏も冬も同じ結果になっちゃった。だけどさ、2年もなんだけど、みんな、思ってるよ、藤真と一緒に頑張ったら、今度こそ海南を破ることが出来るって、思ってる」

そうじゃない、そんなことは自分でもわかってる、そう言いたいのに言葉にならない藤真は首を振ったけれど、もちろんには伝わらない。まだきつく締め上げている藤真の背中を肩を、ゆっくりと撫でてくれている。

「また、頑張ろ。私も手伝うから」
……も、一緒に?」

つい呼び捨てにした藤真に、は少しだけ笑って、頷く。

「うん。一緒にいるから。また一緒に頑張ろうよ。ね…………健司くん」

部員が体育館に向かうため部室を続々と出ていく。それを遠くに聞きながら藤真は腕を緩め、優しく微笑んでいるに断りもせずにキスした。一瞬驚いただったが、それでも何も言わなかった。ただ黙って、藤真の背中を撫でていた。

だが、翌月の期末前、テストを控えて部活が休みになった土曜のことだった。

普段部活で目一杯体を動かしているというのに、学校と寮の往復だけで、しかもテスト前なので勉強ばかりで腐ってきた藤真は仲間たちと最寄り駅でぶらついていた。それこそ普段部活ばかりで遊ぶのに慣れていないので本当にぶらつくくらいが関の山だが、彼らはそこでとんでもないものを見てしまった。

寮とは反対口にある駅ビルに行こうとしていた彼らは、タクシー乗り場のあたりに佇むカップルらしき男女を見つけて足を止めた。私服なのでわかりづらいが、あまりにもよく知った顔だった。

「あれ、大地先輩と先輩だよ……な?」

高野がそう言うなり長谷川と花形が藤真を押さえて後ずさりし始めた。藤真はまた蒼白。彼らは身長が高いのでとても目立ってしまう。突撃するのはもちろん、と副主将に見つかるのも得策とは思えなかった花形は少しずつ死角に入っていく。

はベージュのコートを着ていて、しかも髪がくるくると巻かれていて、なんだか「おでかけ」といった出で立ち。対する副主将もダッフルコートに革靴という、と揃えたような取り合わせ。誰がどう見てもこれからデートのおめかししたカップルだ。

花形が押し殺した声で囁く。

「藤真、声を出すなよ。冷静になれ、お前の考えてることは全部間違いだ」

藤真、と声をかけたけれど、それは取りも直さずその場にいた高野と永野と長谷川にも向けた言葉だった。

5人がじっと見つめる中、と副主将の前に大型のセダンが滑り込んできた。見るからに高級そうな車だった。すると副主将はドアを開いて、の背を押して車に乗せてしまった。ちらりとの顔が覗く。薄っすらと化粧をしているようにも見える。そして、楽しそうににこにこと笑っていた。副主将に笑いかけていた。

やがて走り去る車、それを呆然と見送った5人は、しばらく口もきけなかった。

実は付き合ってた? 自分たちが知らなかっただけで、もっとずっと古い仲だった? あの高級車はなんなんだよ? てか推薦決まってる大地先輩はともかく、先輩は普通に期末前じゃないか、何やってんだよ。

そんな言葉だけが頭の中をぐるぐると飛び交う。最初に口を開いたのは長谷川だった。

「藤真、違うぞ」
…………何が」
「今お前が考えてること、オレたちがまさかって思ってることも」
「無理だ」
「いいや、無理じゃない」

普段口数の少ない長谷川だが、彼は藤真の背を支えながら、きっぱりと言う。

「どんな事情があるのかはわからないけど、大地先輩も先輩も、オレの知ってるあのふたりは、そういうことが出来る人じゃない。バスケ部の中でも、一二を争うくらい、出来ない人だ。あれがもし花形や高野や永野でもオレは疑うと思う。だけど、大地先輩と先輩は、違うよ」

引き合いに出された3人ですら深く頷いて藤真の肩やら背中やらを叩いた。

「藤真、諦めるなよ。本当のことを知ってからでも遅くないんだからな」

そう言う長谷川の言葉に、藤真は力なく頷いた。いや、がくりと頭を落としただけだったのかもしれない。

も副主将も何かを隠していて、それを藤真には話してくれないで、そしてこうしてふたりでおめかしして高級車に乗り込んでいる。湧き上がる嫉妬に体の中をじりじりと焼かれながらも藤真はしかし、それでもを愛しく思う気持ちが消えなくて、自分のつま先を見つめたまま呻いた。