ぼくのかわいいひと

3

結局合宿もIHもしっかり務め上げたは、神奈川に帰り着くと過去に例を見ないほどの高パンダ状態になっており、普段ならおもしろがってからかってくる花形ですら心配して送っていこうと言い出すほど疲れていた。

合宿初日に妙な確信を得た藤真は以来、少しずつアピールになりそうなことを試しているのだが、こちらはそれほど劇的な結果を生むことはなく、ただの方は体に触れてしまっても嫌がる様子がないので、まずは「嫌悪感を持たれているわけではなさそう」という結論に落ち着いている。

そういうわけで、新横浜で解散になった一行だったけれど、高パンダ状態のはまた藤真と花形が送って帰っている。もうそろそろ藤真ひとりでもいいのでは、と花形たちは考えるが、全員いる状態からいきなり藤真ひとりという不自然さを本人が嫌がったので、花形がお供している。

荷物が重くて背中が曲がっているのでバッグを持ってやり、その上ヨロヨロしているを時に引き寄せ時に押し出し、藤真は甲斐甲斐しく世話を焼く。一体どっちがマネージャーなんだか。

「私、宝くじ当たったらパンダの里親になる」
「里親?」
「年間数十万で名前をつける権利がもらえたり、会いに行けたりすんの」

は一生に一度でいいから子供のパンダを抱っこしたいと薄笑いだ。

「ふたりは休みの間どうするの。休み短いから帰らない人も多いでしょ」
「オレたちは近い方だし、帰らないです。帰っても寝てるだけだし」
「ていうか休みって言うほど休みじゃないですよ。課題やんないと」

部活動が盛んな翔陽高校だが、一応は普通科の高校なので、いかに合宿やIHで忙しいバスケット部でも課題がある。ただし、夏休み中の活動日数が一定数以上ある部は社会活動などの課題が免除されるし、県大会以上に進出すると提出期限を2週間延長してもらえる措置はある。

それでも課題がなくなるわけではないので、IH後の短い休みはだいたい課題と戦うだけで終わる。

「じゃあ遊びに行かれないね」
「先輩はどこか行くんですか」
……休みがないのは私も同じなんだけどね」

つい何も考えずに不用意なことを聞いてしまった藤真は肩を強張らせた。そう、マネージャーと言えど練習には必ず出ている部員であるから、状況は藤真たちと全く同じ。実家か寮かくらいの差で、も休みの間に課題を片付けておかないとあとがつらい。

藤真がつい失言めいたことを言ってしまって青い顔をしているので、花形は笑いを堪えつつ助け舟を出す。

「夏祭りは行かないんですか。確か休みの間ですよね」
「そりゃ行きたいよ、でも行く人いなくてさ。友達みんな彼氏いるしぃ」

また不機嫌が加速する、花形は無言で藤真の背中をドスドスと殴る。チャンスだ。

「お、オレたちでよかったら一緒に行きましょうか?」
「えー、悪いよそんなのー」
「課題やんなきゃいけないのは同じだし、夜に少し息抜きと思えば別に悪いことなんか」
……一緒に行きたい子とかいないの?」
「さっき先輩が言ったんでしょ、休みないって。そんな子どこにいるんですか」

藤真はさりげなく誘いをかけているが、は渋っている。藤真たちが不満というわけではなさそうだが、彼らと一緒に行ってもいいのかどうか、迷っているようだ。だが、花形は無表情だし藤真はなんでもないという顔をしているし、ついぼそりと呟く。

「先輩と夏祭りなんか行っても、楽しくないでしょ」
……そんなことないですよ。慣れない人と行くより楽しいと思います」
……一緒に行ってくれるの」
「はい。帰省しない組と夏祭り、どうですか?」

藤真が微笑んだりせずに真顔で言うものだから、は勢いこっくりと頷いて、「行く」と呟いた。

休みはないし、友達はみんな彼氏がいるし、夏祭りなんて行かれると思っていなかった。だが、休みが短いせいで実家に帰らない後輩たちが遊んでくれると言う。思わず頬が緩むの頭上では、花形が藤真に向かってサムズアップをしていた。特に進展のなかった関係だが、ちょっと動いた。

それが楽しくなったかどうか、花形はつい弾んだ声を出した。

「先輩、浴衣着てきてくださいよ」
「えー」
「えーってなんですか。夏祭りでしょ」
「みんなも浴衣着てきてくれるんなら」
「持ってないですよ浴衣なんて」
「花形に同じ」
「えー私だけ浴衣なんて恥ずかしいよー」
「夏祭りなんて浴衣だらけじゃないですか」

そうは言いつつもの声は明るい。合宿とIHで疲れきった心と体が少し楽になったのだろうか、どんよりと丸まっていた背中も少し伸びる。バスに乗り込む時もにこにこしていた。そしてを見送ったふたりは小学生のようにはしゃぎながらその場を後にした。夏祭りデートだ。

帰省しない組、後輩たち? まさかそんなわけあるまい。

「え!? 藤真ひとりなの!?」

数日後、待ち合わせの場所にやってきたは、藤真がひとりでポツンと立っているので驚いて声がひっくり返った。しかも甚兵衛姿だ。もちろん浴衣は持ってないしひとりで着られないけれど甚兵衛なら。だが、一応この甚兵衛は永野の私物。事と次第を報告したら貸してくれた。

「花形ちょっと具合悪くて」
「え、大丈夫なの」
「平気です。ちょっとトイレから出られないだけなので」
「ちょ、寮生の夏休みあるあるだ」

夏の寮生は乾きに任せて水分過多になり、暑いからとやたらと部屋を冷やす。場合によってはそのまま半裸で寝てしまう。夏風邪や下痢などは寮生の夏の風物詩でもある。――が、まあ当然それは方便だ。花形は現在1点1000円で寮生の読書感想文向けあらすじ作成のバイトで手一杯になっている。

仲間たちには正直にと夏祭りに行くのだと話した。高野永野あたりは過度な進展を期待しているようだったが、それでもうまくやれよと送り出してくれた。彼らも課題で手一杯組だ。ちなみに藤真はこの夏祭りデートが決まってから毎日朝から晩まで机にかじりついて殆どの課題を終わらせてしまった。

そんなわけでとふたりきり、浴衣アンド甚兵衛の夏祭りデートである。

「高野たちも行きたがってたんですけど、課題全然終わらなくて」
「そっかあ……なんか可哀想なことしちゃったな」
「平気ですよ、やっぱり行かれない主将が最終日にお好み焼きパーティするらしいんで」
「ちょ、先輩も終わらないの」

今年の主将はとにかくお勉強が苦手、花形が読書感想文以外にもこの主将の課題代理でだいぶ儲けているらしい。だが、はそれで気が緩んだようで、けたけた笑っている。

「なのでオレひとりなんですけど、いいですか?」
「それはそれでごめん」
「なんで謝るんですか。先輩まで具合悪くならなくてよかったです」

今日は花形もおらずにふたりきりなので、藤真は思いっきりにっこりと笑う。と一緒なので嬉しいし、まさかの夏祭りデートで上機嫌、1学期だけで一体何人の女の子を恋に落としてきたかわからないその笑顔は凄まじい破壊力で、さしものもつい照れる。

ふたりは駅で待ち合わせ、そこから一駅乗って大きな河川の近くに出る。本日の夏祭り会場はそこだ。広大な河川敷を埋め尽くす屋台と地域コミュニティ主催のステージと締めの花火が地元民に愛されている。

浴衣と甚兵衛、見た目は完全にカップルだが、一応付き合ってないのでふたりは並んで歩く。夏祭りへ向かう人の波に乗って、夕日が真横からギラギラと照りつける中を河川敷まで歩いて行く。行き着くまでもかなり混雑していたが、日が傾き始めた祭会場は人でごった返している。

「先輩、何食べるんですか」
「えっ、別に私食べるのが目的じゃ」
「パンダカステラありますよ」
「えっまじでどこどこどこどこ」

かっこつけてツンと顔をそらしただったが、ベビーカステラのパンダ版があると教えられて即座に崩れた。そしてそんなに思わず吹き出した藤真は、ちらりと目を落としたところでさらにゴフッと大きな音を立てて吹き出した。の浴衣の帯に小さなパンダがぶら下がっていた。

「先輩ほんとにパンダ好きなんすね……
「藤真だけは私のことバカにしないと思っていたのに……花形と同じ顔してる……
「別にバカにしてるわけじゃないですって。ブレないなあって思っただけ」

笑いを引っ込めようとしつつ、ちょっとヘソを曲げているに弁解しつつ、藤真はその「藤真だけは」という言葉にみぞおちのあたりを掴んで捻り上げられているような感覚を覚えた。男ばかり何十人もの部員を抱えるバスケット部だと言うのに、自分のことを「ただひとりの」という認識でいたのか。

なあ、このつい吹き出しちゃうのって、もちろんバカにしてるわけじゃなくてさ、が可愛いなあって、普段からパンダパンダ言ってるけど浴衣の時もパンダくっつけてきちゃう、そういうがたまらなく可愛いなあって思うからなんだよ。

「そんなにヘソ曲げないで。パンダカステラ買ってあげますから」
「え、いや私そんなつもりじゃ、年上なのにそれはマズいって」
「たかだか1学年くらいの差で大袈裟だなあ。オレも男なんで300円くらい奢らせてください」
「それこそ大袈裟なんじゃないの……男だから奢るなんて」
「そーいうのやってみたかったんですよ、グダグダ言ってないでほらほら」

ヘソ曲げて後輩に奢ってもらうということがどうにも気が進まない様子のだったが、藤真はスッと息を吸い込んで手を繋ぐと、そのままスタスタと歩き出した。河川敷は大混雑、こうでもしないと一緒に移動できないのも確かだ。藤真はを振り返らずに歩く。繋いだ手はほんの少しだけ、握り返されていた。

パンダカステラですっかりテンションが上ったは上機嫌で祭を楽しんでいた。そんなを見ている藤真も楽しい。屋台グルメもおいしいし、日が落ちて提灯の灯りが揺れる河川敷に胸がときめく。

今でも充分混雑しているけれど、花火を控えているのでこれからまだまだ人が増える。はぐれそうなほどの人混みにぶつかると藤真は遠慮なく手を繋ぎ、もそれには何の反応もなく、ただゆるりと握り返すだけ。やっぱりどう見てもカップルだが、藤真はあくまでも後輩として振る舞ったし、も余計なことは言わなかった。

誰に聞いても十中八九「カップルに見える」と言われるであろうふたりだが、藤真がよくよく弁えて振る舞っているせいで、感覚的には「姉弟」に近いだろうか。ちょっと抜けてるお姉ちゃんとしっかりものの弟、という雰囲気だ。地元の祭だが、お互い直接的によく知る翔陽生に遭遇することもなかった。

しっかりものの弟状態の藤真はこまめに時間を確認していて、花火の開始時間40分前には屋台エリアを出て鑑賞エリアまでを連れて行く。屋台の方は出入りが激しいし人の流れも早いので、知った顔に会いにくいのにはそういう理由もあるけれど、鑑賞エリアは別だ。目立たない場所を確保せねばならない。

「ちょっと待つけど我慢して下さいね」
「平気平気、いやー、言われなかったら花火始まるまでウロウロしてただろうなあ」
「ここ見やすいと思うんですけど、もしかしたら立ち見になっちゃうかも」
「大丈夫大丈夫! これでも毎日練習に付き合ってるんだし」

本人の言うとおり疲れてはいない様子なので藤真はホッとする。座れるエリアもあるけれど、立ち見になりそうな場所をわざわざ選んだのは、その方が遠くから目につきづらいからだ。周りが立ち見で埋め尽くされて、その半径数メートルの範囲内に知人がいなければ、何をしようがバレることはない。

案の定花火開始20分前には続々と人が押し寄せてきて、と藤真は足を投げ出して寄りかかっていたガードレールから腰を浮かせた。あまり混雑してきてしまうとガードレール付近は逆に過ごしづらい。藤真の誘導では屋台エリアの明かりが届かない方へと移動していく。

開始10分前ともなると、普通にラッシュ時の電車と同じような混雑になり、は少し顔を上げないと遠くが見えないほどになってきた。だが、花火は問題がなさそうなので、藤真は移動しない。もう腕がぴったりくっついているけれど、しょうがない、こんな大混雑なのだから。

「大丈夫ですか~」
「正直ナメてた。こんな混んでるなんて。もう少し遠くでいいから空いてるところを探しておけばよかったね」
「寮の屋上とか見えないかな」
「ちょ、花形に確認してもらってよ、それで、来年はこっそり入れて」
「怒られますよ~」
「だから内緒でコッソリだって! そしたら課題終わらない組だって――

興奮気味にまくし立てていただが、すぐ横を通り過ぎた男性に弾き飛ばされて、ただでさえ隙間に余裕がない中を藤真に体当りしてしまった。一瞬カチンと来て頭に血が上った藤真だったが、よろけたに抱きつかれた状態になっていて、そのまま背中を抱え込んだ。不可抗力不可抗力。

「危ないなあ。先輩大丈夫ですか、足元も大丈夫ですか」
「大丈夫、びっくりした~」
「花火、そんなに長くないでしょうし、狭いからちょっと我慢して下さいね」

「我慢」という言葉に重ねて、藤真はを両腕でギュッと引き寄せる。少し体をギクリと強張らせただったが、照れて騒ぐ余裕がない。何しろ四方からぎゅうぎゅうと押し潰される。そろそろ花火が始まるので余計に人の波が蠢いていて、しっかりと抱き合っていないと流されてしまうそうだったから。

鑑賞エリアの提灯の明かりが落ち、ざわめきと歓声があたりを埋め尽くす。

ひび割れたアナウンス、ざわめきに飲まれてよく聞こえない音楽が流れ出すと、人の波の蠢きはゆったりとスローダウンして、やがて止まる。甲高い音を立てて空に駆け上がる尺玉、そして鮮やかな火花が夏の夜空いっぱいに花開く。ショーアップされた花火は音楽に合わせてどんどん上がっていく。

「きれいですねー。花火なんて見たの久しぶりだ」

努めて気楽に明るくそう声をかけた藤真の甚兵衛をの手がギュッと掴む。

……去年、合宿とIHで疲れて帰ってきて、そこで最後まで残ってたマネージャーが辞めちゃって、夏祭り行きたいなあって思ったんだけど、気付いたらみんな彼氏がいて、私と夏祭り行ってくれる人、誰もいなかった。その時、バスケ部にいる限り夏祭りなんて行かれないんだろうなって諦めたんだよね」

自分の耳にしか聞こえないほどの声が、切ない記憶を語っていながらどこか楽しげで、つい藤真は手に力を込める。は藤真の甚兵衛にしがみつきつつも、頭を寄りかからせないように首を反らしていて、つい引き寄せてしまいたくなる。

「だから、ありがとう。ほんとに、ありがとね。もう思い残すことないよ」
「何死にそうなこと言ってるんですか。また来年も来ればいいじゃないですか、夏祭りくらい」
……あはは、また行く人探さないとだ」

苦笑いとともにそう言う、藤真は頭を落として距離を縮める。

……またオレでいいじゃないですか。ダメですか?」
「だ、ダメじゃないけど、何言ってんの、他に一緒に行きたい人が現れるって」
「そうかなあ、そんな暇、ないと思いますけど」

わざとらしく聞こえてもいい、藤真はそう言いながらの肩をポンポンと叩いて囁く。

「どうせ暇ないんだし、また来年も花火見ましょうね」

返事に詰まってしまったはつい俯き、藤真はそれに気付くと背中を丸めて彼女を抱え込んだ。隙間がなくなってしまって、結局は藤真の肩に頬をうずめる形になってしまった。

優しくて甘いの髪の香りがふわりと立ち上る。

の他に夏祭り一緒に行きたい人なんて、現れるわけないんだよ。オレはと行きたいの。来年も再来年も、ずーっとこうしてふたりでくっついて花火見たいって、そう思ってるんだよ。

ねえ、はそれじゃダメ? オレじゃダメ?

こんなにくっついてるんだから、いいだろ、なあ、――