ぼくのかわいいひと

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「DHCのリップクリームが欲しい~。あとポンチョ欲しい、パンダの」
「ポンチョってあれですか、パンダになれるやつ」
「ああ、先輩似合いそうですね」
「花形のその顔は殴りたいけど手が届かない~」

今年もIHへの出場権を手に入れた翔陽は毎日遅くまで練習に精を出している。疲れが溜まってくるとの物欲念仏がよく出るようになるのと、は大変なパンダ好きであり、パンダの何かが欲しいと言い出した時はかなり疲れているサインなので、1年生はバス停までお供して帰ることが多い。

「中華街のパンダまん食べたいな~」
「パンダ好きなのにパンダ食べちゃうんですか」
「そういえばこの間パンダのおにぎり食べてましたね、胴体真っ二つで実に猟奇的でしたね」
……藤真、代わりに殴っといて」
「はい」

今日もパンダ率が高いは藤真と花形に付き添われながら、翔陽の寮方面とは反対口にあるバス停に向かっている。藤真の恋心もふたりの関係も微動だにしないことを承知の上で楽しそうにいじってくる花形を、藤真は裏拳でビシッと突っ込んでおく。

こうして花形とふたりで送っていっているのは、藤真がひとりで行くと言うとが遠慮するからだ。藤真はひとりで送っていきたいし花形はさっさと帰りたいのだが、高パンダ状態にあるは危なっかしいし、しかし他の部員が送るのではルーキーにして既にエースの風格漂う藤真が面白くないので、どうしてもこうなる。

「花形は頭いいんだろうけどなんか意地悪だよね」
「そんなことありませんよ。頭がいいことは否定しませんが」
「うううどうせ期末ボロボロだったもん……
「オレもそんなもんです。こいつがオーバースペックなだけですよ」
「ううう藤真はいい子だなあ」

この程度でもちょっと嬉しそうな藤真だが、こうした「いい子」は基本の前だけであり、本来的にはもう少し雑だ。をバス停まで送り届けたふたりは、買い食いをしながら寮へ帰っていく。

「てか面白いくらい先輩の耳には入らねえな」
「まあ、学年が違うからな。今年1年にマネージャーいないんだし、へのルートがない」
「1年だって運動部くらいしか浸透してない気がする」

ラブレターへの返信で疲れた藤真は、最近仲間たちに頼んで「噂」を流してもらっている。まずは「彼女出来たらしい」である。それがどこの誰かということは不明にするとして、まずはそんな噂が出たことで自身の周囲にどんな変化が出るのか見てみようと思ったのだ。

だが、それほど変化がないのが実情だ。というのも、がボロボロだったという期末もとっくに終わり、夏休みは目前、最初に噂がバラ撒かれた各種運動部はどこも忙しく、またテスト休みに突入したことでラブレターは激減、変化を見ようにも日々の方がイレギュラー状態だ。

このまま夏休みに入ればバスケット部はそれこそIHへ向けた準備で多忙を極める。見学者の方も声をかけるなと規制される時期なのだそうで、おそらくこの2ヶ月ほどの間藤真の手を煩わせてきたあれこれは沈静化の見通しだ。それに、合宿やIHでバスケット部は四六時中一緒の日々が始まる。

それを考えると藤真の頬は緩む。

「まあそうだな、半月以上寝てる時以外は一緒て感じになるもんな」
「オレ中学ん時は途中で息抜きの日があったけど、翔陽はどうなんだろうな」
……もう好きだって言えば?」
「なんだよ急に」

アイスクリームのコーンをかじっていた花形は、小さくなったコーンを口の中に押し込むと、低い声を出した。

「面倒なんだろ、色々。付き合っちゃえばいいじゃん」
……OKしてくれるとは限らないだろ」
「お前なら大丈夫だろ」
「そんなことはないと思うけど……フラれたらつらいし」
「フラれないと思うけどなあ」

花形はニヤニヤ笑いながらそう言うけれど、藤真はまったく信用していなかった。人は藤真の顔の造作の良さを理由に「女は絶対藤真に恋をする」という感覚でいるけれど、これでも藤真は中学時代ふたりの女の子にフラれている。それも友達が絶対大丈夫だと太鼓判を押したから告白したのに。

なぜフラれたか? ひとりは既に彼氏がいたのだ。藤真のことはすごくかっこいいと思うけど、彼を裏切るような真似はできないと即答された。誠実な女の子だった。だから好きだったのだ。

ひとりは悲しいかな、転校を控えていた。遠方への転居で、涙目になりながら喜んでくれて、だけど戻ることはないだろうから遠距離恋愛も出来ないと言われてしまった。それでも引っ越す直前にほんの数時間だけデートをして、別れ際にキスをした。それが藤真のファーストキスだった。

ふたりとも好きだったが「彼女」にはならなかった。この顔さえあればどんな相手でも彼女になってくれるというのは間違いだ、と藤真はいつも思っている。だからが顔の良し悪しで歓迎してくれるとは思えなかった。

それにもしこっぴどくフラれてしまったら、この先延々一緒にいなければならない部員同士、つらすぎるだろう。女子マネージャーが5人くらいいればまた話は別だが、残念なことに今年は募集すらもかけなかった。1年生はその理由を聞かされていないが、藤真がいたからだ。混乱とトラブルは避けたい。

昔のことを思い出して少し切なくなっていた藤真の隣で、花形もニヤリを引っ込める。

「オレがさっさと告白すればって言うのは、お前はその方が気持ちが上がるタイプだと思うからだ」
「だろうな。うつつを抜かしてサボるようなタイプじゃないのは確かだ」
「だろ。先輩の気持ちはともかく、その方が翔陽にとってはいいんじゃないかと思ってさ」

まだ1年生の1学期だが、途中で再起不能な怪我でもしない限り、藤真は引退するまで翔陽バスケット部の中心であり続けるだろう。それは真横で彼を見ている1年生が1番感じていることだ。それだけの技量もあるし、チームを預けるに値する胆力もあるし、それが彼女が出来ることでさらに増強されるなら、その方がいいのではと花形は考えたわけだ。

幸いは同じバスケット部内にいるわけだし、少なくとも本年度はマネージャーが増えることはなく、例え藤真と付き合うなんてことになってもギスギスする相手もいない。何なら付き合っていることは外部に漏らさないようにしておけば余計なトラブルもなかろう。

「まあ、バスケ部これだけ男がいて誰も先輩がいいって言い出さないんだから、まだいいかと思うのはわからないでもないけど。ただ、男はバスケ部の外にもいるわけだし、1年とは言え先輩でどう考えても先に卒業していくんだし、同じ大学に行こうね! なんていうのも現実的じゃないし」

だからさっさと告白しとけばいいのに、というのが花形の理屈だ。

「確かに今突然告白されたら『どうしたいきなり!?』とは思うだろうけども」
「オレがのこと好きだなんて、可能性すら考えたことないだろうな」
「少しアピールしとけよ。そしたら先輩の反応もわかるだろ」

その顔があれば彼女なんか5秒で出来るだろという意見には同意しかねるが、必死にアピールしないと意識してもらえないという経験もなかった。一応それは言ってはいけないだろうというストッパーが働いた藤真はしかし、それはいいかもしれない、と思い始めていた。幸い、1日中一緒にいられる夏休みはもう目の前。

少しだけ背中がぞくりと震えた藤真のうなじを、夏の風がそっと撫でていった。

夏休みに突入して2日目、早くも翔陽バスケット部は合宿に出立である。場所は箱根にある体育館が併設された多目的宿泊施設で、普段は企業の研修やカンヅメに利用されている。なので食事などのサービスは最低限、ほぼ山の中で敷地の外には何もなし、朝から晩まで練習してるか食事か寝てるかで8日間。

「去年は4人脱走したんだけど、そのまま自宅にたどり着いたのはひとりだけで」
……あとの3人はどうなったんですか」
「道に迷ってパニック起こして民家の庭先に侵入、通報、無事確保」

は淡々と話しているが、1年生は顔色が悪い。

「オンオフという意味でなら8日間オンのまま、って感じだから、ストレスもたまると思うんだよね」
「対策は取らないんですか」
「確保された3人が怯えてたから、監督と顧問が警察で怒られてた。怯えてたのは迷子のせいなんだけどね」

はニタニタと笑っているが、こんなに追い詰められるほどキツい練習を強制してたんですか、と厳しく問い詰められた監督と顧問の先生は大層冷や汗をかいたそうだ。強豪校の合宿としては平均的なはずだし、練習に熱心なタイプは気にしていないのだが、去年はそういうわけで運が悪かった。

「去年も休憩はちゃんといれてたけど、まあ、休みはないからね」
「だけど合宿ってそういうものですよね」
「難しいところだよね。なので一応今年はリタイアしてもいいことになってる」

と並んで歩く藤真の後ろにいた花形は深く頷いた。保護者向けの合宿に関する資料の中に、体調不良その他で帰宅の場合は必要なら迎えを要すること、途中帰宅は可能だが日割り返金はないこと、それによる退部の強要はなく継続は自由であること、が太字で書かれていた。

去年の件を受けて増えた記述だとは言う。おそらく脱走した上に退部もしないという部員はいないだろうけれど、リタイアは自由だけどお金は返らないよ、リタイアするやつなんか辞めろ、とも言わないからね、という但し書きだ。

「先輩は疲れました? 去年」
「私は平気。最初は疲れたけど練習終わったらすぐに部屋帰って寝られるし」
「あ、そうか、しかも先輩今年はひとり部屋だ」
「いいだろ~」

君らと違ってチャンネル争いもないし、風呂も好きな時に好きなだけ入れるんだぜ、と自慢げな、その部屋に泊まりたいというのが顔に出ている藤真、その真後ろにいた花形はほんの思いつきで低い声を出した。

「先輩~ひとりで大丈夫ですか~」
「えっ、何が?」
「先輩だけ部屋離れてますよね~怖くないんですか~」
……怖い!!!」

遥か頭上からそんな声が響いてきたは一瞬考えたのち、真剣な顔で叫んだ。去年はまだなんとか残っていたマネージャー3人と相部屋だったので楽しく過ごせたけれど、部屋風呂使用の有無などの事情もあって、女子部屋だけ毎年離れている。は思わず腰が引けて手を振り回した。

「どどどどうしよう私帰りたい」
「何言ってるんですか、IH対策チーム以外は先輩が見るんですよ?」
「そうだけどそんなの紙にでも書いておけば」
「部屋に入ったらベッドの下とか飾られている絵の裏とか確かめた方がいいかもしれませんね」
「なんで?」
「御札とか貼ってあったら嫌じゃないですか~」
「ヒッ」

花形の意地悪がとどめとなって、本格的にはすくみ上がり、それには怒りの表情を見せていた藤真だったが、本当に怖くなってしまったにしがみつかれると一瞬で顔が緩んだ。花形のさらに後ろからそれを見ていた高野永野、そして長谷川は笑いを堪えるので必死。

「大丈夫ですよ先輩、去年と同じ部屋なんでしょ。去年何かありました?」
「ううんないけど、だけどひとり怖い、帰る」
「眠くなるまで部屋の外でオレらと話してたらいいじゃないですか」
「怪談とかしましょうか、百物語」
「花形いい加減にしろ」

しかしそう言いつつ藤真は笑顔だ。ビビったがジャージの裾をガッチリ掴んで離さないので、そっと背中に手を添えてみる。は特に反応しない。嫌がる風でも照れるわけでもなく、まあ今は恐怖の方が勝っているんだろう、藤真に支えられたへっぴり腰のまま施設内に入っていった。

の部屋に泊まりたい……
「あの勢いだと歓迎してくれそうだな」
「だけどそんなことになったら何もしない自信がない」
「お前がお化け状態だな」

5人一組の各部屋にて荷物を置いたらさっそく体育館に集合である。早朝に出発してきているとは言え、もう昼が目の前なのでまずはミーティング、昼食と休憩ののちに練習開始だ。1年生1班はいつもの5人。藤真は荷物の中に顔を突っ込んでの部屋に行きたいとグズグズ言っている。

「だけど怖さのあまり冷静さを失って絆されるとかいうことも充分考えられる」
……そういうなし崩し的な展開でお前が本当にいいならいいんじゃないのか」
……よくないです」

女子に良からぬことをしたいのではなく、藤真の場合は普通に両思いになりたいのである。ビビるの恐怖心につけ込んでイチャついたところで、それは違う。花形の冷静な分析に藤真はジタバタと暴れる。

「だけどこっそり忍び込んで『何もしません、そばにいてあげます』とか言えば添い寝くらいはいけそうだな」
「添い寝……
「お前が添い寝で我慢出来ればの話だが」
「無理……

日々闘争心とともに心身を鍛えている精鋭たちである。勢い草食とは真逆の感性が育まれている。

「先輩の部屋だけポツンと離れてるのは事実だし、本人がいいなら協力しないこともないけど」
「バレたら大変なのと、拒否られたらアウト、ってくらいだもんな」
「バレるのはほんとにまずいだろ。先輩確実に辞めさせられるぞ」
「でも注意は受けなかった。おそらく誰もマネージャーの部屋に行こうなんて考えないんだろうな」
「藤真クラスの選手じゃなかったらどっちも辞めさせられるもんな」

花形と高野と永野の軽快なトークを藤真の目がキョロキョロと追う。リスクは高いがバレなければは歓迎してくれるかもしれないという期待でこちらも冷静さを失いかけている模様。その背後からそっと近付いた長谷川は、藤真の肩に手をかけてぼそりと呟く。

「先輩の部屋のドアの前に寝る、なら、問題なし」
「それでもいいような気がしてきた」
「誰もいない長い廊下にひとりだけど」
……怖い!!!」

長谷川はあまり表情がないので、どこまでが冗談なのかわかりづらい。花形たちはまた笑いを噛み殺しているけれど、藤真はなんだか疲れてしまって少し機嫌が悪かった。そして合宿なのだから余計なことを考えるなと自分に言い聞かせる。

「まあでも、好きな女がすぐそこでひとりで寝てると思うとなあ」
「うんうん、気持ちはわからんでもない。風呂上がりでタオル1枚かと思うとな」
「お前らあとで覚えとけよ……
「残念でした、お前はIH対策組、オレらは先輩と別メニュー」
「ずるいぞお前ら!!!」

IH対策チームはベンチ入りが予想される3~2年生が中心になって行われる練習であり、藤真は当然こちら。花形ももしかしたら、というところだが、今のところは選に漏れている。ので、が面倒を見る通常練習組。というかこの部屋で言えば藤真以外全員通常練習組だ。

ますますヘソを曲げる藤真を宥めすかしながら体育館に向かい、ミーティングを済ませた彼らは、昼食のために施設内の食堂へと移動する。施設内にはレストラン設備もあるけれど、合宿なので3食全員一緒である。さっそくに近寄っていった藤真は、さりげなく声をかけてみた。

「先輩、大丈夫ですか。怖くなかったでしょ」
「ううん、怖かった。やっぱり私帰るわ」
「ちょ、落ち着いて先輩、帰る前に監督に相談しましょう、ね?」
「監督は引き止めない気がする……
「だってじゃあ、IHも行かない気ですか?」
「IHはうち親が来るから、そっちに泊まる」
「まじすか」

は目が本気だ。もしここで本当に帰られてしまったら、1週間以上会えないことになる。藤真は焦る。

「それにもしこれで私がいなくても平気だってわかったら辞めてもいいかなって」

それだけはだめ!!!

「で、でも先輩、今辞めちゃったら内申におまけしてもらえないんじゃないですか?」
「うん、まあ、そうなんだけど」
「中学の時も部活途中で辞めたから今度は最後までやろうかなって言ってませんでした?」
「それもまあ、あるんだけど」
「てか今辞めちゃったら今年のIH見られませんよ。先輩、東桜好きでしょ」
「ま、まあね」

色々突っついてみる藤真だったが、はのらりくらりとはぐらかしている。元々友達同士お誘い合わせの上マネージャーになったはいいけれど、みんなボロボロと脱落していってしまい、だけが残った。それも部員と監督に辞めないでくれと泣きつかれたからだ。本人が強固な意志で続けているわけではない。

もうをこのバスケット部に繋ぎとめているものなど、今にも切れそうな細くて頼りない糸でしかない。藤真はそれを何とか探ろうとしているのだが、どうしても見えない。

……でも、私がいなくても、大丈夫だと思うんだよね」

いつものへらへらした様子ではなかった。少し俯いた横顔は暗く、藤真に甘えて試すようなことを言ってるようには見えなかった。強いて言えば、これなら誰も文句はないだろうという「言い訳」のように聞こえた。そんな匂いを嗅ぎ取った藤真は、つい口を滑らせた。

「大丈夫じゃないですよ、寂しいです」

彼の本音だった。それしかないのだ。もうそれしか、言えることもなかった。だがはひょいと顔を上げると、元ののんびりした顔に戻っていて、藤真の胸を騒がせる優しい微笑みを浮かべていた。

……じゃあ、残る」

という女子マネージャーは、うっかりミスも多く、たまに信じられない間違いもし、天然というにはあまりにフリーダムで、ほとんどの部員からは「バカ」扱いを受けている、そういう人物だ。だが、今彼女の口からこぼれた言葉はそんなイメージからは程遠く、儚げで淋しげで、そして少し哀しかった。

藤真は返す言葉に詰まり、すぐに元のへらへらしたマネージャーに戻るの隣で、俯いてしまった。

と一緒にいたい。マネージャーを辞めないでほしい。両思いになりたい。付き合いたい。だけど、はもしかしてオレたちの知らない何かを心の中に隠し持っているんだろうか。しかし、俯きながらも藤真には絶対的な自信があった。大丈夫、何が隠れていても構わない。

きっとどんなでも、オレは好きだから。