ぼくのかわいいひと

5

副主将が微妙に絡んできているのでは……と花形たちが懸念している頃、強烈なストレスに晒されて泣く羽目になった藤真はしかし、そのせいで開き直った。彼女がいる振りという姑息な手段に出たのは自分の方が先だし、ある意味では自業自得とも言える。それを好転させなければ、とスイッチが入った。

結局のところ、藤真の目的とは「と付き合うこと」であり、彼女が1学年上である以上は時間も限られる。のんびりしてないでさっさと告白しておけばよかったと今更ながら後悔したけれど、もしそれで早々にフラれていたら夏祭りはなかったかもしれない。過去を悔いても何も変わらない。

藤真は正々堂々告白して、その上でと付き合いたい――とはあまり思っていない。もしの方が藤真に対して好意的な感情がないのだとしたら、少々強引にでも好きになってもらう必要がある。一応夏祭りという実績があるので、嫌われてはいないはずだ。

ピンチはチャンス、劣勢を優勢にひっくり返すんだ!

少々バスケットのことと混同したが、つまり藤真はこの「付き合っている振り」を利用することに決めた。付き合っている振りはそもそも、かっこいいバスケット部のエースである藤真くんが女子に大変人気がありラブレターや出待ちが絶えないことに起因する。それを事前に諦めてもらうための方便だ。

つまり、翔陽校内はもちろん、出待ち勢にも「藤真くんはマネージャーと付き合っている」と認知されなければならない。それは声高に「僕たち付き合ってますよ」と言って回るなんていうことではマズい。普通のカップルはそんなことしません。じゃあどうすればいい?

「これまでだってしょっちゅう一緒に帰ってたじゃないですか」
「それはそうだけど……いいのかなあこれ……
「人目につかなきゃ意味がないですからね」

手始めに藤真はビクつくの手を取り、勝手に繋いでクラブ棟を出た。しっかり恋人繋ぎで腕も絡め、話しかける時は出来るだけ顔を落として近付けて。

まず最初にそれに驚いたのは部員たちだったが、基本的に彼らは藤真が1学期にバラ撒いた「彼女がいる振り」作戦を知っているので、なんだか噂が具体的になったし、マネージャーが果敢にもその「偽彼女」を演じているのだということはすぐに納得した。

それよりは事情をすべて知る親しい仲間たちの方が青い顔をしていた。お前この間ストレス溜まりすぎて泣いてたじゃねえか。どうすんだその密着具合。そしてちらちらと副主将の方を見ていたが、彼は頑張れと言いながらにこにこ笑っていた。やっぱりよくわからない。

というわけで花形の随伴はお役御免である。藤真ひとりがと手を繋いで翔陽を出て、最寄り駅のバス停まで送り届ける。これまでは別々だったけれど、朝練の時は駅で待ち合わせ、同様に朝練で賑わうクラブ棟の中を並んで歩いて行く。

がビビりつつも特に嫌がる様子がないので、3日もすると藤真は泣くほどストレスを溜めたこともすっかり忘れて状況を楽しみ始めた。何しろ人前ではイチャつき放題である。登下校だけでなく、昼休みにも藤真はを誘い出すようになった。部室でお昼を一緒に食べよう!

「まあそりゃ……マネージャーだから鍵持ってるけども」
「もっと早くこうすればよかった。静かでいいですね、ここ」

部室の奥のミーティングルームである。長机がコの字に並んでほとんど会議室だがソファセットもあるし、窓からは暖かい日差しが差し込むし、電気ポットはあるし自販は近いし、のんびりお弁当を食べるには最高だ。ちなみに寮生である藤真の弁当は前日の朝に予約をすることで作ってもらえる寮スタッフの手作りだ。

「だけどおかげさまで手紙とか激減しました」
「えっ、ほんと!? そうか、効果あるのか……
「ないと思ってたんですか?」
「去年の主将の彼女みたいに『あれには勝てない』ってタイプじゃないからさ」

そんなことないですよ、激減なんて言葉を使いましたけど、手紙も出待ちも現在ゼロです。誰も「あれには勝てそうだから彼女いてもアピる」とは思ってないってことだよ。は可愛いんだよ。

だが、手紙や出待ちがゼロになったと正直に言えば「付き合っている振り」を中止されてしまうかもしれない。それは困る。なのでどちらもたまにはあるのだという余地を残しておかねば。

というところの中間テストである。いくらIHに出場するほどの部でもテスト期間は部活禁止。自宅に帰ってから公園などで練習をすることは可能だが、赤点を出して補習を食らい、その間練習を休む羽目になれば選手としての評価を落とされる。練習時間をきちんと確保するためにも勉強は必要なのだ。

「1学期の期末、ボロボロだったんですよね?」
……疲れてたんだもん」

を部室に誘った藤真は学年が違うというのに一緒に勉強しましょうと言って並んで座っている。はふたりで部室にいることは慣れてきたようだが、机の上に突っ伏して教科書を眺めている。

「まだ2年だからいいけど、3年になったら大変ですね」
「まあ、補習にならなければ。途中退部しなければ内申おまけしてもらえるんだし」
「ああ、推薦でいけるかもって話ですか。いいんですかそれ」
「いいんじゃないの? 前にもあったみたいよ。上手くいけば3年の冬まで残れる」

そしたら受験しなくても進路確定! とはニヤニヤしている。

「特にバスケ部の進学が多い所は通してもらいやすいって話でさ」
「そしたら翔陽の先輩たちが多いところって場合もあるんですね」
「そうそう。知り合いが多いのはいいよね、不安がない」

藤真も内心ニヤついた。確定ではないけれど、おそらく自分には2年生の秋から冬あたりでスカウトが来るだろう。その頃は進路がほぼ確定になっているはずだ。何とかしてを関東一部リーグ常連チームを擁する大学に行かせれば……また一緒の学校に通えるかもしれない。

もしかしたら大学も一緒になれるかもしれないという希望で気持ちが大きくなった藤真は、部室を出ようとしたところでやはりどこかの部室で勉強をしていたらしい女子の視線を感じて足を止めた。数人のグループで運動部の部員なのだろうが、その中のひとりに覚えがある。夏休みに告白されたからだ。

彼女がいるらしいという例の偽噂を知らなかったらしい。すぐに好きな人がいるので、と断ったのに、彼女は食い下がった。彼女がいると言ってしまえばよかったのだが、時既に遅しで、好きな人に告白する予定がないなら私と付き合ってみてほしいと詰め寄られた。きっとその相手より私のこと好きになってもらえると思う。

確かにすらりと手足が長くて顔も小さくて濃いまつげに真っ黒で真っ直ぐな髪、ものすごく可愛い子だった。だが、極端な話、きれいな顔なら毎日鏡の中で見慣れているのだ。藤真の場合、特に「中身重視」で、それにはだいぶ厳しい査定を下す傾向があった。1番無理なタイプです。

その子が紛れていた。もうのことは聞き知っているだろうと思うが、どうにも不安がよぎった藤真は、荷物を抱えて部室を出てこようとするの肩をぐいっと引き寄せて、顔を近付けた。

「ふぁっ!? どうしたの藤――
「健司」
「え? あ、もしかしてあの子たち」

かすかに頷く藤真に気付くと、は腕を伸ばして自分も寄り添い、「付き合っている振り」を演じ始めた。

「怖かったんですよね……自分にしなよって言って聞かなくて」
「確かになんかひとりめちゃくちゃ可愛い子いるね。アイドルみたい」
「そーいうの興味ないんすよね」

口調だけは淡々と保ちながら、ふたりは背中に腕を回しあってべったりとくっついたままクラブ棟を行く。しかし女子グループもこれから下校のようで、藤真はこれ幸いにととべたべたしながら駅までの道をゆく。

くっついたり離れたり、手を繋いだり解いたりしながらふたりは駅に向かい、そのまま電車に乗り、同じ駅で降りていく。女子グループがずっと後ろを歩いているとは限らないというのに、藤真はバス停に送り届けるまでそのべたべたをやめなかった。

「改札まででよかったのに」
「大した距離でもないでしょ。ここの系統いつも人が少ないし」
「部活ない時くらい、少し休んでね。テスト前ってバランス崩す人多いから」
「大丈夫ですよ。先輩がバスで居眠りしてる間に寮に着きますから」
「ちょ、居眠りはしない、たぶん」

ロータリーを出てすぐの信号のところにが乗る系統のバスが見える。藤真の胸にじわりと寂しさが広がる。今日はたくさんべたべたしていたから余計だ。もっとずっとこうしていたいのに。誰も見ていないところでもべたべたしたいのに。べたべたっていうかイチャイチャっていうか、とにかくくっついていたい。

……なんか、本当に彼女できたみたい」
「なっ、何言ってんの、安上がりだなあ」
「暇、ないけど、彼女欲しいなあ」
「あはは、誰かと付き合ってみればいいのに」

思いつきで振ってみただけだったのだが、はなんだか動揺しているようだ。これはもしや付き合っている振りが効いてきたんだろうか。夏祭りのときのように腕を絡ませていたのだが、は逃げ腰になっている。

ロータリーにバスがゆっくりと入ってくる。駅が終点、そして始発なので、乗客が全て降りきったところで乗車ドアが開く。背後を行き過ぎる乗客が途切れ、ドアがプシューッと音を立てて開く。藤真は腕を緩めての背を押し出しつつ、顔を落として囁く。

「あれ? 今、付き合ってるんですよね?」
「えっ、それはほら――

真顔で驚くが顔を上げた瞬間、藤真は彼女の頬にチュッとキスをした。そして、呆然とするの背を押し出して乗車口に運び、バスの中に乗り込んだことを確認すると、サッと手を振ってそのまま立ち去った。

本当は唇にしたかった。ギリギリで思いとどまって頬にしたのはなぜだったんだろう。

驚いてはいたけれど、瞬間的に抵抗されたり罵倒されたりはしなかった。それはなぜだったんだろう。もうずっと花形たちには言われてきたことだけれど、好きでもない男と、くっついたり頬にキスされたり、普通はそんなの嫌だよな? いくら親しい後輩でも無理だよな?

ねえ、それはどういう意味?

頬にキスをしてしまった翌日、さすがに少々ビビっていた藤真だったがは変化なし。昼にまた部室へ行こうと誘う藤真にも不愉快な顔をすることはなく、まるで昨日のことなど忘れてしまったかのような態度。それはそれでつまらない藤真だったが、少なくとも嫌悪されていないことの証明にはなっただろう。

ピンチをチャンスに、この関係を嘘から出た真にしなくては、と躍起になっていたけれど、さしもの藤真もこれはいけるのでは……と思い始めた。手始めに部室でふたりきりでお昼を食べていたり勉強していたりする間にも少しずつ触れてみたり、距離を縮めたりしてみたけれど、は拒否を示さない。

多少はドギマギしているようだが、それは表に出すまいとしているようだ。

そういうが可愛いので、藤真の恋心はますます燃え盛るし、徐々に調子に乗り始めた。中間に突入しても相変わらず一緒に帰るし、その時に誰がいようがいまいが手は繋ぐし抱き寄せるし、キスは中々タイミングが掴めなかったけれど、はそうやって甘えてくる藤真をそのまま受け入れていた。

そんな日々が続いていた秋のことである。折しも文化祭シーズン、翔陽も週末2日間をかけて行う。初日は内覧のみ、翌日曜は広く来客を招くことになっているが、この初日の内覧日に生徒たちは毎年こっそりと、しかし大変盛り上がるイベントを仕込む。男女ミスコンである。

当然学校側は許可していない。だが、もう十数年もこっそり続いてきた恒例行事で、かつては印刷物でコソコソやっていたものが、近年ネットワーク環境が手軽になってきたこともあって、エントリーされた生徒の情報はネット経由で入手、のちに内覧日に投票という手順になっている。

まずは各クラスひとりずつ選出が行われ、そこからまずは学年予選で2名まで絞り込まれる。そして3学年6名で翔陽一の男女を決定しようという流れなのだが、最終エントリまでは写真部の部員が完全に取り仕切っているので、個人の好みで毎年エントリの傾向は異なる。

とはいえ今年の1年男子の部には当然藤真がエントリー、写真部の部員によれば「そこは確定、あと1枠を絞る予選だった」そうだし、既に校内人気の高さから言って、一般投票でも確実にトップに躍り出るだろうと誰もが考えていた。基本的にはルックスだけのコンテストだが、彼は何しろ他にも色々ハイスペックなので。

1年生がそんなイベントの存在を知るのは一般投票が始まってからである。なので、勝手にミスコンのエントリーに加えられてしまったと知った藤真は普通に怒った。参加しないという自由はないのか。

だがどちらにせよ3年生主導なのだし、いくら藤真がキィキィ怒ったところでエントリは取り下げてもらえなかったし、一般投票日である文化祭初日、B棟2階西階段の踊り場に貼られた文化祭のポスターは藤真への投票となる緑色の小さなシールであっという間に埋まった。

結果、異例の男子からも大人気状態で藤真はこの年の「ミスター翔陽」に輝いた。初日のタイムテーブルが終了した頃に生徒会室に連行された藤真は、この年の「ミス翔陽」だという2年生の女子と並んで写真を取らされた。が、当然不機嫌MAXで、笑顔を見せろという写真部の要請には一切応えず、仏頂面のままやり過ごした。

その上、写真撮影されている間に「ミス翔陽」さんから「と付き合ってるって本当なの?」と怪訝そうな顔をされてしまい、藤真の不機嫌は加速する。だったらなんだよ!? オレがと付き合ってたら何か問題あるのか! てか触んな!!!

そんな内輪受けのから騒ぎで藤真がストレスをためている頃、は階段の踊り場で緑のシールで埋まったポスターを見ていた。ポスターはほとんど緑で覆い尽くされ、数を数えるまでもなく藤真の優勝を伝えていた。そんなの背後から優しい声がして、彼女は振り返る。

「すごいよなあ。ここまで票が偏るのは珍しいんじゃないか」
……ほんとですね」
「最近は外でも声かけられること多くなってきたし、あいつ3年になったらどうなるんだろうな」

副主将、大地先輩であった。は小さく頷いてポスターを眺めている。

……どうだ、調子は。変わらないか」
「はい、大丈夫です」
……オレたちが引退したら、一緒に辞めるか?」

大丈夫だと答えたのに、副主将はそう言ってに並んだ。

「あはは、そしたら、受験しないといけないし」
……大学、どうしても行きたい理由があるわけじゃないだろ」
「そうなんですけどね。部活のせいに思われたくないから」
「まあ、気持ちはわからないでもないけど。オレはあの話マジだから、安心してていいよ」
……ありがとうございます」

そして、の肩にそっと触れた副主将は少し屈むと声を潜める。

「やっぱりやめた! って言い出しても、怒ったりしないから。自分で決めな」

立ち去る副主将に少し頭を下げると、はまたポスターに目をやる。藤真という後輩の男の子が、いかに愛されているのかをこれでもかと見せつけてくるポスター、そこには緑色のシールを貼らなかった。というか、投票すらしなかった。

けれどエントリを見て「投票しよう!」と考える生徒がこれだけいて、その殆どが藤真を選んだのだ。

今頃生徒会室で2年生の超美少女と並んで写真を撮られていることだろう。

少しだけ後ろ髪を引かれつつ、はポスターの前から離れていく。数百人の生徒から愛され求められている藤真、彼をあまりにも遠く感じた。部室で纏わりついてくる姿、それとポスターのシールの量が混ざり合わない。今日もまた、手を繋いで帰るんだろうか。

なぜ「ミス翔陽」さんでは、ないのだろうか。