ぼくのかわいいひと

1

「1年スタメンは実に6年ぶり! 毎年こうだといいのにねえ~」

クリップボードに挟まった紙をペラペラとめくり上げているは、間延びした声でそう言ってにんまりと笑った。彼女の所属する翔陽高校のバスケット部は今年、強力な新人を得たことで躍進が期待されている。

一応は3年次に中核を担う選手になることを期待されての推薦入学だったけれど、今でも充分主力として活躍できるだけの能力がある。中学3年の間に監督による視察があったとはいえ、彼は入部して一月半ほどの神奈川県予選では当然のようにスタメンに起用された。

それをマネージャーであるはにやにやと喜んでいるわけだが、そんな彼女の後頭部にビシリとペットボトルの先端がヒット。現在の主将である。もちろん3年生。

「毎年そうだとオレたち3年の立場がなくなりますが」
「それはしょうがないんじゃないですか~。海南だって同じこと言ってますよ」
「海南の話はするなっつってんだろ」

今度はの頬にペットボトルが刺さり、ぐりぐりとねじ込まれる。今年、県内のライバル校である海南大附属も即戦力な1年生を獲得していて、予選は早くも新人対決の様相を呈している。本来なら今年が本番である3年生、やっとチームの中心に近付いてきた2年生はそりゃあ面白くない。

「でもどうなのかな、うちの子たちはみんないい子だけど」
「試合にいい子も悪い子もねえだろ」
「ありますよー! 団体競技なんだから。先輩はそういうところ蔑ろにしすぎです」

主将のペットボトルを押し返したは、クリップボードの縁を喉元にぐいぐい押し当てて反撃している。

このマネージャーのは現在2年生。友達に誘われて入部したのにみんな辞めてしまい、自分も辞めようとしたら部員たちに泣きつかれて渋々マネージャーを続けているという、絶妙なさじ加減でやる気がない部員である。当然紅一点。今年はとある理由によりマネージャーの募集をかけていない。

やる気はあまりないのだが、ボンヤリしているわりにきっちりと仕事はこなすし、体力はあまりないようだが、自己管理が得意なのか、あまり体調も崩さないので重宝されている。監督からの信頼も厚い。そしてなぜ部員が泣きついたかと言えば、マネージャーとしてあまりに適性すぎる「お姉ちゃんタイプ」だったからだ。

姉御肌ではなく、お姉ちゃんタイプ。このあたり先輩でも関係なし。困っている部員たちを放っておけない、つい手を出してしまう、つい助けてしまう。社会に出た時に大変損をするタイプだが、現在のところはそれが大いに歓迎されている。何しろのバスケット部、大量の新入生が入ったので現在部員が100人越え。

これが夏休みにかけて徐々に減っていき、2学期末で3年生が引退すれば約半分にまで落ちる。そして春になるとまた3桁、というのが翔陽高校バスケット部の平均的な部員の推移だ。

「あれ? 今年の予選、ブロック抜けの試合って平日なんですね」
「はあ? そんなわけあるか」
「だってここ、ほら、水曜日」
………………さん、これ6月。ブロック戦は5月」
「あ――!」

はおでこにパチンと手のひらを叩きつける。彼女はこうした天然ボケ的ミスがとにかく多く、それが深刻な事態になることはまあないにせよ、重宝されている割にいじられキャラでもある。カレンダーを間違えて見ていたはまたペットボトルでぐりぐりやられている。

それを壁際のベンチに腰掛けて見ていたのは、今年の1年生数人。件の強力な新人を含む彼らは、ひとりを除いてなんとなく呆れ顔である。入部して早1ヶ月、マネージャーの先輩はよく働くけれどイマイチ先輩としての威厳がないので、敬う気になりづらいのが正直なところ。

「監督は困ったらマネージャーに言えって言うけど、言っても余計に困りそう」
「オレこの間2年の先輩に『出来ることはできるだけ自分でやろう』って言われた」
「先輩……この間オレの名前『まん』て読んでたんだよな……
「おい嘘だろマジかよ」

ブツクサ言っているのは1年生の花形透、高野昭一、永野満。はこの永野の名前を「まん」と読んでしまい、また先輩に突っ込まれて「あ――!」と仰け反っていた。特にこの中で言えば花形はバスケットのために翔陽に入ってきたオーバースペックな頭脳の持ち主なので、余計にバカに見えている。

だが、の方はそういう細かなミスや思い違いなどは「誰でもやっちゃうこと」として、あまり深刻に受け止めていない。その分、部員が何かやらかしても「ドンマイ、私よりマシ!」と言えるわけなのだが、まだ入部して日の浅い彼らにとっては、頼りにならなそうな先輩でしかない。約一名を除いて。

「藤真、いいのか本当に」
「しつこいな、いいんだってば」
「まあ、見た目は可愛い方かもしれんけど……
「そういうことじゃないから」

呆れ顔の仲間たちに突っつかれてそっぽを向いているのが、期待の新人で6年ぶりスタメン入りの1年生、藤真健司である。彼の場合下手すると先輩よりも上手いんじゃないかという噂が立つほどの選手なのだが、入部して数日、栄光の勝利よりも先に恋の花が咲いてしまった。に一目惚れしたのである。

これがマネージャーですと紹介されたまではよかったのだが、小さなダンボールに入った備品を抱えていたは「よろしくお願いします」と言いながら体を曲げて頭を下げ、そのまま抱えていたダンボールから備品を全部ブチ撒けた。笑いを堪える1年生、普通に爆笑してツッコミを入れる先輩たち、そして監督。

しかしは指を差されて笑われても平気でにこにこしている。この場には100人以上の男子生徒がいたわけだが、その中でひとり、藤真だけが彼女をかわいいと感じていた。

「まあダメな子ほど可愛いって言うしな」
「それは否定しない」
「それがいいってんだから歪んでるよな」

やがて藤真がに恋心を抱いていることは同学年には広く知られるようになったのだが、今のところ告白だのそういうつもりは彼にはない。何しろ予選は目の前だし、そうは言ってもまだ知り合って1ヶ月だし、他にをいいなと思っている部員はいないようだし、焦ることはない。

しかし、のんびり構えていた藤真は、バスケット以外の点で自分がどういう人間なのかということをとても過小評価しているところがあって、高校生初の試合となるブロック戦を経てそれを再認識させられる羽目になった。

「はい、今日のぶん」
「またですか……
「甘いな~。これずっと続くよ。うまくコントロールしていった方が何かと得だよ」

ブロック戦を無事に勝利で終えた翔陽は、今度はIH出場をかけた決勝のリーグ戦に挑むことになるのだが、それに向けて練習に精を出している藤真には毎日のようにラブレターが届くようになった。部室のポストにしょっちゅう入っている。それをに手渡されるというのも手伝って本人は不機嫌だ。

バスケット部期待の新人である藤真は、それだけでなく、人目を引く美少年でもあった。

「得ってどういう意味ですか」
「一番わかりやすいのはバレンタイン! たくさんもらえるよ」
「ああ、そういう……
「あとは日々のプレゼントなんかもさ、うまく自分の欲しいものに誘導するとか、本当にうらやましい……

ちょっとウットリし始めたを花形が鼻で笑っている。は物欲が強いことを隠さないタイプで、いつでもアレがほしいコレがほしいを連呼している。本人曰く、そう言いふらしておけば誰かがプレゼントしてくれるかもしれないとのことだが、やっぱりそれを可愛いと思うのは藤真だけで、他の部員たちはバカだなと思っている。

ちなみにこの、「みんな仲良く」がモットーだそうで、1年生がこうして不遜な態度で接しても怒らないばかりか、「そのくらいふてぶてしい方がいい」と満足げなので、1年生たちは友達付き合い感覚だ。

「春に卒業した先輩にもひとりすごくモテる人がいてね、彼は上手だったよ。さり気なく欲しいものを会話の中で漏らすんだけど、絶対安くて簡単に手に入るもので、しかも相手によって違うものをちゃんと言うの。で、もらったものはちゃんと覚えてて、この間あれくれた子だよねって言うの。おかげでみんな泥沼」

1年生だったが例によって物欲念仏を唱えていたところ、先輩はそれを取り巻きにちらりと漏らしてゲット、に贈ってくれたこともあるという。

「それってプレゼントくれた人に悪くないですか」
「ううん、私が欲しがってて、部員みんなで買ってあげようかって話になってるって言ったの、ちゃんと」
「それでくれるんですか」
「うん。先輩いわく、『嫉妬しない』アピールなんだってさ」

にそう聞かされた花形と高野は嫌そうな顔を隠しもしない。先輩もアピール女子もどっちもなんだか嫌な感じだ。そんなあしらい方、上手にできるようになんてなりたくない。

「それでなくてもバレンタインはチョコレートたくさん来るからね!」
……なんで先輩が嬉しそうなんすか」
「本命以外で大量にもらった分に関してはみんなで食べるから!」
「えー……
「最初はみんなそういう顔するんだよ。だけど見てな、当日、みんなで食べようってなるから」

腕組みでは鼻息が荒い。やっぱり花形たちは呆れ顔だが、藤真へのラブレター攻撃を見ていると本当にそうなってしまうような気もしてくる。に言わせれば、見た目より活躍してるかしてないかで数が違うし、かっこよくなくてもチョコは来るよ、とのこと。少し期待もしてしまう。

既に来年のバレンタインでウットリし始めているに、藤真がぼそりと声をかけた。

……先輩はチョコくれないんですか」
「そりゃあ自分のチョコ自分で食べるようなものだからね」
「今年は誰にもあげなかったんですか」
「お父さんにはあげたよ!」
……聞いてすいませんでした」
……そういうのが傷を抉るんだけどね」

藤真はニヤリと笑いつつ、それなら来年はからチョコもらいたい、なんとかしてもらえるようにしようと心に決めた。言われるまでもなく大量に届くチョコレートはみんなで食べればいい。だけど、のチョコはオレだけのもの。いや、むしろふたりで食べればいいんじゃないか。

さて、そういう風になるには、一体どうしたものか――

同学年の仲間たちはのことをバカだのなんだのと楽しそうに言うけれど、藤真にとって彼女はバカなのではなくて、忙しいあまりうっかりミスが多い、そしてそれがとても目立ってしまう、というだけの健気な女の子である。うっかりミスは人のせいにすることなく自分で片付けるし、愚かなのではなく、オッチョコチョイなだけだ。

マネージャー紹介で備品ブチ撒けをやらかした時は、単にそういうオッチョコチョイながとても愛らしく見えたのだ。その点は花形の言う「バカな子ほど可愛い」から遠からず。初対面から「自分は『出来る』人間なので見下さないように」という前提で来る女子が苦手な藤真の心にまず1本矢が刺さった。

さらに、入部したての1年生は何かとに世話になりつつ部に慣れていくことになるので、オッチョコチョイでも愚痴ひとつ言わず、言うとすれば物欲念仏くらいなもので、楽しくクラブ活動をしているがとても素敵な先輩だなと思うようになった。2本目。

そして、新入生がやっと部に慣れ、早くも脱落者が大量に出るゴールデンウィークには、毎年恒例の山トレーニングがある。部員同士の親睦を深めてチームワークの向上を図る目的と下半身強化の狙いがあるという、遊び要素はほぼゼロの課外練習だ。

このトレーニング、マネージャーはそれほど必要ないはずなのだが、は来る。なぜかと言えば、トレーニング帰りに温泉施設でリフレッシュというおまけがつくからだ。もちろん費用はバスケット部の潤沢な部費から出ているので、必要なのは交通費だけ。近場なので往復で1500円もあれば充分。

通称「金の山トレ」当日早朝、集合場所に現れたはトレッキングポールまで準備してニマニマしながら「今年は山ガール」と言いながら、ひとりのんびりとハイキングを楽しみ、初めての山トレでぐったりしている1年生をよそに、温泉施設では時間ギリギリまで出てこないというフリーダムっぷり。

その帰り道、分岐点になる駅で解散後、部員たちはそれぞれ自宅や寮の方向に合わせて分かれたのだが、は寮生である藤真たちと最寄り駅が同じなので、そのまま一緒に帰ることになった。ゴールデンウィークの午後、始発駅から乗り込んだ電車は空いていて、部員たちはそれぞれ好きなように座っていた。

この時1年生たちの目の前でが座席に腰を下ろしたのは偶然だったわけだが、藤真はこれ幸いとの隣に座り、また楽しそうにをいじっている花形たちとの間に入りながら、ちらちらとを見て彼も楽しんでいた。が、10分ほどでは船を漕ぎだし、そのまま藤真の肩にもたれて寝てしまった。

温泉でたっぷり温まったせいで頬と唇はピンク色、汗を流した肌はすべらかで、その上シャンプーだかボディーソープだかの優しくて甘い香りがふんわりと立ち上る。もたれかかるの腕はしなやかで柔らかく、緩く握り締められている手、指先も桜色で、藤真は目眩がしてきた。これで3本目。

この日は最終的にひとしずく涎を垂らしてしまったがために、また長くいじられるネタを提供する羽目になっただったが、藤真の中ではへの恋心が爆発炎上しており、しかもほぼ毎日練習で一緒だし、帰るのも同じ駅だし、朝練などでが出てきているのであれば、長い時は1日7時間ほど一緒にいることになる。火は鎮火させる理由もなく、燃料は尽きず、ただ関係性という点で進展がないだけの日々が続いていた。

急いで恋人同士にならないと誰かに取られる、という心配は今のところなかった。何しろそういういじられキャラのだったし、部員と言っても大量の男子だというのに、が好きだとか可愛いだとか、そんな話は出てこなかったし、焦ることはない。

予選も始まって練習はますます厳しくなっていくし、その分とは一緒にいる時間が長くなるし、藤真だけでなく、1年生は入部から2ヶ月ほどですっかり仲良しになってきた。の方も1年生は心が折れやすいからとしょっちゅう面倒を見てくれるので、先輩後輩としてなら、関係はだいぶ親密になってきていた。

だが、ゴールデンウィーク前後の練習試合、インターハイ予選のブロック戦、このあたりから藤真周辺は騒がしくなる一方だった。無理もない、ひとりだけ王子様みたいな顔をしているのだ。

既に190センチ突破してますという1年生がいる中ではまだ小柄な方だが、それを補って余りある活躍、だからと言って部員たちとギスギスするようなこともなく、どちらかと言えば男気があって勝負強いし、6年ぶりの1年生スタメンだが先輩たちにも可愛がられている。そういうチートくんだったのだ。

こそこそしているつもりのラブレター攻撃は決勝リーグの直前頃にピークを迎え、練習は見学者が大量に増え、校門前で他校の女子が待っているという事案も発生。試合に出れば握手を求められることも少なくない。

藤真は頭を抱えた。

「今年卒業したっていうモテる先輩はどうしてたんですか、こういうの」
「えーと、まず表向きメールしか使わないようにしてた。で、携帯苦手なんだって言いふらしてた」
「手紙はどうしてたんですか?」
「告白の返事を求めてるようなのはちゃんと断ってたよ。直接話す方が得意な人だったから」

他にも色々その先輩がどう女の子に対応していたかをは話してくれるのだが、そのどれもこれも、女の子のあしらいが上手でマメで気の利く先輩だったから出来たことのようだった。何かコツを掴めば全てに応用できるような、そんな都合のいい手段はなさそうだ。

「そんだけモテてたら付き合ったりとか難しそうですね」
「そうでもないよ」
「彼女って翔陽の生徒だったんですか?」
「ううん、彼氏」
「は?」

腕組みで質問をしていた花形の左肩が下がる。

「同じ寮生の先輩と付き合ってたんだよね。だからまったく問題なし。ずーっと一緒」
「も、もうカミングアウトしてるんですか……進歩的な方ですね……
「他の先輩たちいわく、1年の時からすーごく仲良かったんだって。だから全然違和感なかったって」

というわけで件の先輩は「彼女いるんですか?」という質問には堂々と「いないよ」と返し、3年間細々とした「欲しいもの」をたくさんプレゼントしてもらい、しかし誰ひとり女の子には向き合うことなく卒業していった。女の影がない安心安全なバスケット部のアイドルは今も翔陽女子の心の中で微笑んでいる。

「んー、確かにそういうファンの女の子の中のひとりと付き合うっていうのはリスクが高いよね……あっ! でも、去年の3年の主将、彼女いたんだけど、すっごい美少女だった! キャプテンも割とモテる方だったけど、まああれには勝てないよね~」

はけたけたと笑っているが、確かにそういう絶対的な存在感のある女の子でなければ、また自分で全て捌き切る技量もないとすれば、藤真のように騒がれている間に特定の彼女を作るのは危険が多いだろう。

しかしとにかくこのラブレターが面倒くさい。確かにいきなり連絡先教えてよ! と言いづらい相手とはいえ、部室のポストに名指しで投函されると受け取らざるをえない。中には純粋な応援メッセージだけという場合もあるけれど、7割方直接的な恋の告白であり、おそらく自分だけしか手紙を送っていないという認識で来ている。

今のところ、藤真はこれに全て返事を書くことで断りを入れている。

に頼んで一筆箋と封筒を用意してもらい、練習後に返事を書き、そのまま教室に届けに行く。部室のポストに投げ込めばいい藤真宛と違って、手紙を寄越す女の子たちはクラスしか書かない。返事は直接もらうつもりなのだろうか。そういう目立つことはしたくない藤真はロッカーに返事を挟み込んで終わりにする。

「藤真の返事ってあれ先輩が考えたんですよね?」
「自分で考えなよって言ったんだけど……
「オレはどう書けば彼女たちが傷つかずに済むかなんてわからないからな」

ラブレター攻撃の件で唯一藤真が得したことと言えば、この返事書きにが付き合ってくれたことだ。帰る駅が同じということも幸いして、同じ寮生の仲間たちも一緒だったけれど、部室で遊んでいる彼らと少し離れてテーブルで差し向かいになっているのは幸せだった。

今日もまた一筆箋に定型文をしたためながら、藤真はぼんやりと思う。彼女がいないなんて言ったことないんだけど、どうしてラブレターを送ってくるんだろう。もしオレに彼女がいたらどうするつもりなんだろう。彼女じゃなくても、好きな人がいるかもしれないとか、思わなかったんだろうか――

そしてはたと気付いて藤真は手を止めた。

彼女がいるということにしてみようか。そうしたらこのラブレター攻撃は止まらないだろうか。が言うような誰も文句が言えないような相手でなければ効果がないだろうか。試してみる価値はあるんじゃないだろうか。そう、まずは好きな人がいるくらいなら様子見にちょうどいいんじゃないだろうか。

よし、どうやってそれを漏らしていこうか――