ぼくのかわいいひと

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夏祭りに何があったかということは割と詳細に報告が行われた。が、それでも一緒に屋台で色々食べてたまに手を繋ぎ、ものすごく混んでいたから結果的にくっついて花火を見ることになった、というくらいで済ませた。藤真は以上です、と話を締めたが、仲間たちは無表情だ。

……それで何もせずに送って帰ってきたっての」
「そう」
「つまんねえ」
「何を期待してたんだ」
「木陰でヤッちまいましたくらいのことは期待してた」
「ベタ過ぎるだろそれ」

課題が終わらないせいで夏祭りに行かれなかった帰省しない組はそれでも、の言うように、こっそり屋上に出てみようと思ったそうだ。だが、翔陽の寮は5階建て、万が一羽ばたいてしまったら確実に天国行きになってしまうので施錠は厳重に施されており、出られなかった。つまり、面白くない。

その上と夏祭りデートを取り付けてきた藤真の報告はプラトニックすぎて刺激が足りない。

だが藤真の方はだいぶ自信がついて、お盆休み明け早々、クラブ棟で挨拶された同じクラスの女子に「夏祭りで見かけたけど、あれが彼女?」と聞かれて、そうだと答えてしまった。浴衣姿だったし、そもそもとは学年が違うので顔もわからず、マネージャーとは気付かれなかったようだが、とにかくそう言ってしまった。

夏休み前には彼女がいるふりをしていたし、それがと夏祭りに行ったことと結びつくのは当然だし、そうなればいいと思っていた。行く人がいなくて仕方なく後輩と出かけた、ただそれだけだというのに、あんなにくっついて花火を見たんだ。もう付き合ってるようなものだろ。

さすがに声をかけるのは憚られる、ということだっただけで、普通にとの夏祭りデートはたくさんの翔陽生に目撃されていて、甚兵衛の藤真が浴衣の子と手を繋いで歩いていた、どうもそれが彼女らしい、というトピックは夏休みの間に1年生の運動部員には広く知られることになった。

それがどうやら2年生のマネージャーだという話にまで拡大したのは新学期に入ってからだ。ただしこれに藤真や花形たちは関わっていない。勝手にそういう話になっていった。まあ、を知る2年生と1年生の間で情報共有があったのだろう。それもすぐに広まった。まさかの年上というセンセーショナルなトピックだ。

同学年の女子は面白くなかった。面白くなかったが、相手が先輩となると反発する気も失せる体育会系縦社会育ち、根も葉もない噂とともにしばらく話題になっていたけれど、やがて静かに沈静化していった。翔陽のアイドルは手近な年上と付き合うとかいう残念な感じでした。そんな陰口だけを残して。

しかしそれがの耳に入ることはなく、むしろ早くバレてほしい藤真はやきもきしていた。あんな風にべったりくっついて花火見たりしてましたからしょうがないですよね、オレは先輩が彼女でもいいんですけど。そんな風に持っていけたら。

だが、藤真の噂以上に残念ながら多忙なバスケット部、がそうした噂を耳にするとしたら毎日の休み時間くらいしか機会がなく、元々マネージャーを一緒にやっていた友人たちもと近いことがわかっているので、余計に噂の方が避けて通っていく状態。の耳に噂が入ることのないまま9月は過ぎていった。

10月の声を聞いたバスケット部は、国体が今年のIH予選で優勝したライバル校だけの出場だと耳にして、薄っすら腐っていた。優秀な選手を集めたチームを作って出場する都道府県もあるというのに。

夏が過ぎて秋が迫ってくると、否が応でも3年生の完全引退が見えてくる。泣いても笑っても年末の大会が最後、彼らが引退すると数カ月の間は2学年体制。改めて部内での戦力が分析され、評価も変わり、立場も変わる。もそこで最上級生マネージャーになる。

今でもチームの中心的役割を担う藤真はさらにその存在感を増すことになろう。

それを重荷や重責とは思わなかった。中学の時も2年生になった時点で部内で一番上手かったし、当然3年次は部長で主将だったし、それを負担に感じたことはなかった。ただそれでも中学と違って翔陽のバスケット部では舞台の規模が違う。一瞬の判断ミスによる失敗は中学時代よりも責任が大きい。

そういう道を歩いてくのだということには自覚があるし、もしかしたら初めてそれをつらく感じるかもしれない。だから、そうなる前にと特別な関係になりたかった。

さっさと彼女になってもらって甘えたい、ということではなくて、マネージャーと後輩ではなく特別な関係で責任ある立場を一緒に乗り越えたいと思ったのだ。それに、が「彼女」という立場で隣りにいてくれたら、それだけでもっと頑張れる気がした。自分のためにのために。目的も増える。

そんな10月の風の涼やかな日のことだった。練習が終わり、は部室を片付けていて、藤真はそれを目の端に止めながらゆっくり帰り支度をしていた。毎日とは行かないけれど、様子を見ながら出来るだけ一緒に部室を出るようにしている。どうせ降りる駅は同じだし、バス停まで送らなくても同じ道を帰ることになる。

だが、この日、藤真はロッカーエリアから出てきたところをに捕まり、ずるずるとミーティングルームに引きずり込まれた。ミーティングルームはドアもなく、ロッカーのある部屋とはざっくりと壁で仕切られているだけだが、部員がほとんど残っていないので目につかなくなる。

「どうしたんですか」
「しーっ! 今日マズいこと聞いちゃってさ、話しておこうと思って」

壁の影に藤真を引きずり込んだは人差し指を唇に当てて声を潜めた。

「夏祭りを誰かに見られてたみたいでさ、私と藤真が付き合ってることになっちゃってるって言うの」

やっとかよ。藤真はホッとして背中の緊張が緩む。それで?

「どこが噂の出処かわかんないんだけど、聞いたことある?」
「噂の出処っていうのはオレもちょっと――
「あ。だけど確か藤真、彼女いる振り、してるんだったよね?」
――はい?」

火のないところに噂は立たないし、事実にしませんか――という気になっていた藤真は柔らかい笑顔のまま固まった。確かに1学期末に彼女持ちだという噂を流してもらったことは事実だ。だけどはそれを知らないはずじゃなかったのか……

「え? それは副キャプに聞いた」
「そ、そうだったんですか……

今年の副主将は藤真以外では唯一をあからさまにからかったりしない人である。主将の方がバスケットのこと以外ではかなりいい加減な人なので余計に影のまとめ役であり、もし困ったことがあったら監督の前にか副主将、というくらいには頼られている人だ。だから確かに彼には噂の件を話した……けど!

「あれだけラブレターとか出待ちとかあると、そりゃしょうがないよね」
「え、ええまあ……
「だけどその『彼女』が私になっちゃってるんだよ! マズいよ!」

いや別にそれでいいんだけど――という言葉が喉元まで出かかった藤真だが、があまりにも真剣な顔をしているのでどうしても声にならず、言えなかった。出てこなかった。は真面目に、真剣に、後輩が厄介なことに巻き込まれていることを心配している。

「彼女がいる振りって、翔陽の子のつもりだったの?」
「い、いえそういう具体的なことは何も……
「そっかあ、裏目に出ちゃったんだね。どうしようか、彼女いないことにするのもマズいよね」

眉間に皺を寄せながら険しい顔をしているを見下ろしながら、藤真は体の真ん中に置いてある彼女への恋心が押し潰されて破裂してしまうような気がして、また喉が詰まった。それでいいのに、が彼女でいいのに、噂が本当になればいいのに。

そういう気持ちがぐちゃぐちゃに混ざりあって、喉元に引っかかっていた言葉が堰を切って出てきてしまった。

「だったら、このまま先輩が彼女ってことに、しといて、もらえないですか」

なんてそんなこと。なんでこんなこと。薄暗いミーティングルームで少し俯いた藤真は、息苦しくて指が手のひらに食い込むほど固く拳を握りしめる。なんで言わないんだよ、君が好きだって、本当に彼女になって欲しいって、大好きだって、可愛くて仕方ないって思ってるって、何で言わないんだよ。

だってしょうがないだろ、

「は? 何言ってんの~! それはマズいって!」

こんな風ににこにこ笑いながらこんなこと、言うから。オレが本気だなんて、思ってないんだよ。

……だけど、もう広まっちゃってる噂なら新しく訂正して回る方が手間です」
「うーん、それはそうなんだけど」
……出来たら、そう、お願いしたいんですけど、予選も、あるし」
「そっ、そうなんだよねえ……でもいいのかなあ……

マネージャーだし年上だし私じゃ藤真の彼女って説得力ないんじゃないの、とはブツブツ言っているが、藤真はぺしゃんこに潰れて壊れてしまいそうな恋心をなんとか守るために顔を上げて笑顔を作る。

「どうせ毎日一緒なんだし、駅も同じなんだし、何か不都合なこと、ありますか?」
「うーん、そう言われると……
「先輩、誰か、好きな人、いるんですか」

いないと知っているから、聞くのだ。そんな暇がないから。

「え、ちょ、それは聞かない約束」
「じゃあいいじゃないですか。よろしくお願いします」

燃え盛る恋心を冷たい理性でくるんで笑顔を顔に貼り付け、藤真は手を差し出した。それをすぐに握り返すほどには即断できないだったが、藤真はその手を勝手に取って握手をするとぶんぶんと振り回した。

「ということで明日から先輩、オレの彼女ですからね」
「そっ、そうなるの、か」
「だから外ではって呼びますよ。先輩もオレのこと名前で呼んで下さいね」
「うおお健司くんか、まじか」

突然名を呼ばれた藤真はまた体の真ん中を掴んでねじ切られるような錯覚を起こした。

それでも手の中にあるの手の暖かさにじわりと幸福感が広がる。が好きだ。が可愛くて仕方ない。の一番近くにいられるただひとりになりたかった。こんな歪んだ形でもそれは現実のものになろうとしていて、嬉しいのか悲しいのかよくわからない。

が好きだということしか、考えられなかった。

「バカじゃねーの?」
「バカだな」
「バカとしか……
「さすがに庇いきれない」

順に、高野花形永野、そして憐れみに満ちた長谷川である。藤真は寮の自室のベッドにうつ伏せになり、事の次第を全部ブチ撒けて普通に泣いているところである。悲しいとかつらいとかいう明確な感情以前に、ストレスがピークを超えたので目から出てきた。

「てかおかしいだろ、先輩がなんて言おうがそこは好きですって言うところだ」
「永野の言うとおりだ。なんでそこで『付き合ってる振り』に落ち着くんだよ」

永野と花形は割と真剣に憤慨している。

「どうするんだよ、これで余計にちゃんと付き合う方がますます遠のいたじゃないか」
「そりゃ暇がないのは事実だけど、本当に付き合ったって問題なかっただろ、同じ部なんだから」
「こんなことずっと続けるのかよ。どうあがいても先輩の方が先に卒業するんだぞ」

高野まで乗っかって藤真を叱責するので、長谷川がよしよしと頭を撫でてやる。余計に泣き出した。

「藤真、なんでこんなつらいこと自分から提案しちゃったんだよ」
「あのな、お前らは絶対大丈夫だって言うけど、そんなの信用なんないからな」
「そりゃそれとなく聞いてみたことはないけど、夏祭り、イチャついてたじゃないか」
「あんなの、向こうはイチャついたうちに入ってないんだ、どうせ」
「そうなのかなあ……。少しお前のいないところで聞いてみればよかったな」

バカだバカだと連呼する花形たちとの間に入った長谷川はゆっくりと語りかける。藤真は完全に後悔先に立たずであり、もはや後の祭りであり、仲間たちがしてやれることはあまりなさそうだ。それ以前に予選を控えているのだし、こんなことでグズグズ言っていられる余裕はないのである。

とはいえ、もはや藤真なしでは戦力がガタ落ちの翔陽、ここでこの件を引きずってほしくないのが正直なところだ。今は成り行きに抗えずにおかしな結果になってしまったことでストレス過剰になっているが、なんとか軌道修正して浮上してもらい、の誤解も解いて出来れば本当に恋人同士になってもらえたら言うことはない。

藤真の部屋を出た4人は自分の部屋に帰る間にコソコソと顔を寄せ合った。

「オレ女じゃねえからわかんねえけど、完全NGの男とくっついて花火見るか?」
「どう考えても見ねえだろうな」
「1番ありそうなのは年下だっていうせいで男だと思われてない説。可愛い顔した弟」
「そっちだったらもうどうしようもねえな」

何しろ親しげでも先輩、がどんな風に考えているのか、彼らもさっぱりわからない。かといってラブレターや出待ちが困るのでという大義名分付きの付き合っている振りを一体どう修正していけばいいものやら。

「実際あの先輩ってにこにこしててバカっぽく見えるけど、なんか読めないとこあるよな」
「あれだろ、マネージャー続ける理由がないっていう」
「そう。でもまあそれも全部、後輩だからわざわざ話さないっていうのが妥当だよな」
「どうせ付き合ってる振りは公になっていくだろうし、少しずつ聞き出さないとな……

入部から半年が過ぎて初めて彼らはという先輩が「バカっぽい」という理由で「何も考えていない人」だと思っていたことに気付いた。だが、何も考えていないにしては行動が読めないし、それでは藤真の件を手助けしてやりたくても手も足も出ない。

そんな話でボソボソと喋っていた花形は、長谷川が黙っていることに気付いて顔を上げた。

「どうした一志」
「いや、ちょっと気になって。なんで先輩に噂のこと話したんだろうって」

花形たちはその言葉にはたと止まる。副主将のことだ。確かに、ちゃらんぽらんな主将ではなく、きちんと部内のことを把握している副主将に事の経緯を雑談混じりで話したのは事実だ。だがそれをマネージャーに伝える必要はあっただろうか。当時は大して効果のない姑息な策だったというのに。

……一志、何考えてる?」
「3つ。まず、全部気のせい。次が先輩も藤真が好きだって可能性。だから教えてあげた」
「そのふたつなら何の問題もないけど……もうひとつは?」
……大地先輩も、実は先輩が好きだった可能性。だから敢えて言ってみた」

大地先輩は副主将の名である。その名の通り安定感と包容力は部内イチであり、後輩たちからも大いに慕われている先輩だ。のこともわざわざからかったりしない――ので長谷川にそう言われた花形と高野と永野は途端に難しい顔をした。

「そういえばあのふたりって……仲いいっていうか、よく一緒にいるよな」
「てっきり主将がアレだから副主将とマネージャーが話すことになってるのかと……
「だけど大地先輩、夏祭りの時ここにいたぞ。自分の課題は終わってたけど、みんなの手伝ってたじゃないか」
「もし先輩のことが好きなら誘う……よな普通。先輩行きたがってたんだし」

主将の方がちょっとアレ、ということで勢い副主将とマネージャーは監督を挟んでしょっちゅうミーティングを行っているし、それを離れても話していることは多い。だが、例によって忙しい翔陽バスケット部、ふたりが一緒に出かけているという話は聞かないし、実際時間もない。根拠には乏しい。

「大地先輩も藤真みたいに思ってる、とは思えないけど、可能性はゼロじゃない感じだな」
「年末で引退するとは言え、それも厄介だな」
「何言ってんだよ、引退をきっかけにってこともありえるだろ」
……先に卒業していく方は進路も決まってるから後を追いやすいしな」

4人は思わず揃って腕組みで唸った。だがそれも少しずつ確かめていくしか術がない。

「よし、だけとこの件はここだけの話にしよう。あとはまた様子を見ながら」

花形のまとめに高野と永野と長谷川はしっかりと頷いた。