ラッシュ&ライオット

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「はあ、うちのマネージャーが」
「かわいいマネージャーさんですよね」
「で、そのバカふたりは何をしようってんだ」
「牧さんがマネージャーさんをどう思ってるか、聞き出そうと」

合宿2日目の朝、6時起床6時半から練習開始8時半朝食というスケジュールの中、名実ともに神奈川を背負っている状態のキングオブ神奈川・牧はバカふたり――もとい神と藤真の妙なコンビの報告を受けてしかめっ面でがっくりと肩を落とした。何の合宿だと思ってんだ。

にんまりと楽しそうな笑顔でそれを報告しているのは、数少ない2年生である陵南の仙道であった。彼は普段髪をツンツン逆立てているのだが、風呂に入った後でそのツンツンがなくなっていたため、神も藤真も彼が潜んでいることに気付かなかった。

「情けない……遊んでる場合か。てかそのが初日からどれだけ忙しかったと思ってるんだ」
「だけど彼女ずっと牧さんのジャージ着てるじゃないですか。そりゃ嫉妬しちゃいますよね」
「そっ、それはまあ、そうだろうけども」

神の見当違いな焦りをよそに、まったくそんなつもりのなかった牧はうーんと腕を組む。そういう意味なら確かに大変思わせぶりで嫉妬を掻き立てる行為だった気がしないでもない。

「実際どーなんすか?」
「どうもこうも、マネージャーだぞ。ひとり男子に比べて身体的に不利な中でハードな部活をやってるのは事実だから、そういう意味ではまあ、意識して気を使ってるところがあるのは認めるけど、でも他意はないぞ。後輩って意味でならオレは性別で差別するつもりはないし」

牧は至極真面目に答えたのだが、仙道はアハハと笑う。

「後輩を性別で差別しないとかサラっと出てくる牧さんマジウケるー。堅ってえすねー」
「お前も何なんだ」
「いや、ラウンジでのんびりしてたら面白いことコソコソやってる人がいたから便乗しただけです」
「どいつもこいつも……

代表チームの主将だからという理由で、牧は合宿に入る前から度々監督ふたりの楽しそうな戦略会議に参加させられてきた。最近はそこにも投入されてマネージャーとしての役割の範囲を大いに逸脱したことをやらされていて、それなのに国体と無関係なことで騒いでいるなど、呆れるし情けないしで牧はまた肩を落とす。

……お前もIH逃した以上はちゃんと活躍したいと思ってるだろ?」
「そりゃまあ、ありがたいとは思いますけど」
「湘北の三井もそうだ。あいつ推薦欲しくて異様に気合入ってる」
「神はまだ2年だし藤真さんはとっくに推薦決まってるし」
「つまり、そういう余裕の上にあぐらをかいて国体に関係ないことにかまけてる」

一応神も藤真も自由時間にしかコソコソしていないのだが、普段よりだいぶ多めに選手としての役割以上のものを背負わされている牧は面白くないんだろう。オレももあれこれ忙しくしながら頑張ってんのに何やってんだあいつらは!

「だいたい藤真は何だってそんなことに首を突っ込んだんだ」
「オレもそういうタイプの人じゃないと思ってました」
「あのバカ、背番号のことまだ根に持ってんじゃないだろうな」

ふと思いついて額に青筋が浮きかけた牧に、仙道はまたアハハと笑う。

「そういやブツブツ言ってましたねえ」
……そりゃまあ去年のことと言い、不運が続いたことは同情するけど」
……けど?」
「オレに当たるなよ!」
「ですよねー!」

仙道は大笑いだ。

監督ふたりは合同練習や合宿などを経て変動があるとしながらも、こりゃ事前にだいぶ揉めた末に出た結論だな? という順序の、代表のナンバリングを発表している。それで言うところの牧は当然トップ、背番号で言えば4番の1番目。仙道は7番で4番目、神も6番で3番目。で、藤真は9番で6番目である。

これに「夏の成績」という実績が大いに関係しているのは明らかで、予選敗退している翔陽からの招集である藤真がこの位置になってしまうのは至極当然のことと言えるが、何しろ自分の前に2年生が3人もいて、ライバルのはずの牧は彼方遠くトップにいる。

「練習も試合も真剣だろうけど、藤真さんは国体で躍起になる必要ないですしねー」
「決勝リーグに進んだのに誰ひとり呼ばれなかった武里の身にもなれっていうんだよ」
「なんかアレすね、逆に藤真さんの方が楽しんでる感じがする」

牧は頭を抱えた。あの野郎、無責任で構わない立場だからってエンジョイしやがって。

「てかもしホントに聞きに来たらどうするんすかー」
……正直に答えてやるのも癪だな」
「あははーいいですねそれー」

前日の低気温の余韻が残る寒々しい箱根の山中、たっぷり厚着をしている監督ふたりの指示で選手たちはランニングに出る。苦虫を噛み潰した顔で走り出した牧の向こう、代表たちの一角では暗い顔の神と取り澄ました顔の藤真も走り始めていた。

「朝から見たくなかった……
「大して防寒になんかならないのになー」
「さっき宮城に『MVP勝負しようぜ』とか言われて喜んでたし」

その胸に燦然と輝くキングオブ神奈川・帝王認定マークを抱いたはふざけて帝王とかMVPと言われると異様に喜ぶ。バスケットは好きだが自身は平均的な運動能力しかないらしいなので、高校トップクラスのプレイヤー感覚を得られて嬉しいのかもしれないが、それにしても。

藤真の言うように牧ジャージ1枚着たところで大した防寒にはならない。確かに私服の上にはジャージ着用が課せられているが、自分のジャージを羽織ればいいことだ。洗って返す時間がないのもわかるが、別に素肌に着て大汗かいたわけでなし、女の子が羽織ってたくらい、そのまま返せばいいじゃないかと神は悶々としている。

……まあ、その妄想はわからないでもない」
「考え読むのやめて下さい」
「読んでない。誰でも考えるだろそんなこと。たぶんないぞ。ただでさえ洗えないのに」
「洗えないからいいか、って思ってたらどうするんですか」

神のネガティブな妄想、それは「まさかあのジャージ着て寝たりしてないよな」である。

「てか本当に着て寝てたら今着てないと思うけど」
「そっ、そうですかね」
「てかさ、もしオレと赤木と仙道がジャージ貸したらどういう反応するかな」

赤木は湘北の引退した元主将、仙道は現主将。なぜ湘北の現主将である宮城ではないのか、なぜ陵南の元主将魚住ではないのかという点に引っかかる余裕もない神はしかし、言われると気になって顔を上げた。もしが神奈川のトッププレイヤーなら誰でもいいのであれば、喜ぶはずだ。

「目立つ選手の方がいいなら流川の方がいいのか?」
「今年ベスト5入ってますしね」
「それは一旦忘れろ」

本年度インターハイ予選におけるベスト5は牧、神、赤木、流川、そして仙道である。当然予選の予選を突破できなかった藤真は入っていない。神は入っているが藤真は入っていない。それは忘れなければならない。

「まさか顔の良し悪しじゃないだろうしな」
「これという外見の好みはないらしいんです」
「そりゃまた面倒だな」
「面倒ですよね」

人を外見で推し量らないのは大変良いことだが、この場合は大変よろしくない。というかこのふたり、外見で言うならかなりいい方に入る。特に藤真は代表の中では1番女性好きされそうな、整って中性的で甘すぎずキツすぎずの小奇麗な顔をしている。神も少々可愛さがあるが、だいぶ整った容貌をしている。

それが武器にならないのだから、それはもう面倒くさい。

「壁に押し付けてオレ様なこと言えばコロッと落ちる子なら楽なんだけどな」
「でもそういう子だったらオレ好きにならなかったと思います」
「だろうな。だから面倒なんだよ」

ぐうの音も出ない。

遡ること1年前、体調不良で臥せっていた神はホテルのベッドでだいぶ腐っていた。翌年は自分が出場するのだと心に決めているというのに、ろくに試合の観戦もできず、その上ひとりしかいないマネージャーを引き止めてしまった。選手のケアもマネージャーの役割とわかっていても、仕事を増やしてしまったようで申し訳なかった。

しかしは体調不良に苦言を言うわけでもなく、そのせいで自身が所属しているチームの試合も見られないというのに、愚痴ひとつ言わず、具合悪くて寝てるだけだと暇だよね、と腐るばかりの神の相手をずっとしてくれた。そして「来年は試合に出てる神を見たいなあ」と言ってくれた。

「頭の中でゴーン、と鐘が鳴った感じがしたんですよね」
「お前けっこう単純なんだな」
「なんとでも言って下さい。地獄の始まりを告げる鐘の音だったんですから」

一応先輩だし、敬う気持ちがゼロではないものの、神はだいぶ藤真に対する警戒が解けてきていて、ふん、と鼻を鳴らした。こういう地獄、藤真さんはわかんないでしょうけど!

……って藤真さんは彼女いるんですか」
「恋は幸せなものとか言うけどあんなの嘘だよな」
「いないんですね」
「湘北も女子マネいるらしいけど、そもそもその習慣自体がどうなんだろうな」
「嘘でしょ、3年間彼女いなかったんですか」

驚愕に丸い目をさらに丸くした神に、藤真は速度を落としてからの助走をつけて蹴りを入れた。彼女いなかったら何か悪いのかよ! だいたい練習と学校と睡眠で24時間なんて終わるのに、そこで揉めに揉めて恋愛また恋愛なんてどうやってやるんだよ! オレビッチ嫌いなんだよ!

「藤真さんですら彼女いないって……だったらオレなんかもっと無理じゃないですか」
「それは何を基準にしてんだ」
「オレはてっきりエースの権限で部室に女の子を取っ替え引っ替え連れ込んでるんだとばかり」
「お前顔の形変えてやろうか?」

そうは言うが、藤真の女子人気は学校が違ってもわかることであり、人気があるがゆえに逆に特定の人物と距離を縮められなかったんだな、ということは容易に想像がつく。それでも藤真のスペックを持ってしても彼女なしでは、ますます神は絶望に陥る。

「試合の時はそんなことないのに、あの子のこととなるとお前ほんとネガティブだよな」
「恋とはそういうものです」

上から目線に聞こえたか、また藤真に蹴られた神は、ランニングの折り返し地点で休憩がてらみんながこだまを試そうとして山の向こうに叫んでいるのに紛れてこっそり叫んだ。

「好きだあああ!!!」

さてその夜、とのお勉強タイムである。しかしそこにはいっそ清々しいほど先輩面した藤真が待っていた。というか彼は昨日もラウンジで寛いでいたわけだが、今日は対ネガティブの癖が抜けない神をサポートしようと思ったか、堂々と顔を出した。

「あ、お疲れ様です」
「こんなところでまで勉強? 偉いね」
「だいぶ授業が削られちゃうので……中間が危険なんです」

わざとらしく微笑むでなく、距離を縮めて圧迫するでなく、藤真はさりげなくテーブルに付く。神の方は少々戸惑いを隠せていなかったけれど、は気にしていない様子だ。やっぱりそれは藤真が「先輩」だからなのだろうか。神の対思考はとことんネガティブだ。

「マネージャーっていうけど、場合によっちゃ部の中で一番忙しいんじゃないのか」
「そうですね、そういう時もあります。今もそうだし」
「しかも紅一点、て傍から見るとすごく危険な匂いがするけど」
「あはは、それは大丈夫ですよ。海南て伝統的にトップが紳士的なんです」

神と藤真の間にピリッと電気が走る。そうですね、今年のトップは名前からして「紳一」だしね。

「清田の代はちょっと心配だけど、来年は神だからこれも絶対心配ないし」
……へえ、紳士なのこいつ」
「そりゃもう。同学年に神がいてくれなかったら辞めてたかもしれないです」

一転、神と藤真は「エッ」と背筋を伸ばす。あれ? なんか話違うじゃないか。

「藤真さんの言う危険な匂いって女性に対する暴行的なことですよね? だけどそっちよりも実はセクハラ、性差別的な方が問題だったりするんです、女子マネって。海南だけかもしれないですけど。男子運動部の女子マネージャーは定期的に話し合いをしてるんですが、まだなくならないんですよ、そういうの。でもうちは今のところは牧さんが厳しいからっていうのもありますけど、だいたいそういうことからは神が盾になってくれるというか、守ってくれるので、実害がないんです。同学年は1番友達感覚になるから、怖いんですよね、色々」

実に無邪気な笑顔では「ねっ」と神を見上げるが、ごめんなさい、こんな時どういう顔をすればいいのかわからないの、という状態だ。笑えばいいと思うが、笑うに笑えない。一度頬の筋肉が緩んだら元に戻らない気がしてしまう。結果、苦笑いだ。藤真も若干苦笑いだ。

1時間後。

「エンダァァァ」
「やめてください顔から火が出る」
「イヤァァァ」
「やばいどうしよう今日寝られないかも」

藤真を交えて勉強していたら件の「うちのメガネ」が通りかかったので、神とは「本当はバスケットより勉強の方が得意」という聞き捨てならないことを平気で言い放つ花形に見てもらって効率よく勉強を終えた。また藤真が売店が閉まる前に買いに行ってくれたのでは甘味で気も緩み、ゆったりと自室へ帰っていった。

なので神は遠慮なくラウンジのソファにひっくり返ってジタバタしているというわけだ。

「君のためなら死ねる勢いだな」
「あ、それ別に大袈裟じゃないです死ねます」
「お前気をつけないとストーカーになるぞ」
「大丈夫です。オレの方向はそっちじゃないです」
「じゃあどっちだよ」
「俺の嫁、もはや神」
「神はお前だろうが」
「神……いい響きですね……

ソファの上に立てた膝を抱く神は、腕に顔をうずめてニヤニヤしている。点数稼ぎのためにやりたくもないナイトを演じていたわけではないので、思わぬからの信頼に満ちた言葉に打ちのめされてデレデレだ。この世のどんな苦しみ悲しみからでも僕が守ってあげる。君の笑顔のためなら僕は死ねる。

「あの様子ならもう少し押せばいけるんじゃないか?」
「まじですかーまじですかー」
「だってそうだろ、リスクは承知してるけどお前が守ってくれるから平気、なんて」
「でででですよね」
「普通に牧を差し置いてお前の話になったじゃないか」
「ですよねですよね」

藤真はこんなにあっさり話が進んでしまうとそれはそれで面白くない、という顔をしていたけれど、頬を染めて目尻が下がる神は見ていない。牧がいるから大丈夫、ではなかったのだ。が頼りにしてるのはオレ、と思っていいんじゃないだろうか。

そういうフワフワした気持ちで一晩過ごし、その余韻に浸っていた神は、清々しい3日目の朝を迎え、思い出すだけでも頬が緩むラウンジに差し掛かると、と行き会った。おはようハニー! 今日もかわいいね!

しかし愛しのハニーはまだ寒いので牧ジャージ、そして萌え袖でにこにこしながら言う。

「だけどさー、やっぱ藤真さんて近くで見るとかっこいいよね~。あんな美形でバスケも上手とかなんか羨ましい。てかそう、花形さんも想像以上に優しくて私どうしようかと! 翔陽ずるくない!?」

が立ち去ったラウンジにひとり色を失って佇む神がひとり。その後ろから眠そうな藤真がのろのろと歩いてやって来た。寝癖がちょっとついている。

「うぃーす、はよー」

すると神は、優しげな笑顔を顔にぺったり貼り付け、ギギギとぎこちなく振り返った。

「私が死んでも代わりはいるもの」
「どうした!?」