ラッシュ&ライオット

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大変よくある話と片付けてしまうには、神宗一郎の片思いはだいぶ重症であった。

恋心のかたちは人それぞれ、決まった姿があるわけではないけれど、毎日部活に夢中で、勉強も頑張っているというかなり忙しい高校生にしては情熱的と言おうか、大袈裟と言おうか、周りが見えなくなっていると言おうか、とにかくちょっと珍しいほどに神は熱烈な恋をしていた。

相手は同学年のマネージャーである

高校に入り、バスケット部で知り合ってからの仲だが、このバスケット部というのが少々特殊で、神奈川県における高校バスケットの頂点に君臨すること実に十数年、方々から優秀な選手を集めたチームが日々厳しい練習に精を出している。神はその一員で、への片思いはそろそろ1年近くになる。

このというのがまたバスケット強豪校である海南大附属高校のマネージャーとしては非常に有能で、監督はもとより、上級生下級生の別なく信頼されるマネージャーなのであるが、神が恋に落ちたのにはあるきっかけがあった。

遡ること約1年前、夏休みのバスケット部は合宿からインターハイで3週間近く自宅、または寮を離れるという生活を送っていた。当時1年生の神はインターハイ4日目の夜に突然熱を出し、その頃はまだベンチにすら入れない選手であった彼はホテルに置いていかれる羽目になった。

その際、は熱を出した4日目の夜から、症状が落ち着いてきた6日目の朝までつきっきりで面倒を見てくれた。最初は知り合って半年ほどの同い年の女子とずっと一緒ということに気恥ずかしさがあったのだが、6日目の朝、熱が下がった代わりに恋の炎が燃え上がってしまったというわけだ。

しかし部活は遊びではないのである。

部内恋愛禁止などというルールはないけれど、告白して玉砕したら向こう1年以上が大変気まずい。そしてそれがもし公になってしまったら、その気まずさを部内にバラ撒くことになってしまう。それはマズい。

しかし神は最近少々我慢がならないのである。

なぜかと言えばそのが、いわゆる「先輩っ子」なのである。マネージャーの役割としてやむを得ないという事情はあるのだが、入部直後からふるいにかけられる部員たちと違い、マネージャーであるはすぐに中心的存在の部員たちと近い関係になる。同学年より先に先輩と親しくなるのだ。

それでも2学年上の先輩たちには遠慮が残るし、つまりは入部以降1学年上の先輩に大変懐き、慕い、そういう経緯を経て、今年2年生である彼女は「監督や3年生に指示をもらい、1~2年生にそれを下す」役割であるがために、同学年ではなく、いつも3年生と一緒にいる。

監督が大雑把に「2年生集合~」と声をかけても、は来ない。そういう状況だ。

さらに、今年の3年生には飛び抜けてバスケットの技量に優れ、またその老成したカリスマ性で後輩たちからは絶対的な信頼と尊敬を寄せられるという主将がおり、のみならず彼はオフコートでは温厚で真面目、紅一点であるマネージャーには一貫して紳士的というふざけた人物なので、が慕いまくっている。

そりゃあもう神は面白くないのである。

そういう作り物じみた先輩であるから、プレイヤーとしては神も尊敬しているし憧れもあるし、彼が主将の時代に部員でいられてよかったと思うこともある。だが、それとのことはまったく別の話だ。

その上その主将だけでなく、3年生の先輩たちとは押し並べて仲がいいし、の方が慕っているし、神奈川の最高峰であるこのチームには誇りを持っていても、のことはまったく面白くないのである。

さて、そんな神は2度目のインターハイを全試合出場という形で終え、今年は体調不良もなく無事に神奈川に帰ってきた。あと一歩のところで優勝を逃すという結果には納得していないが、過去のことをグズグズ言ってる暇があったら練習するのが海南流でもある。

夏のインターハイが終わると、今度はそう時間を置かずして国体、というのが海南では恒例となっている。インターハイ同様ここ十数年というもの、国体はいつも海南が神奈川代表となって出場している。寄せ集めのチームを作らなくても、海南だけで充分強かったからだ。

しかしどうやら今年は少し事情が変わりそうだ……という噂が舞い込んできたのは、お盆休み明けの練習の最中だった。お盆休み中に同じ神奈川の強豪校である陵南高校の監督と我らが海南の監督が、喫茶店で顔を突き合わせてあーでもないこーでもないと話していたのを目撃した部員がいたのだ。

この監督ふたり、どちらも神奈川出身で年も1歳しか変わらず、高校生の頃から面識があるという関係。それがきっかけとなったかどうかはわからないが、とにかくそういう旧知の仲であるふたりが険しい顔をして話していたとなると、もしかして国体のことか? と思ってしまっても無理はない。

「陵南は全国大会のチャンスがあれば、そりゃ食いつくよね」
「今年は特に面白い選手が多いから、うちの監督も誘惑に負けたかもね」
「それはわかる。混成チーム見てみたいと思うもん。どう、選抜でもいい?」
「自分が出られれば」

夏休み最終週、実績がありすぎるバスケット部だけに提供されている特別仕様の部室の一角で、神はにサポートしてもらいながら、筋トレをしていた。身長はにょきにょきと伸びたが、いまいち筋肉量が増えづらい傾向にある神は週に何度かこうして筋トレをしている。

一応スポーツトレーナーに考えてもらったワークアウトで、ワンセット1時間ほどで終わる。個人練習もみっちりやっているので、このワークアウトを入れる日はだいぶ下校が遅くなってしまうのだが、神もも学校は近い方なので、割と気軽に居残る。

というか部室は試合の映像を確認する機会も多いために大型のテレビがあるし、休日の練習の際は部室のラウンジで休憩や食事を取るのでキッチンも電子レンジも冷蔵庫もあるし、真夏も真冬も部員たちの部活動の拠点となるので当然エアコンも完備だし、つまり、居残りは結構楽しい。

ついでにとふたりきりで筋トレなので、顔には出さないけれど、神は上機嫌だ。

今もはワークアウトの指示を挟んだクリップボードを抱えつつ、ベンチプレス台に腰掛けてテレビを見つつ、神と喋っていた。しかし興味を惹かれるような面白い番組がないようで、テレビは付けているが、真剣には見ていない模様。視線はテレビとクリップボードと携帯と神の間を行ったり来たりだ。

「何言ってんの、神は確定でしょー。ていうかうちだけでも充分なんだからね、本来は」
「だけど今年は面白いからね、神奈川の選手」
「それだよね。試合がどうのって言うより、監督たちが色々使ってみたいっていうだけなんじゃないのかなあ」

の読みは正しい。今年の神奈川には個性的な選手が多く、敵に回せば厄介でも味方なら、と思わずにいられない選手の宝庫だ。神はトレーニングマシンから降りると、床に敷いたマットの上でストレッチを始める。

だったら誰使う?」
「海南以外で? うーん、翔陽の藤真でしょ、陵南の仙道でしょ、湘北の流川でしょ」
「その辺はマストだろうなあ」
「神は? 誰か一緒にプレイしたい人とかいる?」
「うーん、湘北の三井はちょっと嫌だな」

シュートが得意な者同士、なにかと比較されることが多いので、神は体を折り曲げながらそうこぼし、はケタケタと笑った。神は体をゆっくりと戻しながらちらりとを見る。まだ少し笑っていて、細めた目と膨らんだ頬が可愛い。今すぐ近付いていってギュッと抱き締めてキスしたくなる。

1年に及ぶ片思いは、当然のことながらずっとフラットなままとはいかない。スタートはもちろん「ちょっといいな」だったけれど、それは日々成長を続けて膨れ上がり、もし告白して振られたらお互い引退までつらいという足枷のせいで気持ちは持て余したまま、「ちょっといいな」はいつしか「世界で一番愛してる」まで来てしまった。

繰り返しますが、だいぶ重症です。

そもそも神はとても一本気で一途なのである。それはに対してだけではなく、バスケットも、勉強も、ひたむきに気持ちを傾ける性格なので、表向きは穏やかに落ち着いていても内心はメラメラと燃え盛っているということになりがち。思い込みが激しい、と紙一重ではあるが、悪く作用した例はないので問題はない。

「まあポジションの問題もあるから難しいけど、私は牧さんと藤真が味方になってるところ見てみたいな~」

そういうわけで、がクリップボードを胸に天井を仰ぎ、本年度海南の絶対的カリスマである主将・牧の名を出しながらうっとりしていると、地獄の底に叩きつけられたような気持ちになってしまう。神は無言でヨガマットの上にべたりと這いつくばった。柔軟ではなくて凹んでいる。

何しろはこの本年度神奈川MVPである牧に懐きまくっていて、何かというと牧さん牧さんである。なので当然「は牧が好きなんだろうか」と疑われるわけだが、本人は至って真面目に「先輩・バスケット選手として尊敬している」と公言しており、一応それは嘘ではなさそうだった。

しかしそれが何かのきっかけでカチッとスイッチが入って恋に切り替わらないという保証はない。

しかも、何かというとが牧牧と連呼するのは、実際に牧が神奈川のみならず全国でも名の知れた高校トッププレイヤーだからであり、しかし彼女が「先輩っ子」であるのは、他の3年生にも懐いているからだ。3年生の主な部員である高砂、武藤ともよく楽しそうに喋っているし、彼らも従順で有能なは可愛がる。

「今年の神奈川で2年生というと神と仙道は確定だと思うけど、3年が濃いからな~」
「今年は1年も強烈なのいるし、どうせ影薄いよーだ」
「そんなこと言ってないじゃん!」

けたけたと笑いつつ、はスタスタと近寄ってきて体を倒す神の背中に両手を添え、ゆっくりと押してくる。そして体を屈めて少し声を潜めた。

「神の代わりなんか誰もいないんだよ。大丈夫、みんなわかってるから」

の優しくて力強くて可愛い声が全身にじわりと染み込む。煌々と明るい蛍光灯の下、広い部室にふたりきりだというのに、こんな近距離で囁かれて、そりゃあもう神の内心は大変だ。振り返って抱きついてキスして押し倒したい。大好きって何度も言いたい。

しかしそれをグッと堪えて我慢するのは意外と簡単だ。

の言う「みんな」、それはきっと3年生のことだから。の視点はいつも3年生と共にある。

その後、噂通りに国体の代表が選抜チームになることが発表になり、どう考えてももうメンバーは決まってる顔をしている監督から、選抜選考に入るとのお達しがあった。だから練習に励むようにと言いたかったようだが、並み居る猛者を押しのけて選抜メンバーに入れるとなれば、海南でも限られてくる。

そういうわけでたかだか2日ののちに改めて本年度の国体神奈川代表が発表になった。

が予想したあたりはもちろんのこと、他にも今年の神奈川を代表するメンバーが集められた。海南からは当然主将の牧を筆頭に、高砂、神、そして1年生の清田も代表入りした。

「先輩、残念でしたね……
「そんなションボリした顔するなよ、大丈夫、納得してるから」

代表入りおめでとうと褒めてもらいたかった神だが、はスタメンでありながら代表から漏れた武藤の周りをウロチョロして慰めていた。武藤は3年生になってからスタメンに起用されるようになった部員なので、例年通り海南だけで出場していたら国体にも出られていたはずだった。それを差し置いた2年生の神は口を挟めない。

すると武藤の方が真後ろにいた神を振り返ってニカッと笑いかけてきた。

「オレはまだ替えがきくんだよ。神みたいに唯一無二の戦力じゃないからな」
「そんな……
「そんなことありません」

揃って険しい顔をした神との方を、武藤はポンポンと叩く。

「いいじゃん混成。これに味をしめて来年も混成になるかもしれないし、はちゃんと勉強してこいよ」
「わかりました……
「神は湘北の三井の出番がないくらい出張ってこい」
「もちろんそのつもりです」

本人が思った以上にあっけらかんとしているので、ふたりは空気を抜かれた風船みたいにしぼんだ。

「そっか、武藤さんは漏れたから参加しないけど、……
「練習のサポートとかするみたい。ベンチ入りはしないと思うけど、当日も行くだろうね」

まだはっきりと監督から説明は受けていないけれど、おそらく十年以上国体出場の経験がある海南がホストを務めることになるだろうし、合同練習でもなんでも、その細かい管理はがやらざるを得なくなるだろう。

そしてまで駆り出されてしまった海南バスケット部は、先程の武藤や、他の3年生が臨時で管理を請け負って日々の練習に励む、そして当日はプライベートで観戦に訪れる――といったところだろう。は一歩神に近付くと、低い声でぼそりと呟いた。

「頑張ろうね、神」
……うん」

後日、新学期を待たずに合同練習が始まり、海南の体育館には普段敵同士の神奈川の精鋭が集まっていた。今年インターハイ神奈川予選優勝の海南、準優勝の湘北、そして監督の好み――もとい、戦略的判断により選出された陵南と翔陽の計4校からそれぞれ代表が集まった。

先輩が選に漏れたことでしょんぼりしていたや、その選に漏れた先輩ですらちょっとテンションが上がる眺めだった。監督ふたりの妄想――いや、明確なビジョンによって選ばれた15人はまさに本年度神奈川ドリームチーム。神奈川の選手を全部まとめて上澄みだけ掬ったような顔ぶれだ。

「テンションも上がるけど、なんか怖い」
「えっ、そう?」
「だってあそこ見てよ~あの中に入ったら私子供みたいになっちゃう」

既に引退している3年生まで引っ張り出した監督ふたりのラインナップは、この代表チームでも主将にさせられている牧をして「やりすぎ」と言わしめるメンバーだが、その中でも特に身長が高いのが一角に集まっていた。陵南の魚住、湘北の赤木、翔陽の花形。上から202cm197cm197cmである。

「神がちっちゃく見える……
「オレはあっちの方が嫌だなあ」
「あれは私も嫌~」

別の一角ではこの海南の1年清田を含む数人がギャーギャー騒いでいた。ダンスィ気味なのが数名いるので、それも面倒くさい。そもそも神は今年その清田のお目付け役であったし、は何ならこれから面倒を見ていかなければならない。あまり関わりたくない。

とはいえ、代表はやはり3年生中心になっている。神を含む2年生は4人、1年生は3人。あとは全て3年生だ。

なので、なんとなく同学年で固まっていればいいような時にはと一緒。国体イェス!!!

海南の部員全員で出かけていた昨年までと違い、国体本番では監督と選手4人プラスでの出場となる。1年の清田というおまけはいるけれど、2年生同士、ふたりになる機会も多いはずだ。国体イェース!!! と、神は内心ではもっとテンションが上っていた。いつもよりと一緒にいられるかもしれない。

するとその日の練習終了後のミーティングで、意外なことが監督から告げられた。

「合宿やります」

ペットボトルの水を口に含んでいた主将の牧が思わずゴフッと吹き出す。このメンバーで合宿!?

監督は少し後ろの方に陵南の監督を従えた状態で朗々と合宿の意義を説明している。それはまあ間違いではないのだが、わざわざ泊りがけで行かなくても学校で充分じゃないか……という顔をしているのが何人もいる。

何しろ国体のトーナメントは最大でも5試合程度。選手同士の親睦を深めコミュニケーションがスムーズに取れるように、という気持ちはわからないでもないが、そんな素直にみんなと仲良く頑張ります! なんていうタイプの選手ばかりなら苦労しないという話だ。牧はがっくり頭を落としている。

しかも日程は週末から連休を使い、公休を2日と更に祝日を使った6日間だというのだから、牧だけでなく割と良識的な代表たちはもはや苦笑いだ。部活が中心で勉強は二の次になっているらしいやはり2年生の陵南仙道と湘北宮城が「中間オワタ」と言って笑っているが、笑い事じゃない。

しかし監督から発表があったということは、各校全て許可が降りているということだろうから、代表たちは最終的には諦めのため息とともにその話を飲み込んだ。

その中でひとり青い顔をしているのはである。神はするりと隣に並んでこそこそと話しかける。

「大丈夫?」
「さすがに……6日間女ひとりってのは……
「合宿所には女性のスタッフもいるけど、そうだよな」
「ううう、神、助けてね」

普段のなら、選手に対してこんなことは絶対に言わない。助けるのはマネージャーの方で、選手では決してないのだから。だが、ちょっとばかり異常事態なので、彼女も落ち着かないのだろう。神はそっとの背に手を添え、あまり顔を寄せすぎないようにして頷き、また声を潜める。

「なんかあったら何でも言いなよ。2年少ないんだし、てか海南の2年てオレたちしかいないんだし」
「そ、そうだよね、そっか、私たちだけなんだもんね。助け合おうね!」

やっとはこの代表チームの中では神が唯一絶対の存在なのだと認識できたようだ。うんうんと頷きつつ、神のジャージの裾をギュッと掴んで引っ張った。まだちょっと頬は強張っている。抱き締めたい気持ちを飲み込み、神はの背をポンポンと叩いてやる。

「意外と楽しいかもよ? 」

オレがね。