ラッシュ&ライオット

3

「なんていうか、ほんとに優しい子なんですよ」
「へえ」
「だけどそれは甘やかすって意味じゃなくて、気遣ってくれてるというか、思いやりっていうか」

しゃがみこんで膝を抱えた神は、組んだ腕に顎を乗せてぶつぶつ言っている。

「こうやってものすごく忙しい時もあるけど愚痴ったりしないし、一生懸命だし、だけど遊び心もあるし、監督も頼りにしてて、今のところしかマネージャーがいないからやらなきゃいけないことも大量にあるのに、ちゃんとこなしてて、そういうところほんとすごいなって」

うんうん頷きつつ、藤真はいいタイミングで口を挟む。

「いいマネージャーなんだな」
「そうなんですよ」
「女の子としては?」
「それも好き」
「どの辺が」
「なんかこう、どぎつくなくて、自然体で」
「化粧っ気ないもんな」

まあ運動部のマネージャーやっててガッチリ化粧というのも無理があるし、全国大会にそんなのは連れて行かれない事情もあるし、その点はごくごく普通なのだが、惚れてるので何でも素晴らしい。

「どういうレベルで好きなん」
「オレの嫁」
「末期だな」
「末期じゃないです普通です」
「告白をためらう理由は振られたら気まずい、だけか?」

神が開き直り始めたので藤真は頬杖をつきながら突っ込む。神は唸りながらため息をついた。

…………振られた上に先輩が好きなんだとか言われたら立ち直れない」
「先輩って」
「主に牧さん」
「それで牧ジャージとかマジ地獄だな」
「地獄です」

先輩は牧ひとりではないのだが、何しろ色んな意味で後輩たちに慕われまくっているので一番の脅威は牧だ。神だっての件を除外すれば大変に尊敬もしているし、慕ってもいる。というか神は今更ながら目の前でうんうん頷いているのが牧と双璧とまで言われた藤真なのだと気付いて首を傾げた。

「藤真さんなんで話聞いてくれるんですか」
「行きがかり上」
「ああそういう」
「てか普通に牧よりお前の方がいいじゃんて思ったから」
……そうなんですよ」

恋は人を盲目にさせ、冷静な判断力を奪う。神は藤真の言葉にさらに開き直る。

「好きになっちゃったもんは仕方ないじゃないですかー」
「だよなーわかるわー」
「牧さんやめといた方がいいってー」
「わかるわー」
「絶対牧さんよりオレの方がいいのにー」
「わーかーるーわー」
「オレの方が大事にするのにー」
「牧はないわー」

タイミングよく挟まれる相槌に、神の理性がガラガラと音を立てて崩れていく。

「だけど勢い余って告って振られて、その上引退した牧さんと……とかなったら生き地獄」
「だけどあいつどうせすぐ退寮だろ」
「大学の練習の方は春休みに入ってから参加とかだそうで、少し暇とかなんとか」
「失敗の不安はもっともだけど、早めになんとかした方がいいんじゃないか?」
「でも……

しかもその「が牧を好きかもしれない」という憶測には何の根拠もなく、ただあまりに牧ジャージが視覚的に心を抉ってくるのでストレスマッハなだけなのだが、だからこそ神は藤真の口車にホイホイ乗せられているとも言う。当然藤真に神を労り思いやる動機など皆無だからだ。

牧が可愛らしい後輩マネージャーにまとわりつかれてるの、なんか腹立つ。

それが全てだ。あの野郎、羨ましいんだよ。

「6日間もあるんだから、今一歩踏み込めるようになろう」
「そんなこと……
「大丈夫、出来る!」
「藤真さん……
「牧を超えろ。お前なら出来る!」
「は、はい!」

上手くいかない恋に悩む素直な後輩はコロッと騙された。

「作戦その一、褒める……

夕食が終わり、ラウンジで勉強の神は部屋でブツブツ言いながらノートを積み上げていた。

夕食の際、はミーティングで疲れた顔をしていて、それに気付いた神はすぐに近付いて労ってやろうと思ったのだが、なぜかの傍らには牧。どうやら代表の代表で途中からミーティングに呼ばれたらしく、とふたりでダイニングにやって来た。もちろんは牧ジャージ。

その上ミーティングに関わることか何かを真面目に話しており、神は割って入れなかった。藤真が背中を突付いてきたけれど、先輩で主将で主将なので無理です。そのままと牧は並んで席についてしまい、さらにふたりの向かいに監督が腰を下ろしてしまい、完全に隙がなくなってしまった。

ただでさえ同学年は少ないし、今年ずっとお目付け役をしてきた1年の清田はなぜか湘北に混じって楽しそうにしているし、神はそのまま藤真と並んでボソボソと食事をしていた。

とはいえこのあとふたりで勉強しなきゃならないのだと言うと、顔に説得力のある先輩は「彼女を褒めてみたらどうだ」と言ってきた。これも反応を見る一環と言えなくもないが、さりとて褒めて困ることもあるまい。

褒めると言っても何をどうわざとらしくなく言えばいいものやらと迷う神に、サラリと前髪をかきあげた藤真は色々アドバイスを授け、これはまだ第一段階、作戦その一なのだと念を押した。

を褒めることに迷うわけではない。何を言ってもいいならいくらだって褒めることが出来る。の何もかもが好きなのだ。褒める要素に困るわけではない。ただあまりに褒めちぎってしまうと逆に怪しまれる気がしてならないし、唐突過ぎるというのもある。

なのでその辺を悟られないように、あくまでもさり気なく。

ラウンジに向かうと、テレビを囲むように置かれているソファには何人かが寛いでおり、その中に藤真のサラサラヘアーを見つけた神は彼の言葉を反芻して気持ちを落ち着かせる。すると後ろからポンと背中を叩かれ、心臓が痛むほど跳ねた。

「お待たせ。遅くなってごめん」
「オレも今来たとこだよ。大変だったな、ミーティング」
「ほんとに大変だった……。これマネージャーがやることかなってくらい大変だった」

げんなりしたが語るところによると、監督ふたりはこの選抜チームでたいへん盛り上がっており、試合の方針だの戦略の方向だの他の代表チームの動向だの、ミーティングというより作戦会議状態で、途中現場のトップに当たる牧も呼ばれて余計に白熱する会議の記録を全て取らされたのだという。

「ついでにまとめてあったとはいえ、どこの選手がどうだの監督は誰だったかだの、資料出しも大変」

要するに首脳陣の秘書をやらされてしまったようだ。こめかみを押さえながらテーブルに付くはやっと牧のジャージを脱いでおり、山間部が故に夜は冷え込むので、持ってきた私服をこれでもかと言うほど重ね着している。肩に羽織っているストールがかわいい。よし、まずはそれだ。

「そりゃ疲れるよな。てかそれ、可愛いね。寒いから持ってきたの?」
「えっ、ありがとー。そうなの。今朝あんまり寒いから慌てて持ってきた」

藤真からは「まずは本体以外を褒めろ」と言われている。持ち物でも服でも何でもいい、とにかく本体以外の要素を褒めてみろという。それで過剰に喜ぶわけはないとしても、気分が悪くなることもあるまい。

そして一度褒めたら長く引っ張らずに忘れること!

「そんなに頭使った後に勉強とか大丈夫か? 少し休んでからにする?」
「うーん、そうしたいのは山々なんだけど、いくら休んでも変わらない気がするんだよね」
「じゃ、さっさとやっちゃおうか」

あくまでも自分に無理がない範囲で、と但しはつくが、相手の意向に沿ってやれるかどうかも試してみたらいい、というのも藤真のアドバイスだ。わがままをきいてやるというのとは少し違うけれど、の要望を優先的に出来るのはどの程度までなのか、それも見てみるといいという。

なるほどな、と素直に思いながら神は椅子を引いてやってを座らせる。

そもそもは女の子にありがちな気まぐれなわがままというものがほとんどない。そんなもの振り回していたらマネージャーなんか務まらないからだ。ということは普段からそういうものを持ち出さなくても平気、というタイプなので、こうして少々大袈裟なくらいサービスしても神は気にならなかった。むしろしてあげたい。

「で、さっさと終わったらプリン食べよう」
「あ! それだよー。忘れてた。さっさとやってプリンプリン」

パッとに笑顔の花が咲く。かわいい。プリンプリン言ってるそのプリプリの唇の方が食べたい、などと考えつつ、神はノートを開く。脳内でどれだけド変態なこと考えていても、表に出さなきゃそれでいいのだ。

神とは忙しいながらも成績は悪くない。トップ10圏内というほどではないが、平均点を下回るようなこともない、というレベル。練習の厳しさも県内トップクラスと言われる海南で途中退部せずに食らいついていく選手はこのように自己管理が得意なのも多い。

確か1年の清田も同様に自習を課せられているはずだが、夕食以降姿が見えない。まあいいだろう。

……神の方はどう? 初日で大したこともやってないけど」
「うーん、合同練習初めてじゃないけど、合宿ってなると少し感触変わるね」
「大丈夫そう?」
「もちろん」

神はメンタルが弱い方ではないし、口には出さずとも意欲的な方だし、外見が草食風なだけで内情はだいぶ異なるし、それはも知っているはずだ。何より海南で1年の間に脱落せず、所属したまま進級したのなら、常に目標は「勝利」であるというのが絶対的な共通項だ。だけど彼女は神を気遣っている。

そういう女の子に惹かれているという場合において、その先に求める方向が「もっと気遣って欲しい自分だけ気遣って欲しい」に傾くのは珍しくない。ありがち。が、神の傾向は、「だから逆にを気遣いたい」である。

いつでも大事にしてくれて気遣ってくれて明るい笑顔を絶やさない、だけどつらいこともあろう疲れることもあろう、気持ちが折れてしまうことだってあるはずだ。だから今度は自分がそれを助けてあげたい。

藤真には「あざとくないか?」と言われてしまったが、一応本音だ。

しつこいようだが重症なのである。いいなと思った女を自分の思うがままにしたいのではなく、何とかして好きになってもらいたい、それだけでいい、それだけでいいんです! 多くは望まない、君の愛が欲しいだけ!

「心配かけてごめん」
「えっ、いやそんなことは……
「でもありがとう、頑張るよ。てかの方が大変なのにな」

説得力のある顔をしたアドバイザーは、「シメは目を見て言え」と言う。はい、見ました。言います。

「困ったことあったらオレには遠慮なく言いなよ。何でも力になるから」

は一瞬きょとんとした顔をしていたが、やがて笑顔になって頷いた。照れくさそうでもあり、戸惑っているようでもあり、しかしどう見ても嫌悪してるようには見えない。これは上手にできたのではないか? 神はつい首をひねってソファに沈む藤真の方を見た。そそり立つ親指が見えた。師匠、オレやりました!

勉強は集中してやれば1時間程度で済む。1日分の授業を1時間で補うのは無理があるが、も神も自分の得意教科は予め弾いてあって、そっちは国体が終わってからの補習で詰め込むとして、苦手教科、事前の詰め込みでは間に合いそうもないものだけに絞り込んでいた。

ついでに同じ教科であれば躓いても助け合えるし、もし万が一どうしてもわからなくなってしまったら藤真に「うちのメガネ貸してやる」と言ってもらっている。うちのメガネこと花形は勉強が得意なんだそうだ。

一体藤真はなぜここまで自分に肩入れしてくれるのかということは、神は一切考えていない。きっと翔陽のトップに立つだけあって、困ってる後輩を見過ごせないタイプなんだろうくらいにしか思えない。バスケットのことであればそれなりに狡猾になれる神だが、オフコートではだいぶ「いい子」なのである。

なので、と一緒に勉強を頑張り、急いで売店に走ったら既に閉店していて、しかし絶望した神の目の前にスッと緑色の物体が現れ、顔を上げたら両手にプリンをひとつずつ持った藤真だった、なんていうのを見せられてしまうと、またコロッと騙される。藤真様ァァァ!

と一緒に甘いプリンを食べるという甘いひとときを過ごした神は幸せいっぱいホンワカパッパで、いっそ目尻が緩んで下がり気味だった。これが毎日続くのか……国体終わっても中間まで補習でまた一緒か……練習時間が削られるのは痛いけど精神的には最高にハッピーだ。

あくまで同学年の部員同士という顔を続けつつ、神はそんなこんなですっかり地獄から這い出して天国気分だった。地獄? この世界にそんなものあるんですか?

「このプリンおいしいねー。牧さんに買っていこうかな」

この世界に天国なんかあるもんか!!!!!!

「まっ、牧さん?」
「いやほら、今日ずっとジャージ借りちゃったじゃん? 洗って返そうと思ったんだけど、ちょっとのんびり洗濯してる時間もなさそうでさ。そしたらずっと使ってていいって言うからさ……なんか申し訳なくて」

その割にちょっと嬉しそうなのは一体どういうわけだ。神はウッと詰まった喉に無理矢理プリンを流し込む。プリンて……こんなに苦かったんだな……

「えへへ、でもあのジャージ着てるとみんな『帝王』とか『MVP』とか言ってくれてさ、ちょっと嬉しいんだよね」

高砂を始め、3年生は牧ジャージでちょこまか走り回っているにそう声をかけてからかっているのだが、本人は満更でもない様子でニマニマしている。そりゃあ、いちバスケットファンとしては嬉しいのだろうが、本当に本当にそれだけの意味?

だってちゃんと私服持ってきてるのに、なんで牧さんのジャージにこだわるの?

なんで? ねえ、なんで!?

「でも、本当に好きなんだとしたらお前にはバラしてもおかしくないんじゃないか?」
「なんでオレならなんですか……
「唯一の同学年」
「今は、じゃないですかそんなの」

が部屋に戻ると、神はソファでのんびりテレビを見ていた藤真の隣に転がり落ちた。

「てかそういう話、しないのか」
「あんまり具体的なことは……例えとして話すことはありますけど」
「まあ紅一点だし、話しづらいってのはあるか。それはいいことなんだけど」
「えっ、そうなんですか」
「そりゃそうだろ。包み隠さず恋バナ出来る男なんて完全に対象外じゃないか」

言われてみれば。神はまたコロコロと騙されていく。

「ほんとに牧のどこがいいんだが……黒いしオッサンだし黒いし」
「もし藤真さんがオレの立場だったらどうしてます?」
「そりゃそんな遠慮してないで突撃してる。オレにしろ! って言ってる」
「もし牧さんの方がいいって言われたらどうするんですか」
「つきまとう。……おい本気にするな」

藤真が真顔なのでドン引きの神だったが、どうやら面白くない冗談だったらしい。

「牧さんに彼女でもいればなあ……
「それはムカつ……いや、んん、彼女がいても片思いは出来るだろ」
「だけどそしたら一番高い可能性が潰れる」
「そうかなあ」
「牧さんに先に聞いてみるのがいいかもしれない」
「ええー」

急に乗り気になってしまった神だが、藤真は気が進まない様子だ。しかし腹の中を正直に申し出る気もない。

「よし、なんとかして牧さんに聞いてみよう」
「お、おう……

消灯時間も迫っていることだし、今後の方針が決まったふたりは勢い拳を突き上げ、そして静かに解散した。

その一部始終をラウンジの片隅で全部聞いていた者がひとり。気配を完全に消していたのと、普段とは外見が少々変わっていたので、ふたりとも目に入っていない気付いていない様子だったが、会話は丸聞こえ。状況の把握も充分に出来る。彼はニヤリと笑うと、ふたりが消えたのを確認してからラウンジを後にした。