ラッシュ&ライオット

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新学期に入り、合宿や国体で授業時間がゴッソリ削られる、神、清田は補習が組まれた。3年生が除外されているのは全員推薦による進路が決まっているからで、まあ海南の部員の場合極端に学業を疎かにしているタイプが少ないので、そういう意味でも問題はない。

なので補習3人組も、ある程度自習できるように公休で不在の間に学ぶ予定の範囲を前倒しでざっくりと教えてもらうような内容だった。ついでに国体が終わったら中間までの間にも補習。練習時間が少し削られてしまうが、これは致し方ない。

事前補習は3人まとめてだったけれど、中間前補習の方は学年ごとだというし、合宿や国体の間もちゃんと自習しておけというお達しに神の頬は緩む。何しろ2年生はふたりきり。部屋はもちろん別々だが、合宿所ならラウンジなどでふたりで勉強するようになるだろう。ああなんて幸せ。

さらに、国体の後には打ち上げが用意されているらしいという噂が出た。どこだかいう店で代表選手と監督、そして県の教育関係者だかを集めて一席設けるとかなんとか。もし優勝したら祝勝会。噂をざっくりまとめると、その帰りはとふたりになりそうだ。もし時間が遅ければ送っていける。マーベラス国体!

このところ神は1年に及ぶ片思いに倦み疲れ、ダメならダメでいいからに好きと言いたい欲求が高まってきていた。口をついて告白してしまいそうになるたびに堪えているのだが、それを繰り返すことで余計に思いが募ってくる。なのでの反応を探ることが多くなっていた。

やれ好きなタイプはどうだの、デートはどういうところでしたいかだの、にとって恋人の条件なるものとはなんぞやという点をちょこまかとリサーチしつつ、合間には自分の主張なんかも挟んでみたりして、それをがどう思うかなどを調べていた。

が、今のところの反応返答は可もなく不可もなく、無難、といった答えばかりが並ぶ。好きなタイプはバスケット好きな人。うん、バスケバカだらけだ。付け加えるなら優しくて意地悪しない人がいい。まあそれも普通はそうだろうね。デートはしたことないからよくわかんない。でも彼氏がいたらディズニーランド行ってみたい。

この圧倒的参考にならなさはどうだろうか。

このの好みに相当するあれこれは、神ももちろん当てはまっているけれど、同時に仲間たち全員にも当てはまる。なんなら国体代表にも当てはまってしまうだろう。

ちらりと外見に関する好みにも話が及んだことがあるが、それほどこだわりはないらしい。というかかっこいいなあと思う芸能人なんかを挙げ連ねてみても、傾向がバラバラ、これと決まったタイプがなく、本人曰く「たぶんオーラ的なもので惹かれてるんじゃないかと思う」とのこと。本当に参考にならない!!!

一方、神が「オレはこう思うんだけど」という主張をしてみた際には、苦笑いやドン引きにはならず、割と同意を示してくれた。概ね相性は悪くないと言えるだろう。しかしそれは現状どう頑張っても「友達」くらいの仲だから、とも言える。あるいは苦楽を共にしてきている戦友でもあるからだ。

それが「恋人」になり得るかどうかはどうにも判断しづらい。リサーチあんまり意味なかった。

神はそういう徒労を抱えた状態で国体代表合宿初日を迎えた。直前まで台風が来ていた関東地方だったが、一応初日には太平洋上に躍り出て、既に熱帯低気圧に変わっている。だが、台風一過だというのにどうにもこの日は気温が低く、9月にしては朝から寒かった。

「あ、おはよー。何この寒さ……
「ほんと寒いね。顔、白いよ」

海南の所有するバスでの移動になるので、集合は海南の駐車場。事前に協議の末、各自各校のジャージを上に羽織っていれば、その下は私服でもいいことになった。イレギュラーな合宿だし、せめて国体が終わるまでは学校ごとの派閥に囚われずに共闘して欲しいという考えからだ。

とはいえ、華美でないこと、不衛生・不潔感のないもの、アクセサリーは禁止、そしてには過度な肌の露出とスカート禁止が言い渡された。そういうわけで、ジーンズにTシャツやパーカーがひしめくことになったわけだが、ジーンズにパーカーに海南のジャージを着込んでなおは顔が白い。寒い。

は顔だけでなく手まで白くなっていて、その手を温めてあげたい……と考えていた神は背後から現れた見慣れた海南の制服に驚いて肩をすくめた。我らが代表チーム主将の牧は、制服で来た。

「ちょ、牧さんなんで制服なんですか」
「私服だと数がいるし、めんどくさいだろ」
「いや、そうですけど」

思わず笑ってツッコミを入れた神とだが、牧は真顔だ。そこで振り返ってみてみると、各校ちらほらと制服派がいる。そして制限があってなおやけにオシャレくさいのもいるし、逆にお前それ部屋着じゃないのかというほどラフな状態のもいて、は寒さに震えつつ笑った。

「てか牧さん寒くないんですか、それ」

時は9月、衣替えはまだ先だ。つまり、牧は半袖。

「今のところ平気。向こうは寒そうだから一応私服も持ってきてるけど……って寒そうだな」
「そりゃ寒いですよ。てか牧さん見てるだけで余計に寒くなります」
「それ以上着られないのか。それしか持ってこなかったとか」
「あ、いえ、バッグの中にはあります。ただその、もうトランクにしまっちゃったので」

だいぶ早くに到着していたはさっさと荷物を預けて手荷物だけになっている。あとは点呼を取って出発するだけなのだが、生憎点呼を取る監督が職員室から戻ってこない。なのでは冷え切っているというわけだ。すると、牧は腕に引っ掛けていた自分のジャージをばさりとに投げかけた。

「それも羽織ってろ」

そう言い残して牧は立ち去った。

その時の神と、双方の状態を一番簡潔に言い表す言葉は、「天国と地獄」。

は「ひゃあああすみませんありがとうございます」と畏まり、敬愛する先輩から下しおかれたジャージを恭しく掲げて頭を垂れたのちに慎重に腕を通した。海南のジャージは名前が入らないが、その代わり、主将だけ胸に海南の校章をエンブレム風にデザインしたワッペンが付く。キングオブ神奈川の証である。はそれを見て「ひゃあああ帝王だよこれ」と言いながら興奮している。

そしてその傍らで地獄の底に叩き落されたのは神である。

そりゃあ自分だってにジャージ貸してあげたかった。しかし神は私服で来てしまった。私服の場合はジャージ着用がルールだ。脱げない。貸せない。は牧のジャージで萌え袖になっている。

そのタイミングで監督が戻ってきたので、は慌てて走っていってしまった。今回は監督ふたりのサポートも仕事のうちだ。ひとり取り残された神は「牧、ずいぶん可愛くなったな」などと高砂に言われてニヤニヤしているを遠目に見ながら、細く長く死んだ目でため息をついた。

牧さんは尊敬してます。素晴らしい先輩です。プレイヤーとしても最高の人です。牧さんは別に問題ないです。どうにも牧さんの方にヘイトが向いてしまいそうになりますがそれはオレが未熟なだけです。ほんとに未熟なんです。マジで身長190近くあったって、そういう意味じゃ全然お子様です。

だからそのジャージ脱いで!!!!!! 嫌だ!!!

そういう悲痛な叫びで頭が一杯になっていた神の傍らに、いつの間にか誰か立っていた。それに神が気付くまでには数秒かかったわけだが、あれ、人がいるな、と思った瞬間、その人物は低い声で話しかけてきた。

「あの子のこと、好きなの?」

顔を巡らせると、やけに整ってきれいな顔が見上げていた。さらさらでまっすぐな髪、きりっと吊り上がった眉、色素の薄い茶色の瞳、ニキビ跡ひとつない滑らかな頬、そういう顔では意外にも思える低音が静かに語りかけてきたので、動揺の中にいた神は、つい素直に頷いた。

「ふうん、そっか。まだ1年あるから何も言えないってところか」
「はあ」
「だけどあの様子じゃ先輩先輩ばっかりで、て感じだな」
「はい……

淡々と言い当てられた神はついこくこくと頷く。その通りです。

「まあ珍しいことじゃないけど……ふん、牧よりお前の方がいいのにな」

そう言い残して緑色のジャージはスタスタと立ち去る。神はその後姿を少し斜めに傾いた状態で見送っていた。そう、神が求めていたのはその「先輩より神の方がいい」という評価だったのだ。にそう思ってほしかった。先輩ばっかりじゃなくてオレを見てよ! ずっとそう思ってきた。

それを一瞬で看破するなんて。神は緑色の後ろ姿に胸が熱くなる。

しれっと仲間のもとに戻った緑色のジャージ、それはこの3年間を牧と共に「神奈川の双璧」と並び称され、度重なる悲劇にも挫けず灰の中から不死鳥のごとく蘇り、美形は不幸がよく似合うを地で行く、美形で有能で頼れるリーダー、だけど不幸、だがそれがいい、翔陽の藤真健司その人であった。

藤真さんんんんん!!!

今回、海南大が所有する箱根の合宿所での6日間となっているが、ガチで山奥、施設は衛生的で安全に作られているけれど人里の文化文明からは隔離され、合宿所へ続く橋に万が一のことあれば即・クローズドサークル、という学生施設の割に危機管理が甘いハードな環境での合宿だ。

とはいえ海南バスケット部はこの合宿所をよく使うので、まあ慣れた場所だ。一番近いコンビニまで車で40分という環境のため、一番準備を入念に行わなければならないも、荷物が多くなるだけで特に困ることはない。むしろ山間部で合宿をしたことがないという湘北と陵南がビビり気味だ。

一方翔陽は同様に山奥に閉じ込められる合宿だそうで、ケロッとした顔をしている。

しかし遊びに来たのではないので、代表たちは早々に割り当てられた部屋へ荷物を運び込むと、ミーティングルームに集合した。本日は移動もあり初日なので午後にロードワークと全員で基礎練習だけの予定だ。

むしろ忙しいのはだ。事前に作成しておいた合宿用の資料をミーティングルームに運んだり、翌日から始まる練習用のビブスを準備したり、体育館を開けて掃除をしたり備品を確かめたり――

「でもこのクソ寒いのに外で走るよりはマシ」
「大浴場独り占めだし、今日はしっかり温まって――
「あ、女私ひとりだから大浴場なし」
「えええ」

自転車で並走することになっている監督のお達しで温かい飲み物の準備をしているは、寒さで鼻の頭を赤く染めつつ、遠い目をした。男子諸君はみんなで大浴場だが、国体代表合宿御一行様しか利用もない上に女性はひとり。女性用の大浴場はカラッカラに乾いている。

……夜、勉強した後アイスおごったげるよ」
「神……
「抹茶だっけ、好きだろ」
「ありがとう、優しいね神…………この寒さでアイスとか優しくて震えるよ」

ひとりで頑張るを労ってやりたいだけだったのだが、確かに今朝からは寒さでカタカタしており、なんとまだ牧のジャージを重ね着している。その上アイスなどと失策の重なる神も顔が白くなった。やってもうた。

「あはは、嘘うそ。ありがと。私アイスよりプリンがいいな」
「お、おう、どっちでもいいよ。頭使うから甘いもの補給したいよね」
「だよねー! よし、夜はプリン食べよう! じゃ、行ってらっしゃい」

ちょうど出発の号令がかかったので、寒い上に冷や汗の勢いだった神はの明るい声に押されて外に出ていった。点数稼ぎかもしれないけれど、そんなことをしてもは好きになってくれないかもしれないけど、だけど他に方法なんか思いつかない。寒さに強張る足が妙に重かった。

ロードワークののち、が準備した体育館で基礎練習、それが終わったら風呂に入り、以後夕食までは自由時間。何しろ個性が強すぎて扱いづらいのが集められているようなものなので、出来れば監督たちが上から押さえつけるのではなくて、自主的に仲間意識を育んでもらいたい。

夕食の後は22時までに部屋に戻ることというルールがあるけれど、それまでは好きに過ごしていて構わない。

ただし、は別だ。代表たちがロードワークしている間は飲み物を用意したり体育館を整えたり、代表が帰ってきたら飲み物やタオルなんかを配り、そのまま基礎練習の方も参加。それが終わって代表たちが風呂だの自由時間だのやっている間は監督たちとミーティングである。

夕方に毎日この監督とと関係者によるミーティングがあり、場合によっては資料を作成したり、どうしても必要なものが発生したら翌日には手に入るよう手配したりと忙しい。夕食は一緒に取るけれど、その後は神と一緒に勉強をして、仕事が残っていなければようやく部屋で休める。

まさか練習時間以外はずっと一緒でキャッキャできるとは思っていなかったけれど、思った以上には暇がない。明日からの練習では録画を取ることになっているそうで、それもがやるらしく、バスの中ではやや専門的なビデオカメラのマニュアルをずっと読んでいた。

ロードワークも終わり、様子見の基礎練習も終わり、荷物を解いた代表たちがゾロゾロと大浴場に向かっていると、慌ただしく小走りの牧ジャージが胸に分厚いバインダーを抱えてミーティングルームに駆け込んでいった。神はその後姿を見送りながら小さくため息をつく。

もう帝王ジャージじゃなくてもいいのに……

しかも大浴場ではマッスル自慢が始まり、風呂場だと言うのに腕相撲が始まり、筋肉がつきづらい神はそれもちょっとゲンナリしていた。どうせオレは牧さんみたいな分厚い胸板してませんよーだ。てかもう何なのあの体。高校生が盛り上がったシックスパックとか何なの?

なのでさっさと浴場を出てラウンジのソファに身を沈めると、先客がいるのが目に入った。藤真だ。

「あれ、藤真さん、風呂入らなかったんですか?」
「入ったよ。うちはああいう騒がしいの苦手だから、さっさと出てきただけ」

神は納得して頷いた。翔陽から招集された藤真、花形、長谷川は割と静かなタイプだ。

「マネージャーの子、ひとりで大変だな」
「えっ、ええまあ……今ひとりしかいないので」
「湘北にも女子マネいるらしいから、その子も連れてくりゃいいのにな」
「あ、そうなんですか、へえ」

携帯をいじりながらボソボソと話す藤真の意図がわからず、神は隣に腰を下ろして適当な相槌を打っていた。すると、洗いたて乾かしたてでサラッサラの前髪を微かに揺らしながら藤真が顔を上げた。

「てか好きな女が他の男のジャージずっと着てるのとか、よく耐えられるなお前」

そう言われた瞬間、神はがっくりと頭を落とした。

「別に平気じゃないです……
「てかあの子、牧の彼女じゃないんだよな?」
「はい……
「それが1日中牧ジャージ着てるとか、拷問だな」

藤真はアハハと笑っているが、神は笑いごとじゃない。

「てかお前だってこうして代表に入ってんだし、年末には主将だろうし、イケるんじゃないのか?」
「そんな保証はどこにもないです……
「まあそりゃそうかもしれないけど……それこそ年末で牧もいなくなるじゃないか」

そんな話をしていると、大浴場の方向からガヤガヤいう声やら足音やらが響いてきた。

……場所変えるか」
「えっ」
「モタモタしてるとみんな来るぞ」

藤真に促された神は言われるままに立ち上がり、薄茶色のサラサラ髪の後ろを着いていった。風呂帰りの連中のガヤガヤ言う声から逃れるようにしてやって来たのは体育館へと続く渡り廊下。それぞれの個室からも遠いし、もう誰も来ない場所だ。

藤真は携帯を片手にしゃがみ込むと、髪をかきあげた。

「あの……どういう……
「まあ、話していけよ。オレもあの牧ジャージはどうかなと思ってさ」

藤真の発言は実際「なぜそれを気にする必要があるんだ?」という種類のもののはずだが、少々冷静さを欠く神は疑問を感じる余裕もなく、ひょいと藤真の正面にしゃがみ込むと、膝を抱えた。そういえばへの恋心を思う存分他人に話したことはなかった。そうやって心のうちに秘めすぎてこじらせるくらいには閉じ込めてきた。

「いつ頃から好きなんだよ」
「去年の……夏休み」
「長! えっ、1年以上片思いしてんの? ほぼ毎日一緒にいるのに?」
「しょうがないじゃないですか~もし振られたらどうするんですか~」
「そんなに脈ないのかよ」
「正直何を試しても脈があるのかないのかもうよくわかんないす」

淡々と藤真が相手をしてくれるので、神は次第に口が軽くなってきた。何もかも包み隠さずブチ撒けたところで、相手は翔陽の生徒、この藤真が無差別に海南の生徒に言いふらして回ったりしない限り、秘密は保たれるはずだ。秘密、それはへの思い、長らく隠されてきた本音である。

「でも好きなんですよー!!!」

神の叫びが渡り廊下にこだまし、そして冷たい風に掻き消えていった。