イノセント

6

正直、一体何でこんなことになってんだ、という呆れる気持ちの方が大きかっただが、ふたりが言い合っているように、これは神奈川でもだいぶ上手い方に入る高校バスケットプレイヤー同士の勝負なのだということに気付くと、滅多に見られないものなのだからしっかり見ておかねば、という気になってきた。

バスケットのルールが一体どのようになっているのか、それもよくわからないだったが、とにかくボールを奪ってシュートして3点取った方が勝ちだ。余裕綽々の三井がボールを手にしたまま始まった1on1だが、清田の方も手も足も出ないというほどではなく、にとっては超高速のバトルが繰り広げられていく。

ド素人のから見ても、技術的には三井が勝っているように見える。清田はフェイントにもよく引っかかるし、そういう意味では三井は確かに上手いのだろう。だが、スピードでは完全に清田の方が上だ。速度とジャンプした時の高さ、これで清田は中々三井にシュートを打たせず、打たせたとしても弾きまくっている。

「お前ほんと早えな」
「若いからな!」
「オレが年寄りみたいに言うんじゃねえ!!! クソガキが!」

三井に無駄な動きはなく、全てスムーズだ。対する清田は一挙手一投足がどうにもゴチャゴチャしているように見える。しかしそれでも速度でカバー! その上余計な動きが多いと言うのに、疲れない。抜かれてしまっても運動量でカバー! さらに無礼者スキルも遺憾なく発揮! 無駄口叩いて煽る!

「今日は元気だな! いつもすぐヘバるのに!」
「このくらいでヘバるかよ!」
「国体の合宿の時疲れ果ててしばらく飯も食えなかったのは誰だっけ!」
「お前も次の日寝坊してただろうが!!!」
「それは夜更かししてたからだ! 恋バナ楽しかったんだよ!」
「女子か!!!」

三井がいちいち相手をしてしまうので、清田の煽りは効いている。だが、このあたりでは少し遠い目をし始めた。なんかふたり楽しそうだなあ……国体合宿ってなんだろう……話が見えない……

清田の方も果敢にシュートを打とうとするのだが、すぐにブロックされる。それならダンク、と思ってもそれも封じられる。三井の方も結局そんな感じで、1on1を始めてから15分ほどが経過したと言うのに、どちらもまだ1点も入れられていない。

貴重な1on1を見ているのだと思っていただったが、なんだか楽しそうにギャンギャン言い合いながらバスケットしている男子ふたりを眺めているだけになってきたので、つまらなくなってきた。きっとここに3人組がいたら身も蓋もないツッコミをブチかましてくれただろうなあと思うと、余計にさみしい。

そんな時のことだった。取り合いをしていたふたりの手からボールが弾き出され、スポーンと飛び上がった。そしてきれいな放物線を描いて、の両手の中に落ちた。すっかりのことなど忘れて1on1に熱中していたふたりは、一瞬で我に返った。やべ、そういえばいたんだった――

彼氏と従兄弟がそういう顔をしているので、も無表情だ。なんか偉そうなこと散々言って勝負始めたくせに何楽しんでんだ。清田のジャンパーをベンチに残し、はボールをバウンドさせながらふたりの方へと歩み寄る。そしてぴたりと止まると、静かにボールを構えた。

三井と勝負の約束をしたのでこの神社へやって来て、清田と出会った。それから一月半が経とうとしている。空いた時間を地道に練習に費やし、清田の教えは全てよく守り、身の丈にあった努力を続けてきた。はそんな日々のことを思い出しながら、その場で飛び上がると、ボールを手放した。

清田と三井の見守る中、の手から離れたボールは軽やかな音を立ててネットに吸い込まれていった。固く踏みしめられた土の地面に落ちたボールが柔らかく跳ねる。

「私の勝ち」

そう言いながらボールを拾いに行ったは、力任せに三井にボールを返した。

「おま……いつの間にそんなシュート」
「だから言ったでしょ、練習したって!」
、どうしたそれ」
「だから練習したの! ふたりともほんといい加減にして」

の声は厳しいが、男子ふたりはまだぽかんとしている。さん、今のって3ポイント……

「練習したって言っても成功率なんか高くないし、今のはたまたま。だけどなんなのふたりとも、もう勝負じゃないでしょそれ。ただ楽しく1on1やってるだけじゃん! だからシュート決めた私の勝ち! 3点シュートだから3点先取で文句ないでしょ! ふたりとも私の言うことなんでも聞きなさい!」

を放置で夢中になってしまったのは事実で、ぐうの音も出ない。ふたりは蚊の鳴くような声で「はい」と答えると、大人しくベンチまで戻ってきた。それぞれにスポーツドリンクを手渡された時も、つい「すんません」と返す始末。

「あと、寿くんがうちのお父さんと仲いいのはわかってるけど、私のことは干渉しないで」
「へい」
「まだ文句あるなら私が直接お父さんと話すから、余計なこと言わないでよ」
「うい」

疲れたというより、夢中になっている隙を突かれたので、三井は空気が抜けたみたいに静かにしている。その点は清田も同様。その上、頭に血が上っての勝負を奪ってしまった。師匠としては非常に気まずい。ここに3人組がいたら何を言われるかわかったものじゃない。

、ごめん」
「ううん、先に変なこと言い出したの寿くんの方だから、こっちこそごめん」
「せっかく練習したのにな」
「でもシュート入ったよ。それにふたりがすごい選手なんだって、よくわかった」

知らなかったとは言え、それに勝負を挑んだという恥ずかしさが今頃出てきたはため息とともに肩を落とした。2学年も上だと言うのに、がっちり食らいついて引けを取らなかった清田もすごい。改めて驚いた。が、勝手に熱くなって放置されたこととは別。

「というわけで、ふたりとも私の言うこときいてもらうけどいいですね」
「あい」
……はい」

清田と三井はペットボトルを掲げて力なく返事をした。

シュート勝負がグダグダになった直後は全員期末に突入、清田の場合は冬の選抜本戦も控えていたし、本人の言うように普段から密な交流があるわけではないと三井は特に連絡を取り合うこともなく、それぞれの日常に戻っていた。

期末が終わると清田は朝から晩まで練習漬けの日々だったし、冬の選抜が終わるまではどころの話ではなかった。の方は試合観戦に出かけたけれど、シュート勝負の直前以来3人組は神社に現れなくなってしまい、一応三井に観戦しに行くことは伝えたけれど、彼は彼で友人だか部員だかと見に行くと行っていたので、ひとりで見届けてきた。

神社のゴールポストでひとりで練習していても、三井と戦っていても、素人の目には清田はものすごくバスケットの上手な人、という風に見えていた。まるで特別製。だが、試合を見ていると清田のようにものすごく上手い人だらけで、くらくらしてきた。世界は広い。

結果として日本一にはなれなかった海南大附属だったが、はいますぐコートに飛び降りて清田を褒めちぎりたい気持ちでいっぱいだった。日本一になったら冬休みにディズニーランド行きたいと言われていたけれど、日本一じゃなくたって構うもんか。

だが、要は「日本一になったら親にディズニーランド代を出してもらえる」という約束があったようで、清田の両親は健闘は讃えたものの、ディズニーランドは却下とされてしまった。はそれならいっそ自分がアルバイトしてふたりで行きたいと考えたが、バレた時の父親や三井が面倒くさいので、思いとどまった。

そんなゴタゴタもあり、また、清田はバスケット部が世代交代をして新チームが発足したりと、相変わらず暇ではなかった。冬休みに入ってから清田の練習が少々短縮されたので、夕方から夜にかけて近場の街で何度かデートをしたくらいだった。それもカフェやファストフード店で喋るくらいだったが、仕方ない。

そして12月31日、大晦日である。神社で出会って付き合い始めたふたりは少し早い時間から二年参りに出る予定を立てた。清田によれば、こじんまりとした神社ながら、毎年人手は多く、甘酒が無料で振る舞われ、趣味で蕎麦を打つ氏子がささやかながら屋台を立てるなど、中々に盛り上がるとのこと。

年越しなのでこの日ばかりは夜更かしを許された子供も多く来ては、蕎麦屋台で同時に売られる蒸したての饅頭を食べるのが楽しみなのだという。何しろ清田の方はそうして育ってきた地元民。同じようにして育ってきた地元の同年代と遭遇するかもという気恥ずかしさはあったけれど、どうしてもふたりで神社で年を越したかった。

最近は寒いのかめっきり顔を出さなくなった3人組も、年越しのお祝いとあらば来るかもしれないし、というつもりもあり、は3人組に色違いでお揃いのニット帽を編んでいた。

さて、12月31日当日の夜22時である。清田によれば、神社の近くには古びたファミリーレストランがあり、年が明けると神社帰りで賑わうのが恒例となっていて、そのため、普段22時閉店のところ、この日は特別営業で朝までやっているのだとか。なのでそこで待ってもいいなと考えて少し早めに待ち合わせた。だが、

「なんであんたがいるんだよ……!」
に聞け」

は三井とふたりで現れた。清田は途端に苦虫を噛み潰したような顔をした。

「ごめん。だけどお父さんがカウントダウンにあんまりいい顔しなくて」
「神社の二年参りだって言ったけど信じてなかったな、アレ」
「というわけで寿くん同伴ならという条件付きで許可が下りたのでやむを得ず」
「なんでも言うこと聞くっつった手前、断れなくてやむを得ず」

も三井も清田に負けず劣らず苦虫顔だ。彼氏とふたりきりがよかったのに。なんでカップルの横で年越しなんか。どちらも面白くないのは清田と同じだ。だが、残り少ないこの年の3月まで中学生だったぼけーっとした娘が彼氏とオールで出かけたいと言い出したら、お父さんも気が気でなかったはずだ。

幸いやたらと可愛がっている甥っ子によると、相手は甥っ子のようなバスケット少年だと言うし、その甥っ子を負かした相手だと言うし、甥っ子同伴なら許してやろうという気になっただけまだマシだ。は三井の傍らを離れると、清田に寄り添って手を繋いだ。三井は軽く地獄だ。

「てか別に一緒に行動しなくてもいいんすけど」
「親父さんから突然電話が来てに代われって言われたらどうするつもりだ」
、おやっさんそういうタイプなのか」
「まあ、うん、残念ながら」
「しょーがねーなもー。じゃあオレと手ェ繋ぎますか?」
「なんでだ!!!」

本日コートにマフラーを巻き込んでいる三井は額に血管が浮き出そうだ。ニヤニヤ笑いの清田の横っ面をひっぱたいてやりたいけれど、これでも先輩なので我慢する。オレは先輩オレはお兄さん、こいつらはまだ子供。我慢我慢。それに、もう年が明けて春が来たら地元を去るのだ。あと少しあと少し。

さてそんな風に三井をからかっていた清田は、よくこの神社で顔を合わせる初老の男性に声をかけられて足を止めた。この神社を利用する地元民は多く、彼はほぼ毎日朝晩犬の散歩で境内の緑道を通る。

「あれ、今日は犬じゃなくて女の子連れかい」
「ペットみたいに言わないでよ。犬はもう寝てる」

清田家にも犬がいて、まあ清田が犬の散歩をするのは稀に早朝と決まっているが、つまり小父さんは犬友だ。清田の父とも面識があるし、神社の裏側の古い住宅街に住んでいるはずだ。それを思い出した清田は、ふと思い立って言ってみた。

「ねえ、小父さん、よくここで遊んでる小学生3人組、どの辺の子か知ってる?」
「小学生っつっても、ここはよく子供が遊んでるからなあ。うーん、どの子だろう」
「前は毎日のようにここで遊んでたんだけど、最近見なくなっちゃってさ」

清田とは3人組の風体を丁寧に説明する。神社で遊ぶ子供は多いけれど、そもそもの子供の数が年々減ってきている。小父さんは話を聞きながら首を傾げている。

「うーん、言うほど特徴がねえなあ。名前もわからないの?」
「おお、タカヒコ、トシロー、タケル。いつも3人で一緒だから――
「そんな子いないよ」

小父さんが真顔で返してくるので、清田とはゆるい笑顔のまま固まった。

「ほれ、オレ、夏休みにラジオ体操のボランティアやってるだろ。最近は男の子でもかっこつけたガイジンみたいな名前がほとんどなんだよな。今そういうオレらの頃の普通の名前みたいな子はいないよ。これでも地区一帯の子全員集まってるから、少なくとも神社の裏手には、そういう子はいないはずだよ」

淡々と説明してくれた小父さんはまた知り合いの誰だかに声をかけられて離れていってしまった。残されたと清田は手をしっかり繋いだまま固まっている。ひとり話の見えない三井が首を傾げた。

「何の話だ?」
「えっ、ええと、実はここで練習してる時、いつも男の子の3人組がいて……

二年参りの支度をしている氏子たちの中から外れた3人は、大きな杉の木の影に移動する。1年間ご加護を頂いたお守りや破魔矢を焚き上げる炎の明かりがぼんやりと届くだけの場所だ。そこで三井はと清田による3人組の説明を聞かされた。

帰っていく方向を考えると、どう考えても神社の裏側の古い地域の子であるはずだということ、全員苗字は知らず、名前しか名乗らなかったこと、やけに口が達者で生意気で、暗くなる直前に帰ってしまうこと、シュート勝負の直前からこっち、姿が見えなくなってしまったこと――

「ここは学区のど真ん中だから、小学校はたぶんオレと同じだと思うんだけど、だとしたらなおさらさっきの小父さんの言ってたラジオ体操、エリア内のはずだ。あの小父さんずーっとラジオ体操ボランティアやってて、この地域は参加すると町内会からご褒美が出るから参加率高いし、間違いじゃないと思う」

言い終わると、清田はぶるりと震えてすくみ上がった。

「なんか怖えーな……
「わ、私も……あの子たちほんとに存在してたのかな」
「おいおい、なんでそうなる。家が遠いのかもしれないだろ」
「だって、そんな遠くからこの神社にわざわざ遊びに来る? それも毎日のように」

と清田は身を寄せ合ってプルプルしている。呆れたため息を付く三井だったが、ふたりはまさかお化けじゃないか、いや妖怪かなんかじゃないかと真顔だ。落ち着け高校生。

「あの小父さんが地域の子供を全員把握してるとは限ら――
「あ! 信長、お守り! あのお守り持ってる!?」

年上らしい声でふたりを宥めようとした三井に被せてが声を上げた。例の赤いちりめんで出来た巾着のお守りだ。日本一は叶わなかったけれど、清田はまあまあ満足の行く試合が出来たので以後も大事にすると言っていた。それなら身につけてない? とは詰め寄る。

「持ってるけど……あれがどうかしたのか」
「あのお守り、中身は折り畳んだ和紙の折り紙なの。私と3人組でメッセージが書いてある」

清田が取り出したお守りをは奪い取って開く。中から小さく畳まれた紫色の千代紙を取り出し、震えてしまう手で丁寧に開いていく。そして、バッと広げたところを3人は覗き込んだ。

そこには、の文字しか記されていなかった。

「キャー!!!」
「おい嘘だろ!!!」
「怖いどうしよう!!!」
「何だよこれ大丈夫なのかこれ」
「ちょ、うるせえな、落ち着け、騒ぐなふたりとも」

三井にペチンペチンと頭をはたかれたと清田はいっそ涙目、このお守りはふたりの大事な思い出アイテムですが、なんかバケモノ的なものに取り憑かれちゃってんだとしたら、そこでボーボー燃えてる火の中にブチ込まないとダメなんじゃないんでしょうか――という顔をしている。

本日いよいよ子守めいてきたお兄さんは盛大にため息。

「本当に子供たちにも書かせたのか?」
「これ、真ん中に『信長へ』ってあって、私の文字が右上に書いてあるでしょ。あの子たちは残った3つの隅にそれぞれ書いたはずなの。私のペンで。だから消えるはずなんてないし、その場で書いて畳んで仕舞って、その後は今の今まで開けてないんだよ?」

ひしと抱き合うと清田はカタカタ震えているが、三井はその千代紙にちらりと目を落とすと、ゆったりと微笑んだ。そしてコートのポケットに手を突っ込むと、肩をすくめて鼻で笑った。

「仲良く遊んでたんだろ。いきなり化け物扱いかよ」
「だって、じゃあだったら何なの」
「神様」
「えっ?」

軽く振り返った三井は本殿の方へ顎をしゃくってみせると、鼻を啜った。大晦日の夜は冷える。

「ここの神様かもしれないじゃないか」
「神様って、あんなクソガキだったのに……
「だけどお前らを結びつけてくれたんだろ。目的を果たしたから、消えたのかもしれないぞ」
……寿くんてそういうの信じるタイプなの?」
「信じるとか信じないとか言うより、正体がわからねえならそう思っておいた方がよくないか?」

途端に三井が頼れるお兄さんに見えてきたふたりは、ちょこまかと距離を縮めてすがりついた。

「その子らと遊んでて楽しかったんだろ。バケモノより神様だと思っといた方がいいんじゃねえの」
「そっか……
「きっと3人もお前らと遊んでるのが楽しくて、ついついやりすぎたんだろ。だから消えたとか」
「三井さんごめん、見直した」
「こんなことで見直されても」
「パイセン、また1on1してくださいす」
「パイセン言うな」

三井の推測がゆっくりとふたりの心に馴染んでいく。クソ生意気だけどふたりの間を取り持ってくれて、優しくその手を繋げてくれた。それは確かにお化けなんかのような、恐怖をもたらす存在とは思えない。

……もう、会えないのかな」
「帽子、編んだのにな」
「その辺の枝にでも挿しておけば? そのうちなくなってるかもしれないぞ」

三井のニヤリに、と清田はやっと笑った。お焚き上げの炎が高く伸びて、火の粉が寒空に吸い込まれていく。まだ年越しまでは時間があるが、はつい両手を合わせて拝殿を拝んだ。

どんな風にお礼を言えばいいかわからないけど、だけど一緒にいて楽しかったことは本当だし、出来るならまた会いたいと思ってるし、もしもう二度と会えなかったのだとしても、みんなのことは絶対に忘れないから――

「信長、またここに来ようね」
……ああ、そうだな」
「寿くんもよかったらおいでよ」
……暇があればな」

いつしかは清田と三井と手を繋ぎ、頬を炎の赤で染めながら立ち尽くしていた。鳥居を抜けた途端に濁って感じるけれど、境内の中はいつでも清廉な空気に満たされていた。大晦日の夜は賑やかでも静謐に満たされていて、一切の苦しみから解き放たれたような気がしてしまう。

そんな3人の足元を、穢れのない小さなつむじ風がくるくると通り過ぎていった。

END