イノセント

1

駅から自宅への途中に、緑豊かな広い敷地の神社がある。境内には古びた木々が影を落としているが、風通しと見通しはとてもよく、散歩に訪れる人も遊びに来る子供も多い近所の住民の憩いの場になっている。清田はスポーツバッグを背中で跳ねさせながら、軽い足取りでその神社に向かっていた。

夏にはささやかながら夏祭りがあるし、年越しも地元民で賑わうし、それでなくとも広い境内は長年近所の子供の遊び場になっている。清田自身も小学生の頃はしょっちゅう遊びに来て駆けずり回っていた。

高校生になった清田がこの神社に向かっているのは、バスケットの練習をするためだ。彼は県内最強のチームに所属しており、その上1年生ながらスタメンを勝ち取った優秀な選手であり、例え今が中間テスト前で部活が休みになったのだとしても、練習は欠かせないのである。勉強の方はまあ、補習にならなければいい。

境内の一角に平らに地面をならした真四角の広場があり、夏祭りの時には屋台がいくつか並ぶのだが、普段はベンチがふたつとゴミ箱がひとつと、そして錆びたバスケットのゴールポストが一基置かれている。清田の目当てはそれだ。夜間照明はないので日が落ちるまでしか使えないが、無料だし、充分だ。

唯一難点があるとすれば、子供に絡まれるということだろうか。

高校に入ってから練習場所に困るとこの神社に来るようになったのだが、前述のようにここは子供の遊び場としての歴史が長い。子供の数が少なくなったとは言え、今でも小学生男子のプレイスポットなので、清田はよくそれに絡まれるようになった。おそらく絡みやすい何かを醸し出しているのだろう。

清田も別にそれが嫌というわけではないのだが、かつて自分がそうであったように、小学生ダンスィはクソ生意気で面倒くさいのだ。練習がしたくて来てるのに、バスケ教えろだのアイス奢れだの登れない木があるから手伝えだの浣腸だの……神社の木は全部ご神木だからダメだと言ったが、自分も過去に登った手前、後ろめたい。

しかも清田が神社で練習するようになってからちょくちょく顔を合わせるダンスィズは顔ぶれが決まっていて、いつも3人一組で遊んでいる。背が高くつり目のタカヒコ、丸顔でサラサラ髪のトシロー、そして色白で美少年風のタケルの3人。清田を見つけると近寄ってきては練習の邪魔をしていく。

いや、邪魔というか、清田が練習しているのを眺めたり一緒になってウロチョロしたり、直接妨害をしたりはしないのだが、気が散る。しかもかなりの高確率で遭遇するので、しっかり練習した気になれないことも多い。それなら他の場所に移ればいいのだろうが、生憎ちょうどいいところがない。

今日もまたあのクソガキどもに邪魔されんのかな……とややげんなりしていた清田だったが、広場に出るなり普段とは違った光景に足を止めた。推定10歳程度の3人組が遊んでいるのかと思ったら、ひとり多い。しかも少し背が高いし、よく見たら制服で、スカートを履いている。誰だ。

見たところ、同じ高校生に見える女の子が3人組となにやら喋っている。もし3人組が悪さをしているようならすぐに止めねばと思った清田だったが、どうやらそうではないらしい。やがて女の子だけが輪から外れると、音もなくボールを掲げた。清田は小さく「おっ」と声を上げた。バスケットボールだったからだ。

だが、女の子の掲げたバスケットボールは放り投げられた瞬間ドスッと地面に落下。女の子の両腕は無残にクロスされていて、なおかつ片足がぴょんと跳ね上がっている。その凄まじく汚いフォームに清田はつい「ゴフッ」と音を立てて吹き出した。3人組が素早く振り返り、ニタリと笑う。

「おー、やっと来たか。おっせーよ。どこ寄り道してたんだこの不良」
「てかお前テストなんじゃなかったのかよ、勉強しろよ勉強」
「そんなとこでぼーっとしてないでさっさと来いよ」

3人組は一斉にそうまくし立てると、清田を取り囲んで腕を引き、ゴールポストの方へ引きずっていく。見知らぬ女の子の手前、あまり積極的に近付いていく気にならなかった清田だったが、3人組は意外と力が強い。

「この子バスケの練習したいんだってさ」
「え」
「教えてやれよ」
「え、ちょ」

お兄さんとお姉さんはもうお子様ではないので、そんないきなり言われても困ります。清田は狼狽えて足を突っ張り、なんとか女の子との距離を保つ。部内ではまだまだ小さい方だが、高校1年生としては身長は高めだし、それがぐいぐい近付いていけば怖がられるかもしれない。

「こ、こんにちは……
、これが信長。バスケ強い高校に通ってるから、きっと役に立つよ」
「このねーちゃんっていうんだよ。シュートできるようになりたいんだってさ」
「は、はあ、シュートですか」
「何をもじもじしてんだよふたりとも。もうちょっとシャキッとしろよ」

清田に「おっさんかよ」と突っ込まれたタカヒコはそれを無視、明らかに困った顔をしているの腕を引っ張っている。はもしかしたら3人組に絡まれて仕方なく挨拶をしてきているかもしれないので、清田は咳払いをして纏わりつくトシローとタケルを払い除ける。

「あの、もしかしてこいつらに絡まれちゃった? 気にしなくていいよ」
「絡まれるってなんだよ、は練習したいんだよ」
「えーと、海南大附属の清田って言います。まだ練習続けるならどうぞ。オレは他のところに行きますから」
「あっ、お、音羽東のです、あの、その」
「へー、音羽東! 頭いいんすね」

あくまでも清田基準ではあるが、が通っているらしい音羽東高校は県立の「頭いい学校」で、よく言えば真面目、悪く言えば地味、というタイプの校風。それがまたなんでバスケットなんか……ということを考えていた清田だったが、それが顔に出たのか、はぼそぼそと喋りだした。

「あの、私いとこがいて、バスケットがすごく上手なんです。それでちょっと、売り言葉に買い言葉で」

は恥ずかしそうに頭をペコペコ下げながらぼそぼそと続ける。

「はあ、勝負」
「昔から運動苦手なんですけど、それをバカにされて悔しくて」
「苦手そうですねえ」
「それはそうなんですけど、いとこが今年の夏に大きな大会で勝ったとかで自慢するもんだから」
「へえ、大きな大会」

今年の夏に日本で1番大きな大会の2位になった清田はほぼ生返事だ。しかし、運動の苦手な子と自分の得意な運動で勝負、というのが気に入らない。男か女かもわからないが、どうせ県予選落ちレベルだろうに、ちょっと活躍したと思ってチョーシこいて従姉妹に勝負ふっかけるとか、アスリートの風上にもおけねえやつだな。

「勝負って、何すんすか」
「シュート。私は10本打って1本、いとこは10本連続入ったら勝ち。どっちも成功ならドロー」
「それは……まあ、妥当なハンデか」
「で、負けた方が勝った方の言うことなんでも聞く」
「そこは雑なんすね」

ふんふん、と頷きながら聞いていた清田の腰のあたりを3人組がドスドスとどついてくる。

「な? 可哀想だろ」
「だけどひとりで練習しようと思うのが偉くね?」
「だから教えてやれよスーパールーキー」
「スーパールーキー?」
「ちょ、いやそのそれは」
、こいつもバスケ上手いんだよ。教えてもらいなよ」
「そうなんですか」
「えーとですね……

のいとことかいうのは気に入らないし、自分でもバスケットは上手いと思っているが、どうにも「人に教えるタイプ」ではないのが本音だ。清田はどついてくる3人組を押し返しながら首を傾げる。するとは腹のあたりでギュッと両手を握り締め、清田を見上げた。

「あの、コツとか練習法とかだけでも教えてもらえませんか」
「あのねさん、えーと学年は」
「1年です」
「おおタメだ。あのねさん、そんなのオレも知りたいくらいなの」
「はあ」

清田は首を傾げたまま淡々と話す。教えてやるって言っても、シュートって反復練習が基本だし。

「確かにバスケ強い高校行ってるけど、オレ人に教えるのとか得意じゃないし、無責任なことは――
「逃げんのかよ」
「女の子が困ってんのに」
「お前キンタマついてんのかよ」
「うるせー!!!」

3人組が余計なことを言うのでが俯いてしまった。

「オホン、だからね、そういう卑怯な勝負ふっかけてくるいとこさんは無視の方向で」
「あ、いや、勝負しろって言ったの私」
「あんたもバカだな!?」

1番小さいトシローに背中をよじ登られながら、清田はひっくり返った声を上げた。何をバカにされたか知らないが、どうして向こうの得意なことで勝負しようと思うんだよ。

「だって、どうせお前なんか練習したって出来ないって言われて、重いとかトロいとかロースペとか」
……あのー、いとこさんて、男女どっち?」
「男」
「OKさん、教えてあげる。そんなクソ野郎踏み潰して玄関マットにでもしろ」

背中のトシローを引っ剥がすと、清田はに人差し指を突きつけてそう言い放った。同じバスケットプレイヤーとして、そんなクソ野郎は許し難い。確かにはガリガリに痩せているというわけではないが、だから何だ。それを悪し様に言い、なおかつ「練習しても出来ない」なんて、アスリートとして最低だ。

囃し立てる3人組に構わず、清田はベンチに荷物を置いてボールを取り出し、制服のジャケットを脱ぐ。テスト期間中で部活が出来ない清田は珍しく指定のシャツにネクタイを締めているが、それも引っこ抜く。

「てか勝負っていつ?」
「まだ決めてないんだけど、その、いいの?」
「いいよ。オレもどうせ練習するし、一緒でいいんなら」
「あ、ありがとう!」
「てか、やるからにはちゃんとやるけど、途中でやめないって約束できるか?」

清田も決して暇ではないのだ。だが、どうにもそのいとこは気に入らないので協力するのはやぶさかではない。とはいえ完全にボランティアなので、やるならちゃんと努力してほしい。少々上から目線だなと思ったが、清田は厳しい声を出した。は背筋を伸ばすと、ややあってからしっかり頷いた。

「よし、だけどこれね、男子用のボールなの。大きいし重いし、しかもこれ空気抜けてる」
「ここに落ちてたやつだから」
「落ち……さんなら女子用より小さいのでもハンデとしてOKだと思うんだけど、とりあえず明日オレが小学生の時に使ってたやつ持ってくるから、ちゃんとした練習は明日からな。今日はとりあえずオレの使って、ボール持ち上げるストレッチ。男子用だからもしかしたら筋肉痛になるかもしれないけど」

は真面目な顔でうんうんと頷いてボールを受け取る。片手で掴んでヒョイと渡した清田は、ボールがの両手におさまるなり、途端に巨大化したように見えた。運動し慣れないようだし、こりゃあ明日腕が上がらないかもしれんな……

「持ち上げるだけでいいの?」
「まずは持ち上げる動作に慣れた方がいいだろ。力もなさそうだし」
「こう?」

両手で掴んだまま真上にボールを持ち上げるので、清田は下から支えるような動作をお手本として見せてみる。何もダンクシュートを覚えるわけではないので、挟んだまま持ち上げるより、押し上げる動作に慣れておかないと練習もできない。

「おっ……意外と重っ……
「だろ。女子用のボールはそれより軽いけど、その動作で押し上げて投げるんだし、それが出来ないと」
「はい」
「でも急にたくさんやると肩壊れるから、ゆっくり10回やったらボール置いて腕ブラブラ」
「はい、師匠」
「師匠!?」

またひっくり返った声を上げた清田を3人組が「シショー偉そうだなシショー」と言いながらドスドスとどつく。

「てかお前らも手伝えよ!」
「おう、やってやるよ師匠」
の手伝いならやってやるよ師匠」
「練習より勉強した方がいいんじゃないのか師匠」
「うるせーないちいち!」
「だけど1学期のテストギリギリだったって言ってたじゃん師匠」

ギリギリだった。インターハイが控えていたので練習は毎日ハードで、期末で赤点取って補習なんてことになったらスタメン外すと言われて必死になったけれど、毎日帰宅するなり疲れて死んだように寝ていた。そんな清田の袖を3人組が引っ張り、大人しく練習しているから引き離した。

「なんだよ」
、勉強得意なんだろ、教えてもらえば?」
「別にいいよそんなの」
「バカ、仲良くなれるかもしれないだろ」
「そ、そういう目的じゃねえから!」
「なに慌ててんだよ、可愛い子と仲良くなるチャンスなのに逃げんのかよ」
「県内最強のスーパールーキーなのに彼女いねえじゃん」
「偉そうなこと言ってっけどお前バスケ以外は割と全部ダメじゃん」
「うるせー!!!」

だいたい3人組はこのようにして早口で畳み掛け、しかも即座に言い返せないようなことをズバッと突いてくるので、清田の方も毎回こうして怒鳴り返すくらいしか出来ない。が、今日は一応それらしい大義名分がある。

「だから、そーいうあの子にひどいこと言うヤツがバスケットやってるってのが許せねえんだよ」
「ほー、正義の味方か」
「それの何が悪い。だからオレは見返りは求めてないんだよ、覚えとけこの3バカ」

3人組の頭をペチペチと払った清田はドスドスとのところまで戻る。清田に言われたとおりのことを黙々とやっている。感心感心。しかしもう疲れた様子だ。無理もない。現代人はこの「押し出す動作」が極端に少なくなっているので、筋肉が鍛えられていないのが普通だ。

「無理するなよー。急にたくさんやったって楽にはならないから」
「二の腕の、裏が、酸っぱい」
「だろうなあ。おーい、お前ら手伝え」

清田はからボールを受け取ると、タカヒコに向かって放り投げる。

「さっきの押し出す動作でこいつらにボール投げる。同じ場所に立ったまま、三方向に」
「オレらは投げ返せばいいの?」
「そう。受け取るのはテキトーでOK。それを20回やったらまた腕ブラブラ」
「はい」

ストレッチもボール投げも、こんなものバスケットの練習でも何でもない。だが、見るからに運動が不得意な感じのの場合、シュート練習自体に腕や肩が耐えられないのでは、と清田は考えた。ほんの数日やったところで肩や腕に筋力がつくわけではないが、体が動作に慣れれば怪我もしにくいはずだ。

ついでに、3人組にボールを投げることで決まった距離の場所に投げるという感覚に慣れてくるだろう。バスケットがどうこうではなく、10回投げて1回、ネットに入りさえすればいいのだ。フォームも投げやすいものでいい。

今日はこのふたつの練習を交互に休憩を挟みながらやればいいだろう。ひとりで出来るのと、3人組とやるのと。これで師匠は自分の練習に集中できる。できる――――

「出来ねえじゃん!!!」

つい自分でツッコミを入れてしまった。まともなボールはひとつしかないのだ。

「え!? そうなの!? だったら清田くん使ってよ、私はえーとそうだな、なんかストレッチするから」
「なんかってなんだよ。いやいいよ、どうせテスト前で部活できない自主練てだけだから……
「えっ……それは勉強しないとマズくない……?」
「ほら見ろギリギリ師匠」

は清田に向かって差し出したボールを引っ込めて険しい顔をした。ついでに3人組がああだこうだと清田の成績が非常に危険だとベラベラ喋るので、はボールをギュッと胸に抱いて清田から遠ざけている。するとタカヒコがにぺたりとくっつき、にんまりと笑った。

「なあ、だったら勉強教えてやればいいじゃん」
「えっ、私が?」
はシュート教えてもらう、信長は勉強教えてもらう」
は勝負に勝っていとこをぎゃふんと言わす、信長はテストを楽々クリアー」
も信長もどっちも助かる!」

3人組に畳み掛けられたは、慣れないせいでうんうんと真顔で頷いている。

「お前らいい加減にしろ! さん本気にしなくていいから」
「私それでもいいけど。お礼とか、たくさんできないし」
「別に見返りが欲しくてやってるわけじゃないからいいって」
……でもテスト勉強はしないとダメだよ。はい、これ。私は自分で何とかするから」

が真剣な表情でボールを返してくるので、清田は慌ててそれを押し返した。

「何とかするって何とかならないだろ!」
「だけど私の練習なんてテスト前の清田くんの時間を使ってやることじゃないよ!」

ボールの押し付け合いになったふたりをきょろきょろと交互に見ていた3人組は、ちらりと目を見合わせて静かにため息を付いた。まったくしょうがねえな、という顔だ。

「だーかーらー、お互い教え合えばいいんだって言ってんだろ!」
が遠慮したってこいつ練習ばっかりで勉強なんかしないぞ」
「だったらここでシュートの練習も勉強もすればいいじゃないか。時間は大事に使えよ!」

子供に諭されたお兄さんとお姉さんは言葉に詰まり、ボールを間に挟んで項垂れた。

「わかったのかよ、ふたりとも」
……それでいい?」
……いいよ」

3人組の勢いに押された感は否めないが、と清田はやや疲れた表情で頷き合った。

「じゃあ、は休憩して信長にボール貸してやりなよ」
「信長が練習してる間、は信長の教科書でも見てれば?」
「ついでに喉乾いたからオレ何か買ってくるよ。信長、金くれ!」
「なんでだ!!!」

ガンガン仕切る3人組に怒鳴った清田だったが、喉が渇いていたのも事実だったので、トシローに小銭を預けて買いに行かせた。は自分も出すと言って慌てたが、タカヒコとタケルに引っ張られてベンチに着席させられてしまった。そして有無を言わさずに清田の教科書を押し付けられた。

「教科書だけ見てわかるかな……
、見てごらん」

両手に教科書を持ってしかめっ面をしていたは、左側からタケルにぺたりとくっつかれて顔を上げた。そして右側からぺたりとくっついているタカヒコが指差す方を見た。腕まくりをしてボールをバウンドさせている清田の後ろ姿が目に入ったは、思わず背筋を伸ばした。師匠の練習だ。

軽くボールをバウンドさせていた清田は、首をぐるりと回すと、一息置いてドリブルしながら走り出し、ちょこまかとゴールの手前で動いたかと思うとそのまま飛び上がり、片手でボールをリングの中に押し込んでしまった。

はそれをぽかんと口を開けたまま見ていた。

「なっ、あいつかっこいいだろ?」

そんなタケルの言葉にも、微かに頷くだけで精一杯だった。