イノセント

2

「いいかのはこう! 飛んだ時にぴよんってなってる」
「だけど、信長のは足が真っ直ぐだっただろ。ちゃんと曲げて、伸ばす!」
「曲げて、伸ばす!」
「そこからかよ」

翌日、ボールをふたつ持参した清田は先に来ていたと3人組のところへやって来ると思わずツッコミを入れた。はジャンプのやり方を3人組に教わっている。

「あっ、師匠!」
「それもういいから。てかめんどくせえからオレもって呼ぶけどいいか?」
「いいよ。じゃあ私も勉強の時は信長って呼ぼう」
「いやいや勉強の時以外でもそっちでいいから。師匠とか言って回るなよ」

本日はちゃんとスニーカーで、制服のスカートの下にはジャージを穿き込んでいる。清田は3人組によるまっすぐ飛び上がる指導を横目にボールをふたつ取り出し、前日のようにシャツを腕まくりしてネクタイを引き抜く。どうにも清田はネクタイが苦手で、登下校の時以外はすぐに外してしまう。

「それが女子用のボール?」
「そう。オレが小学校高学年の時に使ってたやつなんだけど、ほら、少し軽いだろ」
「ほんとだ!」

は受け取ったボールを手の中でポンポンと跳ねさせている。

「てか昨日の練習で筋肉痛にならなかったか?」
「ちゃんと温めてストレッチしたし、念のため肩に湿布貼って寝たから大丈夫だった」
「そーいうところは丁寧なわけね」

基本に忠実に、は言われもしないのにボールを持ち上げるストレッチを始めた。昨日教えたことはちゃんと守っている。清田はちょっと感心して目を丸くした。さん、君はなかなか良い生徒のようだね。

「もし従兄弟に勝ったら何させるか考えてあるのか」
「うーん、それなんだよね。どうせ負けるとは思ってないけど、やって欲しいこともなくて」
「まあそうだよな、勝ちたいだけだもんな。向こうはなんか言ってたのか」
「その時は何も。うーん、バイトもしてないからお金もないだろしな~」

清田の中では完全に「クソ野郎」になってしまっている従兄弟氏なので、彼の想像の中ではにろくでもないことをさせるんじゃないかとしか思えなくなっている。なのでなけなしの小遣いだろうがなんだろうが全部巻き上げてやれと思うが、はしかめっ面で首を傾げている。

「てかバスケ上手いって、学校どこよ」
「たまにしか会わないし、学校名まではちょっと……
「まったく、そんなやつうちの部長だったら鉄拳制裁だぞ」
「部長さん厳しいの?」
「いい意味で、だけどな」

が淡々とボール上げをやっているので、清田はそのままドリブルしながら走り出し、テスト期間に入る前に練習していた攻撃パターンを繰り返し練習していく。夏の大きな大会で準優勝したはいいが、続く大きな大会である国体では自分が望むほどには出番がなかった。それがどうにも悔しい。

国体の選抜メンバー15人中1年生は3人で、清田はその3分の1であり、中心はどうしても3年生だった、ということは彼には関係ない。いつでもどこでも何でも誰よりも活躍したい。だからテスト前だろうがなんだろうが練習するのだ。そういう意味もあって、自分は教える側の人間じゃないと思ってしまったというわけだ。

だが何もを音羽東の女バスのエースにしろというわけでなし、クソ野郎の従兄弟との勝負に勝って彼女の溜飲が下がればいいのだ。師匠はそれだけで満足です。

「はいはいはーい、練習終わりー!」
……なんでお前が仕切ってんだ」
「オレらが仕切らなかったらいつまで経っても練習しかしないじゃん」

腰に手を当ててふんぞりかえるタカヒコにデコピンをかました清田だったが、やっぱり返す言葉がない。なんとなくに勉強を教わるということが気恥ずかしいし、何よりそれが3人組の見てる前で、というのがつらい。

しかしいつまでもグズっているのもそれはそれでかっこ悪い。清田は渋々ボールをバウンドさせながらベンチまで戻るとどかりと腰を下ろす。すると横からスッとペットボトルが出てきた。顔を上げると、がスポーツドリンクを差し出している。

「はいどーぞ。昨日奢ってもらっちゃったから」
「別にいいのに」
「少し糖分補給したら休憩がてらちょっと見てみよっか」

練習ができないのと3人組の前で勉強を教わるのが恥ずかしくて不貞腐れていた清田だったが、の笑顔がキュンと胸に来る。弟子は言いつけ通り努力しているというのに師匠がこれじゃ、人のことクソ野郎とか言えないよな……。ていうか弟子、ほんとに可愛い。

ギリギリ師匠さっさと勉強するぞ! なんて言い方はしない。休憩がてら見てみようか、なんて気遣ってくれるのも申し訳ない半分嬉しい半分で、清田は勉強する気になってきた。3人組はふたりがグダグダ言わない限りは口出ししてこないようだし、例えここで理解できなくとも、少しは頭に残るだろう。

この広場は照明がないので暗くなってしまったら何もできない。ふたりは3人組に仕切られるまま練習と勉強を繰り返し、薄暗くなってくる頃に全員で解散した。送っていこうかと言ってみた清田だったが、は自転車だから大丈夫、と帰ってしまった。

「なあなあ、可愛くね?」
「お前らも早く帰れよ。お前らみたいなの誘拐するやつなんかいねえだろうけど」
「逃げんのかよ、この腰抜け」
「てか難しい言葉よく知ってんな……
「話を逸らすなよ」

3人組は鳥居の手前でげんなりしている清田の背中やら足やらをどつきまわしている。

「ああそうだな、は可愛らしいよな、一生懸命だし、優しいし、お前らとは大違いだな」
「お前なあ、男ならガツンと行けよ!」
「お前ら実は中におっさん入ってんじゃねえの? もうそういう時代じゃないの」
「時代のせいにすんな。ビビってんのかよ」
「あのな、昨日知り合ったばっかり! 練習と勉強、お見合いしてんじゃねえんだよ!」
「阿呆、それを『縁』と言うんじゃ」

1番小さなトシローが腕組みをしてそんなことを言うので、清田はブホッと吹き出した。彼らはお祖父ちゃんお祖母ちゃんといる時間が長いのだろうか。こんな風に時代劇のような芝居がかった口調で喋ることもしばしばで、清田はそのたびに吹き出す。薄暗くなるまで外で遊んでいるのも、両親が共働きだからなのかもしれない。

「せっかく知り合ったんだから、仲良くしてみようとかいう気にならないのかよ」
「勉強と練習の方が先じゃね? そういうのは自然についてくるものじゃないのか」
「そんなことしてると逃げられるぞ。従兄弟が勝ったら、何されるんだろうな」

何とか言い返していた清田だったが、タケルの一言で口を半開きにしたまま固まった。何されるって何。

「お前それ考えてなかったの?」
「だって、従兄弟、だろ」
「従兄弟は結婚できるだろ。てことは付き合ってもいいんだろ。何したっていいわけだろ」
のことバカにしてたじゃないか」
「本気でバカにしてたらこんな勝負に付き合ってくれるわけないだろ」

3人組の言っていることは当然ただの憶測だ。だが、説得力があるので、清田は考え込んだ。もし自分に同年代の従姉妹がいたとして、本当に鬱陶しかったから勝負なんか受けないし、大きな大会で勝ったんだなんて自慢すらしない。確かに、はああ言うが、実は仲がいいのでは……

例えばもしその従姉妹が凄まじい美少女だったらどうだろう。照れ隠しで憎まれ口を叩いてしまうかもしれない自分は容易に想像ができる。その上何を言っても真に受けて本気になるのを見ていたら、からかいたくなってしまうかもしれない。あれっ、オレもクソ野郎か?

「向こうが失敗してがシュート決められればいいけど、ドローでも、なあ」
「何でだよ、ドローならいいじゃねえか」
「そうか? 勝ち負けなしで仲直りしよう! ってなる気がするけど」

清田の頭の中を妙な妄想が駆け抜ける。つい憎まれ口をきいてしまういとこ同士、ひょんなことがきっかけでシュート勝負したけど結果はドロー。あんなこと言ってごめん、ううんそんなこと、練習頑張ったんだな、ちょっとでも近付きたかったの、それって――うわああああ

……ただの想像だろうが」
「今なんか考えてたろ。そんなのの手助けするくらいなら先にもらっとけよ」
「どういう理屈だよ」
「大丈夫大丈夫、お前バスケしてる時はかっこいいから」
「バスケしてなくてもかっこいいっつーの」

そんなことを話していたらすっかり神社は暗くなって、遠くに薄っすらと夕日が見えるだけになってしまった。3人組は煽りまくって満足したのか、または日没までに帰るというルールでもあるのか、慌てて帰っていった。神社の裏の方にダッシュで駆けていく。

それを見送った清田はバッグを担ぎ直して鳥居の外に出た。気のせいかもしれないが、神社を出ると空気が淀む感じがする。深呼吸をしてひとり歩き出す。3人組はやかましいが、練習に勉強に、ちょっと楽しかったような気はする。自分で言ったように、は可愛らしくて一生懸命で優しい。

それをクソ野郎かもしれない従兄弟に取られるくらいなら、師匠の方がいいんじゃねえの……と思っては打ち消し、あの神社って何の神様なのか知らないけどもしかして縁結ばれた? と思っては打ち消しながら、清田はだらだらと歩いて帰った。そして、ちょっとだけ思ってみる。

教えてもらった教科はちょっと頑張ろうかな……

「さて、今日からいよいよシュート打ちます」
「はい」
「だけど、要はボールが入ればいいわけです」
「そうですね」
「なので、のやりやすい方法でOK、それをちょいちょい修正していきます」
「わかりました!」

2日目の練習を終えても筋肉痛が出ていないというは、今日も制服にジャージを穿き込んでいて、その上トップスはミニー柄のパーカーだった。3人組が煽るせいで清田にも「可愛いじゃん」と褒められたは頬をピンクにして照れていた。

一方清田は、まずはゴールに届くように投げられること、届きやすい距離感を掴むこと、投げた時に軌道がずれないようにすること――とにかく1本でも入ればという勝利条件のために、バスケットでの定石はともかく、に合わせた「シュートもどき」を指導し始めた。

昨日3人組に余計なことを吹き込まれた師匠は丁寧に優しく指導しているし、そういう練習が続いている以上は3人組も協力的でふざけたりしない。が真面目に取り組むので、練習の方は本当に順調だ。

むしろ、あまり進みがよろしくないのは勉強の方である。

もっとも、神社のベンチは勉強するには集中しづらい場所だし、違う教科書で勉強しているので、は試行錯誤をしながらも中々的確なアドバイスをしてやれないでいる。ただし、そういうの気遣いを受けて清田本人のやる気が少し出てきたことは大きな進歩だ。

その上、ボール投げ程度でもに教えるということを考えると、自分もやたらと詰め込んで繰り返せばいいというものではないのでは……と思えてきた。自分に必要と思われることを効率よく組み込まないと、ただ運動しているだけになってしまうのでは。競技名がつく以上は頭も使わねばならない。

そんな清田の指導ではまずはボールをバックボードにぶつける練習を始めた。最初は届かなかったし、高さが出てきてもかすりもしなかったり、中々に道は険しい。によると、勝負はジャンプシュートに限ることになっているそうで、不慣れでも比較的やりやすいレイアップではだめとのこと。

バックボードに当てる練習を繰り返している中で、稀にそのままネットの中に落ちるということがないわけではない。しかしそれはただの偶然。それを狙うのはリスクが大きい。

「腕は振り回しちゃダメだぞ。一番高いところで押し出すように」
「押し出す……
「ジャンプしながら一番高いところまで運ぶ感じ。で、頂点に来たら、ポイッと」
「ポイッ……
「わかんねーよなあ、出来てる人間の説明ってー」
「うるせー!!!」

トシローがぼそりとツッコミを入れるので、清田はまた怒鳴り返した。教える方だって大変なんだよ!

「大丈夫大丈夫、わかりやすいよ。私が簡単にできないだけの話だから!」
「まあ普段からやりなれないわけだしな」
「私の方が勉強教えるの下手だよ~。教えるのって難しいね」
……はいい女だな」
……タケル、確か小学生だよね?」

もちろん何かを教え導くということはとても難しい。けれどは少しずつボールが高く上がるようになっているし、清田は少なくとも自宅に帰ってから少しは机に座るようになったし、3人組はあれこれと小言を言うが、ふたりとも進歩している。

「なあなあ信長、はバスケするわけじゃないんだからフォームとかどうでもいい、って言ってたけど、『いいフォーム』って、うまくいきやすい投げ方ってことじゃないの?」

理屈っぽいタカヒコがそう言うと、清田は腰に手を当てて首をかくりと傾げた。

「それなんだよな。確かに『いいフォーム』ってそういうことだと思うんだけど、そういうのって長い時間かけて身につけていくものだし、決まった形にしなきゃと思うと肝心のコントロールの方が狂うってことになりがちじゃねえかな~と。オレもそんなにフォームきれいな方じゃないし……そもそもシュート得意なタイプでもねーし」

そのままブツブツ言っていた清田だったが、は目を丸くして傾いた。

「そうなの!? あんな高く飛んでシュートしちゃうのに!?」
「いや、あれはシュートって言うより、持っていってる感じだろ。フリースローとかは成功率高くねえんだよな」
「そうだよなあ。ボール持って届くんならフォームなんかヘボでもなあ」
「ヘボって言うな」

そして清田の場合、ポジションの問題と先輩にシュートが異常に上手いのがいるので、現時点で特に期待されていない点でもある。そりゃあ出来るに越したことないけれど、自分だけに求められる役割でないのは確かだ。

「オレたちが後ろから見てるとさ、って腕がいっつもグラグラしてんだけど、いいの?」
「腕がグラグラ? わり、ちょっとやってみて」

これまで練習は横からしか見ていなかったので、清田は3人組の位置まで下がって見てみる。ちょっと恥ずかしそうなが飛び上がってボールを放つ。その瞬間、清田は「あーほんとだー」と声を上げた。

「グラグラってどういうこと?」
「要するに、手の位置もバラバラだし、肩も肘も閉じたり開いたりしてるってこと」
「同じの方が……いいよね?」
「それはそうだよな。その方が体に癖がつくから、結果的に成功率が上がる」
「それが正しければ『いいフォーム』ってこと?」
……そうかもしれない」

これまでは教わるばかり、または自分でやりやすいようにしてきただけの清田なので、こうして手探り状態で解いていかないと普段当たり前のことが理屈になって出てこない。

「ちょっとボール持ち上げてみ」
「はい」
「手はえーと、こうだな。こっちで支えて、押し出すのは主にこっちで」
「両手でやるんじゃないの?」
「その方がボールがブレないだろ。で、そうすると腕がこうで肩がこうで……

いつも自分がやっている形になるようにの手、腕、肩を球体関節人形のように直していた清田は、肩を整えたところで我に返った。なんかものすごく胸に近いところを触っちゃってんですけど!?

「ふぉっ、ご、ごめん!!!」
「えっ?」
「すまん、勝手に触って!!!」
「触っ……あ、いや別にほら、フォーム直してただけだし!」

は何も考えていなかったらしく、言われて初めて清田に腕から肩から触られまくったと気付いてこちらも慌てた。そしてふたりとも嫌な視線を感じてそっと振り返ってみた。3人組が三日月のように目を細め、口角を吊り上げてニヤニヤしていた。

と、こういうことがあると余計に意識してしまって、練習でも勉強でも支障が出る。

「ということくらいわかんねーのかお前らは」
「オレらのせいかよ」
「お前すぐオレたちのことガキ扱いするけど、あのくらいでビビってんじゃねーよ」
「もうちょっとさり気なくやれよな」
「だから触りたくてやったんじゃねえっつってんだろ……

が帰った後の参道である。本日もそろそろ日が暮れようとしている。

「てか、お前らはふざけてすぐそういう風に煽るけど、違うから」
「何が違うんだよ」
「女の子に無断で触っちゃったら謝るもんだろ。何がさり気なくだ。それは痴漢だ」
「そういうことじゃなくて……

3人組は一斉にため息だ。

「だからさ、お前もう少しうまくやればもっとかっこよく出来るのに、って話だよ」
「かっこよくする必要ねえだろ」
「あるだろ!」
「なんでだ!」

今度はわざとらしくため息を付いたタカヒコがビシッと指をさす。

「男がかっこつけんのなんか当たり前じゃんか! てか高校生のくせに女なんかとか逆にだせえよ!」
「あのねえタカヒコ、何でも恋愛に結びつけるのはお前のカーチャンの世代の話だから」
「だから時代関係ないって言ってんだろ。恋愛して何が悪いんだよ」

清田もわざとらしくため息を付いてやり、3人組に向かって屈み込む。

「あのな、確かには可愛いよ。優しいし、練習してても勉強してても楽しい。だけどそれをすぐ付き合うだのなんだのって話にするのは、むしろ失礼なんだよ。がオレを好きになるとは限らないし、例え付き合ったとしても実はものすごく相性が悪いかもしれない。そのくらいわかるだろ」

知り合ってまだ3日目、その時点で関係の発展の進行方向を恋愛と考えるのは気持ち悪いだろうというのが清田の理屈だ。特に女の子はそういう思考を嫌うだろうし、それにはいとことの勝負があると言うだけで、もしかしたら音羽東に好きな人がいるかもしれない。それは邪魔したらいかんだろう。

だが、タカヒコは芝居がかったアクションで腕を組むと、ふんぞり返る。

「バカ言うなよ、人間は何万年も前からそうやって来たんじゃないか」
「お前ほんとに理屈っぽいね」
「信長がビビりだからな」
「ビビり言うな。とにかく、余計なことはすんな。わかったか」

3人組はべーっと舌を出すと、また境内の奥の方に向かって走り去った。神社の後ろというと、割と古い住宅の多い地域がある。良くも悪くも昔の町だ。その辺に住んでる子なんだろうなと考えつつ、清田も神社を後にする。そして鳥居を抜けたところで自分の言葉を思い出して顔が熱くなった。

可愛くて優しくて、一緒にいると楽しい、のこと、そんな風に思ってたのかよ、オレ――