七姫物語 * 姫×旅芸人

5

爆発があったのは春市6日目のことだった。ずっと意識があった姉と爺やによれば、が目覚めたのはその日の夜だったという話だ。それから数日の間、たちは牢の中に入れられたままだった。食事は与えられるけれど、外の状況は一切わからないし、その上病弱な姉の体調があまりよろしくない。

と姉のふたりは父親が処刑されたと聞かされても驚かなかったし、涙も出なかったし、正直悲しいという程ではなかった。なぜなら彼女らは生まれてこの方ほとんど父親と接したことがないからだ。の兄弟姉妹は全部で12人。その内姉3人は既に嫁いでいて、父親と接触があるのは成人している兄3人だけだ。

この大惨事と父親が死んでも感慨もない王女ふたりを目の当たりにした爺やは、退屈しのぎにぺらぺらと色々なことを話し出した。彼は父親もこの城で王子王女付きの爺やをしていて、生まれも育ちもこの城という人だ。私の憶測を多分に含みますが、と前置きをしつつも以前だったら口が裂けても言わないようなことまで喋った。

「じゃあ海の向こうに戦を仕掛ける計画って本当だったの?」
「もちろん本当です。計画だけなら先々代の頃からありました」
「なんでそんな無謀なこと……
「それはお血筋としか言いようがありませんな。3代続けて計画を見直そうとは思わなかったんですから」
「反対する人はいなかったの?」
「いたらどうなると思いますか。捻り潰されておしまいです」

そして清田のようなコソコソしているのがいるのももう何十年も前からのことだと爺やは言う。

「ただ、その姫のご友人が言うように、兵器とやらを開発させるために技術者をさらってきているというのは初めて聞きました。以前は国の研究機関で進めているという話だったはずです。もしその誘拐が事実なら開発が一気に進んだのでは? それで焦ってこんな風に攻められてしまったのでは」

まさか城内に侵入してきたのと仲良くなってしまっていたとは言えなかったは、清田とは城下で会っていただけの一座の者、そういう噂話を聞かせてもらったと言うにとどめた。ここで清田のことを全てバラそうが隠そうが事態は変わらないけれど、やっぱり彼を悪者のように思われるのは嫌だった。

牢の中でろくに陽の光も届かず、時間経過の感覚もなくなっていたたちは睡眠時間がバラバラになっていた。起きたり寝たり、それも一体いつしているのかわからない。そんな中、爺やは食事を摂ると眠気をもよおすようになった。1日1回の食事が終わると爺やは寝てしまう。そんな時のことだった。

「ねえ、そのお友達って、恋人じゃないの?」
「ファッ!? な、まさか何言ってんの、旅芸人だよ」
……こんな時に隠さなくても。笑ったりしないよ」
「隠してるんじゃなくて……本当に別に恋人とかそういうんじゃ、なくて、うまい言い方が見つからないんだけど」

爺やを起こさないように肩を寄せ合っていたふたりはなんとなく手を繋いでいた。に少し寄りかかっている姉はゆったりと相槌を打ち、の言葉を引き出そうとしてくれる。というかこのふたりもこんな風に長い時間を一緒に過ごすのも話をするのも初めてだった。

勢い爺やに聞こえないような声で本当のことを話したけれど、姉は笑わなかった。

「私、こんな体だからもちろん恋をしたことはないんだけど、その代わり物語は人よりたくさん読んでるの。本の中の恋愛なんて作り話なんだけど、書いてるのは実際に生きている人間だもの、人の気持ちを表そうという感情は作り物じゃないと思うのね。そういうところを読み解きたいといつも思ってる。だからこれは私なりの推理なのだけど、きっと彼は本当にあなたが好きだったんだと思う。慰めじゃなくて、確信を持った推理よ」

苦笑いするしかなかっただが、姉は意に介さない。

「彼も揺らいでいたんじゃないかな。危機的状況を打破するため危険な任務を遂行していたのに、あなたと出会ってしまった。その潰さなきゃいけない王家にあなたがいるということは苦しかったと思う。あなたを連れて行かなかったのは、こんな事態なんかまったく予測してなかったのよ。知ってたら縛ってでも連れ出してくれたはずよ」

だとしても、もう二度と会えないことは揺るがない。は泣き出しそうになるのを堪えていた。

も、好きだったんでしょう?」
……うん」
「それが伝わらなかったのは……私も残念に思う」

まだたった16年の人生、好きなようにのんびり生きてきた。そんなに後悔がひとつあるとしたら、姉の言うように、好きだと伝えなかったことだ。こちとらお遊びなんだよと言われても、一緒にいられて嬉しかったと言えばよかった。それだけが心残りだった。

やがてふたりが手を繋いだまま眠りに落ちてしまった時のことだ。慌ただしく牢の扉が叩かれ、すっかり熟睡していた3人はその場で飛び上がるほど驚いた。ただでさえ丈夫にできていない姉は急に眠りから引き戻されたので咳き込みだした。姉の背を慌ててが撫でていると、ドアの向こうから焦った声が聞こえてきた。

、ここにいるんだろ、返事してくれ」
…………嘘」

清田の声だった。言いながらドアの鍵をガチャガチャやっているようだ。何が起こっているのかわからないけれど、思わず立ち上がったは体が震えてきた。なんでここにいるの、どうして鍵を持ってるの、潰す予定の王家の人間なんてどうでもいいんじゃなかったの――

ガチャリと大きな音がして鍵が外れ、ドアが開く。目が眩むの正面に、清田が立っていた。相変わらずのマント姿だが、彼もあちこち怪我をしていて汚れているし、よく見るとが最後に会った時とまったく同じ服を着ていた。

「信長、どうして」
「遅くなってごめん、でも間に合ってよかった。、一緒に行こう」

よたつく足で駆け寄ったを両腕いっぱいに抱き締め、清田は囁く。

「お芝居もお菓子もないかもしれないけど、来てくれるか」
「平気。こんなところにいるくらいなら、そんなもの」

一応姉と爺やがいる手前、額にキスで済ませた清田は素早く牢の中に入ると、姉と爺やの前にしゃがみこんだ。

「歩けますか」
「私は大丈夫ですが、王女が」
「オレがおぶっていきます。今牢に入っているのは全部で18人、全員連れて出ます」
「そんなこと出来るの」
「そういう段取りが可能になったから来たんだよ。ほら鍵」

清田から鍵を受け取ったは恐る恐るドアの向こうを覗く。そういえば牢番がいない。

「あの、どうぞ私は置いていって下さい。足手まといです」

清田のマントでくるまれた姉はその手を止めて首を振った。まだ咳も止まっていない。

「お姉ちゃん何言ってるの」
……確かに王女は長い距離を走ったりは出来ません。それなら私も残ります」
「どうかを安全なところへお願いします」

咳き込む姉に爺やが寄り添い、そう言って清田に頭を下げた。だが、清田も首を振る。真顔だ。

「ここに残られては困ります。爺やはこの城に数十年、色々なことを知り過ぎてる。今回の件は復讐に駆られた人が引き起こしたことです。壊したいだけなんです。そういう輩にこれ以上余計な情報が渡るのは避けたい。それから殿下、あなたはの姉上です。あなたを置いていけばが悲しむ、だから嫌でもついてきて頂きます」

ワッと泣きそうになっている姉妹ふたりだったが、はさっさと鍵を開けて事情説明してこいと追い出され、その間に清田は姉を背負って体に括りつける。爺やもを追って動揺している人々に声をかけていく。牢に入れられていたのは王家の女子供とその最も親しい使用人ばかり計18人だ。

……に話を聞きました。カイナンの王子様でいらっしゃるのですね」
……大変ご無礼を」
「いいえ、感謝します。それから、ひとつ余計なお世話をさせてくださいな」
「余計なお世話?」
「はい。妹はあなたことが大好きなのですよ」

弱々しい姉の言葉に清田はゴフッとむせて、よろよろと壁に手をついた。その話今する必要あるか!?

「どうかあの子と一緒にいてやって下さい」
……こんなのでいいんですか」
「もちろん。のこと愛してらっしゃるんでしょう?」
「あい……いやそのあのですね」
「違うの?」

姉上は殆ど外に出たことがない上に、本人も言うように大変な読書家なので少々現実から乖離していて人間ではないような雰囲気がある。そんな姉上の純粋な声に清田も苦笑い、しかし彼女を背負い直すと、しっかりと頷いた。

…………違いません。だから戻りました」
「春市で巡り合った相手と結婚すると幸せになれると言われてるんですよ」
「そ、そうなんすか、へえ」

これから命がけの逃亡をしなければならないというのに、清田は姉上の精神攻撃で真っ赤、けれどそれはちょっといいかもしれない、と思った。別れの夜、何度を連れに戻ろうかと思ったか知れない。知り合って数日の脳天気な王女の何がいいのだろうと何度も自問した。わかりやすい答えなど出てこなかった。

それならいっそ、春市の夜に出会った女だから、ということでもいいような気がした。

牢は東館の地下にあり、たち18人以外に投獄されていた人はおらず、清田によれば、もう西館と東館は空になっているという。本館は主犯が集団で占拠しており、王宮の外もがっちり固められてしまっているとのこと。

「ええ、確かに西館の地下にはワインの貯蔵庫がありますけど……
「一番深いところにあるのと、西館は崖っぷちに建ってるから横穴を掘りました」
「誰がそんなこと……
「それは着いてのお楽しみ」

この城に生まれ育ってウン十年である爺やの誘導もあって一行は東館を無事に脱出、普段なら本館前の広場か本館の中を抜けていく必要があるが、東館の塔から本館のバルコニー、バルコニーから屋根を伝って西館の裏手へ降りるという女子供だけでは危険な行程だったけれど、なんとか西館地下へ通じる通路までやって来た。

西館の地下といえばと清田が出会ってしまった場所でもある。少し感慨深そうなふたりをしんがりに一行は地下へ降り、ワインの貯蔵庫に辿り着いた。全員が入ってドアを閉め、厳重に鍵をかけると明かりを灯した清田が軽く口笛を吹いた。するとワイン樽の一角がするすると動いて、中からのよく知った顔が現れた。

「座長……!」
「ああ姫、ご無事でしたか、よかった! さあこちらへ、お急ぎ下さい」

清田が身を寄せていた一座の座長だった。彼は皆を手招き、ずいぶんと広く掘られた通路へと誘導した。

「こんな大きく掘るの大変だったんじゃないの」
「いや、これは元から掘り途中だったんだよ。それを急いだだけ」
「掘っている間、気が気じゃありませんでした。間に合ってよかった」

そう長くない抜け道を行くと、城壁の隙間から生い茂ってしまった木の陰の下に出た。さらに枝を刺して偽装してある。たちを待ち構えていたのは広場で小屋を立てていた一座や芸人たちであった。がざっと見ただけでも10組くらいはいるだろうか。皆移動用の幌馬車で待ち構えていた。

「皆さんいいですか、申し訳ありませんが、全員一緒にはお連れできません。組み合わせはお任せしますが、少人数で別れて下さい。行き先はバラバラ、一座の者としてこのままこの国を出ることになります。時間はかかりますが、連絡を取り合うことは出来ます。平民のような生活を強いられることになりますが、よろしいですか」

爺やは別としても、今ここにいるのは母親と子供、そしてその使用人がほとんど。全員文句も言わずに頷いてそれぞれ散っていく。の母親も出身国の隣国の一団がいたので、そこに入ると決まった。うまく行けば実家に帰れる。娘も一緒に来るものだと思っていた彼女は、清田を紹介されると目をひん剥いて驚いた。

しかし、自分も14の時にぽいと嫁に出されてこの国に来た。思った通りには生きられない運命なのだと覚悟をしたつもりだったけれど、故郷に帰れるのだと思うと胸がワクワクして止まらない、だからも自分の決めた道を行きなさいという。そして姉上のようにを頼むと清田に念を押すと、馬車に乗り込んだ。

たちを待ち構えていたそのほとんどが芝居を打つ一座で、それぞれにお化粧係や衣装係がいる。そこで全員平民のような姿に替えられ、身につけていたもので換金できないものは全て捨てていくことになった。も同様に町娘がよく着ているような服に着替え、髪をひとまとめにする。

「服は衣装の中に紛れ込ませておけばいいでしょう。あまりのんびりもしていられません、そろそろ出ます」
「座長、そろそろ西の工業区の見回りが終わる頃だ。行こう」

は姉上とも別れた。彼女は北の方にある王国から来た音楽隊の馬車に乗ることになり、屈強な音楽隊の用心棒に文字通りお姫様抱っこをされて真っ赤になっていた。そんなわけで、は爺やとともに清田の国へと向かうことになった。座長もよく知っているし、爺やもいるし、そして何より清田がいるので何も怖くない。

だが、以外におまけがついてきてしまった清田は少し面白くない。

「お前だけでよかったのに」
「まあまあ、爺やから何でも聞き出せばいいじゃない」
「てか爺やってどうなの、男関係とかうるさくねえの」
「うーん、どうだ――
「うるさいかうるさくないかは相手の殿方によりますよ、王子」

無事に城下を離れた馬車、揺れる幌の中で身を寄せ合っていたふたりだったが、御者席からズボッと顔を突っ込んできた爺やに驚いて幌の中で転がった。どうやら一緒に御者席で馬を走らせている座長から話を聞いたようだ。こちらもちょっと面白くなさそうな顔で清田を見ている。

「姫がよいというのでしたら特に異論はありません、が! 姫がいるというのに他の女の子に鼻の下伸ばすようなことがあれば容赦しません。わたくしこれでも剣術と柔術は師範代ですのでそのところお忘れなく」

そう言うなり「嘘!?」とハモっていると清田を残して顔を戻してしまった。

「おいマジか王子王女担当の爺やだろ、なんでそんなに武闘派なんだよ」
「いや私も知らないって、今初めて聞いたもん、いやちょっと待て、確かにいたずらした後に捕まると逃げられなかった……
「なんだよもー今夜寄る予定の宿場町についたらこの間の続きしようと思ってたのに……
「ば、バカ言わないでよみんないるのに!」
「平気だよ、一座の夫婦ものは旅をしながら子を産んで育てるもんだぜ」
「話が飛びすぎだろ」

まだ転がっていた清田はごろりと寝返りを打って移動すると、にどさりと覆い被さった。

……もう一度会えると思ってなかったから、びっくりした」
「オレだけ帰る途中に襲われたんだよな。それで密書を奪われてあんなことに」
「それで怪我したの」
「気付いた時には近くの村で、もう事件は起きてた。オレが油断したせいなんだ」

しかし清田を襲ったのはもう何年も仲間のふりをしていた離反者で、清田はうまく行ったからもう少し待てと言ったところで攻撃された。清田曰く、さらわれた技術者たちの家族が中心になって過激派が出来てしまったのだという。メインストリートで爆発を起こさせたのも彼らだという。

「そんなことしてもさらわれた人は」
……オレの調査で半数以上が既に亡くなってるとわかったんだ。密書に書いてあったからな」
「ねえ、その、父は本当に処刑されたの?」

もう故郷を惜しむ気持ちはなかったけれど、広場で意識を失ってからのことは未だにわからない。

「処刑? いや、本館から出てきたところを爆破されて吹き飛んだよ」
「じゃあもう、信長が止めたいって思ってたことは、侵略の話は消えたの?」
「今のところはな」
「なんで? 父も祖父ももういないんでしょ」
「言ったろ、それに感化されちゃってるのはけっこういるって。全員始末できたわけじゃない」

それでなくとも地道に調査を進めていたのに、過激派の暴走で全て無に帰した。一旦帰って父親と相談しなおさなきゃならないと言って清田はため息をついた。はその清田の頭を撫でて、頬にキスをする。

……少し遠回りして帰ることになるから、早くても2~3ヶ月は一座の娘だぞ」
「娘? 曲芸師の妻じゃないの?」
「ファッ!? いやお前がそれがいいってんなら別にそれでもいいけどオレはだな」
「まあ、王子様は普通こんな年で結婚なんかしないけどね」

それに、もうの血筋である王家は断絶したも同然、国もガタガタ、立て直せるかどうかも怪しい。ということはどの国にも属していない平民以下の存在ということになってしまう。果たして清田の国に辿り着いたところで、彼とずっと一緒にいられるかどうか。仮にも彼は王子だし、危険な任務にも出る国の重要人物であるはずだ。

「私はもうお姫様じゃないし、2~3ヶ月ふりをするだけでもいいなって」
、そういうのは国に帰ってから考えよう」
「夫婦の真似事はイヤ?」
……イヤだ」

はあからさまにがっかりした顔をした。だが、清田はにキスをすると顔を寄せたまま囁く。

「ふりはイヤだ。なるなら、本物がいい。だから焦らないで、無事に帰り着こう」

ガタガタと揺れる馬車の上で、ふたりはまた唇を重ねた。清田の故郷まではまだ遠く、何しろ混乱状態にあるこの国から出ることも出来ていないのだ。旅の一座を装い、しばし旅を続けることになる。その道は決して楽ではあるまいが、しかしは少しわくわくする心を体の中に隠していた。

大好きなお芝居を打つ一座の一員となり、王子様と旅をするのだ。まるでお芝居の中に入ったみたいではないか。

「王子様、大好き」
……オレもですよ、お姫様」

春市で巡り合った相手と結婚すると幸せになれるという。それが本当になったかどうか――それはまた別のお話。

めでたしめでたし、おしまい