前夜祭が終わり、初日を迎えた春市は例年通りの人出に盛況し、しかし大きな事件事故もなく無事に夜を迎えた。昨夜深夜まで広場で過ごしたは薄っすらと空が白み始める頃になってようやく眠りにつき、そのままぐっすりと眠り込んで昼過ぎにようやく目が覚めた。それを爺やを始めとする付きの人々にガッチリ怒られた。
確かにもう16歳だし前夜祭に行ってもいいと陛下や王妃様に許可をもらいましたが朝帰りしていいなんて言ってませんよ! というわけだ。は帰ってきたのはまだ日の出る前だったと反論してみたが、取り合ってもらえなかった。そんなわけで春市2日目、あえなく外出禁止となった。
今日はあれとあれとあれを見ようと思ってたのに、もし最終日までに再演がなかったらどうしよう、また来年もやってくれるだろうか、というか来年も来てくれるだろうか。そんなことを考えてはどんよりしていた。ずっと同じ演目をやっている一座ならともかく、複数の演目を不規則に上演したりしていると見損ねるかもしれない。
しかしこうなれば仕方ない、大人しくしおらしくしておいて制裁解除を待つのみ。せめて昼には出られるようにならなければ年に1度の楽しみを全て棒に振ることになる。はそう自分に言い聞かせた。
が、外から客寄せのお囃子が聞こえてくるとイライラしてきて、しかしどう考えても種を撒いたのは自分なので落ち込んで、最終的には泣きたくなって来た。あの夜の広場の雰囲気が好きなのに。あの中にいたいのに。
お囃子の音があまりにも心に刺さるので、は部屋を出てこそこそと廊下を行く。が寝起きしているのは西の居館で、外壁と一番距離が近く、また王の家族とその家臣の生活の場だ。ただし国王本人は基本的に西館にはいない。西館東館に挟まれた本館にいるのが普通である。自身も毎日顔を合わせているわけではない。
部屋を出て廊下を行き階段を降りてゆくとお囃子の音がだんだん遠ざかっていく。西館は地上3階地下3階の構造で、しかし城自体は堅牢な城壁に囲まれているので1階にもなると外の音はほとんど聞こえなくなってしまう。の部屋が3階にあるので聞こえてしまうだけだ。
1階に到着したはこそこそと通用口を出て細い通路に入り、その先のドアからさらに階段を下りていく。行き先は地下だ。地下と言っても牢があるわけじゃない。地下が牢になっているのは東館。西館の地下は基本的にあらゆるものの貯蔵や収納に使われている。上が居住専用なのでその方が都合もいい。
慣れた足取りで地下2階の廊下を進んでいただが、目的の部屋まであと少し、というところで急に真横から飛び出してきた何かに衝突して吹っ飛んだ。も早足で歩いていたので、余計に勢いがついてべたりと壁にへばりついた。
「痛った! 誰よもうこんな時間に!」
思わず大声で悪態をつき、すぐに振り返ったは同じように衝突の勢いで壁にへばりついている背の高い男を見て首を傾げた。誰だこいつ。
「誰? 先生? それとも軍の方の人? そこは季節ものの部屋だけど」
返事なし。壁にへばりついている男は長いマントをひっかけ、フードをしっかり被っている。
「ねえちょっと大丈夫? どこか打った? 痛いなら――」
が男の肩に手をかけると、乱暴に払われてしまった。これでも一応王女様なのでカチンと来る。
「無礼な! 誰よ、顔見せなさい!」
「わ、ちょ、やめ――」
「ていうかこんな時間にこんなところ、泥棒に間違われてもおかしくないんだよ!?」
もし本当に泥棒だったら命に関わるという危機感はにはない。マントの男に掴みかかると、フードや厳重にも顔を隠していた黒い布のマスクを剥ぎ取ろうとして格闘になった。男の方は狼狽えてを押しのけようとし、は抵抗されればされるほどしがみつき、しまいには男の足によじ登って首から上を引っぺがした。
マスクを剥ぎ取られた男はサッと顔を逸らしたが、もう隠すものは何もない。の知っている顔が出てきた。
「あれ!? あんた何でこんなところにいるの!?」
清田だった。は間の抜けた声でそう言うと清田から降りて彼の顔を覗き込む。
「てかどうやって入ったの? 御前興行の予定なんてなかったよね」
「…………」
「その上こんな生活用品の貯蔵庫で何してんの。お腹減ってんの?」
「…………」
「なんか言いなよ……」
清田はバツの悪そうな顔を逸らしたままマントを体に巻き付けている。その前で合わされたマントをボフッと叩いたにつっこまれると、清田はそのままずるずると壁に背を押し付けたまま床にしゃがみこんだ。
「お前こそなんでこんな時間にこんなところにいるんだよ……」
「しょ、しょうがないでしょ、今日は外出禁止くらっちゃって、しょうがないから遊び部屋に行こうかと……」
「遊び部屋?」
「私の趣味の部屋。お芝居のポスターとか台本とか似せて作った衣装とか、そういうのが置いてあるところ」
「お前ほんと芝居小屋好きなんだな……」
「いいでしょ別に! てかあんただって旅芸人じゃん! さっきから話見えないんだけど!」
目の前に膝をついたがふんと鼻を鳴らすと、清田はハーッと大きなため息をついてがっくりと項垂れた。
「……何を聞いても今日のところは黙ってオレを外に出させてくれたら話す」
「いいけど」
「即答かよ! お前もう少し考えろ」
「失礼な! 考えるほど難しい問題じゃないからだよ! さっさと説明しなよ!」
またため息をついた清田はをまっすぐ正面から見つめると、改まった口調で話し出した。
「……私はあの一座の芸人ではない。カイナンの王子です」
「……は?」
「あーもうめんどくせえな! 一座の芸人のふりして潜り込んでる王子だっつってんの!」
「何で?」
「だからもう少し考えろっつーんだよ!」
「あんたがさっさと話せばいいだけのことでしょ!?」
座ったままギャンギャンと言い合いをしたふたりだったが、あまりに大声を出したことに気付いて口元を覆った。貯蔵庫と収納部屋ばかりの地下とはいえ、ここは西館の人間ならいつでも好きな時に下りてこられる場所だ。つい距離を縮めたふたりだったが、どちらも眉を釣り上げていて言い合いをする気満々だ。
「それにあんな小さな国の事情なんか知ったこっちゃないから。一体何しにきたの? 泥棒?」
「失礼な! 潜入捜査って言え」
「だから何のよ。こっちが犯罪者であんたたちが警吏みたいな言い方するな」
「……確かにオレたちは警察じゃない。だけどお前らは犯罪者だ」
「……え?」
清田は急に厳しい顔つきになって低い声を出した。はきょとんとして首を傾げる。
「自分で何も考えられないお気楽な王女様は政なんざ興味ねえだろうけど、世の中はお芝居じゃねえんだよ」
「な、そっちこそ失礼な。お芝居と現実の区別くらいついてるから!」
「だったら自分の国が何をやってるかくらいわかってんだろうな」
「何をって何を! あんたこそよく考えなさいよ、こんな16の王女が政に口出しさせてもらえると思ってんの?」
「口出しはできなくても現状の把握くらいは出来るだろ。ほら言ってみろよ」
「だから何についてよ! 外交? 経済? 産業? それとも福祉?」
「教育係のお勉強かよ」
あんまり清田が呆れて小バカにしたような顔をしたので、は思わず膝をひっぱたいた。なんて意地悪な! 清田はそのの手を掴むとポイッと投げ返し、ボリボリと頭を掻く。
「説明めんどくせえからオレ帰るわ」
「ちゃんと説明しなかったら追いかけて行って大声あげてやる」
「お前もめんどくせえな!」
清田は壁にだらりと寄りかかっていた体を起こすと、腕組みで鼻を鳴らすに顔を寄せて指で顎を掬った。
「そんなにオレと一緒にいたいの?」
「そういう台詞は舞台の上で言いな」
「可愛くねえなほんとに」
「本当のこと話してって言ってるだけでしょ」
そもそもが基本王宮の中にひきこもりのである。まるで物語の中に入り込んだような展開をみすみす逃してなるものかという勢いの前に色仕掛けなど意味を成さない。今にも唇を奪われそうな距離でそんなことを言う清田の額をペチンと叩くと、ひょいと元来た方を振り返った。
「まだそんなに遅くないし、この時間帯はこんなところ来る人滅多にいないし、長居しても平気だって」
「そういう問題かよ。てかそんなに話が聞きたいんならお前が来い。外出禁止解除してもらえればな!」
もう話す気はないらしい。清田は立ち上がるとに手を差し出して引っ張り上げ、フードを被り直す。
「そしたら寝床で添い寝しながら話してやるよ」
「あんたそういうネタしか思いつかないの……」
「……少しは照れるとか恥じらうとかしろよ可愛くないなほんとに」
「照れも恥じらいもあんたのとこの看板俳優に言われれば出るかもしれないけど」
「……お前いつかぎゃふんと言わしてやるからな」
「ぎゃふん」
「おま、ほんと腹立つ……! もういい帰る。じゃあな。約束だから騒ぐなよ」
今日のところは何を聞いても見逃す約束だ。もそれを違える気はない。マントを翻して音を立てないように廊下を走り去っていく清田の背中を黙って見送っていた。そして遊び部屋に行くつもりだったことも忘れてしばし廊下に突っ立ったまま腕を組んで考え込んでいた。犯罪者ってどういうことだろう……?
「言われた通り来たけど寝床はどこ?」
「マジかよ……」
翌日の日没後、清田は呆れた顔をしている座長に呼び出されて芝居小屋の舞台裏にやってきた。客が来てるから座長の部屋まで行って来いという。一座のみんなで使う控室をカーテンで区切っただけの座長室だが、一応個室だ。そこに顔を出した清田はが姿勢よく椅子に座っているのを見るとがっくりと頭を落とした。
「外出禁止解除されたのかよ」
「まーね。その代わり今日は門限があるけど。で? 私話を聞きたいんだけど寝床はどこよ」
「お前性格悪いだろ」
「自分で言ったんでしょ。私は場所なんかどこだっていいんだから」
「だけど本当に寝床に連れ込まれたらどうするんだよ」
「話を聞く」
「オレに下心があって寝床に引っ張りこんでたらどうするんだよ」
「うーん、そんなことになる気がしない」
「ハァ!?」
お前はそんなこと出来ないだろうという風にも聞こえたし、お前とそんなことになるなどありえないという風にも聞こえたし、どちらにしても清田の男の自尊心にそれがちょっぴり引っかかった。
「あのさ、よく考えて。そっちは侵入者。昨日は約束通り見逃したけど、ここの小屋の清田っていうのが西館に忍び込んでたっていうことは出来るんだよ。だけど私はこの一座の人たちを困らせたくない。あんただけとっ捕まるならいいけど、そういうわけにいかないじゃん。そういう判断で私は黙ってる。事情説明くらいしてもらったっていいと思うけど!」
油断していたら割とまともな意見が出てきてしまった。清田は諦めての向かいにあるテーブルに寄りかかる。
「春市の時に城内で秘密の会合が行われてるっていうのは、前からよく言われてたんだ」
「秘密の会合?」
「お前の親父さんや祖父さんが中心になって悪巧みをする会合」
「悪巧みって? もう100年以上まともに戦すらしてないんだけど」
言いづらそうに顔を逸らした清田は頭をボリボリ掻きむしり、少し考えている。
「……兵器開発」
「へい……何?」
「一度にたくさん人を殺せる武器を作ってるんだ」
「まさかあ」
は清田の深刻そうな顔と声にもへらへらと笑って肩をすくめた。
「自慢じゃないけど私の父も祖父もお勉強が得意な人じゃないんだよね。そんな科学者みたいなこと出来る頭持ってないし、ていうか戦する必要もないでしょ。国土は充分にあるし、資源もまああるし、災害もあんまりないし、そんなもの作っても使い道がないじゃん」
それも間違いではない。清田の国のような小国と違って、この国は周辺諸国の中では一番大きく一番裕福だ。隣に喧嘩している国があるわけでなし、対立や紛争を抱えているわけでなし、例えば喧嘩をふっかけたい国があるとしても、これまた規模が大きい軍でワーッと攻め込めばいいだけの話だ。
清田はの言葉にしっかりと頷きつつ、片手を上げた。わかってる、という仕草だった。
「まず、国王自ら兵器開発してるわけじゃない。もちろんそれは専門家にやらせてる」
「うーん、そんな博士みたいな人城にいたかなあ」
「……いるんだよ。オレたちが調べてわかってるだけでも27人さらわれてる」
「さ、さらう?」
「この国は大きい割に最高学府でも学費が高いだろ。育たないんだよそんな人材。だから連れてくる」
はやっと真面目な顔になって背筋を伸ばした。まさか本当の話なんだろうか。
「次に、そりゃあ近所の国はみんな小さくてこの国と仲良くやっていかないと経済的に困る国ばっかりだ。だけど、そうじゃない国ならまだあるだろ、海の向こうにいくらでも。この国みたいに大きな国が海を渡ればたくさんある。目当てはそっちだ。国は大きくとも大陸はそれほどでもない。領土を広げるにも限界があるからな」
話が具体的なのでは少し寒気がしてきた。確かに今自分たちが住んでいる大陸はそれほど大きくはないかもしれない。海を渡れば他にもたくさん国があるのも当たり前の話だ。だけど、そこを攻めてどうするっていうの……
「そんなの割に合わなくない?」
「だからオレたちはそれを止めたくてこうやってコソコソしてるんだよ」
「この国の話なのに?」
「この国だけの問題じゃないんだ」
狭い座長室で近くには誰もいないというのに清田は声を潜めた。
「春市の時に開かれてる会合、あれはこの大陸の国々の王族や重臣たちが集まって行われてる。長い年数をかけて海の向こうに打って出る策を練る、年に一度全員集まってその件で会合をする、春市はいい目眩ましになる。大陸中からやんごとなきお方が集まってくるだろ? そういうお方は城に入ってももちろん怪しまれない」
確かに春市は方々から偉そうな人たちが大挙して押し寄せる。メインストリートの宿という宿は基本的に彼らが占拠し、それ以下懐具合によって宿泊場所の程度は下降していく。
「ちょっと待って、それはとりあえずいいとして、あんたは何でそれを止めたいの?」
「……オレたちみたいな、この国にへいこらしてるような小さな国にとって、そんなことは何の得にもならない」
「それはそうだろうけど……」
「だけどあんたのパパの口車に乗せられた奴は意外と多くて、勝てばもっと金持ちになれると本気で信じてる」
「勝てるって決まったわけじゃないじゃん……」
清田はにっこり微笑んでうんうんと頷く。
「どの国にもそうやって口車に乗せられた手合がいる、どの国にもオレみたいにそれを止めたくてコソコソしてるのがいる、ってことだ。それであんなところに迷い込んでたってわけ。さあ、どうする。オレを突き出すか?」
はまたよく考えもせずに首を振った。清田の言うことが全て真実かどうかはには確かめようがないし、例え真実だったとしても自分にはどうすることも出来ない。どうかしたいという気持ちも今はまだない。城に侵入することはもちろん悪事だろうが、物盗りというわけでもないのだし、またそれを告げ口したところで信じてもらえない気もした。
「何を探してたの?」
「そりゃ、会合の証拠、まあ実際に現場を押さえられたらなとは思ってる」
「見つけたらどうするの」
「……潰す」
「会合を?」
「いや、計画そのものを、兵器開発を。あと――この国の王家を」
その末端であるは清田の声をぼんやり聞いていた。この人何でそんな危なっかしいことしてるんだろう。清田はの顔を覗きこみ、これまでで一番真剣で一番厳しい表情をした。そして腹に手を添え、少し頭を傾けてみせる。
「悪いな、お姫様。恨むなら親を恨んでくれよ」