七姫物語 * 姫×旅芸人

4

春市4日目、やっと門限解除になったは浮かれて広場に飛び出した。それでも日付が変わる前には帰って来なさいというお達しが出たが、日没から30分以内が門限だったこの3日間に比べればマシだ。これよこれ! 夜の闇に橙の灯り、異世界みたいな広場!

また清田が忍び込んでくるとマズいと考えたは、彼が身を寄せている小屋に足を向けて座長に呼び出してもらうように頼んだ。ちょうど公演と公演の間の頃合いで、小屋の前は賑わっているが、座長は快く応じてくれた。前にが怪しげな物売りに引きずり込まれた裏口に回ってくれという。

「あれっ? 門限解除になったのかよ」
「そう。一応日付変わるまでって約束にはなってるけど、もしまた来たら困るなと思って」
「まあその、今日も偵察には行くけど、了解」
……また来るつもりだった?」
……なんか美味そうなお菓子があればな」

清田はちらりと視線を外してからにやりと笑う。だが、直後にの肩をギュッと抱き寄せてきた。

「じゃあオレが『仕事』に出るまで一緒に遊ぶか!」
「えっ、あ、遊ぶって何」
「ひとりだと危ねえだろうけど、オレがいれば大丈夫だろ。広場出てメインストリートの方行こう」

確かにいくら夜の市が好きでも万が一自分の身に何かあったら関係ない人が責任を取らされてしまうので、は日没後に広場を出ようとは思わなかった。そもそもの目的は広場のお芝居や曲芸や奇術なのだから構わない。そう言い聞かせていた。しかし清田が一緒にいてくれるなら確かに身の安全は保証されるかもしれない。はドキドキしてきた。

「どーよ王女様、オレとデートしない?」
「心に響かない誘い文句だけど背に腹は代えられない」
「今日もかわいくねーなほんとに!」

ふん、と鼻を鳴らしてみせただったが、肩から二の腕を抱く清田の手にじわりと胸が痛んだ。お調子者なのか正義を振りかざすスパイなのか知らないけど、どうしてこの人はこうやって簡単に触れてくるんだろう。堅く考えるなっていうけど、そんなの無理だよ。目的が見えないのは不安なんだよ信長――

そんなモヤモヤした気持ちを飲み込み、は清田に手を引かれて広場を飛び出す。長く続くメインストリートにはまだまだの知らない町が広がっていて、ほんの少しだけ緊張するし、怖さもある。だけどこうして清田と手を繋いでいれば大丈夫。怖がる心もいつか楽しさでどこかに消える気がした。

それから数時間、確か今日も不法侵入する予定だったはずの清田とは遊び倒した。迫る0時を前に広場に戻ってきた時はへとへとになっていたくらいだ。清田は城の通用口まで送ってくれたが、通用口にも衛兵がいるので少し手前の木立の影で足を止めた。ここなら暗いので清田の姿は見えにくいだろう。

「部屋までちゃんと帰れるか? 階段でコケるなよ」
「大丈夫だって! 酔っ払ってるわけじゃないんだから」

は清田に持ってもらっていた荷物を受け取り、ぷいとそっぽを向いた。だが、今日はもうあまり喧嘩腰にはなりたくなかった。初めてメインストリートの夜をたっぷり堪能させてもらったし、途中危険を感じたことは一度もなかった。

「信長」
「何だよ」
「あの、今日はありがとう」
「な、なんだよ急に改まって」
「メインストリートはさすがにひとりじゃ無理だから、本当に楽しかった」

は自分でちゃんと顔を作れていない気がして、ペコリと頭を下げた。もし変な顔してたら嫌だもん。しかしそれに戸惑ったのは清田も同じだ。すぐに頭を上げさせると、いつものようにヘラヘラと笑っての顎を曲げた人差し指でつんと突付いた。

「別に気にすんなそんなこと。楽しく遊んだだけだろうが」
……だけど自分ではどうにもならかったことだから。ありがとう」
「いいよもう、こそばゆいな。んじゃほっぺにキスでも頂きましょうか?」

は地面を蹴って飛び上がり、かかか、と乾いた声で笑った清田の頭を掴むと頬にキスをし、そして首に両腕を巻き付けてぎゅっと抱き締めた。いつかのようにぐらついた清田はしかし何も言えずに固まっていた。はすぐに彼を解放するとそのまま踵を返して走り去った。

夜の春市のお囃子が遠くに聞こえる暗い木立の影で、清田は呆然と立ち尽くしていた。

翌5日目も0時までに帰ればよいとの許可をもらっただったが、おそらくは昨日と遊んだせいで不法侵入出来なかったであろう清田は不在、目当ての芝居もほぼ見終わってしまっていて、0時どころか22時頃に早々に帰ってきた。

それに、ひとりで広場をうろうろしていても前ほど楽しくなくなってしまった。またメインストリートに出たい。昨日は本当にメインストリートだけだったから、今度は横道にそれて細い路地にひしめく店を見て回ってみたかった。お酒は飲めないけれど清田と一緒にちょっと暗くて大人が集まるような店でコソコソ話してみたかった。

そういう自分の気持ちに気付いたは少し落ち込み、早々と風呂に入ると窓辺に腰掛けて夜風に髪をなびかせた。

信長、今日は来ないのかな……

だがの気持ちとは裏腹に、それから1時間が過ぎても清田は現れなかった。前回前々回はもっと早い時間に来ていたのだから今夜はもう来ないだろうと判断したは腰を上げて窓辺を離れた。それでもなんとなく窓を閉められなくて無意味に部屋の中をうろうろしていた時だった。

「こんばんわ、姫君」

声だけがそっと響いてきたので驚いたが振り返ると、いつのまにか窓辺に清田が立っていて、風にマントをはためかせていた。部屋の中は既に暗かったので逆光で清田の輪郭がぼんやりと浮かび上がっている。は思わず駈け出し、ゆったりと広げられた清田の両腕の中に飛び込んだ。

もう夜着にガウンを羽織るだけになっていたの体を清田はマントの中に仕舞いこんでしっかりと抱き締める。

……待ってた?」
「来ないかと思ってた」
「今日土産ないんだ、ごめん」
「いいよそんなの」

早く帰ってきたけれど春市には出かけているのだ。今日も気になっていたお菓子やら料理やらを食べたし、食べ物が欲しくて窓を開けていたわけじゃない。は身を引いてパッと離れる。それならお茶だけでもいいじゃないか。だが、清田はお茶の準備をしようとしたの腕を引いてまたマントの中にくるみ込む。

そして、どうしたんだと言おうとしたに断りもなくキスした。

……あなたに会いに来ました、姫君」

何だか様子がおかしい。はそう思いながらもどう答えればいいかわからなくなり、絶え間なく繰り返されるキスに目眩がしてきた。その上いつの間にやら清田の手が体中を這いまわっていて、痺れが駆け抜ける。

「ちょ、どうしたの急に、なんか今日変だよ」
……姫、あなたが欲しい」
「な、ねえ待って何があったの」

なおもキスを繰り返そうとする清田の顔をぐいっと押し返すと、彼はそっぽを向いてしかめっ面をした。

「国に……帰ることになった」
「えっ?」
「調査が終わったんだ。夜明けを待たないでここを出る」
「え、ちょっと待ってどういう意味?」

は咄嗟にその意味がわからず、まだ春市は終わってないよ? などと頓珍漢なことを考えていた。清田はしかめっ面をしたまま、また唇を寄せてくる。気付けばじりじりと押されて、ふたりはベッドのすぐ脇に立っていた。

「詳しくは言えないけど、今回の目的は果たされたんだよ。オレの仕事は終わり。帰らないと、ならないから」
「まだ2日残ってるよ」
……遊びに来たんじゃないんだ」
「帰るから、来たの?」
…………そう」

額を合わせた清田はの頬をするすると撫でている。だが、はその意味がわかるにつれて、胸の奥がじわじわと焼けるような感覚に襲われた。それはつまり――

「もうお別れだから、それで、最後に、私を抱こうって、思った?」

清田は頷き、また唇を重ねようとした。が、の手に口元を押し返されて目を丸くした。

「私が好きだからとかじゃ、ないわけね」
……最後の、思い出に」
「一緒に連れて行こうとか、思わないんでしょ」
……だから来たんだよ」

それを聞いて頷いたはスッと息を吸い込むと清田の腕を振り解いて離れた。

――
「バカに、しないで。私、売春婦じゃない」
「そんなこと」
「いつか好きでもない人のところに嫁に行かなきゃいけない身だけど、だからって誰でもいいわけじゃない」

俯くの足元に涙がポタポタと落ちる。

「好きだとも思ってくれない人に抱かれたいなんて、思わない。帰って、二度と来ないで、もう会いたくない」
、オレは」
「堅く考えるなよ、こんなの遊びだろって言いたいんでしょ。私そんなの無理だよ!」

重い沈黙がしばしふたりの間にどんよりと漂っていた。やがて清田はゆっくりと息を吐き、に近付く。

……姫、さようなら」

そう言って清田は跪き、の手にキスをすると音もなく駆け出して窓の向こうにひらりと消えてしまった。

後に残されたはひとり泣きながら、城下町の外れの方で上がる花火を見ていた。ポンポンと小さな花火が夜空に花咲いては消えていく。高く夜空を駆け上がり、一瞬の煌きを残してかき消えていく。

あいつは花火だったんだ、一瞬で消えてしまう火花だったんだ。私はそれで火傷をしただけ――

前夜祭から始まり、翌日から7日間、そして締めに夜通し祭状態になって春市は終わる。遠くから商売をしに来ている商人などは在庫を持って帰るのも大変なので7日目にもなると叩き売りを始める。この市のために流通がねじ曲がる中央市場も余計な在庫を抱えたくないので値崩れするし、そうすると飲食物も勢い叩き売りを始めるので最終日は価格が下がる。

限定品だの行列のできる人気店も、人より早く手に入れ体験してこそという風潮がある。6日目ともなるとめぼしい店は落ち着き始め、やっぱり7日目には叩き売りを始める。しかし「人より早く」な人々はこの頃になるともう来ないので、元からこの城下に住む住人や貧しい人々がやっと祭を楽しめるようになる。

数年前にはメインストリートの角地に立つ大きな店が7日目の日没から貧しい身なりの人々に無料で食事を振る舞い出し、その行いが好感を呼んで春市が終わっても大盛況が続いた――という例に倣い、7日目の夜は良い意味で「平民祭り」とも言われている。初日から我先にと詰めかけるやんごとなき方々が去り、やっと皆が楽しめるようになるからだ。

誰でも大いに飲んで食べて歌い踊り、子供も春市の締めくくりに深夜まで起きていてはしゃぎまくる。

その「平民祭り」を翌日に控えた6日目、もう1日待てば大概の店の品が値下がりするとわかっているので、人の出が一番少ない日である。徐々にこの国で普通に生活をする層が城下に戻り、今年の市はどんなもんかな、明日買うのに下調べをしておこう――というくらいの手合が多くなる。

そんなだから、逆に芝居小屋は盛況する。芝居でも歌でも踊りでも、こちらは最終日でも値下げしたりはしないので、やっと入りやすくなった人気の演目でも見ようかい、と気軽なお客さんがたくさん入るようになる。のような初日から鼻息が荒い常連客も沈静化する頃というわけだ。

しかし今年のは違う意味で落ち込んでおり、けれど春市の開催期間中に部屋に引きこもるなどもったいないのでのろのろと城を出た。うららかな春の日差しにのんびりとした市のにぎわいが傷付いた心を癒してくれる。

というか清田の言うように第5王女で側室の子、政略にもならないんじゃないかというところに嫁がされるくらいなら王家を出るという選択肢もありなんじゃないかと思い始めた。何か自分でもできる商売はないだろうか。そうしたら城下に住み働き、春市になったら毎日毎晩市の盛り上がりの中にいられるんじゃないか。1日銀貨3枚なんてことはないんじゃないだろうか。

ジュース片手にのんびりメインストリートを歩きながら、は春の風の匂いに自分自身の変化を感じ取って切なくなった。来年には結婚ができるようになる。そうしたら城を放り出されてどこかへ嫁ぎ、子供を産まねばならない。私、いつのまにか子供じゃなくなってたんだな――

ちょうど子供から大人に切り替わる時期に清田と出会えたことは幸せだったかもしれない。あんなの望んだ結末ではなかったけれど、清田とふたりお喋りをしたり町で遊んだりしていたあの時は、子供でも大人でもなかった気がする。

あんな理由で抱かれてしまうのは嫌だったけれど、それでも初めてのキスが彼でよかったと思えた。その思い出があればどんなところへ嫁がされても生きていける気がした。

こういうのを「ちょっとだけ大人になる」っていうのかな、などと考えながらメインストリートを折り返して戻り、広場に帰ってきた時のことだった。馴染みの奇術師に挨拶をしていたら、背後で生まれて初めて聞く音が響いてきた。爆発音だった。

反射的に振り返ったの目に、広場を出て2ブロックほど行った辺りから灰色の煙が見えた。もうもうと立ち上る煙、紙のように見える白いヒラヒラしたものがふわふわと飛んでいて、その他には悲鳴があるだけ。広場にいた人々は突然の出来事に呆然とするだけ。直後にまた爆発、今度は続けて3度破裂音が響いてきた。

もう悲鳴ではなかった。絶叫に近い。逃げ惑い広場に転がり込んでくる人々、広場の後ろには王宮しかなくて、ここから逃げ出そうにも逃げ道がないので慌てる人々、持ち場を離れられなくて焦るだけの王宮の衛兵。はその中で、清田が隠れ蓑にしていた一座の座長の声を聞いた。自分の名を呼んでいるように聞こえた。

「姫、早くこちらへ! こちらへ!! 姫、動いて下さい!!!」

ここはまだ爆発してないし、もし爆発しちゃったら座長の小屋にいても同じことだよ……などとまた頓珍漢なことを考えていたは、ぐっと腕を掴まれてぐらりと傾いた。顔を上げると、馴染みの奇術師が常に着けている仮面を外してにんまりと微笑んでいた。は口元に布を押し当てられ、座長の叫び声を遠くに聞きながら、意識を失った。

が意識を取り戻した時、辺りはとても静かだった。体が重くて動かせないし、頭も痛いし、自分がどんな体勢になっているのかもしばらくわからなかった。やがて自分が固い床の上に横になっていること、左側を下にしているらしく左腕が痺れてしまっていることがわかってきた。目をなんとかこじ開けてみるが、やけに暗い。

そうしてがもぞもぞと体を動かしていると、聞き慣れた声が弱々しく囁いてきた。

、気付いた?」
……お姉ちゃん?」

の4人いる姉のうちの4番目、とっくに17歳を過ぎているが病弱で結婚の話が出てこない王女である。王女で嫁にも行かれないとなると穀潰し扱いなのではあるが、彼女は元来聡明で、国王である父親さえ頷けば奉仕のために尼になりたいと考えていたような人だ。目を覚ましたの肩をそっと撫でている。

「ここどこ?」
「地下牢」
「ちかろ……何で?」
「攻めこまれたのですよ、姫」

これもまた聞き慣れた声で、は身を起こしつつ声のした方を振り返る。爺やだった。彼は普段のスーツ姿のままだが、顔はススだらけで服もあちこち破れていた。姉に怪我や汚れはないようだったが、普段部屋で休んでいる時のままなので薄着で寒そうだ。顔色も青白い。

「お姉ちゃんこれ着て、私寒くないから」
「平気、は気を失ってたんだから無理しないで」
「いいから着てて。爺や、攻めこまれたってどういうこと?」

は自分の羽織っていたジャケットを脱いで姉に着せかけると、爺やの前に座り直した。

「詳しいことは私にもわかりません。ですが、今日は殆どの貴族階級の方々が王宮や城下を出る頃合いですから、そこを狙ったのではないでしょうか。その混乱に乗じて城はあっという間に占拠され、私たちはまとめてここに放り込まれました。姫は広場で攫われたのでしょう? 運んできたのは見覚えのある奇術師の服を着た男でした」

それは覚えている。馴染みの奇術師だったけれど、彼は仮面を外したことがなかった。奇術師たるもの表情が出ない方がいいのだと笑っていたけれど、つまり顔を「出せない」人物だったのだろう。清田の国から来ていた一座の座長の声が今も耳に残っている。きっと彼は奇術師の様子がおかしいことに気付いてを呼び、走ったけれど間に合わなかった。

……父上は?」
「私は陛下を一度も見ていません。ですが、ここまで連行される間に処刑されたと耳にしました」
「母上は?」
「そちらはご無事です。側室ですからね。……ご正室の方は同様に処刑されたと触れ回っている者がいます」
「誰がこんなことしたの?」
「それが、どうも色んな国の寄せ集めの組織のようです。言葉は統一しているようですが、みんな訛りがひどい」

は納得がいった。清田の話していた通りだ。この国でじわりじわりと育てられているという大量破壊兵器とそれを使った計画、それが事実かどうかは今となってはわからないけれど、それを止めたくてコソコソしてる清田のようなのがたくさんいるのだと彼は言っていた。

清田は今朝この城下町を去ったはずだ。あの騒ぎの中まだ留まっていたのなら小屋から飛び出してきたはずだから、もういないはずだ。はそれを自分で自分に言い聞かせた。間違ってもあの爆発が清田の仕業だったなどということではありませんようにと祈る。

「爺や、私たちどうなるんだろう」
「さて、我々3人、あまり利用価値はないはずですが殺されませんでしたからね。どうなることやら……

第4王女と第5王女、どちらも側室の子で片や病弱片や結婚もできない年、そして王女付きの爺やである。確かに政治的に利用価値はないだろう。それを生かしておいた意味は何なんだろう。いずれ殺すつもりならこんなところに入れる必要はない。だとしたら一体何に使われるというのだろう。

気楽な王女でしかなかったには、何も思いつかなかった。