七姫物語 * 姫×旅芸人

3

清田の言うことが本当だとは思えない信じられない、というよりは、自分は王女でありながらあまりに自分の国のことを知らないので判断がつかない。というのがの本音だった。なので自分でも調べてみようだとか、誰かにそれとなく聞いてみようという気もなかった。

「だけどこれはちょっとどうかと思う」
「いいじゃん。土産もあるけどいらないなら持って帰るぜ」
「そっ、それはメインストリート5ブロックの2時間待ちのパイ……!」

まだ門限解除にならないの私室、すっかり月が高くなった夜更けである。せめて夜の市の雰囲気を目と耳で味わいたいと窓を開けていたら、昼間会ったばかりの清田が飛び込んできた。さすがに曲芸師の真似事を出来るくらいなので、驚くに対して本人はけろりとしている。

人気店のパイの誘惑に抗えなかったは窓辺に腰掛けていた清田を招き入れた。の部屋自体は西館の最上階の角にあり、付きの侍女が2つ先の部屋にいるが、室内の音は届かない。もうすっかり夜なのだし、普通に話しているくらいなら誰にも気付かれない。

「見つかったらどうするの」
「ここ数日で西館の警備が緩いことはわかってるしな。逃走経路も用意してあるし、逃げこむ先も確保してあるし」
「何しに来たの」
「またちょっと調査に。それが終わったから顔出してみた」

清田は友達の家にちょっと寄ってみた、という顔をしているが、それもどうなんだ。はパイをしっかり胸元に抱き寄せて守りつつ、呆れた顔をした。一応ここはこの国の王宮で、その上花も恥じらう嫁入り前の王女の寝所だというのに窓から飛び込んできてパイ食おうぜとは一体どういう了見だ。

……ってお前そういうところなんとなく偉そうだけど、確か第5王女で側室の子だよな」
「何でそんなこと知ってるんだ。いいでしょ別に……
「あのな、近場の国の王家の事情くらい頭入れとくもんだろ普通」
「第5王女で側室の子なのでそういうの頭に入ってません」
「逆だろ。そういう立場だから頭に入れとかなきゃならないことだろうが」

ぐうの音も出ないのでは返事をせずに窓辺に寄せておいたテーブルにパイを置き、お茶を用意してソファに腰掛ける。テーブルを挟んでソファとは別に椅子がひとつ置いてあるのだが、なぜか清田はの隣にすとんと座った。そして自分の分のパイを取り出して同じようにテーブルに置く。

「2時間待ちのパイに熱いお茶、いいねえ」
「あんただって王子ならそのくらいは別に」
「一座に紛れ込んで早3ヶ月、基本的に飯はパンと鶏肉と水。市は飯が美味くてありがたいよ」

の差し出したカップを受け取ると、清田は静かにお茶を啜る。にとっては広場で宙返りしていた曲芸師の印象しかないのだが、これでも一応王子様らしい。その横顔を見ても王子様らしさはあまり感じられない。

「いくら美男子だからってそんなに見つめるなよ」
「あんたは何番目なの」
「無視か。正室の1番目だよ」
「えっ!?」
「お前それどういう意味だ」

清田の国は小さいし、王家のみ一夫多妻が許されているこの国と違って一夫一婦制である。なので「正室」という表現は適切ではないが、つまり跡継ぎだ。王位継承順位第1位。清田はパイに齧り付きながら険しい顔をした。

「だって。そんな立場にいたら普通こんな危なっかしいことしないでしょ」
「中途半端に大きくてちょっとでも揺れたら総崩れになるような国の王子ならそうだろうけど」
「もしここで捕まって王子だってバレたらどうするの」
「まあ普通は処刑だよな」
「あんたそんなサラッと……
「だけどこの国の侵略戦争のとばっちりが来ても同じことだからな。迷惑なんだよほんとに」

清田は迷惑だのお前の家を潰すだの言う割に、隣りに座ってパイをもぐもぐやっている。は彼の意図が読めなくて少しくらりとした。迷惑なのは申し訳ないけど危険なことに自ら身を投じる勇気なんか出るものだろうか、普通は処刑なんて言うけれどそれで後悔しないんだろうか。

もパイを齧っていると、窓の外から美しい音色が聞こえてきた。広場では一日中楽団が演奏をしているが、一応演奏していい時間が決められていて、そろそろ本日の最終という頃だ。日中は明るく楽しい曲を奏でているが、1日の締めはいつもしっとりと優しい曲になる。

……戦争になったら春市もできなくなるぞ」
「まさか」
「春市の規模が急に拡大され始めたのはここ10年くらい。会合の噂が囁かれ始めて科学者が消えた時期に重なる」
「市が大きくなったのは城下町が拡張されたからで……
「何で拡張したんだ? 特に人口の推移に変化はないし、増えたのは市の観光客だけ」
「ええと、だから、観光客いっぱい呼んで儲けようと」
「儲かるのは出店してる人たちだろ。店出すのには参加費がかかるけど、大した金額じゃない」
「商談も多いから国内の経済発展に……
「それは城下町まで拡大する理由になるか? 予算超過のはずだ」

何を返しても道を塞がれるので、は唸って腕を組んだ。

「オレがこの国に来たのはこれが3度目なんだけど、明らかに城壁が高くなってる」
……うん、拡張に合わせて高くした」
「お前の親父さんと祖父さん、よっぽどドンパチやりてえんだな。困ったもんだぜ」
……ごめん」

これがその国王や譲位した先代国王ならどんな風にも反論してみせただろう。けれどは清田の言うように第5王女で側室の子で無責任な王女である。もし清田の言うことが全て妄想だったのだとしても、自分の国のやることが彼の国に迷惑をかけることになる、というのは事実のような気がした。

ああ言えばこう言う、ぎゃふんも厭わないが急に萎れて謝るので、清田はパイを齧る手を止めて横を向いた。

「お前は悪くないだろ」
「そうだけど」
「別に責めたいわけじゃねえよ。悪かったな」

清田は俯いているの頭をワサワサと撫でた。もうあとは風呂に入って寝るだけなのでは髪を解いており、清田の手に撫でられてふらふらと揺れた。

「春市がなくなるの、嫌」
「芝居が見られねえもんな」
「私どうしたらいいんだろう」

自分の安寧な日々が脅かされるかもしれない――実にがそんな気持ちになったのはこれが生まれて初めてで、どう思考を組み立てていけばいいのかもわからない。漠然とした不安だけがじわりと胸に広がっていくだけ。

「まあ、何もしなくていいんじゃないの。出来ないんだし、やっても意味ないし」
「そうかもしれないけど」
「どっちにしろ結婚できる歳になったら適当な王族の分家とか貴族とかに嫁がされる身だろ」
……そうだけど」

の上には姉が4人いて兄が3人いて、下にもまだちらほら弟と妹がいる。一番上の姉はこの春市で割と裕福な国の王子に見初められて結婚したが、2番目と3番目の姉は清田の言うようにそれぞれ国内の貴族のもとに嫁いでいる。4番目は病弱で城にいるので、次はの番である。

「ま、一応王女なら戦になってもそれほど不便はないだろうから、いいんじゃないの」
「そんな言い方しなくても」
「だけどお前この楽々お姫様生活じゃなかったら生きていかれないだろ。お芝居もなし、お菓子もなし」

は言葉に詰まる。お芝居もお菓子も大好きで、それらを明日から一切断って下さいと言われたらたぶん絶望する。頭がおかしくなってしまうかもしれない。それは容易に想像がつく。だが、そう言う清田がパイを食べ終わってお茶を啜っているのが目に入ると、はまた少し元気が出てきて背筋を伸ばした。

「てかさ、あんた何しに来たの」
「えっ、今それ!?」
「うまく行ったらブッ潰す予定の王家の娘の部屋に来てお菓子食べてお前は何も出来ねえ、って何が目的なの」

が一息に言うので清田はゴフッと吹き出す。ひとまとめにすると確かに可笑しい。

「別に何か目的があるわけじゃねえよ。今日もまた忍び込む予定だったし、顔出してみようかなと」
「それがよくわかんないんだけどね」
「まあいいじゃん、いつか無事に陰謀を阻止できればそこまで、ここでオレが捕まってもそれまでだし」

清田はへらへら笑いながら肩をすくめてみせる。別に何か目的があるわけじゃない、ただ潜入調査のついでに知り合いがいるから土産持って顔出してみた。だけどもし事態が急変したとしても、それは知ったことではない。清田には目的があり、は何も出来ないから。

「てか何、あなたに会いに来ました姫君、とか期待してた?」
「まあ少なくとも不法侵入のついでよりはその方がいいよね」
「2時間も並んでパイ買ってきてやったろうが」
「どうせ昼間暇だからでしょうが。並びながら女の子にちょっかいとかかけてたんでしょ」

図星だったらしい清田は目を泳がせ、無理に笑ってみせるとお茶を傾けた。彼は一座に紛れ込んでスパイ活動に勤しんでいるだけなので舞台には立たないし、あの小屋の前で曲芸をやっていたのもたまたまだったんだろう。昼間はやることがないのは当然だ。そして暇だろう。

「何だよ、オレが女の子にちょっかいかけてたら面白くないの?」
「行列に並びながら女の子にちょっかいかけてるようなのが窓から侵入してきたことが面白くない」
「お前ほんとめんどくせえな~。どうせ嫁に行くしかない人生、気楽に生きた方が楽しいだろうに」
「そんなの私の自由でしょ。てか王女が貞淑さまで手放したら何が残るっていうの」
「どうせ元からないもの、何も残らねえだろ」

カラカラと清田が笑うのでは遠慮なくグーで脇腹を殴った。

……戦を始めようとしてるのは私じゃない。八つ当りしないでよ」
「八つ当たりなんかしてねえよ。何でそう堅く考えるかな」
「あんたがさっきからものすごく失礼だからでしょ!!!」

もう一発殴ろうとして振り上げた拳を清田は素早く受け止めて受け流す。

「そんなに傷付いたのか、そりゃ悪かった。お菓子でも食べながらテキトーに雑談と思ってたから」
「だけどその雑談相手をいつか潰すつもりなんでしょ」
「まあ、潰したいのはお前の親父さんと祖父さんとこの国の重臣ひとまとめだけど、同じことか」

清田の言うことが真実で侵略戦争を推し進めている中心がこの国だとしたら、その中枢を潰してしまいたいのはわかる。けれどそれで困るのは中枢ではなくその外縁にいる人々である。無関係な国民ももちろん困る。

「だから言ったろ、恨むなら親を恨めって。オレは自分の故郷のためにやってるだけだ」
「そのためなら私たちがどうなってもいいっていうの」
「そう。オレと知り合わないまま戦になってみな、お前オレの国のことなんか思い出しもしないだろ。それと同じ」

即答にカチンと来ただったが、清田の言うことも図星でうまく言い返せない。

……もし私があんたのこと父親に報せたらどうするの」
「そん時はそん時。そしたらもう来ないよ」
「それでいいの?」
「作戦変更ってところだな」

清田はまたくすくすと笑いながら立ち上がり、窓辺に立って春市を見下ろす。

「この市オレも好きだよ。だけどそれを壊そうとしてるのはオレじゃない」
……ねえ、清田って本当の名前?」
「変なところ鋭いな。母方の姓だよ。正式な名には入ってるけど」

窓辺に腰掛け、窓の外に足を片方落とした清田はの頬に指で触れて、柔らかく微笑んだ。

「本当は信長。そっちで呼んでもいいよ」
「信長――
「じゃあまたな、

そしてマントの裾を残してするりと滑り落ち、慌ててが下を覗き込んだ時には西館2階のバルコニーを飛び越えているところだった。バルコニーから地下牢へ通じる通路の屋根を通り城壁の方へとものすごい速さで駆け抜けていく。やがて夜の闇にその姿が溶けて消えていくまでは清田の背中を見送っていた。

春市3日目、門限解除はまだいかんと申し渡されては腐っていた。門限以降に見たい演目があったのに。今年は夜遅くになってからしか出ない幻のケーキがあると言われているのに。一応昼間は広場だけでなくメインストリートの方にも足を運んできたのだが、夜に比べると格段に人は多いし異世界感はないし、面白味がない。

ついでに借りを作りたくないと思って差し入れとともに清田の小屋を訪ねてみたら、留守だった。その上座長から事情は聞いているが危ないことだから関わらない方がいいと優しく諭されてしまった。

窓からは春の暖かい風がゆったりと流れ込んでくる。風には匂いがある。春夏秋冬それぞれの季節ごとに風の匂いは変わり、その風が顔をかすめて吹くと季節の移り変わりを感じる。ああ、春の風の匂いだ――が窓辺で髪を揺らしていると、真横から黒い影が飛び込んできた。

思わず「ヒッ」とか細い悲鳴を上げただったが、清田だった。

「よっ!」
「きゅ、急に飛び込んでこないでよ心臓止まるかと……
「座長が昼間姫様来てたっつーからさ。何かあったか?」
……昨日のお礼に差し入れを持って行っただけ。いなかったから一座の皆さんにあげちゃった」

基本的に水と鶏肉とパンだというので卵料理を持って行ったのだが、清田お構いなしで皆さん喜んで食べてくれた。というか一座の皆さんはこの清田が王子様だと全員知っているはずなのに扱いがぞんざいで可笑しかった。

「えー、ひとつも残ってなかったぞ! オレも卵食べたかったのに……
「明日買えばいいじゃん……
「これだから金持ちは……やだやだ」
「てかまた何しに来たんだ! 文句言いに来たんなら突き落とすよ」

また自分がぬるま湯に浸かった生活をしていると皮肉られたと思っただったが、清田は待ってましたとばかりにぐいっと籠を突き出してきた。腰にぶら下げていたらしく、革のベルトが括りつけてある。

「何これ」
「今日は色々入ってるぞ。この間の花のお茶もあるし、タルトにソーセージに、あと限定のハチミツケーキ!」
「ハチ……えっあの夜限定だっていうあのケーキ!? ひとり3カットまでしか買えないっていうあのケーキ!?」

はつい興奮して籠を両手で受け取ってぴょんぴょんと飛び跳ねた――が、直後に我に返ってサッと青くなり、そろそろと顔を上げて清田の方を見てみる。また窓辺に腰掛けている彼は案の定ニヤニヤと目を細めている。またコイツ私のことバカにしてんな……と思ったが、門限解除が遠い身、ハチミツケーキには代えられない。

「お部屋にお邪魔してもよろしいでしょうか、王女様~」
「は、ハチミツケーキに免じて許します」
「やっすいな王女様~」
「てかこんなにたくさん……高かったんじゃないの」
「王女様の台詞とは思えねえな」
「だ、だって私が春市の時に使えるお小遣いは1日銀貨3枚……
「おい嘘だろ、金貨ですらない!」

昨夜のようにソファに並んで腰を下ろした清田はマントを外してしまってどっかりと足を組む。そして自分ですら1日に自由になる金額はこの国の貨幣で金貨1枚だと言って哀れんだような目を向けてくる。ちなみに銀貨10枚で金貨1枚である。

花の香りのお茶もあるというが、ハチミツの香りを邪魔してももったいない。は清田の「差し入れ」をテーブルに並べると、またお茶を淹れる。あまり香りの強くない茶葉を選んでお湯を沸かす。

「えーと確か今この城にいる王子王女って……
「私を入れて9人」
……それじゃまあ銀貨3枚も無理ねえか」
「そんなこともないと思うんだけど……兄たちはみんなそれぞれ収入源を持ってるし」
「ま、あとは王女にそんな金をかけてやるつもりがないとかな」
「私の小遣いを決めてるのは爺やなんだけどね……
「あ、うん、そうか、爺やはきっと使い過ぎないように貯金をしてくれてるに違いない」

お湯が沸き、部屋の中にお茶の香りがふんわりと漂う。はテーブルと椅子を前日のままにしておいたのだが、やっぱり清田はの隣りに座ってすっかり寛いでいる。本人は堅く考えるな、いいじゃんお茶とお菓子くらい、と言うけれど、はやっぱり清田の目的が見えなくて居心地が悪い。

不法侵入のついでに、昼間会えなかったから、それも間違いじゃないんだろう。だけどそれは無邪気な侮辱という気がしないでもなかった。私こんなんでも一応王女なのに。遊びに来てくれるのもケーキも嬉しいけど、だけどそれは私だからじゃないってことだよね……。私、一番上の姉みたいに、誰かに好きになってもらえるのかな……