七姫物語 * 姫×旅芸人

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毎年春になると城の正面をどこまでもまっすぐ貫くメインストリートに盛大な市が立つ。国内外の商人が商売物を手に城下町までやってきて、数日間に渡る市で店を出し、また普段交流のない地域の商人同士で商談をしたりもする。

この春市、開催前夜から既に市が立ち、夜を通して明かりが灯され、商売だけでなく見世物小屋や芝居小屋、奇術に踊りに曲芸など、国中のありとあらゆる芸達者が集まる祭でもある。この期間中だけは子供も夜更かしをしてよいことになっていて、また14歳になる年の春市から子供同士で出かけることを許されるのが決まりだ。

それが一種の成人の儀式のようなものになっており、これを過ぎると男女ともに婚約を許され、さらに3年経って17歳になると結婚もできる。王女がこの春市でとある国の王子に見初められ、きっちり17歳で嫁いでいったこともある。その上この春市で巡り合った人と結婚すると幸せになれるという言い伝えすらあるほどだ。

ちなみにこの春市、歴史は数百年に及び、その上ここ10年ほどの間に城下町が拡張されたのにしたがってどんどん肥大し、初期の頃は3日間程度のものだったのが、現在では7日間朝から晩までぶっ通しになっているし、この間だけは近隣の国の王侯貴族も大挙して押し寄せ、宿屋は満室、住民は近場の町に移動して家を宿として貸し出す者もいる有様。

そういう規模の市なので警備は厳重に行われているけれど、この国は大陸の中でも相当裕福で、祭の間は無料で飲み食いできる催しも多く、何か不満を抱えて市に紛れ込みひと暴れしてやろうというような輩のほとんどがどうでもよくなってしまうくらいには楽しい。なのでその興りから数百年、未だ大きな事件事故はない。

あるとすれば酔っぱらいの喧嘩やスリ盗難、痴漢、迷子、迷いおじいちゃんおばあちゃん、迷い犬……というところだが、国を上げての一大行事なので警備に当たる人間の数は多く、軽犯罪から迷子まで、件数は多いけれど深刻な事態に発展することはこれまで一度もなかった。

という春市に、浮足立って出かけていく少女がひとり。名前は。一応この国の王女である。

本日は開催前夜にあたり、日が落ち始めるとメインストリートに続々と明かりが灯り、市の夜独特の景色を生み出す。前夜祭とも言われるこの夜はまだ商売は始まらないのが普通だ。明かりを灯し、市の始まりを喜んで歌って踊って酒を飲む、そんな夜である。王宮の広い敷地内を早足で駆けて行くは、息を切らしながらもにこにこしていた。

前夜祭の夜は商売抜きというのが粋な振る舞いとされているけれど、芸人たちは別だ。特に小屋を建てずに路上で技を披露をする者たちにとってはこの夜から幕開けである。

は現在16歳、とっくに友達同士で市に出かけることを許されている歳だが、仮にも王女なので市に出るのは昼間のみ、とされていた。が、16歳になった今年は王宮前広場に限り夜でもひとりで外出してよいという許しをもらったので、興奮が収まらない。王宮前広場だけ大変結構、見世物はそこが一番盛り上がる場所だ。

王宮前広場に小屋を建てられるのは市で何度も興行をしている団体に限られ、他の場所より審査が厳しい。事前に興行内容の確認が必要になるのはもちろん、出身国の身分証明が全員分必要となる。なので申請を出してから許可が下りるまで時間がかかるし、他にも制約が多いので熟練者が集中し、結果、王宮前広場は上質な舞台となった。

暗くなったら王宮から出てはいけないと言われていた去年までは城壁によじ登って広場を見下ろしていた。広場の路上で技を披露をする芸人たちに拍手を送り、特別に包んでもらった「おひねり」を投げるは広場芸人にとってはちょっとした人気者だった。王女のくせに澄ましたところがないし、お転婆だがそこはご愛嬌だ。

「これはこれは様、もう暗くなりましたが大丈夫なのですか」
「今年はこの広場に限って出てもいいことになったの!」
「そりゃあ大変だ。小屋に入る時は必ずお声掛け下さいよ、危険のないようにしますからね」

広場の小屋建ての中でも最古参の一座の座長が真面目くさった顔で目を丸くしている。王族は基本的に芝居小屋や路上芸人など見には来ないが、このだけはみんなの芝居や芸が素晴らしいと毎年大喜びしてくれる。一年に一度のふれあいだけれど、広場の常連たちはみなを可愛がっている。

様も大人の仲間入りですか、お酒は?」
「それは爺やに怒られるのでまだダメなの。だけどお菓子とジュースは大丈夫!」
「この間までおリボンくっつけてた姫がこんな時間に……儂らも年取ったもんだね」
「そう? おじさん私が子供の頃からおじさんだったけどなあ」
「こんばんわ王女殿下、花をどうぞ!」

路上で次々と不思議な技を披露している奇術師が真っ赤なバラの花を一輪差し出す。がその軸を摘み、奇術師がするりと撫でながら手を離すとバラは真っ白な花びらに変わる。は歓声を上げ、その場で飛び跳ねる。そしてまた奇術師がバラにスカーフを被せ、サッと取り払うとバラが3本に増えてスカーフの中から紙吹雪が舞い散った。

「すごい、信じられない、魔法じゃないのこれ!?」
「夏遠き春の長い夜、どうぞごゆっくりお楽しみ下さい姫君」

は目を輝かせてバラの花を胸に挿し、跳ねてしまいそうになる足を何とか地につけて広場を行く。広場には基本的に飲食物を出す店はないのだが、広場を出れば大量にひしめいている。そちらに出ることは出来ないだが、大きな盆や籠を手に売り子がひっきりなしに広場に入ってくるので買い求めることが出来る。

前夜祭の夜に外へ出られるし、お菓子もジュースもおいしいし、広場の芸人たちは今年も技が冴えて素晴らしいし、は上機嫌だ。上機嫌というか大興奮というか、とにかく楽しくて楽しくて落ち着かなかった。片手に焼き菓子片手にジュースでは広場をうろつく。

まだ前夜祭は始まったばかりなので小屋を立てている一座の興行はこれから。それまで時間があるは馴染みの芸人さんたちの冴え渡る妙技の数々を見ながら食べては騒いで飲んでも騒いで、とにかく楽しみまくっていた。

人も次第に増えてきて広場は混雑してくる。そんな中、は広場で曲芸をしている集団の前で足を止めた。どうやら背後に小屋を立てている一座の者のようだが、飛んだり跳ねたり、縄跳びを使ったりボールを使ったり、様々な技を決めては喝采を浴びていた。後ろの小屋は芝居小屋のはずだが、曲芸師も入れているのだろうか。

小さな国を3つほど挟んだこれまた小さい国の芝居の一座で、広場芸人たちの間でも古い方に入る。国は小さいけれど古典から喜劇、子供向けまで様々な演目を上演するので誰でも楽しめるのが特徴だ。もこの一座の冒険ものが好きで、子供の頃は7日間全部通い倒したこともある。

曲芸師の中でも特に目立つのが真ん中でぴょんぴょん宙を舞っている。少年というか青年というか、とにかく若い男だが顔を仮面で隠しているので年齢がわからない。それにしても飛んだり跳ねたり、仮面を着けたままこなせるというのがすごい。視界がほぼないに等しいのに着地に失敗したりしない。は技が成功する度に目を丸くして精一杯手を叩く。

一座の余興は仮面の男が両手に剣を持ったまま宙返りを決めてみせたところで終わった。乱れ飛ぶおひねり、そして女の子の黄色い声。特に女の子たちは仮面の男の素顔を知りたがってその場を離れなかったのだが、男はさっさと小屋に帰ってしまった。子供の頃から一座を知るはちょっと上から目線になる。

新入りかな? 曲芸が出来たって芝居がヘボじゃどうしようもないの。話はそれから!

常連を気取ったはまたお菓子にかじりつきながら歩き出す。だいぶ混雑してきたのでのろのろ歩きになるが、そもそもはこの広場の異様な雰囲気が好きなのだ。歩いているだけでも楽しい。紳士淑女に異形の装い、フリークスに異国人に一体ここが現実の世界なのかどうかわからなくなってくる。それがたまらなく好きだった。

「ああ、あの国か。穏やかな国で羨ましいもんだね。きっとお国でもこういう興行をいつもやってるんだろう」
「君のところもあんまり穏やかじゃないのかい。まあこの国みたいに金持ちでなくともいいけど最近はどこもきな臭いな」
「平和なのは金持ちか貧乏かのどっちかしかないのさ。中途半端が一番困る」

の前を行く男性の一団が酒をちびりちびりやりながらそんなことをぶつぶつ喋っている。確かに今余興を見ていた一座の出身国は古い王国な割にこぢんまりしていて、の印象では「田舎」でしかなかった。自分の国と比べると国土の大きさも軍隊の規模も経済的な面でも、ありとあらゆる点でこっちは「都会」あっちは「田舎」であった。

まだ16歳で気楽な王女であるは自分の国も外の国も、政治に関することはさっぱりである。そういうものは祖父や父親や叔父や兄たちが小難しい顔をしてグダグダ話し合ってやるものだと思っているし、たくさん学んでその中に入りたいとも思わなかった。私は政治より芝居小屋が好き。

そんなだから、自分の生まれた大きな国のぐるりを囲む小国の数々が「きな臭い」ことになっているのだとしても、我関せず、強いて言えば自分の国は強大で強力なので特に心配していないというところだ。

なので、こんな楽しい夜にもきな臭い自分の国の話をしてしまう人たちのことなどすぐに忘れてしまった。は楽しげに広場をゆく。そろそろ芝居が始まる頃だし、何を一番に見るのかを決めなければ。7日間もあるので結局は全部見ることになるのだが、最初と最後が肝心なのである。

広場をぐるりと一周してきたはまたさっきの曲芸の余興をやっていた小屋の前に戻ってきた。改めて見てみれば初演は子供の頃に散々見た冒険ものではないか。子供より大人が多い時間帯だというのに思い切った選択だ。けれどそれが粋な計らいという気がしてきた。始めて子供だけで市に出かける夜、友達や好きな子と一緒に見るのにちょうどいい。

ちょうどあちこちの小屋で初演が始まる頃合いで、広場は人が減り始める。だいたいこの前夜祭から広場にやって来ているということは、広場での興行を楽しみにしているのような「常連」ばかりだ。目当ての小屋にぞろぞろと入っていく。もジュースのカップを片手に例の曲芸の余興をやっていた一座の小屋に入っていく。

よく知った顔の座長に連れられては見やすい席をもらう。こういった雑多な場所で特別扱いはされる方が気まずいので、毎年最低限にしてくれと頼んでいる。今も見やすい場所と隣の席に一座の用心棒であるおじさんが座ってくれただけで、特別なことは何もない。芝居を見に来てるのだ。自分が主役になりたいわけじゃない。

さてそれから40分ほどして、は顔を上気させながら小屋を出てきた。やはり最初にこれを選んでよかった。そう思うと小屋の壁をビシバシ殴りつけたくなる。確かに内容は子供向けの冒険ものだが、大勢の大人が入っていたように、この演目は大人の鑑賞に耐え得る。子供の頃を懐かしみ、昔ながらの勧善懲悪に心が踊る。

というわけではだいぶ興奮していた。お芝居は最高、小屋の中の雰囲気も最高、ジュースは空になってしまったけど、体中が満たされている気がした。あの仮面の男がどんなもんか見てやろうというつもりもあったのだが、途中からすっかり忘れてしまった。というか顔もわからないのに判別のしようがないし、全員昨年と同じ役者さんのような気がする。

まだ初演が終わらない小屋もあって、広場は初心者の方が多くなっていた。各一座の初演を見に常連たちが小屋に入ってしまったので、大道芸人たちがメインストリートに出て人を呼び集めてきたからだ。食べ物飲み物の売り子もまた戻ってきている。ジュースがなくなってしまったは、きょろきょろと辺りを見回した。喉が渇いた!

すると目の前にきれいな色の瓶をいくつかバスケットに入れた端正な顔立ちの売り子が現れて、花の香りのお茶はいかが? という。正直果物のジュースが飲みたかっただが、その大人っぽい飲み物についフラフラと吸い寄せられていった。緑にも青にも紫にも見える瓶にはリボンがかけてあって、それも可愛い。

「花の香りって、どんな花?」
「花はひとつではありませんよ、とても素敵なうっとりするような香りですよ……

歌うようなその誘い文句にはフラフラと着いて行く。小屋と小屋の隙間、すっかり日が落ちて真っ暗になっている影の中へとを誘い込む。お芝居を見た余韻が現実感を削いで、はその言葉に引きずられるようにして暗がりへと入っていった。売り子がまた美青年なのでうっとりが加速する。

「ほらどうですか、よい花の香りがするでしょう。花畑のような、花束のような、優しくて甘い香りでしょう」
「ほんと……いい匂い……何の花の匂いなんだろう」
「おひとついかがですか。このお茶を飲めばもっと心地よくなりますよ」
「ほんと? じゃあ……もらおうかな」

ぼーっとしてきたは売り子の差し出す手に手を重ね、とろんとした目で顔を上げた――その時だった。

「ウチの小屋の横で何やってんだこの野郎!」

そんな言葉が聞こえてきたと思ったら、売り子の男性は真横に吹っ飛んでいった。小屋の壁にブチ当たってへなへなと崩れ落ちる。一気に目が覚めたは驚いて反対側の小屋の壁にへばりついた。ええと私こんなところで何やってんだっけ?

声の主はどうやら小屋の上から飛び降りてきたらしく、その勢いで売り子を蹴り飛ばしたようだ。しかしなぜ売り子が蹴り飛ばされているのだろう? まだ少しぼんやりしているはひょいと首を傾げると、飛び降りてきた人物に目を凝らす。なんとなく見覚えがあるような気がするんだけど……

「おい大丈夫か、あーモロに吸い込んじゃったか。ほらしゃきっとしろ」
「誰?」
「オレ? 正義の味方」
「何でこの人蹴り飛ばしたの」
「お前、薬嗅がされたんだよ。ぼんやりして気持ちよくなっちゃう薬」
「うん、なんか気持ちいい」
「マジかよもー。そんなに大量には入ってないはずだけど……

どこかで見たことあるなあこの人、とがまだぼーっとしていると、正義の味方は売り子の荷物を漁って何やら小さな瓶を取り出した。その遮光瓶を開け、少し嗅いで頷くとに差し出して飲めという。ぼんやりしているは言われた通りに飲み込む。甘くて苦い変な味だった。が、飲んですぐにぼんやりが抜けてきた。

「ええと私……これ一体どういうこと? あなた誰?」
「だからな、あんたはこの売り子に薬を嗅がされて良からぬことをされそうになってた」
「そ、そうなの……
「で、オレはそこに颯爽と現れた正義の味方」
…………あ、あなたさっきの! 表で曲芸やってた人じゃない!?」
「曲芸って」

仮面の男だ。真っ黒で整えていない髪に見覚えがあったは思わず駆け寄って顔をまじまじと見上げた。自分よりは年上という印象があったけれど、近くで見ると同い年くらいに見える。背が高いので錯覚してしまっただけのようだ。先ほどの曲芸の時と同じ、暗い色の服に長いマントを巻きつけている。それで飛んできて蹴りを入れたのか。さすが曲芸師。

「すごいね、こんな長いマントひっかけたまま上から飛び降りて蹴りも入れられるんだ」
「宙返りするよりは簡単だよ」
「去年はいなかったよね? いつから一座に入ったの? 何の演目に出るの?」
「えっ!?」

初演には出ていなかったな、と思いだしたがそう問いかけると、曲芸師は少し身を引いて驚き、目をぱちくりさせた。

「あ、えーと、芝居には出てない。まだ半人前だから」
「そうなの? あれだけ曲芸出来るんだから台詞がなくても役がもらえそうなのにね」
「ははは、座長にそう言っといてくれ」

明るい笑い声だったが目が笑っていない。はそれを不思議に思いつつも、すっかり薬が抜けてきたので何が起こったのかを思い出して背中が冷やりとしてきた。これで有り金全部スられただの乱暴されただのとなると、二度と外に出してもらえないかもしれない。助けてもらえて運が良かった。

「あの、助けてくれてありがとう。お礼をしたいんだけど何がいい?」
「いいよそんなの。たまたま目についたからだし」
「遠慮しないでいいのに。知らないかもしれないけど私この国の王女だから気にしなくて平気だよ」

が腰に手を当ててふんと鼻を鳴らすので、曲芸師は顔を背けてフッと吹き出した。そして咳払いを挟むと少し屈んで目線を合わせ、の手を取った。暗い路地で何もかもが見えづらいが、広場に灯る明かりがふたりの目の中で踊る。

……知ってますよ、姫」
「だったら――
「しつこいな。ではほっぺにキスでも頂きましょうか?」

そう言いながらも「出来ないだろうが」という顔をしていたので、は胸ぐらを掴んで引き寄せると、ほっぺたにチュッとキスをしてやった。ぐらついた曲芸師は思わずの体にしがみつく。

「これじゃお礼をした気にはならないけど、まあいいや。あなた名前は?」
「えっ、の――あ、いや清田」
「清田ね。覚えておきます。座長と話す機会があったら是非役をあげるようにって言っておくからね」

清田がむず痒そうな顔をしているのはわかっていたけれど、自分からほっぺにキスだと言ったのだからそれでいいことにしよう。は清田の肩をぽんぽんと叩くと、じゃあまたね、と言って広場に戻っていった。ここは王宮前広場だというのに不埒な輩が怪しげな商売をしていたのだ。警吏にチクッておかねば!

そしてまた芝居を見よう! は浮かれた足取りで走っていった。