七姫物語 * 姫×貧乏王子

5

に残酷な転機が訪れてから数日後、やっと藤真の待っていた担当官が帰還した。そこから3日ほどで兵士の再雇用問題についての取り決めが成され、藤真が片付けねばならない問題のほとんどがやっと終わった。これで一旦城に戻れるが、期日までには城を空っぽにして明け渡さなければならない。

そこで王冠と王笏、王座の間の鍵をの父ということになっている国王に渡すことで藤真の王族としての身分は剥奪となる。以後は良くて平民、もしかすると国民とは認められないかもしれない。どの国にも属さない浪人のような状態で放り出されることも考えられる。

しかし藤真はもうそれでよかった。早く仕事を終わらせ、一切の余計なものを払い落としてただひとりの人間になりたかった。

王子だと思っていた自分はいつの間にやら持たざる者に、王家の姫君だと思っていたもどうやら使用人の子供でしかなかったらしい。王家、王子、王女、平民、使用人。それが何なのかよくわからなくなってきて、立場や身分というものが途端に煩わしく感じてきた。

に話したように、併合に合意せざるを得なかったあの時、年老いた家臣たちは先代の国王の墓所の周りで続々と自ら命を絶った。まだ仕事は残っているというのに、わーわー喚き立てて自決してしまった。責務を放棄し勝手に死ぬことまかりならん、ときつく言い渡しても聞きゃしなかった。またそれを片付けるのが一苦労。

名誉ある死とかいうものにも醒めてしまった。こちとら寝る間も惜しんで働いてるのに面倒事ばかり増やしやがって。

「そういえば母君は生家に入られたそうですよ」
「おおそうか。あとは何だ、城の掃除くらいか?」
「そうですねえ、立つ鳥跡を濁さず、きれいにしておきますか」
「全部終わったらオレしばらく何もしないぞ」
「私もです。一気に3年分くらい働いた気がします」

藤真の母親である王妃は3国に攻めこまれた時点で自身の出身国へと亡命していた。幸い実家は王家でも分家で、政治には一切関わりを持たないことを条件に受け入れてくれることになった。これでもう心配はない。夫は既に亡いし、静かに生きたいと言っているらしい。

「だけどお前アカデミー入りたいんだろ」
「学びたいと思っただけで、アカデミーの学生になることが目的ではありませんので」
「というかお前もういいぞ、そんな敬語だの何だの。元々年は同じなんだし」
「まあこれも習慣が長いですからね。それはいずれ」

やっと仕事が片付くと思うと、ふたりはドッと疲労感が出てきて気力が萎えてきた。この騒動の終わりに飛び込んできたとそれに絡む不確かな過去の悲しい話もそれに輪をかける。最後まできちんと仕事を全うしたら、何も考えずにのびのびと過ごす時間が欲しい。

数日後、こちらの城での仕事が片付いた藤真と花形は自分たちの城に帰ることになった。が今にも死にそうと心配していた馬は何とか無事で、この国の厩舎で面倒を見てもらったせいかちょっと元気になっていた。

そうなってみるとと離れがたくなってしまった藤真だが、そうも言っていられない。しばらくすると国王が藤真の身分を剥奪しにやってくるわけだが、その時は同行してくるだろうと踏んで、出立の前夜にバルコニーで少しだけふたりきりになった程度で我慢することにした。というところの出立の朝である。

「おはよう! 私も一緒に行きます!」
「は!?」

藤真と花形が馬を引いて城壁の外へ出ると、こじんまりとした馬車が待ち構えていて、そこからがひょいと顔を出した。頭にはあの髪飾りが載っている。面食らった藤真は声がひっくり返る。

「行くってお前な、行ってどうするんだ。掃除して空っぽにして引き渡す城だって言ったろ」
「姫も掃除しますか~?」
「ちょっと黙ってろ花形!」

ちょいちょいと手招かれた藤真が顔を寄せると、は口元に手を立てて囁く。

「お父様~私あのお城が欲しい~別荘にしたいんです~だから下見に行っていい~? 王子を働かせてきれいにさせておくから~って言ったら許可が下りた。バカを装っておくと便利だね」
「べっそう……別荘ね……そう……
「姫、それで本当の目的は?」
「そりゃあ健司と一緒にいたいからよ」

にやりと笑うはそう付け加え、藤真は真っ赤になって慌てた。花形は真顔だが口元が震えている。

「お邪魔してもいい?」
……何もないぞ」
「それでいいって言ったでしょ」

そう言うと馬車を出させて、は先に走りだした。

「王子~」
「うっさい黙れ」
「姫の方が思い切りがいいですねえ」
「うっさいハゲコラ」
「寝室は一緒でよろしいですか?」
「勝手にしろ!」
「私控えの間に泊まってもいいですか」
「いい加減にしろメガネ叩き割るぞ!!!」

楽しくてしょうがないという顔をしている花形を置き去りにして藤真は馬に飛び乗った。まだ一応彼が君主である城までは10日間の道のり。その間花形はひっきりなしに藤真を突っつき、まだ従者がいるのでツンとした態度を崩さないには構ってもらえず、むしろ藤真の方がハゲそうな勢いだった。

無事に城まで到着した藤真たちだが、彼らがここを出発した時よりひと気がなくなっていて、城内はしんと静まり返っていた。実家が近いから引き渡しの日までお伴しますという使用人や家臣だけがちらほらと残っている程度。そこへ突然がやって来たのでさあ大変。彼らにとっては憎き敵の娘である。

しかしそこは花形が真顔で淡々と宥めてくれたのと、従者を城下町に置いてきたが藤真に寄り添い仲睦まじい様子を見せたのでするすると警戒が解けていった。しかしどうすんの、うちの王子様もうすぐ平民になっちゃうんだけど?

「最後まで残ると言ってくれる皆さんを信用して申し上げますが、あの姫、どうも養女らしいんです」
……は?」
「実際証拠はないんですけど、平民出の可能性が高くて。本人は少し嫌気が差しているようなんです」
「だからって……

平民出でも現在本物の王女の地位にあると、もう少しで平民にされちゃう王子じゃ一緒になれないじゃん。城に残ってくれた数十人はそういう顔をしている。王子は事変後から働きずくめで、慣れない仕事にも決して音を上げずにここまで来た。そういう藤真を城内で働く人々はとても大事に思っているのだ。

「まあまだ時間はありますよ。とりあえず掃除頑張りましょう」

そう言いながらにやーっと笑う花形に、家臣や使用人たちはあれっと首を傾げて、そしてこそこそと目配せをした。

さてその翌日から城内大掃除である。とは言うものの、個人に与えられていた部屋などは既にすっからかんになっているので、必要なのは王座の間だったり、ダイニングだったり、城門前の広場だったりと、そういうところだけ。花形はまた楽しそうに煽ったけれど、初日はを客間に泊まらせたので、藤真は久々に自室で休んですっかり疲れも取れた。

朝から晩まで掃除をし、ダイニングも掃除してしまいたい都合上使いたくなかったので、食事は城に残った者全員で庭で取り、みんなでわいわいと過ごす。それにはも参加していた。長い王女生活で何をやらせても手際が悪くヘタクソだったけれど、掃除でも炊き出しでも積極的に参加して、しかも楽しそうだった。

というところの夜、藤真とはとうとう同じ部屋に押し込まれた。一応王の寝室である。

「うちの王の寝室のええと……5分の1くらいだね」
「城自体がそんなもんだろ。オレの部屋なんかもっと小さいぞ」
「だけどここ、楽しい。いつもこんな感じだったの?」
「まあさすがに今日みたいなのは初めてだけど……春の花見の時なんかはもっと騒がしいよ」
「いいなーそういう時に来たかった」

まだ遠い春に蕾すら付いていない桜の木を窓から見下ろしているに並ぶと、藤真は静かに抱き寄せて髪飾りのない頭にキスをした。自分の部屋にがいるということが不思議でしょうがないけれど、こうして両腕に抱いているとものすごく落ち着く。ホッとする。そしてそれが過ぎると少しずつドキドキしてくる。

……、どうするつもりなんだ」
……このまま、こういう日がずっと続けばいいのになって思う」

にとって今日は楽しくて充実した日だったに違いない。初めての経験をたくさんして、よく働いたあとの食事は美味しくて、藤真も一緒にいて。何よりここは彼女にとって本当の故郷なのかもしれないのだ。もし攫われもせずにこの城に育っていたら王子と使用人でしかなかったかもしれないが、それなら恋に落ちることもなかった。

藤真は腕を解いて体を引き、の両手を取って顔を寄せる。

……姫、私の、妻になりませんか」

10日間の移動を経て生まれ育った城にが入ってきた時、藤真はそれを望む気持ちに気付いた。城壁の内側に並ぶ桜の木の下を歩くを見ながら、この国が元通りになって自分が王に即位し、そしてが王妃になってくれたら――そんな夢想をしている自分に気付いて、少し驚いた。けれど、それはあまりに幸せな願いには違いなかった。

「豪華なドレスも髪飾りも馬車もないけれど、その代わり生涯あなただけを愛します」

もうすぐ全てを奪われてしまうけど、それだけは残る。誰も奪うことができない藤真の心だ。

「私なんかで、後悔しない?」
「まだ王子である間の、最初で最後の、しかも唯一の願いです。後悔なんかしない」
……お受けします、あなたの妻になります。私も生涯あなただけを愛します」

静かに唇が重なりあい、は腕を伸ばして藤真に抱きついた。妻になるだの夫になるだの、もうそれを公的な契約とすることは出来ない。けれどふたりの心はもう決まってしまった。平民でも王女でも何でもいい。妻となり夫となり、生涯互いを慈しみながら共に生きていきたい。

……、オレ、この国を出ようと思ってる。一緒に、来てくれないか」
「行く。一緒に行きたい。連れて行って」
「話は聞かせてもらった!」
「ギャアアアアアアア!」

キスを繰り返しながらそんなことを話し合っていたところに花形が乱入してきた。

「おま、ちょ、どこに隠れてた!?」
「控えの間にいるって言ったじゃないすか」
「許可してないだろ!!」
「いやー、このままおふたりがご夫婦になられるのを家臣として見届けようかと思ったんですが」
「お前ホントふざけんなよ!!!」

藤真は頭から湯気が出そうだ。も真っ赤になって狼狽えている。が、花形は真顔だ。

「今の、本当ですね? お気持ち、変わりませんね?」
「何がだ!!!」
「姫、馬には乗れますね? 長距離でも耐えられますか」
「は?」
「王子は我々を信用できますか?」
「だから何の話だよ」

花形はメガネをクイッと上げ直すと、跪いてふたりを見上げた。

「残弾少ないですが我々家臣一同、おふたりを逃がす手立てを考えました。準備を進めてます」
「えっ? 逃がすって……
「王子、様は元々この国の方です。もらっちゃいましょう」

しかめっ面の藤真をよそに、はひょいとしゃがんで花形の手を取った。

「だけど、私たちを逃すということはみんなはここに残るってことでしょ。父が来てる時に」
「その時じゃないと意味がないですからね」
「みんなに危険が及ぶことになるなら私は……
「姫、おふたりが逃げても逃げなくてもそれは変わりません。ここはそういう国になるのです」

併合され吸収されて好き勝手に作り変えられていく運命にある国の民など、いつでも滅ぼせる。

「それをあとに残していかねばなりません。おふたりとも、我慢できますか?」
……あなたたちはそれでいいの」
「そりゃよくないですよ。だからみんな安全に生きていけるようにそれぞれ道を探してる」
「花形はどうするの」
「おふたりを逃してほとぼりが冷めたら私も国を出ます」
「大丈夫なの」
「おそらく。でも姫、必ず安全な道などどこにもないんですよ」

ようやく事態が飲み込めた藤真は花形を立ち上がらせて、腕をポンと叩く。

「お前の言う通りにするよ。最後の仕事だ、抜けのないように頼む」
「お任せ下さい。では準備を進めさせて頂きます」
「おお、頼む」

そして一礼をするとさっさと部屋を出て行く。ドアを開き、体を反転させてまた一礼。

「ではどうぞごゆっくりお休み下さい」
「ああ、おやすみ」
「明日は皆も疲れているので朝食を2時間遅らせます」
「おお、そうしてくれ」

そしてちょいと上半身を傾けると、わざとらしく深々と頭を下げた。

「これでもう控えの間には誰もいません。お、王子……ご、ご卒業おめでとうございまフッ」
「たたっ斬るぞほんとに!!!!!!」

堪えきれなくてゴフゴフ笑いながら花形は出て行った。後には髪が逆立つ勢いの藤真が真っ赤になってゼイゼイ言いながら残された。しかし花形の言うようにご卒業の時である。王子からも、王族からも、この国の人間からも、そして子供からも。

「すまん……
「うまくいくといいね」
……大丈夫、あいつバカだけど頭いいから」

ふにゃりと笑うを抱き上げてベッドに下ろす。かつて何人もの国王が王妃とともに休んでいたベッドだ。

「こんなベッドで休むのも、あと数日だな」
「どんなベッドか、より、誰と一緒に休むかの方が大事なんじゃないの?」
「それもそうだ。……オレはお前がいればそれでいい」

王子、改めてご卒業の時でございます。

それから数日、城内に残った数十人は掃除に精を出し、花形がペラペラと喋ったおかげで王子と王女ふたりが結婚したことを知っては喜びつつ、すっかり準備を整えた。城の引き渡し当日、わざわざ小隊を引き連れてやって来るの父を迎える時が勝負である。

しかしそれには藤真の身分剥奪という血反吐を吐くほど悔しいイベントをこなさねばならない。その上そのイベントにははツンと澄ました顔で列席しなければならないし、夜は一緒にいられない。だがは覚悟の上だときっぱり言い切り、城で40年働いてきたという厨房のおばちゃんなどはを王妃様と呼び始める始末。

そして当日。すっかり閑散とした城に大げさな一団がやってきた。わざとらしくきれいなドレスで父を迎えたは、掃除をさせておきましたと偉そうに言い、ほとんどの使用人は役立たずなので追い出し、言うことを聞く「使える者」だけ残してあると説明した。彼はそれを聞きながら王座の間に入ると、待っていた藤真に目もくれずに王座に腰掛ける。

そして藤真から差し出される王冠と王笏、王座の間の鍵を側近に受け取らせると、満足そうに笑った。

「これでお前は王子ではなくなる」
「はい」
「この先はどうするつもりだ」
「旅に出ようかと」
「ほう、どこへ」
「あてはありませんが、南に訪ねたいところがありますので、まずはそこに」

ふん、と鼻を鳴らした王は立ち上がり、藤真の前に立ちはだかると腰に差し渡していた剣を抜いて突き出す。

「まあなんとでも好きにするがよい。私はどんな戦にも勝ち、国はもっと強大になり、いずれお前の顔も忘れるだろう」

そう言うなり剣を払った。切っ先が藤真の額をかすめてこめかみを切り裂き、頬に血が伝う。

「しかしこの日を忘れぬために、私の勝利を記憶するため、この傷は覚えておくことにいたそう。では去れ」

ボタボタと額から血を流す藤真は一礼すると、そのまま背を向けて王座の間を出て行った。

「ふん、子供は扱いやすいな。よし、ここにいる間に指示を残しておくから、そのように城を直せ」
「かしこまりました」
、別荘にするのはよいが、お前のものではないのだぞ。しかもほとんど作り変えるからな」
「わかっております。私には眺めのいい可愛らしいお部屋を下さいませ。絨毯は薔薇色がいいわ」
「うん、そうしよう」

はにっこりと笑い、そして可憐に会釈をしてみせた。

その翌朝のことである。がいないと侍女が騒ぎ出し、すっかり満足して深酒をして眠り込んでいた王は頭痛とともに飛び起きた。だがなにぶん慣れない城だし、いるのは同様に初めてここを訪れる部下ばかりで事態がよく飲み込めない。侍女は姫を起こしに行ったらもぬけの殻だったと言って青ざめている。

そして慌てて王座の間に駆け込むと、王座の前に両手足を縛られて動けない黒い塊が転がっていた。

「お前、何者だ」
「王子の側近をしておりました花形と申します」
「一体どういうことだ」
殿下に高いところにあるものに手が届かないとここに呼ばれまして、それでこんなことに」
「あのバカ娘が……! それであやつはどこに行ったのだ」
「存じません。跪いてご挨拶をしましたら急に首に縄をかけられまして、それ以来この場から動けません」
「女ひとり抵抗できただろうが!」
「とんでもない! 高貴なご身分のご婦人に手を触れるなど、あってはならないことでございます」

王は返事に詰まる。花形はやっぱりはこの城にいた使用人の子なのだと確信した。

「おい、王子、いや健司殿はどこへ行ったのだ」
「えっ? どこへって……昨日こちらで王冠などをお譲りした後に発たれましたが」
「どこへ行ったと聞いておるのだ!」
「南に我々の師匠筋の流派の里がございますので、そこを尋ねるとは聞いておりますが」
「それをは聞いていたか!?」
「はあ、聞いておられたかもしれません」
「南に人をやれ! まだそれほど遠くへは行かれないはずだ!」

慌てて王座の間を出て行く数人を見送ると、王は悔し紛れに王座を蹴った。

「あの……南へ行くのは王――いえ健司殿でございますが」
「わかっておる。はそれを追って行ったに違いない」
殿下がでございますか? まさか」
……なぜそう思う」
「なぜって……彼を追う理由がありません」
「お前は側近のくせに察しが悪いな。あの王子め、をたらし込みおって」
「ご婦人に触れたこともない方ですよ。姫君をたらし込むなどそんな芸当は……
「もうよい。おい、こやつの縄を解いてやれ。お前ももうこの城に用はなかろう、さっさと出て行け」

両手足の戒めを解かれた花形は一礼するとヨロヨロと出て行った。城を出て城壁を過ぎて城下町に出る。そこには最後まで城に残っていた数十人の家臣と使用人たちが待ち構えていて、花形を近くの民家に引っ張りこんだ。

「一晩ご苦労様でした」
「何はともあれトイレに行かせて下さい。王座の間、超寒かった」

トイレに行き、着替えて戻った花形は温かい食事をもらうとやっと一息ついた。

「おふたりは無事ですか」
「はい。様も予定通りに。今しがた南へ行った者が戻ったところです」
「そちらも無事でしたか。ご苦労さまです」

花形はにっこりと微笑んで満足そうに息を吐く。

昨日、城から追い出された藤真はまず父祖の墓に参ると、この民家へやって来た。そしてそのままを待った。一方は宴会になった晩餐を途中で抜けると、疲れたから休むと言って侍女を下がらせ、花形を呼び寄せた。そこはそれ花形にとってもほぼ自宅に等しい城なので、見つからないように客間に忍び込むのは造作もない。

そこで花形はの髪を切り、城下町で待つ元馬番にそれを預けた。南に出る街道沿いの森の中に牛の血や肉、内臓の破片とともにバラ撒いてくる作戦である。ついでに例の髪飾りから花をひとつむしり取って落とす。南へ向かう街道は昔から熊が出ると有名なのでそれによる事故を偽装しておく。これでが死んだと思って引き返せばそれでもよし。

更に南の師匠筋の流派の里にも使いを出してあって、藤真が立ち寄った形跡を残し、さらに遠くへ立ち去ったことにしてもらうよう頼んできた。この里を更に南に進むと海に出る。港町でも同様に船に乗って何処かへと旅立った証拠を残しに使いが出ている。ここまで追いかけるのには早くても1週間はかかる。港町まで時間を稼げれば、藤真たちは東の国へ向かう街道に入れる。

そういう段取りの上に、深夜になってから王座の間に忍び込んだ花形は両手足をきつく締めあげられて転がる。それを後にしては花形の指示に従って城を抜け出し、藤真の待つ民家へと転がり込んできた。そして夜明けを待ち、ふたりは静かに立ち去った。行き先は南ではなく東。桜の花咲く藤真の曾祖母の国である。

「向こうの城にいる間に東の国に手紙を出しておいたんですよね。その返事が間に合ったので、逃がそうと思って」
「花形さんはどうするんだい」
「しばらくはここにいますけど、いずれここを出て北に行こうかと」
「北? 何かありましたっけ」
「聖都があります。そこのアカデミーに入ろうかと」
「こりゃとんでもねえや! 大陸中から学者が集まってくるようなところですのに!」

そうやって花形がドヤ顔でふんと鼻を鳴らしている頃、一路東を目指す藤真とは途中の村で水をもらって休憩していた。藤真はともかく、は慣れない馬を長時間で疲れている。

「花形大丈夫かなあ」
「大丈夫だろ。あいつ要領いいから」
「ちょっときつく縛りすぎたかもしれない。てかちゃんとトイレ済ませてたかな」
「そういう心配かよ」

藤真はの短くなった髪を指で撫で梳くと、2日前の夜を思い出す。花形は逃亡の算段を説明し終えるといきなり藤真の肩を叩いてきた。王子と側近だった頃には間違っても出来ないような行為である。

「健司殿、オレは聖都のアカデミーを目指すことにした」
「お、おお……? すげえなお前」
……そこで何もかもを学んでくる。どんな国の大臣よりも知識知恵をつけて来る」

いつになく花形が真面目なので、藤真は姿勢を正す。

「ああ、頑張れよ」
「だから健司殿も旅の果てに腕を磨き、どんな国の王よりも強くなって来られよ」
……いいだろう。いつかまた並び立つことが出来るよう、私も鍛錬に励もう」

若いんだからやり直せるだろ、そんな身勝手な理屈で藤真は全ての身分を剥奪されることになった。その時から花形はこの思いを抱いてきた。やってやろうじゃないか。いつか寝首をかいてやるから覚悟しておけ。わざと芝居がかった言い方をした花形に藤真も乗ってやり、ふたりはニヤリと笑い合った。

「参謀はいるし、もう王妃はいるし、後は時節を待つのみ。陛下、お待ち申し上げておりますよ」
「オレもだ。お前が聖都で名を轟かすのを楽しみにしてる」

そんな言葉でふたりは別れた。それを思い出して藤真は元きた道を振り返った。

「だけど、東の国に行ったところでどうするの」
「例の曾祖母の縁で花形が話をつけてくれてる。まずはその筋の家に厄介になる」
「それで?」
……それから、探すよ」
「何を?」
「お前の親」

は水の入ったコップを取り落とし、短くなってしまった髪に手をやりながら俯いた。

「掃除してる間に城に残る資料は全て城下町に移しておいた。花形が城下にいられる間に残りの調査をしてくれることになってる。当時の記録、オレもちょっと見てみたんだけど、、どうもお前の親は東の国から来た人だった可能性が高い。ひい祖母さんの侍女としてオレの国に来て、そこで結婚してお前を産んだんだと思う」

何より安全のために東の国に話をつけておいた花形だったが、ここに来ての件も東の国での調査が必要な展開を見せてきた。撹乱の目的もあるし、東へ向かうのは一石二鳥だ。

「よし、そろそろ行こうか。日暮れまでに国境沿いの村まで行きたいからな」
「健司」
「何だよ」
……ありがとう」

少し照れつつもにキスをすると藤真は馬に飛び乗る。ものろのろと馬に跨がってローブのフードを被る。服は藤真が子供の頃に着ていた男の子用のものだ。髪は短いし、遠目には少年に見える。ふたりは駆け出し、村を後にした。馬が速度を上げると風に藤真の髪が舞い上がり、血の滲む包帯が風に揺れる。

いつかこの地に額に傷持つ王が戻る日が来るかもしれない。しかしそれはまた、別のお話。

めでたしめでたし、おしまい